第四次中東戦争

登録日:2011/03/10(木) 00:19:45
更新日:2024/10/18 Fri 10:46:00
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第四次中東戦争

通称 十月戦争
1973年10月6日〜10月26日


主要交戦国

イスラエル

VS

エジプト
シリア
その他様々なアラブ諸国


アラブ側の呼称は「十月戦争」だが、イスラエル側では「ヨム・キプール(贖罪日)戦争」。


米ソ最新戦車の交戦やイスラエルの劣勢、中東情勢の変化等々色々話題に尽きない戦争。

目次



概要

開戦前夜(エジプト・シリア)


『第三世界の盟主』ことナセル大統領亡き後、エジプトの大統領に就任したサダートは長年に渡る戦火に疲弊した国力の回復を考えた。

目下の課題は
  • 交戦相手イスラエルとの講和
  • 先の戦争で奪われた『シナイ半島』の奪還
  • 同『スエズ運河』の奪還
である。


サダートはソ連の軍事顧問を追い返す等、親米路線をアピールしてアメリカの仲介を期待するも、中東最大だった反米国家の転身を信じる訳もなく、さらに『ベトナム戦争』等諸問題に大わらわで空振り。

大国は何処も「中東でイスラエルに勝てる国は無い」
と考えていた。

更に前述したように先の第三次中東戦争でアラブ諸国は完全な奇襲を受け、エジプトはシナイ半島、シリアはゴラン高原をそれぞれ丸ごとイスラエルに奪われていたのであった。そのためここで領土を奪還しておかないと最早永久に奪還できない。そうなれば政治的にも外交的にも、そして何より国民感情的にも取り返しのつかない事になる。これ以上イスラエルに舐められる訳にはいかないのである。

ここでサダートは賭けに出た。
「開戦早々全力でぶっ叩いて領土を奪還し、戦況有利の内に和平を結ぼう。」
と考えたのである。

まず、先だって追い返したソ連の軍事顧問を再度呼び、最新兵器を買い付ける。
ついで中東諸国と再度結託し、イスラエルへの同時進行を計画。

しかしこれまでの3度の中東戦争でアラブ諸国は一度も勝った事が無く、そのため今回のエジプトとシリアとしてはできるだけイスラエルを弱らせてから攻撃したかったのである。

そして両国は奇妙な行動を開始した。エジプト方面ではイスラエルに奪われたシナイ半島とエジプト本土の境界で事実上の国境となっていたスエズ運河沿岸に大規模な軍を集結させ、軍橋や上陸用舟艇を大規模動員して運河を渡り、対岸に上陸する寸前に引き返すという訓練や演習を何度も繰り返したのだ。対岸のイスラエル軍も当初は戦争が迫っているのではと対策を強めたが、それが何度も続く内にただの訓練や脅しだと楽観視するようになっていった。またシリアもゴラン高原付近で同じような行動を起こしていた。そしてイスラエルは相変わらず油断し続けていた。それが罠だとも知らずに…。

決行は『ユダヤ教』の贖罪日である10月6日。その日はユダヤ教徒は絶対に自宅で祈りを捧げなければならず、という事は軍人や政治家たちも休みなのでイスラエルの軍事力が一番弱る日なのである。

そして1973年10月6日、エジプトとシリアは一気に攻撃を開始した。

第四次中東戦争の幕開けである。


開戦前夜(イスラエル)

イスラエルは第三次中東戦争での奇襲作戦で莫大な領土を得た。
しかしその明らかな侵略行為により、国際社会から孤立。
大国からの援助(特にイギリスからチーフテン戦車を配備する予定だった)を打ち切られ、さらに建国以来の連戦連勝で軍の士気も緩みきっていた。

そんな中、情報機関『モサド』より、エジプト・シリア軍大集結の報告を受けるも「ワロスw」程度にしか聞いていなかった。

何処が攻めてきても片手で払えるぜ、と完全に舐めていたのである。

更に前述のようにエジプト、シリアの何度も&迫真の軍事演習によってイスラエルはまんまと罠にはまり、油断しきって軍事境界付近の部隊の士気も下がっていたのである。

それよりイスラエルにとっては、前年1972年のミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手団の殺害テロを起こした『黒い九月』への復讐が先決だった。

そんな中、10月6日ヨム・キプールの日が明けた。

両軍の空軍装備

第三次中東戦争でもそうであったように、今回の第四次中東戦争でも航空戦力による奇襲攻撃がものを言った。両軍共に当時最新鋭の戦闘機や攻撃機を大量に装備しており、エジプト、シリアはソ連製MiG-21を180機保有していた他Su-7も増備、更に爆撃機に改造したMiG-17とMiG-19を合計約300機保有していた。そして対するイスラエルはアメリカ製F-4ファントムⅡを130機保有しており、古いミラージュⅢを55機やネシェル、シュペルミステール、ミステールⅣを合計22機、攻撃機ではA-4スカイホークを135機保有していた。全体的にはアラブ諸国が東側装備、イスラエルが西側装備となっていた。

開戦

10月6日、エジプトとシリアは奇襲を開始。
エジプト軍はスエズ運河より攻撃。
イスラエルは対岸に『バーレブライン』と呼ばれる、高さ3mからなる土塁の陣地を築いており、突破には三週間は掛かるものと見ていた。

しかしエジプト軍はこれを運河の水を利用して放水車で攻撃し、僅か三時間程度で突破。
この速攻にイスラエル軍は防備が間に合わず大混乱。

そこでイスラエルは自慢の空軍を出撃させ、地上を進撃するエジプト、シリア軍の戦車部隊や指揮系統を空対地攻撃で壊滅させようと考え、空軍の対部隊を出撃させた。しかしそれこそが相手の罠であった。イスラエルの航空隊が敵陣地に侵入した瞬間、エジプトの対空兵器が一斉に火を吹いた。

自慢の機甲師団は新兵器RPG-7ロケットランチャー等の対戦車兵器で大打撃を被り、常勝だった国防空軍はZSU-23-4シルカ対空戦車等の対空兵器の餌食となったのである。
勢いに乗ったエジプト軍は快進撃を続け、シナイ半島を奪還。

一方シリア軍はゴラン高原にて早々に膠着状態に陥っていた。

更にエジプト、シリア以外にも開戦後スーダン、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、クウェート、イラクが参戦、数日後の10月13日にはヨルダン、14日にはサウジアラビアも参戦し、アラブ諸国は結束を見せる。

しかしエジプト、シリアの初勝利もここまでであった。前述したようにこの日はユダヤ教の贖罪日であり、イスラエルの軍人たちは休日だったが、それは逆にほぼ全員の国民(イスラエルは国民皆兵制の国である)が位置でも招集可能な状態で国内にいた事を意味するのである。


反撃(イスラエル)

エジプトとシリアの奇襲作戦で大打撃を受けたイスラエルは、秘密兵器『内緒のミサイル』の照準をカイロに定めて、ベトナムから撤退したばかりのアメリカに支援を要求。
この「私だけが、死ぬわけが無い…中東の油も一緒に連れていく」と言わんばかりの行動に、アメリカは最新のM60スーパーパットン戦車(後のマガフ6/7)や有線式対戦車ミサイルを授与。

戦力を整えたイスラエル軍は、シナイ半島で動きを止めたエジプト軍は後回しにしてシリア軍を攻撃。
シリア軍はエジプトに「さっさとイスラエルへ攻め込め」と要請するも、「うちらの目的は此処までだし」とあっさり拒否。

他の中東諸国に援軍を要請するも、基本的に「イスラエルとつぶし合え」以外頭にない中東諸国は形だけの援軍しか出さない。
連携がgdgdなアラブ陣営は瞬く間に巻き返されてシリアの首都ダマスカス目前まで追いまくられる。
が、ここでソ連の「それ以上はいけない(キリッ」の一声に進軍を停止。

シナイ半島でも攻勢に出て国際連合が停戦決議を行うも、「停戦決議なんか無視無視」とイスラエルは軍事行動を辞めなかった。
ソ連は「これ以上は私が相手をする事になる(キリッ」と、介入も視野に入れた軍事支援をアラブ側に始め、同じくアメリカもイスラエルの軍事支援を強化した事から「第三次世界大戦」の勃発も騒がれ始めた。

しかしアラブ側にはある意味でイスラエルの『内緒のミサイル』より強い武器を持っていた。

アラブ諸国「イスラエルを支援する者には石油は売らず
そう,「石油」である。
当時石油利権を欧米のオイルメジャーから奪い返し、自国で管理するようになったアラブ諸国はイスラエルから手を引かせる為に、最大の支援を行っていたアメリカとオランダに石油禁輸措置を取り、その他の支援国に対しても、原油価格の大幅引き上げ及び石油供給削減を開始する。
これにより原油価格が高騰し、即ち「オイルショック」が発生した。

日本はアラブ側にもイスラエル側にも立たない中立的な外交を展開していたが、アメリカと「日米同盟」を結んでいた為に、支援国とみなされる可能性が高かった為、急遽アラブ諸国に日本の立場を説明し、支援国家リストから外すように交渉した。
しかしオイルショックによる原油高騰によって高度経済成長期が終焉を迎え、石油製品を始めとする値上げが発生。
「紙製品がなくなる」というデマによってトイレットペーパー等の買い占めが発生する等、一般の生活にも大きな影響が響いた。

オイルショックや必死の抵抗によってアラブ側は対等な立場を得る事ができ、双方睨み合いが続いたが、米ソの仲介によって停戦となり、その後エジプト・イスラエル間で和平が成立し、両国間の約30年に渡る長い戦争に終止符が打たれた。




終戦

戦争終了後、二国間で『 中東和平条約 』が結ばれる。
  • シナイ半島返還
  • スエズ運河返還
  • 互いに攻撃しない
  • イスラエルを承認する

これにより、エジプトは当初の目的を達成。
中東で初のイスラエル承認国となった。
さらにソ連との縁を完全に絶ち、親米路線を明確に提示した。



余談

当然エジプトは他の中東諸国から総スカンを喰らい絶縁される。
特にカダフィ大佐は直前まで「貴方と…合体したい…」と国家統一を目指し国旗まで同じにしていたが、エジプトとイスラエルの国交樹立に「エジプトのバカ!もう知らない!」と激怒して一晩で国旗を緑一色にした
が、元々何の益も無いのでエジプト的には全然問題なかったそうな。
もっともこの裏切りや国内のゴタゴタの影響で、サダートはこの後イスラム過激派に暗殺されたんだけどな!

蛇足

上の書き方だとイスラエル空軍が一方的にフルボッコにされたように見えるが、実際にはアラブ側が330機以上の機体を失ったのに対し、イスラエル空軍が失った機体は6機から多くとも10数機と僅かなものであった。
エアパワーで圧倒された結果、エジプト・シリアの制空権はイスラエルに確保され、本土上空をイスラエル空軍が我が物顔で飛び回る状況だったという。
…がこれはあくまで空中戦での話。
前述されたエジプト軍スエズ運河前線の対空網によって、開戦から僅か48時間でイスラエル空軍は100機以上も機体を失い、前線において制空権の確保に失敗。
そして、その僅かな地域の制空権を確保出来なかった事がこの戦争の趨勢に多大な影響を与えたのである。


パレスチナとイスラエルの対立、その後は

その後25年間で4回も戦争で負け続けたアラブ側とパレスチナ側は、このままでは耐えられないと「インティファーダ」と呼ばれる住民の抵抗運動が広がっていき、住民がイスラエル軍に石を投げて抵抗を開始。
一方でパレスチナの外ではアラファト議長率いるPLO=パレスチナ解放機構という組織が、各地でイスラエルに対する武装闘争を展開していく事になる。

そんな中、転機が訪れる。
1991年、湾岸戦争が勃発したのだ。
その際に当時のイラクのサダム・フセイン大統領は、旗色が悪くなる中で「アラブの正義の為にパレスチナを解放する」と言い出して、はるか遠くのイスラエルにミサイルを数十発も発射する事態になったのだ。

これをきっかけに「パレスチナ問題を解決しないと大変だ!」と国際社会が大慌てとなり、事態打開を求める声が高まったのである。

そこで1993年、アメリカとノルウェーの仲介で、イスラエル・パレスチナ双方のトップに交わされたのが、パレスチナ暫定自治合意、いわゆるオスロ合意である。

パレスチナに暫定自治区を設置して、いずれはイスラエルとパレスチナの双方が共存することを目指す、という内容であり、和平交渉の期限とされていた2000年までは楽観論が広がっていた……。

だが、そう簡単にはいかなかった。

後にイスラエルの首相となる和平反対派である右派のシャロン氏が、エルサレムのイスラム教の聖地に勝手に足を踏み入れてしまい、礼拝中だったイスラム教徒が激怒して暴徒化し、それをイスラエルの警察が力ずくで排除した為、各地で抗議の運動が勃発し、激しい衝突が相次ぐ暴力の応酬となっていってしまった。

もう、オスロ合意は暗礁に乗り上げてしまったのである。

衝突が長期化していく中、イスラエルの世論が右傾化し、選挙であのシャロン氏が首相となり、「イスラエルにテロリスト来ないように壁を作ってしまえ」として、ヨルダン川西岸の境界に食い込むように分離壁を設置。

この壁ができて、テロが減った事をきっかけに、危害がないなら交渉はもういいじゃないか、という考え方がイスラエル側で広がっていき、持続的な国を作る為には和平しか手段がない、という考え方が次第に失われていく事態となったのである。

その後シャロン首相から同じく右派のネタニヤフ氏に変わり、パレスチナ側はオスロ合意後、暫定自治政府のトップとしてパレスチナをまとめていたアラファト議長の死後、アラファトと同じく穏健派の政治勢力「ファタハ」に属していたアッバス議長が付くが、過激派である「ハマス」の力を抑えきれず、選挙で敗北してしまう事態となり、自治区である「ガザ」を支配する。
しかしヨルダン川西岸は、イスラエルと和平交渉を続けるという立場をとっている「ファタハ」が統治を続けており、パレスチナは事実上一体ではなくなってしまっている状況となった。


next第五次中東戦争

…は幸いに起こっていない。
起これば…賢明な諸兄ならもう解るはずだろう。確かになかなか簡単に解決出来る問題ではない。

だが、それを放置し続ける限り、将来にわたって混乱や対立の火種が残り続ける事には変わりはない。
国際社会は今、その現実と改めて向き合わなければならず、もちろん我々もこの問題を正しくきちんと知る事が大事である。



アラブ人とユダヤ人は兄弟だ。
いずれもアブラハムの子孫で
共通の起源による類似性は非常に大きい。

アラブ人とユダヤ人は兄弟のように暮らさねばならないのだ。

──エドムンド・ド・ロスチャイルド

両国の人々が憎みあう事がない未来を望む方は、追記・修正をお願いします。


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最終更新:2024年10月18日 10:46