「ぐあああああああぁ!」
数匹のアッシュは衝撃で吹っ飛び、壁に叩きつけられる。かく言うフリードも共に吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。盗賊たちは腕で眼前を防ぎ、カルシェイドは、突如起きた事態に目を見開き絶句していた。
彼は、その変化を見ていた。
正確には、漆黒の光から現れた、その変化の結果たるものを。
「……さぁ…て………時間も無いし、ね……」
目の前の『それ』は、凶悪なほど無機質な怒りを声に染めこんで、その漆黒の瞳をこちらに向ける。
『それ』は、『それ』としか言い表す事が出来なかった。
何しろ、見たことも聞いた事もないのだから。
叩きつけられたことによる痛みに顔をしかめつつ、フリードは瞼を開く。まだ異様な光を放ち続ける目の前の『それ』は、ゆっくりとその姿を現した。
そして、フリードは絶句する。
「………な、なんだ……それは……」
視界に映ったのは未だ見たことがない異形。
ハーフエルフである事を示す長い耳はそのままに、頭の上に更にもう一組の耳が生えている。根元から毛先にかけて金から黒へと変色していく独特のもう色はそのままに、まるで
ウルフのような耳が映えていた。それがウルフのようであるという想像を裏付けるかのごとく、その腕などにも特徴的な獣毛が生えている。
『それ』が自分の腰元で何かを外すと、ナイフショルダーなどがついた防刃質のパレオが地面に落ちる。ガチャリ、という重量感溢れる音がフリードの耳にも届く。
その下から飛び出したのは、裾を短く切ったハーフパンツの上から飛び出る、『彼女』は絶対持っていないはずのウルフの尻尾。
「なんなのだ、貴様は!?」
聞こえてくるのはカルシェイドの不安と得体の知れないものに対する恐れの言葉。と同時に、彼女の後ろにいたアッシュが瞬きの速さで彼女の首を噛み砕こうとして
胴、首、腰に分断された。
「な……!?」「へ……??」
同時に洩れるフリードとカルシェイドの驚愕……それを嘲るかのごとく、『彼女』、フェイ・ゼフィランサスは嗤う。
その右手には、黒々とした光を放ち明滅する、血濡れの小剣。
「流石にこれがあるとお尻がきついしね………さてと、さっきも言ったとおり、アタシには時間がないのよ…」
「こ……殺せぇぇ!!」
何かを感じ取ったのだろう、カルシェイドの叫びにも似た命令と共に、アッシュ達は一斉にとびかかる。
そして彼女は再び嗤う。
「死ぬ覚悟は出来てるわよね?」
瞬間。
フェイの右手首が閃き、その漆黒の刃が一匹のアッシュを両断する…と同時、左右から襲ってきていたアッシュさえも口から肛門までが横に薙がれる。その死体が地面に落ちるよりも先にフェイは姿を消し、後ろから襲ってきていた二匹のアッシュの更に後ろに出現し……二匹は同時に鮮血を撒き散らしながらバラバラになる。
フリードは、ただその事実だけを見ていた。目の前でいきなりバラバラになっていく亡骸たちと、突然現れては消えるフェイの異形だけを。
それでもフェイがやったとわかるのは…糸を引くように残る、漆黒の光の残像があるからだ。
背後を向くフェイめがけて、四匹のアッシュが飛び掛る。しかし直線的に攻撃するのではなく。それぞれ民家の壁を蹴り、俊足で死角をとり、四方向からの同時攻撃を繰り出す。それは完璧に制御されている証拠で、灰の愚風は異形の存在を食いちぎろうと……
試みて、己がバラバラになっていった。
落ちる部品の前には、静かに佇む異形の彼女。
「……これで、アッシュは終わり」
「ぐ……ぐぅ……」
「す…すごい…」
地面でのた打ち回る数々の亡骸の一部を見ながら、フリードは冷や汗を流す。当初から、彼女はかなりの熟達者だとはわかっていた。そしてその確証は先ほどまでの彼女の手並みで十分すぎるほど得られていた。
だが、彼女は一体何者なのか?
一体全体、何が起こっているのか。
感動と共に、戦慄さえ感じる。
「さぁ……次はそこのオーガと、お仲間さんたちかな?」
「ひっ…!」
「は、早くいけぇ!」
零れる悲鳴に混じって繰り出されるオーガへの命令。オーガはバウルやアッシュなどとはレベルが違う凶悪なモンスターだ。二匹はそれぞれ鋼鉄の棍棒を構え、ものすごい勢いでフェイに迫る。
対するフェイは、動かない。
まるで、動く必要がないとでも言うかのように。
数瞬後、響く音は高く鋭い金属音。
「盗賊山賊海賊行為…人攫いから殺しまで、犯罪者や犯罪自体は世の中にいっぱいあるもんだけどさ。殊更、人を殺しといて…自分が殺されることは考えていないなんてことは、ないわよね?」
続いて、金属が弾き返される音。
二体のオーガが二メートルほど吹っ飛び、仰向けに倒れ伏す。その棍棒には皹さえ割れており、持っていた腕は関節ではないところも曲がっている。
吹っ飛ばした張本人は、魔物の呻き声と男達の押し殺した悲鳴の中、明滅する黒剣を突きつける。
「悪い事をやってる自覚はあるわよね?村からの強奪、その過程における殺人、器物損害は立派な犯罪………大人しく捕まる事ね。今からならプトゥナでの終身刑程度で済むんじゃない?
というわけで………お前等、覚悟しろよ?」
戦慄さえ感じさせる声色と気迫で、盗賊どもは全員押し黙る。全員が手にした武器を取りこぼし、体全身を震わせて怖気づく。更にフェイが殺気を強めると、手下の男共は各々膝から座り込んでいき………
しかし、フリードはそこで嫌な事に気がついていた。
魔術師が、いない。
「そぉこまでだぁーーーーーーー!!」
先ほどから癇に障る発言の連続でいい加減嫌気が差していた声が、更に月並みな台詞を伴って朗々と響き渡る。フェイは呆れ顔でそちらを睨みつけ、フリードもそちらを振り向く。
そして、余裕がなくなった。
カルシェイドの右腕には、年端も行かないような少女が捕まっていたのだ。
その右手には刃渡り十cm程のナイフ。それが、少女の喉下につきたてられている。
「呆れた…」
「フン……余裕なのはいいが、貴様はこの少女を見捨てるつもりかぁ?だとしたら…とんだ偽善者だなぁ?わざわざ粋がって村を助けに来ても、小さな女の子一人助け出さないなどと…」
「なっ…!?お前、お前が人質にとっているんだろうが!責任転換も甚だしいぞ!?」
あまりにも勝手な言動に思わずフリードが吼えるが、カルシェイドはこれを無視する。
「あ…………あぁ……おか…さ…」
目の前には、恐怖に震える小さな女の子。まだ十にもなっていないだろうその子は、泣きじゃくりながら必死に母親を呼んでいる。恐らくは避難の途中ではぐれてしまったのだろうが…。
「…っち、母親は何をしている…!!」
舌打ちと共に剣を杖に立ち上がりにらみを利かせるフリードは回りを確認する。カルシェイドの味方たちはいまだ立ち尽くして入るが、人質という便利な道具が手に入った事で若干戦意を回復させている。下卑た笑みが滲み出る者もいる。改めて、悪党の底意地の悪さを痛感した。
そして、折れた腕で尚立ち上がるオーガ……そうだ、あいつらはアンデットだった。
だが……一つだけ、フリードの中で確信が生まれた。
「………反って、お前は余裕がないようだな。手駒も細切れにされれば、いくら『コープスリヴァイブ』があるとはいえ、そんな奴らを復活させても意味が無い……。
それに、ナイフを出してきたってことは…カルシェイド、お前の魔力も無くなっているようだな?」
安い挑発だ……安易に人質をとる奴は、結局の所人質を殺せない。圧倒的な実力差がある場合、もしも『盾』を失えば確実に負けると解っているからだ。余程自暴自棄にならない限りは大丈夫…。
そう、高をくくって投げかけた挑発は、確かにフリードの目論見どおりの反応を起こさせた。カルシェイドはふるふると屈辱に震えつつもナイフを動かさない。こめかみには血管まで浮いているが、結局の所こいつも数多の盗賊と同じ……
「ッふ、ふふ……あぁそうだよわりぃか!?こちとら大した修行もしてねぇよ使える魔法もこれ『だけ』なんだよ文句あんのかコラァ!?」
「はぁ!?」
「なんだと!?」
「「「「「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!???????」」」」」」」
逆ギレで放たれた言葉が、あまりに見過ごせなかった。
魔法の修行を大してしていない?それなら何故上級の魔法を、しかも数ある上級魔法の中でも特に難易度の高い『コープスリヴァイブ』を…ほぼど素人が扱えるのか?普通魔法を学ぶに当たって低級から徐々に訓練を重ねて、中級さえも確実に扱えるようになってからが上級へのステップアップの機会だ。いきなり上級を学ぶなど、ましてや使えるようになるなどと…あり得ない事だ。
つまりは、そもそもで言えばカルシェイドには素質も才能もあるということだが…。
「あぁ、あぁそうだよ使えねぇよ!なんか変な全身紫色の野郎が俺様にこいつの扱い方をいきなり教え始めやがって……わけわかんねぇけど、言われるがままにやってたら使えるようになったんだよ!教えるだけ教えたらそいつもどっかいっちまうし……なら、有効利用してやるのが当然だろうがよ!」
『全身紫色の野郎』?
不明瞭な…だが、不吉なイメージだけが頭を巡る。しかも…もしかしたら魔法を教えて回っているのかもしれない。しかも短期間で禁術クラスの魔法を習得させる何らかの『裏技』をもっている。
(今後のためにも……あいつの耳には入れておくか)
一瞬だけ思考にある少女を思い浮かべ、現実を見る。
異形の彼女が……戦神の如き彼女が、カルシェイドの前には立ちはだかっているという事実を。
「さぁさぁどうしたよ女ぁ!?こいつの命がどうなってもいいのかぁ?指でも落として泣き叫ぶ面がみてぇか!?さっさと武器を下において降参しろぉ!」
「…………どうでも言い分けないでしょが…………でもねぇ…」
そして再び、視界には黒い残像だけが薄っすらと残り。
「武器を捨てなくても、助ける事は出来るんだよ」
カルシェイドの、背後に佇んでいる。
「っく…!!」
振り向こうと回転する男を尻目に、
「無駄よ」
構えた漆黒の剣が、男の右の肩を狙って高速で振り下ろされて、
カランっ……
フリードの耳に聞こえてきたのは、肉が断たれる音ではなく。
小剣が、地面に落ちる音。
「え?」
「は?」
フリードとカルシェイドから同時に洩れる声。だが二人の表情は対照的に、不安と、期待で分かれていた。
「……し……まった……」
続いて膝が地面に落ちる音と、激しい激痛に悲鳴をかみ殺すかのような、苦悶の声。
そして、視覚に移るのは霧散していく異形の容貌と、元は耳や尻尾だった黒い霧。
残るのは、異常なほどの過呼吸と発汗を伴いながら剣を支えに耐えている、フェイの姿。
「フェイ!?」
悪い予感が頭をよぎり、力を振り絞って駆け寄る。残った盗賊どもは問題がないほどに弱い。…が、既に腕は重く、まともに相手をしているほど此方に余裕は…
「オーガ共!!」
突如聞こえた命令文とほぼ同時に、目の前に出現する赤い巨影。
瞬間的に大剣を横にして構えるが、一拍後そこに痛烈な衝撃がぶつかる。
「っがぁぁぁぁぁぁぁあぁ!!??」
衝撃に耐え切れず、元いた壁に再度叩きつけられ……呼吸が止まった。心臓まで止まったかと思うほどに一瞬音が聞こえなくなって、体の底から襲来したのは骨を震わすかの如き強烈な痛み。思わず受身も忘れ地面に倒れ伏す。
更に聞こえてくるのは、あの笑い声。
カルシェイドはくつくつと笑い声を漏らす。左手に捕まえていた少女を手放し、その左手でこめかみを押さえるような仕草。その隙に逃げられれば良かったのだろうが、少女は恐怖で腰が抜けていたようで、そのまま座り込んでしまった。
そして、
「…はは、あーっはははははははははは!!『時間が無い』とは…こういうことか、成程成程…それはお気の毒だなぁ…っこの化け物がぁ!!??」
「…っグぁ!?」
勢い良くふり抜かれた爪先がフェイの鳩尾にめり込み、更に悲痛な呻きがフェイの喉から搾り出される。耐え切れず剣も放り出し、フェイはうつぶせに倒れ伏す。
投げ出された剣には、あの漆黒の光がない。
「お……おねえ…ちゃ…」
女の子はフェイを見て呟く。泣き腫らした目は自分を助けようとした人物に向けられ…彼女はそれに反応した。
小刻みに震える手がそれでも拳を作ろうとし、僅かながら持ち上がる顔から視線がカルシェイドに向けられようとする…が、その瞳には痛みと苦しみだけが広がっており、戦意は窺えてもそれ以上の戦闘が出来ない事を如実に語っていた。
カルシェイドは、勝ち誇ったような笑みを浮かべ……その背中に、足を振り下ろした。
「…あぐっ…!!」
「このっ……アマァ!?よくも…俺様を!コケに!して!くれた!…なぁ!!」
足は、止まらず。
何度も、何度も振り下ろされ、
その度に、苦痛の呻きが洩れ、
「や…やめ……ろ………」
「はぁ…はぁ……許さんぞ…この《カルシェイド・ヴェルヌ》様をコケにした罪は……この位では…済まんのだ………あらん限りの恥辱を持って…償わせてやる……お前らぁ!!」
瞳に狂気すら滲ませたカルシェイドは、仲間の盗賊たちに声を飛ばす。既に盗賊たちは自分たちの優位を知って余裕を取り戻し、その顔に下卑た笑みを浮かべている。
彼らに飛ばされる指示は、更に下卑ていた。
「こいつを…犯れ」
「貴様ぁ…カルシェイドぉ!!??」
痛みなど知るか。
飛び跳ねる心臓の音に任せて、怒号と共にフリードは飛び上がる。怒りと共に駆け出し大剣を構えて猛進する……が、また遮るはオーガ。腕が折れているとしてもコープスには関係ない。力任せの一撃がフリードを襲い、辛くもフリードはこれを受け止める。
捌こうとして、それ以上動かない。
「畜生…畜生!!こんな時に限って……俺は……なんで能力制御受ける羽目に…!!」
再度脳裏に浮かぶのは、ある少女と、ある日の出来事。
自分が、こうして『身体能力を抑えられた状態で諸国を旅して回っている』理由。
飛んでくる力の塊を死力で受け止めるが、如何せん相手は二体。捌いた別の方向から拳が飛んできて、フリードを吹っ飛ばそうと体にぶち当たり、息も意識を飛びかけながら、フリードはそれを叩き返す。
霞む目の前で、外道共がフェイににじり寄っていた。
立ち上がろうと、体を震わせるフェイ。
カルシェイドが嗤っていた。
一人の男の手が、フェイの体に伸びた。
自分は、助けられそうになかった。
「ちきしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
慟哭が、喉から溢れた。
「――――アイシクルパイル!!」
男の肘から先が、消し飛んだ。
最終更新:2007年08月26日 20:46