地を染める若葉の色は、雲一つない青空の下、燦燦と照り輝く太陽によってより一層青々しさを主張する。微風がゆったりと走行する馬車の御者の髪を揺らす。旅行には丁度良い気温と天候で、今日の御者の表情も綻んでおり、車を引く馬の足取りも軽い。
甘受の月……生命萌ゆる爽やかな平原を、馬車は軽快に進んでいく。
#
一方、その荷車の中はと言えば。
「………ぅぷ」
「…………」
「………はぁ」
暗鬱なオーラがたちこめ、ある者は吐き気を催し、ある者は窓の外を胡乱気に眺め、ある者は寝にくそうに表情を歪め、ある者は実際に吐いていた。車の中はとても快適とはいえない不快な揺れが続いている。貴族が使うような二・三人用の馬車でもないため、柔らかな椅子も無く全員板張りの上に適当に座り込んでいるだけ。それ故に直に伝わる揺れにより、体全体を揺さぶられる。この場においては旅行日和の快適な天候など、然したる意味を成さない。
そんな中でも、一際生気を感じさせない人物もいる。
「………な、なぁ、そこの姐さん?」
「何よ?ナンパとかなら一切合切斬り捨てるわよ?」
「い、嫌、そうじゃない、そうじゃないんだが…」
筋骨隆々とした体格で、荷物の他に身の丈ほどはある大剣を携えた男性が、恐々としながらフェイに話しかける。呼称が『姐さん』と言うのは既にこの馬車の中の一致した見解であり、誰も彼女を甘く見て声をかけることは無い。実際にそれをやった一人の傭兵は一撃で地に沈んだからだ。
尤も、『寄る物全て傷付ける』と言うのは本来彼女の流儀ではなく、普通に話しかけてくる人に対しては相応に話す、と、人当たりは決して悪くは無い。ただ単に『相手に合わせる』=『目には目を』と言う思考回路をしているために、相手が無遠慮に肩に手を置こうものなら、即座に手をひねり挙げて一本背負いの後に鳩尾を蹴り追撃する。ただそれだけ、と彼女は思っているが、周りから見れば既に彼女は『容赦無き女傑』である。
ついでに言うなら、普通に話しかけても威圧的に感じるのは、ただ単に彼女が愛想笑いと言う物を知らない正直な人間…もとい、ハーフエルフであると言うだけである。なので、二の句を告げずに彼女の隣をちらちらと見る動作を繰り返しているのは、特に挙動不審というわけでもない。彼自身は睨まれた様に感じただけだ。
そうした動作を、フェイは不可解な物を見るかのように、
「……何よ?聞きたいことがあるから声をかけてきたんじゃないの?」
「あ、あぁ…そうなんだが………何と言うか…その……」
苛々しながら(あくまで彼から見てそう見えるだけだが)彼女が催促するので、男性は意を決したように口を開く。ついでに手で視線を促す。
「そ、そこの連れの子供は…………大丈夫なのか?」
手で促された方向に視線を向けて、フェイは『連れの子供』を見ると、納得したように苦笑を漏らしながら答える。
「あぁ、へーきへーき。昨日、ちょこ~っと鍛えてあげたんだけど、思いの外ばてるのが早くってさぁ。そんなんだから満足に戦うことも出来ないのよ、って泣き言無視して修行続行したの。ちょっと意識が飛んでいるだけだから大丈夫、気にしないで?心配してくれてありがと」
「……いや、大丈夫………なのか?」
笑顔で淡々と語る女性に若干胸をときめかしながらも、男性は顔をひくつかせながら『連れの子供』を見る。そこには、
「…………………………め………さい………ゆ……………すけ…………ひと…」
生気を失い虚ろに空間を彷徨う瞳と、寝言の様にぶつぶつと何かを口ずさむ唇、カタカタと震える体躯、力なく垂れ下がる尻尾とうなだれる耳。馬車に同乗する際に、可愛い子供だ、と彼が微笑ましい気持ちにさせられた、獣人少年・アレックスである。一体どんなことをさせられればここまで茫然自失するんだ、と、それなりに辛い訓練をつんできた屈強な男性は身を強張らせる。追い討ちのように、アレックスが口ずさんでいるのが「ごめんなさい許してください助けてくださいせめて一思いに…」と言う言葉の繰り返しであることに気づくと、顔を青ざめさせて硬直する。
そんな彼の胸の内も知らず、フェイはつい愚痴をこぼす。
「…ったく、あの程度でどーしてここまで……こんなんじゃ、魔法学校行っても一年もつかどうか…」
「………魔法学校?……もしかして、この子は魔法学校に入学するのかい?」
しかしその愚痴に対して、男性は即座に反応する。若干嬉々とした雰囲気が伝わってくるが、フェイ自身、何かしらの発言が帰ってくるとは思っていなかったので僅かに驚く。
「え、えぇ…そう。奨学金試験に受かったからね、中等部に今年から入学することになって…」
「奨学金試験!?それは凄いじゃないか!」
ますます嬉々とする男性。腰を落ち着けて、会話を続行しようとする。ほぼ初対面のような物だが、フェイも話し相手がいない今となっては返って願ったり叶ったりだ。アレックスが現実に帰ってくるまでにはまだかかる。
「魔法学校の奨学金試験は相当な難しさじゃないか?専属の魔術師にでも指導してもらわない限りは、独学で済ませないといけないし。初等部の技術・知識は全部習得した上で、魔法の使役能力も並み以上じゃないといけない……それをまだ、こんなに幼いのに…」
「詳しいわね~なんでそんなに知ってるの?」
試験内容は実際に受けようと思わない限り知り得ない。
魔法都市にある魔法学校が配布する資料にしか概要は書いていないのだから…とすると。
男性は恥ずかしそうに指で頬を掻きながら答える。
「昔…俺がまだ十代だった頃は、魔術師を目指していてな。田舎出身だから受けざるを負えなかったんだ。…結果は見ての通りだが」
「ふふ…確かに、此処までたくましい魔術師は見たこと無いわね」
冗談めかして微笑むと、男性もつられて笑う。和やかな会話が成立している様を、他の旅人達が様々な感情が入り乱れた瞳で見ているが、最早両者とも気になりはしない。共通の話題に花を咲かせる。
「まぁ、こと魔法に関してはこの子素質があって、ね。本人が努力家だったこともあるけど、今年うちの院で合格したのはこの子だけ。身内自慢のようで悪いけど、確かにこの子は凄いと思うよ、アタシは」
「院?」
フェイが発した言葉の中に、少し引っかかるキーワードを見つける。聞き返すようにその単語を発する男性を、フェイは少し寂しげな目で見る。
「確か……姐さん達は〔エルブレナ連合国〕で馬車に乗っていたよな?一回俺はあそこで休憩してたから、確かそうだったと思うが…」
「うん、そう。この子も…アタシも、【ゼフィランサス】出身なの」
「……そうだったのか」
【ゼフィランサス】。その町の名を聞いた男性は、若干バツが悪そうに口篭り、その視線に哀れみの色が混じり始める。謝罪の言葉を述べようと、口を開きかけた…瞬間に、「ていっ」と言う掛け声と共に脳天にチョップを喰らわせられる。結構痛い。
「憐れみ、哀れみ、その他同情や慰め、一切お断りよ。馬鹿にするのはもっと許さないけど……アタシ達はあそこに誇りを持っているの。勝手に価値を下げないで?」
「………ハハ!あぁ、すまない」
その迷い泣き真摯な瞳で、男性は自分の非を認めて謝罪する。確かに、この女性にとってはそんなくだらない感情など鬱陶しく思えるだろう、と。
【ゼフィランサス】とは、〔エルブレナ連合国〕という三ヶ国合併国の中にある『孤児院都市』である。かつて三カ国が戦争により疲弊し、互いの国力や経済状況の衰退などを解決するために打開案として打ち出されたのが三ヶ国の合併で、今現在、それぞれの首都だった町を主要三都市として、それぞれから支配者を選出することによって共同政治を執り行っている。
国の急な激動により、民の生活は不安定となり、自分達の生活を安定させるために子を捨てる人が度々出てくることになった。するとある有力者が、自らの莫大な財産を用いてその孤児達を引き取り、世話し、育て上げていった。その有力者と言うのが孤児院の創始者である《ルードヴィッヒ・ゼフィランサス》で、たった一代で孤児院の規模を拡大し、一つの都市を形成するに至ったのだ。孤児を世話すると同時に、各々生きる術を身に付けるために、彼の友人である職人達に孤児達を指導してもらい、魔具・家財・工芸…などなど、様々な職人達を生み出している。それによって、孤児院は町としての活気さえ生み出し始め、終には孤児院を中心とした都市が完成したのであった。
しかし、孤児である、というレッテルは、孤児では無い普通の人々にとって憐憫や蔑みの対象となることも多い。〔エルブレナ連合国〕では三大都市の交流は盛んではあるが、【ゼフィランサス】はその諸都市から卑下されている。
【ゼフィランサス】出身。それは、自らを『孤児である』と主張すること。それは言いにくいことのように思えるが、彼女にとってはそれこそが誇りなのだと、彼は直感する。
「それに、その姐さんって言うのも止めてよね。アタシには《フェイ・ゼフィランサス》って言う、大切な名前があるんだから。あ、ちなみにこの子は《アレックス・ゼフィランサス》。この子の事も名前で呼んであげて」
「……あぁ、分かった。俺の名前は《フリード・イェルト》。どう呼んでくれてもかまわない」
互いの名前を交換し、フリードは笑う。その視界に、ふと伸ばされる掌。
フェイは右手を突き出し、フリードに笑顔を向ける。
「それじゃあ、道中よろしくね、フリード」
「……あぁ、よろしく。フェイ、アレックス」
伸ばされた右手に右手で答え、しっかりと握り締める。フェイの掌は女性特有の柔らかさがあり、温もりがあり……彼女自身の、隠れた優しさが潜んでいるように、思えてならなかった。
「…ごめ……なさい…ゆるし…」
暖かで、微笑ましい一場面……そのバックには、少年のうわ言がBGMとして延々と流れ続ける。
#
「あはははははははははははははははははははははははははは!!」
「わはははははははははははははははははははははははははは!!」
馬車は五日の時を使って、〔エルブレナ連合国〕の隣国である〔プトゥナ王国〕の、首都兼港町である【リトヴィア】に到着する。その道中には三つの小さな村や町があり、ここ、【チコ】はその二つ目の町にあたる。港町を目指す馬車は毎年多く、此処はその宿場町として栄えている。町のお店の殆どは宿や道具屋など。
その中でも中程度の繁盛具合を見せる一つの宿。その食堂で、一人の男と一人の女が豪快に笑っていた。
「それでだな、こう俺は手をかざして『ファイアボール』を唱えようとしたんだ……見事成功!って思ったら試験管の奴の髪に燃え移っちまった!成功は成功でも威力がてんでなかったからよかったんだけどよ、慌てて消そうと思って頭はたいたら、結構際どかった髪の毛がズルッと!」
「あははは!!…そ、その人、何て名前の人?」
「う~ん…確か、サウロとか呼ばれてた気がするが…」
「嘘!?ホントに!あのバーコード鬘被ってたんだ~」
「ん、その口ぶりだと…」
「たぶん未だにいるわよ、そいつ。私が通ってた頃は鬘無しでバーコードさらけ出してたから、皆の影での愛称はバーコードだったけどね!」
「はは!そりゃあいい!」
お互いに魔法学校と言う共通の話題があった為に、互いが互いの思い出話を聞かせあって話は弾む。酒も進む。テーブルには合わせて十数杯分の酒杯が中身が無い状態で置かれており、二人の顔もかなり出来上がっているようで赤い。酒は人を変える魔性の飲み物とはよく言うが、どうやらこの二人の男女に対しては『元気になる』道具だったようだ。
頬は上気し、とろんと潤んだ瞳。上昇した体温により解かれた服の胸元の紐。健康的且つかなりの美を持つフェイの姿は、長い時間の中で一気に妖しい魅力を漂わせていた。
勿論、フリードに下心が無いわけではなかった。成人男子である。目の前には美女である。結構無防備になりつつある。どうしても生唾を飲んでしまうものである。……ただ、彼の酒気でまどろんだ脳裏には、彼女の連れである弱気な少年の姿があった。
酒と思い出に盛り上がった一刻ほど後、フリードは何気なく聞いてみる。
「………酒で盛り上がったところ、悪いんだが……あの子、アレックスって、いくつなんだ?」
「…ん~?アレックス?……十二ぃ~…よぉ~」
ほぼ意識がおぼつかない状態…目も据わったフェイは大袈裟に考える素振りをしながら答える。その回答に、酒には強いと自負しているフリードはぼんやりと考える。
「…十二歳……で、あの子の性格は…大人し過ぎやしないか?と言うか…まぁ、臆病すぎると言うか…」
「ん~ろういう意味よぉ?」
とろんとした睨み目。若干怒気が混じった気がして酔いが冷めそうになるが、大丈夫そうなので続ける。
「いや……魔術師、って言う大きな目標も在ってだな……奨学金制度にも合格して、自信がついたっていいと思うんだ。だけど…ソードラビなんていう雑魚相手に腰を抜かしたり、戦闘にあまりにも不向きだ。魔法の勉強をしていたら、必然的に戦闘訓練もするだろう?どうしてあそこまで慣れていないのか…と…」
「………まぁ、れぇ…」
声色は変わらない。呂律も回っていない…が、雰囲気だけは少しだけ暗くなった。
コップに入った酒を勢い良く飲み干し、物憂げにフェイは言う。
「あの子はれぇ……ほんろうは、孤児じゃなかったのよ…」
「……孤児じゃ、なかった?」
孤児院で暮らしている者が、本当は孤児では無い?
混乱と共に問い返される疑問に、フェイはカックン、と頷く。置かれていた水のコップを仰ぎ、一息をつくと、今までよりも若干聞き取りやすくなった言葉で答える。
「卒院者の一人れ、とっても正義感の強い子がいるんらけどさ…傭兵家業の最中に立ち寄った町れね、偶然アレックスと出あったんらけろ、体中殴られて青あざだらけらったらしいのよ」
知らず知らずのうちに、フリードは息を呑む。その様子を横目で見つつも、もう一杯の水を飲み干したフェイは続ける。
「………最初は、孤児かと思ったんらけど、恐がってるアレックスにゆっくり聞いてみたら、親はいるって。いつも殴られるって。……実際、これらけ聞き出すだけにかなり時間はかかったみたいれね……。んっく…やっと原因が分かって、その親に直訴しに言ったのよ。昼間から酒びたりの両親で、家の中も荒れ放題だったみたい。その子はもう怒っちゃって、『自分の子供を何だと思ってるんだっ!』………って。その親、なんて答えたと思う?」
「………分からない」
「『欲しいならあげるよ』……それで二人とも締め出されちゃったんだって」
フェイの顔には微笑。だけれど、それは悲しみを滲ませたもの。
「本当は、まだ親の保護状況下にある子供は入院対象外なんだけど……院長と私が、一度訪ねてみたら、もう…もぬけの殻でね。近所の人に聞いてみたら、借金を抱えてたらしくて、夜逃げしたんじゃないかって……済し崩し的に、アレックスの入院が決まったんだ…」
やりきれない世の中よねぇ~…。
そうぼやきつつ、水を持っていた手を置き、再度酒に手を伸ばして飲み干す。再び上気する頬、とろんとする瞳。
だが、フリードはもう酒に手をつけられなかった。
「…酒の席で聞く内容じゃなかったな、すまない」
「貴方は気にしなくていいのよぉ。むしろ…勝手に話しちゃった、私がアレックスに謝らなきゃ…。まぁ、そんな過去があるからかなぁ…他人に対して、もの凄く臆病になっちゃってね…殴られるんじゃないか、蹴られるんじゃないか…罵倒されるんじゃないか。そんな事ばっかり考えちゃって……暴力に対してもトラウマ出来ちゃってるし。……当然、といえば、当然なのかもしれないけど…ね」
それから数分、どちらとも言葉を交わすこともなく、それしかする事が出来ないとでもいうように酒を飲んだ。それでも先ほどまでの勢いは消え失せ、結局、最後の一杯を飲み干すには時間がかかった。
「…そろそろ戻るわ。アレックスも寝ただろうし…明日は早いしね。…割り勘でいい?」
「あ…あぁ。構わない。……ほんと、すまなかった」
「だから気にしないでって……あんまりねちねち言われるとむかつくんだけど」
「わ、悪い」
「ふふふ、分かればいいのよ」
険のある言葉にややたじろぐが、それは別に怒気を含んでいない事に気づく。少々元気は無さそうだが、柔らかな笑みを浮かべて、フェイはフリードに笑いかける。
勘定を終え、宿泊室がある二階まで上る。フリードの部屋は階段手前にあり、フェイ達の部屋はその三つほど先。
「それじゃあ、また明日」
「あぁ…お休み」
フリードが部屋の前で止まると、今日という一日を締めくくる挨拶を交わす。部屋に入ろうと、フリードはドアノブをまわすが……フェイの背中に、もう一つだけ質問を投げかける。
「君は……何故孤児院に?」
そして、余計に後悔した。
振り返ったフェイの表情は、恐ろしく乾いた笑み。声にも感情は無く、ただ事実だけを端的に示すように。
「……魔法都市で、見つけられたんだって。………それ以上は、私自身も覚えてないの」
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部屋に戻ると、ベットの上に座っているアレックスがいた。マントも荷物も綺麗にまとめて置いてあり、寝巻き用に持っているシャツとズボンだけを履いている。ズボンからぴょんと出た尻尾は、力なく下ろされていた。彼の顔も俯いている。
「……まだ寝ないの?」
「……ぇ、あ、お姉ちゃん…」
別に音をたてずに部屋に入ってきたわけでも無い…が、アレックスは、然も今気がついた、というようにこちらに振り向く。恐らく、何らかの思考に没頭していたのだと思うが……心なし、その表情は沈んでいる。
「…明日も早いんだから、さっさと寝なさいね。まだ明日までは一日中馬車の中なんだし……寝不足だと吐くわよ」
「……うん…」
返事は聞こえど、動作は無い。
数秒待ってみるが……
「…………」
「……………」
「………………」
「…………………うりゃりゃ」
「う、うひゃひゃはややややめひぇひぇひぇ!!」
いらっときたので脇をくすぐり倒す。結構弱いので、普段には無い面白い反応をしてくれる。
「わぁ~たぁ~しぃ~の~言う事を、平然とスルーするとはいい度胸ねぇ~……強制的に疲れさせてやる!」
「ごごごごめんなひゃははははははあややややめてぇ!!」
「で……どうしたの?なんか悩み事でもあるの?」
「ちょ、ちょっと……待って…」
軽く近所迷惑に繋がるかもしれない攻撃をある程度続けてから改めて聞く。かなり苦しそうに横たわっているけどそこまで自分はやさしく無いと自負しているので無視。ベットにポンッと座り、背中合わせになる。
「実力とかの問題だったら、君は十分に秀でてるから大丈夫よ?試験に受かった事だって誰かに自慢していいくらいなんだし、魔術を学び始めてたった二年…そんな期間で達成できるってのは、どれだけ凄い事かわかってる?自身を持ちなさいな」
「…………それは、あくまで、技術の話…でしょ?」
返ってきた暗鬱な言葉に、フェイは無言で答える。静まり返った部屋の中で、フェイはひたすらに無言で、幼い少年の泣き言を聞く。
嗚咽交じりの、本音。
「力があったって…それが、扱えなかったら、意味が無いよ…。結局……いっぱい、教えて貰ったのに…今でも…恐くてたまらないんだ…」
実は、彼の本音を聞くのは、初めてだったりする。
その分だけ、溜め込んだ思い。
「お姉ちゃんだって、見たでしょ?僕は……あんなにちっちゃな兎でも…恐くて、たまらない…。…それだけじゃない、そいつを、傷付けるのも怖いんだ!
…こんなんじゃ……魔法都市に行ったって……意味なんて、無」
パンッ
部屋の中だけで響く音。けれども、部屋中に響く鋭い音。
それが、咄嗟に出した自分の平手の音であり、アレックスの頬が打たれた音であると、数瞬後に理解して尚フェイはアレックスを睨む。
腹ただしい。
アレックスに抱く、初めての感情。
「あんた、いい加減にしな?」
「…ッ!」
アレックスの怯えた表情。微かに方が震え、表情は引きつり瞳は涙目に。自分がどんな表情をしているのかは知らないし、それを配慮しようと思う事も無い。曖昧なのは嫌い。はっきりしないと気がすまない。
「何が意味が無いって?魔法学校で努力する事が?モンスター相手に訓練する事が?あんたの魔法の資質そのものが?……『魔法を習いたい』って院長に頼んできたのは誰だっけ?あんた自分で言った事にも責任が持てないの?」
「っあ…そ…それ…は…」
「誰もあんたに無理に戦えっていってるわけでも無い。魔法の使い道なんて色々あるんだから。ただ言わしてもらうけど、誰が『傷つけるため』に魔法を使えって言った?誰がモンスターと戦うため『だけ』に魔法を覚えろって言った?
大して考えもせずに軽々しく『意味が無い』なんてほざくな!!!」
自分でも想像していなかった怒号。周りの迷惑になっていないかとか、もう少し気の利いた説教の仕方はなかったかとか、そんな事は頭にも上らない。思った事が口に出る。それが過去にも色々と災いしたのだけれども。
アレックスは耐え切れずに涙を流して、怯える目つきでフェイを凝視する。目の前の恐怖にだけ目が言っている。今言った言葉を考える余裕も無いらしい。
腹ただしい。
過去にどれだけ辛い経験をしたといっても、それに甘えてばかりではつまらない。孤児院に入ったからには、【ゼフィランサス】の名前を貰ったからには、それ相応の努力を欠かしてはいけない。
【ゼフィランサス】、それは白やピンク色をした花の名称であり、孤児院の名前であり、そこに住まう者たちの姓であり、孤児院に込められた思いの象徴でもある。
花言葉は【純潔の愛・期待】。
純潔の愛を受けた者はその期待を裏切る事なかれ。
それが、初代院長の志でもある。
それを、捻じ曲げる事は許されない。それは、その子の為にもならないからだ。
「………今私が言った言葉の意味、よく考えて。魔法自体の意味なんて考えなくていい。良く想い出しな。『何であんた自身が魔法を習いたいと思ったのか』。『魔法で何が成し得るのか』。………『あんたの、本心が何なのか』…ね」
これ以上言葉を発する気もおきなくて、背を向けてベットの中にもぐる。これ以上、アレックスの顔を見ていると余計な事を言ってしまいそうになる。
明日、アレックスは何を言ってくるだろう?
辞めたいというだろうか?帰りたいというだろうか?それとも何も言わずに消えてしまうのだろうか?
何故だか、『トラウマを克服する』という想像ができなかった。
どうなるか、何て分からない。
どちらに転ぶかは、本人の意思なのだから。意思を踏みにじったりはしないつもりだから。
それが、アレックスの本心なら。
苛々する。
心の中で、そんな本音だけが渦巻いて。
それでも、背後ですすり泣く音が聞こえてきても、フェイは間も無く眠りに落ちた。
最終更新:2007年08月20日 18:41