新庄剛志

登録日:2025/01/28 Tue 00:10:00
更新日:2025/04/29 Tue 11:47:12
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明日も勝つ!


新庄剛志(しんじょうつよし)とは日本の元プロ野球選手及び元メジャーリーガー、プロ野球監督、実業家。


プロフィール


愛称,別名:ツーさんSHINJO*1BIGBOSS*2
生年月日:1972年1月28日
出身地:福岡県福岡市南区(生まれは長崎県対馬市)
身長:181cm
体重:76kg
投打:右投右打
ポジジョン:外野手(主に中堅手)
プロ入り:1989年ドラフト5位
血液型:A型
出身校:西日本短期大学附属高校
選手歴:阪神タイガース(1990~2000)→ニューヨーク・メッツ(2001)→サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002)→ニューヨーク・メッツ(2003)→北海道日本ハムファイターズ(2004~2006)
監督歴ː北海道日本ハムファイターズ(2022~)
主な獲得タイトル:ベストナイン3回(1993、2000、2004)、ゴールデングラブ10回(1993~1994、1996~2000、2004~2006)オールスターMVP2回(1999年、2004年)


概要


日本の元プロ野球選手及び元メジャーリーガーで、現役時代はNPBでは阪神、日ハムに所属してMLBも経験している1990年代~2000年代中盤の球界を代表するスター選手の一人。本人の特徴的なキャラクターもあって、野球に詳しくない人でも彼の名前と顔は認知している人も多い。

2025年現在は北海道日本ハムファイターズで一軍監督を務めている。


来歴


1972年1月28日に母親の故郷である長崎県対馬市にて誕生し後に福岡市に一家で移住し幼少期は福岡市で育つ。本人曰く『かなり貧乏な家庭』で育ち、交通事故に8回も遭うなど苦労の絶えない幼少期を過ごしていたが、この頃から抜群の身体能力の片鱗は見せていて遠投でも大人より遠くへ投げれる程であった。高校生になった新庄は西日本短期大学附属高校に進学。3年夏の福岡県大会決勝ではサイクル安打を記録するなど、個人では気を吐いたがチームは敗れ高校時代に甲子園出場は叶わなかった。

それでも新庄の素質を高く評価した阪神が1989年オフのドラフト会議で5位指名で新庄を指名するが、当初は指名順位に不満があり入団することを迷っていた。それでも高校時代にプレー出来なかった甲子園でプレーが出来ることが大きな決め手となり入団を決意した。

2年目の1991年までは主にファームで過ごしていたが、3年目の1992年から一軍で打率278,11本と結果を残し新人王こそ同僚の久慈照嘉に譲ったが結果は僅か5票差であった。当時暗黒時代ど真ん中であった阪神にとって、亀山努と共に『亀新フィーバー』と称される程新庄の台頭は希望の光となった。

4年目の1993年には打率257,23本,62打点,13盗塁でベストナイン&ゴールデングラブ同時受賞とこの年から完全に阪神のレギュラー外野手となる。1995年は当時の監督であった藤田平との確執や、慕っていた打撃コーチの柏原純一の退団で球団に不信感を抱いていたことから『野球のセンス無いんで引退します』と引退宣言をするが、病床の父を勇気づけるために最終的には引退を撤回している*3

1997年には、オールスターでファン投票で選ばれたにも関わらず当時の成績が不振であったことから応援ボイコットされるという屈辱を味う。本人もこの一件については『プロ生活で一番の屈辱で相当応えた』と語っている。

1999年から野村克也が一軍監督に就任し、野村の提案で投手にも挑戦。巨人とのオープン戦で、元木、二岡、後藤の3人を三者凡退で抑えるが公式戦で投手として登板することはなかった。*4シーズンでは巨人戦で槙原寛巳から敬遠球をサヨナラ安打にしている。そして野村監督とショートコントを繰り広げてた。

2000年には主に4番を打ち、打率278,28本,85打点,15盗塁とキャリアハイの成績を残しベストナインとゴールデングラブを共に受賞。この年が阪神選手としては最後のシーズンとなり、オフにFA権を行使しニューヨーク・メッツに移籍した。野村もこの一件には『たった一人のレギュラー選手がいなくなってしまった』と新庄の穴の大きさを認める発言をしていた。


2001年に、MLBに戦いの場を移した新庄は日本人初の四番打者となる等、打率268,10本,56打点とまずまずの成績を残すが、MLBではこの年がキャリアハイであった。2002年には日本人選手として初めてワールドシリーズに出場している。

2003年オフ、翌シーズンより北海道に移転することになっていた日ハムへの入団を表明しNPBに復帰。『札幌ドームを満員にすること』『チームの日本一』を目標に掲げ、日ハム1年目の2004年に優勝は叶わなかったが、打率298,24本,79打点と打撃面でキャリアハイの2000年に匹敵する成績を残した。
またこの年はオールスター第2戦でホームスチールを記録するなど大暴れしオールスターMVPを獲得。お立ち台では『これからはパリーグです‼』と力強く宣言し、球界再編騒動で揺れていたパリーグに勇気を与えた。

2006年4月、新庄は同年限りでの現役引退を表明。この年は開幕戦を筆頭に札幌ドームは毎試合のように満員で、チームも25年ぶり3度目のリーグ優勝と44年ぶり2度目の日本一を達成し、前述の自らが掲げた目標を見事有言実行した。日本一達成後、新庄は誰よりも真っ先に胴上げで札幌の宙に舞い、これを引退の花道として17年間のプロ野球生活に幕を下ろした。


それからはバリ島に永住するなど球界から距離を置いていたが‥‥。




時は流れ2019年に当時47歳ながら現役復帰を目標としトレーニングを積み、2020年に12球団合同トライアウトに参加し安打も放ったが、流石に獲得するNPB球団はなく現役復帰を断念した。それでもバリバリのメジャーリーガーであるダルビッシュ有も『10年以上野球をやっていないのに143km/hの球を芯に当てるのは凄すぎる』と驚愕していた。


その後2022年に長年日ハムの監督を務めていた栗山英樹の後任として一軍監督に就任し16年ぶりに球界の現場に復帰。本人も監督ではなくビッグ・ボスと呼んで欲しいといい登録名も『BIGBOSS』となった。だが流石に登録名『BIGBOSS』は2022年の一年限りで辞めて、2023年からは通常通り監督となっている。

監督一、二年目はチームは土台作りの時だと考えていたのか2年連続最下位と振るわなかったが、3年目の2024年にようやく花が開いてCSではソフトバンクに完敗したもののチームは2位まで浮上し、本人もチームに対し手応えを感じていたのか2025年も一軍監督を続投することとなった。


プレースタイル



選手として最大のセールスポイントはやはり卓越した外野守備力と凄まじい強肩であろう。MLBでも守備に関してはかなり高い評価を受けており*5守備力でイチローとどちらが上かは未だに評論家達の間でも意見が割れる程である。外野手としてゴールデングラブ賞を10度も受賞しており10度以上受賞している外野手は新庄を含めNPB歴代4人だけ*6である。肩も非常に強くパワプロを始めとした野球ゲームでは最高評価のAを受けるのが当然であった。本人も守備に関してはかなりプライドを持っており2005年にゴールデングラブ賞を受賞した際には受賞に納得いかなかったのか『今年の俺のゴールデングラブ賞はおかしいから印象で選ばないで欲しい』と記者に苦言を呈する程であった。

捕球時に少しジャンプするという特徴があり、曰く「空中にいる間は体が静止するのでボールから目線がブレることがなく捕球できる」との事。これらは「新庄式野球力学」「Shinjo hop」「Shinjo's crow hop」と言われたが「野球少年に悪影響を及ぼす」と少年野球の監督に指摘された事もあったとか。

盗塁、走塁面では、俊足ではあったが本人曰く『盗塁にはあまり興味がない』とのことで年間一桁盗塁の年も多く、年間20盗塁以上したシーズンはなかったが、2000年には15盗塁を記録しているなど本人が積極的に試みようと思えばもっと盗塁数を積み重ねられていた可能性が極めて高い。走塁に関しても1994年と1999年にはリーグ最多の三塁打を打っておりベースランニングもかなり上手い。
オールスターというお祭り的要素の強い試合だったから、でもあるが、ホームスチールを狙い決めたのが印象的だろうか。

打撃面では規定打率3割、シーズン30本を達成したことは一度もなかったが、2000年には28本と30本近い本塁打を打った年や2004年には打率298と3割目前の結果を残した年もあるなど、レギュラー外野手としては十分な打力も兼ね備えており、日米通算1500安打、200本塁打も達成している。本人曰く『セリーグでもパリーグでもMLBでも俺の打率は2割5分』らしい。またあまり試みることはないがバントのような小技も実はかなり上手い。

直感的な立ち回りに見えるプレーが多いものの実際は徹底した理論派であり、走り方ひとつすらしっかりと研究することで速さを身につけている。
彼の走法は古武術の縮地法のような走り方であり、地面を足で蹴るのではなく、体を傾けて地面への反発を受け流しながら移動している。
このためスタートダッシュが非常に速く、広い範囲を効率よく移動することが求められる外野手というポジションとの相性が良い。
盗塁とも相性はいいはずなのだが…。案外相手のクセを見抜くのとかは不得手だったのだろうか

現役時代の印象的なプレーのひとつに挙がる敬遠球のサヨナラ安打も「プロならば練習して備える」という理由により事前に対処法を考察、5球だけ練習した上で監督コーチの了承を得て実行している。
また、その敬遠球を打ったときの相手投手である槙原寛己についても日頃の癖を見抜いており、投球動作に入る前の僅かな動きの違いから球種を見抜いていたと語っている。


監督としての特徴

就任1年目には『全員に一軍出場のチャンスを与える』と宣言し、ほぼ全ての選手が一軍を経験するなど不偏不党な姿勢を取った。その結果、松本剛、万波中正、田宮裕涼、清宮幸太郎など、数多くの生え抜き、若手選手が主力に成長したことから新庄の選手育成力は球界でも高い評価を得ている。
好投や好プレーを見せた相手選手への称賛も欠かさず、相手チームにもウエート場やバッティングゲージを与えるなど正々堂々フェアに戦うことを好み、相手の主力選手が負傷した際には残念そうなそぶりを見せることもある。
2025年の本拠地開幕戦のセレモニーでは対戦相手のソフトバンクに対してもインタビュー映像や中堅フェンスの奥からの入場といった凝った演出を行った。

一方で本人曰く『気を抜いたプレーは大嫌い』とのことでボーンヘッドや守備面のケアレスミス、投手に関しても『無駄な四球を出すぐらいなら一発を打たれろ』と意味のない四球を出すことは極端に嫌っており、それらをやらかした選手に対しては容赦のない対応をとるなど監督としてシビアな一面も持っている。そしてそれ以上に不義理な選手には苦言を呈し、実戦で辱めることもある。
二軍の映像も欠かさずにチェックし、さまざまな情報を研究・分析した上で采配を振るいつつも、スクイズやダブルスチールといった奇策を大胆に実行することもある。
ついでに気づいてる人は気づいてるだろうが、阪神時代の監督だったノムさんの監督スタイルをかなり引き継いでおり、「勝敗は理論で決まる」だけではなく「いい意味で結果至上主義。成績を残せる可能性があるなら年齢やキャリアに関係なく使うし、良ければそのままレギュラーに据える」「社会人としての態度、チーム内の規律を非常に重視する。黙認するのはあくまでも最低限のそれと良い成績を残している者に限定する」はほぼ野村のそれと一致している。まあ後者に関してはそもそも新庄自身がその「例外」であったのもあるのだろう。ついでにパッとしない選手を育てるのが得意なのもノムさんそっくりであり鳴り物入りで入団したがイマイチパッとしなかった清宮を覚醒させたのも新庄である。
野村が生きてこれを見れなかったのが残念である……監督としてはぶっちゃけ古田敦也より後継者をしている

それはそれとして選手一人ひとりのことは愛らしいらしく、彼らが大活躍した時は人目もはばからずに派手に喜ぶ。
そのお陰で「限界ファン」だとか言われることもしばしば。

何より球界を盛り上げることを重視しており、処罰や批判も覚悟の上で大胆なパフォーマンスや率直な提言を行うことも多い。
  • 試合前のメンバー表交換で審判をも巻き込んでのハイタッチや円陣を行う。
  • 2024年の阪神との交流戦にて、入団当初の背番号だった「63」と「新庄監督」の文字が入った縦じまのユニホーム姿で登場。
    さらにエスコンフィールド初のオールスターにて、中嶋聡監督とも事前に打ち合わせをした上で日本ハムの選手たちが歴代のユニフォーム姿で登場。
  • 日本ハムからMLBに移籍した上沢直之が1年で帰国してソフトバンクに加入したことを受け、12球団監督会議でポスティングシステムの整備を提言。
  • 2025年のオープン戦にて、対戦相手の中日の選手がフェンスに激突して負傷交代した際にラバーの硬さや高さなどの改善を地元に提言。


エピソード・余談



  • 好きな色は、選手時代はリストバンドもで、監督就任会見も真っ赤なスーツで行うなど筋金の好き。

  • 身嗜みやファッションにも人一倍こだわりをもっており、アスリートにも関わらず『ジーンズが履けなくなるから』との理由で下半身の筋トレを拒否した過去もある程である*7。特に歯に対しては非常に重視していて、歯の黒ずみを嫌っていたこともあり全ての歯を取っ払って2000万円かけて真っ白なインプラントに変更した程である。それもあり、実年齢では50歳を越えているが非常に若々しく50越えに見えない程である。

  • 上で書いてきたような性格の選手であったので、社会貢献活動や(普通の)ファンサにも積極的。阪神在籍中には地元の阪神淡路大震災の復興支援事業を提案し・メイン格として進めるなどの災害支援、学生野球への寄付なども数多い。
    • TV『クイズ$ミリオネア』で終盤はエンピツ転がして*8全問突破・満額の1000万円を獲得した際には、全額ではないながらあっさりと「札幌ドームにオレの顔の広告をつける」のに使うなど、そういった方面にも金銭を惜しまない一面もある。「札幌ドーム43,000ファン ヤバい 感動だぜっ!!*9

  • 若手時代の年俸2200万円の時に2000万円の外車を購入し、残り200万円で一年過ごそうと考えていた所、税金の事をすっかり忘れており結局親戚などからお金を借りてどうにか乗り切った過去もある。

  • 新庄が現役時代愛用したグラブは選手として初めて貰った年俸で7500円で購入したもので、尊敬する父親から『商売道具を大事にしろ』との教えを受けその教えを忠実に守り、現役生活17年間破れるたびに修繕して引退まで使い続けた。このグラブは父が亡くなった際に父の棺に共に納められたので、現存していない。

  • 目立ちたがり屋だが実際には常に他の人を気にかけ後輩の面倒見も非常に良いため、新庄を慕う後輩選手*10は多く、入団したての新外国人選手ともすぐに打ち解けるコミュ力の持ち主。逆に彼を嫌う球界関係者*11は少なく、野村克也、張本勲、バリー・ボンズと言った気難し目の大物にも好かれることが多かった。特に野村に関しては先述のように監督と主力選手の関係だけではなく「本質的には超理論派」という共通点でもウマが合っていたらしく、毒舌家のノムさん*12にしては意外と本気で新庄を非難しているものはかなり稀*13
    • 試合前の派手なパフォーマンスでファンを喜ばせるのが恒例だったが、予め周囲の了承を得た上で実行することを原則としている。このため一見すると突発的な行動の多くも周囲から不満の声が出ることは少なかった。逆に敢えて周囲に断りを入れずにやる場合もあり、こちらは最初から怒られることを前提としている。またこういったパフォーマンスをするからには活躍し試合に勝たなければ意味がないとも考えており、負けた場合はそのパフォーマンスは永久封印。監督になってもプロに紛れ込んだ芸人パフォーマーの杉谷拳士の成績が振るわないことからバラエティ出演禁止と厳しい処置をしたこともあれば、わざわざ事前に相談目的の連絡を入れることでオールスターゲームにおける歴代ユニ博覧会企画を持ち込み・ちゃんと実現させた*14などもある。
    • もっとも新庄本人は「一般的な意味での真面目・優等生キャラ」であることは基本的に隠していたうえ、『サンデーモーニング・週刊ご意見番』で張本が日本ハムキャンプの現地取材に訪れた際には「志村後ろ!」ならぬ「張さん!後ろ!」のイタズラを試みる*15など、あくまでも派手好きでめちゃくちゃなキャラのイメージを守ろうとしているらしき記録は多々見られる。

  • 特に若手時代、高校から阪神まで孤軍奮闘してきた経験の為か他人に干渉されることを苦手としており、根が真面目なので聞きはするがやってはくれないという監督、コーチ泣かせであった。また努力や練習をしている姿を見せたがらない一面もあった。全員が帰った後に警備員に鍵を借りて1人で練習していたこともあったという。しかし同時に父親や柏原コーチ、野村監督といった、彼の本質を理解してくれた年上の者に恵まれ続けたのは幸運と言えるだろうか。

  • 1999年、お立ち台で「明日も勝つ!」と宣言した途端、翌日から大型連敗が発生したことが2度もあり*16、敗北フラグとして確立してしまった。なお2004年にも一度「明日も勝つ!」と宣言したことがあったが*17、その時は日ハムは翌日も勝っているがなぜか阪神が3連敗するという斜め上のフラグ回収を成し遂げている。

  • 日ハム選手時代、ルーキーだったダルビッシュ有が隠れてタバコを吸っているところを見つけた際、新庄は彼を叱らずに「隠れて吸える場所」と「タバコ消しの香水」を教えた。曰く「ダルビッシュは優勝に欠かせない存在」の為にそのような事をしたとの事だが、ベクトルは違えど孤立しがちな彼のことを放ってはおけなかったのだろう。ただし〆る時はちゃんと〆た模様。
    そのお陰かダルビッシュは成長した今でも新庄を慕っており、2023年WBCではチームのまとめ役として後輩たちを気遣う兄貴分となった。歴史は繰り返されている。

  • 野球と関係ないところでは「山下本気うどん」や「鉄板王国」等のレストランチェーンで有名な「株式会社ガーデン」のブランドアンバサダーも務めている。

  • 現役時代に自身の年俸やCM収入の管理を母の知人に任せていたのだが、引退後にバリ島移住資金を引き出そうとしたところ44億円以上稼いだ収入が2200万円を残して知人の会社の運営資金に横流しされていたことが判明。この「お金の管理を他人に一任してしまった」一件で、2017年2月にテレビ朝日の『しくじり先生』に教師として出演している。

  • 元妻はタレントの大河内志保。1993年から交際し、2000年に結婚したが2008年に離婚。二人の間に子供はいない。離婚理由は新庄が「自分のわがままで色々な事に挑戦したい*18」と大河内に伝えたところ納得して離婚に至ったとのこと。ただし離婚して数十年以上経過しているが、お互いの関係は良好である。
    • とはいえ新庄にとって自らのワガママを通してくれは言いづらかったらしく、大河内への第一声は「よくわかんないけど離婚したくなったので、それ前提で話を聞いてほしい」だったそうな。プロアスリートでなくても前代未聞である。大河内さんもこれでちゃんと新庄の気持ちを整理することができるあたり、決して不仲ではないどころか良好な関係を続けているのも頷けるというかなんというか…

ゲーム、漫画など


  • 実働時期が平成初期~中期の為、実況パワフルプロ野球シリーズにはもれなく収録。ほとんどの作品で能力値が「EBBAA」(前からミート、パワー、走力、肩力、守備力)に設定されており代名詞となっている。OBとなり能力値に「S」が登場してからは「DBBSAA」(一番後ろはエラー率)とちょっとパワーアップした。ただし『2024』では外野手の層が厚すぎて阪神OB選抜にも日本ハムOB選抜にも入れなかった
    • またシリーズには新庄をモデルとした矢沢和美というキャラも存在しているが7と10にしか登場していないレアキャラとなっている。

  • 混セでSHOWTIMEではレギュラーとして登場…するも、子供っぽい久慈に対し冷静にツッコミを入れるという、今では考えられない役割である。

  • 偶然か不明だが新庄選手が活躍した頃(平成初期)には様々な創作作品で「新庄」というキャラクターが登場している。*19珍しい苗字の為「新庄という名字はイケメンでスマートなアスリートの印象」が強く、キャラ名にはピッタリなのだろう。なんか妙に悪役が多かった気もするが。
    • 例外もあり、例えば先述したパワプロの「新庄」は明らかにわざと最弱に調整された投手のキャラクターであった。はにゃーん。


これからは追記、修正です‼

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最終更新:2025年04月29日 11:47

*1 2004年~2006年の登録名

*2 2022年の監督としての登録名

*3 なお父は特に重い病気にかかっていたわけではなく、「母が引退を思い止まらせるためにちょっとした体調不良を過剰に伝えたんじゃね?」と父が自著で推察している。

*4 圧倒的な身体能力を持つ新庄ですら「二刀流」は難しかった為、野村は後年に大谷翔平の二刀流に否定的な意見を述べていた。無論大谷の成功を見て潔く撤回したが。

*5 MLBのスーパースターであったバリー・ボンズも新庄の守備力は一目置く程。

*6 残り3人は福本豊12回、秋山幸二11回、山本浩二10回

*7 と言いながらも実は言われた時点で下半身のトレーニングはしていたが、誰にも見せたがらなかった事と、「下半身を鍛えたら、走るときの足の回転スピードが遅くなるんじゃないかな?」と思ったことが真意であった。とはいえ野球選手として下半身が太いのは気になっており半分本気でもあったが、後のメジャーの故障にて鍛えておけば良かったと後悔したらしい

*8 3つのお助け措置全部を使い切ってしまい、終盤は文字通り新庄が自力で4択を考えないといけない状態になったため。ちなみに「テレフォン(30秒だけ外部と電話相談できる。さすがに相談相手は回答者が先に指名・用意)」要員は当時の日ハムナインだった山田勝彦・岩本勉・伊達昌司・木元邦之。

*9 満席を達成したことで書き加えられた新庄(SHINJO)からのメッセージ。

*10 主な例としてダルビッシュ有、森本稀哲、坪井智哉等

*11 先述の藤田平、星野仙一、岡田彰布等

*12 意外と教え子への非難は多い人でもあり、あの古田ですら「ケチンボがひどいため友人としてはあんま好かれないタイプ」というエピソードの出所は野村の回顧とされる

*13 ただし在任当時にはさすがに「誤解されやすくはある」としてわざとちゃらんぽらんの怠け者キャラを演じているのにネガティブな言及はしていたようだ

*14 この年はエスコンで開催という事情もあった様子。東京ドーム時代に使用されたものを複数選出するなどオールドファンにも配慮していたのも氏らしい

*15 もちろんというか張本にはすぐに気づかれて「おいおい」扱い。東映フライヤーズ時代に在籍した張本もファイターズOBに数えることが基本、つまり大先輩だからもあった?

*16 1度目は6月12日の敬遠球サヨナラ安打の試合で、その時は翌日敗戦後1勝を挟み5連敗で首位陥落。2度目は9月10日で、今度は球団ワーストタイの12連敗を喫して最下位転落。

*17 9月20日の球界再編騒動によるストライキ明けの試合で、新庄がサヨナラ満塁弾を打った…と思ったら、喜びの余り塁上で一塁走者の田中幸雄と抱き合った行為が走者追い越しと見做されてアウトを喰らい、抱き合い前にホームインしていた奈良原浩の1点分しか認められずただのサヨナラフェンス越え単打になったというオチが付いた試合。

*18 実際にバリ島在住中は、先述のトライアウト挑戦に関するものを別にすればポジティブな意味で「毎日が夏休み、現地で遊んで暮らしている」感じだったようだ。

*19 「勇者警察ジェイデッカー」の新庄健、「DAN DOH!!」の新庄樹靖等