ビンス・マクマホン

登録日:2012/10/18(木) 00:42:46
更新日:2024/04/13 Sat 07:07:30
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You're Fired !!(訳 貴様はクビだ!)

画像出典 RAW is WAR 1999/09/13



◆ビンス・マクマホン

ビンス・マクマホン(Vince McMahon)はアメリカのプロレス団体WWEの代表取締役会長兼CEOである。

【プロフィール】
本名:ビンセント・ケネディ・マクマホン
誕生日:1945年8月24日
身長:191cm
体重:112kg
出身地:ノースカロライナ州パインハースト


【人物】
元々メジャー団体ではありながら、慣例に従いアメリカ東部(ニューヨーク)を拠点としていたローカル団体だったWWWF(World Wide Wrestling Federation)を一代にして世界最大のプロレス団体WWEに育て上げた。
アメリカではビル・ゲイツと並ぶ有能な経営者として経営学修士課程の研究対象にされることがある。
また、レスラー並の長身と年齢不相応に鍛え上げられた肉体の持ち主で、自らが選手としてリングに上がることもある。
ただし、リング上でレスラーを引き立てることを原則としており、真っ向勝負でレスラーに勝つことはまずない。
元々はレスラー志望であったが、確執のあった父に反対された経緯があり、社員として、そして経営者として働きつつも激務の合間にジムでのトレーニングとボディビルを欠かしておらず、図らずもその地道な努力は会社の最大のピンチ時に発揮されることになった。

【来歴】
ニューヨーク地区の大物プロモーターだったビンセント・ジェームズ・マクマホン(ビンス・マクマホン・シニア)を父に持つが、
両親が早くに離婚し、母親側に引き取られて育ったため、父親の顔と名前を知ったのは12歳の時だった。
1968年にイーストカロライナ大学経営学部を卒業後、父親にレスリングビジネスを学び、WWWFのリングアナ、実況担当者としてテレビに登場しはじめる。
また同年、大学の後輩だったリンダ・エドワーズと結婚する。
1982年に、父から親会社の株式を買い取って社長に就任、84年に父が死去すると、これまではあくまでも興行が主体でありオマケ扱いだったTV中継を主体とした新しいプロレス興行の在り方を実現するべく、白羽の矢を立てたハルク・ホーガンとの二人三脚で全米進出を開始した。
レスリングの実力はあるが地味でTV映えのしないボブ・バックランドの様な伝統的な王者を過去のものとし、とにかくTV映えのするカリスマ性のある大男であるホーガンを主役に据えたビンスの戦略は見事に当たり、WWFはPPVで得た莫大な資金を元手に、これまでは有り得なかった全米サーキットを実現する等、急速に米国マット界の勢力図を塗り替えていった。
そして、85年に開催したレッスルマニア1を皮切りにWWFを急速に拡大させていくが、91年にはスポーツ界に蔓延していた違法薬物や麻薬の横行していた問題について、ホーガン、ビンス、そしてWWFその物が薬物汚染の温床であるとして告発された“ステロイド裁判”が起き、多くの批判やスキャンダルに晒された末に、ホーガンとも決別する。

その後、エリック・ビショフの指揮下で猛烈に勢力を拡大してきたWCWと視聴率抗争(マンデーナイト・ウォーズ)を繰り広げるが、
WWFのスター選手がごっそりWCWに引き抜かれ、更にはWCWで誕生したnWoムーブメントの人気の前に、倒産危機にまで追い込まれる。
しかし、モントリオール事件でブレット・ハートと決別した後、自らが悪のオーナーになってレスラーや観客を見下した演説を行い、
時には「Mr.McMahon's Kiss My Ass Club(ビンスのケツにキスする会)」と称した従わないレスラーに屈辱的な姿勢を強要させるという暴挙に出るなど、
団体最大のヒールキャラとして君臨する。そこにストーン・コールド・スティーブ・オースチンを対抗させてアッティチュード路線を形成、自身がファイターとしてリングに立つばかりか、億万長者にもかかわらず流血も汚れ役も厭わない戦いぶりが上司や上流階級の人間に鬱憤を溜めていた観客の支持を集め、次第に勢力を盛り返す。
2001年にWCWとECWを買収して名実共に全米マット界を制圧、世界最大の団体に押し上げる。
以降は、選手として登場する場合はヒール、コミッショナー活動の際はベビーフェイスとして登場することが多い。


【経営者として】
典型的なワンマン経営者。
息子のシェイン、娘のステファニーが入社したとき、自分の子供だからといって決して特別扱いはせず、下働きから始めさせた逸話がある。
シェインはチケットのもぎり、ステファニーは受付嬢だった。
娘婿トリプルHによると、オフィスにいるときは夜11時近くまで仕事をし、それからジムでトレーニングを行い、翌朝9時にはきちんと出勤しているという。
これに関してビンス本人は「好きなプロレスで飯を食わせてもらっているから、自分には休みは必要ない」とコメントしている。

近年は、ステファニーやトリプルHに業務をシフトしている。
しかし、バックステージでの現場責任者としての存在は変わらず、実況陣に対してはヘッドホン越しに罵声で指示を与えている。ミック・フォーリーはこれが嫌で解説を辞めた。
WWE以外では、1992年にボディビル団体WBF、2001年にアメフトリーグXFLを設立したが、経営不振で1年で閉鎖する。そして自虐ネタとして使っている。
2002年から、エリック・ビショフを雇用することになるわけだが、「かつて自分を破産寸前まで追い込んだ奴を自分の部下として雇用するのは最大の復讐だ」と語った。
そして、それから約20年を経てまさかのXFLの復活が報じられた。が、2020年の新型コロナウイルスの流行により2ヶ月弱ほどでシーズンは打ち切り、破産した。*1

また、所属選手に対する配慮をきめ細かく行い、選手の家族などの誕生日には必ず花束を贈っている。

2022年6月のスマックダウンを最後に引退を表明。苦手と自認しているツイッターでも引退を示唆し、77歳にして表舞台から去った。現時点では筆頭株主であり続けているので、影響力がまったくなくなったわけではないだろうが、WWEは1つの大きな分岐点を迎えたことになる。後継者は娘のステファニー。



【余談】
  • McMahonの発音だが、最も近いカタカナ表記は「ミクメァン」である。

  • シェイン、ステファニーの下にロキシーという娘がいる。ただし、ロキシーは表舞台には一切登場していない一般人。
    また、ロキシーのダンナは人気バンド「リンプ・ビズキット」のベーシスト、サム・リバースで、これが縁でリンプ・ビズキットは多くの楽曲をWWEに提供している。

  • もともと、ビンス・マクマホン・ジュニアという名前で登場していたが、父の死を期にジュニアを外す。
    これは、父との不仲との説が有力であり、所属選手の名前についている「ジュニア」もことごとく外させている。
    例:ドリー・ファンク、ボブ・オートン、チャボ・ゲレロ、レイ・ミステリオ、テッド・デビアス、ジミー・スヌーカ

  • 前述の様に父親に反対されていたが、もともとがレスラー志望であり、20代のころからボディビルを続けており、60代になってからボディビルの雑誌の表紙を飾った。
    プロレスビジネスに命を懸けるビンスの姿勢は息子と娘であるシェインとステファニーにも引き継がれており、プロレスのトレーニングを積むのは当たり前、シェインはエグゼクティブにもかかわらず、誰よりも危険な仕事で危険な受け身に臨み、ステファニーは番組の為にビッチを演じ豊胸手術を受けて笑い者にされている。

  • アントニオ猪木VSモハメド・アリ戦では、父の密命を受けて目付役をしていた。実際、提携を結んでいた新日本プロレスにも責任者として来日していたのだが、85年に一方的に解消。
    また、ビンスとしては日本マット界も手中に収めたかったのだが、シニア共に付き合いのあった全日本プロレス社長でNWAの大物プロデューサーであったジャイアント馬場に諌められ、更に新日本プロレスの社長であった坂口征二も馬場の依頼で反対に回ったので、日本だけは独立が認められる形となった。
    その替わりに開催されたのが、新日本、全日本、WWFのトップが東京ドームに会して開催された、90年の日米レスリングサミットである。

  • 選手として試合をするときは誰よりも本気になり、対戦相手が「やりづらい」と非常に困っている。




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最終更新:2024年04月13日 07:07
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*1 ちなみに、破産したXFLをレッドバード・キャピタルとともに買収したのは、あのロック様である。