現在の山東省徳州市平原県。 戦国時代は趙の支配下にあり、この地に封ぜられた公子趙勝が平原君と呼ばれた。 後漢の代には青州に属しており、公孫瓚の推挙を受けた劉備が赴任している。 曹操が袁家を破り河北を統一すると冀州に編入された。