集うは御子の旗の下 挿話1

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うちは昔から大鐘堂で働く人を出してきた家系で、教皇家ともちょっとだけ血縁がある、らしい。
遥か昔、まだこの世界が雲海で覆われていなかった頃から続く家系図も、一度だけ見たことがある。
今はもう見られないと思うけどね。戦闘に巻き込まれて、家が燃えてなくなっちゃったみたいだし。

ともかく、そういう縁で、13歳になったときに私も大鐘堂に入ることになった。御子室の見習いで。
このとき既に大鐘堂は敗色濃厚、インフェル・ピラ再起動がどうこう言って揉めてた時期で、
メタ・ファルスの人々からの支持も揺らいでいた。
まあ、当時の私はそんな事情はあまり知らなかったけど。箱入り娘?もいいとこだったからねえ。

それで、御子室で私は、そのとき御子だった南朝様のお世話をするのではなく
イリューシャ様のほうに付くことになった。年齢が近いからという理由で。

当時からイリューシャ様付きの女官だったジャドさんに連れられて
初めて本人に会ったときの挨拶の時点で、こりゃ大変だって思ったね。

だって、こっちは「レギーナです、これからよろしくお願いします」ってくらいのことを言っただけなのに、
その返事が「今日から貴女の身体は私と大鐘堂のものです。常に私への奉仕の心を忘れず勤めるように」。
いくら次代御子だからといっても、まだ10歳の子が、表情一つ変えずに。
正直、意味を分かってて言っているのかどうかすら信じられなかった。



  an anecdote about Illusha
  To be a maiden, to be the maiden



最初こそ逃げ出したいとは思ったけど、見習いの間はいつも他の女官の人が一緒で、
私とイリューシャ様が二人きりになることはなかった。
この間にも戦況はどんどん悪化して、パスタリアでも下層は大鐘堂の統治が及ばなくなり、
仮に逃げ出したところで戦いに巻き込まれるのは時間の問題だった。
でも、大鐘堂から見下ろすパスタリアは一見まだ平穏で――そりゃ下のほうは上層に遮られて見えないからね、
イリューシャ様も、元から彼女に許可されているような範囲内なら、まだ比較的自由に出歩くことができた。

晴れて空気が埃っぽくない日には、庭園に昼食を持ち出してそこで食べるのが恒例になっていた。
食事中にたわいもない話に花が咲くことも多いんだけど、
たいていの場合はイリューシャ様に話を振ったりするのは最初だけで、
いつの間にか彼女はほったらかしになり、女官たちだけで盛り上がっていた。
新参者の私も話に加われないことが時々あって、そういうときは適当に相槌を打ちつつ
居心地の悪い時間が過ぎるのをひたすら待っていた。

イリューシャ様があまり話さないのは普段からそうで、
彼女の口から出る言葉は「はい」「いいえ」みたいな一言返事とか、
それこそ私がいちばん最初に聞いたような定型文めいたものが多かった。
部屋にいて特に何もすることがないときとか、他の女官の人が気を遣って……というより間を持たせるために
話しかけるんだけど、全然会話が続かないか一方的に喋ってるかのどちらかになるんだよね。
で、そういうのを横から見てて、私は、
イリューシャ様は話をするのが好きじゃないんじゃないか?って思ったわけだ。





半年が過ぎて、パスタリアの戦いはだんだん籠城戦のようになってきた。
大鐘堂空港があるから完全に孤立したわけではないけど、周囲からの圧迫を受けて
自由に活動できる範囲がパスタリアの下と外周から少しずつ削られていく。
御子室のほうへの影響はさすがにまだ限定的だったけど、動ける範囲が狭くなるのは同じで、
ずっと建物内に留まっている日が多くなってきた。

そんな中で私の見習いの期間も終わり、一人で御子様を――だからまだ御子じゃなかった、つい――
イリューシャ様を任される、つまり二人きりになる時間ができるようになった。
で、さっき言った思いつきをさっそく試してみようと思ったわけで。

居室で待機している時間は確か三時間弱あったはずなんだけど、最初に次の予定を確認して、
その後ずっと私は一言もしゃべらなかった。もちろんイリューシャ様から話しかけてくることもなかった。
できるだけ無関心を装いつつ気づかれない程度に観察してたけど、彼女はずっと本を読んでいた。
本っていうか、何かの授業で使ってるテキストか、あれは。
次の御子としての教育が当然いろいろとあって、それは戦局がいよいよ切羽詰まるまで続いていたし、
イリューシャ様もそれをとても真剣に受講していたように見えた。少なくとも当時の私はそう思っていた。
……えー、話を戻すと、ずっと無言でいても別にイリューシャ様が不満を感じているようには見えなかったし、
このしゃべらない作戦は成功したように思えたんだよね。

なにごともなく三時間経って、ようやく「次の予定の時間になりました」と口を開いて、
あとはその場所まで一緒に行ったら初めての二人きりの時間は終わり、のはずだったんだけど。

「レギーナ、貴女、いったい何を考えてるの!?」

まさかこんな発言が、明らかに怒りというか苛立ちが入っているようなものが、来るとは思っていなかった。
彼女の辞書にこんな言葉が含まれているとすら思っていなかった。

もう私はパニックで、質問の意図を探るどころじゃなくて、
その後どういうやりとりをしたのかすらはっきりとは覚えていない。
確かなのは、ずっと黙りこんでいたことが彼女を怒らせたこと、そして
女官の先輩方からも怒られて私はまたしばらく見習いに戻されたこと。
で、そのときにジャドさんから初めていろいろと事情を聞いた。
本当は私がもうちょっと仕事に慣れたら教えるはずだった、って言ってたけど。

南朝様は子どもを授かることのないまま30歳になり、規定によって、
南朝様の近縁でレーヴァテイル質が確認されている女の子の中から後継者を選ぶことになった。
選ばれたのがイリューシャ様で、当時4歳。
それからずっと、生みの親からは離れて大鐘堂で育てられてきた。
本人も実の両親のことはもう覚えていなくて、南朝様が母親だと思っていた、らしい。

イリューシャ様が10歳になったとき――つまり私がここに来るちょっと前、このことを告知されたんだって。
どういう反応だったかまでは聞いてないけど、その日を境に、南朝様との関係は険悪になっている。
プライベートな場で南朝様とイリューシャ様が顔を合わせる機会が全くないから
おかしいなとは思っていたんだけどね。
それで、この影響は南朝様だけでなくジャドさんを含む御子室職員の人たちにも及んでて、
元々それほど会話するほうじゃなかったのが輪をかけてひどくなった、らしい。
みんな本当のことを知っていたのに、それを隠して実の母娘として扱っていたのが
イリューシャ様にとって面白くなかったんじゃないか、と説明された。

私がこの役に就いたのも、こういう経緯を何も知らない人を新しく入れることで
イリューシャ様の話し相手を確保すると同時に御子室との冷え込んだ関係を好転させよう、
という狙いだったというのもそのとき初めて知った。
つまり私のやったことは、イリューシャ様にとっても御子室にとっても望まれていない行為だった、と。





失敗してそりゃ落ち込みはしたけれど、もうこの時期になると逃げようとは思わなくなっていた。
実家のほうがいよいよ危なくなってきたから、っていうのもあるし。……家族からの期待もあったし。
それはそれとして、見習いに戻っている間はまた他の人が一緒で自分に余裕ができたから、
イリューシャ様の行動をもう一度よく観察してみることにした。
そうすると、以前とは印象が全く変わって見えた。

例えば庭園での昼食時。いつも通り、話題は気が付けばイリューシャ様を置き去りにしている。
でもイリューシャ様のほうはそんな不満そうには見えないんだよね。
目の前で交わされる会話を素通しして頭の中で全く別の考えごとをしている、ってわけでもなさそうだし。
それと、私が話について行けず、それでも皆に合わせようと作り笑いをしたりするときなんか、
彼女は私のほうを見て微笑んでるんだよね。私と同じ作り笑いかと思っていたらちょっと違うの。

本を読んで勉強しているときもそう。実はあまり本に集中していない。
ページをめくる手が完全に止まって、明らかに何か空想の世界に浸っちゃってる時間がある。
かと思えば、周りの人のほうをちらちら見て様子を気にしているようなそぶりを見せるときがある。
紙になにかを書いているけど、その音が文字を書いているような感じではないこともよくある。
もちろんその「作品」を見せてくれるはずがないから、実際どうなのかは知らないけど。

で、観察が進むにつれて印象が変わったのはそうなんだけど、
ジャドさんが言っていた、本当のことを知っていたのに隠してどうこうというのも、
ちょっと違うんじゃないかと思い始めたんだ。
まあ、今度はなかなか確信を持てなかったけど。一度勘違いでやらかした身だし。

そのままの状態でしばらく経って、二度目の見習い期間が終わってまた一人で担当することになると、
今度は普通に――皆がやっている程度には話すようになった。問題の件には触れないように注意しながら。
イリューシャ様の話しかたは相変わらずの一言返事ばかりだったけど、
先輩方はそれでいいと言ってくれた。そのうち慣れてくるだろうって。
でも私はそれでは満足できなかった。本来自分に求められているものは先輩方と同じになることではないし、
私自身の好みとして、楽しく話ができるほうがいいから。陰気で堅物な御子様とか嫌じゃない?





事件があったのは、イリューシャ様の11歳の誕生日のとき。
普通は就任前の御子に対して誕生祭みたいな大掛かりな行事はないんだけど、このときは
不測の事態で就任が早まる可能性がある――まあつまりそういうことだよね――という理由で
誕生祭の予行演習みたいな感じのプログラムが組まれることになった。南朝様もつきっきりで。

私はその場には行っていないから、どういうことがあったのかは正確には分からない。
でも、儀式を終えて戻ってきたイリューシャ様は、もう疲れきっていた。
部屋に入ってドアを閉めて、私以外の人目がなくなったとたんに表情が見事に崩れて。
私は彼女の儀礼用の衣装を外そうとして近づくんだけど、彼女のふらふらの足取りは止まらず、
声を掛けても「うー」とか「あー」とか言うだけで、そのままベッドに直行しようとするのね。
結局、上半身だけベッドに埋めるようにしてようやく動きが止まった。

もうしょうがないから衣装や装飾品はそのままの体勢で無理やり脱がしたけど、
もともと普段の倍くらいめんどくさい着付け作業がさらに三倍くらい面倒だった。
かなり強引だったけど特に文句は言われなかったし。文句を言う気力すらなかっただけのような気もするけど。
ともかく、何も言われなかったので……今から考えるとちょっと調子に乗ってたと思うけど、
いつもはできないような話をこの際に話せないかと思っちゃったんだね。それも、

「イリューシャ様、どうかしたの?」

はい。こんな雑な言い方は普段は絶対無理。だけどこのときは通った。

「別に。南朝さまも大変だなあと思っただけ」

あ、例の問題のときから、イリューシャ様は南朝様のことを南朝さまと呼ぶようになってたみたい。

「南朝さま、か。本当のお母さんじゃないんだよね?」
「なんだ、知ってたのね」
「うん。ごめんね」

やはりというか、これで彼女が怒ったり拗ねたりすることはなかった。

それから自然と、親や家族の話になった。
私が私の家族の話をするのと同じくらい、イリューシャ様は南朝様のことをいろいろ話してくれた。
思い出話をすると「自分にも似たような経験がある」と言ったりして。
彼女は、それまでの私が知っていた彼女と同じ人とは思えないくらい、たくさん話した。

一年前、南朝様の実の娘ではないことを知らされてから、
イリューシャ様は南朝様とどうやって付き合っていけばいいのかずっと悩んでいた。
母と娘という関係がなくなっても御子とその後継者という関係は残るから、
別に仲直りしなくてもいいんだという結論を一度は出して。でも、それでも悩みは解消しなかった。
実の両親についても、イリューシャ様は全く覚えていないこと、不当な影響力を得ることを防ぐという名目で
生みの親に会えないどころか誰がそうなのかも教えてくれないということも聞いた。

貴族の家に生まれついた者として、私たちは普通の女の子よりはちょっと早めに大人になることを求められる。
次代御子たるイリューシャ様には、それが極端な形で表れていた。
堰を切ったようにあふれ出てくる愚痴には共感できることが多くて――
そもそも私だって望んで御子室に来たわけじゃなくて、家に対する不満もいろいろ――
いや今はそういう話をしたいのではなくて、ともかく、私もイリューシャ様もだんだん感極まってきた。
いつの間にか涙が流れて、まだ落とせていなかったメイクは崩れてて。
心の共振が彼女の殻も次期御子と女官という関係も壊し、私は初めて本当の彼女を見つけた、そんな気がした。

やがて彼女は力尽き、そのまま寝てしまった。
私は彼女をちゃんとベッドに寝かせて……自分もそこでそのまま寝ちゃった。
魔が差したというか。ふかふかで心地よい香りだった。
もちろん後でたんまり怒られた。次代御子とその女官の関係まで壊しちゃだめだよね、そりゃ。

こうやって話を聞いて、すでに、かねてからの疑問は確信に変わっていた。
もうここまで話せたのだから、次に二人きりになったときは、
今日のことをお詫びするふりをしつつこれを話題に出してみよう。
そんなことを考えていたら、その機会はすぐに訪れた。





誕生日の翌日、私がこっぴどく叱られている横で、イリューシャ様は体調を崩していた。
午後にお医者さんに診てもらって、前日の行事の疲れが引き金になって風邪をひいたという話になった。
実際に風邪の症状はちゃんと出ていたし。だから、それで発見が遅れた。
三日経って熱が下がるどころかいよいよ高熱になって、ようやく延命剤切れの可能性が浮上した。
前の投与からまだ2か月というタイミング。
精神的な負荷が大きかったとか、ダイキリティの品質の問題とかで、たまにあるんだって。

すぐにダイキリティを投与することになったんだけど、そのとき、イリューシャ様は
延命剤を投与する役に私を指名した。まだ一度もやったことのない私を。
その日は休日だったから家で家族と一緒に居たんだけど、連絡が来て緊急出勤。
イリューシャ様が死にそうになってるとか、でもそんな大役を急に言われても困るとか、
私を頼ってくれたのは嬉しいとか、とにかく頭はそういうことでいっぱいだった。
準備している後ろで「次期御子様とそんな仲になった」と喜んでいる親がうっとうしくて仕方なかった。

大鐘堂に着いてすぐ、先輩方から投与の講習。投与時の注意とか、インストールポイントの場所とか。
いくら私でも、延命剤投与が非常に痛いらしいことは知っていた。やり方の上手下手で痛みが変わることも。
とはいえ時間がないから、そんなコツみたいなのは教わる暇なんてなかった。
とりあえずゆっくりやれ、最初は特に慎重に、くらいで。
とにかく急かされ、ダイキリティを手に持たされ、私は部屋に投げ出された。
他の女官もお医者さんも退出し、今も苦しんでいるイリューシャ様と二人きりで。





イリューシャ様は起きていた。私を見て、健気にも、急に呼びつけたことを謝ってくれた。
私もこの前のことを謝った。というか下手をしたら風邪を引いた原因は私にあるから、ともお詫びしたら、
そうかもね、とだけ言って彼女は笑ってくれた。

意識は現在のところは清明。でも、あと一日、あるいは半日で命に関わる事態に発展する。
彼女の生命が、ことによるとメタ・ファルスの未来が、いま私の手の中にあるという
信じられないような現実がここにあることに気が付いてさらに私は平静を失っていく。

それでも、何はさておき、服を脱がしてインストールポイントの位置を確認。
教わった通りに、うつぶせに寝かせて、左手をインストールポイントの横の肌に押し付けて固定し、
右手で握ったダイキリティを、左手で作ったレールに沿わせるように、ゆっくりと、一定の速度で……
大きな結晶の鋭利な先端が距離を詰めていく。なぜこんな、いかにも人を傷つけるような形なのだろう。
彼女の綺麗な背中と、そこに刻まれた不自然な模様。この中央を私の手で刺し貫かなければならない。
とても見てはいられない光景だけど見ないわけにはいかない。
あと指一本分の間隔が、半分になり、また半分になり、さらに半分になっていく。
まるで無限の時間がかかっているように私には思えた。

「……たっ!!」

ついに尖端がインストールポイントに到達し、同時に苦悶の声が聞こえてくる。
そのとき私は、最悪の禁忌を犯してしまった。

「ぐっ!!」

思わず、手を、引いてしまった。無意味な二度の苦痛を与えただけで、彼女の命は少しも戻っていない。

この時点でもう私も限界だった。さっき教わったばかりのことはだいたい頭から吹き飛んでいたし、
手はガクガク震えてもう繊細な作業ができる状態じゃなかった。
私は逃げ出そうとした。すぐにでも部屋から出て、私にはできませんと言って
外にいる誰か他の人に代わってもらおう、と。
ごめんなさいと大声でわめき散らし、立ち上がってイリューシャ様に背を向け
ベッドから離れようとしたとき、何かが引っかかった感触があった。
……彼女の手が私の服を掴んで、いた。その力はあまりに弱々しくて、私の動きで簡単に振り払われ、
右腕の肘から先がベッドの縁から出て垂れ下がっていた。

なぜ彼女は、その場にいる人に頼めばすぐに終わって楽になるというのに、わざわざ私を呼んだのか? 
もう答えは分かっている。それなら――

私は再び向き直り、ごめんなさい、もう一回やってみます、と声を掛ける。
相手はうつぶせのままで、顔はこちらには向けず、返事もない。でも、私は応えなければならない。

左手を背中に当てると、さっきと違い、汗が滲んでいるのを感じる。タオルで拭い、もう一度……
手が震える。だめだ。どう考えてもうまくいかない。こんな手つきでやったら傷口を抉るようなもの、
とんでもなく痛いに決まっている。とはいえ投与しなければ命がない。時間の余裕は元よりない。
でも、やっぱりもっと慣れてる人にやってもらった方が……いや、その選択肢はもう消えたはずだ。
だけどこんな状態では絶対に……

「痛いのはわかってるから、お願い」

いつまで経っても事が進まないのを察して促すのは、絞り出すようなか細い声。
やっぱり逃げることはできない。それでも私の右腕は相変わらず、意思とは無関係に細かく動き続けている。
ごめん、きっと痛いだろうね。イリューシャ様が知っているよりもずっと。でも私にはその痛みは分からない。
ああ、私もレーヴァテイルだったらよかったのに。それならどのくらい辛いのかが……

私は左手を彼女の身体から離した。右手のクリスタルはいったんサイドボードに置く。
予備のダイキリティを棚から一つ取り出し、それもサイドボードに置く。
毛布を畳んで彼女の横に設置し、それを利用して左側を下にするように彼女を横向きに寝かせなおす。
異変に気がついた彼女が、こちらの様子を窺っている。

もう私にできることはこれくらいしかない。ごめん、イリューシャ様。痛くした罰は受けますから。

私は上の服を脱いでスリップ姿になった。事態が分からないのは当然で、イリューシャ様は目を丸くしている。
そのまま私は、彼女と向かい合うようにベッドに横になる。
右腕を彼女の身体の下に差し込み、彼女の左腕ごと抱き込むようにして背中に回し、
首を伸ばしてインストールポイントを目で確認して掌を当てる。
都合、二人の身体が密着し、彼女の汗と私の冷や汗が混じる。

「私にはどのくらい痛いのかが分からない。だから、」

空いている左手を使って後ろ手にダイキリティの両方を取り、
一度毛布の上に置いたあと、彼女の右手に一つ握らせて私の背中に回す。
ここで彼女も私が何をしようとしているのか理解したようだ。

「教えてください!」

左手でダイキリティを掴み、右手で保持したインストールポイントの位置めがけて、一直線に、刺し貫いた!





呼吸が落ち着いていく。私の背中側には、少し血の付いたクリスタルが転がっている。
やっぱり私の手は震えてたみたいだね。イリューシャ様の感じた痛さはかなりのものだったのだろう。
病気で体力が落ちているはずなのに、私のほうにもグリグリねじ込まれてたから。

「変なことをして、やっぱり一個だめにしちゃったね。ごめんなさい」
「いいわ。まだ使えるから」
「いや、感染症とかあるといけないし……」

話をしながら起き上がり、寝具を汚さないように、自分の着ているものを使って血を拭きとる。

「痛かった?」
「うん。イリューシャ様は?」
「痛かった。とっても」

この部分については、二人とも謝ったりはしなかった。
自分とイリューシャ様の衣服を戻し、彼女を元通りに寝かせ、布団を整える。
後始末を終えて、使えなくなった延命剤を手に出て行こうとしたとき、彼女は私を呼び止めた。

「どうして、そこまでしてくれたの?」

どうして……なんだろうね? 自分でも分かってないかも。と、正直に答えた。
こんな行動、まともな精神状態のときだったらやってなかったと思うし。
対して、返ってきた言葉は、

「私が、次の御子だから?」

うん。知ってるよ。

「ないない。ありえない」
「えっ?」

嫌だったんだよね。次期御子であること、次期御子として扱われることが。

「そりゃ確かにイリューシャ様は次の御子かもしれないけれど、それだからこんなことをしたわけじゃない。
もし状況が同じだったら、他の人が相手でも私はこうしたと思う。
……こんなことしかできない、というのが正しいけど」

辛かったんだよね。誰もが自分を次期御子という立場でしか見てくれないことが。
おそらく唯一の例外だった南朝様すら信じられなくなって。

「好きな人に元気でいてほしい。その思いに、仕事とか立場とかは関係ないでしょ?」

ん、と小さな声で反応があった。

「イリューシャ様には、元気でいてほしいと思うような人、いる?」
「いるわ」
「たくさん? それとも一人か二人とか?」
「……二人?」
「それじゃあ、御子じゃなくてもいいかもしれないね」
「?」

「もし助けたい人が何千人もいても、御子様なら助けになれる。それができるのが御子という立場だから。
でも、二人くらいだったら、きっと御子にならなくてもできるよね。
……御子になるの、やめちゃおうか」

「そんなこと、できるわけないじゃない」
「どうして?」
「どうして、って……それが、私の……」

彼女は答えに詰まる。答えられるはずがない。
そう。自分がなくなってしまったと感じちゃったんだよね。御子の後継者としての自分以外の全てが。

もちろん私にも答えられないし、そんなことができるなんて思ってはいない。
私にできること、私がやるべきことは、ただ一つ。

「いいんだよ。御子じゃないイリューシャでも、私は好きでいるから」

もう返事は戻ってこなかった。鼻をすする音は、彼女が風邪をひいているからだろうか。
私はおやすみとだけ声をかけて部屋を後にした。





この事件がイリューシャ様にどれほどの影響を与えたのかは分からない。
イリューシャ様は多少前向きになったのかもしれないけど、同時に戦争の影響がどんどんひどくなってきて、
この翌年には御子室だけ先にエナに――最初は地上の宮殿のほうね、こっそり避難することになったほどで。
いろいろそれどころじゃなかった。まあそれは今も同じだけど。

ただ、このとき以降、イリューシャ様への延命剤投与は基本的に私が行うことになった。
やり方もだいたい同じで。……あ、さすがにダイキリティを使うのは問題があるから、
指でつねるようにしたんだけど。それでも相当痛いし、いつも血が出るか痣になるかのどっちか。
大変だよね、レーヴァテイルって。

あと、今は御子付き女官は二人だけになっちゃったけど、私がそのうちの一人に残っているのもそうかもね。
おかげで家族と離れ離れになっちゃって、連絡すらほとんど取れないけど……これは仕方ない。
とりあえず命だけは無事でいることは間違いないみたいだし。この点では私は間違いなく幸せなほうだと思う。

南朝様との関係も、このときから改善に向かっていったみたいだね。
でもこれは私とは関係なくて、イリューシャ様の努力のおかげだと思ってる。
だって、イリューシャ様は南朝様のことを大切に思っていたんだから。あの頃でさえも。

え? 私? 私がイリューシャ様のことをどう思ってるか、って?
そうだね、当時とはあまり変わってないと思うけど、私は――







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