馬車は早朝に出発し、昨日と同じ不快な揺れで旅人達を包みながら進む。全行程の三分の二を消化したので、最後に最終中継点の【アルセラの村】を通過すれば、目的の港町につく事ができる。
港町に着けば、最後に待っているのは【
魔法都市ディズルアージュ】。そこまで送れば、アレックスとの短い旅も終わる。
たとえ、彼が残ろうが、逃げ出そうが。
普段は朝に弱いはずのアレックスは、フェイが起きる頃には既に起きていた…いや、ずっと起き続けていたのだろう。目の下には薄く隈が出来ていた。おはようという気も起きず、朝食をとる旨を伝えたり指示を出したりするだけだった。彼は無言で付き従い、言葉は交わしていない。
もう一人、この旅で親しくなったフリードも、言葉数は少ない。挨拶や軽い世話話、そしてアレックスの様子について聞かれたりする程度で、また談義にふける事も無い。そんな気も起きない。
「……あったま……いってぇ~…」
加えて、二日酔い。
昔の、男のような口調が掘り出されている。子供の頃は子供だけあってくだらないからかい合いをしたりするもので、何かと『女の癖に』と言われる度に反抗して喧嘩して、口調も強そうにみえるように男口調に代えたり、服もズボンしか穿かなくなったり。よく先生達に怒られた原因の大半は其の類。…魔法学校に行き、周りに合わせる術を半強制的に学ばされて自制するようにはなったが、今でも気を抜いた時やこんな時はまた戻ってくる。
幼少時。まぁ、大体アレックスぐらいの頃か。
孤児院に連れてこられて、大体二年目くらいか。
(……そういえば…………)
自分もそうだったな、とフェイは思う。
アレックスと同じく、力があることに恐れを感じた。力があったとしても、扱う者が貧弱であればどうなるかを容易に想像できたからだ。
尤も。
(…アレックスの場合とは、………桁が違うけどね)
まるで自慢のようだと自嘲する。自慢にもならない事なのだ…人を壊す術を持っている事など。
だからこそ、別の道を選んだ。壊す側ではなく…結果的にやっている事は一緒でも、目的を変えることで自分を正当化しようとした。結果として、自分がそれに納得しているというよりは、誤魔化しているという気がしないでもないが……今は、それでいいと思っている。
「………」
アレックスを横目でちらりと見るが、彼は体操座りで膝の中に顔をうずめている。吐くでもなく。
叩くべきではなかった。言い過ぎた。他に教え方はいくらでもあった。
『その子の成長を望んでいるんだったら、それをするには『どう心がけるべき』なのか、『どういう風にすれば良いのか』を教えなくちゃ、ね』
最初の中継点でであった、宿屋の女主人の言葉が蘇る。
アレックスが、自分と同じ答えに至ってくれればいいが、そんなに都合の良い自体がおきるとも思えない。教えるべきと思うなら、女主人に言われた通りにするべきだが、出来るだけこういったことは本人が気づくべきなのだ。人から言われて『ハイ解りました』で一件落着な問題ではないのだから。
(どうしたもんかなぁ…)
自然に洩れる溜息。そして気がついたかのように、馬車の振動によって二日酔いの頭ががんがん揺さぶられる。ヤヴァイ、痛い。これは本当に呑みすぎた。
「く~……ねぇ、フリード?なんか酔い止めとか、二日酔いに効く薬とかもって無い?」
「ん…?あ、あぁ~すまない、もって無い…俺は基本的に二日酔いにならないんだ」
「な、なにそれ!?っっつぁ~…響いた……羨ましいなぁ、人はこれだけきついって云うのに…」
「昨日は自棄酒みたいに飲んでたからな、自業自得だろう?」
朝からの重たい雰囲気が大分晴れて、フリードは微笑と共に言葉を交わす。しかし若干気が重いというか、何か引け目を感じているような笑みが気になり、
「……あんた、なに?まだ昨日のこと気にしてんの?だったら止めてよぉ~アタシは気にして無いって言ったじゃん?言っても痛く無いようなしょうもない過去なんだから、別に誰かに同情とかもらっても右から左に流すしかないんだから!」
「……わかった、わかったよ。じゃあ、『ほんとに悪かったな』……これで最後にする。お気遣いありがとよ」
「まったく……別にいいけどさ……ところで」
「う、うわぁぁあ!?」
前方、御者の悲鳴。
「どうした!?」
フリードの問いかけ。瞬時にただ事じゃないと見たのか、恐らく頭の中では『有事』の思考に切り替えられている。剣士であると同時に頭も切れるらしい。
乗客である数人の旅人も、緊張感をまとうもの、若干慌てる者、既に得物を構えている者と様々で、フェイは二日酔いの頭に響く二つの大声に顔をしかめる。アレックスは気落ちしながらも肩がビクッと震える。
それぞれの反応に関わりなく、御者の声も返って来る。それは、乗客全員にとってはあまり予想したくなかった返答だった。
「モ、モンスターが!前からこっちに向かって走ってくるんだ!は、速い……た、たた、助けてくれぇ!!」
御者の慌てる声と共に馬車が大きく揺れて停車する。恐らく馬にも動揺が伝わったのだろう。
停車と同時、フリードは後方の扉を開いて外に飛び出る。右手で大剣の柄を取り、一気に抜き放ち前方に出る。
フリードを筆頭として、乗客のうちニ・三人が外に出る。残ったのは戦闘経験のあまり無い、旅行者の類であるとフェイは感覚で掴んでいる。自身も外に出て特徴的な装飾をした小剣を抜き放つと、フリードの後ろに走り着き、
合計十頭ほどのバウルイーターが残り二十mほどの位置にいるのを見た。
御者の体を食いちぎる事のできる攻撃範囲まで、あと二・三歩。
「―――サンダーアロー!」
駆け抜ける、蒼雷の矢。
瞬時にかざした右手。詠唱を破棄した為に威力が落ちているはずの矢は轟雷と化して跳躍したバウルイーターを吹き飛ばした。ぼとり、と黒焦げの死体が落ちる音を無視して、フェイはそれを見ていた。
後ろに続いていたバウルイーターが、瞬時に身を翻したのを。
(…こいつら、訓練されてる!?調教師でも何処かにいるってわけ?)
普通のモンスターとしてなら、バウルイーターは然程恐くは無い敵だ。だが、人為的に飼い慣らされ、訓練させられているとなると、そんな評価は一思いに捨て去らないと複数に噛み殺される。
「気をつけて!こいつら、訓練されて…!!」
「食らいやがれぇぇぇ!!」
フェイの助言が飛ぶ寸前、勢いよく前に足を蹴り、短刀を二本構えた旅人がいた。
ただのバウルイーター相手になら、頷ける。
だが、訓練された奴らと知らないで突進していくとなると、無謀とも取れる攻め方で。
「ま、待ちな…!!」
忠告は遅い。
勢いよく薙いだ短刀は空を切り、二の手の刃も避けられる。自分の刃がただのバウルイーターに避けられるとは思っていなかったのだろう、双刀使いは驚きで瞬間動きを止め、
バキゴキゴリッ
「ぐ、ぎゃああああ!!」
刃を避けた二匹の後ろから駆け出してきた二匹に両肩を噛み砕かれる。
「はぁぁあ!!」
しかし、その二匹の首から下が鮮血を撒き散らしながら同時に吹っ飛ぶ。
水平に流れた巨大な刃が、首を断ったのだ。
怒号を上げるフリード。
「誰か回復が使える奴!こいつを馬車の中にやって応急処置を!」
「わ、わかった!」
剣を構え、飛び出してきた一匹を真っ二つにしつつ指示を飛ばすと、後方にいた魔術師風の格好をした男が走り出て、呻く双刀使いを引きずっていく。それを最後まで見届ける事もせず、フリードは正面を見据える。
高速で一匹の頭をかち割ったフェイが、其の横に。
「フリード、あんたセイバー系は?」
「ウィンドならいける!」
「おし!残り六匹、行くわよ!」
「太刀風に告ぐ、我が名はフェイ・ゼフィランサス!切り裂く力を欲する者なり!
隷属望むは吹き荒ぶ不可視の斬撃、我が刃に宿りて力となれ―――ウィンドセイバー!」
「太刀風に告ぐ、我が名はフリード・イェルト!切り裂く力を欲する者なり!
隷属望むは吹き荒ぶ不可視の斬撃、我が刃に宿りて力となれ―――ウィンドセイバー!」
同時に響く、魔力の言霊。一人は迷い無く。一人は力強く。
瞬間、黄緑の閃光と共に小剣と大剣に風が渦巻き、確認を省いて同時に構える。
眼前、同時に飛び掛ってくる六匹のバウルイーターに、吹き荒れるカマイタチが襲い掛かる。
#
「どういうことなんだ…調教師抱えのモンスターが襲い掛かってくるなんて!?」
御者の安全を確保するべく後方を守っていた槍を持つ旅人が、混乱しつつ叫ぶ。其の声に無言で応えつつ、フェイはバウルの死体を確認していた。
「落ち着け!あんたの言うとおり、こいつらは恐らく調教モンスター…もしかしたら、何処かの町を調教師が襲っているのかもしれない。数匹、気配を感じて此方に来たのか、暴走したのか…」
叫ぶ旅人や中の旅行者を宥めつつ、フリードも内心不安を感じていた。調教モンスターは、一つ戦い方を間違えれば瞬時に殺されてしまうほど厄介だ。正直、先ほどフェイがいなかったらここに居る全員は全滅していたか、少なくとも重傷を負っていただろう。
「……やっぱり、こいつら、首輪もカフスも無い」
死体の検分を終えたフェイがそんな事を呟く。その言葉の意味を理解したフリードは「やはり…!」と顔を歪ませ、理解できない幾人かは罵倒を浴びせる。
「あぁ?どういうことだよそれは?はっきり云いやがれ!」
「〔エルブレナ連合国〕でも〔プトゥナ王国〕でも、モンスター調教師は必ず国に申請し登録して、登録番号が書かれた首輪なりカフスなりをつける義務があんのよ。モンスターによる犯罪の瞬時解決と管理のためにね。無いってことは、山賊か盗賊の類の飼い犬ってことよ……あんた、ここら辺で旅しているんだったらそれくらい知っておきなさい!」
「ぐっ…!」
恐ろしい剣幕で叱責してくるフェイに怖気づき、後ずさる槍士。二の句を告げずにいると、フェイは続ける。
「フリードが言っている通り、これは何処か襲われてるわね。しかも、この〔プトゥナ王国〕の【リドヴィア】に向かう道中で、わざわざそっち方面からモンスターが走ってきた…明らかに【アルセラの村】が襲われてる」
「な、そ、それは本当ですか!?」
旅行者の一人である女性が悲鳴混じりに言う。それに頷きを返すと、御者を含めた場の数人が青ざめる。
「な…し、しかし、我々は【アルセラの町】に一回立ち寄らなければ、【リドヴィア】まで迂回して行こうにももちませんよ?」
「そうよ!わざわざそんな危険な所を通るくらいなら一度引き返した方が…」
「な…あ、あんたら、【アルセラの村】を見捨てるつもりかよ!」
口々に消極的な言葉を吐き出す旅行者、旅人。フリードは驚いて声を張り上げるが、聞く耳を持つものは少ない。
「っけ、別に俺らが助けに行っても何もメリットがないだろうが?わざわざ死にに行けって言うのか?俺はごめんだな!」
「フリードって言ったけか…あんたの言いたいことは分かるが、正直、調教モンスターとなると…俺じゃあ返り討ちにされる。あんたらは経験積んでそうだからいいだろうが、俺はまだ初心者なんだよ」
停まらぬ弱音。開き直りの声。旅行者も不安を隠そうとせず、口々に引き返そう、わざわざ危ない道を通るのはやめようと結論しようとする。
昨日から、一体なんなんだ。
どうして、こんなにもイライラする事が多いのか。
いい加減にして欲しい…。
胸中にはもやもやと渦巻く怒りや不満。それが視線にも現れていたのか、視線を向けると一同がすくみ上がる。
その中には、アレックスもいた。
しかし、ただ怯えているのではなかった。
まるで、落ち着かないというような……何処かで見たことがある、というような、純粋な不安。
「っく……!」
悔しがるフリード。勿論、フェイはフリードの意見に賛成で、今からでも助けに行った方がいいとは思う。……しかし一応、他の乗客の言い分はわかるつもりだ。相手が何匹の魔物を従えていているかによって、自分が死ぬ確率が跳ね上がるのだから。
「………わかった、アタシ達だけで行こう」
「……本気か?」
横でも、周りでも息を呑む音。双剣使いの治療をしていた魔術師が、信じられない物を見る目で問いかける。
ちらりと、フリードを見る。彼の顔にも戸惑いはあるものの、やがて、覚悟を決めたような瞳を見せる。
それに若干安心しつつ、フェイは言う。
「さっき、バウルだけが向かってきたでしょ?実力のある調教師なら種類に関係なく操れる物だけど、恐らく単独一種類。実力自体はそんなに高くないでしょうね。それに……見て」
フェイは右手に握っていた物を掲げると、他の旅人に見せる。赤く透き通った、大きな豆ほどの大きさをした宝石のような物。しかし、殆どの物がそれが何かわからないらしく、疑問符のつきそうな表情で聞く。
「……それ…は?」
「モンスターを使役するために使われる特殊な宝石。この中に術者の魔力を込めると、ある程度その魔力を通して命令が出来るのよ。尤も、効果は結構薄いし、モンスターが暴走しやすいから、調教初心者向けの失敗作なんだけどね」
「…それなら、聞いた事がある」
軽く驚いたフリードが声を上げる。視線が彼に集中し、一瞬たじろぐが、続ける。
「…確か、数年前から魔法都市で研究されている奴だ。しかし、中々成功作がでなくて最近やっと完成したんだろう?値段もかなり高いはずだし、一介の盗賊が持てるのか?」
「だからこその失敗作よ。誰かがその失敗作を売りつけてるんでしょうね……研究者がなのか、誰か別のしょぼい商人辺りかもしれないけど……とりあえず、そんな事はこの場ではどうでもいいのよ。
問題は、この宝石は魔力の供給源、つまり、術者自身が気絶するなり死ぬなりすれば、効果を失うの。この宝石は頭に埋め込まれる奴だから、負担も大きいの…モンスター自身も、それで一度気絶するはず」
「…術者、一点狙いってことか」
「それが勝機。まぁ、相手も自分達の守りは重点的に決めてきてんでしょうね…よっぽど阿呆じゃなければ、ね」
説明を終えたフェイに向けられる幾人かの視線。その意味するところには、いくらかの感嘆と、『こいつは一体何者なんだ』という濃い疑問。
「あんた…一体、何者なんだ?」
「ただの孤児院出身の《フェイ・ゼフィランサス》二十歳、女よ。そして、ただの傭兵」
ズバッと繰り出される自己紹介。本来、そんな事を聞いたわけではなかった槍士が目を丸くするが、その隣の魔術師は目を見開いていた。
「…フェイ…ゼフィランサス……って、あんたまさか、魔法都市の魔法学校高等部を一年飛び級で卒業した奴か!?」
「なっ……!?」
「詳しいわね?」
驚愕する数人(フリード含め)を軽くあしらう。魔法に詳しくない者でも、入部することさえ難しい魔法学校高等部を飛び級で卒業するなど普通の話では無いことくらい解る。渦巻く疑問と、畏怖の念。しかし、フェイはそんな物を無視して視線を御者に向ける。
その眼差しは何かを射殺しそうなほどに冷徹に光っていて、御者は思わず震える。
「アタシ達を【アルセラの村】近くまで連れて行って。此処からならもう、急いで数分のはずよ」
「な…ご、御免だ!なんでわざわざ死ににいかなくちゃいけないんだ!?」
「ちょっとあなた!助けに行くのは勝手だけど、私達を巻き込まないでちょうだ」
「五月蝿い!!!!!!」
草原に響き渡る、フリードのものよりも凶悪な怒号で反抗の声は飲み込まれる。怒りに染まったフェイの表情を直視できず、視線が下がる。
アレックスは、そんなフェイの姿を凝視していた。
「別に最後まで連れて行けなんて言ってないし、行きたくない奴はそのまま来なくていい!足手まといだ!!
村の二百m付近まできたら、付き合う気がある奴だけそこから連れて行く。お望みとあればファイアーウォールでもバーストラップでも何でもかけていってあげるわよ。残る奴は馬車に近づいてきた奴らだけ相手してあげて。村にいる奴らはアタシ達が相手してくる。
それなら、わざわざ引き返す事無く予定通りの旅行が出来るわよ?」
「う……」
話を向けられた女性がたじろぐ。それを見届けず、更にフェイは言う。
「それと、あんた達にこれだけは言わせて」
助けに行く事に反対していた、数人の旅人。殺意とも取れる視線を諸に浴びながら、男達は冷や汗をかく。
今、この場でこの『女傑』に逆らえるものはいない。
「あんた達の言い分はわかるつもり。誰だって自分の命は大切だし、まったく知らない赤の他人なんか、確かに助けても何もメリットは無いでしょうね。
でもさ、あんたたちは人の命に価値をつける気?」
その一言に、場の全員は息を止める。
重く、冷たい、容赦のない正論。
「アタシは、人の命を助けるのにメリットを求める奴等が嫌い。だから、別にあんた達がどうなろうと、アタシは知らないからね」
その言葉を最後に、フェイは全員に馬車に乗るよう指示を出す。躊躇いながらも全員が乗っていく中、フリードは、アレックスは、最後まで彼女を見つめ続けていた。
「……俺でよければ、力を貸そう」
「頼もしいわね。よろしく頼むわよ」
フリードは覚悟を決めると、馬車に乗り込み道具を確認し始める。生き残るためではなく、生き残らせるための準備を。
最後に、フェイは馬車へと近づいていき、途中で立ち尽くしていたアレックスの手をとって歩く。呆然と彼女を見つめる少年の瞳を見ようとはせず、彼女は言う。
「あんたは馬車の中に残ってなさい。自分の命は大事でしょう?」
その言葉が、アレックスの胸を射抜く。
何故だかわからない。その通りのはずなのだ。
死ぬのは怖い。傷付けられるのは恐い。
傷付けることが恐ろしい。血を出させる事が怖ろしい。
だけど。
「行くわよ」
走り出す馬車。それはいつもより早く、荒々しく。
悔しい。
そんな想いが、胸を締め付ける。
最終更新:2007年08月20日 18:42