ヒップホップ東西抗争

登録日:2012/04/16 Mon 00:15:42
更新日:2025/02/26 Wed 18:20:09
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かつて、米国ヒップホップ界を東西に分断した深刻な対立があった。


ヒップホップ生誕の地、ニューヨークを中心とした東海岸


それに対するロサンゼルスを中心とした西海岸


アーティスト同士のBeef(詳しくはディスるの項目参照)から発展したこの抗争は全米を巻き込む大問題となり、ヒップホップ史に暗い影を落としたのだった……。



【抗争に至るまで】

ニューヨークで生まれたヒップホップは当初、東海岸を中心にシーンが形成されていったが、Run-D.M.Cの全国的なヒットを皮切りにアメリカ全土に浸透。
そして真っ先にニューヨークへの返答を行ったのが、ロサンゼルスに拠点を置くレコード会社「ルースレス・レコード」所属のN.W.Aを始めとするギャングスタ・ラップを擁する西海岸シーンだった。
西海岸らしい爽やかなトラックに本物のギャング達が暴力・強盗・レイプ・殺人・麻薬等についての実体験を歌うギャングスタ・ラップは瞬く間にシーンを席巻。東海岸シーンには強烈な逆風が吹く事になる。

当初、東海岸側はギャングスタ・ラップに拒否反応を示した。
ギャング同士の抗争で無駄な血を流さぬための方法としてヒップホップを進歩させてきた東海岸のアーティスト達にとって、真逆の価値観を肯定するようなギャングスタ・ラップは到底歓迎できる物ではなかったのだ。

しかし西海岸出身のSnoop Doggy Dogがアメリカ全土で大ヒットを飛ばすと、次第に東海岸の流儀でギャングスタ的なラップをするMC達がデビューし始める。
東海岸側はギャングスタ・ラップを否定してはいたが、アーティストにはギャング出身の者も多く*1、ギャングスタ・ラップで歌われる血なまぐさい内容は東海岸ヒップホップを愛好する者にとってもリアルな響きを持っていた。


そんな状況の中、二人の男がデビューする。
2PacNotorious B.I.G.である。


【2PacとNortrious B.I.G.】

  • 2Pac(トゥーパック)
1971年6月16日生まれ、ニューヨーク州出身。
アメリカ指折りの黒人スラム街の一つとして知られるハーレム地区で生まれ育った彼は、警察等の公権力や女性をこれでもかと鋭く皮肉り、こき下ろす過激なライムを武器に成り上がっていった。
ちなみに本名は「トゥパック・アマル・シャクール」。何故そうなったのかは不明だが名の由来は最後のインカ帝国皇帝「トゥパク・アマル」にあり、日本の競走馬「エアシャカール」は彼のファミリーネームが由来とされる。

  • Notorious B.I.G.(ノトーリアス B.I.G.)
1972年5月21日生まれ、ニューヨーク州出身。
カリブ海系移民が多く住み暮らすブルックリン区ベッドフォード・スタイベント地区で産声を上げた彼は、10代の頃には既に麻薬や銃の売人として、また同時に地元のフリースタイルバトルの王者としても名を売っており、そのデモテープをショーン・コムズが拾い上げた事で栄光の階段を登り始めていった。
ちなみにB.I.G.は「Business Instead of Games」の略であり、本来は「ビー・アイ・ジー」と読むのが正しいが、単に「ビッグ」「ビギー」と読まれることも多い。

東海岸流ギャングスタ・ラップの旗手として多大な期待を受けた彼らは、高いラップテクニックとキャラクター、カリスマ性で着実にファンを増やしていく。

両者の関係も当初は良好だったが、ある日2Pacが何者かに銃撃されるという事件が発生。
五発もの銃弾を受け2Pacは重傷を負ったが、結局犯人は分からず事件は迷宮入りしてしまった。

だがNotorious B.I.G.とショーン・パフィ・コムズ(後の大物プロデューサー、現P.ディディ)が現場に居合わせた事実や、Notorious B.I.G.の新曲のタイトルが『Who Shot Ya(誰がお前を撃ったのかな?)』であった事により、2Pacは銃撃事件の黒幕は二人だと思い込んでいった。

その後、2Pacはファンにアナルセックスを強要した罪で投獄されるが、刑務所で人生の転機を迎える事になる。

獄中で二人への憎悪の炎を燃やす彼の下を、西海岸のレコード会社「デス・ロウ・レーベル」の代表シュグ・ナイトが訪れたのだ。
彼は「デス・ロウ・レコードへの移籍を条件に保釈金を支払う」*2と取引を持ちかけた。

2Pacはこれを快諾、出所するとすぐさまデス・ロウに移籍。
Dr.Dre(N.W.Aの初期メンバーにして名プロデューサー)のプロデュースでリリースした『California Love』が大ヒットし、一気に西海岸を代表するギャングスタ・ラッパーとなる。

当然Notorious B.I.G.らへの憎悪も健在で、『Hit E'm Up』*3という曲で二人を始め東海岸の著名なMC達を散々こき下ろしていった。


【抗争】

東西のシーンのトップアーティスト同士のBeef。
私怨で始まったこの対立はそれぞれのシーンを巻き込み肥大化していく。

この対立に真っ先に参戦したのは、2PacとNotorious B.I.G.のアーティスト仲間、そしてファン達だった。
アーティスト仲間は各々の楽曲で互いを挑発。ファンもそれに呼応し、ライブの妨害やファン同士の喧嘩、アーティスト自身への襲撃までが多発するようになる。

アーティスト達は元々ギャングであり、当然ファンの中にもギャングが多勢いた。
そして遂にギャングの裏で糸を引くマフィアまでこの抗争に参戦。ヒップホップの東西抗争は、アメリカ裏社会の東西抗争へと発展。
流石にここまで来るとNotorious B.I.G.も「嫌な予感がする」と強く思うようになり、2Pacも「これ以上は血が流れ続けるだけだ。望んでいない」と和解の為の道を模索し始めるが、既に事態は双方の手には負えなくなりつつあった。

暴行・襲撃・発砲事件が多発し、緊張がピークに達した時、事態は最悪の結末を迎えてしまう──。


【抗争の末路】



2Pac、何者かに銃撃され死亡


1996年9月7日、ラスベガスのMGMグランドホテルで親友であったマイク・タイソンの試合を観戦後、市内をBMWで移動中に銃撃を受け、6日後の1996年9月13日に死亡が確認された。
この事件については、後に元ロサンゼルス市警の警官の証言により、とある人物がタイソンの試合後に2Pacとその取り巻きから暴行される一幕があった事が判っている。
その被害者こそ、ロサンゼルスに本拠を置く全米でも最大のストリートギャングである「クリップス」のボスだったキーフィー・D(本名ドゥエイン・デイヴィス)の甥のオーランド・アンダーソンであったとされ、このアンダーソンが実行犯と目されるも、彼も翌年ロサンゼルスで銃撃され死亡し、真相は藪の中となっていた。
それから22年後の2018年、NetFlixで独占公開されたドキュメンタリー『UNSOLVED:未解決ファイルを開いて』においてキーフィー・Dが暗殺に関わったのを自白した事で捜査は進展を迎え、2023年9月、キーフィー・Dが2Pac殺害を指示した犯人として逮捕されるに至る。


ともあれ西海岸シーンは若きカリスマの突然の死により深い悲しみに包まれた。
ところが、悲劇はこれだけでは終わらなかった。


Notorious B.I.G.、何者かに銃撃され死亡


1997年3月9日、ヒップホップ専門誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」のパーティーに参加するため訪れていたピーターセン自動車博物館からの帰途に銃撃を受け、帰らぬ人となってしまったのだ。

こちらも元FBI捜査官の証言が存在し、実際に暗殺を計画したのは2Pac暗殺時に運転手を務めていたシュグ・ナイトで、本来のターゲットはショーン・コムズだったらしい。
そして別々のSUVで出発するも銃撃されたのはビギーだった……らしいのだが、ロサンゼルス市警に証拠を揉み消されたとの事で、2025年現在もNotorious B.I.G.を殺害した人物は捕まっていない。


【抗争の余波とその後】

この事態を重く見たDr.Dre、K.R.S-Oneら東西の大御所は、悲劇を繰り返すまいと収拾に奔走。
また渦中のデス・ロウ・レーベルは裏社会との密接な関係が露見したため求心力を失い、所属アーティストの大量離脱を招いた。

デス・ロウ・レーベルは若手と残留組を使い離脱者を激しくディスったが、そこにかつての勢いはなく、数年後に倒産。
この内紛により西海岸のシーンはますます縮小していき、ただでさえ風当たりが強かったヒップホップシーンそのものも衰退に向かっていった。

この事件はヒップホップ黄金時代終焉の象徴となり、2000年代のアメリカ南部シーンの台頭の遠因ともなった。
ヒップホップは絶滅する事こそなかったものの半死半生の有様と化し、逆にヒップホップからの影響を受け進化したR&Bダンスホールレゲエが躍進していったのである。

なお余談ではあるが、前述のDr.Dreは後にプロデューサーとして世界的に有名なEMINEMを発掘。
Snoop Doggy Dogは現在もソロ・コラボ・プロデューサーとしてヒットを記録している。


この抗争の犠牲となった二人を未だに尊敬する後続は多く、今やそこに西も東もない。


もしも天国に西も東もないのなら、二人は今どうしているだろうか。






追記・修正は二人の冥福を祈りながらお願いします。

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最終更新:2025年02月26日 18:20

*1 実際Snoop Doggy Dogもアメリカ黒人ギャングの二大勢力の一つ「クリップス」の元メンバー

*2 ただしこれは半分は嘘であり、保釈金自体は支払われたものの後になって2Pacに借金として押し付けている。また、シュグ・ナイトは強権的な人物で黒人裏社会との太い繋がりを持ち、表立って逆らえば命の危険があったために2Pacはデス・ロウから易々と抜けられなくなってしまった

*3 「そっちに行くからな」というニュアンスになるのだが、転じて日本で言うところの「お礼参り」の宣告を意味するスラングでもある