兜盆栽
[解説]
聖華暦300年代に帝国で、討ち取った敵将の兜を利用した猟奇的な園芸趣味が流行った事がある。
それは武人が己の強さを誇示する手段として始めたものだと記録されている。
帝国と敵対していた聖王国では帝国の野蛮さを象徴するものの一つとして忌避された。
この時点で、『兜盆栽』と名付けられている。
それは武人が己の強さを誇示する手段として始めたものだと記録されている。
帝国と敵対していた聖王国では帝国の野蛮さを象徴するものの一つとして忌避された。
この時点で、『兜盆栽』と名付けられている。
時は流れて聖華暦500年代、人魔大戦の復興も進み、平和な時期が続いた頃に、もはや戦の時代では無く武具も不要だとして、その平和的再利用法として、兜盆栽は再び脚光を浴び、帝国貴族を中心に帝国内で少しずつ広まっていった。
やがて産業革命が起きて市民の生活にも余裕ができてくると、庶民の間でも兜盆栽が密かなブームとなっていった。
聖華暦800年代には幾つかの流派のようなものが出来上がり、兜盆栽の品評会なども行われるほど、帝国では広く知られた娯楽となったのである。