福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件

登録日:2013/11/03 Sun 14:46:24
更新日:2022/02/27 Sun 08:43:02
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※この項目では実際に起こった凄惨な獣害事件を明記しています。閲覧には注意してください。


福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件とは、1970年に起きた国内史上4番目に大きな被害を出した獣害事件である。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会・羆襲撃事件など表記揺れが多々ある。
というのも、事件名としては「部」となっている記事が多く、当時の新聞でも「部」と書かれていたものもあったが、実際はワンダーフォーゲル同好会だったため。

【ワンダーフォーゲルとは?】

聞きなれない言葉という方もいると思うので、解説する。

ワンダーフォーゲルとは当時流行っていた「青少年が自然溢れる山野に出向き、それを通じて心身を鍛える運動」のことであり、ドイツ語で「渡り鳥」を意味する。
登山だけでなく、自然環境溢れる環境であればどこへでも出向くという点で登山部とは異なる活動であった。

もちろん登山に赴く際には入念な下調べと準備も行っており、決してエセ知識による活動ではなかった。


【事の始まり】

1970年7月12日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の竹末一敏(リーダー)、滝俊二(サブリーダー)、興梠盛男西井義春河原吉孝の5名は、
福岡から北海道の日高山脈に出発した。
14日に到着し入山した彼らは11日かけて25日、1979m地点のカムイエクウチカウシ山・八ノ沢カールに到着。
この時点で予定とは大幅に遅れをとっていたため、翌日の登頂後にはすぐに下山することが決定していた。

そして夕方、テントを設営し一息ついていると、彼らのすぐ近く(10mも離れていなかった)にヒグマが出現。
当初は5人もそこまで恐れず、物珍しいヒグマを眺め、興梠に至っては「家族に自慢するんだ」とカメラで撮影する始末であった。

しかし、30分ほどするとヒグマはさらに近づき、テントの外に置いていたキスリング(荷物)を漁り始めた。
貴重な食料を食われると困るメンバーは、ラジオのボリュームを最大にしさらに火を点火、また食器をガンガン打ち鳴らしてヒグマを追い払った。
その隙にキスリングを回収し、その夜はテントの中で眠ることになった。

だが午後9時。
疲れ果てて眠っていた彼らだったが、テントの外から妙に荒い獣の息遣いが聞こえて目を覚ました。
そう、先ほどのヒグマが戻ってきたのである。

ヒグマはテントに一撃を加え、拳大の穴を開けて去っていった。
さすがに肝を冷やしたメンバーはその後2時間交代で見張りを立てることとなった。
その夜はヒグマが現れることはなかった。

その夜は…。


【朝の襲撃】

26日の朝を迎えたが、見張りを立てているあいだもメンバーの誰もがヒグマの恐怖に怯え、眠ることなど出来なかった。

さらに、早々と荷造りをしていた彼らの前に再びヒグマが出現
しばらくは付近をうろうろとしていたヒグマだが、ついにテントに近づいてきたのでメンバーたちは全員テントに避難。
ヒグマがテントを押し潰そうとし、5分ほどメンバーとの押し合いが続いたものの、もはや危険と判断した彼らはテントの反対側の入口から脱出し逃走。
やがてヒグマはテントを完全に押しつぶし、後は追わずにその場でキスリングの食料を漁り、貪り食っていた。

命の危険を感じたリーダー竹末は、滝と河原の二人に救助を呼ぶために下山することを指示。
すぐに滝と河原の2名は山を下り始めた。午前5時の出来事である。

救援を呼ぶために下山中の滝たちは午前7時10分、北海道学園大学の北海岳友会のパーティ10人と遭遇。
実は岳友会のパーティも2日前にヒグマに襲われ、命からがら逃げてきたのだ
そのため2人に対して「一緒に下山して逃げよう」と提案したが、「仲間を残して逃げられない、仲間と合流してから下りる」と拒否。
2人に折れた岳友会のパーティは食料と燃料を分けて、必ず救援隊とハンターを呼ぶことを約束して下山していった。

一方、残っていたメンバー3人は6時10分、ヒグマが消えていることを確認。
すぐさまキスリングを半分取り返し戻ったが、疲労がピークに達していたのか、数時間その場で眠りこけてしまった。
目を覚ましてもヒグマの気配はなく、残りのキスリングも回収して元いた稜線に引き上げた。
この途中で鳥取大ワンゲル部や中央鉄道学園のメンバーとも遭遇し、ヒグマがうろついているという情報を共有した。

午後3時、竹末たちの元へ滝たちが合流。
壊されたテントを修理して、安全と思われる別の稜線へ移動し、そこで改めて設営した。
安堵感からか5人は夕食を食べることにしたという。


【惨劇の始まり】

しかし午後4時半、ヒグマが姿を現した。今度はさらに執拗にテントを狙っている様子だった。
またもテントから逃げ出し、その後竹末が偵察したが、ヒグマはテントから離れる様子は全くなかった。
仕方なく彼らは鳥取大のパーティに泊めてもらう方針を固める。
荷物だけでも持って行きたかったが、三度偵察してもヒグマは離れておらず、諦めるしかなかった。

そして一気に沢を下ったが、時刻は午後6時30分。辺りはすでに暗くなりつつあった。

下っている最中にふと西井が後ろを振り向くと、ヒグマが自分たちを追いかけているのが見えた
慌てた彼らは急いで逃げ出すも、河原だけが別の方向に逃げてしまい、ヒグマは河原の方を追っていった。
そして程なく――――

「ギャー!」という悲鳴が聞こえ、その直後に「畜生!!」と叫びながら、足を引きずり鳥取大パーティの方面に逃げていく河原の姿があった。

これがメンバーが河原を見た最後の姿であった。


【消えた興梠】

河原が襲われたことを理解してしまった竹末は必死になって鳥取大パーティの助けを呼んだ。
鳥取大パーティは事の重大さに気づき、焚き火を起こしたりホイッスルを鳴らすなどして、福岡大メンバーに自分たちの居場所を教えていた。
そして助けを求めるために、メンバーのために物資とテントはそのまま置いていき、下山していった。
メンバーはなんとか死に物狂いで合流するも、その騒乱の中で興梠がはぐれてしまった
竹末は興梠に呼びかけるも、一度返事があっただけでそれ以降は返事もなく行方不明となってしまった。

あとになってわかったことだが、興梠はこの時確かに竹末の呼びかけが聞こえていた。
しかし、返事をすることはできなかった。なぜなら自分のすぐ近く、20mほど下の崖にヒグマがいたのが見えたからだ
そのため動くこともできず、返事をすることもできず、合流に失敗したのである。

竹末たち3人も鳥取大パーティの残した物資のあるカールに下りることはできず、その夜はヒグマが来ないことを祈って岩場に身を隠した。

興梠については後々記述する…。


【最後の犠牲者】

迎えた3日目、27日。この日は朝から山には霧が立ち込めており、3m先もわからないほどであった。
だがそれでも河原と興梠を助けたい一心からメンバーは出発する。午前8時のことである。

だが出発から15分後。竹末-滝-西井の順番で並んで捜索していた彼らの前にヒグマが現れた
しかも濃霧で気づかなかったが、竹末の2m手前に出現したのである。

竹末はすぐにカールの方に逃げるものの、ヒグマはそれを追いかけていった。

それが滝と西井が見た竹末の最後の姿であった。


【生還】

恐怖に慄く滝と西井はすぐさま麓まで降り、午後1時。なんとか五ノ沢の砂防ダムの工事現場に到着。
ヒグマに襲われたことを伝え、自動車を借りて駐在所まで逃げて助けを求めた。
結果、滝と西井の二人は生還することができたのだ…。

だがすでに時刻は午後6時を回っており、3人の救助活動は翌日まで待たれた。


【救助活動開始、しかし…】

28日にハンターたちによる救助隊が結成され、行方不明となった3名の捜索が行われることとなった。
だが29日に河原、竹末の遺体が。30日に興梠の遺体が発見された

しかもどの遺体も服を剥ぎ取られ、裸にベルトだけという、無惨な状態だった。
その上顔半分が噛みちぎられ、腸を引きずり出されたり、耳や鼻や臀部が齧り取られていたりなど…
その惨憺たる様相を呈した遺体は、ハンターたちが絶句するほどであったという。

遺体は悪天候で山から下ろすことはできず、現地でそのまま荼毘に伏されることとなった。

彼らを殺害したヒグマは29日にハンターに発見され、射殺された。2mの4歳のメスのヒグマだった。

検死の結果、3人の死因は「頚椎骨折および頚動脈折損による失血死」であった。
ヒグマの胃の中からは人体は見つからなかったことから、人食い熊ではなく純粋に「敵」を排除するための行動だったと思われる。*1

ちなみにこのヒグマの肉は山のしきたりからハンターたちによって食べられた。
剥製は現在も日高山脈山岳センターに保管されている。
剥製は1.5mと縮んでいるが、これは銃弾を受けた部分を削ったので、作る際に大きさが縮んでしまったため。
念押ししておくが、1.5mだから大したヒグマではないなどと決して思ってはいけない。
その大きさのヒグマでも、人間は全く太刀打ちできないのだから。


【興梠メモ】

興梠の遺体の側には、彼が行動と記録を記したメモが残されていた。
ヒグマの襲撃前から記録として書いていたものであったようで、その中では2度目のヒグマ襲撃後~彼が最後に襲われる前までの行動が記されていた。
原文は長くなる上に、恐らく文章だけではその壮絶さはわからないと思われるので詳しくは「興梠メモ」でググるなりして欲しい。
だが、その内容は恐怖に震えた文字で書かれており、生半可な覚悟では見ないほうがいい。
「博多に帰りたい」という切実な思いが綴られていたことは記述しておく。
途中から判別不可能になる箇所が出てくるなど、あまりの生々しさで知られている。


・以下、そのメモから推察される彼の行動。

メンバーからはぐれた後、竹末の呼びかけに答えることもできなかった彼は、長い時間ヒグマと膠着状態だった。
だがヒグマがこちらに向かって動き出したのを察知し、死に物狂いで崖を登った。
さらに近くにあった岩を投げつけ、一発目は外したものの、二発目が運良く鼻に命中し、ヒグマが怯んだ隙に急いで鳥取大パーティの残したテントに潜り込んだ。
助けを求めるためであった。

しかしもうこの時すでに鳥取大パーティは救援を呼ぶために下山しており、テントの中はもぬけの殻であった。
後悔しても時すでに遅し。疲れ果てた彼は、現実から逃げるように寝袋の中に入り眠りについた。

27日に目が覚めたあとも恐怖からテントから出ることもできず、中で残された食料を食べるなどして待機。
(恐らくメモも、その時に恐怖から逃れたい一心で書かれたものと思われる)

7時になって外を見ると、5m上にすでにヒグマがいた
もはやどうしようもないと気づいたのか、ここからは判別できないほど震えた文字で書かれている。
最後には救援が呼ばれているか不安で仕方ないこと、霧が濃くなっていることを確認したことが書かれているだけであった。

その直後に、興梠はヒグマに襲われたと推察されている。


【ワンゲル同好会メンバーのミス】

現在ではインターネットによる情報の共有や、専門家による研究が進んでいるためヒグマと遭遇した場合の対策も進んでいる。
だが当時はほとんど浸透しておらず、誤った知識もあったためメンバーの行動にはいくつかミスがあった。

それは、
  • ヒグマから何度も荷物を取り返したこと
  • 逃げる際に悲鳴を上げるなど色めき立ってヒグマを刺激してしまったこと
  • 散り散りに逃げてしまったこと
である。

これらの行動はどれもヒグマの神経を逆撫でするものであり、なおかつヒグマが追いかけやすくしてしまっていたのだ。

特に一番の要因となったとされるのが、荷物を何度も取り返したことである。
ヒグマの習性として、一度手に入れた獲物に執着するというものがある。『三毛別羆事件』でも、この習性により蓮見家が襲われている。
つまり、一度奪われた時点でヒグマはワンゲル同好会の荷物(キスリング)を「自分の獲物」と認識していており、
ヒグマにとっては、ワンゲル同好会のメンバーたちは「手に入れた自分の獲物を何度も奪い取る敵」に見えたということだ。

そもそも最初にヒグマと遭遇し、テントが襲われた時点で下山するべきだったであろう。
テントが押しつぶされた2日目早朝の時点で、2人だけじゃなく全員で下山すれば犠牲者は出なかったという厳しい意見もある。
北海岳友会のリーダーは当時「あの時滝くん河原くんを引き止めておけば、河原くんは死ななかったかもしれないと後悔している」と寄稿している。
この登山計画は大変練られているものであったが故、その情熱が途中で下山させることを躊躇させたとも考えられる。

しかし、当時は上述した熊の習性はあまり周知されておらず、ワンゲル同好会の知識不足を責めるのは酷といえる上、
キスリングを取り返そうとした理由に、金銭や貴重品も入っていたというやむを得ないものも含まれている。
食料などに関しては、北海岳友会や鳥取大パーティから受けたように、他の登山者から支援を受けながら下山すれば良いかもしれないが、
金銭や貴重品に関しては(もちろん命には代えがたいが)そう簡単に諦められるものではなく、かつ、取り返そうとする行為が危険だという認識もない以上、
なるべく金銭や貴重品を回収した上で下山したいと考えても仕方ないといえる。

ヒグマを前に色めきだってしまったのも、心の準備もなく*2いきなり目の前にヒグマが現れて、落ち着いていられる人がどれだけいるだろうか?
なんとか悲鳴を上げずにいられたとして、冷静に後ずさりしながら、さらに列を乱さず逃げる*3など本当にできるだろうか?*4
「事前調査の甘さがあるとするならば、現地のことが書かれたガイドブックに明確な指摘がなかったことこそ問題にされなければならない」と、遭難報告書でもまとめられている。



【その後】

この事件は近年起きた中でも最大級の獣害事件である。
その結果、教訓としてヒグマの恐るべき執着心と習性、および一般に浸透していた知識の多くが誤ったものであったことが一般市民に知れ渡った。
現在では日高山脈ではこれほどまでに酷い熊害事件は起きておらず、教訓は生かされたと思われる。
前述した山岳支援センターではこの事件のヒグマの剥製が保存されている他、事件の詳しい詳細も書かれており、ヒグマに関しての注意や目撃情報も記載されている。
また北海道全体で、山中でのヒグマの目撃情報があった場合は立ち入り禁止となり、絶対に山に入らないように警告されている。


【余談】

前述したように、この2日前に北海岳友会のパーティもヒグマに襲われていた。福岡大メンバーを襲ったヒグマと同一個体とされている。
しかも、彼らも綺麗に並べられていたヒグマのヨダレだらけの荷物を取り返していた。
奇跡的に死傷者はいなかったが、下手すれば彼らもヒグマの標的になった可能性があったと考えると…。
また、この二つの事故の更に一ヶ月前、付近の山塊で単独登山者の行方不明も発生している。こちらについては何が起きたか検証のしようも無く、憶測にとどまるのみである。

北海学友会の報告書はこちらで原文が参照できる。( 外部リンク
当時のみならず、今日なお続くクマとの衝突を考えさせられる文章であり、一読の価値がある。

YouTubeやニコニコ動画には当時の映像を交えた特集の動画がアップロードされている。
「興梠メモ」も実物が表示され、読まれている。

2013年7月には「奇跡体験!アンビリバボー 知られざる海と山の恐怖大特集」で、この事件の再現ドラマが放映された(全員実名)。





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最終更新:2022年02月27日 08:43

*1 キスリングの食料を漁っていたために食べる必要がなかっただけかもしれないという説もある。が、具体的に食害されなかった理由は不明

*2 報告書では、「人を襲うような熊がいる」という情報を前もって得ることは出来なかったとされている。

*3 野生の熊と遭遇した事例で、命を奪われたのは元々単独行、あるいはグループと離れ離れになって一人になってしまった者が多く、逆に一塊になって動いている時に命を奪われた者は少ないとされている。

*4 そもそも当時はこの対策も周知されていない。