登録日:2011/07/03 Sun 05:38:18
更新日:2025/02/27 Thu 12:10:07
所要時間:約 7 分で読めます
1971年に結成し、1973年にデビュー。1991年11月のフレディ・マーキュリー死去に伴い活動停止。
ただし、それ以降もギターのブライアンとドラムのロジャーの二人は活動を継続しており、正式な解散発表は一度もない。
彼らがロック界、音楽界へ与えた影響は大きく、まさにロック界の女王と呼ぶにふさわしい。
【概要】
多重録音されたギター、分厚く聞き応えのあるコーラス、クラシック風味の曲作り、ファンタジックな歌詞、ジャンルの垣根を超えた作風が特徴。
この様式は二枚目のアルバム『クイーンⅡ』(74年)において完成している。
1975年にはクイーンのオペラ風路線の傑作、音楽史に残る名曲『ボヘミアン・ラプソディ』を発表。
更に1977年、今までのクラシック風味の曲からシンプルなロックに移行した『世界に捧ぐ』を発表。
さらに1980年バンド初のシンセサイザー本格使用アルバム『ザ・ゲーム』発表。
中でも『地獄へ道連れ』はクイーンにおけるロックというイメージを覆した。
1982年に発表された『ホット・スペース』以降ソロ活動の開始などもあり低迷が続き、解散説まで飛び出ることに。
84年の『ザ・ワークス』を発表したあたりから復調、世界的な一大音楽イベント『ライブ・エイド』において、名だたるアーティストたちを圧倒するライブを魅せた。
しかし86年夏ごろ、ライブバンドとしても頂点にたつ最中、ボーカルのフレディは自分に残された時間が少ないことを知る。
新作の録音を急ぎ、状況を知ったメンバーも一致団結。1989年に『ザ・ミラクル』、1991年にフレディ在籍のクイーン最後のアルバム『イニュエンドウ』を発表した。
そして1991年11月にフレディ・マーキュリー死去。
バンドは翌年フレディ追悼コンサートを行い、95年には『
メイド・イン・ヘブン』を発表。
ベースのジョンはフレディの死去および音楽業界全般に嫌気がさし、1997年にボーカルにエルトン・ジョンを迎えたコンサートを最後に引退。
残った二人は今なお精力的に活動している。
因みに活動時期の近いパンクロックバンド「セックス・ピストルズ」と仲が悪かったと言われる事もあるがこれは当時のメディアが囃し立てていただけで実際の所そこまで仲は悪くなかったらしい。
ただしフレディはパンクを非常に嫌っていた事とメンバー全員シド・ヴィシャスを嫌っていた事は事実。
【メンバー】
●フレディ・マーキュリー
ボーカル&ピアノ
前歯が特徴的で70年代は長髪だったが徐々に短くなり、80年代以降は
漢らしい髭を生やし短髪に。
生名はファルーク・バルサラであるがQUEENとして活動する事を境に改名している。
メンバー中唯一
イギリス出身ではなく、インド出身。
その事を非常に気にしていたらしく、インド出身である事はメンバー間でもタブーとなっていたとの事。
元々はバイセクシュアルであるが、70年代前半にゲイと自覚し、当時付き合っていたメアリー・オースティンと別れている。
とてつもない程の親日家で、お忍びで来日したこともある。後述するが、
日本語の歌詞が入った曲も作っている。家には日本茶常備。
パワフルな歌声に個性的なパフォーマンスが素晴らしく、
今なお世界最高峰の歌手として名高い。もちろん
女装もね。
70年代は繊細で裏声を多用した歌い方だったが、80年代からはボイストレーニングを始め野太くパワフルな歌声へと変わっている。
『
キラー・クイーン』『ボヘミアン・ラプソディー』『愛にすべてを』『伝説のチャンピオン』等々名曲の数々を生み出すなどQUEENの独自性の象徴という面が強いが、後半はやや作曲のペースが落ち込んでおり、シングル曲もロジャーやブライアンに譲る事が多かった。
様々な名曲を生み出した稀代の天才は1991年11月24日にエイズによる合併症、ニューモシスチス肺炎によって自宅で息を引き取った。享年45。
●ブライアン・メイ
ギター&ボーカル
ピアノも弾くことができ、『手をとりあって』『セイヴ・ミー』で披露している。
メンバー1の長身(187cm)。
作曲面においては『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『ハマー・トゥー・フォール』など、QUEENのロックな面を代表しているが、
まれに『セイブ・ミー』『ショー・マスト・ゴー・オン』などの極上バラードを作曲したりする。
ただ彼が作るラブソングはちょっと理屈っぽい。
そしてブライアンを語る上で欠かせないのが彼のギター、
レッドスペシャル。
友人の家の暖炉からもらった木(当時で100年前のものらしい)をベースにエンジニアをしていた父と共同で作ったものである。
このレッドスペシャルによるギター・オーケストレーションで数多くの楽曲を彩った。
初期のアルバムのクレジットに「ノー・シンセサイザー」と描かれる理由の一つでもある。
このギターでブライアンは数々の名ギターソロを生む。
ギターを弾くとき硬貨を使用するのはあまりにも有名。本人曰く「手首の動きを伝えやすいから」とか。
その為、一聴してそれと解る特徴のあるトーンである。
一方、『'39』ではリードボーカルを務めるなどボーカリストとしての一面も持っており、ライブでは低音コーラスをとり後述のロジャーと共にフレディを支えた。
若い頃はバンドと中学の物理教師を掛け持ちしていた宇宙科学者でもあり、還暦を過ぎてから論文を完成させて母校(名門インペリアルカレッジ)の博士号を取得。
JAXA以上の発信力で世界に向かって「
はやぶさ2」情報を拡散している。
自身より若いロックバンドとの共演にも積極的であり、「FOO FIGHTERS」や「MY CHEMICAL ROMANCE」などともコラボ経験がある。
●ジョン・ディーコン
ベース。
だが元々はギタリストであり、更にドラムもこなせるマルチプレイヤー。『ステイング・パワー』でギターを弾く姿を確認できる。
ただ音痴との事で歌う事は苦手としている。MVで歌っているように見えるシーンも彼だけコーラスに参加していない。
ライブではマイクが切られた。
カントリーやフォークが大嫌い。
学生時代はバイトをしながら音楽活動に打ち込んでいたが父親の急死を境に音楽から離れ学業に専念していた所を友人の紹介でQUEENのオーディションを受ける事になりメンバーとなる。
因みに元々ブライアン、ロジャーとは顔見知りであった。
80年代は短パン、半袖でライブをしている事が多い。
バンドでは最年少ながらもその温厚な性格で幾度もバンド解散の危機を繋ぎ止め、特に経済面には欠かせない重要な存在であった。
六児のパパ。
作曲面においては一般的に寡作と言われているが、『地獄へ道連れ』、『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』等を出したヒットメイカーである。
前者はシングル曲としては最大級のヒット、後者は第三世界でバカウケするなど当たると物凄いヒットになるのが特徴。
とはいえ『永遠の翼』や『恋のゆくえ』等一般的にはヒットしていないがファンからの評価は高い所謂“隠れた名曲”も多く生み出している。
「フレディ以外にQUEENのボーカルは考えられない」と発言する程フレディの事を尊敬しており、1997年のエルトン・ジョンとの共演を最後に音楽業界から引退している。
現在はメンバー間での連絡も殆ど取っていないらしく、映画「
ボヘミアン・ラプソディ」には初期段階の脚本の監修を行ったぐらいでその後は関与していない。
●ロジャー・テイラー
ドラム&ボーカル
ブロンドヘアー(地毛は黒!)のバンド一女にモテる男で生粋のロックンローラー。
正確かつパワフルなドラムでバンドを支えた。
元々ギタリストで、レコーディングでは自身が作った曲のギターを自分で弾いていたりする。
少年時代は聖歌隊に所属しておりコーラスでは高音を担う。
初期は余りヒット曲に恵まれなかったが『RADIO GAGA』以降『カインド・オブ・マジック』『インビジブル・マン』や『ブレイクスルー』などポップでキャッチーな楽曲を多数作り後期QUEENを支えた。
先鋭的なものを好む方針があり、80年代はシンセサイザーを積極的に取り入れた。
あの
YOSHIKIとコラボしてシングルCDをリリースしたことも。
1999年には当時としては非常に珍しかったネット配信ライブを実施している。
また、バンド「ザ・クロス」を結成する等ソロ活動も積極的に行っていた。
女性と見まごうほどの美貌・美脚もあってか、
『I Want To Break Free』のPVでの女装は、メンバーの中で一番ハマっており、
あまり可愛すぎたロジャーを見てメンバーが爆笑したという。
現在は加齢のせいか多少太ったが、その
イケメンぶりはほとんど衰えていない。
前述の女装もセルフパロディを実施した。
ここまでで気づいたかと思うが、オリジナルメンバー四人は全員ナンバーワン獲得曲を作った極上の作曲家でもある。
【キーボード】
アルバムでシンセサイザーを使用するようになってもライブでは4人で演奏していたが『Hot Space Tour』でバンドはキーボード奏者を招くことを決断。以降のライブは5人で演奏している。
ライブ・アルバムでは真っ先に小さくされる。
●モーガン・フィッシャー
モット・ザ・フープルのピアノ。初期のQUEENはモット・ザ・フープルの前座としてライブをしていたことや、かつて活動していたモーガンというバンドをスマイル時代のボーカル、ティム・スタッフェルと結成したことなど以前から関わりがあった。
『Hot Space Tour』の欧州公演に参加。
ミルトン・キーンズ公演のシンセはこの人。
●フレッド・マンデル
スタジオ・ミュージシャン。アリス・クーパーのソロライブに同行していたほか、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のレコーディングにも参加している。
ツアー後、フレディとブライアンのソロ・アルバムのレコーディングに参加している。
『Hot Space Tour』の北米・日本公演だけでなく『ザ・ワークス』のレコーディングにも参加。
所沢公演のシンセはこの人。
●スパイク・エドニー
ミュージシャン。70年代はザ・タイムスなどのバンドのレコーディングに参加。
1984年の『The Works Tour』から現在までQUEENのライブを支えている。
ライブではシンセサイザーだけでなくギターを弾くほか、コーラスにも加わっている。
『ロック・イン・リオ』『ライブ・エイド』のほかブダペスト公演、ウェンブリーの二日間もこの人。
【「QUEEN+○○」メンバー】
フレディの没後は、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが中心となり、新たなボーカリストを迎えた『QUEEN+○○(ボーカリスト名)』という名義で活動している。
その中でも世界ツアーを行った二人を紹介する。
●ポール・ロジャース※2004年~2009年まで活動。
ブルースロックバンド、フリーとバッド・カンパニーの元ボーカリスト。
2004年より「クイーン+ポール・ロジャース」名義でアルバムを発表、世界ツアーも行った。
ブルースをルーツにしていることもあり、フレディより良い意味で”古い”フェイクを混じえた歌唱が特徴。
その場で歌った鼻歌が名曲になる、と言われるほどの歌唱力を持つ。
フレディとは異なるキャラクター性に賛否はあるが、世界ツアーを成功させるなど、現在までの活動を繋いだ功労者である。
若い頃はディープ・パープルのボーカル候補だったが、本人がバッド・カンパニーの活動に専念するため断った。
(後にロック・エイド・アルメニアにて共演した。この時ブライアンもメンバーの一人として参加していた)
●アダム・ランバート※2012年より活動。
子役、舞台俳優として活動後、ミュージカル俳優およびロックバンドThe Citizen Vainのフロントマンとして活躍。
オーディション番組「アメリカン・アイドル」で「ボヘミアン・ラプソディ」を披露したところ、ゲスト出演していたブライアン・ロジャーの二人がその才能に惚れこみ、メインボーカルとして招聘。
以降「クイーン+アダム・ランバート」名義で活動を開始し、日本を含む全世界でツアーを実施している。
色気のあるパフォーマンスと世界有数の高い歌唱力が特徴で、現在のバンドを支えるフロントマンとして活躍している。
自身も同性愛者であることをカミングアウトしている。
【日本との関係】
フレディの項でもあるように、
日本との関係がこの時代の洋楽アーティストとしては珍しく深めなのが特徴の一つでもある。
これには理由があり、三枚目のアルバムである『シアー・ハート・アタック』が大ヒットし全米ツアーをやる事となったが、フレディが喉を壊してしまい数公演がキャンセルとなってしまったり、一作目からずっと音楽評論家からはクソミソに言われ続け、
さらにマネジメント会社ともトラブルを抱えるなどバンドには逆風が吹き荒れ、メンバーは士気阻喪状態となっていた。
そんな1975年4月、武道館公演で来日した際の日本で待ち受けていたのは「英国からやってきたスーパースター」としての待遇であった。
空港には出待ち1200人、東京タワーに観光に行けば子供が群がりホテルに缶詰状態を余儀なくされるなど、まさに「ビッグ・イン・ジャパン」であった。
なんでこんなに当時本国すら凌駕する人気があったか?というと、前述の注釈の通りに当時の洋楽マニアの世論を半ば策定していたとさえ言われる雑誌「ミュージックライフ」がQUEENをゴリ押ししていたからであった。
また、当時
宝塚歌劇団で人気を博していたミュージカル「
ベルサイユのばら」を彷彿させるビジュアルも非常にウケたとか。
これらに日本にありがちな
海外スターワッショイワッショイするミーハー基質が合わさって、本国での地位以上のスーパースターとして遇するという事態につながったのであった。
前述の通り、士気阻喪状態だったフレディ以下メンバーはスター扱いされて一気にやる気を取り戻すことが出来た。
やる気が出たついでにマネジメント会社とのトラブルもきっちり解決。
そして余裕が出たところで遮二無二作り上げたアルバムこそが『オペラ座の夜』であり、そのアルバムの代表曲こそがかの『ボヘミアン・ラプソディ』であった。
こうして半ばビッグ・イン・ジャパン化ルートに足を突っ込んでいた状態から世界的アーティストへと飛躍していった、という経緯があるため、メンバーはフレディ以外も基本的に親日家である。
後述の楽曲以外にもツアーで来日した際にセットリストを日本ファン好みに調整したり、ベストアルバムに日本盤限定ボーナストラックを入れたりと特別視してくれていた。
現在でもCMソングでちょくちょく起用されるのは他の洋楽アーティストより向こうからの許可が降りやすいということもあるという。ちなみにパチンコにもなっている。
1980年代に入って貴公子フレディがヒゲマッチョになって人気が落ち着いても、南アフリカでライブをやって爪弾きにされたり、リオのフェスで『ブレイク・フリー』を歌った時にサービスのつもりでPV再現の女装で出ていったら総スカンを喰らったりして失意の中日本ツアーに来たらいつものように呑気な感じで迎えてもらって少し気分転換になった部分があったり、
いきなり21世紀に入って人気が爆発して、それに触発されたかのようにポール・ロジャースやアダム・ランバートを迎えてツアーを始めるなど節目節目で日本が多少なりとも影響を与えていたりする。
2024年には
GLAYと対バンをやったりもしてる。
TERUはQUEENの事をキュイーンと呼んでいたらしい
余談だが、特に親日家のフレディは新宿二丁目に行きつけのバーがあったそうである。
また、ロジャーとジョンの2名は『
笑っていいとも!』にもゲスト出演経験があったり。
【アルバム】
戦慄の王女(QUEEN) 1973年7月13日
記念すべき1stアルバムだが、諸般の事情でリリースが完成から二年近く遅れてしまい陳腐化してしまう。
結果的に
イギリスの評論家にケチを付けられ、メンバーも後年このアルバムについて不満を漏らすなど悔いが残る嚆矢となってしまったが、多重コーラスやギターオーケストレーションを活用した、シンセサイザーを使わない音作りはこの頃から既に発揮されている。
2024年には再構築され『Queen I』として発売された。
ちなみにいくつかの曲はメンバー全員で作り上げたのだが作詞・作曲には作詞者もしくは曲を思いついたメンバーが記載されるということになった。
ハードロックナンバー
初めてPVが作られた曲。
ライブでは1970年から披露されており79年にソロより後が省略されるも81年までセットリストの常連。
84~85年からは短縮して演奏された。
2.Doing All Right
3.Great King Rat
(Mad The Swine)
4.My Fairy King
This is a simple little song entitled
Liar!!
ハードロックナンバー
当初はラバー(Lover)というタイトルだった。
長いイントロが特徴的でスタジオ音源は約6分半。
ライブでは1970年から演奏されていたのだが、徐々に長くなり、76年頃には9分程になっていた.
78年にセットリストから外された後はライブで披露されるたび短くなり、86年にはイントロのみの約20秒だけになってしまった。
6.The Night Comes Down
7.Modern Times Rock'n'Roll
8.Son and Daughter
9.Jesus
10.Seven Seas of Rhye...
クイーンⅡ(QUEENⅡ) 1974年3月8日
捲土重来を期した2ndアルバム。
レコード面をブライアンらが中心になって作った楽曲を収録したサイドホワイトと
フレディが作った楽曲を収録したサイドブラックに分けるなど白と黒一対のコンセプトを徹底したアルバム。
評論家は相変わらずだったが、アクセル・ローズは「棺にこのアルバムを入れてくれよ」という程のお気に入りだという。
初期クイーンサウンドはこの時点でほぼ完成されており、「オペラ座の夜」に勝るとも劣らない人気を誇る名作。
1.Procession
2.Father to Son
3.White Queen (As It Began)
4.Some Day One Day
5.Loser in the End
邦題の括弧書きのように人食い鬼との闘いを歌ったロックナンバー
初期の人気曲でライブでは1972年から77年まで披露された。
7.The Fairy Feller's Master-Stroke
8.Nevermore
『ボヘミアン・ラプソディー』の前身ともいわれる複雑な構成の曲でファンからの根強い人気を持つ。
ライブではハード調のパートがメドレーの一部として披露されたほか、観客からのリクエストでイントロのみ演奏することもあった。
10.Funny How Love is
イントロのピアノが特徴的なロック。
全
英シングルチャート最高10位を記録したQUEEN初のヒット曲。
ライブでは1974年から76年までフルで、84年から短縮されて演奏された。
シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack) 1974年11月8日
先行シングルの『キラー・クイーン』が結果を残して発売された3rdアルバム。
アメリカでもそこそこの売れ行きを残し
イギリスから世界を視野に入れる事ができた、といえるアルバムとなった。
当時のメンバーはインタビューで「先の二枚とこのアルバムの冒頭2曲でとりあえずやりたいことは全部やった」と語っており、この後の全米ツアーの顛末やらなんやらを含めてモチベが一旦萎えかけていたのかもしれない。
レコーディング中にブライアンが胃潰瘍で離脱したため、あとで付け足すために何曲かはギターをレコーディングしないまま仕上げたとか。
ちなみにアルバム名になったシアー・ハート・アタックだが、同名の楽曲は録音こそこの時期に行われているもののこのアルバムに収録されていないので注意しよう。
1.Brighton Rock
フレディが珍しく歌詞から作ったグラムロック。
QUEEN初の大ヒット曲で、輝かしいスター街道の始まりとなった。
ライブでは実は一度もフルで演奏されたことがなく、必ずほかの曲とのメドレーで披露された。
3.Tenement Funster
4.Flick Of The Wrist
5.Lily Of The Valley
メイ作曲のミドルテンポのロック。
ライブではほぼすべてで披露され、『ドラゴン・アタック』や『プット・アウト・ザ・ファイア』を曲中に挟むこともあった。
7.In The Lap Of The Gods
9.Dear Friends
10.Misfire
11.Bring Back That Leroy Brown
12.She Makes Me (Stormtrooper in Stilettos)
13.In the Lap of the Gods...Revisited
オペラ座の夜(A Night at the Opera) 1975年11月21日
ついに
イギリスチャート1位を獲得した記念すべき4thアルバム。
先行シングルの『ボヘミアン・ラプソディ』はその特異性や複雑な構成が受けて9週連続1位を獲得。
世界でも大いに売れるなどついに世界レベルのタレントへと昇華したといっても良い結果を残す。
このアルバムも無論世界で大いに売れに売れ、QUEENの数あるアルバムの中でも屈指の名盤と評価が高い。
ブライアン曰く「このアルバムがとちったら解散していた」という渾身の一作であった。
1.Death On Two Legs (Dedicated To...)
2.Lazing On A Sunday Afternoon
3.I'm In Love With My Car
4.You're My Best Friend
ブライアン作詞作曲だが珍しくほぼ全編に渡ってアコースティックギターで構成されている1曲。
日本での知名度は低めだが本国
イギリスや
アメリカでの人気が高い。
ライブでは1976年から79年まで披露され、その後もリクエストされる事も多かった
がフレディは歌詞を忘れてしまった。
因みに内容は相対性理論のウラシマ効果について歌った曲。
6.Sweet Lady
7.Seaside Rendezvous
8.The Prophet's Song
フレディが当時の恋人へ送ったバラード。
ライブではキーを下げメイのアコースティックギターに合わせてフレディが歌う。
1977年から欠かさず披露され、80年代は観客の大合唱とフレディのさぼりが特徴的。
10.Good Company
バラード、オペラ、ハードロックのトリプルコンボな大名曲。
この曲のコーラスはブライアン、ロジャー、フレディの三人で行われ、180回以上の録音では1日12時間以上歌い続けたという。
演奏時間6分は当時としては長時間の部類に入った。
有名なプロモーションビデオがあるが、これは商業目的で制作した世界初の作品とされる。
ライブではいかに披露するか四苦八苦しており、ロックパートがオープニングを務めバラードパートはメドレーに組み込まれることもあった。その後バラード→オペラ(テープ)→ロック→アウトロと演奏される形に落ち着いた。アカペラパートは泣いていい
12.God Save The Queen
華麗なるレース(A Day at the Races) 1976年12月18日
前作のオペラ座の夜と対になったコンセプトの5thアルバム。今作はQUEENのメンバーによる初のセルフプロデュースとなった。
サビが
日本語詞で有名な『手をとりあって』が初収録されたのもこのアルバム。
ビルボードでも1位を取るなど、初期QUEENのピークとなった。
1.Tie Your Mother Down
2.You Take My Breath Away
3.Long Away
4.The Millionaire Waltz
5.You And I
アレサ・フランクリンに大きな影響を受けたゴスペルチックな一曲。
QUEENの特徴であるコーラスを存分に楽しめる。
歌詞が切実すぎる。
フレディが最も気に入っている曲だったらしい。
7.White Man
オペラチックでポップなラブソング。
サビが第三者による煽りという中々珍しい構成となっておりQUEENの特徴を表した1曲。
因みに
イギリスBBCで披露された時はややテンポが早くなっている。
「マツコ&有吉 かりそめ天国」の冒頭で流れているのはこの曲。
9.Drowse
- 手を取りあって(Teo Torriatte (Let Us Cling Together))
5作目のアルバム「華麗なるレース」に収録。サビに
日本語が入っている。
この手の曲は当時結構他の外タレも歌ってはいたが、日本限定シングルだったりするのが常であった。
しかしこれは前述の通り世界に向けて放たれたアルバムに収録、ということで日本のファンは大いに沸き上がり、華麗なるレースはオリコン初登場1位を飾り、日本でのQueen人気の絶頂を飾るアルバムとなったのであった。
2020東京オリンピックの開会式でもこの曲が流された。
ライブでは発売後の来日となった1979年から来日公演の後半で
フレディが歌詞カードをガン見しながら披露されている。
世界に捧ぐ(News Of The World) 1977年10月28日
今までにあった一種の閉鎖性や複雑なスタイルを変え、
外部から様々な音楽を積極的に取り入れ始めた中期の始まりとなった6thアルバム。
世界のスポーツアンセムとなった『ウィー・ウィル・ロック・ユー』と『伝説のチャンピオン』が1曲めと2曲めを飾る、強い(確信)
他にもようやく収録された『シアー・ハート・アタック』や『永遠の翼』など名曲揃いである。
イギリスと
アメリカの売上が逆転するなど、アメリカ人好みに変容していったと言えるだろうか。
『シアー・ハート・アタック』が収録されているのはこちらである。
このアルバムからノー・シンセサイザーのクレジットが抜けている。
「ズンズンチャ、ズンズンチャ」といえばわかるだろう名曲。
別の楽曲『ストーン・コールド・クレイジー』と並びラップの原形とも言えるボーカルとブライアンのギターが光る。
ライブではスタジオバージョンの他にロック調のファストバージョン、オープニング用のスローバージョンの三種類が披露された。
優勝したら流れるアレといえば皆さんご存知な一曲。
華麗なるレースの時点で完成はしていたが「まだ早いな」というフレディの考えでここまで寝かされていた。
クイーンの中でもバリバリのハードロックな曲である。アルバムタイトルなのにここまで寝かされていた。
ライブではアンコールで披露され、フレディがステージ上でスピーカーを倒したりマイクスタンド(ブライアン・ジョン用)を倒した結果フレディのマイクが切れたり曲がったりと大暴れする。
4.All Dead, All Dead
ジョン・ディーコンが作詞作曲した中で好きな曲は?と聞かれると必ず上位に来る名曲。
ジョン自身の半生を歌った曲と言われており、イントロのピアノ演奏はジョンが演奏している。
因みにMVの撮影場所は『ウィー・ウィル・ロック・ユー』と同じロジャー邸の庭である。
6.Fight From The Inside
7.Get Down, Make Love
8.Sleeping On The Sidewalk
9.Who Needs you
10.It's Late
11.My Melancholy Blues
ジャズ(Jazz) 1978年11月14日
様々なジャンルの曲が目白押しな7thアルバム。
『バイシクル・レース』や『ドント・ストップ・ミー・ナウ』など有名曲が多数収録されている。
ちなみに意味するところは音楽ジャンルではなく「ナンセンス」などの意味がある俗語の方である。
1.Mustapha
後述の『バイシクル・レース』と共に両A面で先行リリースされた。
タイトル通りケツのデカい女について歌っている。
3.Jealousy
PVが全裸の女性がチャリ乗り回す映像が入るのでようつべ公式がR-18というネタを持つ楽曲。
ひたすら「チャリ乗りてぇ…気分良くチャリ乗りてぇ…」と繰り返すサビが一部で大人気。
ちなみに歌詞には「スター・ウォーズ」や「ウォーターゲート事件」等当時のアメリカをイジるネタも出て来る。
5.If You Can't Beat Them
6.Let Me Entertain You
7.Dead on Time
8.In Only Seven Days
9.Dreamer's Ball
10.Fun It
11.Leaving Home Ain't Easy
日本では岡村さんがひたすらブレイクダンスするCMで一躍有名になった曲。
それ以外でもCMで耳にする機会が非常に多い。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」ではエンドロールを飾るが曲順が卑怯と大評判。
空耳まみれである。カニ味噌バレンタイン
13.More of That Jazz
ザ・ゲーム(The Game) 1980年6月30日
アメリカでの人気がピークに達し、第二次黄金期の頂点となった8thアルバム。
『地獄ヘ道連れ』などブラックミュージックの影響が強い楽曲の登場や
フラッシュ・ゴードンのサントラ制作で使い始めたシンセサイザーを本格的に起用するなどサウンドの変化もより著しい一作。
1.Play The Game
2.Dragon Attack
終始ミドルテンポで突き進む。ダークな雰囲気漂う名曲。
地味なベーシストというイメージが強かったジョンがついに大ヒットをかっ飛ばした、そんな一曲。
前述の通りブラックミュージック、特にファンクあたりの影響が強い。
当初はジョンのこだわりで恐ろしく演奏難易度が高いこともあってツアーでも歌われないなど、シングルカットの予定がなかったが
マイケル・ジャクソンの「シングル化すべき!」という進言を容れてシングルカットすると世界中でバカ売れ。
日本を含めた多数の国で1位を獲得。特に
アメリカでの人気は凄まじいものがあった。
しかし
イギリスのファンは「なんだこの曲!?(激憤)」とスタイルが変化しすぎたことに難色を示したのか最高位7位で終わった。
あのパロディ歌手アル・ヤンコビックに『another one rides a bus(遅刻へ道連れ)』という名前でカバーされた。
因みにメンバー間でも評価が分かれた曲でもあり、特にロジャーは嫌すぎるあまりレコーディングの際も終始やる気が無かったらしい。
4.Need Your Loving Tonight
フレディが入浴中に思い付いた事で有名なエルビス時代のロックンロールっぽい楽曲。
アメリカで大人気であり、『地獄へ道連れ』と並び中期QUEENの
アメリカ人気を確立した一曲。
エレキギターを全く使わない都合上ブライアンからの反発を予想したフレディの意向により、最初のレコーディングはブライアン抜きで行われている。
因みに後に合流したブライアンはフレディの予想通りこの曲に不満を示したらしいが、それでもキッチリアコースティックを担当する辺り流石はプロと言うべきか。
ライブではフレディがギターを弾く珍しいナンバーとして知られ、ライブエイドなどでも演奏された。
6.Rock It (Prime Jive)
7.Don't Try Suicide
8.Sail Away Sweet Sister
9.Coming Soon
10.Save Me
フラッシュ・ゴードン(Flash Gordon) 1980年12月8日
同名映画のサントラ盤。本格的にシンセサイザーを活用し始めた嚆矢となった。
シンセっぽい音こそ出していたが、アルバムにシンセ使ってないぞと記載していたようにシンセサイザーには否定的だったQUEENにとっては大きな変化となった。
しかし音楽としての評価は高く、フラッシュ・ゴードンのファンも太鼓判を押すほどの見事なメインテーマは必聴。
なお映画はずっこけた。
フラッシュ!アア~というフレーズが結構有名。
曲中に点在する映画のセリフは空耳でも人気。
ゴールじゃない
フジのF1中継のOPに使われたりした。
2.In the Space Capsule (The Love Theme)
3.Ming's Theme (In the Court of Ming the Merciless)
4.The Ring (Hypnotic Seduction of Dale)
5.Football Fight
6.In the Death Cell (Love Theme Reprise)
7.Execution of Flash
8.The Kiss (Aura Resurrects Flash)
9.Arboria (Planet of the Tree Men)
10.Escape from the Swamp
11.Flash to the Rescue
12.Vultan's Theme (Attack of the Hawk Men)
13.Battle Theme
14.The Wedding March
15.Marriage of Dale and Ming (and Flash Approaching)
16.Crash Dive on Mingo City
17.Flash's Theme Reprise (Victory Celebrations)
18.The Hero
ホット・スペース(Hot Space) 1982年5月25日
「地獄へ道づれ」の成功で気を良くしてブラックミュージック好きのフレディとジョンが中心になって傾倒していったら
ファンがそっぽを向いたでござるの巻、そんな10thアルバム。
とくに
イギリスファンが冷淡であり、デヴィッド・ボウイとのコラボ曲である『アンダー・プレッシャー』は大人気であったがアルバム売上は散々であったという。
一方半年後に『スリラー』が大ヒットする
マイケル・ジャクソンは気に入ったとか。
"ブラックミュージックに傾倒した失敗作"というイメージで語られることも多いが、QUEEN以外が出していればヒットしたともいわれており、良くも悪くもQUEENらしからぬサウンドが裏目に出てしまったといえるだろう。
1.Staying Power
2.Dancer
3.Back Chat
フレディ作の猥雑な雰囲気が強烈なディスコチューン。
歌詞は明らかにゲイの視点で描かれたもので、PVも「ゲイサウナのような場所で男女が戯れる」という卑猥な内容だった。
本作の先行シングルとして発売され、
アメリカでは11位まで上昇したが、
イギリスでは受け入れられず25位止まりであった。
また上記のPVも規制の厳しい
アメリカでは放送禁止とされてしまい、色々と出鼻を挫かれる結果となってしまった。
5.Action This Day
6.Put Out the Fire
- ライフ・イズ・リアル (レノンに捧ぐ) (Life Is Real (Song For Lennon))
1980年に暗殺されたジョン・レノンに捧ぐ一曲。
『イマジン』や『マザー』といったジョン・レノンの楽曲の要素が
オマージュされている。
8.Calling All Girls
9.Las Palabras De Amor (The Words of Love)
10.Cool Cat
- アンダー・プレッシャー(Under Pressure)
地球に落っこちてきた異星のロックスターことデヴィッド・ボウイとのコラボ曲。
初収録となったのはホット・スペースのちょっと前に発売となった初のベストアルバムである『グレイテスト・ヒッツ』。
PVは爆破の映像や世界恐慌、学生運動、何故か東京の通勤ラッシュ等様々な映像で構成されており、当人たちは一切登場しない(QUEENとデヴィッド・ボウイがどちらもツアー中で撮影のスケジュール調整がつかなかったため)。
ザ・ワークス(The Works) 1984年2月27日
一気にサウンドの方向性を前々作あたりに戻した11thアルバム。
世界的大ヒットの『RADIO GA GA』、抑圧されていた南米やアフリカでバカウケした『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』などヒット曲多数となっている。
しかしこの後そのアフリカや南米で色々やらかし、ソロ活動も本格化していたことでメンバー間に亀裂が
ビキビキ入っていた頃であり、
このアルバムを引っさげたツアー後に解散するのでは?と噂されていた。
レディ・ガガの芸名の由来だったり、GTAⅤではPVや作中
ラジオへの起用がされており若い世代もそこそこ知っていそうな曲。
本作のPVはSF映画の傑作として知られる「メトロポリス」の映像を一部使用し、その世界に4人が入りこんだというもので、途中で過去のQUEENのPVも登場する。
使用に際しては交換条件として同時期に公開された「メトロポリス」リマスター版のサントラにフレディが参加することでOKをもらったとか。
ライブではPVの振り付けで客が大いに沸く。ライブエイドの映像を見てみよう。
2.Tear It Up
3.It's A Hard Life
4.Man on the Prowl
5.Machines (or 'Back to Humans')
寡作だが当たるとでかいジョン作曲。前述の通り南米やアフリカの被抑圧者にバカウケしてそれらの地域にファンを増やすことが出来た。
PVは
イギリスの昼ドラ『コロネーション・ストリート』を元ネタにしたもので、メンバーが女装しているのが特徴。
ロジャーの女装が美少女すぎる、訴訟。
7.Keep Passing The Open Windows
ライブエイドやウェンブリー公演など名演にこの曲が在った。
欧州圏で人気の一曲。
9.Is This the World We Created...?
カインド・オブ・マジック(A Kind of Magic) 1986年6月2日
1985年のライブエイドにおける伝説的パフォーマンスで再び結束を取り戻した後にリリースした12thアルバム。
映画『ハイランダー 悪魔の戦士』の曲が大半だが反省を生かしてサウンドトラックではなくアルバムとしてリリースしている。
円熟味を増し、バンドとして別の味が出始めた一作である。
このアルバムを引っさげての欧州ツアー、特にホームであるロンドンのウェンブリー・スタジアムで二日間行ったライブは
ライブ盤がリリースされるほどの人気を誇り、ライブバンドQUEENの名声をより高めた。
しかし、このツアーが最後のライブツアーになってしまったのである。
アルバム発売に先駆けてシングルカットされた。
クイーンの再結束を象徴させるノリの良い楽曲となっている。
PVはボヘミアン・ラプソディの10年後というショットから始まり、レコーディングスタジオの様子やメンバーのオフショットを映している。
- カインド・オブ・マジック(A Kind of Magic)
アルバムのタイトルナンバー。ハイランダーの主人公が不死の存在というところから発想を得たとか。映画使用版とシングル盤では曲調が異なっており、前者は若干テンポが遅い。
PVは廃劇場にやってきたフレディ扮する魔術師が、ホームレスの3人に魔法をかけてQUEENに変身させるというもの。
QUEEN版『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』にラストのフレーズが流用されている。
3.One Year of Love
4.Pain Is So Close to Pleasure
5.Friends Will Be Friends
6.Who Wants To Live Forever
7.Gimme the Prize
8.Don't Lose Your Head
映画『ハイランダー 悪魔の戦士』の主題歌。
アニソンっぽいビートのきいたいかにも主題歌なノリの楽曲。
PVでは映画の主演俳優クリストファー・ランバートがゲストで登場する。
ザ・ミラクル(The Miracle) 1989年5月22日
しばらくの活動休止とそれぞれのソロ活動を経て3年ぶりにリリースされた13thアルバム。
シングルのカップリングにもアルバム曲になれなかった曲を収録するなど
意欲と活気に満ち溢れていたが、ツアーは行わないことが明言されていた。
フレディがメンバーにエイズにより残された時間がそう長くはないことを告げたのがこのアルバムの製作期間中と見られるため、活気と意欲に満ち溢れていたのはもしかしたらフレディが残された命を全て音楽に叩きつけるという意志の現れだったのかもしれない。
そしてQUEENのメンバーもわだかまりを完全に捨て、一丸となって付き合うことを決断した…のだろうか。
また、本アルバム収録楽曲のPVは巨大なセットや鉄道路線を貸し切っての撮影、当時は珍しかったCG合成を使うなどいずれも豪華なものとなっている。
このアルバムから作詞作曲のクレジットが全てQUEEN名義に変更された。
1.Party
2.Khashoggi's Ship
アルバムのタイトルナンバー。世界平和を歌った作品。
PVは小学生ぐらいの男児の4人がQUEENに扮して歌うというもので、最後にメンバーが登場してものまね番組のご本人登場のようなセッションを見せる。
ハードロック調の楽曲に乗せて「欲しい、全部だ、今すぐ寄越せ」と激しく力強く主張する楽曲。
ブライアンの歌声も聴けるぞ!
イントロとギターソロでバージョン違いが3つある。
5.The Invisible Man
6.Breakthru
7.Rain Must Fall
フレディの体調不良を詮索するな、俺(作曲者はブライアン)の離婚沙汰を詮索するなという意志のこもった曲。
PVもタブロイド紙を模したセットを用意している。
パパラッチは○ね精神。
9.My Baby Does Me
10.Was It All Worth It
イニュエンドウ(Innuendo) 1991年2月5日
フレディの遺作となった14thアルバム。
この頃にはもはやエイズが進行し免疫が機能せず、様々な日和見感染に悩まされ衰えていく一方となっていたが、
喉だけは奇跡的にほぼノーダメージだったようで、収録曲は全て歌いきることが出来た。
メンバー全員で素材を持ち寄って一曲に仕上げていくスタイルが取られており、
バリエーション豊富で様々な色を感じられる出来に仕上がっている。
フレディのスワンソングをぜひ聞いてみて欲しい。
別名『裏ボヘミアンラプソディ』と言えるほど複雑な構成が特徴で、初期QUEENを彷彿とさせる作風が受けたのか全
英シングルチャート1位を獲得した。
途中のスパニッシュギターはプログレッシヴロックバンド・Yesのスティーヴ・ハウが演奏している。
バンドの終焉を予告している曲で、PVにはメンバーが登場しない(過去作からの流用シーンはある)。
2.I'm Going Slightly Mad
3.Headlong
4.I Can't Live with You
5.Don't Try So Hard
6.Ride the Wild Wind
7.All God's People
フレディ生前に撮影された最後の公式映像がこの楽曲のPVである。
やせ衰えた姿をメイクで何とか隠そうとしているのがちょっとしんどい、そんな映像になっている。
この頃はまだエイズを公式に認めていなかったものの、この映像を見たらいろいろと察するものがあっただろう。
作詞作曲はロジャーで、これまでのフレディとのバンド人生を肯定するような内容の歌詞になっている。
9.Delilah
10.The Hitman
11.Bijou
- ショウ・マスト・ゴー・オン(The Show Must Go On)
フレディ在籍のQUEENとしては最後のシングル。
「ショーは何があろうと続けなければいけない」という演劇業界の言葉から来ている。
病に冒されようと俺は歌い続ける、ということだろうか…
因みにボーカルはもうエイズが進行し弱り切っている中、高音が多いにもかかわらず一発録りらしい。
フレディの全魂を注いだ絶唱に前が見えなくなること必至。
PVは過去のPVやライブ映像を編集したものではあるが、歌詞や演奏と映像が合うような編集がされており感動的である。
以下、ブライアンのコメント。
「ある朝、この曲をフレディのところに持っていった。彼がどう受け取るか少し心配だった。でもこう言ってくれたんだ。
『ダーリン、僕はそれを歌うよ。そして僕の全てを注ぎ込む。』ってね。」
メイド・イン・ヘヴン(Made in Heaven) 1995年11月6日
QUEEN史上最高売上を記録した「天国からの贈り物」15thアルバム。
フレディが生前に残した音源を切り貼りしたりフレディのソロ曲をアレンジして演奏を録音したりして作り上げた。
前述の通り売上は史上最高となり、フレディロスだったファンからも熱狂で迎えられたが、
何分死者の素材をいじってるしソロ曲も結構大きくアレンジしたため、批判的な声もいくらかはあった。
HONDAのCMでお馴染み。
晴れ上がった晴天の日をイメージさせるキレイなピアノに乗せてちょっと暗い歌詞が続く。
このアルバムが初出の新曲だが、フレディの歌声とピアノは1980年『The Game』のレコーディングセッションで録音されたもの。
2.Made in Heaven
ゴスペル風のコーラスが特徴。
ボーカルはフレディ、ロジャー、ブライアンが交互に取っている。
因みに「僕を生かしてくれ」とひたすら叫ぶ内容なため晩年の曲っぽいが、元々は1976年『華麗なるレース』のレコーディング時にロッド・スチュワートとのコラボ曲として制作されたが収録されなかった『Another Little Piece Of My Heart』という楽曲が元ネタ。
その7年後、1983年『ザ・ワークス』のレコーディングにロッドが訪れ再び制作に取り掛かったが、またしても完成には至らなかった。
本アルバムで聴けるフレディの歌声はその1983年のセッションでレコーディングされたものであり、まだ死から遠い時期のボーカル素材である。
4.Mother Love
5.My Life Has Been Saved
フレディのソロアルバムである『Mr.バッド・ガイ』収録の楽曲をアレンジしたもの。
なので元々はQUEENの楽曲ではない。
原曲とは趣が違い「大好きだよ~」とポップに伝えるのが原曲なら
「君に出会うのは運命だった(迫真)」ってな塩梅なのがこちらのバージョンである。
キムタクのドラマ『プライド』や
カップヌードルのCMにも使われ、日本での再ブレイクのきっかけになった。
7.Heaven for Everyone
ブライアン作の名バラード。
フレディの歌う美しいメロディのブライアンの泣きのギターソロが感動的。
楽曲自体は1988年に完成しており翌年発売の『ザ・ミラクル』に収録される予定であったが、当時のQUEENは作詞作曲のクレジットをバンド名義にしていたため、この曲をブライアンと共に作った人物との権利関係が整理できずに収録を断念していた。
1992年発売のブライアンのソロアルバム『バック・トゥ・ザ・ライト 〜光にむかって〜』にはブライアンがボーカルを務めたバージョンが収録されており、同年にウェンブリー・スタジアムで行われたフレディの追悼コンサートでも披露された。
9.You Don't Fool Me
10.A Winter's Tale
11.It's a Beautiful Day (Reprise)
【ベスト・アルバム】
グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits) 1981年11月21日
QUEENが出した最初のベスト・アルバム。
発売当初は各国で収録曲が異なっていたがCD化の際に統一された。
現在は『クイーンⅡ』から『ザ・ゲーム』までの17曲と日本のみボーナス・トラックとして『手をとりあって』を収録。
グレイテスト・ヒッツⅡ(Greatest HitsⅡ) 1991年11月6日
フレディがなくなる1か月前に発売された、遺作ともいえるベスト・アルバム。
『ホット・スペース』から『イニュエンドウ』までの17曲と日本のみボーナス・トラックとして『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』を収録。
クイーン・ロックス(Queen Rocks) 1997年11月19日
タイトル通りロックな曲を集めたベスト・アルバム。
各アルバムから17曲と新曲『ノー・ワン・バット・ユー』の合わせて18曲を収録。
一部の曲はアルバムと異なる。
また、『ノー・ワン・バット・ユー』はジョンが関わった最後の曲となった。
グレイテスト・ヒッツⅢ 〜フレディー・マーキュリーに捧ぐ〜(Greatest HitsⅢ) 1999年11月18日
グレイテスト・ヒッツのラストであり、フレディへの追悼盤ともいえるベスト・アルバム。
QUEENの楽曲だけでなく各メンバーのソロ曲やフレディ追悼コンサートなどから16曲と日本のみボーナス・トラックとして『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』を収録。
ほかのベスト・アルバムと異なり明確にQUEENファン向け。
クイーン・イン・ヴィジョン(Queen In Vision) 2000年6月28日
日本でのみ発売されたベスト・アルバム。
タイアップ曲から11曲を収録。
2008年には収録曲を変更して再販売された。
ジュエルズ(Jewels) 2004年1月28日
日本のEMIが企画したベスト・アルバム。
前述のドラマ『プライド』に合わせての企画であるが
イギリス本国やQUEENとも打ち合わせの上で作られたもので、タイトルはブライアン考案だしQUEENのWebショップで普通に販売されていた。
ブックレットに初心者向けと書かれている通り、初期から後期までの有名楽曲16曲を収録。
入門編にはもってこいなので「
ボヘミアン・ラプソディ」を見た後はコイツを買うといいんじゃないかな。買え(豹変)
2008年には2曲増やして再版された。
ジュエルズⅡ(JewelsⅡ) 2005年1月26日
『ジュエルズ』が好評だったので発売されたベスト・アルバム。
前作に収録できなかった楽曲を中心に16曲を収録。
伝説のチャンピオン〜アブソリュート・グレイテスト(Absolute Greatest) 2009年11月11日
様々な企画と共に世に送り出されたベスト・アルバム。
20曲が収録され、公式サイトでは各トラックの収録曲を予想し、正解者からランダムで選ばれた人には景品が贈られたほか、サイト上で発売されていないライブ映像の一部が公開された。
ディープ・セレクション 1973-1976(Deep Cuts, Volume 1 (1973–1976)) 2011年3月14日
ディープ・セレクション 1977-1982(Deep Cuts, Volume 2 (1977–1982)) 2011年6月27日
ディープ・セレクション 1984-1995(Deep Cuts, Volume 3 (1984–1995)) 2011年9月5日
QUEEN40周年を記念して発売されたベスト・アルバム。
1は『戦慄の王女』から『華麗なるレース』までの14曲
2は『世界に捧ぐ』から『ホット・スペース』までの14曲
3は『ザ・ワークス』から『メイド・イン・ヘヴン』までの15曲を
あまり有名でない曲を中心に収録。
シームレスにつながっている曲のうち、どちらかが収録されていない曲は、独立して聴けるよう編集されている。
クイーン・フォーエヴァー〜ベスト・オブ・ラヴソングス(Queen Forever) 2014年11月12日
3つの新曲『ユア・ハート・アゲイン』『ラヴ・キルズ』『生命の証』を引っ提げてきたベスト・アルバム。
スタンダード・エディションには20曲と日本のみボーナス・トラックとして『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』を収録。
デラックス・エディションには36曲と日本のみボーナス・トラックとして『手をとりあって』を収録。
グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン(Greatest Hits in Japan) 2020年1月15日
QUEEN + Adam Lambertの来日公演を記念して日本限定で発売されたベスト・アルバム。
日本のファンによる投票で上位12曲を収録。
その他の楽曲
ファンの間では一番有名な未発表曲。
というのも1976年までライブで披露されており、来日公演でも演奏されているなど比較的露出が多く、そのうえ一度もスタジオ版が出なかったため。
しかし、2024年についにライブ音源が『QUEEN I』のコレクターズ・エディションに収録されついに日の目を見ることに。
アルバム『バルセロナ』収録。QUEENの曲ではなく、フレディがオペラ歌手モンセラート・カバリエとコラボレーションした曲。「手を取り合って」以上に
日本語が多く含まれており、彼が日本好きなのがよくわかる。
なお、『バルセロナ』の1曲目『Barcelona』は1992年のバルセロナオリンピックのテーマとなり、彼ら2人が開会式で歌う予定であったが、フレディが亡くなったためホセ・カレーラスが代役を務めた。
手軽に聴きたい場合は日本独自の企画盤『ジュエルズ(Jewels)』がおすすめである。もうちょっと聴きたい方は『グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits)』シリーズもいいし、そこからオリジナルアルバムを聴くのもよし。
特に初期の『戦慄の王女』『クイーンⅡ』の曲はあまりベスト盤に入っていないことが多いので、オリジナル盤がおすすめ。
たいしたことじゃない。
本当に僕はたいしたことじゃ無いのさ。
どっちみち、追記修正されるのさ…。
- 確か歌詞に日本語が入った曲があったと思うんだが、思い出せん -- 名無しさん (2013-11-26 20:07:59)
- けっこう重要なキャラのスタンド名にクイーンの曲名が多いし、荒木さんはこれが特段お気に入りなのかな? -- 名無しさん (2013-11-26 20:32:17)
- ↑2 La Japonaiseだったかな -- 名無しさん (2013-11-26 20:36:52)
- ↑3 手を取り合って(Let Us Cling Together)だね -- 名無しさん (2013-11-26 21:12:43)
- 70年代初期から中期頃のロジャーは女の子みたいでマジでカワイイよな。 -- 名無しさん (2013-11-30 20:58:39)
- クイーンには俗語で「おかま」という意味もある。 -- 名無しさん (2014-04-25 23:36:58)
- ギルティギア主人公ソルのお気に入り。 -- 名無しさん (2014-11-18 17:22:45)
- デビュー当時酷評されてたっって知って驚いたわ。評論家の耳って節穴過ぎる -- 名無しさん (2014-12-23 21:08:25)
- ↑当時は斬新すぎて何だこれってなったんじゃないの。いつの時代でもよくあることだよ。 -- 名無しさん (2015-01-08 18:36:52)
- 最新アルバムの初回盤にはあのマイケル・ジャクソンとデュエットしたように編集された曲が入ってる。(マイケル・ジャクソンがカバーしただけで共演なし) -- 名無しさん (2015-11-17 12:52:15)
- 洋ゲーヲタにはRadio Ga.Gaは1回は聴いたことあるだろう。あのGTAVのカーステレオから流れてくるからな。 夕方のハイウェイで流れてきたらテンション上がって速度出してだいたい事故る。 -- 名無しさん (2016-01-10 15:03:24)
- ジュエルスはホント入門に最適。歌詞カードの楽曲解説にも文書いた方の愛が滲み出ている -- 名無しさん (2016-05-14 18:07:32)
- もしフレディーが今も生きていたら、荒木先生との対談とか夢じゃなかったのかな… -- 名無しさん (2016-05-14 19:01:51)
- フレディ以外超高学歴集団 -- 名無しさん (2017-12-23 23:50:26)
- このバンドの曲名が元ネタのスタンドは大体被害がデカい印象 荒木飛呂彦先生のお気に入りなんだろうか -- 名無しさん (2018-11-18 23:53:23)
- 映画のボヘミアン・ラプソディ観て、すごい感動して、アルバムに手をつけたいなって思った矢先にここの記事を読んだ。ミーハー感すごいって我ながら思うけどここの記述を参考に初めて買うの選ぶわ。建て主ありがとう。 -- 名無しさん (2018-12-02 22:21:10)
- 最近ブライアン・メイが『沖縄の辺野古埋め立て中止を求める請願』と『サンゴ礁や生態系を守る為に署名』を呼びかけたのがスゴい。日米だけでなく、民主主義と豊かな自然環境の為に世界中の人々が賛同してくれるのは嬉しい -- 名無しさん (2019-01-07 12:49:17)
- ↑ しかし、意外と知られてないが沖縄は戦後に人工ビーチを30数か所作ってるから海岸沖のサンゴ礁はほぼ絶滅してるという。 -- 名無しさん (2019-01-07 14:22:48)
- ツムツムにこのバンドのツムが登場したがなぜジョンだけハブられたのかがわからないし納得いかない。 -- 名無しさん (2019-08-06 19:29:59)
- それだけ「完全に引退している、一般人に戻ってしまっている」ということの証なのかもしれないけど(もはや肖像権の交渉とかが出来ない)、寂しい事なのは確か。 -- 名無しさん (2021-10-20 22:21:12)
- フレディがパンク嫌いなのはわかる計算つくされた最高の技量を駆使する作風の人だから、Pistolsあたりのそれとは無縁がゆえにゴリ押していくゆくのは嫌いだったのだろうね(そこがいい所なのだけれど) -- 名無しさん (2022-02-13 20:48:21)
- 鴨川つばめ先生も好きなバンドだったのか、マカロニほうれん荘のでパロディ元にすることが少なくなかった。あるエピソードだとモブに学ラン姿の4人が出てくるんだが、よく特徴捉えててそっくり -- 名無しさん (2022-09-10 02:01:13)
- まさか「セーラーフレディマーキュリー」が実現するとは。 -- 名無しさん (2023-02-06 22:29:24)
- ブライアンは辺野古以外の埋め立てには反対しなかったのか?彼が「サンゴ落書き捏造事件」を知ったらどう思うだろうか。 -- 名無しさん (2023-02-17 01:34:10)
- ブレイク・フリーのPVの女装はジョン演じるおばあちゃんも、こんなおばあちゃんリアルでいそう、って感じに違和感ない -- 名無しさん (2023-12-02 08:14:31)
- 同じくイギリスのバンドのデュラン・デュランのドラムもロジャー・テイラーだが全くの別人である -- 名無しさん (2024-08-27 20:14:43)
- ザ・ミラクルのところBreakthruとか入れない?鉄道路線貸し切りで撮影したPVの曲だけど -- 名無しさん (2025-01-19 03:24:04)
最終更新:2025年02月27日 12:10