予兆詩第26番(旧24番) 1558年1月について
原文
Puisné Roy fait, funebre epithalame.
Sacrez esmeus, festins, jeux
1,
soupi Mars.
Nuit larme on crie, hors on conduit la Dame.
L'arrest &
pache2 rompu de toutes pars.
異文
(1) jeux :
iceux 1649Ca 1650Le 1668
(2) L'arrest & pache : Pache & arrest 1589Rec
日本語訳
より若い王が生み出される。陰鬱な祝婚歌。
聖職者たちは動揺させられる。饗宴、遊戯、鎮まっている
マルス。
夜、涙、人々は叫ぶ、婦人は外へ導かれる。
逮捕と全方面から破棄された合意。
訳について
1行目の fait は現在形の動詞とも過去分詞とも解釈できる。ここでは過去分詞で読んだが、いささか信奉者側の読み方に甘い訳し方かもしれない。
信奉者側の見解
ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1560年の状況に当てはめ、「次男の王」を次男であった国王シャルル9世と解釈した。「陰鬱な祝婚歌」は兄王フランソワ2世の早世によって、メアリー・スチュアートが早々と未亡人になったことと解釈し、3行目の「外に導かれた婦人」はスコットランドに帰国したメアリーとした。2行目の「鎮まっているマルス」だけは、1558年の状況に当てはめている 。1558年の状況についてシャヴィニーは詳述していなかったが、
ベルナール・シュヴィニャールは、当時の和平交渉と捉えていたのだろうとしている。
ジョン・ホーグも、「陰鬱な祝婚歌」はフランソワとメアリーの結婚と解釈している。1558年の時点で、フランソワの病弱さから、そこに死の影がちらついていたとしても不思議ではなかったという判断である。
同時代的な視点
ホーグの指摘にもあるように、仮にフランソワの婚約に関連する予言だったとしても、その病弱さから明るいとは言いがたい未来を導くのはそう難しいことではなかっただろう。
なお、
エドガー・レオニは1558年1月にフランスがカレー奪回に成功したことに対応するとしているが、推定執筆時期(おそらく1557年前半)からすれば採れないだろう。
最終更新:2009年12月07日 12:01