登録日:2012/01/27(金) 23:03:58
更新日:2024/10/19 Sat 23:01:04
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【来歴】
1935年満州生まれ。東宝には1959年に入社し、助監督となる。
1962年の「
キングコング対ゴジラ」より特撮班に配属。
円谷英二に気に入られたらしく、以降実質的に特撮班専属となる。
1969年、「クレージーの大爆発」で
特技監督デビュー。1970年代から1980年代の
東宝特撮を川北監督と共に支える。
2022年6月27日、86歳で亡くなる。
【作品、作風について】
「爆発の中野」の異名があり、その名の通りダイナミックにして鮮やかな爆発に定評がある。
特に「
メカゴジラの逆襲」のセットに穴を空けての爆発や、「
東京湾炎上」の鮮やかな爆発と炎は一見の価値がある。
また、「日本沈没」に代表される災害・スペクタクル物に強く、「日本沈没」の特撮はアジアの映画祭で賞を取ったらしい。
ゴジラシリーズでは、世の中はヒーロー全盛期で
ゴジラもそういう路線を取っていたことから殺陣を導入し、肉弾戦を主体にした演出を手掛けている。
ここらへんは光線主体で接近戦は野性味溢れる演出をした川北監督と対照的である。
また、予算が限られた「
ゴジラ対メガロ」のような作品では、
一点豪華主義と銘打って特定の見せ場に集中的に力を入れて全体を盛り上げるという手法を使っている。
結果、使い回しまくりでグダグダしてると批判されがちなメガロでも、上記の手法で撮られたオープンセットによるダム破壊シーンはそれなりに評価されている。
反面、細かい場面や光学合成には弱く、合成は
川北氏に任せていたり、見事な場面の次の場面がやたらショボかったりとややバランスが悪い時はある。
【評価について】
その良くも悪くもダイナミックな特撮や、予算が少なく子供向け路線を取っていた1970年代
ゴジラシリーズの
特技監督であったせいか、
かつてはやたら酷評されていた。
特に1980年前後から活発だった特撮のリバイバルブームでは、1950~60年代の作品の再評価が進む一方、1970年代の作品は代わりに評価が著しく低かった。
中野氏はそういう時代の流れのとばっちりを受けた恰好である。
現在では1970年代の作品も時代背景も含めた再評価が進んでいるので、前よりは評価も上がってきているようである。
【その他】
本人は気さくで人の良い性格で、上記の酷評されてた時代ではその評価を甘んじて受けてたらしい。
また、近年では雑誌取材やDVDのオーコメや特典映像にも度々出演している。
北朝鮮に一部のスタッフやスーツアクター共々呼ばれて、怪獣映画「プルガサリ」の
特技監督を務めた。
そのせいか「プルガサリ」は日本でもビデオやDVDが発売、レンタルされており、日本で気軽に見られる数少ない北朝鮮映画になっている。
フリーの時期があり、その時期に東映の戦争映画の
特技監督もしている。
東宝特撮の
特技監督はあまり他社作品には参加していないため、結構珍しい。
「日本沈没」の撮影では、荒れた海の表現のために水に
ビールを混ぜた(水が泡立ちやや粘りも出るらしい)。
そのために
プールの周りは酒臭くなり、酔うスタッフもいたとか。
近年、自伝も発売された。
中野特撮が好きな方は爆発しながら追記・修正をお願いします。
- この人の爆発、大好き。 -- 名無しさん (2013-09-12 13:27:10)
- 海の波はビールだったのか…発想がすげえ -- 名無しさん (2016-09-29 10:12:52)
- 上記のリバイバルブーム期の「酷評」の最たるものが『大特撮』という書物で、70年代の中野氏の功績と苦闘を完全に無視したえげつない本だった。70年代の東宝特撮が総体的にショボいのはひとえに低予算だからで、個人の努力や才能ではどうにもならなかったんだよね。 -- 名無しさん (2020-05-16 11:21:07)
- 特撮のDNA展の会場でインタビュー映像が流れてたけどすごく -- 名無しさん (2020-05-16 12:34:12)
- ↑失礼 すごく気さくだし特撮に対して真摯な良い人だった -- 名無しさん (2020-05-16 12:36:11)
- 「首都消失」のパンフのエッセーを読むと、特に「爆発」効果についてこの人が並々ならぬ知識量を誇っていたことが分かる(ガラス材を火薬に混ぜれば火山噴火の描写がよりリアルになる、等)。もっとも「首都消失」には爆発シーンは出てこないけど。 -- 名無しさん (2020-05-17 16:02:21)
- ご冥福をお祈りいたします -- 名無しさん (2022-07-06 14:27:24)
最終更新:2024年10月19日 23:01