バリー・ボンズ

登録日:2011/09/07 Wed 01:42:56
更新日:2025/01/29 Wed 20:28:03
所要時間:約 6 分で読めます





自分を向上させることで手一杯で、他人と競っている時間がない。


バリー・ラマー・ボンズ(Barry Lamar Bonds)は、ピッツバーグ・パイレーツ、サンフランシスコ・ジャイアンツに所属していたメジャーリーガー。
シーズンMVPを7度、シルバースラッガー賞を12度、ハンク・アーロン賞を3度獲得した、MLB史上屈指の強打者である。

1964年7月24日生まれ
カリフォルニア州出身
外野手
左投げ左打ち

父は元メジャーリーガーのボビー・ボンズ*1、名付け親は「史上最高のコンプリートプレイヤー」と呼ばれたウィリー・メイズ。

1985年に、ピッツバーグ・パイレーツに入団し、翌年にメジャーデビュー。
レギュラーに定着し、まずまずの成績を残すと、1990年には打率.301、33本塁打、114打点、52盗塁を記録。
その後は1993年にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、90年代の終わりまで「ミート力・長打力・走力・守備力・肩力・選球眼」を兼ね備えた6ツールプレイヤーとして活躍した。このうち当時最も秀でていたツールは俊足。
また、この時点で3度のシーズンMVPを獲得している。

1998年には、史上初となる「通算400本塁打&400盗塁」を達成。(また、5月28日の試合では2死満塁の場面で敬遠四球を受ける偉業?も達成した)
しかし、この年はマーク・マグワイアとサミー・ソーサの熾烈な本塁打王争いに全米が熱狂。ボンズの偉業はその影に隠れてしまう。

その2人に触発されたのか、1999年は肉体改造に着手。体重を増加させ、長打力を向上させるも、ケガなどの影響で101試合の出場に止まった。
この時、ボンズ35歳。体重増加に伴う走力・守備力の衰えもあり、巷には「限界説」が流れ始める。
しかし、この年ボンズは僅か355打数で34本塁打を記録。後に爆発させる怪物染みた長打力の片鱗を、密かに発揮したシーズンとなった。

2000年には打率.306、本塁打49本、106打点を記録し、何事も無かったかのように復活。

そして、迎えた2001年。


怪物は完全に目を覚ました。


なんと37歳にして自己最多となる73本塁打記録。
同時に長打率.863も記録し、それまでのMLBシーズン本塁打記録(70本)とシーズン長打率記録(.847)をあっさり塗り替えた。

この年、アメリカはアフガニスタンへの侵攻を開始したが、ボンズのホームランに対する国民の関心は、それに引けを取らないものだったという。
かつてマグワイアとソーサが起こした本塁打王争いという熱狂に隠れてしまったボンズ。
それに勝るとも劣らない熱狂を、今度はそのボンズが巻き起こして見せた。

2002年には打率.370を記録し、38歳にして初の首位打者を獲得。
本塁打は46本にまで減少するも、敬遠数は68個を記録し、それまでのメジャー記録だった45個を上回るシーズン新記録を樹立する。

2003年は、最愛の父をガンで亡くし、成績を下げるも、打率.341、本塁打45本、打点90を記録。

OPS(出塁率と長打率を足した数字)は、3年連続で1.200以上をマークした。
(OPSは1.000を越えれば超一流と言われる。NPBのシーズン記録は王貞治が1974年に記録した1.293)

また、この年、史上唯一の「通算500本塁打&500盗塁」を達成している。

名実共に最強のバッターとなったボンズ。
しかし、ここまで来ると、まともに勝負をしてくれるピッチャー自体が居なくなってしまう。


2004年、ボンズは打率.362、本塁打45本、101打点を記録。

一見(ボンズにしては)平凡な成績に見える。
むしろ本塁打の割に打点が少ない為、「この年はチャンスに弱かったのでは?」と思われるかも知れない。

しかし、2004年の得点圏打率は.394。チャンスでもそのバッティングは変わらなかった。

では、何故ここまで打点が稼げなかったのか、というと、これは相手ピッチャーが逃げに逃げまくった結果なのだ。


この年の四球数は、なんと232個

その内、敬遠数は120個までに達していた。


これは、自身が持っていたシーズン四球数記録と、シーズン敬遠数記録を遥かに上回る数である。

この異常な四球数もあり

シーズン出塁率.609
シーズンOPS1.421

という、もはや何なのか良く分からない記録を樹立した。

勿論、得点圏での勝負なんてして貰えるはずがない。
この年、ボンズは187回得点圏で打席に立ち、その内、111打席は四球で歩かされた。得点圏での出塁率はなんと.754。

数々の記録を塗り替え、ボンズは野球選手としての絶頂期を謳歌していた。



しかし、絶頂期の終わりは突然訪れる。

翌2005年は、ケガなどもあり、14試合に出場に止まると、2006年には14年ぶりにOPSが1.000を下回る(OPS.999)など低迷。

2007年には好成績を上げていたものの、若返りや薬物問題もありシーズン中にサンフランシスコ・ジャイアンツを退団する事が決まってしまった。

以降も引退表明こそしていなかったが、どの球団からも獲得の声はかからず、半ば引退した状態のまま、2009年に実質的な引退を表明した。
2018年にジャイアンツで彼の付けていた背番号「25」が永久欠番になった。


  • プレースタイル
2000年代以前は、3度のトリプルスリー【3割30本30盗塁以上】を含む、5度の30本30盗塁以上を記録。
また守備では、持ち前の俊足を生かして素早く捕球地点に入り、十字を切ってから捕球することもあった守備力の高さと、矢のような送球でゴールドグラブ賞を8度受賞。同時期に活躍したケン・グリフィーJr.と共に、屈指のオールラウンドプレイヤーとして知られていた。
守備位置は、当初はセンターとして定着していたが、1987年、チームにアンディ・ヴァンスライクが加入してからはレフトにコンバートされている。
レフトでもその見事な守備は変わらず、ライトのボビー・ボニーヤを含む三人全員が強肩強打の外野手であった為、リーグ最強の外野陣と呼ばれた。

2000年代に入ると体が巨大化。長打率7割越えを3度記録するなど、純粋な長距離砲に生まれ変わる。
しかし、体が巨大になると同時に持ち前の守備力と走力の衰えが顕著になり、 2000年以降は、30盗塁以上を記録する事も、ゴールドグラブ賞を受賞する事も無かった。
とはいえ相変わらず高い技術は持っていたため、晩年は殆ど付かなかった守備はともかく走塁については実際の走力以上のものを見せていた。

また、2000年代以前と2000年代以降に共通する能力として、卓越した選球眼とミート力の高さ、そしてスイングスピードの速さが挙げられる。
1990年以降、出塁率が4割を下回ったシーズンは1度だけであり、100三振を記録した事は1990年以降1度も無い。


  • 薬物疑惑
30代後半からの体の巨大化や、それに伴う長打力の爆発的な増加から、「筋肉増強剤などの禁止薬物を使用しているのではないか」という疑惑が浮上している。

2006年に、関係者からボンズの薬物使用を暴露する本が出版され、2007年には「禁止薬物の検査で陽性反応が出た」と報道されるなど、疑惑は徐々に加熱。
現在では「ほとんど黒に近いグレー」(つまり、本人が認めていないだけ)と言われるまでなっている。

しかし「薬物をやっていた選手はボンズ以外にもいるが、ボンズほどの成績を残した打者は1人も居ない」、「ボンズのパワーは偽物であっても、その打撃技術は本物だった」といった意見を持つファンや選手が居る事も事実で、特に後者については映像解析が進んだことで実際に立証されており、少なくとも非常に優れた技術を持っていた選手であったことについては現在は疑うものはほぼいないと言っていい。
そのため近年では2000年代以降のボンズのことを「最高の選手がチートを使った結果」というような評価をするようになっている。

また、一連の薬物疑惑における調査では1998年シーズンまでの事も徹底的に洗い出されており、1998年シーズンまではほぼシロだとされている。
プロ入りから1998年シーズンまでほぼ体重が変動していなかったことも状況証拠となっている。

薬物使用の理由については前述の通りマグワイアとソーサの本塁打王争いに嫉妬してのものだという見方が強い。

訴訟大国アメリカらしく、引退後4つの罪状で裁判にかけられた。
よく誤解されがちだが、その理由は「薬物を使ったから」ではなく「大陪審に嘘をついた疑いがあるから」という理由で、偽証罪が3件と公務執行妨害1件によるもの。結果としては公務執行妨害のみ有罪で他はすべて無罪となった。

引退してから5シーズン後の2013年にアメリカ野球殿堂入り資格を得たものの、ボンズと同じく現役時代には好成績を上げたものの薬物問題で悪印象のあるロジャー・クレメンス共々資格最終年まで殿堂入りする事はなかった。


  • 人物
良くも悪くも誇り高い人物。
野球の腕1つでのし上がった自負もあり非常に傲慢で、同僚は愚か監督やコーチと言った目上の人間にもぶてぶてしく振る舞う。
歯に衣着せぬ発言も多くお騒がせで不遜な男はチームメイトからも煙たがれており、友人が少ないと都度言われ続けている。
特にマスコミに対しては嫌悪している。

また誰も彼も敵意を剥き出しにしているわけではなく、亡くなったボディーガードに涙したり、彼の態度に正面からぶつかり厳格な態度を取り続けた監督に敬意を示したり、新人を可愛がったりと、認めた人間に対しての情は深い。
家族思いでもあり、父ボビーとは一度は絶縁したものの和解し、彼のことを想い続けていた。

他方、何故か日本人には選手、マスコミ問わず妙に優しかったりする
特に新庄剛志とはチームで唯一会話する仲だったという。守備に関しても手堅くサポートをしてもらったとの事。
新庄本人はコミュ力はあるものの、弱小チームで孤軍奮闘し、孤独を愛する一面もあった為に、もしかしたら互いにシンパシーを感じたのかもしれない。

他の日本人選手に対しても殊勝なコメントを多く残している。理由は不明だが、ボンズ自信が白人へのコンプレックスが多少あるようなので、そういう意味では「挑戦者」として敬意を称しているのかも。
何にせよ他人の好き嫌いが異様に激しいといえる人物である。




追記・修正お願いします。
この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 野球
  • プロ野球選手
  • メジャーリーグ
  • メジャーリーガー
  • ピッツバーグ・パイレーツ
  • サンフランシスコ・ジャイアンツ
  • 外野手
  • 長距離砲
  • 万能選手
  • 怪物
  • 新庄と仲良し
  • ステロイド
  • バリー・ポン酢
  • 超一流+ステロイド=化け物
  • 禁忌を犯した者
  • バリー・ボンズ
  • リアルチート
  • アニヲタ野球選手名鑑
  • やべーやつ
  • 元メジャーリーガー
  • 賛否両論
最終更新:2025年01月29日 20:28

*1 1946-2003。ウィリー・メイズに次いでMLB史上2人目の通算300本塁打-300盗塁を達成、長男バリーと並びシーズン30本塁打-30盗塁をMLB史上最多タイの5度達成している。