スエズ運河

登録日:2025/07/02 Wed 22:55:34
更新日:2025/07/22 Tue 06:30:30
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スエズ運河とは、アフリカ大陸とアジア大陸の付け根、エジプトの砂漠地帯を南北に貫く、全長約193kmの巨大な人工の水路である。

1869年に開通したこの運河は、一見すればただの「溝」かもしれない。
いや、違う。その存在は世界の歴史と経済を根底から変えてしまった超絶チート級のショートカットなのだ。
この一本の線が地球に引かれたことで、ヨーロッパとアジアの距離は劇的に縮まり、大英帝国を絶頂に導き、そしてその没落を決定づけたのだから。

現代においても、世界の物流の急所(チョークポイント)としてその重要性は増すばかり。ひとたびコイツが詰まれば、世界のサプライチェーンは麻痺し、経済は大混乱に陥る。
2021年に起きたコンテナ船の座礁事故は、そのヤバさを全世界に改めて知らしめた。

この記事では、古代ファラオの夢から始まり、一人の男の執念、帝国主義の野望、そして大国のエゴが渦巻いた、この「世界で最も重要な水路」の壮大な物語を追っていこう。


【スエズ運河のスペック ~どれだけスゴイのか?~】

まずはこの運河が、地理的にどれだけイカれた場所にあり、どれほどの効果をもたらしたのかを見ていこう。

  • 位置と構造
スエズ運河があるのは、エジプトの東側、シナイ半島の付け根にある「スエズ地峡」
ここはアフリカ大陸とユーラシア大陸が物理的に繋がっている場所だ。つまり、この運河は大陸と大陸をぶった切って造られたのである。
北は地中海側の港町ポートサイド、南は紅海側の港町スエズを結んでいる。

この運河の特筆すべき点は、パナマ運河のように水位を調整するための閘門(こうもん)が一切ない「水平式運河」であること。地中海と紅海の水位がほぼ同じだったため、基本的にはただただ巨大な水路を掘るだけで両方の海を繋ぐことができたのだ。
シンプルイズベスト、だが、全長193kmにわたってそれを実現するのは、当時はもちろんこんにちの最新技術をもってしても並大抵のことではないのはお解りのはず。

  • 用語解説:閘門(こうもん)とは?
水位が異なる二つの水域を船が移動できるようにするための設備。
水門で区切られた「閘室(こうしつ)」に船を入れ、水位を上げ下げすることで、船をエレベーターのように昇降させる。パナマ運河は地形の高低差が激しいため、この閘門が必須となっている。

  • 革命的すぎたショートカット効果
スエズ運河がもたらした最大の功績は、言うまでもなく航路の劇 的 な短縮。
それまで、ヨーロッパからアジア(特にインド)へ向かうには、アフリカ大陸の南端「喜望峰」をぐるーーーっと大回りするしかなかったが、これは時間も燃料もかかるまさに苦行のようなルートだった。

しかし、スエズ運河の開通で状況は一変する。
例えば、イギリスのロンドンからインドのムンバイへ向かう場合……

喜望峰ルート: 約19,800km

スエズ運河ルート: 約11,600km

なんと、距離にして約4割、直線にしておおよそ東京→エルサレム間、航海日数にして7~10日もの短縮がかなうのだ。
これはもはや革命である。長距離トラック便が延々と一般道を走っていたのが、目的地まで一直線の高速道路が開通したようなもの。時間とコストの削減効果は計り知れず、世界の貿易構造を根底から覆してしまった。


【建設までの長い道のり ~古代からの夢と執念の物語~】

地中海と紅海を繋ぐというアイデアは、実はかなり昔から存在した。

  • 古代のプロトタイプ運河
その歴史は、なんと紀元前19世紀頃の古代エジプト・ファラオの時代まで遡る。当時の人々は、地中海と紅海を直接繋ぐのではなく、ナイル川の支流と紅海を水路で結ぶ「ファラオの運河」を建設していた。

この古代運河は、交易や軍事目的で重宝されたが、砂漠の真ん中にあるため維持が大変。砂に埋もれては掘り起こされ、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世や、ローマ皇帝トラヤヌスなど、名だたる支配者たちによって何度も再建された。
しかし、8世紀頃にはついに完全に放棄され、その存在は伝説の中に消えていった……。

  • ナポレオンの野望と世紀の測量ミス
時が流れ18世紀末。エジプトに遠征してきたフランスの英雄ナポレオン・ボナパルトが、この運河構想に再び火を点けた。イギリスのインド支配を妨害するため、地中海と紅海を直結する運河を建設しようと計画したのだ。

ということでナポレオンは早速技術者たちに調査を命じた。しかし、ここで歴史に残る世紀の大失敗が起こる。
調査チームは、なんと「紅海のほうが地中海より9.9mも水位が高い」と結論づけてしまったのだ。もしそんな状態で運河を掘れば、紅海から地中海へ向かって激流が発生し、ナイルデルタが水没してしまう。この(誤った)報告を受け、ナポレオンは運河計画を断念せざるを得なかった。実際には両海の水位差はほとんどなく、これは完全な測量ミスだった。

  • 執念の男、レセップスの登場
ナポレオンの夢が潰えてから約半世紀。一人のフランス人外交官が、この壮大なプロジェクトを実現させるために立ち上がった。その男の名は、フェルディナン・ド・レセップス
レセップスは若い頃にエジプトで外交官として勤務しており、当時のエジプト総督ムハンマド・アリーの息子の一人……のちの第四代総督、サイード・パシャと親友だった。
その友情と、運河建設への飽くなき情熱、そしてウジェニー皇后の親戚*1という立場から得たナポレオン三世の支援を武器に、レセップスはエジプト政府から運河の建設権と99年間の租借権(運営権)を獲得することに成功する。

しかし、レセップスとフランスの前には巨大な壁が立ちはだかった。当時の世界最強国・ブリカス大英帝国である。
イギリスは、フランスが主導する運河建設が自国のインド航路の覇権を脅かすと考え、ありとあらゆる手段で妨害工作を行った。例えば資金提供を妨害したし、オスマン帝国(当時のエジプトの宗主国といってもあまり実効力を持たない名目上の上司)に圧力をかけ、「奴隷労働だ!」とネガティブキャンペーンも張った。

だが、レセップスは諦めなかった。レセップスは「この事業は全人類のためになる」と訴え、一般大衆から広く資金を募る株式会社「万国スエズ運河会社」を設立。フランス国民の熱狂的な支持を受け、ついに世紀の難工事に着手する。


【完成、そして利権争奪戦へ ~大英帝国のライフラインとエジプトの悲劇~】

1859年、ついに運河建設が始まった。
過酷な砂漠での労働、コレラの流行、そしてイギリスによる妨害。数多の困難を乗り越え、約10年の歳月と、延べ150万人もの労働力(多くはエジプトの農民だった)を費やし、運河はついにその姿を現した。

  • 1869年、運河開通
1869年11月17日、スエズ運河は華々しく開通した。開通式には世界中の王侯貴族が集まり、フランスのウジェニー皇后を乗せた船を先頭に、68隻の船団が地中海から紅海へと通り抜けた。この開通を記念して、エジプト側がジュゼッペ・ヴェルディに作曲を依頼したのが、あの有名なオペラ『アイーダ』である(ただし完成が開通式に間に合わなかったのはご愛嬌)

  • イギリスの掌返しとハイエナ的買収劇
あれほど建設に反対していたイギリスだったが、運河が開通し、その絶大な効果が明らかになると、手のひらを高速でドリル回転させた。ようするにいつものブリカスムーブ。「こんな便利なもの、敵であるフランスに独占させてたまるか!」と、今度は運河の支配権を奪うことに全力を注ぎ始めた。

そんなイギリスに、絶好のチャンスが訪れる。
運河建設やその他の近代化政策で、エジプト政府は莫大な借金を抱え、深刻な財政難に陥っていた。喉から手が出るほど金が欲しかったエジプトは、やむなく自国が保有していた「万国スエズ運河会社」の株を売りに出す。
この情報を掴んだイギリスの首相ベンジャミン・ディズレーリは、議会の承認も待たずに独断で行動。ユダヤ系富豪のロスチャイルド家から秘密裏に資金を借り入れ、エジプトが売りに出した株を一括で買い占めたのだ。これが1875年のスエズ運河株買収事件である。

この電光石火の買収劇により、イギリスはフランスと並ぶ運河会社の筆頭株主となった。
さらに、エジプトの財政難に付け込んで内政に介入し、1882年にはエジプトを武力で占領。事実上の保護国とし、スエズ運河を完全に自国の管理下に置いた。ようするにいつものブリカスムーブ(2回目)。
かつての妨害者こそが、最大の受益者となった瞬間である。

こうしてスエズ運河は、インドやアジアの植民地と本国を結ぶ「大英帝国の生命線(ライフライン)として、その戦略的重要性を揺るぎないものにした。

【エジプトの逆襲とスエズ動乱 ~「運河は我らのものだ!」~】

イギリスによる支配は、第二次世界大戦後まで続いた。しかし、二つの大戦を経て衰退した大英帝国に対し、エジプト国内では独立と主権回復を求めるナショナリズムの炎が燃え上がっていた。

  • 英雄ナセルの国有化宣言
1952年、エジプトで軍事クーデターが発生(エジプト革命)。王政が倒され、軍人のガマール・アブドゥル=ナーセルが新たな指導者として登場する。彼はアラブ世界の団結を訴えるカリスマであり、欧米列強による支配からの脱却を目指していた。
そして1956年7月26日、ナーセルは歴史を揺るがす大勝負に出る。港町アレクサンドリアの広場で、大観衆を前に「スエズ運河会社を国有化する!」と高らかに宣言したのだ。
運河から得られる莫大な利益は、エジプト国民がアスワン・ハイ・ダムを建設するために使われるべきだ、と。
これは、長年にわたり運河の利益を独占してきたイギリスとフランスに対する、痛烈な一撃であり、完全な宣戦布告だった。

  • 第二次中東戦争(スエズ動乱)
この宣言に、イギリスとフランスは激怒した。「我々の財産を奪う気か!」と。両国は、当時エジプトと敵対していたイスラエルと秘密裏に共謀。イスラエルにエジプトを攻撃させ、それを口実に「運河の安全を守るため」と称して英仏軍が介入するというシナリオを描いた。
1956年10月、計画通りにイスラエルがシナイ半島に侵攻。すかさず英仏軍がエジプトに空爆を開始し、運河地帯に部隊を降下させた。これが第二次中東戦争、通称「スエズ動乱」である。
軍事的には英仏イスラエル側が優勢だった。しかし、彼らは世界の政治力学が変わりつつあることを見誤っていた。

アメリカの激怒: 自分たちに相談なく戦争を始めた英仏に対し、アメリカのアイゼンハワー大統領は激怒*2。国連で即時停戦を要求し、イギリス経済の生命線であるポンドを暴落させるぞ、という金融的な圧力(ドル売り)をかけた。

ソ連の脅迫:当時、ハンガリー動乱で国際的な非難を浴びていたソ連は、世界の目をそらすため「このままではロンドンやパリに核ミサイルを撃ち込む」と英仏を脅迫した。

世界の二大超大国である米ソ両方から「NO」を突きつけられ、国際社会で完全に孤立したイギリスとフランスは、屈辱的な即時停兵と撤退を余儀なくされた。

  • 歴史の転換点
このスエズ動嵐の結末は、歴史の大きな転換点を象徴する出来事となった。
かつての世界最強国・大英帝国が、もはや自国の判断だけでは戦争すらできないほどに衰退したことを全世界に露呈し、その威信は完全に失墜した*3*4
代わって、世界の警察役はアメリカとソ連という二つの超大国に移ったことが明確になった。
そして何より、スエズ運河は、名実ともにエジプトの手に戻ったのである。


【現代のスエズ運河 ~世界の物流を支える急所~】

エジプトの主権下に置かれた後も、スエズ運河は世界の物流における最重要インフラとして機能し続けている。

  • 世界の物流を支える大動脈
現在、世界の海上輸送量の約12%、そして世界のコンテナ船の約30%がこの運河を通過していると言われている。特にアジアとヨーロッパを結ぶ航路においては、代替不可能な存在だ。エジプトにとって、運河の通航料は、観光業や石油と並ぶ、国の経済を支える巨大な外貨獲得源となっている。

  • 2021年座礁事故「世界が息をのんだ6日間」
そんなスエズ運河の重要性と脆弱性を、世界中の人々が再認識する事件が2021年3月に発生した。
日本の正栄汽船が所有し、台湾の長栄海運(エバーグリーン)が運航する超大型コンテナ船「エバーギブン号」が、運河内で強風に煽られて座礁。全長400mの巨体が斜めに水路を完全に塞いでしまったのだ。
この結果、運河の南北で400隻以上の船が立ち往生する「大渋滞」が発生。世界のサプライチェーンは大混乱に陥った。自動車部品が届かず工場の生産が止まったり、原油価格が上昇したりと、その影響は世界経済全体に及んだ。
「一隻の船が、世界を止めた」。この事件は、グローバル経済がいかに細く、脆い一本の線に依存しているかを浮き彫りにした。

  • 地政学リスクの最前線
近年のスエズ運河は新たな脅威に晒されている。
紅海の南側にあるイエメンの武装組織フーシ派による商船への攻撃だ。
イスラエルとハマスの紛争に関連し、フーシ派がイスラエル関連の船舶等を標的に攻撃を繰り返す為、多くの船会社が危険な紅海及びスエズ運河ルートを敬遠し、時間とコストがかかる喜望峰ルートへの迂回を余儀なくされている。
これにより、スエズ運河を通航する船舶は激減し、エジプトの通航料収入も半減する等、深刻な経済的打撃を受けている。
地政学的なリスクが、即座にこの運河の機能と世界の物流に影響を与える事を示す、最新の事例である。

こうしたリスクに対応する為、エジプト政府は運河の複線化区間を延長したり、水路をさらに深く、広くした
りする拡張工事を続けている。
スエズ運河は、未来永劫、世界の物流を支え続ける為に、今なお進化を続けているのだ。

ちなみにNHKのドキュメンタリー番組の『プロジェクトX~挑戦者たち~』では、日本の海洋土木会社の五洋建設が、1960~70年代に行われた同運河の拡張工事に参加した時のエピソードが放送されている。



【まとめ】

スエズ運河。それは、単なる便利な近道ではない。
古代ファラオが見た夢であり、一人の男の執念が砂漠に刻んだ軌跡であり、大英帝国の栄光と野望の象徴であり、そしてエジプトとアラブ民族の誇りの証でもある。
その歴史は、技術の進歩、帝国主義の猛威、ナショナリズムの勃興、そして超大国のパワーゲームと、常に世界の大きなうねりと共にあった。
現代の我々が享受するグローバルな経済活動は、この一本の水路の安定の上に成り立っている。スエズ運河の歴史を知ることは、すなわち、世界の近代史と、現代社会の構造を理解することに他ならない。



【創作において】

スエズ(映画)

1938年の映画。
上記でも記載したフェルディナン・ド・レセップスを主人公とし、スエズ運河開通までを描いた作品。

Victoriaシリーズ

19世紀~20世紀を舞台としたグランドストラテジー作品。
特定の条件を満たすとスエズ運河開通イベントが発生、プレイヤーの手でスエズを開通させることができる。
開通後は勿論通過可能になり、移動経路の増加などで役に立つ。
なお領有さえしていれば建設はどの国でも可能なので、スエズ運河建設のためにシナイ半島はいろんなプレイヤー国家から狙われる羽目に。

Hearts of Ironシリーズ

HoI2HoI4が有名な、第二次世界大戦期を舞台としたグランドストラテジー作品。
シリーズを通して運河や一部の海峡は敵対海軍が通れないという仕様が存在するため、スエズとジブラルタルを抑えると地中海に敵海軍を閉じ込めて一方的にボコボコにできるというかなりの要衝。
特に初期でこの2つを抑えているイギリス、地中海に全海軍がいるイタリアは影響が大きい。
殆どの場合で海上からの上陸必須なジブラルタルと違い、北アフリカは陸路で枢軸-連合が接しているためスエズを巡って激戦になることもしばしば。

エリア88

物語終盤、神崎率いるプロジェクト4によるスエズ侵攻作戦が行われた。
事前に地中海の石油輸送ルートを徹底的に破壊し、ヨーロッパの石油供給をアメリカに依存させる利益誘導で米軍による軍事介入を抑制するなど周到に準備が進められた。
反政府勢力として活動を続けるエリア88(外人部隊)による妨害も、1度泳がせて基地を特定してからの大規模攻撃によって無力化。
プロジェクト4を支える莫大な資本力もあって作戦の成功は確実かと思われた。
が、無力化したと思っていたエリア88がエンタープライズ級原子力空母とそれをポーンとくれる出資者を得て大復活を遂げていたことに気付かず作戦を発動させてしまったのが運の尽き。
エリア88による妨害で作戦は思うように進まず、ヒロインの津雲涼子率いる経済団体や婦人団体による圧力を受けて出資者からは資金援助の打ち切りを示唆される。神崎はスエズ侵攻作戦を一時休止してエリア88殲滅に航空兵力を集中することを決めるが、それを待っていたエリア88は隣国国境に待機させていた地上兵力までも動員したアスラン奪還作戦を発動。さらにはアスラン正規軍がクーデターを起こし、プロジェクト4による命令を無視してエリア88側へ合流。劣勢となったプロジェクト4は首都を明け渡すことになる。
首都陥落により傀儡政権は倒れ、プロジェクト4も瓦解したためスエズ侵攻作戦は中止となったと思われる。

バトルフィールド1

陸・海・空で繰り広げられる大人数FPS『バトルフィールド』シリーズで第一次世界大戦を舞台とした作品。

本作の初期マップでスエズ運河が登場しており馬や巨大兵器こそ登場するが、歩兵メインである。
しかし、遊んだプレイヤーからの評価はすこぶる低く、マップは一直線の構成で簡単に拠点の裏取りがしやすく場合によっては一行に試合展開が停滞してしまったり一方的に拠点をほぼ制圧されたままラウンドが終わってしまう事もしばしば。

なお後のロシアDLCで配信された、とあるマップよりマシな評価だったりするのは内緒である。




追記・修正はスエズ運河を渡ってからお願いします。

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最終更新:2025年07月22日 06:30

*1 レセップスの母親が皇后の母親の叔母にあたる

*2 ソ連のハンガリー動乱を批判したかったのに似たようなことやった英仏にキレたとか、ソ連と仲の良いエジプトが敗戦後に共産化しないように今のうちに恩を売りたかったからだとか様々な説がある

*3 戦費の五億ポンドは無駄になり、ポンドの価値は下落。アメリカに追随せざるを得なくなる。アンソニー・イーデン首相はもはや打つ手がなく、周囲からも見捨てられての辞任。その際に「諸君らは私を見捨てようとしている。捨てている!」と恥も外聞もなく理性を失いながら泣きじゃくった

*4 この件はイギリスには完全にトラウマになったようで、以後のイギリスは基本的にアメリカの方針に追従するという方針を取ることが多く、逆にフランスはド・ゴール主義と言われるアメリカのことを信用しない方針を取ることになった。