WWE殿堂

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&font(#6495ED){登録日}:2012/09/12(水) 09:58:26 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 19 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- WWE殿堂(WWE Hall Of Fame)とはアメリカのプロレス団体[[WWE>WWE(プロレス団体)]]が主催する、プロレスにおいて多大な業績を残した人物を表彰する制度である。 なお、表彰の対象はレスラーに限られてはいない。 ◆設立の背景 1993年に、[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]が急逝。これを受けてWWF(World Wrestling Federation/後の[[WWE>WWE(プロレス団体)]])が彼の生前の功績を讃える目的で創設。 この当時は選定した結果を公表して、規模はあまり大きくない独立した式典として開催していた。その後、WWEが[[WCW]]との興行戦争が激しくなった事も影響して1996年を最後に式典は行われなくなった。 しかし2004年になり、8年ぶりに復活。 この時はそれほど大規模な物では無く、レッスルマニア本編ともあまり関係なかったが、 年を経るにつれ表彰式も同団体最大の興業イベントであるレッスルマニアの前日に行われる前夜祭的なイベントとなり、表彰も盛大に行われる事となった。 レッスルマニア本編の最中にも殿堂入りを果たした人物を紹介する時間が必ず設けられる。 式典は、殿堂者の紹介をプレゼンター(殿堂者と縁の深い人物が担当)のスピーチと懐かしの映像で行い、その後本人(故人の場合はその家族)が登場してスピーチをする。 スピーチはアメリカンジョークが飛び交い、会場は終始和やかな雰囲気である。 式典の模様はレッスルマニアのDVDに収録されている(ただし、2004年は収録されず)。 なお2020年度の式典は、新型コロナウィルスの問題により中止となった。 2021年度はWWEネットワークにて4月7日に配信。前年中止分も補った。 ◆主な殿堂者(選出された年) プロレスラー個人に限らず、タッグチームなどのユニット、マネージャーやプロモーター、リングアナウンサーなど多岐な分野に及び、なぜか野球選手やボクサーもいる(後述)。 ・[[アンドレ・ザ・ジャイアント]](1993年) 前述の通り。この年はアンドレ1人のみ。 ・フレッド・ブラッシー(1994年) 親日家で知られる銀髪鬼。 自伝の出版の宣伝を兼ねて2003年にRAWにゲスト出演したが直後に倒れ死去。 因みにかつてビンス・シニアがタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)を息子に売却する際に「フレッド・ブラッシーの永久雇用義務」があった為、現場引退後も「チャリティー担当役員兼在宅モニター」として活動し、ビンスもまた死去する最期の日までファイトマネーを支給し続けていた。 ・ファビュラス・ムーラ(1995年) 女性で殿堂入り第1号。彼女の持つ「王座奪取最高齢記録76歳3ヶ月」と「28年間女子王座保持」は誰にも破られないだろう。 アティチュード時代のファンはメイ・ヤングとのコンビで乱入してくるおばあちゃんとして記憶している人も多いかと思う。 ・ビンス・マクマホン・シニア(1996年) WWEの創業者にして、現会長[[ビンス>ビンス・マクマホン]]の父上。 アメリカ武者修行中の[[ジャイアント馬場]]をトップレスラーに起用したり、[[アントニオ猪木]]率いる新日本プロレスと業務提携をするなど、日本のプロレス界との関わりも深い。 だが息子とは不仲であった為、上記の様に1984年にタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)を息子に「買い取らせる」という形で譲った事は有名。 ・ピート・ローズ(2004年) 元メジャーリーガーにして4265安打という大記録を持つ超一流野球選手。 同じニックネームつながりでケインの試合に乱入してツームストーンを喰らうなど体を張った客演をした。 ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難な為、ビンスが計らったとされている。 ・ニコライ・ボルコフ(2005年) ロシアの白熊。ただし本人は旧ユーゴスラビア生まれ。 米ソ冷戦時代に共産主義のロシア人として絶対的ヒールだった。ひとたびリングから降りると、とても温厚なおじさんであり、善人エピソードはものすごく多い。 ・バーン・ガニア(2006年) AWAの帝王と言われた人物。 彼の殿堂入りをきっかけとして、WWEの歴史に一切登場しない人物も殿堂入りするようになった(ハンセンとか)。 ・ジム・ロス/ジェリー・ローラー(2007年) 長年RAWの実況と解説を務めているJR(ジム・ロス)とキング(ジェリー・ローラー)。 2人そろって2007年に殿堂入りした。 ・ゴードン・ソリー(2008年) 前年に殿堂入りしたJRが深く尊敬している実況者。活動の場はおもにNWA系でWWE正史には一切登場していない。 JRは、「ゴードンこそが最高のレスリング・アナウンサーであり、我々は彼に次ぐナンバー2を争っているにすぎない」と評した。 ・メイ・ヤング(2008年) 上記のファビュラス・ムーラとともに長きにわたり活躍を続けた女子プロレス界のパイオニア。 アティチュード時代は1999年に初登場以来ムーラと共に度々登場し、観客を喜ばせた。 ([[因みに1956年にNWA世界女子王座を巡って戦ったムーラとはスマックダウンで骨董品級の試合までしている>https://www.youtube.com/watch?v=hAggviAmfTk]]。) 2014年に死去。 ・リッキー・スティムボート(2009年) レッスルマニア3でランディ・サベージと空前絶後の好勝負を演じて[[クリス・ジェリコ]]など多くの後進に影響を与えた。日系人レスラーで数少ない絶対的なベビーフェイスで、[[スティング]]と並ぶ[[リック・フレアー]]の好敵手。フレアー曰く「打ち合わせなし、目隠しでも試合ができるくらい戦った」とのこと。 ニックネームの「ドラゴン」つながりで、入場曲はウルティモ・ドラゴンのを流用されて登場。 ・ステュ・ハート(2010年) 現役時代は「関節技の達人」と言われていたが、それよりもトレーナーやプロモーターとしてのほうが有名。 8人の息子は全員プロレスラーになり、4人の娘は全員プロレスラーと結婚。ハートファミリーをプロレスの名門に育て上げた人物である。 彼の道場があったカルガリーは、今日「[[プロレス]]都市」として名高い。 ・サニー(2011年) ディーバの元祖の1人とされる人物。ボーイフレンドのクリス・キャンディードを追いかけて業界入り。 以降、マネージャーやレポーターとして席巻。存命人物としては最年少で殿堂入り。インダクターは当時所属していたディーバ全員だった。 &s(){なお、翌年からDVやら飲酒運転やらで逮捕されまくり、2022年には飲酒運転で人身事故を起こし、相手を死亡させている。} ・マイク・タイソン(2012年) 耳噛みつき事件などで知られるボクシングの問題児。 一時期D-Xに参加し、レッスルマニアXIVではストーンコールドVS[[ショーン・マイケルズ]]のゲストレフェリーを務めた縁で選出された。タイソンやピート・ローズなどは「有名人部門」と呼ばれる。 ・フォー・ホースメン(2012年) 1986年にNWAで結成された伝説のユニット。 オリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロンの5人。 当時の4人はNWAの主要王座を独占状態で保持するなど正真正銘のトップ・スター達によって構成されたスーパーユニットであった。 しかし、結成の翌年にはオレイが脱退し、レックス・ルガーが加入するも1988年にはアーンとタリーが、89年にはJ・J・ディロンがWWEに引き抜かれ脱退。 その後、アーンとオレイが復帰しスティングやバリー・ウィンダム、シッド・ヴィジャスが加入して細々と続いていたが91年にはリーダーであるフレアーがWWEに移籍し解散となった。 93年にフレアーがWCWに復帰するとアーンとオレイと共に再結成するも、アーンがラリったシッド・ヴィジャスにハサミでメッタ刺しにされて重傷を負った事により自然消滅した。 95年以降はフレアーとアーンを中心に再々結成するも2人以外は(WCWの適当さもあって)常にメンバーが定まらずに入れ替わり立ち代わり色々な人間が加入する有様でいつも間にか自然消滅した。 殿堂入りにはオレイ・アンダーソンを除くオリジナルメンバー4人とバリー・ウインダムが選ばれた。 何故こうなったというとオレイ・アンダーソンは自身が株式を所有していたGCWをビンス・マクマホンに買収された際に激しく拒絶反応を示して以降WWEとは絶縁状態であり今回の殿堂入りに際しても存在を抹消されてしまった… また本来であればオレイと入れ替わりに加入したレックス・ルガーが代わりに選ばれてもおかしくなかったが、彼は2011年からステロイド投薬の後遺症の為にWWEの医療保護プログラムで加療状態で殿堂入りできる健康状態ではなかった為外されてしまい代わりにバリー・ウィンダムが選ばれたという。&s(){え?ポール・ローマ?知らん。}(レックス・ルガーは2025年に個人で殿堂入りした) スピーチでは史上初となる2度目の殿堂入りを果たしたフレアーが個人での殿堂入りの際の長すぎたスピーチを自虐ネタにして観客の笑いを取った。 ・ブルーノ・サンマルチノ(2013年) WWWF時代の頃のチャンピオンとして君臨し「MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)の帝王」「人間発電所」と呼ばれた。馬場さんの友人。 WWE王座7年6か月保持という破られそうにない驚異的な記録を持つ。 1984年以降のWWEの全米制覇路線を拒絶し、今のビンスと犬猿の仲になった為ここ25年間WWEと絶縁していた。 しかし、ビンスの婿である[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]]の懸命な説得や現在のWWEドラッグ更生プログラム等の活動に対して態度を軟化させ、ついに殿堂入りを果たした。 因みにトリプルHが最初に殿堂入りをオファーした際にかけた 「あなたの力で(WWE殿堂の会場である)MSGを再びソールド・アウトにしてくれませんか?」 と彼へのリスペクトに満ちた言葉が心をくすぐったらしく、 「ビンスは信用できないけど彼(トリプルH)なら信用できる」と絶賛していた。 その後はラリー・ズビヒコの殿堂入りのインダクターを務めたり、彼の銅像の除幕式に参加したり、ピッツバーグにWWEが来たときにゲスト出演するなどWWEとの関係はかつての確執が嘘のように良好な物になっていた。 2018年4月に死去。 ・トリッシュ・ストラタス(2013年) 歴代最多となるWWE女子王座を7回獲得した女子レスラー。 お色気路線からTLCまでこなすなどの活躍ぶりから「ディーヴァの完成形」と呼ばれた。 因みに式典に参加当時は身篭っており、多くのファンから祝福された。 ・アルティメット・ウォリアー(2014年) [[ハルク・ホーガン]]、ランディ・サベージと並ぶ80年代WWFのスーパースター。 ステロイド問題からギャラなどで退団、復帰を繰り返した。 96年以降WWEとは絶縁状態だったが、遂に和解した。 受賞2日後のRAWでのスピーチは伝説となった… これからの活躍が期待されていた矢先に受賞から3日後に心臓発作で急死してしまった… ・アランドラ・ブレイズ(2015年) 日本人には「メデューサ」の名前のほうがしっくりくる女子選手。 WWFとWCWによる月曜TV戦争時代にWWF世界女子王座を保持しながらWCWに移籍し、なおかつ王座ベルトをゴミ箱に捨てるという(台本とはいえ)暴挙に出た。 殿堂入りはまず不可能といわれていたが、20年目の和解により殿堂入り。 因みにスピーチの際にはゴミ箱からかつてのWWF世界女子王座のベルトを取り出すという20年前の事件を自ら自虐ネタにした。 ブル中野のアメリカでの最大の[[ライバル]]。ちなみに、現在の職業はトラック運転手。 ・ザ・ゴッドファザー(2016年) ブードゥー教の呪術師「パパ・シャンゴ」として活動した後、総合格闘家「カマ」を経てホー姉ちゃんを連れて歩くポン引き野郎になった男。 一時期「グッドファザー」にもなったが、バル・ビーナスとの風紀違反コンビが人気を博した。 ・セオドア・ロング(2017年) 「ホラ・ホラ・ホラ」「ヤー・フィール・ミー」「ユー・キャン・ビリーダッ・プレイヤ!」などと叫ぶ陽気で理知的なスマックダウンのGMというイメージを持つ方が多いと思うが、もともとは悪徳レフェリー、ヒール側のマネージャーというポジションが多かった。 ・ダッドリー・ボーイズ(2018年) ECWから登場し、日米様々な団体で通算28度のタッグ王座を獲得した&font(l){岡山弁使い}テーブル戦の達人タッグチーム。 権利の都合上、WWE以外では「チーム3D」と名乗る。 本来はデビッド・ダッドリーを父親とする9人の異母兄弟だが、WWEでダッドリーズといえば、五男ババ=レイ、八男ディーボン(、末弟スパイク)を指す。 ババ=レイが&bold(){「ディーボン!」「テーブルじゃあああ!」}と呼びかけてディーボンがリング下にあるテーブルを取り出し相手をテーブルに叩き付けるのがお約束で、老若男女問わずテーブルに叩きつけてきた。 ・ハート・ファウンデーション(2019年) 1985年に結成された、WWEを代表するタッグチームの1つ。 オリジナルメンバーは[[ブレット・ハート]]とジム・ナイドハート、マネージャーのジミー・ハートで全員ハート姓だがスチュー・ハート率いるハート家出身はブレットのみで、ジム・ナイドハートはスチュー・ハートの娘と結婚してハート家入りしている。ジミー・ハートは全くの無関係。 2度WWE世界タッグ王座を獲得した後、91年に解散しそれぞれシングル転向をした。 1997年にジミー・ハートを除くオリジナルメンバーにブレットの実弟オーエン・ハート、ブレットの義弟デイビーボーイ・スミスとハート・ダンジョン出身のブライアン・ピルマンを加えて再結成をした。 同時に殿堂入りしたショーン・マイケルズ率いるD-Generation Xと激しい抗争を展開したが、 1998年にブレットが[[モントリオール事件]]によってWWEと絶縁状態になり、ジム・ナイドハートとデイビー・ボーイはブレットと共にWCWに移籍し、オーエンはWWE残留を決めチームは再び解散した。(ブライアン・ピルマンは98年10月に死去) 今回はオリジナルメンバーのブレットとジム・ナイドハートが受賞の対象になった。 (ジミー・ハートは個人として2005年に殿堂入りしている) 式典ではブレット(個人に続き2回目)と2018年に死去したナイドハートに代わり実娘のナタリアが出席した。 そしてスピーチの最中に突如乱入した男がブレットにタックルをかます事件が起こり、 一時会場は騒然と化した。 ・ D-Generation X (2019年) 1997年に結成され、WWEを長らく支えてきた反体制的なユニット。「セクシーかつ卑猥で、最低にして最高にイカしたヤツら」な彼らはおちゃらけたパフォーマンスと世界最高峰のテクニックで第1期(1997~98)、2期(98~99)、3期(2006~07)、4期(2009~10)と席捲した。 今回受賞の対象になるのはオリジナルメンバーのHBK(個人に続き2回目)、HHH、チャイナと2期のメンバーであるX-PAC、[[ビリー・ガン>ビリー&チャック(WWE)]]、ロード・ドッグの6名。リック・ルード、トリー(テリー・パワー)、ホーンズワグルなどは対象外となった。 ・ニュー・ワールド・オーダー(nWo) (2020年) 1996年にWCWで結成され、アメリカ国内ではnWoTシャツを着た人が町中にあふれ、海を越えて日本にまで波及したほどの社会現象を起こしたユニット。nWoが登場したことによりWWEは一時倒産寸前の危機にまで追いやられた(詳しくは[[WCW]]の項を参照されたし)。今回の受賞対象はオリジナルメンバーのホーガン、[[スコット・ホール]]、[[ケビン・ナッシュ]]と6人目のメンバーだったシックス(X-PAC)の4名。全員が2度目の受賞となる。 ただし、X-PACはユニットのみでの2度目の受賞であり、個人での選出はまだない。 ・モーリー・ホーリー (2021年) もともとパワーリフティングの選手だった、歴代の女子レスラーの中でも最高峰のレスリング技術を備えていると言われる2000年代前半に活躍した選手。髪切りマッチでスキンヘッドにするなど、プロレスラーとしての姿勢と根性が評価されている。トレーナーとして多くの女子選手に技術指導もしている。TAJIRIさんと仲が良く、TAJIRIさん曰く「なかなかの不思議ちゃん」。 ・スタイナー・ブラザーズ (2022年) ともにミシガン大学出身の元アマレス選手だった兄リックと弟スコットからなる兄弟タッグチーム。1991年3月に新日本プロレスの東京ドーム大会で馳浩&[[佐々木健介]]からIWGPタッグ王座を奪ったこともあり日本でもなじみが深い。弟スコットに関しては[[個別項目>スコット・スタイナー]]参照。ちなみにリックの息子はプロレスラーで、ブロン・ブレイカーのリングネームでNXTで活躍中。 ・レイ・ミステリオ(2023年) 14歳で[[メキシコ]]でデビューし、AAA→ECW→WCWと渡り歩いた神秘の王。叔父からリングネームを受け継ぎ、基本はマスクマンとして試合をするのだがWCW時代に素顔で試合していた時代もあった。2002年にWWE入団した折、ビンスと相談して再びマスクマンになった。空中技で観客を魅了するスタイルだが、実は高所恐怖症だったりする。また、フレアー以来2人目となる現役での殿堂入りとなった。 ・アンディ・カウフマン(2023年) 映画「マン・オン・ザ・ムーン」でジム・キャリーが演じたぶっ飛んだコメディアン(本人曰く歌と踊りの人)。プロレスが観客の喜怒哀楽を引き出す姿を好んでいたようで、最強の男を名乗って一般女性とレスリング勝負をしたり、フレッド・ブラッシーと食事したり会話したりする作品を作ったり、ジェリー・ローラーと試合したりした。1984年、肺がんで逝去。 ・ブル中野(2024年) 「忘れがたい容姿と、1マイルにわたる極悪の走りを備えた、信じられないほどの才能」とHHHが評するASUKA姐さんがWWEを席巻する20年以上前にWWF女子王座を獲得した女帝。日本人女子レスラーとして初の殿堂入りを果たした。 ・ポール・ヘイマン(2024年) ECWの創設者にして現在もブロッドラインのマネージャーも務める多才な御方。 殿堂入りに際してはECWの本拠地フィラデルフィアとあって多くのファン&元所属レスラーたち(RVD、トミー・ドリーマー、ダッドリーズ)が駆けつけた。そしてスピーチでは帽子にジャンパーという昔のいでたちになって諸事情で触れる事がタブーになっていた[[ブロック・レスナー]]の名前を出したりFワードも出したりと往年のキレッキレのマイクパフォーマンスを見せた。 ・ミシェル・マクール(2025年) 2004年に開催されたオーディション企画「ディーヴァサーチ」出身の女子レスラー。 教師キャラとして登場するが、実はガチで元教師。2008年ごろから女子戦線のトップに君臨し初代WWEディーヴァズ王座も獲得。 2010年にアンダーテイカーと結婚し、今回の殿堂入りでエッジ&ベス・フェニックス夫妻、ブッカーT&シャメール夫妻以来3組目の殿堂夫婦となった。 ・レックス・ルガー(2025年) 末期NWAにてスティングと共にデビューした数少ないWCW生え抜きのレスラー。1987年にはフォー・ホースメンに加入したり初代WCW世界ヘビー級王者になる等、ベビーフェイスとして活躍したが、1992年にWWFに移籍して周囲を驚かせた。WWFでもホーガン路線を受け継いだベビーフェイスとして活動しWWF世界ヘビー級王座に何度も挑戦したが獲得には至らず1995年に退団した翌日にWCWに復帰しまたもや周囲を驚かせた。しかし、この後は今ひとつパットせずWCW崩壊後は2003年にランディ・サベージの元妻、エリザベスが彼の自宅で変死した時に注目を浴びた以外は目立った活動は皆無で2007年に脊髄梗塞を患って以降は車椅子生活を送っており、殿堂入りを伝えられたのはDDPの自宅でリハビリ中にであった。 ・ナチュラル・ディザスターズ(2025年) 数多くの名タッグチームを輩出した90年代初頭のWWFにおいて一際異彩を放った巨漢コンビ。201cm210kgのアースクエイク(ジョン・テンタ)、204cm174kgのタイフーン(フレッド・オットマン)による文字通り「自然災害」級の強さを発揮し、LOD(リージョンオブドゥーム/ロード・ウォリアーズ)の最大のライバルとして立ちはだかった。アースクエイクことジョン・テンタは2006年に死去。元々日本の大相撲力士であり、廃業後は全日本プロレスでデビュー。&bold(){大相撲出身レスラーとしても、日本デビューの外国人レスラーとしても初の受賞者}という珍しい記録を持つ。((大相出身としてはレガシー賞を力道山が先に受賞)) ~以下、個別項目参照~ ・[[ハーリー・レイス]](2004年) ・[[ハルク・ホーガン]](2005年) ・[[ブレット・ハート]](2006年) ・[[エディ・ゲレロ]](2006年) ・[[ダスティ・ローデス]](2007年) ・[[リック・フレアー]](2008年) ・[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]](2009年) ・[[アントニオ猪木]](2010年) ・[[ショーン・マイケルズ]](2011年) ・[[エッジ>エッジ(プロレスラー)]](2012年) ・[[ミック・フォーリー]](2013年) ・[[リタ>リタ(プロレスラー)]](2014年) ・[[スコット・ホール]](2014年) ・[[ケビン・ナッシュ]](2015年) ・[[藤波辰爾]](2015年) ・[[スタン・ハンセン]](2016年) ・[[スティング>スティング(プロレスラー)]](2016年) ・[[カート・アングル]](2017年) ・[[リック・ルード]](2017年) ・[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]](2017年) ・[[ビル・ゴールドバーグ]](2018年) ・[[バティスタ>バティスタ(プロレスラー)]](2020年) ・[[獣神サンダーライガー>獣神サンダーライガー(プロレスラー)]](2020年) ・[[ロブ・ヴァン・ダム]](2021年) ・[[ジ・アンダーテイカー>ジ・アンダーテイカー(プロレスラー)]](2022年) ・[[武藤敬司]]/[[ザ・グレート・ムタ]](2023年) ・[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]](2025年) ◆今後、殿堂入りが見込まれる主な人物、ユニット(現役は除く) ビンス・マクマホン キラー・カーン オーエン・ハート ザ・ロック(ドゥエイン・ジョンソン) ウィリアム・リーガル ゴールダスト ジョーイ・スタイルズ ディーン・マレンコ リリアン・ガルシア ヴィッキー・ゲレロ セイブル マリース ジョン・シナ ブレイ・ワイアット サヴゥー ~番外~ ◎ウォリアー賞 2014年に殿堂入りし、直後に急逝したアルティメット・ウォリアーの名を冠した賞。 困難な状況においても(主に難病)勇猛果敢に挑み続ける勇者に贈られる。2015年より各年1名選出。 基本的にインダクターはダナ・ウォリアー(アルティメットウォリアーの未亡人)が務める。 ・コナー・”ザ・クラッシャー”ミハレック(2015年) 8歳で脳腫瘍により亡くなったダニエル・ブライアン好きの少年。 ◎レガシー部門 2016年よりスタート。 各国でプロレス業界を盛り上げてきた、特にWWEとは関係のない人物でも選出対象になる。 ・[[ルー・テーズ]](2016年) ・[[力道山]](2017年) ・ヒロ・マツダ(2018年) ・新間寿(2019年) など ◆余談 [[藤波辰爾]]は、「選出されると3ヶ月に1度、WWEから映像等のロイヤリティの分配が生涯に渡って行われる」とコメントしており、単なる名誉でとどまるものではないと推測できる。 しかしその一方で、「殿堂入りしてからの1年間は他団体でのプロレス活動に一定の制限が設けられる」ということも話しており、これが嫌で選出を辞退する人もいるとか。 これが理由かどうかは不明だが、ザ・グレート・カブキが2016年に殿堂入り候補に挙がっていたが、辞退したとされている。 追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - ライガーが式典に参加してベイラーがプレゼンターってのが見たかった -- 名無し (2020-03-18 22:26:10) - 各人、ユニットに対する思い入れが強いのはわかるけど、一覧項目なんだから端的に書いてほしいですね。思いのたけは個別項目作って、そちらで思う存分書いてほしいです -- 名無しさん (2024-03-07 01:09:56) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2012/09/12(水) 09:58:26 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 19 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- WWE殿堂(WWE Hall Of Fame)とはアメリカのプロレス団体[[WWE>WWE(プロレス団体)]]が主催する、プロレスにおいて多大な業績を残した人物を表彰する制度である。 なお、表彰の対象はレスラーに限られてはいない。 ◆設立の背景 1993年に、[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]が急逝。これを受けてWWF(World Wrestling Federation/後の[[WWE>WWE(プロレス団体)]])が彼の生前の功績を讃える目的で創設。 この当時は選定した結果を公表して、規模はあまり大きくない独立した式典として開催していた。その後、WWEが[[WCW]]との興行戦争が激しくなった事も影響して1996年を最後に式典は行われなくなった。 しかし2004年になり、8年ぶりに復活。 この時はそれほど大規模な物では無く、レッスルマニア本編ともあまり関係なかったが、 年を経るにつれ表彰式も同団体最大の興業イベントであるレッスルマニアの前日に行われる前夜祭的なイベントとなり、表彰も盛大に行われる事となった。 レッスルマニア本編の最中にも殿堂入りを果たした人物を紹介する時間が必ず設けられる。 式典は、殿堂者の紹介をプレゼンター(殿堂者と縁の深い人物が担当)のスピーチと懐かしの映像で行い、その後本人(故人の場合はその家族)が登場してスピーチをする。 スピーチはアメリカンジョークが飛び交い、会場は終始和やかな雰囲気である。 式典の模様はレッスルマニアのDVDに収録されている(ただし、2004年は収録されず)。 なお2020年度の式典は、新型コロナウィルスの問題により中止となった。 2021年度はWWEネットワークにて4月7日に配信。前年中止分も補った。 ◆主な殿堂者(選出された年) プロレスラー個人に限らず、タッグチームなどのユニット、マネージャーやプロモーター、リングアナウンサーなど多岐な分野に及び、なぜか野球選手やボクサーもいる(後述)。 ・[[アンドレ・ザ・ジャイアント]](1993年) 前述の通り。この年はアンドレ1人のみ。 ・フレッド・ブラッシー(1994年) 親日家で知られる銀髪鬼。 自伝の出版の宣伝を兼ねて2003年にRAWにゲスト出演したが直後に倒れ死去。 因みにかつてビンス・シニアがタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)を息子に売却する際に「フレッド・ブラッシーの永久雇用義務」があった為、現場引退後も「チャリティー担当役員兼在宅モニター」として活動し、ビンスもまた死去する最期の日までファイトマネーを支給し続けていた。 ・ファビュラス・ムーラ(1995年) 女性で殿堂入り第1号。彼女の持つ「王座奪取最高齢記録76歳3ヶ月」と「28年間女子王座保持」は誰にも破られないだろう。 アティチュード時代のファンはメイ・ヤングとのコンビで乱入してくるおばあちゃんとして記憶している人も多いかと思う。 ・ビンス・マクマホン・シニア(1996年) WWEの創業者にして、現会長[[ビンス>ビンス・マクマホン]]の父上。 アメリカ武者修行中の[[ジャイアント馬場]]をトップレスラーに起用したり、[[アントニオ猪木]]率いる新日本プロレスと業務提携をするなど、日本のプロレス界との関わりも深い。 だが息子とは不仲であった為、上記の様に1984年にタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)を息子に「買い取らせる」という形で譲った事は有名。 ・ピート・ローズ(2004年) 元メジャーリーガーにして4265安打という大記録を持つ超一流野球選手。 同じニックネームつながりでケインの試合に乱入してツームストーンを喰らうなど体を張った客演をした。 ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難な為、ビンスが計らったとされている。 2024年に死去。翌年にはMLBから永久追放処分が取り消され、今後野球殿堂入りの可能性が浮上した。 ・ニコライ・ボルコフ(2005年) ロシアの白熊。ただし本人は旧ユーゴスラビア生まれ。 米ソ冷戦時代に共産主義のロシア人として絶対的ヒールだった。ひとたびリングから降りると、とても温厚なおじさんであり、善人エピソードはものすごく多い。 ・バーン・ガニア(2006年) AWAの帝王と言われた人物。 彼の殿堂入りをきっかけとして、WWEの歴史に一切登場しない人物も殿堂入りするようになった(ハンセンとか)。 ・ジム・ロス/ジェリー・ローラー(2007年) 長年RAWの実況と解説を務めているJR(ジム・ロス)とキング(ジェリー・ローラー)。 2人そろって2007年に殿堂入りした。 ・ゴードン・ソリー(2008年) 前年に殿堂入りしたJRが深く尊敬している実況者。活動の場はおもにNWA系でWWE正史には一切登場していない。 JRは、「ゴードンこそが最高のレスリング・アナウンサーであり、我々は彼に次ぐナンバー2を争っているにすぎない」と評した。 ・メイ・ヤング(2008年) 上記のファビュラス・ムーラとともに長きにわたり活躍を続けた女子プロレス界のパイオニア。 アティチュード時代は1999年に初登場以来ムーラと共に度々登場し、観客を喜ばせた。 ([[因みに1956年にNWA世界女子王座を巡って戦ったムーラとはスマックダウンで骨董品級の試合までしている>https://www.youtube.com/watch?v=hAggviAmfTk]]。) 2014年に死去。 ・リッキー・スティムボート(2009年) レッスルマニア3でランディ・サベージと空前絶後の好勝負を演じて[[クリス・ジェリコ]]など多くの後進に影響を与えた。日系人レスラーで数少ない絶対的なベビーフェイスで、[[スティング]]と並ぶ[[リック・フレアー]]の好敵手。フレアー曰く「打ち合わせなし、目隠しでも試合ができるくらい戦った」とのこと。 ニックネームの「ドラゴン」つながりで、入場曲はウルティモ・ドラゴンのを流用されて登場。 ・ステュ・ハート(2010年) 現役時代は「関節技の達人」と言われていたが、それよりもトレーナーやプロモーターとしてのほうが有名。 8人の息子は全員プロレスラーになり、4人の娘は全員プロレスラーと結婚。ハートファミリーをプロレスの名門に育て上げた人物である。 彼の道場があったカルガリーは、今日「[[プロレス]]都市」として名高い。 ・サニー(2011年) ディーバの元祖の1人とされる人物。ボーイフレンドのクリス・キャンディードを追いかけて業界入り。 以降、マネージャーやレポーターとして席巻。存命人物としては最年少で殿堂入り。インダクターは当時所属していたディーバ全員だった。 &s(){なお、翌年からDVやら飲酒運転やらで逮捕されまくり、2022年には飲酒運転で人身事故を起こし、相手を死亡させている。} ・マイク・タイソン(2012年) 耳噛みつき事件などで知られるボクシングの問題児。 一時期D-Xに参加し、レッスルマニアXIVではストーンコールドVS[[ショーン・マイケルズ]]のゲストレフェリーを務めた縁で選出された。タイソンやピート・ローズなどは「有名人部門」と呼ばれる。 ・フォー・ホースメン(2012年) 1986年にNWAで結成された伝説のユニット。 オリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロンの5人。 当時の4人はNWAの主要王座を独占状態で保持するなど正真正銘のトップ・スター達によって構成されたスーパーユニットであった。 しかし、結成の翌年にはオレイが脱退し、レックス・ルガーが加入するも1988年にはアーンとタリーが、89年にはJ・J・ディロンがWWEに引き抜かれ脱退。 その後、アーンとオレイが復帰しスティングやバリー・ウィンダム、シッド・ヴィジャスが加入して細々と続いていたが91年にはリーダーであるフレアーがWWEに移籍し解散となった。 93年にフレアーがWCWに復帰するとアーンとオレイと共に再結成するも、アーンがラリったシッド・ヴィジャスにハサミでメッタ刺しにされて重傷を負った事により自然消滅した。 95年以降はフレアーとアーンを中心に再々結成するも2人以外は(WCWの適当さもあって)常にメンバーが定まらずに入れ替わり立ち代わり色々な人間が加入する有様でいつも間にか自然消滅した。 殿堂入りにはオレイ・アンダーソンを除くオリジナルメンバー4人とバリー・ウインダムが選ばれた。 何故こうなったというとオレイ・アンダーソンは自身が株式を所有していたGCWをビンス・マクマホンに買収された際に激しく拒絶反応を示して以降WWEとは絶縁状態であり今回の殿堂入りに際しても存在を抹消されてしまった… また本来であればオレイと入れ替わりに加入したレックス・ルガーが代わりに選ばれてもおかしくなかったが、彼は2011年からステロイド投薬の後遺症の為にWWEの医療保護プログラムで加療状態で殿堂入りできる健康状態ではなかった為外されてしまい代わりにバリー・ウィンダムが選ばれたという。&s(){え?ポール・ローマ?知らん。}(レックス・ルガーは2025年に個人で殿堂入りした) スピーチでは史上初となる2度目の殿堂入りを果たしたフレアーが個人での殿堂入りの際の長すぎたスピーチを自虐ネタにして観客の笑いを取った。 ・ブルーノ・サンマルチノ(2013年) WWWF時代の頃のチャンピオンとして君臨し「MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)の帝王」「人間発電所」と呼ばれた。馬場さんの友人。 WWE王座7年6か月保持という破られそうにない驚異的な記録を持つ。 1984年以降のWWEの全米制覇路線を拒絶し、今のビンスと犬猿の仲になった為ここ25年間WWEと絶縁していた。 しかし、ビンスの婿である[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]]の懸命な説得や現在のWWEドラッグ更生プログラム等の活動に対して態度を軟化させ、ついに殿堂入りを果たした。 因みにトリプルHが最初に殿堂入りをオファーした際にかけた 「あなたの力で(WWE殿堂の会場である)MSGを再びソールド・アウトにしてくれませんか?」 と彼へのリスペクトに満ちた言葉が心をくすぐったらしく、 「ビンスは信用できないけど彼(トリプルH)なら信用できる」と絶賛していた。 その後はラリー・ズビヒコの殿堂入りのインダクターを務めたり、彼の銅像の除幕式に参加したり、ピッツバーグにWWEが来たときにゲスト出演するなどWWEとの関係はかつての確執が嘘のように良好な物になっていた。 2018年4月に死去。 ・トリッシュ・ストラタス(2013年) 歴代最多となるWWE女子王座を7回獲得した女子レスラー。 お色気路線からTLCまでこなすなどの活躍ぶりから「ディーヴァの完成形」と呼ばれた。 因みに式典に参加当時は身篭っており、多くのファンから祝福された。 ・アルティメット・ウォリアー(2014年) [[ハルク・ホーガン]]、ランディ・サベージと並ぶ80年代WWFのスーパースター。 ステロイド問題からギャラなどで退団、復帰を繰り返した。 96年以降WWEとは絶縁状態だったが、遂に和解した。 受賞2日後のRAWでのスピーチは伝説となった… これからの活躍が期待されていた矢先に受賞から3日後に心臓発作で急死してしまった… ・アランドラ・ブレイズ(2015年) 日本人には「メデューサ」の名前のほうがしっくりくる女子選手。 WWFとWCWによる月曜TV戦争時代にWWF世界女子王座を保持しながらWCWに移籍し、なおかつ王座ベルトをゴミ箱に捨てるという(台本とはいえ)暴挙に出た。 殿堂入りはまず不可能といわれていたが、20年目の和解により殿堂入り。 因みにスピーチの際にはゴミ箱からかつてのWWF世界女子王座のベルトを取り出すという20年前の事件を自ら自虐ネタにした。 ブル中野のアメリカでの最大の[[ライバル]]。ちなみに、現在の職業はトラック運転手。 ・ザ・ゴッドファザー(2016年) ブードゥー教の呪術師「パパ・シャンゴ」として活動した後、総合格闘家「カマ」を経てホー姉ちゃんを連れて歩くポン引き野郎になった男。 一時期「グッドファザー」にもなったが、バル・ビーナスとの風紀違反コンビが人気を博した。 ・セオドア・ロング(2017年) 「ホラ・ホラ・ホラ」「ヤー・フィール・ミー」「ユー・キャン・ビリーダッ・プレイヤ!」などと叫ぶ陽気で理知的なスマックダウンのGMというイメージを持つ方が多いと思うが、もともとは悪徳レフェリー、ヒール側のマネージャーというポジションが多かった。 ・ダッドリー・ボーイズ(2018年) ECWから登場し、日米様々な団体で通算28度のタッグ王座を獲得した&font(l){岡山弁使い}テーブル戦の達人タッグチーム。 権利の都合上、WWE以外では「チーム3D」と名乗る。 本来はデビッド・ダッドリーを父親とする9人の異母兄弟だが、WWEでダッドリーズといえば、五男ババ=レイ、八男ディーボン(、末弟スパイク)を指す。 ババ=レイが&bold(){「ディーボン!」「テーブルじゃあああ!」}と呼びかけてディーボンがリング下にあるテーブルを取り出し相手をテーブルに叩き付けるのがお約束で、老若男女問わずテーブルに叩きつけてきた。 ・ハート・ファウンデーション(2019年) 1985年に結成された、WWEを代表するタッグチームの1つ。 オリジナルメンバーは[[ブレット・ハート]]とジム・ナイドハート、マネージャーのジミー・ハートで全員ハート姓だがスチュー・ハート率いるハート家出身はブレットのみで、ジム・ナイドハートはスチュー・ハートの娘と結婚してハート家入りしている。ジミー・ハートは全くの無関係。 2度WWE世界タッグ王座を獲得した後、91年に解散しそれぞれシングル転向をした。 1997年にジミー・ハートを除くオリジナルメンバーにブレットの実弟オーエン・ハート、ブレットの義弟デイビーボーイ・スミスとハート・ダンジョン出身のブライアン・ピルマンを加えて再結成をした。 同時に殿堂入りしたショーン・マイケルズ率いるD-Generation Xと激しい抗争を展開したが、 1998年にブレットが[[モントリオール事件]]によってWWEと絶縁状態になり、ジム・ナイドハートとデイビー・ボーイはブレットと共にWCWに移籍し、オーエンはWWE残留を決めチームは再び解散した。(ブライアン・ピルマンは98年10月に死去) 今回はオリジナルメンバーのブレットとジム・ナイドハートが受賞の対象になった。 (ジミー・ハートは個人として2005年に殿堂入りしている) 式典ではブレット(個人に続き2回目)と2018年に死去したナイドハートに代わり実娘のナタリアが出席した。 そしてスピーチの最中に突如乱入した男がブレットにタックルをかます事件が起こり、 一時会場は騒然と化した。 ・ D-Generation X (2019年) 1997年に結成され、WWEを長らく支えてきた反体制的なユニット。「セクシーかつ卑猥で、最低にして最高にイカしたヤツら」な彼らはおちゃらけたパフォーマンスと世界最高峰のテクニックで第1期(1997~98)、2期(98~99)、3期(2006~07)、4期(2009~10)と席捲した。 今回受賞の対象になるのはオリジナルメンバーのHBK(個人に続き2回目)、HHH、チャイナと2期のメンバーであるX-PAC、[[ビリー・ガン>ビリー&チャック(WWE)]]、ロード・ドッグの6名。リック・ルード、トリー(テリー・パワー)、ホーンズワグルなどは対象外となった。 ・ニュー・ワールド・オーダー(nWo) (2020年) 1996年にWCWで結成され、アメリカ国内ではnWoTシャツを着た人が町中にあふれ、海を越えて日本にまで波及したほどの社会現象を起こしたユニット。nWoが登場したことによりWWEは一時倒産寸前の危機にまで追いやられた(詳しくは[[WCW]]の項を参照されたし)。今回の受賞対象はオリジナルメンバーのホーガン、[[スコット・ホール]]、[[ケビン・ナッシュ]]と6人目のメンバーだったシックス(X-PAC)の4名。全員が2度目の受賞となる。 ただし、X-PACはユニットのみでの2度目の受賞であり、個人での選出はまだない。 ・モーリー・ホーリー (2021年) もともとパワーリフティングの選手だった、歴代の女子レスラーの中でも最高峰のレスリング技術を備えていると言われる2000年代前半に活躍した選手。髪切りマッチでスキンヘッドにするなど、プロレスラーとしての姿勢と根性が評価されている。トレーナーとして多くの女子選手に技術指導もしている。TAJIRIさんと仲が良く、TAJIRIさん曰く「なかなかの不思議ちゃん」。 ・スタイナー・ブラザーズ (2022年) ともにミシガン大学出身の元アマレス選手だった兄リックと弟スコットからなる兄弟タッグチーム。1991年3月に新日本プロレスの東京ドーム大会で馳浩&[[佐々木健介]]からIWGPタッグ王座を奪ったこともあり日本でもなじみが深い。弟スコットに関しては[[個別項目>スコット・スタイナー]]参照。ちなみにリックの息子はプロレスラーで、ブロン・ブレイカーのリングネームでNXTで活躍中。 ・レイ・ミステリオ(2023年) 14歳で[[メキシコ]]でデビューし、AAA→ECW→WCWと渡り歩いた神秘の王。叔父からリングネームを受け継ぎ、基本はマスクマンとして試合をするのだがWCW時代に素顔で試合していた時代もあった。2002年にWWE入団した折、ビンスと相談して再びマスクマンになった。空中技で観客を魅了するスタイルだが、実は高所恐怖症だったりする。また、フレアー以来2人目となる現役での殿堂入りとなった。 ・アンディ・カウフマン(2023年) 映画「マン・オン・ザ・ムーン」でジム・キャリーが演じたぶっ飛んだコメディアン(本人曰く歌と踊りの人)。プロレスが観客の喜怒哀楽を引き出す姿を好んでいたようで、最強の男を名乗って一般女性とレスリング勝負をしたり、フレッド・ブラッシーと食事したり会話したりする作品を作ったり、ジェリー・ローラーと試合したりした。1984年、肺がんで逝去。 ・ブル中野(2024年) 「忘れがたい容姿と、1マイルにわたる極悪の走りを備えた、信じられないほどの才能」とHHHが評するASUKA姐さんがWWEを席巻する20年以上前にWWF女子王座を獲得した女帝。日本人女子レスラーとして初の殿堂入りを果たした。 ・ポール・ヘイマン(2024年) ECWの創設者にして現在もブロッドラインのマネージャーも務める多才な御方。 殿堂入りに際してはECWの本拠地フィラデルフィアとあって多くのファン&元所属レスラーたち(RVD、トミー・ドリーマー、ダッドリーズ)が駆けつけた。そしてスピーチでは帽子にジャンパーという昔のいでたちになって諸事情で触れる事がタブーになっていた[[ブロック・レスナー]]の名前を出したりFワードも出したりと往年のキレッキレのマイクパフォーマンスを見せた。 ・ミシェル・マクール(2025年) 2004年に開催されたオーディション企画「ディーヴァサーチ」出身の女子レスラー。 教師キャラとして登場するが、実はガチで元教師。2008年ごろから女子戦線のトップに君臨し初代WWEディーヴァズ王座も獲得。 2010年にアンダーテイカーと結婚し、今回の殿堂入りでエッジ&ベス・フェニックス夫妻、ブッカーT&シャメール夫妻以来3組目の殿堂夫婦となった。 ・レックス・ルガー(2025年) 末期NWAにてスティングと共にデビューした数少ないWCW生え抜きのレスラー。1987年にはフォー・ホースメンに加入したり初代WCW世界ヘビー級王者になる等、ベビーフェイスとして活躍したが、1992年にWWFに移籍して周囲を驚かせた。WWFでもホーガン路線を受け継いだベビーフェイスとして活動しWWF世界ヘビー級王座に何度も挑戦したが獲得には至らず1995年に退団した翌日にWCWに復帰しまたもや周囲を驚かせた。しかし、この後は今ひとつパットせずWCW崩壊後は2003年にランディ・サベージの元妻、エリザベスが彼の自宅で変死した時に注目を浴びた以外は目立った活動は皆無で2007年に脊髄梗塞を患って以降は車椅子生活を送っており、殿堂入りを伝えられたのはDDPの自宅でリハビリ中にであった。 ・ナチュラル・ディザスターズ(2025年) 数多くの名タッグチームを輩出した90年代初頭のWWFにおいて一際異彩を放った巨漢コンビ。201cm210kgのアースクエイク(ジョン・テンタ)、204cm174kgのタイフーン(フレッド・オットマン)による文字通り「自然災害」級の強さを発揮し、LOD(リージョンオブドゥーム/ロード・ウォリアーズ)の最大のライバルとして立ちはだかった。アースクエイクことジョン・テンタは2006年に死去。元々日本の大相撲力士であり、廃業後は全日本プロレスでデビュー。&bold(){大相撲出身レスラーとしても、日本デビューの外国人レスラーとしても初の受賞者}という珍しい記録を持つ。((大相出身としてはレガシー賞を力道山が先に受賞)) ~以下、個別項目参照~ ・[[ハーリー・レイス]](2004年) ・[[ハルク・ホーガン]](2005年) ・[[ブレット・ハート]](2006年) ・[[エディ・ゲレロ]](2006年) ・[[ダスティ・ローデス]](2007年) ・[[リック・フレアー]](2008年) ・[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]](2009年) ・[[アントニオ猪木]](2010年) ・[[ショーン・マイケルズ]](2011年) ・[[エッジ>エッジ(プロレスラー)]](2012年) ・[[ミック・フォーリー]](2013年) ・[[リタ>リタ(プロレスラー)]](2014年) ・[[スコット・ホール]](2014年) ・[[ケビン・ナッシュ]](2015年) ・[[藤波辰爾]](2015年) ・[[スタン・ハンセン]](2016年) ・[[スティング>スティング(プロレスラー)]](2016年) ・[[カート・アングル]](2017年) ・[[リック・ルード]](2017年) ・[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]](2017年) ・[[ビル・ゴールドバーグ]](2018年) ・[[バティスタ>バティスタ(プロレスラー)]](2020年) ・[[獣神サンダーライガー>獣神サンダーライガー(プロレスラー)]](2020年) ・[[ロブ・ヴァン・ダム]](2021年) ・[[ジ・アンダーテイカー>ジ・アンダーテイカー(プロレスラー)]](2022年) ・[[武藤敬司]]/[[ザ・グレート・ムタ]](2023年) ・[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]](2025年) ◆今後、殿堂入りが見込まれる主な人物、ユニット(現役は除く) ビンス・マクマホン キラー・カーン オーエン・ハート ザ・ロック(ドゥエイン・ジョンソン) ウィリアム・リーガル ゴールダスト ジョーイ・スタイルズ ディーン・マレンコ リリアン・ガルシア ヴィッキー・ゲレロ セイブル マリース ジョン・シナ ブレイ・ワイアット サヴゥー ~番外~ ◎ウォリアー賞 2014年に殿堂入りし、直後に急逝したアルティメット・ウォリアーの名を冠した賞。 困難な状況においても(主に難病)勇猛果敢に挑み続ける勇者に贈られる。2015年より各年1名選出。 基本的にインダクターはダナ・ウォリアー(アルティメットウォリアーの未亡人)が務める。 ・コナー・”ザ・クラッシャー”ミハレック(2015年) 8歳で脳腫瘍により亡くなったダニエル・ブライアン好きの少年。 ◎レガシー部門 2016年よりスタート。 各国でプロレス業界を盛り上げてきた、特にWWEとは関係のない人物でも選出対象になる。 ・[[ルー・テーズ]](2016年) ・[[力道山]](2017年) ・ヒロ・マツダ(2018年) ・新間寿(2019年) ・[[スティーブ・ウィリアムス]](2020年) など ◆余談 [[藤波辰爾]]は、「選出されると3ヶ月に1度、WWEから映像等のロイヤリティの分配が生涯に渡って行われる」とコメントしており、単なる名誉でとどまるものではないと推測できる。 しかしその一方で、「殿堂入りしてからの1年間は他団体でのプロレス活動に一定の制限が設けられる」ということも話しており、これが嫌で選出を辞退する人もいるとか。 これが理由かどうかは不明だが、ザ・グレート・カブキが2016年に殿堂入り候補に挙がっていたが、辞退したとされている。 追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - ライガーが式典に参加してベイラーがプレゼンターってのが見たかった -- 名無し (2020-03-18 22:26:10) - 各人、ユニットに対する思い入れが強いのはわかるけど、一覧項目なんだから端的に書いてほしいですね。思いのたけは個別項目作って、そちらで思う存分書いてほしいです -- 名無しさん (2024-03-07 01:09:56) #comment #areaedit(end) }

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  1. ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難な為、ビンスが計らったとされている。
  2. ・アランドラ・ブレイズ(2015年)
  3. ・新間寿(2019年)
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  1. ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難な為、ビンスが計らったとされている。
  2. 2024年に死去。翌年にはMLBから永久追放処分が取り消され、今後野球殿堂入りの可能性が浮上した。
  3. ・アランドラ・ブレイズ(2015年)
  4. ・新間寿(2019年)
  5. ・[[スティーブ・ウィリアムス]](2020年)
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