原文
Apparoistra vers le Septentrion
1 ,
Non loing de Cancer
2 l'estoille
3 cheuelue
4 :
Suze
5 , Sienne
6 ,
Boece 7 ,
Eretrion 8 ,
Mourra de Rome grand, la nuict disperue
9 .
異文
(1) Septentrion : septentrion 1590Ro 1653 1665 1672 1840
(2) de Cancer : Cancer 1611B 1660
(3) estoille : Estoille 1649Ca 1650Le 1667 1668
(4) cheuelue 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1597 1600 1610 1611A : cheueluë T.A.Eds.
(5) Suze : Suse 1649Ca 1650Le 1667 1668
(6) Sienne : sienne 1653 1665, Siennne 1772Ri
(7) Boece 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1649Ca : Boëce T.A.Eds.
(8) Eretrion : Etetrion 1590Ro, & Etrion 1611B, et Eretrion 1660
(9) disperue : disparue 1588Rf 1589M, disperuë 1605 1611B 1628 1649Xa 1649Ca 1668A 1672, disparuë 1589Rg 1627 1644 1650Ri 1650Le 1653 1660 1667 1668P 1772Ri
日本語訳
北方に向かって現れるだろう、
長髪の星が巨蟹宮から遠くないところで。
スーザ、
シエーナ 、ボイオティア、エレトリア。
ローマ の大物が死ぬだろう。夜が失せる。
訳について
大乗訳はおおむね許容範囲内と考えられるが、2行目「炎を上げて燃えている星」は少々不適切。直訳は上に示したように「長髪の星」であり、意訳するなら「彗星」とすべきだろう。
信奉者側の見解
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成) (1939年)は、彗星が現れるときにイタリアの重要人物が死ぬという、ほとんどそのまま言い換えた解釈しかしていなかったが、それを1937年から1999年の間に位置づけていた。
アンドレ・ラモン (1943年)は、第二次世界大戦中に蟹座の近くに彗星が現れることになり、その時に起こるイタリアの混乱とローマ教皇の死が予言されているとした。
セルジュ・ユタン はナポレオンの異常な運命を予言したものではないかと疑問符付きで述べる一方、20世紀末のハレー彗星接近に関連があるとしていた。
同時代的な視点
ロジェ・プレヴォ は1531年の彗星(ハレー彗星)が巨蟹宮、獅子宮、処女宮をめぐるように観測されたことや、1533年の彗星が双児宮(巨蟹宮の隣)から白羊宮をめぐったことと関連付けている。
1533年にはオスマン帝国のバルバロス・ハイレッティンの艦隊がイタリア沿岸を荒らし、トラキア地方に退却している。また、1534年にはローマ教皇クレメンス7世が逝去しており、こうした事件の予兆として、1531年ないし1533年の彗星が位置づけられていると見るわけである。
スーザが沿岸からは離れすぎていることをはじめ、地理的な同定の仕方に疑問もあるが、
ピーター・ラメジャラー や
ブリューノ・プテ=ジラール もこの見解を支持している。
ジャン=ポール・クレベール もおおむね同じ見解で、彼は最後の「夜が失せる」について、夜が明けることを表現しているというよりも、天体現象で昼間のように明るくなることを表現したものではないかとした。
【画像】ボイオティアは地域の名前なので、主要都市だったテーバイの位置で示している。
最終更新:2010年03月12日 23:26