大阪ガソリンスタンド冤罪事件

登録日:2016/05/01 Sun 23:40:47
更新日:2020/04/19 Sun 08:45:48
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大阪ガソリンスタンド冤罪事件とは、大阪で盗んだキャッシュカードを使ってガソリンスタンドからガソリンを盗んだとして無実の男性Aさんが逮捕された冤罪事件である。
なお、担当した弁護士は「大阪府警北堺署誤認逮捕事件」と呼んでいる。


逮捕~とある窃盗事件~


被疑者のAさんは、会社勤めのごく普通の人であった。
2013年1月のとある朝、いきなり家にやってきた刑事に任意同行と称して連れていかれ、結局逮捕されてしまった。

警察(大阪府警北堺署)の言い分はこうだった。

「2013年1月12日夜から翌13日朝の間に、大阪市内のコインパーキングに止めてあった車から、カード2枚が盗まれていた。
そして1月13日の午前5時39分。盗まれたカードで何者かがガソリンスタンドでおよそ3500円の給油をしていた記録が見つかった。
当然、このカードを使った人物がカードを盗んだ人物である可能性が高い。
そして、この時間帯に給油していたのは防犯カメラの画像からAだったことが分かった。
つまり、Aがキャッシュカードを盗み、盗んだキャッシュカードを使ってガソリンも盗んだに違いない!!

と、どうにも腑に落ちない話。
しかし、「盗まれた物品を事件後すぐ持っていたら犯人である」という考え方は裁判所でも使われているため、至極まっとうな理由でもある。
また、複雑な話になるが、盗んだカードで買い物をするのはカードの盗みとはまた別に詐欺や窃盗罪となり、Aさんが逮捕されることになってしまった。

取り調べ~疑われる理由もわからない~


Aさんは、確かに1月13日の早朝、家族とスノーボード旅行に行くついでに警察の言っているガソリンスタンドで給油していた。
だが、数分の時間のずれまで正確に覚えているはずもないし、キャッシュカードの盗みに関してはAさんには全く身に覚えのない話である。
Aさんは現金で決済しており(一緒にいた奥さんの記憶も同じだった)、キャッシュカードを使った記憶自体がない。従って、もののはずみで取り違えたキャッシュカード、ということもあり得ない。
困ったことに、そのときの領収書などを取っておかなかったAさんには、「私はそんなキャッシュカードを使っていない」という証拠を用意することはできなくなっていた。

なんのことかわからないまま、無実を訴えるAさんに対し、担当の刑事からの取り調べは執拗に続いた。

取り調べに当たった刑事は新米刑事が中心だったという。
しかし、彼らは、44歳のAさんを平気で呼び捨てにした挙句、


「洗いざらいやったことを話して、綺麗な身体になって、綺麗な手で子供の頭を撫でてやって下さい。今のままじゃ、あなたの手は汚れたままじゃないですか」

「あなたは子供に人の物を盗ったら叱りますよね。あなたは子供さんを叱れますか。その汚れた手で子供の頭をなでてあげられますか」

(黙秘するAさんに)「言えないというのは普通の状態じゃないやね。言っている意味分かるやろう」

「おまえはずっと悪人でいくのか。反省する気持ちはないのか。すべてお前が犯人である証拠は揃っている。いくらでも捜査は続ける。お前は普通じゃないんやで」

「妻、子供、ご両親、会社の人間に『自分は何もやってない、無実なんだ。』ということができるのか、そのよう胸を張って言うことはできるか。
奥さんは毎日面会に来ているが、ちゃんと目を見て話せるか。後ろめたい気持ちがあるだろう。会社、親に恥ずかしいと思うだろう」

「俺の目を見て聞いてよ」

と自白を迫り続けたのだった。
いずれも、後述の国家賠償訴訟で実際の発言と認められている。
夫を信じ、何とか家族に事態を取り繕って毎日面会に来る奥さんも、警察に取調べのだしとして使われてしまったのである

取り調べのための身柄拘束は一つの罪につき最長23日。
しかも、Aさんの場合「ガソリンを盗んだ罪」と「カードを盗んだ罪」が別々の犯罪として扱われるため、再逮捕までされて取調べは40日を超えてしまった。

Aさんは取り調べに疲れ果て、弁護士に対して「もう罪を認めてしまいたい」と弱音を吐いた。
弁護士は覚えのないことを認めるべきではないと励ましたが、当の弁護士もこの時点では勝算があった訳ではない。

Aさんを信じ、毎日面会に来てくれる奥さんと弁護士の励まししか、Aさんが頼れるものはなかったのだ。
Aさんには子もいる。奥さんは子に「お父さんは長期出張」と誤魔化していたが、家族の精神も限界が近づいていた。

しかし、Aさんも弁護士も、取り調べの続いている段階では、警察がなぜ間違った疑いを抱いているのかは分からない。

 機械の誤作動・誤記録?
 防犯カメラ画像の解析を間違えてしまった?
 何者かが罪を着せようとはかった?

それすらわからず、身に覚えがないと言い張るしかないままにただ疑われる。

そして、身に覚えがないからと言って裁判で戦えば無実になるとは限らない。
警察は証拠は揃っていると迫っていたし、その証拠をすべて見せてもらえるわけでもない。
冤罪事件は報道もされている。「身に覚えがないと言い続ければ無罪になる」なんて確信が持てるわけもない。
キャッシュカード2枚とガソリン3500円分を盗んだくらいなら、例え有罪になったところで執行猶予はつけられ、刑務所には行かなくて済む可能性が高い。
必死になって戦って負けるよりも、諦めて裁判を長引かせず、前科者にはなってもとにかく釈放してもらう…。
Aさんはそんな誘惑とも戦い続けなければならなかった。

再逮捕までされ、ついに起訴されてしまったが、Aさんはなんとか罪を認めることはなく取り調べを乗り切った。
だが、起訴と同時にAさんは奥さんとの面会も止められてしまった。
「否認してるということは、犯行時一緒にいた奥さんと話したら口裏合わせされてしまう!!」と考えられてしまったのだった。

釈放へ~警察の初歩的ミス~


だが、起訴された後に事態は急展開する。
起訴された後でないと記録が見られないため、弁護士もここでやっと手がかりを得たものだと思われる。

弁護士は、Aさんからガソリンスタンドで給油する前後の行動を聞き出し、Aさんがガソリンスタンドで給油後、高速道路にETCで入っていたことを突き止めた。
そこで、弁護士がETCの使用履歴を確認してみたところ、犯行時刻の僅か1分後の午前5時40分にはAさんは6.4㎞離れた高速道路のETCを通過していたことが分かったのだ。
仮に、39分00秒から40分59秒という表示の具合で約2分だったとしても、ガソリンスタンドから2分で高速道路に入ろうとすれば、単純計算で車を時速約200㎞で飛ばさなければならない。
こんな速度はスピード違反どころか自家用車では物理的に出せない。
念のため早朝の空いている時間帯を見計らって車を走らせる実験を2回しても、7分はかかった。

さらに、弁護士が店の記録を調べた。
店は開示を渋ったが*1、店の顧問弁護士に直接掛け合ってようやく開示にこぎつけた。
結果、Aさんと思われる午前5時34分の給油の記録が残っていた。この時の給油の記録の支払いは現金であり、Aさんの記憶とも一致。
高速道路を通過した時間差は6分、車を走らせる実験ともほぼ一致。

とどめとなったのは、防犯カメラの画像の時計。弁護人が店にかけあって確認させてもらったところ、なんと8分も進んでいたのだった。
防犯カメラや納品書の時間が正確かどうかを調べるのは捜査においては基本のキである。
現に、ガソリンスタンドの来店履歴管理システムについては、警察もNTTの時報を使い、時間のずれをチェックしていた。
だが、警察官は「納品書に書いてある時刻は間違いなく正しい」と信じ込み、防犯カメラの時間のズレは納品書の時刻とだけずれていると判断。
基準となる納品書の時刻自体がずれている可能性を完全に忘れてしまったのだった。
さらに、警察は犯行時刻の防犯カメラだけをチェックし、その前後の映像は検証していなかった。前後まできっちり見たところ、真犯人と思しき車も映っていたのだ。

警察は何時ごろにガソリンスタンドで給油したのか調べるためにAさんの車のカーナビを調べていた。
実はこの時、カーナビ本体には午前5時40分に通過したという記録が残っていたのだが、警察は立証に役立たないと見るや、華麗にスルーしていた。
(警察が有罪立証に役立たないとなると無罪につながる証拠を無視するのは氷見事件でも見られた)

弁護士にこの記録を突き付けられた検察。
どうみても成立しているアリバイの前に、Aさんは無実であったと認めるしかなく、訴えを自ら取り消し、Aさんは80日を超える拘束から釈放されたのだった。

なおその後、別の当て逃げ事件で起訴されていた男が犯行を自供。
2014年6月、別の窃盗や当て逃げなど計15件の罪で有罪とされ、懲役5年6月の求刑に対し、懲役5年の実刑判決が下された。


国家賠償訴訟~取り調べという名の人格攻撃~


釈放されたAさんだったが、抑うつを発症してしまっていた。
後にAさんは大阪府や国に対して国家賠償訴訟を起こした。

警察はきちんと捜査をしていたが、結果論として冤罪になってしまったというだけでは、国家賠償は認められない。*2
だが、この件では警察の確認ミスや取調べがあったことが裁判所によりはっきりと示された。
裁判所はおよそ620万円をAさんに支払うように命じた。
しかし、弁護士への依頼料や治療費、減ってしまった給料分を差っ引いた慰謝料として支払われたのは300万円分程度であった。

裁判所は、検察官に対しては
  • 「Aさんは無実を主張していたし、その中でAさんが有罪だという証拠としては、犯行時間帯を示す防犯カメラの画像が非常に重要なものだったはずだ。
    そんな重要な証拠の時間について、警察が基本的な確認を怠ったのに気付かないなどと言うのは検察官として不注意にもほどがある
と厳しく非難。

また担当刑事に対しても、
  • 「Aさんを逮捕せずとも簡単にできた初歩的な捜査を怠ったことによる勘違いによるもので違法である」
    (大阪府警も、この点の捜査を怠ったことについての落ち度は認めていた。さすがに「警察には落ち度がない」などとは主張できなかったと考えられる)
  • 「取り調べで被疑者に説明を求めるのは捜査上仕方ない。
    だが、Aさんに行った取り調べは現に否認しているAさんに対して、犯人であるという誤った前提に立った上、Aさんを人格攻撃する取り調べであり、違法だ。
    担当刑事はAさんが真犯人だとしたらそうだという趣旨だった、などと弁解しているが、例えそうだったとしても人格攻撃であることに変わりなく、全く意味のない弁解だ」
と断罪したのだった。


虚偽の自白の項目にもある通り、人格攻撃を伴う取調べは調書に残らない可能性が高く、裁判所にも気づかれないし、下手をすると担当の刑事にもしらばっくれられる恐れがある。
裁判員裁判では取調べの可視化が進められているとはいえ、窃盗は取調べの可視化の対象外だった。

確かに、かたくなな被疑者の心に語り掛けて、心の底から罪の意識を呼び起こし、本当のことを話させ、反省の念を持たせる取り調べは大切なことなのかもしれない。
だが、取り調べの相手を呼び捨てて犯罪者呼ばわりする取り調べは、やった人間に罪の意識を呼び起こすものではなく、単なる洗脳でしかない。
例え真犯人に対して行った取り調べだとしても、最低の取り調べだったといえる。
担当した弁護士は「捜査過程には事実を探求する姿勢などまるでうかがえず、捜査の名に値しない」と手厳しい非難をくわえている。*3

Aさんはこうした取り調べの結果、誤認逮捕から2年経っても傷は癒えず、勤務しても休職と復職を繰り返すことになっているという。
人格攻撃を伴う取調べは、2年に渡って人の心に傷を残す力を持っているのだ。




しかし、もしAさんがガソリンスタンドで給油した後、ETCを使うことなく一般道を使っていたら?

買い物忘れに気づいてコンビニに立ち寄ったりして時間を空費していたら?

ガソリンスタンドの店長が逮捕されてから弁護士が調査に入るまでに防犯カメラの時刻を正確な時刻に直して、更にそのことを忘れてしまっていたら?

2年の後遺症が残るほどの人格攻撃を伴う取り調べに疲れ果てたAさんが自白して、弁護士にも自分がやったのでいいと言ってしまったら?

Aさんは前科一犯となっていたかもしれない。

それどころか
「決定的な証拠をつかまれてるのに、いつまでも罪を認めない、ふてえ野郎だ。
執行猶予なんかつけないで、刑務所に行かせて徹底的に反省させなきゃな!!」
となっていた可能性だってあったのだ。








Aさんが冤罪に巻き込まれたのは不幸だったが、冤罪がわかったのは幸運の産物である。
さて、冤罪に巻き込まれた後の「幸運」で救われているのは、本当に冤罪だった人物の何割程度だろうか…


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最終更新:2020年04月19日 08:45