登録日:2010/05/26(水) 20:38:46
更新日:2025/05/07 Wed 15:57:14
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秋山準は日本のプロレスラー。また、有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーション代表取締役社長でもある。全日本プロレスでデビュー後はNOAHに移籍し、その後再び全日本に出戻りする紆余曲折ありながら、現在は選手兼コーチとしてDDTプロレスリングで活動している。
本名は秋山潤。大阪府和泉市出身。
入場曲
U.S.FINAL BATTLE
SHADOW EXPLOSION
STERNNESS
FINAL EXPLOSION
非情なまでに相手の負傷箇所を責めることから『キラー秋山』『氷の秋山』とも呼ばれた。
1992年9月17日、後楽園ホールのセミファイナル、
小橋健太戦でデビュー。
2000年に故・
三沢光晴らと共にプロレスリングNOAHへ移籍。
【得意技】
秋山の代名詞。
右手で向かい合った相手の左の肩口を、左手で外側から右太腿を捉え、相手からするとたすき掛けをされるような形から後方に反り投げていく変形のスープレックス。
あすなろ杯に向けて開発され、若手ながらオリジナルホールドを身につけた秋山は当時の全日本では珍しいスピード出世を果たす切っ掛けとなった。
先輩でもある新日本プロレス(当時)の馳が得意としていたサンボ式の裏投げを元にイメージを膨らませた技で、実際に名称が決まっていない頃は“裏投げ式スープレックス”や
前田日明の得意技に似ていたことから“変形キャプチュード”等と呼ばれていた。
実は、新日本プロレスの
飯塚高史が先んじて公開していた、同じくサンボ式の裏投げを元にした“ブリザードスープレックス”とは、ホールドの左右が反対なのとブリッジで固めるか投げ捨てるかの違いがあるだけで同じ要領の技である。
単純ながら横方向の回転を強いられる投げであるため、受け身の天才と言われた三沢をして“秋山のアレは受け難い”と言わしめた程。
通常型のみを使用していた頃は痛め技のイメージしか無かったものの、全日本初の東京ドーム大会にてリストクラッチ式を公開して
必殺技とすると、NOAH時代以降、通常型も投げるタイミングを変えて垂直落下させたり、受け身の取り辛い形で落とす等してフィニッシュに使うようにもなった。
エクスプロイダー系統でも奥の手中の奥の手として使用された秋山を代表する必殺技。
上記の単独東京ドーム大会の馳戦にて解禁。
右手で相手の左肩口を捉えるのは一緒だが、左手は相手の左手首を相手の股下を通して右太腿の外側から捉えることで、敢えて相手の体を回転させ切らずに投げる=勢いよく脳天から落としてしまうという危険技で、以降のリストクラッチ式と呼ばれる技の流行の先駆けとなった。
同時期にトップに立ち、団体を越えた盟友関係となった
永田裕志にも直伝されたのだが、一時期、秋山は奥の手としているこの技を永田さんは痛め技程度の扱いでポンポン使いまくるので不興を買ってしまい、以降は自重するようになった。
細部微妙に違うがどちらもリストクラッチしてのフィッシャーマンズバスター。
リストクラッチエクスプロイダーに代わる必殺技を模索する中で考案されたが、いまいち完成したとも定着したとも言いがたい結果に。
ジャンボ鶴田直伝だが鶴田のそれは面で当てるに対し秋山のそれは点で当てる。本人曰く、一番思い入れのある技。
シャイニング・ウィザードが流行してからはハーフダウンや膝立ちの相手にぶち当てるものをフィニッシュとしたりもした。
MMAで言う所の胴締め式のフロントチョーク。
NOAH旗揚げ時に、格上であった元全日四天王の面々を次々と絞め落として衝撃を与えたが、
プロレス的にアレだと思ったのか以降は普通の絞め技として使われるように。
派生技として、相手の脚をインディアンデスロックで固めて更に逃げづらくするタラバガニロックがある。
バックドロップの体制から変形パワーボムで、エクスプロイダーと並ぶ若手時代の代名詞。
正直、秋山自身は必殺技として使わせては貰えなかったのだが、現在のプロレス界ではサミ・ゼインがWWEでのフィニッシュに使ったりと意外と使い手が多くいたり。
【余談】
小橋愛
小橋に対する信頼感が半端ではない
もはや友情ではなく愛
追記、修正願います。
最終更新:2025年05月07日 15:57