マーチ・881

登録日:2010/12/10(金) 23:27:48
更新日:2024/05/30 Thu 10:41:28
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かつて存在したF1チーム、マーチが1988年に実戦投入したF1マシン。

この年のF1マシンは規制が掛かったとはいえ、ターボエンジンが優位な状況だった。ウィリアムズやベネトンなどのNA(自然吸気)エンジン勢は苦しい戦いを強いられている事になった。
そんな中、日本のアパレルメーカーであるレイトンハウスをメインスポンサーにしたマーチはとてもアグレッシブなマシンを開発した。

エンジンこそNAのジャッドCV(V8)を積むものの、デザインは後に空力の鬼才と呼ばれる、エイドリアン・ニューウェイが製作。
そのフォルムはマイアミブルーのマシンカラーと相まってとても美しく、斬新なマシンとなった。ギリギリまで絞りこんだモノコック、非常に狭いコックピット、T型のエアインテーク、そして低くコンパクトに構えたサイドポンツーンなど顕著に見えた。

しかしこれら時代を先取りし過ぎた思想は上手く行くわけもなく、特にジャッドエンジンはオーバーヒートを多発、空力を優先したが為のツケが回ったのである。

また敏感な空力特性が災いして、サーキットによって好不調の波が出てしまうなど一貫しての速さが出づらいマシンとなり、「ハマったら速い」を地で行くマシンとなった。
第6戦デトロイトGPの土曜日フリー走行でドライバーのイヴァン・カペリがクラッシュを喫し骨折をした。だがマシン自体のダメージは少なく、カペリはモノコックの内側に足をぶつけて骨折をしたのだった!

尚このマシン最大のハイライトと言えばなんといったって第15戦日本GPだろう。
当時無敵を誇ったMP4/4に乗るラップリーダーのアラン・プロスト(マクラーレン)をカペリが16周目のホームストレートで一瞬追い越し、この周のラップリーダーとなったのだ。
しかしあえなく19周目に電機系トラブルによってリタイアとなってしまうが、そのセンセーショナルな一瞬に度肝を抜かれた人が何人いた事だろうか。

結果的にコンストラクターズ6位、表彰台に1回(ポルトガルGP。ドライバーはカペリ。ちなみに号泣していた。)と中堅チームとしては上々の結果に終わった。

バブル経済真っ只中の日本においてこのマシンカラーを知らない人は居ないとも言われた程、実は日本人にも印象的なマシンだったりする。




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最終更新:2024年05月30日 10:41