登録日:2009/10/01 Thu 19:28:35
更新日:2024/03/11 Mon 06:52:25
所要時間:約 12 分で読めます
この子達が輪廻の環をくぐり再び転生するその時まで…
“明王の安慈”は負けるわけにはいかぬのだ!
悠久山安慈は漫画『
るろうに剣心』の登場人物。
目次
【プロフィール】
生年月日:弘化211月
年齢:34歳
身長:193cm
体重:110kg
血液型:A型
好きな言葉:救世
嫌いなこと:無益な殺生
CV:原康義
演:丸山智己
【概要】
外見は目の下の隈と全身を覆う筋肉が特徴。
僧兵に似た服装をまとい、頭には布を白い布を巻いている。
元は東北地方にあった貧乏寺の和尚で、この頃の安慈は、現在とは同一人物とは思えないほどの、ひょろっとした体で怒ることも苦手な優男であった。
しかし、後述の悲劇からこの世に「救世」をもたらす目的で志々雄の十本刀になることを受け入れた。
また、京都へ向かう途中であった
相楽左之助に
「二重の極み」を教えたのも彼。
左之助にとっては相楽総三に次ぐ第二の師匠とも言える人物。
【人物】
仏門に身を置きながら、不殺生の戒律を破った破戒僧。
元々は心優しい人物であったが、過去の悲惨な事件(後述)以来、明治政府を激しく憎んでおり、明治政府の打倒という共通の目的から、「生殺与奪」を条件に志々雄一派に与した。
過去の経緯もあってか、志々雄によると「十本刀中最も情け深い」と評されているが、一方で「その情けを遥かに凌駕する憤怒をもって動いている」とも評されている。
【戦闘能力】
「十本刀」の中でも
瀬田宗次郎、
魚沼宇水と並ぶ実力者であり、志々雄からも高く評価されている。
破壊の極意「二重の極み」を10年かけて会得しており、基本的に徒手空拳で戦闘を行う。
また、その分厚い筋肉の壁は
相楽左之助の打撃をものともしないほどで、左之助との対戦では一撃必殺の威力を誇る二重の極みを何発も受けても戦闘を続行していた。
技
驕るな、小僧。お前に教えたのは基礎中の基礎。
“極める”とはこういう事だ
安慈が10年かけて編み出した破壊の奥義。
大まかには一度目の打撃のみでは抵抗が生じて完全には破壊出来ないため(前述の通り岩だと砕けるだけに留まる)、
二重の極みにおいては、同じ個所へ超素早く二撃目を繰り出すことで完全に対象を破壊する…と言った趣旨の技。
作中では二撃目までの間は1/75秒とされている。
左之助は右手でしか(キネマ版では左手も)二重の極みを打てないが、安慈は全身の至る所で放つことができる。
作中では両手・両肩・両肘・両膝・両足で二重の極みを放っており、その気になれば頭突きでも放てると思われる(左之助の推測)。
再筆版ではなんと横隔膜でも二重の極みを使える。口から衝撃波を出すんだとか(炎を霧散させる対志々雄用の切り札)。
詳細は『
二重の極み』の項目を参照。
携帯した刀剣を地面に突き刺し二重の極みの衝撃を地面に伝えて間合いの外から攻撃する技
再筆で登場した二重の極みの応用。横隔膜で二重の極みを発生させることで口から衝撃波を放つ。対志々雄用の隠し球で、秘剣を破る奥の手。
再筆で登場した二重の極みの応用。手に持っている羂索を使い、水中に二重の極みの衝撃波を伝播させる。
PSP版ゲームでのオリジナル奥義。両手両足による二重の極みを放った後、最後に頭突きによる二重の極みを叩き込む五連撃。
打ち込まれた二重の極みに対し、その真裏から正拳を自ら打ち込む事で衝撃の伝道の拍子を崩して二重の極みをただの2連撃に緩和する防御法。
衝撃を完全にゼロには出来ないが、これを使用することで本来受けるダメージを大幅に減少させることが出来る。
左之助に二重の極みを打ち込まれた際に使用し驚愕させたが、後に左之助自身も極み外しを繰り出すことに成功している。
両手の掌で相手の頭部を挟み込み押し潰す技。
【来歴】
過去
元は東北地方にあった貧乏寺の和尚であり、身よりの無い子供達と一緒に過ごしていた。
しかし、廃仏毀釈により村長から立ち退きを迫られる。
村を去ることになったが、安慈らが引っ越しをする前、「ぐずぐずしてると他の村に明治政府からの恩恵を持って行かれる」と入れ知恵された村長の手により、子供達と共に寺を燃やされた。
この時、安慈は滝に打たれ、精神を清めていたところを寺が燃えてることに気づき、子供達を助けようとするも、村長の刺客に闇討ちされ、気絶してしまう。
御仏よ
この子達は これまでずっと辛い思いをしてきた……
どうかこれからは 幸多い未来を……
どうかこの子達に 御加護を……
しかし、安慈の祈りも虚しく次に目が覚めた時には既に手遅れで、子供達は無惨に焼け死んでいた。
このことにより"明王"の安慈が誕生することとなった。
その後5年に渡って体を徹底的に鍛え、村長を殺害し復讐を果たすが、事の発端でもある明治政府への恨みは晴れず、志々雄一派に加わる。
常に懐に持っている位牌は子供達のものであり、復讐の気持ちを忘れないための戒めである。
作中の活躍
下諏訪の森で修行をしていた所、剣心を追って京都へ向かっていた左之助と出会う。
力を求める左之助に対し、同じく明治政府を憎む者のよしみで1週間以内(当初は1ヵ月だったが左之助が1週間で十分と豪語したため)に修得出来なければ死んでもらうという厳しい条件で自らの技「二重の極み」を伝授する事を決意。
1週間後、倒れている左之助を見つけ、激しい修行により命を落としたと思った安慈はせめて供養しようと試みる。
しかし意識が戻った左之助は石に二重の極みを放って見せた。
満身創痍ながらも二重の極みを習得した左之助に驚愕しつつも大した男だと称賛し、ヒヨッコだったのが今は巣立つ若鳥のようだと思いながら剣心の元へ向かう左之助を見送った。
その後、志々雄真実から召集を受けアジトに帰還。
志々雄一派による京都大火の際は、作戦を失敗に導いた巻町操を十本刀・魚沼宇水が殺害しようとした瞬間に登場し、二重の極みで宇水の槍を破壊。
志々雄真実から生殺与奪の権を得ている為、無益な殺生はさせぬと主張する。
そしておよそ半刻(現在の時間で約1時間)の睨み合いの末、両者は撤退。
安慈の存在によって操は九死に一生を得る事となった。
比叡山のアジトにて左之助と再会。
決闘の1番手として巨大な不動明王像が供えられた自らの部屋「衆合の間」にて待ち構える。
自ら名乗りを上げた左之助に対し、互いに「敵」であったことに驚きつつも、安慈は自らの思う「救世」について語った。
破壊によって明治政府を滅ぼし、1度世界を無に帰して救うべき者を救い、罰するべき者を罰し、まず人の心から再生を計る、と言う安慈を左之助は一蹴し、拳で語る事を選択した。
右手の拳でしか二重の極みを発動出来ない左之助に対し全身のあらゆる箇所で二重の極みを発動できる安慈は「極めるとはこういう事だ」と言い放ち、終始圧倒する。
しかし、安慈が腹部に打ち込んだ二重の極みに対し、左之助は打ち込まれた箇所の反対側から衝撃を加えることで二重の極みの威力を減少させる極み外しを咄嗟に繰り出し、これに動揺した安慈はその隙を突かれ倒れる。
致命的な一撃を受けた安慈だったが、懐に入れていた寺の孤児達の位牌を見て再び立ち上がる。
更に戦いは激化し、両者共に精神が肉体を凌駕している状態で二重の極みを打ち合うが、左之助の編み出した三重の極みを受け、「死んだ子供達は救世なんか望んじゃいない」「お前の流した血に濡れて痛いって泣いてるじゃねえか」という言葉を聞いて戦意を喪失。
己の救世という暴走が、最も大切に思っていた子供たちをも苦しめているということを悟り、敗北を認めた。
志々雄の死後は警察に出頭。
剣心たちの嘆願もあり死刑は免れたものの懲役25年の判決を受けて北海道の仮設集治監で服役している。
作者は彼にはかなりの思い入れがあるらしく(その証拠に読み切り版では、彼に似た人物が何回か登場した)、
単行本の13巻の「制作秘話」にて、彼の後日談を書きたいとも言っていた。
ただし、北海道編で後日談が描かれた場合、死んでしまうはずだった。
そもそも左之助戦も別の展開が用意されていたらしいが「長くなりすぎる」という理由でカットされたという。
……そして本当に
北海道編が開始し、安慈も登場しているため死亡フラグが立った状態になっているが、果たして。
【主な人間関係】
僧侶時代に世話をしていた孤児達の内の1人。
安慈の目の下に塗られたススは彼女の遺体の物であり、10年以上経った北海道編でも未だに煤が取れないのは剣心の十字傷と同じく強すぎる念を込めて付けられたためだと思われる。
また安慈が手首に付けている細めの数珠は彼女の遺品。
安慈とは対照的に子供達には厳しく𠮟り、安慈に対しても「怒るときは心を鬼にして怒らなきゃ!和尚様はただでさえ人一倍優しい顔付きなんだから!」とはっきり言う快活な少女であった。
父親は戊辰戦争で政府軍と敵対していた元村長だった為、明治政府派の村長一味から「村の疫病神」と呼ばれその影響が安慈や一緒に暮らす孤児達にも及んでいることに心を痛めていた。
そして村長一味による放火事件を経て、上記の椿の言葉が奇しくも優しい和尚様であった安慈を「明王の安慈」に変貌させる引き金となってしまった。
弟子もどき。アジトでの決闘で「明王の安慈」としての人生に終止符を打った人物でもある。
二重の極みを伝授した。
左之助が森に迷い込んで来た時は食事を提供したり、二重の極みを習得した際には笑みを見せる等、彼との交流では憤怒に満ちた「明王の安慈」とは少し違った一面も見える。
安慈が所属する志々雄一派のボス。
明治政府打倒という共通の目的から傘下に入った。
安慈を十本刀3強の1人に数えアジトでの決闘の1番手に抜擢し、彼の部屋も用意する等、直接的な交流は少ないが高く評価されている。
【実写映画】
実写映画版では丸山智己氏が演じる。
京都大火編から登場しているが、本格的な活躍は伝説の最期編。
煉獄に乗り込んできた左之助と対峙。尚、本作では修行エピがない為、新京都編と同じく左之助とはこれが初対面である。
端的に言えば、
戌亥番神の上位互換と言うべき戦闘力を誇り、単純な格闘で左之助を半死半生にまで追い込んだ。
左之助の首を極め、トドメを刺そうとするが、咄嗟の機転で左之助は傍にあった油を頭から被り、尚且つ安慈の脇を擽るという方法で拘束から抜け出す。
隙の出来た安慈の股間にアッパーカットを決められる。安慈「アッーーーーーー!!」
そのまま安慈はトドメのスープレックスをかまされ失神。なんとも締まらない最後であった。
その後、立ち去る間際、捨て台詞をはこうとした左之助の目前で警官隊の放った砲弾が炸裂。この時に死亡した可能性が高い。
残念ながら二重の極みは使用せず(それっぽい攻撃は一度あったが)。
その代りなのか、志々雄が左之助に二重の極みらしき技を使った。
実写版の左之助にとっては二人目の聖職者との勝負だったりする。
本人も「キリシタン(番神)とやったことはあるけどよ、坊さんと戦うのは初めてだぜ」と自嘲している。
【余談】
作者も公言しているがモデルはアンジーというバンドのヴォーカル水戸華之介であり、
水戸華之介は目の回りを黒くメイクしバンダナを着用。
ちなみに名前も「アンジー」→「あんじ」→「安慈」である。
キャラデザに関しては早くから素案があったものの一つを採用しており、本編以前の読み切りにも酷似したデザインのモブ敵が登場している。
彼のテーマソングは「心は傷つき過ぎて」。安慈に相応しい、堪えきれない悲しみを表す曲である。流石は阿久悠先生
Wiki篭もりがこの項目を閲覧し、追記・修正するその時まで明王の安慈は負ける訳にいかぬのだ!
- 志々雄の支配下の世の中は、確かに救世もへったくれもないものだが、十本刀だったときの安慈は、それがたとえ目に入っても、脇に置いてしまうくらい、子供たちの仇の明治政府の世の中憎し、彼らのためにも力で以てそれを破壊して世の中変えるのがまず先決だ、という気持ちというか怨念が先立ち過ぎていたのじゃないかな。あの集団で一番紳士的、理知的に見えても、やはりどこか狂った部分があったから、世の中ひっくり返した後の方向性が合致しなければ反旗を翻すつもりながら、志々雄に与した。 -- 名無しさん (2016-09-29 15:01:56)
- 安慈と志々雄の方向性なんて合うはずないけどな。 -- 名無しさん (2016-09-29 16:18:44)
- 北海道編始まるらしいな。再登場しそうで楽しみだわ -- 名無しさん (2016-12-05 22:57:45)
- 北海道編やるってことは死亡フラグが立ったということでもあるんだよなぁ… -- 名無しさん (2017-01-04 22:49:50)
- 左之助が認める以上に尊敬する数少ない男。明治政府に恨みを持つシンパシーを感じるのと、同じ男として信念を持ち極めた男への敬意もあるんだろうな。 -- 名無しさん (2017-09-27 20:12:05)
- ↑4安慈の望む世界は弱者でも生きれる綺麗な世界、志々雄が望むのは純粋に強い奴がのさばる世界だからなぁ。絶対合わない。 -- 名無しさん (2018-04-16 01:40:10)
- まさか椿さんも、自分の一言で、安慈があんなことになるとは思ってなかったろうな……; -- 名無しさん (2018-04-16 09:24:40)
- 安慈の物語の続きと締めくくり、勿論宗次郎や不二、縁もだけど、を見るためにも、北海道編の復活は嬉しい。 -- 名無しさん (2018-04-28 23:25:14)
- アニメだと過去の話を1話使ったり、死んだ子たちが現れて改心したけど。見るのが辛かった。 -- 名無しさん (2019-11-11 02:57:00)
- 二重の極みって修羅の門の無空波の上位互換かも。破壊力はこちらが上でさらに極めれば手足以外に短刀等でも使用可能だから。最も当たらなければ良いと言う点は同じですが -- 名無しさん (2020-03-21 09:41:22)
- 二重の極みの解説部分で「二重の極み同士だと相殺する」的な事が書かれてるがそんな描写は本編中に一度も無かったはずだが…二重の極みを食らう瞬間に自身に拳打(二重の極みじゃない)を入れる事で二撃目の伝導を崩して無効にする「極み外し」を曲解、あるいは記憶違いしてないか? -- 名無しさん (2020-07-10 14:29:49)
- 政府への復讐心に燃えて止まれない反面、目の前で子供と言える年齢の人がひどい目にあわされるのは我慢ならんという優しさも残り続けてた人でもあるんよな。 -- 名無しさん (2020-10-01 09:23:01)
- 単純に明治政府に対してだけの憎しみじゃないからこそ、志々雄一派ともシンパシーを感じたんじゃないかな。確かに志々雄の考える弱肉強食は安慈にとって相容れない理想だろうけど、それはそれとして人間の弱さに対する怒りも安慈の中にはあったはず。新月村の住人みたいな連中は安慈からすればかつての村長を思わせる一等嫌いな人間だろうし。 -- 名無しさん (2020-10-17 06:34:13)
- ↑ 村長は営利目的だけど、新月村の住人は生きるために従属以外の選択がない(団結しても絶対に勝てない、逃げても殺される)から同列に扱うのはさすがに酷だわ -- 名無しさん (2021-02-16 08:48:09)
- ↑どちらも自分たちさえ良ければ、都合の悪い存在がどうなろうと顧みない、という点では同じ事。新月村はそうするしか無かったとはいえ、全部尖角のせいにして自分たちは犠牲者としてのうのうと振る舞っているわけだし。 -- 名無しさん (2021-02-28 03:32:23)
- あの志々雄も安慈と戦って無傷で済む奴は居ない…と断言した程。そしてその力の源は慈愛と憤怒と悲哀にこそある御仁。 -- 名無しさん (2021-06-13 16:49:25)
- 村長を殺害した際に南無阿弥陀仏とお経を唱えているから宗派は浄土宗系なのかな -- 名無しさん (2021-08-18 10:18:56)
- 北海道編が死亡フラグとはわかってるけど、それなりに笑顔見せれるようになってるのは少し嬉しかった -- 名無しさん (2021-08-18 19:54:14)
- コメント欄が長くなったので、コメント欄をログ化したいと考えています。 -- 名無しさん (2021-09-02 00:57:25)
- コメント欄をログ化仕様にしました -- (名無しさん) 2021-09-09 03:23:49
- 二重の極みを口から離れるのならもうちょっと頑張れば肛門からも放てそう -- (名無しさん) 2021-09-09 09:45:27
- 二屁(ふたへ)の極みか… -- (名無しさん) 2022-01-18 02:00:21
- 最近、筋トレをしていて「なるほど、和尚、御仏の教えを捨てたからこそ肉が食えるようになってヒョロガリからあんなムキムキになれたんだな……」とプロテイン飲みながら思った。 -- (名無しさん) 2022-02-04 15:23:27
- 遂に遠当てが陸震の正式名称化して北海道編で披露されたな -- (名無しさん) 2023-01-13 08:19:38
- 北海道編で安慈に本当の意味での救済があるとしたら、輪廻の環をくぐって転生した椿たちと再会することだと思う。というかできたらそうなってほしい。 -- (名無しさん) 2023-02-19 15:08:42
- (尺の都合上あの描写も仕方ないけど)実写版の和尚は多分原作の元は仏のようだった人ではなく最初から鬼の純粋な破戒僧(当然あの過去も無い)、だと思いたい… -- (名無しさん) 2023-03-04 07:29:33
- 総身使えば宇水も余裕で倒せるんじゃね -- (名無しさん) 2023-03-12 13:59:51
- 安慈和尚は倒すのになんら問題ない相手にこそ持ち前の破壊力を活かせるだろうな。左之助は自分の痛みや苦しみに向き合ってきた良い奴だったからそれができなかった。 -- (名無しさん) 2023-04-04 11:17:56
- ↑2 筋肉を用いる技な以上、心眼で容易に察知されて当たらんでしょ。そもそも反応速度に天地の差があるし -- (名無しさん) 2023-06-03 23:53:58
- 相手が悪鬼の類なら本気で潰しにかかれるんだろうな -- (名無しさん) 2024-03-11 07:15:16