ミック・フォーリー

登録日:2014/7/10 (木曜日) 22:17:08
更新日:2021/09/05 Sun 19:13:00
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1983年のマディソン・スクウェア・ガーデン


少年は見上げていた


金網のてっぺんに立ち、そこから飛ぶ一人の男を。


少年の瞳に映るその姿は、強い憧れを残して伝説になった。






少年はプロレスラーになった。


憧れを追い求めリングに立った彼は周囲から見下されていた。


貶され罵られても彼は上を見上げ、その歩みを止めなかった。





1998年ピッツバーグ


観客の誰もが彼を見上げていた。


レスラーとしての武器も無く、己の体とクソ度胸だけを武器にした彼は、憧れの場所に立っていた。


そして彼はその舞台から転落する。


それは皮肉にも、頂点へ続く道の入り口に過ぎなかった。






2013年、彼は頂点に居た。



見上げる先には誰も居ない。あの日見上げた男と同じ場所に立ち、誰もが彼を見上げていた。



憧れだけを引きずって、でたらめな道を歩いた少年は



いつしか誰からも見上げられる存在になっていた。





人々はそんな彼の事を、尊敬と畏敬、そして最大級の賛辞をもってこう呼んだ





ハードコア・レジェンド」と













ミック・フォーリー(本名:ミック・フランシス・フォーリー・シニア)はアメリカのプロレスラー。
メジャー/インディー問わず数々の団体に参戦し、その命知らずなファイトと確かな受身技術を武器に「ハードコア・プロレス(いわゆるデスマッチ)」を得意とした海の向こうの大仁田厚。

有刺鉄線を巻いたバットを振り回し、自爆も厭わない無謀な技を繰り返す。
そんな野蛮とも言えるファイトスタイルとは裏腹にベストセラー作家・絵本作家としての顔を持ち、学生時代には映画を自主制作するなど文化人らしい人物でもある。



来歴


1965年6月7日生まれ。幼い頃からプロレス好きの少年として育った。

1983年マディソン・スクウェア・ガーデンで行われたドン・ムラコvs“スーパーフライ”ジミー・スヌーカの金網戦を観戦。試合終盤スヌーカはリングに横たわるムラコめがけ、金網の最上段から「スーパーフライ・スプラッシュ(フライング・ボディプレス)」を敢行。これに衝撃を受けたミックはプロレスラーになる事を決意する。


WWWF(WWEの前身WWFの更に前身)のタッグ王者にもなったドミニク・デヌーチのコーチを受け、1986年にデビュー。同年9月にはジャック・フォーリーというリングネームでWWFに登場。ジョバー(噛ませ犬、負け役)として活動する。WWFの人気タッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」と対戦した際にダイナマイト・キッドを怒らせてしまい、危険なスープレックスをかけられ顎を負傷。この怪我が原因で後日別の試合で前歯を折っている。


その後リングネームをカクタス・ジャックと改め、アメリカ南部を中心にインディー団体を転戦する。
WWFと並ぶメジャー団体WCWにも一時的に参戦するが定着出来ず、インディーに戻っていく。

1991年3月には全日本プロレスに参戦するため初来日。チャンピオン・カーニバルに参戦するが、空中に吐いた唾を口で受け止めるという凄いんだが凄くないんだかよく分からないけど、とりあえず汚い特技がクローズアップされただけで、特に活躍も無く敗戦している。


同年9月、ダスティ・ローデスの紹介でWCWに本格参戦、狂人ヒールとして活動する。徐々に地位を上げて行き、王座戦線に絡むようになった彼はベビーフェイスにフェイスターン。ダスティ・ローデスやスティングとタッグを結成。ビッグバン・ベイダーとの抗争も行った。

この頃から危険な受身を武器にしたハードコアスタイルを確立。マットが敷かれていないコンクリート上でパワーボムを受けるなど常軌を逸した受身にファンの心を掴んでいくが、同業者の視線はやや冷ややかだった。
そもそもWCWは、歴史の長いプロレス団体NWAの流れを組む組織であり、伝統的なプロレスに拘る選手も多く在籍(少なくとも当時は)していたため、彼の異常なプロレススタイルは軽視され、「スタントマン」と揶揄されていた。


1994年頃から、WCWと業務提携をしていたECWへ参戦するようになる。同年WCWを退団して再びインディーへと身を投じた彼はECWを始めとしたインディー団体を転戦した。
またIWAジャパンにも参戦し、本国と変わらないハードコアマッチを繰り広げた。川崎球場にて同団体が開催した「キング・オブ・ザ・デスマッチ・トーナメント」では伝説の男テリー・ファンクと対戦し、これに勝利。見事に優勝を果たしている。



1996年、WWFの実況担当ジム・ロスが社長ビンス・マクマホンにフォーリーを紹介し、WWF入りを果たす。
当初は70年代に世間を騒がせた凶悪犯「チャールズ・マンソン」にあやかったリングネームをビンスから打診されるがこれを拒否したため、「幼少期に見た目の醜さからマスクを付けられ地下室に閉じ込められた自閉症の男」マンカインドとしてWWFにデビューする。

しかし、その正体が「カクタス・ジャック」ミック・フォーリーである事は周知の事実であったため、多重人格ギミックが与えられた。その為WWFでは


「ベースの人格ながら出番の少ないミック・フォーリー

「不気味なマスクで子供っぽい人格のマンカインド

「残忍な性格のカクタス・ジャック

「ヒッピー風の衣装で踊りまくる陽気な男デュードラブ

という4つの人格を使い分けながら活躍。
1998年のロイヤルランブルではこの設定を生かして3回もリングに上がった。


そして1998年は彼にとって飛躍の年となる。

そのキッカケになったのは同年6月のキング・オブ・ザ・リングにてアンダーテイカーと行った「ヘル・イン・ア・セルマッチ」。詳しくは後述するが、簡単に説明すると

地上6mから実況席に落下
地上6mから金網を貫通してリングに落下
鉄階段で殴打
自分でばら撒いた画鋲の上に落とされる

など、誰がどう考えても正気の沙汰とは思えない激戦の末、マンカインドは敗北してしまう。
しかしトレーナーの肩を借りて退場するフォーリーに、観客からはフォーリーコールが巻き起こった。

この試合を機にフォーリーの人気は爆発。
当時WWFが標榜した「アティチュード路線」に乗って人気は急上昇。WWF王座戦線に絡むようになり、通算3度もの最高王座獲得を果たしている。
また、当時トップレスラーに名乗りを上げていたザ・ロックとタッグチーム「ロックン・ソッコ・コネクション」を結成。驚異的な身体能力を武器にしたイケメンレスラーと不器用で不恰好なハードコア・レスラーという好対照タッグで活躍した。


命知らずなハードコアレスリングで人気を不動のものしたが、それ故に肉体の消耗は酷かった。
体中のあちこちに怪我を抱え、いたる所に手術の痕が残っていた。
肉体の限界を察した彼は、家族からの強い要望もあり35歳の若さで引退を決意。
35歳というプロレスラーとしては油の乗り切った時期での引退であった。


1998年に出版した自伝「Have a Nice Day!」がベストセラーになった事を生かし作家として活動を開始。
絵本などを執筆する傍らでWWFとの関係は続いており、2003年行われたトリプルHとケビン・ナッシュのヘル・イン・ア・セルマッチに特別レフェリーとして登場。この試合をキッカケにトリプルHが所属するタッグチーム「エヴォリューション」との抗争の火種となった。同年末にWWEの番組「RAW」のGMに就任するもエヴォリューションの一員だったランディ・オートンによって解任させられると、翌年2004年からオートン及びエヴォリューションとの抗争を本格的にスタート。1対4の劣勢の中、かつてのタッグパートナーザ・ロックが救援に現れ「ロックン・ソッコ・コネクション」を再結成し現役復帰。団体最大の祭典「レッスルマニア」の20回大会でエヴォリューションと対戦した。(試合には敗戦している)

同年開催のPPV「バックラッシュ」にてランディ・オートンとハードコアマッチで対戦。「レジェンドキラー」の異名を持つ彼を苦しめるも敗戦している。
また、この年小川直也率いる「ハッスル」やROHを始めとするインディー団体にも積極的に参戦するなど、団体の内外を問わず活躍した。


2005年には、ECWの復活イベントでゲストレフェリーを務め、同興行の成功を機に行われた興行「ECWワン・ナイト・スタンド」では解説として登場した。

翌年2006年にはエッジジョン・シナの王座戦のレフェリーを務めたが、この時のレフェリングを発端にエッジとの抗争を開始。レッスルマニア22にてエッジとのハードコアマッチによる決着戦を行った。
この試合でも往年のハードコアファイトを繰り広げ、最後はエッジのスピアーにより燃え盛るテーブルに落下するという衝撃の結末をもって敗北している。

しかし5月にはエッジと和解・結託してヒールターンすると、ECWにて大先輩にして師匠格であるテリー・ファンクと激突。WCW時代ミックを「スタントマン」と呼んで批判していたリック・フレアーとのアイ・クイット・マッチ(相手にI Quit=参った!降参だ!と言わせた方が勝ち)を行うなど、彼のキャリアにおいて非常に大きな意味を持った年になった。



2008年、WWEを退団したジョナサン・コーチマンに替わり実況席に座ったが、8月に契約満了をもってWWEを退団。
するとWWEに次ぐ規模を持つプロレス団体TNAに登場。翌年にはかつての同僚スティングと対戦しTNA世界ヘビー級王座を獲得している。
更に翌年の2010年になると、元ECWのメンバーを招集しExtreme Version 2.0略してEV 2.0というチームを結成し、団体を盛り上げた。


2011年、WWEに復帰。ゲストホストとして度々登場するようになり、2012年のロイヤルランブルに出場もしている。


2013年、遂にWWE殿堂入りを果たし、あの日のマディソン・スクウェア・ガーデンで見たドン・ムラコ、ジミー・スヌーカと肩を並べる存在になった。

インダクター(紹介者)はテリー・ファンクが務め、自身もいつもの格好ではなくキッチリ正装してスピーチを行った。自身のスピーチの場で、実はクリス・ジェリコに勝ったことが無いことを自嘲気味に語ると、客席にいたジェリコが壇上に上がって横たわり、CMパンクがフォールを奪えとアピール。「よしてくれよ」と断る…と見せかけてジェリコにエルボードロップを落としフォール。CMパンクが3カウントを数え、祭典の壇上にてジェリコからの初勝利を上げた。





かつての少年は大人になりレスラーになり異形の男になった。


そして憧れは夢となり目標となり、現実となって彼の手の中にある。


不器用でも不恰好でも、自分を信じ夢を信じた彼のレスラー人生は、業界最大級の栄誉としてここに結実したのだ。







選手として

身長188cm体重130kgという欧米のプロレスラーにしては特に高い訳でも無い身長と、やけに重い体重。
相手を圧倒するパワーも、相手を撹乱するようなスピードも無ければ技の種類も決して多くはない。
そんな彼が武器としたのは受身とクソ度胸、そして数多くの凶器達だった。



ハードコアスタイル

☆全盛期のハードコアレジェンド伝説
  • 地上6mの金網から実況席に落下
  • ↑で肩を脱臼したのに救急班押しのけてまた金網へ
  • 今度はリングに落下
  • 一緒に落ちてきたパイプ椅子が顔面にヒット。前歯が折れて唇貫通。鼻にも貫通
  • 鉄階段で殴られる
  • 自ら画鋲を撒いて寝床(画鋲)をセッティング。墓堀人に寝かされる
  • 墓堀人がビビッて画鋲が薄いところに寝かされたので、自ら画鋲の海に転がる。
  • ここまで一試合での話
  • 鼻のデカイ貴族崩れから有刺鉄線巻きバット通称「バービー」ちゃんフルスイングされる
  • 火の付いたバービーちゃんでも殴られる
  • バービーちゃんでおでこをスリスリされる
  • 画鋲の海でペディグリー
  • 頭から実況席に刺さる
  • 観客席から機材に落下。機材から火花が飛ぶ
  • 手錠で後ろ手に縛られた状態でパイプ椅子で殴られる
  • 燃え盛るテーブルに背中から落ちる。燃え盛る有刺鉄線巻きテーブルに落ちた事も
  • 鉄階段の角にも背中から落ちる
  • 実況席には自ら飛ぶ
  • 相手を鉄階段で殴ろうとしたら、持ってた鉄階段にドロップキックされて頭上に落下してくる

※もちろん全部ガチ



など、パッと思いつくだけでもこれである



特に上記の1998年キング・オブ・ザ・リングでの落下は有名だが、これはフォーリーからの提案でアンダーテイカーは直前まで拒否していた。


ミック「よぉし…端っこまで来たぞぉ…さぁ俺を放り投げるんだテイカー」

墓堀人「嫌だ、殺人犯にはなりたくない」

ミック「いいから落とせって!」

墓堀人「……どうなっても知らないよ」


ヒョイッ


\OH MY GOD!?/\NO!?NOOO!!??/\HOLY SHIT!!/



ドゴシャッ



ミック「成し遂げたぜ…」グッタリ

墓堀人「殺っちまった……」



と、テイカーさんはマジで思ったとか…



彼の後にも

地上7mのセットの上からスワントーンボムを放ったジェフ・ハーディー
15mもの高さからレッグドロップを敢行した「空飛ぶ御曹司」シェイン・マクマホン

など、単純な高さであれば上回る者達はいた。しかし彼らは予め敷かれたマット等の上に落ちている。
一方ミックは硬い木製のテーブルの上。しかも実況席には2台のカメラモニターがあり、それが直撃していれば彼の怪我は脱臼だけでは済まなかった。カメラモニター同士の間は目測でも2m未満しかなく、彼は自分自身の身長程度しか無い隙間に背中から落下するという芸当をぶっつけ本番でやってのけたのだ。

彼の実家に保管されていたホームビデオには、実家の庭にベッドマットを敷き屋根から飛び降りて遊んでいた若き日のフォーリーの姿が映されていたが、まさに憧れを追いかけた彼故の受身技術だったとも言えるだろう。


侮蔑の意味を含めて「スタントマン」と呼ばれた彼だったが、まさにスタントマン顔負けの受身技術とクソ度胸、ド根性こそが彼の最大の武器だったのだ。





☆愛用の凶器達

●バービー

有刺鉄線が巻かれたバット(もしくは角材)。名前の由来は恐らくバービー人形と有刺鉄線(バーブド・ワイヤー)をかけたもの。
巻き数はビッチリだったり、ゆるゆるのガバガバだったり登場の度に変わっている。
使用方法は殴ったり擦ったり。相手に奪われる事も多いため、多分一番の被害者は自分。


●パイプ椅子
凶器の定番。ただ殴るだけでなく、リングに置いてその上にDDTやパイルドライバーを決めたりする。
他にもパイプ椅子を持ったまま得意のダイビングエルボーを行ったりする。


●ゴミ箱
凶器運搬兼殴打用。蓋まで余さず使用するマイホームパパの鑑
頭から被せられて蹴られる事もしばしば


●テーブル
ミック専用マット。
ミックが「落とす」より「落とされる」印象が強いのは彼のやられっぷりの良さの証拠。





と、ここまで彼のハードコアスタイルについて掻い摘んで説明したが、もちろんそれだけであればただの「イロモノレスラー」「プロレスラーもどきのスタントマン」でしかなかった。
彼の本当に優れた才能とは、そんな自身の特異性を理解した上で「プロレス」としてどう盛り上げるか。それを熟知していた点である。


例えば前述の実況席への落下は試合開始たった2分程度に起きた。それだけでフィニッシュになりえる説得力と精神的衝撃があった大落下を、試合の序盤に持ってきたのである。
しかも実際に脱臼していたのだから、本当にあの場面で終わってもおかしくは無かったし、あの場に駆けつけた大社長ビンス・マクマホンすら興行の中止を覚悟したほどだった。

しかし彼は立ち上がり試合は続行された。
この試合最大のショックシーンを序盤で予め見せた事で2度目の落下、鉄階段での殴打、画鋲の海へのダイブなどに「あの衝撃を受けてもなお立ち上がるのか!?」と観客に思わせ、自分で上げたハードルをキッチリと越える事で、観客のボルテージを終始高い状態で維持し続けたのだ。

ただ過激なだけでなく観客の期待に答え、予想を裏切る。どんなに過激な事をやっても、最終的には観客を楽しませる。


そんなプロレスラーとして当たり前で最も難しい課題をクリアしたからこそ、彼は「レジェンド」と呼ばれるようになった。という事だけは憶えて置かなくてはならない。






得意技

☆マンディブル・クロー

相手の口の中に指を突っ込み呼吸を困難にさせる拷問技。数多くの強敵からタップを奪い、時には失神させた。
またマンカインド唯一のお友達「ミスター・ソッコ」という顔の書かれた汚い靴下を手にはめて行うバージョンもあり、上記の攻撃に更に精神的(+嗅覚的?)なダメージを与える技に進化する。

子供っぽいマンカインドの象徴とも言えるソッコくんは癒し枠としての顔もあり、社長のお見舞いをしたり、サンティーノ・マレラとの競演を果たしたりしている。

ザ・ロックの祖父と父親が殿堂入りした式典では、ロック様がかつてのタッグパートナーであるフォーリーに「ソッコは持って来ているのか?」と話を振ったら、キッチリ正装したソッコくんが登場し会場は暖かい笑いに包まれた。



DDT

ダブルアーム式を多用するが通常型も使用する。前述の通りパイプ椅子や机の上など様々な状況で繰り出していた。
カクタスジャックでの試合で繰り出すダブルアーム式には「カクタスジャック・ナイフ」という名前がある。



パイルドライバー

昔ながらのドリル・ア・ホール式の使い手。WWEでは後に禁止技に指定されてしまったが、それまでは椅子の上や実況席の上でも行っていた。



☆ダイビング・エルボー

スーパーフライ・スプラッシュに憧れた彼が得意とした飛び技。リングの内外を問わず喜んで飛んでいく
こちらも前述の通り椅子を持った状態で行っていた。





ギミック

☆ミック・フォーリー
基本の人格ながら出番が少なく、同名義で行った試合は7回程度しかない。他の人格に比べればまだ常識人で理性的


☆カクタス・ジャック
全人格で最も残忍と言われ、凶器を振り回す危ないオヤジ


☆マンカインド
「幼少期、見た目の醜さからマスクを付けられ、地下室で監禁されていた自閉症の男」という、日本では(そして現在のWWEでも)ヤバイ設定を持つ人格。子供っぽい性格でもあり、友達はソックパペット(靴下で行う人形劇)の「ミスター・ソッコ」のみ。マンカインド時の入場曲はホラーっぽいシリアスな曲調だが、彼が勝利すると彼が凶暴性を忘れリラックスするという設定の曲が流れる。


☆デュード・ラブ
ストーン・コールド・スティーブ・オースチンにタッグ要請をした際「陰気な奴とはタッグを組まない」と言われた事から生まれた人格。「それって多重人格って言わないんじゃ…」ってのは禁句。
ヒッピー風の派手な服を着て陽気に踊りまくる男だが、怪しさのベクトルが変わっただけにしか見えない。





決め台詞

☆「Bang!Bang!」

両手で銃の形を作って「バン!バン!」とアピールする。割とどの人格でもやっていた。


☆「Have a Nice Day!」
マイクアピールで多用される。マンカインドが不気味に笑いながらこの台詞を言う姿は、子供ならトラウマ必至。





余談


☆息子と娘がいる。カワイイ(←重要)プロレスの裏側を描いた映画「ビヨンド・ザ・マット」にて親子仲睦まじいシーンが出てくるが…既に崩壊してしまったジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ家との対比が残酷な程に眩しい。


☆↑の映画ではザ・ロックとの貴重な試合前の打ち合わせシーンが見れる。


☆川崎球場で行われた「キング・オブ・ザ・デスマッチ・トーナメント」のギャラは1試合1万円だったらしい。フォーリーはこの日3試合行ったので3万円のファイトマネーが支払われたが、さすがに少ないとプロモーターに交渉してみると、近くの自販機で買ってきたコーラを渡された。彼はこの空き缶を捨てずに保管しているらしいが、彼が何を思ってこれを保管しているかは彼にしか分からない。


☆本文内で散々書いてきたアンダーテイカーとの金網戦であるが、対戦相手のテイカーも片足を剥離骨折という怪我を負った状態での試合だった。正に「Show must go on(訳:ショーは続けねばならない)」。2人の高いプロ意識のぶつかりあった試合でもあった。


☆この金網戦以降、ミックが一気にスターダムにのし上がった事から、アンダーテイカーの決め台詞「Try me, I'll make you famous!(かかって来い、俺がお前を有名にしてやる!)」が生まれた。またミックの方も、自身の「化け物じみたしぶとさ」が際立つようになったことで、後に抗争を行ったザ・ロックエッジランディ・オートンなど、彼を倒し乗り越えていく事で団体のトップスターに成長したケースも多い。


☆1994年にドイツで行われた興行でビッグバン・ベイダーと対戦した際、コーナーポストの金具に右耳が引っかかり、無理に取ろうとしたために右耳の上半分が千切れてしまっている。



追記・修正はミックの真似をしない人がお願いします。














…ホントにするなよ?

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最終更新:2021年09月05日 19:13