水雷戦隊

登録日:2015/02/06 Fri 12:24:30
更新日:2023/05/03 Wed 12:31:27
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水雷戦隊とは、旧大日本帝国海軍の部隊編制の一つであり、水雷戦――機雷・魚雷・爆雷などを用いて戦う機動性の高い部隊である。
もとより夜戦バカ&水雷バカの傾向が強かった帝国海軍の中から、さらに濃縮成分を煮詰めて取り出したクレイジー軍団精鋭達。


概要

2~4つの駆逐隊を、旗艦として軽巡洋艦が率いる構成となっている。1914年の第一次大戦に備えた戦時編制の際に初めて編制された。
第一、第二は常備編制だが、第三以降は特設であり、戦時体制への移行と同時に編制を開始する。
対米開戦決定を受けて第一~第六の各戦隊に再編制・配備され、43年に練成部隊として第十一水雷戦隊が新設されている。
帝国海軍の主戦略である漸減邀撃作戦にハード・ソフト共に特化しており、こと対艦雷撃戦闘においては他国の追随を許さない。

漸減邀撃(ぜんげんようげき)とは、まず潜水艦による隠密潜行偵察で敵外征艦隊の陣容と目的地を探り(あわよくば雷撃で漸減も狙う)、
航空戦力による長距離爆撃で敵の偵察と消耗・士気減退を誘い、重巡洋艦主軸の高速巡航部隊で敵艦隊外周の補助艦を削ぎ落とし、
最後に戦艦隊が航空支援のもとで艦隊決戦を挑み、蹂躙するという戦略大系である。
帝国海軍のすべての戦闘艦艇はこの大綱のもとに戦闘能力一点突破しており、大艦巨砲主義も航空戦隊も、全てはこの戦略遂行のためだけにあった。
別に帝国海軍が航空戦力や戦術を軽視してたわけではないんである……少なくとも上層部は。レーダー?知ら管

各々の質で量を打倒しようとした帝国海軍の思想そのままに、月月火水木金金の地獄そのものな訓練で培った高い戦闘能力を秘めた部隊であったが、
航空機の二次関数的発達や次世代索敵システムの普及という現実を前に、水雷対艦戦闘に特化したという致命的な齟齬のため打ちのめされる。
さらには戦訓対応もほとんど許されぬままに、設計・運用思想上は想定外な船団護衛や対空戦闘に奔走した結果、所属艦のほぼすべてを喪失。
地球上最強の艦対艦雷撃能力を誇った精兵たちは、45年7月20日をもって歴史の舞台から姿を消した。

……が、何やかんやでそのキチガイ練度というDNAは海自に受け継がれていたりする。
「イージスの反応が遅いんで手動にできない?」とか何が言いたいのかわからんが、海自の最精鋭はそんな連中です。
また、海自が潜水艦絶対殲滅&潜水艦で敵艦絶対沈めるマンと化したのは、対米戦で輸送船団を沈められまくったトラウマのせい。
同じ轍を踏まないためとはいえ、ガチすぎて恐ろしくなるエピソード満載である。

非常にどうでもいいが、当時の海軍派愛国少年の派閥は、長門型筆頭の戦艦派、赤城・加賀を中核とする空母派の二大勢力に、
水雷戦隊をこよなく愛する少数派が絡む構図だったらしい。


水雷戦隊の定義

艦隊令によると、第一条『艦隊ハ軍艦二隻以上ヲ以テ編成シ必要ニ応シ之ニ駆逐隊(以下中略)ヲ編入シ港務部、防備隊、航空隊、特務艦及必要ナル機関等ヲ附属ス』とある。
つまり帝国海軍では、『艦隊=軍艦2隻以上』なわけだ。軍艦とは、帝国海軍においては軽巡洋艦以上の艦型のことをいう。
そして第二条において、『艦隊ハ必要ニ応シ之ヲ戦隊ニ区分ス』と定義された。つまり『艦隊=戦隊×2以上』である。

また、第二条では『戦隊ハ軍艦二隻以上ヲ以テ、軍艦及駆逐隊、潜水隊、輸送隊、駆逐艦二隻以上、潜水艦二隻以上、砲艦二隻以上、海防艦二隻以上、
輸送艦二隻以上若ハ航空隊ヲ以テ、軍艦以外ノ此等ノ一部ヲ以テ又ハ航空隊二隊以上ヲ以テ之ヲ編成ス
但シ主トシテ航空母艦、水上機母艦、航空隊、駆逐隊、潜水隊、砲艦隊、海防隊、輸送隊、駆逐艦、潜水艦、輸送艦等ヲ以テ編成スルトキハ
之ヲ航空戦隊、水雷戦隊、潜水戦隊、輸送戦隊等ト称スルヲ例トス』とも定められた。
つまり、軍艦2隻以上、または軍艦に率いられた各種艦艇or航空隊で編成された部隊を戦隊と称したわけだ。
で、空母や駆逐隊、潜水隊で構成された戦隊を特に航空戦隊、水雷戦隊、潜水戦隊と称したというわけ。

※ちなみになして駆逐艦ではなく駆逐隊かというと、帝国海軍では駆逐艦は軍艦じゃないのだ。
軍艦じゃないから4隻で軍艦1隻分と計上され、それゆえの駆逐隊編成である。
つまり、艦これでは完全な形(開戦当時の、ではあるが)で水雷戦隊を編成できないのだ。畜生、神は死んだ!
なお、編制制度改定後のものであれば、現状の編制枠でも編制可能。


各水雷戦隊の概説

第一水雷戦隊

最初に編制された水雷戦隊であり、いわば水雷戦隊の元祖。大戦時の旗艦は一貫して阿武隈が担当。
艦隊決戦用に温存される第一艦隊(戦艦を集中配備した、文字通りの帝国海軍主力艦隊)所属のため、前線を駆け回る第二艦隊所属戦隊に比べやや旧式艦が多い。
とはいえ、さすがは艦隊決戦要員だけのことはあり、クルーの練度は極めて高い。二水戦?彼処は半ば人外魔境だし、比べるのはどうかと……
開戦時は戦艦部隊の直掩護衛隊として第1艦隊に所属していたが、ガダルカナル島撤退後の43年4月1日をもって第五艦隊に編入され、
キスカ島撤退作戦完遂という文字通りの奇跡をもたらす。

その後は第一艦隊に戻ることなく南方戦線を駆け抜け、44年10月末のレイテ沖海戦とその後の泊地への空襲で戦力の大半を喪失。
11月20日をもって解隊、残存艦は菊水作戦時に二水戦へ統合吸収され、初霜と潮を除き、そのすべてが海原に消えた。
潮は機関損傷のため菊水未参加、初霜は菊水こそ無傷で乗り切ったものの、その後の空襲で沈没防止のため強引に擱座したため、
終戦時に戦闘・航行能力を維持していた艦は存在しない。

第二水雷戦隊

第二艦隊(重巡を主戦力とする、高速長駆が可能な漸減邀撃作戦における前衛部隊)所属の水雷攻撃部隊として編制された。
ただでさえ冗談のような練度と技術を持つ帝国海軍水雷戦隊の中でも、その能力が限界を超えた領域にあるとすら言える超攻撃特化集団。
常に海戦の先駆けたるを約束され、同時にその座に相応しい実力を要求され続ける、名実ともに帝国海軍最強の水雷戦隊。
それだけに最高の練度と最新最良の装備を与えられ、ここに配属されることは駆逐艦・その乗組員どちらにとっても最上の誉れとされた。
人呼んで『華の二水戦』。当然だが、帝国海軍最強の艦対艦雷撃能力ということは、この地球上で最強ということである。

しかしいくら「二水戦は雷撃戦にて最強」と言えど、戦局と時代と変わりゆく戦術思想に牙を剥かれ、航空機に頭を抑えられ、
建造時にはまったくと言っていいほど想定されていなかった任務を与えられてはその持てる力も発揮できない。
名実ともに雲霞の如きアメリカ式超物量の前に、最強部隊も櫛の歯が抜けるようにその戦力を削ぎ落とされてゆき、
最後は坊ノ岬沖海戦――大和水上特攻随伴時に旗艦を含む中核戦力を喪失、45年7月20日をもって解隊された。

大戦時の旗艦は神通(開戦-43年7月13日、コロンバンガラ島沖にて戦没)→長良(43年7月20日-9月1日)→能代(43年9月1日-44年10月26日、ミンドロ島沖にて戦没)
島風(44年11月4日-11日、オルモック湾にて戦没)→矢矧(44年11月20日-45年4月7日、坊ノ岬沖にて戦没)。
長良と島風は少々特殊で、長良は神通とともに深海に没した司令部の代替とスライド転属として四水戦旗艦&司令部が統合吸収されたもの。
島風はレイテに消えた能代以降、新たに旗艦が指定されるまでの「つなぎ」だった。
ちなみに開戦時の水雷戦隊旗艦は阿武隈以外は全員二水戦旗艦だった時期がある。*1

もとより最精鋭を配しており、同時に地獄そのものの戦場を駆け抜けてきた古強者が集っていたためか、はたまた海軍の意地もあったか、
水雷戦隊の中でも最後まで解隊されることはなかった。
最新最強の装備を有していたとはいえ、末期には解隊後の戦力を掻き集めた寄せ集めの残存部隊の様相を呈していたが、
敗残艦であるはずの彼女らの戦歴は、ある種の鮮烈な輝きをもって後の人の胸を打つ。

第三水雷戦隊

一水戦同様に第一艦隊所属の特設水雷戦隊。ただし、一水戦がガチ殴り合いを想定していたのに対し、こちらはそのサポートも兼ねていたようだ。
とはいえ例によって帝国海軍なので練度はry
猫の手も借りたくなってきた43年4月からは第八艦隊に編入され、前線に投入される。
そして戦局の悪化と酷使ぐあいで見る間に戦力を殺がれ、残存戦力は44年8月30日をもって第三十一戦隊(対潜哨戒専任の高機動部隊)に改編された。
ガ島撤退以後の編制を見ると、隷下駆逐隊の半数以上が睦月型(特型以前のお婆ちゃんズ)という惨状だったりする。酷使し過ぎィ!

大戦時の旗艦は川内(開戦-43年2月25日、ブーゲンビル島沖海戦にて戦没)→夕張(43年4月1日-44年4月27日、パラオ諸島南西にて輸送任務中に戦没)
→名取(44年5月-同年8月18日、サマール島東方にて輸送任務中に戦没)。
第三次ソロモン海戦第二夜においてその名を天下に知らしめた綾波が所属していた。

第四水雷戦隊

二水戦同様に第二艦隊所属の特設水戦。限界まで配属条件を引き上げた二水戦には、さすがに配備艦の総合性能でやや劣る。
しかし腐っても漸減邀撃専用部隊、案の定練度はマジモンだった。
任務も輸送船護衛から不意の遭遇戦まで色々こなす。金剛型ではないが、多少旧式も配備されてたので引っ張り出しやすいのもあった模様。
こんな連中のヘッドを務めていたわけで、那珂ちゃんもやっぱりガチ勢でした。艦隊のアイドルカッコガチ
縁の下の力持ち的に酷使されまくった結果、文字通りその身を擦り減らし、43年7月20日をもって解隊。残存戦力は二水戦に統合吸収された。

大戦時の旗艦は那珂(開戦-42年5月9日)→由良(42年5月20日-同年10月25日、南太平洋海戦にて戦没)
→秋月(南太平洋海戦当時の作戦要項に伴う暫定旗艦、海戦後に将旗を朝雲へ移譲)→朝雲(42年10月31日-同年11月下旬)
→長良(朝雲から移譲-43年7月20日、四水戦解体に伴い二水戦旗艦へ転籍)。
在籍艦としては、第三次ソロモン海戦第一夜で「最ッ高に素敵なパーティ」やらかした夕立が有名。

第五水雷戦隊

南方攻略支援とフィリピン・ジャワ西方方面の船団護衛を目的とする特設水戦。所属は第三艦隊。旗艦は名取が担当(開戦-42年3月10日)。
神風型と睦月型という極めつけの老朽艦で構成されており、所属艦に関しては元より使い捨て兼つなぎ役だったようだ。
攻略完了とともに第三艦隊と南遣艦隊が再編されたため、42年3月10日をもって解隊された。
所属艦はそれぞれ南方方面の防衛と哨戒に従事し、名取は後に三水戦に配属される。

第六水雷戦隊

内南洋防衛とウェーク島上陸支援を担当する特設水戦。第四艦隊所属。戦隊旗艦は夕張が担当。
これまた神風型と睦月型で構成され、やっぱり陽炎・夕雲の新鋭駆逐艦が揃うまでのつなぎ役。
戦局の悪化や航空戦力の減少等から、42年7月14日付で第二海上護衛隊に改編された。

第十一水雷戦隊

戦場に出ることは基本的にない特設練成部隊。編制は43年4月1日付。編成後に竣工した各駆逐艦を一時的に編入し、練成を行った。
ちなみに最初期の構成艦は、概ね艦これ名物天龍幼稚園(旗艦は龍田だったがな!)。
戦場には出ないと言いつつ、戦力払底から輸送船護衛に駆り出されることも。
旗艦は龍田(編制-44年3月12日、輸送船団護衛中に潜水艦より雷撃を受け戦没)→長良(44年5月-同年8月7日、鹿児島から佐世保へ回航中に雷撃を受け戦没)
→酒匂(44年12月11日-45年7月15日、御存じ『最後の水雷戦隊旗艦』)。





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最終更新:2023年05月03日 12:31

*1 スルーされる事も多いが、川内も一瞬だけ二水戦旗艦だった事がある。