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永久欠番

登録日:2010/05/02 Sun 07:54:00
更新日:2026/08/12 Wed 00:44:53
所要時間:約 4 分で読めます




永久欠番とは、主にスポーツにおいて、背番号などの個人に紐づく特定の番号を他の選手が使えないように欠番(実質的に、その選手の専用番号)にすること。
  • その選手の残した記録
  • その選手の(チームやそのスポーツ界での)功績
  • その他特別な事例
等によりその選手を讃えるために送られる特別なものである。


◆概要


簡単に言えば

「永久欠番を獲得する選手を忘れないで下さい」

と言ったものとされている。
また、もし偉大な選手の背番号がそのまま使われ続けると、後輩選手は常に比較され「あのレジェンドと比べて物足りない」「その番号を背負うには実績が足りない」といった過度な期待や批判を受ける可能性があり、永久欠番にすることで、後輩選手を不必要なプレッシャーから守るということもある。

また、一部には選手ではなくファンに向けた番号を永久欠番にしているチームも存在している。

なお、「永久欠番」についての扱いは球団により様々であり、巨人や阪神のように多い球団もある一方で、
「あくまで選手を引退させるための妥協点としての設定」としている中日や、「恒久的な永久欠番は設定しない」ことを公表している日本ハムなど様々であるが、
概ね日本では新たな永久欠番の指定は消極的と言える(現状のNPB最新の「明確な永久欠番」は広島東洋#15・黒田博樹*1)。
当たり前だが先述した趣旨の制度のため、そもそもルール上使用できない番号(数字ではないもの*2、支配下登録選手における3桁の番号*3など)や、1~9とは別枠での01~09など*4は別途指定した理由がない限り永久欠番とは扱わない(「指定されているので永久欠番」のケースについては後で日本ハムの100を紹介しているので参照してほしい)。
この「01~09は原則使用されない」のを利用しているのが、『ドカベン プロ野球編』や『実況パワフルプロ野球』の物語側の選手が01~09を着用している描写である*5。こうすれば絶対に実在選手と重複しないわけだ。
その『パワプロ』ではシステム上は0**と0+2桁の3桁背番号も可能となっている。
名前が「こころ」だからデフォルト状態の背番号は556、なんて人もいる


また、永久欠番に指定された選手がスタッフ入りした際に背番号をどうするかも色々あり、
巨人の長嶋茂雄や巨人監督時代の王貞治、阪神の村山実や吉田義男(兼任コーチ期)、広島の山本浩二(監督第二期)のように、
同じ背番号を使ったケース*6*7もあれば、
監督やコーチになった際には、現役時代の背番号や預かり番号とは別の背番号にする選手も多い。

背番号のない時代からプロ野球が存在したアメリカでは、「ジャッキー・ロビンソンの42を全球団欠番」の他に、
「その当時は背番号という物自体が存在しなかったり、付けてても毎年コロコロ変えていたりするが欠番扱い」、「ファンやオーナー、アナウンサーといった選手でない者を欠番扱いにする」「チーム体制の大きな変更により『欠番ではないが永久欠番対象者としての表彰は継続』となっている」なども存在している。
また、複数の選手の連名での永久欠番も存在している。

◆例


本当は全部紹介したいが、あまりにも多すぎる(偉大な選手が多いことは素晴らしいのだが書き切れない…)ので一部を抜粋した形で紹介する。

◇永久欠番

日本プロ野球】(永久欠番)

  • 王貞治(巨人、背番号『1』)
ご存知世界のホームラン王。
次述の長嶋茂雄と共にV9の立役者として貢献した。
なお、ソフトバンクで監督時に着用していた背番号『89』も、ソフトバンクで永久欠番入りするかもしれないと言われているとか。

  • 長嶋茂雄(巨人、背番号『3』)
ご存知ミスタープロ野球。
強烈なキャラクターのイメージが優先して選手として何がすごいかあまり語られにくいが、通算守備率.965は歴代2位、シーズン214守備機会連続無失策というプロ野球記録を持っている。某児童向けアニメの映画で間接的にラスボスが凶行に至る原因になったり、やはりあの頃の長嶋の3番は象徴的だった。
第2期監督時代にも2000年〜2001年の間着用していたことがある。

  • 黒沢俊夫(巨人、背番号『4』)
初耳の人もいるであろう選手。
戦中・戦後の選手不足の中で巨人を支え、4番を打っていた選手…なのだがシーズン中に腸チフスで病死
その時のチームでの活躍ぶりや選手らの要望によって制定された。
火葬される際に仲間が棺にユニフォームを入れたという話もある。
日本歴代2位となる本盗10回の記録を持つ。
病死したことと「4=し=死」を嫌がったから永久欠番にして封印したという説もあるが、デタラメである。

  • 沢村栄治(巨人、背番号『14』)
後の沢村賞のモデルとなる投手。
「ベーブ・ルースから三振を奪った投手」として有名で、野球漫画のキャラクターに名前が採られることも多い。
チーム創設後のエースとなり、初のノーヒットノーラン*8初の投手三冠王初のMVP、史上2人目のシーズン防御率0点台*9に輝くなど、数々の功績を残した。
まさに日本プロ野球史上に残る伝説の投手である。
しかし、第二次世界大戦による1度目の出征で肩を壊し*10、制球とドロップ*11を武器に活躍するも、予備役として2度目の応召の際に肩を完全に壊してしまい、巨人を解雇される。
公式戦最後の出場は投手ではなく代打であった
その後3度目の出征で戦死。27歳という若さであった。
前述した黒沢と共にNPB史上初の永久欠番となったほか、巨人以外のチームにとっても、その年の最優秀先発投手を顕彰するタイトルの名前…沢村賞*12として敬意が表されている選手である。

  • 衣笠祥雄(広島、背番号『3』)
何があっても試合に出場した、文字通りの『鉄人』。
その体の頑丈さは、彼の教えを受けた金本知憲に受け継がれた。
1976年に盗塁王、1984年に打点王とMVPを獲得しており、非常に万能な選手でもあった。
ちなみに広島の永久欠番は山本浩二の『8』と黒田博樹の『15』を含めて3つあり、後述の阪神と並ぶNPB球団2位タイの数だったりする。

  • 藤村富美男(阪神、背番号『10』)
戦前期から1950年代まで阪神を支え続けた初代「ミスタータイガース」
物干し竿バットや三振の際の尻もちなど、パフォーマンスでも名を博した。
阪神も比較的球団の歴史が長いが、明確な永久欠番は藤村以外では村山実の『11』、ムッシュこと吉田義男の『23』の3名のみである。
なお、NPBの選手に対する永久欠番では唯一の「創設以来ただひとりがつけた番号」である。

  • 稲尾和久(西武、背番号『24』)
「神様・仏様・稲尾様」と称えられた西鉄ライオンズ黄金期を支えた大投手。ヴィクトル・スタルヒンと並びシーズン42勝という記録を持つ。
現役時代及び続けての監督時代の2年間この番号を付けたが、1973年に西鉄ライオンズが太平洋クラブライオンズと名前を変えるにあたり背番号を変更。このとき永久欠番になる話もあったが稲尾本人が断ったという。
その後は一時保留番号とされた時期もあったが、普通にライオンズの中で使用され続けた。6年連続ゴールデングラブ賞の平野謙が著名なほか、黄金期を支えメジャーに最も近いと言われた秋山幸二も『1』になる前は24をつけていた。
2012年、稲尾の生誕75周年を記念し、改めて永久欠番に指定された。同年7月1日には背番号24の付け納めということか、全員が背番号『24』を付けて試合を行った。
NPBでは唯一の「永久欠番の該当選手以降の着用実績のある番号」であり、パ・リーグ唯一*13の選手の永久欠番である。

  • ファンの皆様(楽天 背番号『10』)
  • ファンの皆様(ロッテ 背番号『26』)
下のサッカーと同じで、10はスタメン9人に続く、つかパ・リーグはDH制だろというツッコミはさておき10人目、26はベンチ入り25人に次ぐ26人目のメンバーという意味で26が欠番指定されている。ロッテの26については別の意味もあるとされるがここでは触れないものとする
他にファンのための欠番は、MLBのクリーブランド・ガーディアンズのは455試合連続ホームゲーム満員を記念し『455』が設定された例がある。
また選手以外まで広げるとオーナーや実況アナに永久欠番が振られているチームがある。

  • 大社義規(日本ハム、背番号『100』)
選手ではなく、企業グループとしての日本ハムの創業者。
高校の先輩に世界で初めて巨人のユニフォームにそでを通した男・三原脩がいたため、彼の勧めで当時、(比較的)やる気がそこまでないオーナー複数名の間をたらいまわしにされていた、文字通りの「パリーグのお荷物球団」の日拓ホームフライヤーズを買収。1973年のシーズン終了後のことであった(大社のオーナー権の発効は11月)。
これが現在まで続く『日本ハムファイターズ』の名称の誕生となる。
元々野球好きだった大社はそれはもう熱心にファイターズの運営に携わり、没後の2009年、とうとう野球殿堂特別表彰を受ける。これを機に、大社本人の意向で「オーナーが使う背番号」と決められていた#100がファイターズ唯一の明確な永久欠番となった。
ちなみに指定前も性質上選手やフロント陣が100を使用することはなく、球団マスコットのファイティー*14が「大社オーナーが参戦できない場合の現地観戦代理」のような形で着用していた程度。


【メジャーリーグ】(永久欠番)

  • ルー・ゲーリッグ(ヤンキース、背番号『4』)
野球史上初の永久欠番。
俗に「ルー・ゲーリック病」とも呼ばれる難病「筋萎縮性側索硬化症」に罹患し引退を余儀なくされたゲーリッグが、
いつまでもチームに所属できるようにというはからいで制定された。
セレモニーの際に「私はこの世で最も幸せな男です」という名言を残している。

ちなみにヤンキースはその歴史と実績に相応しく22人(+ジャッキー・ロビンソン)もの永久欠番選手が指定されており、1~9までの一桁背番号が全て欠番となっている。

  • ジャッキー・ロビンソン(全球団共通、背番号『42』)
当時(1950年前後)は野球は白人がするものであり、黒人(有色人種)のするものではないと思われていた。
というか、前提として当時のアメリカはバリバリの白人至上主義で人種差別国家であり、それこそ表舞台に立つ白人が「 黒人は人間ではない 」と公言する時代であった。それらの解消には50年代~60年代の公民権運動の高まりを待たなければならない。
そんな中、ベースボールというナショナルスポーツの頂点であるメジャーリーグは当然白人のものであり、黒人はニグロリーグという黒人専用のリーグでプレイをしていた。
それを打ち破った選手が彼である。
実力で這い上がり、多くの心無い差別と戦いながらも監督やチームメイトらに支えられ、メジャーリーグで新人王を獲得した。
その後もコンスタントに活躍し、多くの黒人や有色人種への活路を開いた。
当時のドジャースのオーナーが言った「君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。」という言葉を彼は間違いなく実行したのだ。
この功績を讃え、ロビンソンのメジャーデビュー50周年を期に1997年に全球団で永久欠番に指定された。
ちなみにドジャースでは1972年の時点で永久欠番に指定されている。

永久欠番制定前から着用していた選手には退団まで特例で使用が認められていたが、ニューヨーク・ヤンキースのクローザーであるマリアーノ・リベラが2013年に引退したことで特例対象者はいなくなった。

なお、カージナルスではブルース・スーター、ヤンキースではリベラがジャッキーと連名で永久欠番の対象者となっている。

また、彼がデビューした4月15日はジャッキー・ロビンソンデーと制定され、希望する全球団の選手全員が背番号『42』をつけてプレイすることが出来る特別な日である。

なお、日本で活躍する外国人選手に『42』が多い理由はメジャーリーグではジャッキーの背番号が着用出来ないかららしい。
日本人は42番を「縁起が悪い」として嫌うので*15、どこの球団でもだいたい空いており希望が通る。

【サッカー】(永久欠番)


  • 松田直樹(横浜F・マリノス 背番号『3』)
練習中に急性心筋梗塞で急死した元日本代表。
亡くなった時に所属していたチームはJFL・松本山雅FCだが、山雅はこの年に彼の遺志を継いだ後輩達によりJ2昇格を達成している。

  • サポーター(多チーム 背番号『12』)
ピッチに出る11人の選手の次の選手 という意味で12を欠番とするチームは多い。
日本だと浦和レッズとサガン鳥栖*16以外はだいたい12を飛ばしている。
殆どのチームは暗黙の了解で飛ばしているが、オランダのフェイエノールトは正式に永久欠番としている。

【NBA】(永久欠番)

  • マイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学、背番号『23』)
マイケル自身はヒートに在籍したことがないが、彼の活躍を称えたヒートのパット・ライリー監督が2003年に彼の『23』をヒートの永久欠番に決定した。
マイケル・ジョーダンに苦しめられたライリーが、自チームで23番を見たくないからだとする説もある。

【MotoGP】(永久欠番)

  • ケビン・シュワンツ(ゼッケン34)
まだmotoGPになる前、2st500ccマシンを使うWGP時代唯一の欠番。
シュワンツはワールドチャンピオンこそ1回のみだが、そのアグレッシブなライディングでウェイン・レイニーをはじめとするライバルたちと毎年のようにチャンピオン争いを繰り広げ、バイクレースのファンたちから絶大な人気を誇った。
この時代は現在と異なり、前年のポイントランキングの順位がそのままライダーのゼッケンになることが慣例だったが、シュワンツはWGPデビュー以前からAMAというレースで使用していた34のゼッケンに愛着があり、本人の希望でWGPでも使用を続けていた。
これらのことから、34というゼッケンはロードレースにおいてシュワンツを象徴するものとなっており、彼に敬意を示した主催者によって、永久欠番に指定されている。
なお本人はまだ健在で、49歳で迎えた2013年の鈴鹿8耐では一時的にライダーに復帰し、チームメイト加賀山とほぼ変わらないペースで走行。見事3位表彰台を獲得。2018年にはチーム監督として来日し、元気な姿を再び見せていた。

  • バレンティーノ・ロッシ(ゼッケン46)
『生きる伝説』として多くのファンに愛されたライダー。
現役時代は125ccと250ccで1度ずつ、500ccで1度、MotoGPで6度と計9度のチャンピオンに輝き、通算432レースに参戦して115度の優勝と235度の表彰台を獲得した。
引退レースとなった2021年のMotoGP最終戦となる第18戦バレンシアGPの後には、チャンピオンシップの年間表彰式でMotoGPレジェンドになることが発表され、殿堂入りを果たした。
それから翌年の2022年に最高峰クラスにて彼が使った『46』が永久欠番になる事が発表された。
『46』はロッシのトレードマークとしてファンに浸透しており、ロッシが引退後もレース会場で、このゼッケンが書かれたアイテムを使うファンも多い。
ちなみにロッシはmotoGPでの活動終了後、W Racing Teamに所属して4輪の耐久ドライバーとしてのキャリアを始めたが、こちらでもゼッケン46と蛍光イエローのカラーリングを継続している。
2023年からはBMWとファクトリードライバー契約になり、WECのGTクラスがGT3マシンとなる2024年からはWECという舞台で再び世界に46が輝く事となった。
なお本来WECのGT3クラスのゼッケンはオレンジ背景に白抜きでナンバーだが、ロッシのマシンだけは特例でオレンジ背景に黄色い文字となっている。

  • 加藤大治郎(ゼッケン74)
日本人初のMotoGP殿堂入りライダー。1976年7月4日生まれで、ゼッケンはこの誕生日にちなんで選んだもの。
1999年に全日本ロードレース選手権の250ccクラスでランキング2位となったのを機に、翌2000年に世界選手権の250ccクラスに参戦してランキング3位。2001年にはチャンピオンに輝き、MotoGPにステップアップ。当時は旧型のNSR500で苦戦続きだったが、シーズン途中でホンダの新型マシンRC211Vを与えられ、息を吹き返し始める。
2003年にはRC211Vの最新型に乗ることが決まり、前年のチャンピオンのバレンティーノ・ロッシからも最大のライバルになるだろうと警戒されていた。
しかし、この年の開幕戦である日本GP決勝レース中、鈴鹿サーキットのシケインで突然マシンがコントロール不能に陥りバリアに激突。
加藤は意識不明の重体となり、病院で懸命の治療が施されるも、事故から約2週間後に逝去。享年26。
事故から半年後には彼の功績を称え、上記のMotoGP殿堂入りと、ゼッケン74の永久欠番入りが発表された。
彼の死後、日本人ライダーの多くが彼に敬意を表し、ツナギやマシンに加藤が使用していたゼッケン74のステッカーを貼っている。
4輪のレースでも、加藤と幼少期からの友人であった本山哲は自身のマシンのステアリングに74のステッカーを貼るようになり、2輪と4輪双方のレースで活躍した高橋国光が設立したチーム国光がSUPERGTで使用しているマシンのリアウィングにも74のステッカーが貼られている。

  • 富沢祥也(ゼッケン48)
motoGPの下位クラスであるmoto2初戦のウィナーであり初の死者、享年20。
転倒した所後続2人に轢かれた衝撃で大動脈破裂を起こし、ほぼ即死であった。

【F1】(永久欠番)

  • ジュール・ビアンキ(ゼッケン17)
鈴鹿サーキットでの事故から9ヶ月間闘病生活を送っていたが、結局意識を取り戻すこと無く逝去。
F1では21年ぶりとなる本番セッションでの死亡事故であり、これを忘れないための欠番。


◇諸事情で永久欠番では無くなった人

球団が合併したりして永久欠番では無くなった人もいる。
  • 中西太(西鉄、背番号『6』)
かつて福岡に本拠地を置いていた頃のライオンズのスラッガー。通称『怪童』
史上最年少でトリプルスリーを達成し、その後も三冠王を狙い続けたがなし得ず故障→選手兼任監督→引退。
ライオンズが西鉄から太平洋クラブになる時に、上述の稲尾の鶴の一声で欠番ではなくなった。

  • 鈴木啓示(近鉄、背番号『1』)
最後の300勝投手にして、長年近鉄のエースとして君臨した大投手。
長年パ・リーグ唯一の永久欠番とされていた番号。
近鉄とオリックスの合併に伴い本人の同意のもと失効し、ブルーウェーブで『1』を付けていた後藤光尊に引き継がれた。
その後は一時期コリンズ監督が使用した以外は後藤が使っていたが、後藤の楽天への移籍後は中島裕之(宏之)、モヤ、福田周平へと引き継がれている。

ちなみに近鉄最後の監督となった梨田昌孝は、最終戦を前に当時の在籍選手たちに「お前たちが付けている背番号は、全て近鉄バファローズの永久欠番だ」と言っており、近鉄の永久欠番は残っている、あるいは梨田の言の通り「岩隈や中村、北川のようにその後も活躍したメンバーだけではなく、近鉄を最後まで見守った選手全員が永久欠番として称えられている」と考える人間もいる。

ちなみに当時の水島先生は「実在選手と背番号が重複しないようにする」のに先述した01~09のアイデアを思いついていなかったのか、『あぶさん』ではあっさりルーキーの景浦景虎で#1が復活している。

  • モントリオール・エクスポズの各永久欠番(『8』、『10』、『30』)
エクスポズ黎明期を支えたゲイリー・カーターとラスティ・スタウプ、通算で400-300を達成したアンドレ・ドーソン、エクスポズの各種球団記録を持つティム・レインズの4名が永久欠番とされていた。
球団がモントリオールからワシントンD.C.に移り、ワシントン・ナショナルズと改名されたのを機に各番号の使用を再開した。一方で4選手は「エクスポズの永久欠番」として引き続き顕彰されている。


◇実質的な永久欠番

長年にわたり使われず実質的に永久欠番扱いにされている番号や、その背番号の保持者が認めた者に継承される番号もある。

【野球】

1990年代に7年連続の首位打者を獲得してチームの2度の優勝に大きく貢献し、2001年以降大リーグでも活躍した安打製造機。
チームが合併してブルーウェーブからバファローズになった後も欠番状態だが、現状永久欠番に指定される気配はない。
とくに2025年には日米でイチローが野球殿堂入りを果たし、シアトル・マリナーズで背番号51の永久欠番化が発表されたが、オリックス側ではとくに発表がないという状況である。
一応2019年のイチロー引退時に永久欠番化を検討するという球団社長の発言があったので、考えていないということはないと思われるが…

ちなみに2005年にオリックス時代の恩師である仰木彬監督が監督に復帰する際に、イチロー本人から「51をつけてはどうでしょう?」と提案したことがあるが、
仰木の方から「いくらお前本人の提案でも恐れ多い」として断ったとのこと。
なお仰木本人は1970年に近鉄のコーチになった際に51番をつけたことがある。

ダイエーが暗黒期から黄金期へと移り変わる時期に活躍。「炎の中継ぎ」の異名をとるなどしたものの、肺癌で若くしてこの世を去った。
将来的には永久欠番化が検討されているものの、20年近く経つ現在でも永久欠番にはなっておらず、現在に至るまで使用されていない。
一方で、チームがダイエーからソフトバンクに変わっても背番号15の藤井の缶バッジが配布されるなど、「藤井は永遠に現役」「藤井は、いまもここにいる*17」という考え方もできる。
優勝して胴上げが行われる際には、彼の背番号である15番を着用したハリーホーク人形が毎回胴上げに加わっている。

  • 「永久預かり」(広島)
広島東洋カープ特有の制度で、「チームを支える活躍をした功労者の背番号を、引退した功労者が推薦するものが現れるまで欠番とする」というもの。
これまでに『20』(北別府学)、『7』(野村謙二郎)、『1』(前田智徳)、『25』(新井貴浩)、『9』(緒方孝市)に適用されている。
その後『20』は永川勝浩→栗林良史が、『7』は堂林翔太、『1』は鈴木誠也*18、『9』は丸佳浩→秋山翔吾、『25』は監督に復帰した新井本人が着用した。
なお新井は監督就任時永久欠番の15を要求したところ本人からあっさり承諾が取れてしまったというエピソードがある。結局仲の良い2人のイジりあいだったわけだが球団関係者は肝を冷やしたことだろう。


同様の扱いをする球団は多く、近年の例では
日本ハムにおける『11』(ダルビッシュ有大谷翔平*20
などが挙げられる。

下記のものも似ていると言える。

  • 「ミスター・スワローズ」(ヤクルト、背番号『1』)
基本的に生え抜きかつチームの中心である選手にのみ使用が認められる番号であり、「ミスター・スワローズ」の称号が必ずセットでついてくる。
初代である若松勉が1989年に引退する際、「永久欠番に」という運動があったために制定された。

以後の着用者は池山隆寛(1992〜99)、岩村明憲(2001〜09)、青木宣親(2010〜11)、山田哲人(2016〜)のみ。
全員、かつての着用者から資質を認められて元の背番号から変更する形で使用しており、衰えたり一度ヤクルトを離れて再入団する際には最初の番号に戻している*21
特に山田に関しては比較的長期に渡って「ミスター・スワローズ不在」が続いていた中での継承であり、ファンも多少の驚きがあったそうな(といっても既に走攻守すべてで大暴れしていたため「ついにか!」という趣旨のであろう)。

ちなみにヤクルトは他に『6』(宮本慎也)、『27』(古田敦也)もふさわしい選手(『27』は捕手のみ)に引き継ぐための番号としている*22
『6』は2021年よりルーキーの元山飛優に期待も込めて継承されたもののトレードで移籍し2026年からは同じくルーキーの松下歩叶に継承、『27』は2022年よりヤクルト20年ぶりの日本一の立役者である中村悠平に継承された*23肩強いもんねムーチョ。*24

欠番、ヤクルトにおける1・6・27や広島における「預かり」のような特殊な扱いとしなくとも「前任の後継者となりえる選手に引き継ぐ」のを原則とする背番号は珍しくない。
18(チーム最強の先発投手、すなわちエース)や22(球団にもよるが、佐々木主浩・高津臣吾・藤川球児など複数名のOBを理由として「リリーフエース」「絶対的なクローザーないしセットアッパー」に与えることが多い)のような複数球団で共通の考え方の番号を除くとDeNAの27*25、阪神の1*26や31*27や53*28・54*29など。制度趣旨としては似ていると言えるだろう。
突然捕手の名誉番号に差し戻されたソフトバンクの19(登録枠昇格後、移籍による離団まで甲斐拓也が使用)なんてケースまである*30

  • 景浦安武(南海/ダイエー/ソフトバンク、背番号『90』)
ご存じ酒しぶきでおなじみ代打の神様。
但し福岡以降はチート成績のため賛否が分かれる。
ここでお気づきの人も多いと思うが、実在人物ではない。
水島新司の漫画「あぶさん」の主人公が付けていた番号で、南海時代からホークス一筋の人生だった*31ので、リアルでも水島に了承をとり90を欠番扱いとしていた。
あぶさんの連載終了後に、水島から了承を経てロベルト・スアレスに継承され、2021年からは指導者としてソフトバンクに戻った小久保裕紀が日本代表コーチ時代から背負っていた番号ということで再度着用している。
余談だが、あぶさん本編では景浦の実子・景虎も近鉄入団に際し、ピッチャーだったことから前述した永久欠番の「1」を球団から贈られている。

【サッカー】

「PKよりフリーキックの方が簡単だ」の言葉で有名なファンタジスタであり、OBE(大英帝国勲章)を受賞している。
その技術はナポリ時代チームメイトだったマラドーナ直伝のものであり、「マラゾーラ」という愛称も持つ。
フランク・ランパードは「25番をつけてフリーキックを外したら恥ずかしいね。だからゾラの退団後は誰もつけていないんだ」と語っている。
ちなみにジョン・テリーの背番号26はゾラに続く選手になるという意味を込めていると思われがちだが、
実際は、トップに上がった時に空いている番号が26しかなかったからとのこと。

ゾラが去った後は長きに渡り空席だったチェルシーの背番号25だが、2023年に加入したモイセス・カイセドが本人に許可を取り、実に20年ぶりに25番をつける選手になったことが発表された。

◆創作における永久欠番


魔力炉脱出の為命を落としたので永久欠番になる。
でもなんだかんだで生きていた。

尚、「永久欠番」と俗称されることもある、「大人の事情でソフトに収録されず、される見込みもないエピソード」に関しては封印作品を参照。

◆スポーツ以外の永久欠番


「以前は使用されていたが何等かの理由で使用しなくなった番号」はスポーツ以外にも存在する。
ただし、スポーツ以外の場合は単に「欠番」と呼ばれることの方が多い。
ここで言う「何等かの理由」とは、多くの場合大事故を指す。
特に交通機関において、過去の凄惨極まりない大惨事を想起させる縁起の悪い数字として、そのような事故に見舞われた便名や車両番号が使用されなくなる例は国内外で散見される。
詳しくは「忌み数(欠番)」の項目を参照。

また、中島みゆきの楽曲の一つの題名としても知られる。
この楽曲は、中学生向けの国語の教科書である東京書籍刊行「新編 新しい国語3」の最初のページに歌詞が収録されている。
音源は1991年リリースのオリジナルアルバム『歌でしか言えない』に収録されている。







追記修正は、欠番になった背番号を使った選手を思い浮かべながらお願いします。

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最終更新:2026年08月12日 00:44

*1 2016年シーズンいっぱいでの引退による

*2 マスコットであればスラィリーの「!」など少数例がある

*3 育成選手、2軍以下のスタッフ、打撃投手の3役職でしか使えないと明示されている。一般的にも育成選手の番号とされているだろう

*4 00はok。2026年シーズンだとエスピノーザ(Bs)や湯浅(G)、元山(T)などが#00を着用。悪い意味で有名になってしまった羽月隆太郎も解雇+黒塗り扱いされる直前は#00だった。実は明示ルールとなったのは最近で、それ以前は「12球団間での自主的なアグリーメント」のほうが正確だった

*5 山田太郎が西武ライオンズの、六道聖が横浜DeNAベイスターズのそれぞれ#02を使用、など

*6 長嶋は監督第一期、及び第二期の大半の期間は3番を使っていない。監督時代に3番を使ったのは第二期末期の2年間のみ

*7 王は引退即スタッフ入り、吉田は兼任コーチだったため選手時代との空白期間がない。

*8 生涯に3回達成。最多タイ記録である。

*9 史上1人目は景浦将(タイガース/1936秋)である。

*10 手榴弾の投げすぎ。当時野球選手(特に投手)は手榴弾を的確な位置に投げることが出来ると徴兵されていた。

*11 当時は基本的に「直球が投げられるならだれでも習得できる」投げ方で指導されていたことから、沢村に限らずある程度以上直球が得意な投手はみんな持ち球にあった。

*12 正式名称は「沢村栄治賞」と、彼を称えてのタイトルなのがより明確となっている。

*13 鈴木啓示の1も該当したが、その詳細は後述

*14 1993年~2005年。ピンク色の翼竜みたいなあの子

*15 読みから「しに番号=死に番号」となるので

*16 こちらはチーム創設に多大な貢献をした大学教授の命日である1月7日、およびかつてのベンチ登録人数が16人であったことにちなみ『17』が欠番

*17 その証拠に、当時藤井が使っていたロッカーの中身…彼が遺していくことになった私物は、相談のうえで奥さんたち遺族に渡されたことで「持って帰った」ものを除き、ロッカールーム内に特別スペースを設けることで今もホークス選手用のロッカールームに保管されている

*18 カブスへのポスティング移籍に伴い22年より空き番

*19 21年より復帰し再び着用するも巨人に移籍し空き番に

*20 あくまで「ダルビッシュ有・大谷翔平の番号をつけるのにふさわしい選手が入団した時まで(要約)」としている。またそもそも大谷の背番号決定までは「(現在と同様の扱いをとる)ダルビッシュの名誉番号」だった様子。

*21 岩村のMLB→楽天からの復帰、青木のMLBからの復帰時には、どちらもヤクルトに新人入団した時と同じ番号の48・23を着用

*22 この2人も「1番はもらわなかっただけで事実上ミスター・スワローズに列席している選手」と解釈されることも多く、例えばゲーム『実況パワフルプロ野球2024-2025』では古田も特殊能力の名称が「Mr.スワローズ」に書き換えられて収録されることが事前プロモーションの時点で明かされた

*23 この他、相川亮二の入団の際に球団と預かり人の古田敦也の同意のもと27が提示されたが当人が断り、『2』を選んだ。ちなみに中村も2021年には『2』を付けていた。

*24 というかこれに関しては半分以上盗塁失敗させていたことが普通にある古田が異常すぎるだけである

*25 「カミソリシュート」平松政次の番号であることから、先述の18に特殊なニュアンスがあることもありエースの背番号、2026年現在はアメリカ帰りの藤浪晋太郎が着用

*26 鳥谷敬から。2026年は同じくバランスよく高い能力を誇り、長打もあるということから森下翔太が着用

*27 「2代目ダイナマイト打線の象徴」掛布雅之から、基本的に掛布の意見のもとホームランバッターになるのを期待される選手に与えていた。2026年現在は欠番

*28 「レッドスター」「セ界一のスプリンター」赤星憲広から。2026年は同じく俊足選手の島田海吏が着用

*29 「もうひとりの史上最強助っ人」ジェフ・ウィリアムス、「開幕投手男」ランディ・メッセンジャーから事実上エース番号のひとつ扱い。2026年現在は木下里都が使用

*30 19はホークスの歴史上で言えば野村克也の番号でもある。ただしノムさん以外はダイエー・ソフトバンク期を含めても全員投手が着用しており、世代によっては山内孝徳や森福允彦のイメージのが強い人も多いであろう

*31 「史実で」最後の南海への所属経験がある選手だった大道典良よりも現役が長い(大道2007年引退、景浦父2009年引退)。南海1軍公式試合への出場経験のあった吉田豊彦より1年早いだけ