倫理的ジレンマの概要
倫理的ジレンマとは、どちらかが正しくてどちらかが間違っているとはいえず、どちらも大切だったり必要だったりするような微妙な倫理的な価値の対立が生まれることです。
テーマ |
例 |
説明 |
少数を犠牲にして 多数を救うことは許されるか (功利主義と義務論) |
トロッコ問題 |
暴走するトロッコを傍観して5人を犠牲にするか、 積極的に行動して1人を犠牲にするのかという問題です |
『鋼の錬金術師』の 「お父様」の計画 |
アメストリス国全体を錬成陣に利用し、多くの人々の魂を犠牲にして 力を得ようとする「お父様」の計画 |
自分の命を優先するか、 他者の命を守って 自分を犠牲にするか |
カルネアデスの板 |
難破した船から一枚の板にすがることで生き延びようとする人々が描かれます。 板は一人を支えるには十分ですが、二人がつかまると沈んでしまうため、 一人が他者を突き飛ばして生き残ることになります |
「お前は先に行け!」 |
自らの命を犠牲にして使命を仲間に託す自己犠牲の死亡フラグとして使われます。 ヤンキーに絡まれている女の子を助けるときのセリフとしてもよく使われます |
スーパーヒーロー作品 |
例えば『ダークナイト』では、バットマンがゴッサム市民の命を守るために、 自らが悪役として追われることを選ぶシーンがあります。 彼は自分の評判よりも市民の安全を優先します |
自己決定権と生命の尊厳 |
安楽死を認めるべきか |
患者の自らの意思による安楽死は自己決定権の行使として尊重されるべきか、 あるいは生命の尊厳を損なう行為とみなされるべきか、というジレンマ。 患者が耐え難い苦痛に苦しんでいる場合、その苦痛から解放するために 安楽死を選ぶことが倫理的に許されるかが問われます |
呪いからの解放 |
ダークファンタジーやホラー作品では、力を求めてその魅力に溺れる、 呪いや感染などにより異形の姿になってしまうことがよくあります。 それによって本来の人格を失いかけているキャラクターは、 罪悪感から自らの死を望むことがあります |
不老不死 |
不老不死の能力を持ったキャラクターは、自らの死を望む傾向があります |
職業倫理のジレンマ |
安楽死を認めるべきか |
安楽死の問題は、命を救うべき医療の立場からも倫理的ジレンマが存在します。 医師は患者の苦痛を和らげることも求められるからです |
利便性と効率性 |
個人情報の共有と プライバシーの尊重 |
個人情報を共有することで、サービスの利便性や効率性が向上します。 例えば、医療や介護分野では、情報共有によって迅速で適切なケアが提供できます。 一方で、個人情報の共有はプライバシーの侵害につながる可能性があります。 個人情報が不適切に扱われると、プライバシーが侵害されるリスクが高まります |
公平性と平等性 |
限られた資源をどのように 公平に分配するか |
例えば医療サービスを万人に平等に提供するためには、膨大な資源が必要となります。 そのため限られた資源を、本当に必要とする人のために 公平に分配することが求められます |
「意図しない結果が引き起こす悲劇とその責任の所在」の具体例
- 1. 失敗まんだらの事例
- 例えば「うっかりしていてスイッチを切り忘れた結果、火事になった」というような事例があります
- この場合、スイッチを切り忘れるという不注意が原因であり、その結果として火事という重大な結果が生じます
- このような場合、意図しない行動が予期せぬ悲劇を引き起こし、誰がどのように責任を負うべきかが問われます
- 2. 応急処置の失敗
- 一時的な解決策が長期的には問題を悪化させるケースもあります
- 例えば、交通渋滞を解消するために道路を拡張した結果、さらに多くの車が集まり、渋滞が悪化するという事態です
- ここでは、短期的な利益を追求した結果として長期的な問題が発生し、その責任の所在が曖昧になることがあります
- 3. コモンズの悲劇
- 共有資源の過剰利用によって資源が枯渇する「コモンズの悲劇」も一例です
- 個々の合理的な行動が全体として不合理な結果を招く場合、誰がどのように責任を負うべきかが難しい問題となります
これらの事例は、意図しない行動や短期的な利益追求が長期的に重大な問題を引き起こす可能性を示しており、その際の責任の所在や倫理的判断について考えさせられます。
戦争のどちらが悪いのかという問題は、
倫理的ジレンマに該当します。以下にその理由を説明します。
- 1. 必要悪としての戦争
- 戦争は、時に国際社会の秩序や正義を維持するための手段とされることがありますが、その一方で多くの生命を奪い、破壊をもたらすため、倫理的な葛藤を引き起こします
- 2. 義務論と帰結主義
- 戦争の是非を判断する際、行為そのものの是非を問う義務論と、その結果による影響を考慮する帰結主義という二つの倫理学的視点が対立します
- 例えば、無辜の民間人への被害が予想される場合、その行為は許されるべきかどうかが議論されます
- 3. 平和主義と政治的リアリズム
- 戦争を避けられない現象として捉える政治的リアリズムと、絶対的に戦争を拒否する平和主義との間で、どちらが正しいかというジレンマが生じます
このように、戦争における
倫理的ジレンマは、複数の価値観や倫理原則が衝突する状況であり、簡単に解決できない複雑な問題です。
道徳的ジレンマは
倫理的ジレンマの一つと考えられます。倫理的ジレンマは、互いに矛盾する倫理的要求が存在し、どちらの選択肢も他を優先することができない状況を指します。この中には道徳的ジレンマも含まれ、具体的には個人がどの道徳的要件を優先すべきか判断できない状況を指します。
作品例
血染めのユフィ『コードギアス反逆のルルーシュ』
血染めのユフィとは、アニメ「コードギアス反逆のルルーシュ」STAGE 22のタイトルで、「意図しない結果が引き起こす悲劇とその責任の所在」という
倫理的ジレンマを強烈に描いたエピソードです。
このシーンでは、ユーフェミア(ユフィ)が意図せずしてギアスの暴走により「日本人を殺せ」という命令を出してしまうことが中心にあります。
- 1. 意図と結果の乖離
- ユフィは本来、日本人とブリタニア人が共存できる平和な世界を望んでいました
- しかし、ギアスの暴走によって彼女の意図とは正反対の虐殺命令を発してしまいます
- それによりユフィの行動は日本人からの信頼を失わせ、彼女自身も命を落とすことになります
- この意図と結果の乖離が、倫理的ジレンマを生み出しています
- 2. 責任と罪悪感
- ルルーシュはギアスが暴走したことに責任を感じつつも、その結果を利用して自身の目的を達成しようとします
- 日本人虐殺という行動は、ブリタニア帝国に対する日本人の反発を強め、結果的にゼロ(ルルーシュ)が率いる黒の騎士団の支持を増大させました
- この選択は、彼にとって必要な犠牲である一方、ユフィへの罪悪感を伴います
- 人知を超えたギアスの力は、必ずしも栄光をもたらすものではなく、悲劇を生み出すものでもあることが表現されました
- 3. 優しい嘘
- スザクはユフィが本心で虐殺命令を出したわけではないことを知りながら、「優しい嘘」をついて彼女を守ろうとします
- この嘘は、真実を隠すことで愛する人を守るという倫理的葛藤を表しています
- 4. 社会的反響
- これにより、ブリタニアは支配地域での統治が困難になり、内外からの批判を受けることとなりました
- ユフィの行動は、日本人から憎まれる結果となり、彼女自身が最も望まない形で歴史に刻まれます
- この社会的な反響もまた、個人の意図とは無関係に広がる影響力について考えさせられます
このエピソードは、個人の「意志」と「行動」がどれほど乖離し得るか、そしてその結果として生じる
倫理的ジレンマについて深く考えさせるものです。視聴者に強い印象を残すだけでなく、物語全体における重要なテーマとして機能しています。
『約束のネバーランド』
『約束のネバーランド』では、物語全体を通じて複数の
倫理的ジレンマが描かれています。これらのジレンマは、登場人物たちが直面する選択や行動に深く影響を及ぼし、物語の緊張感やテーマ性を高めています。
- 1. 目的のための犠牲は許されるのか
- 子どもたちが鬼の食糧として育てられるという世界観の中で、エマたちは「全員で生き延びる」という理想と、「一部を犠牲にしてでも目的を達成する」という現実的な選択の間で葛藤します
- エマは誰も犠牲にせず全員で逃げることを目指しますが、ノーマンやレイは現実主義的な立場から「全員を救うことは不可能」と考えます
- この対立は、物語全体で繰り返し問われるテーマとなっています
- 2. 鬼と人間の共存の可能性
- 鬼が人間を食べなくても退化しない「邪血」を持つムジカという存在が登場することで、鬼と人間が平和に共存できる可能性が示されます
- しかし、そのためには長年続いてきた鬼社会の構造を変える必要があります
- ノーマンは鬼を絶滅させることで人間を守ろうとしますが、エマは鬼にも命や社会があることを理解し、共存の道を模索します
- この対立もまた、倫理的ジレンマとして描かれています
- 3. 支配者と被支配者の関係
- 鬼と人間だけでなく、人間社会内でも支配者と被支配者(ラートリー家や農園の「ママ」たち)の関係が描かれます
- 特に「ママ」たちはかつて出荷児だった過去を持ちながらも、生き延びるために他の子どもたちを管理する立場に立っています
- これは、被害者が加害者になる構造や、生存のために倫理的妥協を強いられる状況への問いかけでもあります
- 4. 許しと復讐
- エマたちは、自分たちを支配してきた大人たちやラートリー家に対して復讐ではなく「許し」を選びます
- これは「悪循環から抜け出すにはどうすればいいか」という問いへの一つの答えとして提示されています
これらの要素は、『約束のネバーランド』が単なるサバイバルストーリーではなく、深い倫理的テーマを扱った作品として評価される理由となっています。それぞれの選択肢には正解がなく、登場人物たちが葛藤しながら進む姿が物語にリアリティと厚みを与えています。
『寄生ジョーカー』
『寄生ジョーカー』には、
倫理的ジレンマが物語の中核として描かれており、特に以下のようなテーマが際立っています。
- 1. 科学の進歩と人間性の犠牲
- 科学的成果を追求するために人間を犠牲にすることは正当化されるのかという倫理的ジレンマが描かれています。
- 物語では、寄生体を利用した生物兵器開発が進められていますが、その過程で多くの人命が犠牲になっています
- これにより、「科学技術の進歩はどこまで許されるべきか」という問いが浮かび上がります
- 特に、主人公・藤堂晴香も寄生体の実験台として利用されており、彼女自身がその犠牲者であることが倫理的な葛藤を強調しています
- 2. 自己保身と他者への犠牲
- 極限状況に置かれた人物が、他者を犠牲にしてでも自らの生存を優先することは許されるのかというテーマがあります。
- 晴香は生物兵器の人体実験が行われていることを知りながら友人たちを島に連れてきます
- 晴香や他の登場人物たちは、生存をかけて極限状況に置かれます
- その中で、自分が生き延びるために他者を見捨てたり、時には殺害する選択を迫られる場面があります
- このような状況は「自分の命と他者の命、どちらを優先すべきか」という倫理的な問題を提起します。(→カルネアデスの板)
- 3. 組織への忠誠と個人の自由
- 組織や社会への忠誠を守るべきなのか、それとも個人の倫理観や自由を優先すべきなのかというテーマです。
- 晴香は秘密組織の観察者として活動していますが、その組織は非人道的な実験や行為を行っています
- 彼女は組織への忠誠心と、自らの倫理観や自由意志との間で葛藤します
- また、組織から逃れることも容易ではなく、その選択肢自体が制限されています
- 4. 寄生体治療と後遺症
- 完全な解決策がない中で、どのような選択肢を取るべきかというテーマです。
- 晴香は寄生体を体内に埋め込まれており、寄生体に身体と精神を乗っ取られる危機に瀕しています (→精神汚染の恐怖)
- 寄生体から解放されるためには抗体が必要ですが、それによっても後遺症や身体機能低下などの問題が残ります
- このため、治療そのものが完全な救済とはならず、「どちらを選んでも苦しみから逃れられない」という構造になっています。
これらの倫理的ジレンマは、『寄生ジョーカー』全体において、「極限状況で人間性はどう変わるか」「科学と倫理はどう向き合うべきか」というテーマを強く浮き彫りにしています。特に、登場人物たちがそれぞれ異なる選択や行動を取ることで、プレイヤーにも「自分ならどうするか」という問いを突きつける構造になっています。これが本作を鬱ゲーとしてだけでなく、深いテーマ性を持つ作品として評価させる要因となっています。
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最終更新:2025年02月09日 17:10