自己投影

登録日:2016/06/16 Thu 01:21:51
更新日:2025/09/20 Sat 18:02:32NEW!
所要時間:約 5 分で読めます





1,心理学における「投影」

心理学用語で、自己の認めたくない感情を、他の人間に押し付けてしまうような精神的働きを言う。
よく間違われるが自己投影とは別物なので注意。

たとえば浮気している人が、本来のパートナーに対して「あいつは浮気されるような問題があったのだ」という風に思い込むことなどが挙げられる。
自分は浮気をするような不誠実な人間であると認めたくないため浮気をした原因を相手に押し付けている。

自分に関係ないことでも、例えば「学校でいじめを受けた生徒が自殺した」というニュースを聞いた場合に、
「その生徒にも悪いところがあったのだ」あるいは「いじめは必ず起こるものなのだからこれが自然な状態なのだ」もしくは「この世は弱肉強食なのだからこれは正しいことで弱い奴が悪いのだ」といった風に思い込もうとすることもこれである。
なぜならば、何の罪もない人間が理不尽に酷い目に遭い苦しんで死に、それを行った悪人は何のペナルティも受けずにいる、という事実をそのまま受け止めようとすると人間はストレスが溜まる。悲観的な人間ならさらに「自分もそのような目に遭うかもしれない」と考え、これもストレスの源となる。
これを犠牲者非難という。
このストレスという認めたくない感情を回避するために、事実とは違うことを思い込もうとするのである。いわゆる「酸っぱい葡萄」などもこれに当たるだろう。

投影の例


劣等感の投影
「ハーレム作品書いてる作者はモテない人間(自分はモテない人間じゃない、モテないのは作者だ)」
「作者は既婚者だぞ」

ネットでよく見られる投影。殆どの小説・漫画・アニメなどの創作物では主人公が成長したり、周囲から認められたり、恋人が出来たりなど幸せになる展開が多い。しかし現実ではそれらを得ることが出来ず劣等感から目を逸らして生きている人間がいる。
そういった人間が劣等感を刺激する物と邂逅してしまうと自身の劣等感を自覚してしまうが自覚するとストレスになるためそれらを避けるために相手の劣等感に投影してしまう。
ネットの発達とともに増加しておりサイトの広告で目にしてしまう・ネット小説の増加に伴いシチュエーションをタイトルに盛り込んだ作品など増えたため視認性が上昇してしまったため。


恋愛否認の投影
「ヒロインが主人公を好きなわけがない。そうだ魅了魔法にかかっているに違いない」
「私は主人公のことが好きなの。あなたの妄想を押し付けないで!」

主人公がモテることという事実を認めるとストレスが発生するため間違っているということにしてその理屈に合う妄想を投影することによりヒロインが主人公を好きなのは何かの間違いとするもの。
主な要因として以下のものがある
1.主人公はがモテるはずが無いという決め付け(自身の観察眼は間違っていない)
2.モテる要素をステータスと捉えている(主人公より劣ってるはずが無い)
3.投影する人間がヒロインに恋している(ヒロインが主人公を好きを認める=自分の恋は実らない=失恋に繋がるため)


2,自己投影

心理学の用語としては存在しない。
ある物の影響が他の物に現れること意味の「投影」で作者の「自己」の影響が創作キャラに「投影」されていることを指す。

創作においての「自己投影」は、「作者はこのキャラクターや作品に自己や理想を投影している」という文脈で使用される。
なお、インターネット上では第三者が読者に対して「感情移入」や「共感」を自己投影と称することがあるが、これは誤用である。
出来上がったキャラクターや物語に対して読者が感情を向ける・生じさせることはあっても投影はしていないためである。ただし、読者が作者となり二次創作などを作った場合はキャラの動き・言動に自己投影してしまいキャラ崩壊をさせてしまうことがある。

例えば作者がこのようなストーリーラインの物語を作ったとしよう。
  • 異世界に行った主人公がイケメンで、最強で無双して、みんなに肯定されて、モテモテになる話
    →自分は異世界でイケメンで最強になってハーレムを作りたいから読者もそうだろう「自己投影」。
    1. 現代でブラック企業に勤めるブ男のダメ人間の主人公が、失敗ばかりで、女性には嫌われ、最後には死ぬ話
      →報われない主人公やダメ人間という存在は自分は親近感を感じるから読者は共感しやすいだろうという「自己投影」
    2. 女の子たちが日常をゆるゆるしてるだけの話
      →自分は女の子になって他の女の子と一緒に過ごすのは楽しいだろうから読者も楽しいと感じるだろうという「自己投影」
このように究極的にはあらゆるどんな作品にも存在しうるのが「自己投影」である。

とはいえこれを見た読者が「俺はこんな超人にはなれない」と思ったり「リアルがキツいのに創作でまでこんなん見たくねえや」だったり「女の子になるんじゃなく眺める傍観者がいいんだよ(迫真)」という感情もあったりする。
そのように受け手の多様なニーズに対し、キャラクターは別個の役割や性質を持っている事が好まれる部分がある。

類型で言えば、『シャーマンキング』の小山田まん太などは特殊な能力がない(読者的現実性の強い人物)が、主人公(霊媒能力者の麻倉葉)の友人として存在している。
ジョジョの奇妙な冒険』4部の広瀬康一は「背が高く喧嘩に強くモテてスタンドを使える」東方仗助と違い、物語初期時点で持っているものは思いやりや勇気だけである。
東方仗助が一種の理想像ならば、広瀬康一はより身近な”こうありたい”と目標にできる対象であり、その後覚醒するスタンドの運用に頭を悩ませる場面など成長に「共感」を持てる造形と言える。

ハーレムものというジャンルにも、単に多数の女子との関係性が欲しいというだけでなく、読者ごとの「好みの女子の差」があり、そのニーズによってキャラクターの多数化=分散が発生している面は指摘できよう。
(二次創作で主人公たちの性格などではなく、発生した事件の経緯等だけを変える事により恋愛関係の変更などを行うような「カップリング」や、
商業展開される非ゲーム原作のゲーム化時におけるメインヒロイン以外との恋愛・結婚等のエンディング実装など)

上記は「自己投影された物」か「客の好みを反映した物」かの厳密な区別が困難である事を示している。
それは自己投影が100%ではなく、部分的なものでもありうるからだ。
例えば主人公が理想的超人であり、現実的等身大の人間=自分の分身と思えなくても、それはそれで「ヒーローならこう言って欲しい」という「理想の投影」がありうる。

そもそも創作(というよりあらゆる情報媒体)において発信者の意思が全く入らないというのは原理上不可能で、受け手にも当然それは適用されるというのもあるが。
「何も考えずただ誤字脱字や漫画ならデッサンの狂いなどだけをチェックしている」読者も皆無ではないかもだが……。

また、「キャラに自分の思想を代弁させている」「自己投影して楽しむ」ということを明言している作者や読者も存在する。

自己投影の例


モテの自己投影
親友「主人公モテない者同士帰ろうぜ~」
ヒロイン「主人公くん一緒に帰ろう♪」
親友「こ、この裏切り者!」
典型的なケースの一つ。
自分はモテない人間で同じく主人公もモテないだろうと自己投影していたがヒロインの登場により瓦解したケース。
裏切り者呼ばわりしているが勝手に相手が同類認定していただけなので主人公は別に裏切っていない。
ただし事前にモテない同盟などを組んでいた場合は自己投影ではない。

見解の自己投影
「私を含めみんなが主人公を疑っているのだ!」
「ぶんぶんぶんぶん(激しく横に振る×全員)」
典型的なケース一つ。
断罪ものなどで公衆面前で相手を裁こうとしている際に自分は疑っているから周りも疑っていると自己投影した結果、勝手に同意者扱いされた周囲が巻き込まれないために否定してるシーンなどで見かける。


3.実際の使われ方

しかし現実には、「この作品は自己投影(誤用)できるので好きだ」などのポジティブな意味合いより、
「この作品は自己投影が強すぎて見ていられない」とか「自己投影しているからこんな(私好みでない)展開にしてしまうのだろう」とか
「このキャラクターは大活躍しており、更にスタッフと性別が同じだから自己投影キャラだ(から作品が面白くなくなった)」などの
作品を批判する文脈で使用されることが多い。

また、基本的には「最終的に敵に勝つ」「周囲から愛される」といった、活躍するキャラに対してと自己投影と決め付け批判し、物語上の脇役、控え目なキャラに対しては問題視されないことが多い。

なぜこのような、批判用語としての使い方をされることが多いかというと、
前述のように自己投影は物語において必ず存在し、使用範囲が幅広く、更に自己投影・客観の区別が困難であるため、
「どんな作品にも使える」+「反論が困難」であることを兼ね備え、批判用語として便利だからではないかと思われる。

また、古くから存在する「メアリー・スー」に批判される二次創作的キャラ類型が、「二次創作において原作に作者と名前の同じキャラを登場させる」「原作を好きなように改変してしまう」など
作者の存在や人格を意識せざるをえない(=自己投影をしているようにしか見えない)存在で、
それと同様に、「作者の意思を感じるかどうか」という評価軸がそのまま広範な創作に対しても存在しているからではないかと思われる。

極端な場合には「自己投影している(と決め付けた)作品を書く作者や楽しんだりするファンは幼稚だ」など、自己投影を出しに作者やファンにまで広げた批判意見も存在するが、
実際のところ、作品の良し悪しと作者やファンの人格は別である。

例えば二次創作で「作者とオリジナル主人公の名前が同じで原作キャラの性格を変えてハーレム作ってるから自己投影」という評価が下された駄作があったとして、
主人公の名前を別人に変えたからいきなり面白くなるか、ハーレムじゃなかったら必ず良作になるか、というと全然そうではないだろう。
恐らくこの場合だと「ただの自己投影じゃない駄作」という扱いになるのではないだろうか。

やる夫スレなどは「やる夫という固有名を持ったオリジナル主人公」が原作キャラとハーレムを築いている二次創作がよくあるが、読者評価は様々である。

ファンについても、仮に「作者が自己投影した作品とそれを楽しむファン」というものが存在したとして
このwikiを見るような人なら「アニヲタはみんな犯罪者予備軍」といった言説に代表されるような、他人の趣味で大雑把に人格を図る行為が正しいかは、説明するまでもないだろう。

自己投影という言葉を使うとき、読者は本当に「つまらないのは作者や読者が自己投影しているから」という思いが正しいのかどうか、
逆に作者が「あなたの作品は自己投影をしているからつまらない」と批判されたとき、本当に自己投影が悪かったからそういう感想が来たのか、真摯に考える必要があるだろう。

同様に創作に対する類型の一つで、どちらかといえば批判的な意味合いで使われる言葉としては、「俺TUEEEE」「メアリー・スー」「厨二病(的な作品)」などが存在する。



追記・修正は自己投影している人がお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2025年09月20日 18:02