モントリオール事件

登録日:2014/07/02 (水) 19:35:28
更新日:2022/04/26 Tue 22:53:03
所要時間:約 33 分で読めます






―見ろよ!

―冗談でしょ


―マイケルズがシャープシューターだと!?


―かけました!





カンカンカンカンカンカン!



出典: Wikipedia

―マイケルズがシャープシューターでWWF王座に輝いた!ブレット・ハートは呆然としています!













「モントリオール事件(モントリオールの悲劇とも)」とは、アメリカのプロレス団体WWEで起きた、台本(ブック)破り事件の通称である。


プロレスを知らないアニヲタ諸兄に予め説明させて頂くと、プロレスとは、オペラや演劇と同じように(原則として)台本を元に行うエンターテインメントであり、この台本の事を「ブック」と呼ぶ。
日本では、ブックの存在を公言していないものの、こうした仕組みそのものは半ば周知の事実とした上で観客も楽しんでいる。
ブックの内容は、試合展開が細かく示された物から勝ち負けのみしか決められていない物まで、団体や興行、試合によって様々だが、不測のアクシデントでもない限りこれを破る事はあり得ないし、あってはならないという不文律が存在する。

しかしながら、古今東西を問わずブック破り事件は幾度となく起きているが、それらは試合中の事故やハプニングをフォローする為に、選手やスタッフ個人の独断によって止む無く行われる事が殆どであった。

そんな中で当事件は、「会社側が、しかも一選手を陥れる為にブックを破った」という特殊性により、WWEプロレス史上最大の汚点、業界の悪しき大事件として語り継がれている。





主な関連人物


ブレット“ヒットマン”ハート

出典:http://www.wrestlingmedia.org/champion-heart-with-his-title/
カナダの名門プロレス一家「ハート・ファミリー」の一人で、80年代末〜90年代前半のWWF(現WWE)で人気を博し、当時はヒーローのような存在だった。
得意技はシャープシューター(サソリ固め)
数多くの技巧派レスラーを輩出したプロレス道場「ハート・ダンジョン」にて、実父スチュ・ハートによって鍛えられた技術を武器に、WWFの頂点へと上り詰める。
生真面目な性格で旧来のヒーロー像に拘るあまり、下品で過激な「アティチュード路線」への方向転換を図るWWFのやり方に反発。
そんな折、ライバル団体「WCW*1」から、破格の契約金で移籍を持ちかけられ苦悩するも、紆余曲折を経てWWFとの決別を決意する。



ショーン・マイケルズ

出典:http://www.wrestling123.org/photos/wwe-wrestlers/page/739/
「ハート・ブレイク・キッド」の異名を持つカリスマレスラーで、ブレットと双璧を成す、当時のスーパースターの一人。
ブレットとは正反対の自意識過剰なチャラ男キャラで人気を博し、トリプルHと結成したタッグチーム「D-Generation X」では、下品で低俗な悪ふざけを繰り返しては組織や権力に反抗するキャラクターで大衆の支持を集め、一躍時代を象徴する存在になった。
また、バックステージでも奔放なエゴイストであり*2、リングの内外問わず、ブレットとは敵対し続けた。



ビンス・マクマホン

出典:http://www.canuxploitation.com/review/hitmanhart.html
父から貰い受けたWWFを、東部のローカル団体から全米最大の団体にまで成長させた稀代の経営者。
80年代に「レスリング・ルネッサンス」と呼ばれる一大ブームを巻き起こすが、ライバル団体「WCW」の躍進により劣勢に立たされ、巻き返しを図る。
「アティチュード」への路線変更を始め、自身の方針に反対するブレットとの契約を破棄し、解雇しようとするが…



★アール・ヘブナー

WWFの上級レフェリー。
ビンスの指示に従い疑惑のゴングを鳴らす。





事件の経緯


事件への火種

WWFは80年代前半に一大ブームを起こし、米マット界の頂点を極めた。
しかし、80年代後半になるとステロイド流通や使用疑惑によるFBIとの裁判や、団体の象徴だったハルク・ホーガンの映画出演の為の離脱により、徐々に人気が低迷していく。


そんな中、一人のカナダ人レスラーがトップ路線に躍り出た。名指導者スチュ・ハートの実子ブレット・ハートである。

義兄であるジム・ナイドハートとのタッグチーム「ハート・ファウンデーション」からキャリアをスタートさせた彼は、それまでキャラクター先行でレスリング技術がお粗末なレスラーが多かったWWFにおいて、シングルに転向後も父親仕込みの堅実なレスリング技術と巧みな試合構成で頭角を現し、1992年には早くも、同じく技巧派として知られる大スター、リック・フレアーを破り、WWF世界ヘビー級王座を獲得するなど新世代のヒーローになる。


そして時を同じくして、もう一人の男がトップ路線を歩み出していた。
テキサス生まれのその男は、自意識過剰な気取り屋で派手好き、それでいて危険を顧みない飛び技と一撃必殺の鋭いキックを武器とした男、ショーン・マイケルズである。
彼もマーティ・ジャネッティとのタッグチーム「ザ・ロッカーズ」としてWWFのキャリアをスタートさせ、シングル転向後はシェリー・マーテルをマネージャーに "ハート・ブレイク・キッド"という色男キャラで売り出し、人気が上昇。更には、レイザ―・ラモン(スコット・ホール)とのレッスルマニア10におけるラダー・マッチや、ロイヤル・ランブルで初の1番手での優勝等を経て、着実にトップスターとしての礎を築いていった。


彼らと同世代のレスラー達は「ニュージェネレーション」と呼ばれ、WWF新時代を担う旗手としてビンスから多大な期待を受けていた。


2人はIC王座戦線からWWF王座戦線に至るまで、数々の名勝負を演じ、名実ともにライバル同士となっていった。

そして彼らは、WWF最大の祭典レッスルマニアの第12回大会にて行われた、史上初の「アイアンマン・マッチ」*3で激突。
マイケルズが会場の屋上から滑車を使ってターザンのように降りてくるシーンは、今もレッスルマニア屈指の名場面として語り継がれており、試合の方も大技小技が入り乱れる高度な勝負を展開。
両者1ポイントも取れないまま延長戦に突入する。
最後はマイケルズの必殺技スイート・チン・ミュージック」を受けたブレットが敗北してしまうものの、1時間以上という長時間、しかも純粋なレスリング技術で観客を魅了したこの試合は、二人のレスラーはもちろんWWEの歴史に残る一大決戦となった。


出典:http://411mania.com/wrestling/the-8-ball-07-03-13-the-top-8-most-overrated-matches/
このように、団体きっての好敵手として知られる二人だったが、バックステージでの仲は非常に険悪だったと言われている。
実父スチュ・ハートの厳格な教えが行き届いたプロレス一家に育ち、「プロレスは健全であるべき」と考える実直な男ブレット・ハートと、名レスラーのホセ・ロザリオから確かなレスリング技術は受け継いだものの、色男で女好き、その上に派手好きで、過激なパフォーマンスやセクシーな振る舞いを繰り返すショーン・マイケルズ
全く異なる性格、プロレス観を持つ二人は、互いの技術やファイトには一定の理解を示しつつも、それ以外の面では激しく反目し合った。

特にブレットは、マイケルズ、トリプルH、チャイナの3人で結成された「D-Generation X」の下品な行為や発言には度々苦言を呈しており、マイケルズも「団体に貢献している自分よりも、ブレットの方が高い契約金をもらっている事はおかしい」と非難したり、泥酔した勢いでブレットのプライベートを暴露したことで殴り合いの大喧嘩に発展するなど、2人の間には、最早修復しきれない程の大きな亀裂があった。



1996年3月31日に行われたレッスルマニア12以降、ブレットは怪我のため長期離脱を余儀なくされるが、その間にビンスから持ちかけられた、WWFと20年契約という異例の大型契約を結ぶ。
これは、スコット・ホールとケビン・ナッシュというニュージェネレーション世代の看板レスラーを2人も、しかもWWFとの契約が残ったままWCWに引き抜かれた事を受けての予防策であった。
この頃、ブレットにはWCWからもWWEより高額の契約金での移籍の話が来ていたものの、ビンスや団体への恩義を優先し、ひとまずはWWFへの残留を決意する。


しかしながら、かつて団体のヒーローだったブレットの人気は、この頃には目に見えて落ちてきており、彼の代わりに大衆の人気を得たのは、ヒールでありながら権力には従わず、気に入らない奴は誰であろうと容赦なくぶちのめす男ストーン・コールド・スティーブ・オースチンだった。

同年11月に行われた復帰戦での対戦以降、両者は抗争を開始するが、多くの声援を集めたのはブレットではなく、ストーン・コールドであった。
ファンの嗜好の変化を感じた会社側は、ブレットのヒールターンを決定。
「傍若無人なヒールを、正義のベビーフェイスが成敗する」。そんな古くからのショーマンシップを持つブレットは、この事態に困惑しながらも、このギミックを承諾。
幾度かの対戦を経て、1997年3月23日のレッスルマニア13でストーンコールドと対戦し、レフェリーストップにより負けたはずの彼に対し、勝者であるブレットが暴行を加えるという形で完全なヒールターンを果たす。

その後は実弟のオーエン・ハート、義兄弟のジミー・ナイトハード、デイビーボーイ・スミス、同門のブライアン・ピルマンを召集し「ハート・ファウンデーション」を再結成。アメリカをこき下ろし、母国カナダを賛美するヒールユニットとして活躍する。


だがブレットは、自分をスターにしてくれた恩義を感じると同時に、会社やビンスに対して疑問を感じていた。
長年団体のトップスターを務め、これからも子供達のヒーローであり続けたいと思っていたブレットのヒールターン。
それに伴う自身へのブーイングは、正義のヒーロー「ブレット“ヒットマン”ハート」に誇りと愛着を持っていた彼を苦しめた。

また自身が欠場中の96年9月、義弟であり同門のデイビーボーイ・スミスが、彼の地元イギリスで行われる大会でショーン・マイケルズを破り、WWFヨーロピアン王座の防衛に成功する予定だったが、負ける予定のマイケルズが直前でこのブックを拒否。そしてその意見を支持し、マイケルズが勝つブックに変更したのは他でもないビンスであった。
癌で闘病中の姉に勝利を捧げるはずだったスミスは地元で敗戦。試合後、弟の敗戦を泣きながら悔やんだ彼の姉は3ヶ月後に癌で亡くなっている。*4




ブレットへの解雇宣言

そして自分のあり方に苦悩の日々を送っていたブレットの元に、ビンス・マクマホンから「去年締結した契約を破棄したいのだが…」という内容の電話がくる。



つまりブレットは、事実上のリストラを宣告されたのだ。



当時のWWFは、ライバル団体WCWの視聴率競争に負け続けており、財政は逼迫。早急な打開策を示す必要があった。
そんな中でネックだったのが、トップレスラー達の高額なギャラ。
ビンスは、当時最も年棒の高かったジ・アンダーテイカーショーン・マイケルズ、ブレット・ハートの3人の中から誰かを解雇する事を決意し、その標的になったのがブレットだった。

当時のWWFは、ライバル団体WCWへの対抗策として、それまでの「家族みんなで見れるファミリー路線」から「下品で過激な試合やパフォーマンスを繰り広げるアティチュード路線」へと舵を取り、新たなファンへと支持を広げていった。しかし、ビンスが決めたこの路線に反対していたのが、他でもないブレット・ハートだったのである。
ブレットはビンスのやり方に「低俗なお笑い番組」「子供に見せられない」と再三に渡り苦言を呈してきた為、当然ながらビンスとの関係は悪化。そしてビンス側は、高額な俸給を貰っておきながら、会社を公然と批判するブレットをリリースすることを決定したのだった。




WWF王座問題

ブレットの解雇とWCW行きが決まり、彼は11月にカナダのモントリオールで行われる特番「サバイバーシリーズ」での試合を最後にWWFを去る事になった。
ここでビンスは、ブレットの退団を公に発表。しかしその内容がブレットは金で移籍したと思わせる内容だった為に、ブレットには「裏切り者!」と容赦無いブーイングが飛ぶようになってしまう。

と、ここで大きな問題が発生したのだ。

当時のWWF王者は、他ならぬブレットだった。

その為、王座を如何に移動させるかが最大の問題となり、ビンスは、ブレット退団までにベルトを移動させる事が絶対条件であると決定する。
*5

そこで組まれた試合は、宿敵ショーン・マイケルズとのWWF王座戦。
団体側はブレットにこの試合で敗北し、WWFのベルトを譲るよう通告する。


しかし、ブレットは自身の地元カナダで、まして「あの」マイケルズに負ける訳には行かないと、これを断固拒否。
交渉は難航する。一時は「ストーンコールドになら負けてもいい」と話すブレットだったが、それに対してビンス側が提案したブックが、


「試合終盤でレフェリーが技に巻き込まれて気絶している間に、マイケルズがブレットの得意技シャープシューターをブレットにかける。
それをブレットがやり返したところでD-Generation Xとハート・ファウンデーションを乱入させ、無効試合に。
勝敗はうやむやにして、翌日放送の番組内で王座を返上する」


という物であった。ブレットも、渋々ながら納得し、これを承諾するが…



この時既に、三者三様、あらゆる思惑が動き出していた。




モントリオール事件

1997年11月9日「サバイバーシリーズ」当日。モントリオールのモルソンセンターには2万人を越える観客が詰め掛けていた。

そして様々な因縁や思惑が交差する中、遂にショーン・マイケルズvsブレット“ヒットマン”ハートのWWF王座戦が始まる。

先に入場して来たマイケルズは、リング上でカナダの国旗でまたぐらを擦り、リング上に置いたその国旗の上で腰を振るなどして侮辱、観客をヒートアップさせる。
一方のブレットはカナダの国旗を肩に担ぎ、自身最後となるWWFのリングに向けて静かに入場、戦いの火蓋が切って落とされる。

試合の映像


二人の戦いは、例によって壮絶な死闘となり、観客席での場外戦にまで発展するも両者一歩も譲らず、試合は佳境を迎えた。

ブレットがトップロープからダイビングエルボーを決めた際、マイケルズに盾にされたレフェリーのアール・ヘブナーが、マイケルズと共に倒れる。


そして当初のブック通り、マイケルズがブレットに対し、レフェリー不在を良い事に、彼の得意技であるシャープシューターを仕掛ける。
相手を小馬鹿にする、マイケルズらしい掟破りの関節技に観客は熱狂。後はブレットがマイケルズを跳ね除け、逆にシャープシューターを仕掛け返したところで、第三者の介入により試合は終了する




…はずだった。






カンカンカンカンカンカンッッ!




先ほどまで倒れていたはずのヘブナーが立ち上がり、ブレットがタップもしていないにも関わらずゴングを鳴らし、





結果はブレットがマイケルズのシャープシューターによってサブミッションホールド、つまりギブアップ負けとなり


彼は地元カナダでマイケルズにギブアップ負けを喫し、WWF王座から陥落してしまった。




場内にマイケルズの曲が流れる中、ブレットは事態に気づかずシャープシューターを繰り出そうとするが、自身が敗北した事に気付き、リング内でしばし呆然。
一方ヘブナーは、ゴングがなると素早くリングから離れ、マイケルズも何が起きたか分からないといった素振りを見せながらリングを後にして行く。
実況席のジム・ロスや普段ならやかましく騒ぎたてるジェリー“ザ・キング”ローラーは、突然の不可解な決着に戸惑いながらも実況を続けていた。


自身がハメられた事に気がついたブレットは、リング傍にいたビンスに唾を吐きかけてリング内に立ち尽くす。
そうしている内にWWF王者のベルトはマイケルズがトリプルHに護衛されながら持ち去ってしまった。


衝撃の結末に愕然とするブレットの元に彼のタッグチーム「ハート・ファウンデーション」が駆けつけ、会場に流れる曲がブレットの曲に変わる。
しかし当然ブレットは怒りが収まらず、実況席と放送機材を破壊。失意のままリングを後にした。

出典:http://wrestlingnews.co/new-details-on-the-infamous-bret-hart-vince-mcmahon-backstage-fight/

当時、偶然にも時を同じくしてブレットを主人公としたドキュメンタリー(後述する映画『レスリング・ウィズ・シャドウ』)の為にバックステージにも出入りしていた撮影スタッフが、この時の様子を克明に記録しており、映画のクライマックスシーンになっている。

「あんなの聞いてねぇよ。アイツが勝手にゴングを鳴らしやがった」と主張するショーン・マイケルズ
「ハンター、貴方もいつか報いを受けるわよ」と凄まじい剣幕のブレット夫人に詰め寄られるトリプルH
ブレットに顔面を殴られた直後のビンス・マクマホン


などのただならぬ空気を克明に捉えている。


そして残り3週間のWWFとの契約期間の後、ブレットはWCWに移籍。
この時、同時にハート・ファウンデーションのメンバーの内、実弟オーエン、事件直前に死去したブライアン・ピルマンを除く他の全員が、ブレットと共にWCWへ移籍した。





事件の裏側

言うまでも無く、この事件を立案・実行を命じた首謀者はビンス・マクマホンである。

カナダでの敗戦にこだわったのも、ライバル団体に移籍するブレットの選手としての商品価値、ひいてはカナダの英雄としてのイメージを下げる為の戦略だったのだ。

ビンスは「マイケルズがシャープシューターをかけたら、すぐにゴングを鳴らす」という筋書きを考え、


対戦相手のマイケルズも含め、団体のごく限られた幹部にだけ伝えていた。


さすがのマイケルズもこの筋書きには戸惑い、トリプルHに相談したが、相談を受けたトリプルHは「去る者ブレットよりも、マイケルズを優先するのは当然だ」としてマイケルズの背中を押したと言われている。

もちろんこの試合のレフェリーを務めたヘブナーも、試合の直前にではあるが、この結末を伝えられている。


そして試合終盤、マイケルズがシャープシューターを仕掛けると、ビンスはヘブナーにゴングを鳴らすように要求*6、それを受けてヘブナーがゴングを鳴らし、ブレットのギブアップ負けとして試合の幕を引いたのである。


ここでビンスが恐れたのは、策略に気づいたブレットが、新王者のマイケルズに危害を加える事であった。
ブレットは幼い頃から名門「ハート・ダンジョン」で鍛え上げられたシュート*7の名手。
彼によって新王者マイケルズが傷つけられる事を避ける為、彼には何も知らない演技をさせ、自身も報復を恐れてオフィスに立て篭もった。

そしてしばらくした後、ブレットを控え室に招き入れたビンスは、ブレットに殴られている。






事件後

ショーン・マイケルズはトリプルHと共にD-Generation Xとして悪ふざけの路線を続けWWFの全盛期とアティチュード時代を作りあげた。
しかし、持病の椎間板ヘルニアの悪化が原因で僅か4ヶ月後のレッスルマニア14でストーンコールドに敗北して、ここまでして預けられた王座から転落
……実の所、長年に渡る無茶な飛び技でマイケルズの身体も悲鳴を挙げており、これを機に98年にいったん引退。
ストーンコールドが名実共にWWFの頂点に立ったことは、ブレットとマイケルズの時代の終焉を強く感じさせるものとなった。
尚、引退中のマイケルズは身体を休めた後、これまでからは考えられなかったコーチ業に転身。
最も有名な弟子に、後のWWEチャンピオンであるダニエル・ブライアン(ブライアン・ダニエルソン/アメリカンドラゴン)がいる。
更に、友人であるナッシュの紹介で元ナイトロガールズだった嫁さんを紹介されて家庭を持ち、プレイボーイも卒業した。
そうして、充実した生活を送る中で奇跡的に肉体が回復。
2002年に電撃復帰を果たした後は、全盛期に比べて飛び技を抑えてテクニックを前面に押し出したスタイルに転向することで、以降もWWEの象徴として活躍する。
皮肉にも第一子誕生をキッカケに敬虔なキリスト教徒になって、まるでブレットのようにお色気NGとなった。
しかし、この事件以降、主犯格とされたマイケルズは、カナダでの興行では(アングル上のベビー/ヒール関係無く)ブーイングや「You Screwed Bret!(お前はブレットをハメた)」という罵声を浴びる事となった。


ビンス・マクマホンは自ら、悪のオーナーと言うキャラクターを演じ、WWFのリングで活躍。
権力に歯向かう男ストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で大ブレイク、ライバル団体であるWCWとECWを買収し、全米マット界の天下統一を果たす。

マイケルズの背中を押し、ブレット夫人に「ハンター、貴方もいつか報いを受けるわよ」と言われていたトリプルHはマイケルズと共に団体のトップへとのし上がり、マイケルズの引退以後は第2期D-Generation Xのリーダーやシングルプレイヤーとして団体のトップとして活躍。2001年、2006年に試合中に両足の大腿四頭筋を断裂し、予言通り報い(?)を受けて長期欠場を強いられたりする不運はあったものの、2003年にはビンスの娘ステファニーと結婚。マクマホン・ファミリーの一員となった。
そして、時代の違いもあるがマクマホン家の一員となったことで、寧ろ妻と共に現場責任者としての役目に邁進することになる。

ヘブナーは、上級レフェリーとして長年WWEのマットに上がったが、2010年にWWEの備品などをネットで売りさばいた事が発覚し解雇。
現在はTNAで、レフェリーとして今も現役で活動している。




一方WCWへ移籍したブレット・ハートはと言うと…

かつての20年契約を髣髴とさせる年棒額で移籍したWCWでも、人気を得るのは先にWCWに移籍していたハルク・ホーガン率いるnWoやフレアー、スティング、ビル・ゴールドバーグといった元からNWA/WCW所属の選手ばかりで、ブレットはWWF時代のようなトップ・スターとしての活躍は出来ず、当時ストーンコールドやロック、トリプルHといったブレット以降の世代の台頭と共に始まったWWFの「アテチュード路線」の影響により、月曜TV戦争において次第に陰りが見え始めていたWCWでは「レジェンド枠」として控えのポジションに甘んじる結果になった。

1999年WWFに一人残ったオーエンが、天井からワイヤーに吊るされながら下りてくるというマイケルズばりの入場パフォーマンスを行っている最中、ワイヤーが外れリングへ落下し死去。
その頃ブレットはと言うと、nWo入りを果たしてヒールターンし、試合出場機会には恵まれたものの、周りのトップ選手はホーガン、アルティメット・ウォリアー等、自身と比べるとレスリングが出来ない選手ばかりであり、リック・フレアーやクリス・ベノワとの対戦を除くと往年のレスリング技術を活かせず、次第に埋没してしまった。

2000年に、無敵の超人ギミックでWCWの看板レスラーだったビル・ゴールドバーグのキックにより脳震盪を起こし、
その後遺症で試合中失神を繰り返すようになってしまい長期離脱に見舞われ、その頃既に崩壊寸前であったWCWから契約不履行に基づき解雇され現役引退。

2004年のインタビューではWCW時代を振り返って

「ビンスの雇ったトップ・タレントを幾ら引き抜いても、それをどう使っていいか分からない連中だった。
レスリング・ビジネスを全く知らない人間がボスになってた」
「(レッスルマニア18のホーガンVsロック戦の様に)ハルク・ホーガンとのシングル・マッチをプロデュースしたのに実現しなかった」
「(モントリオール事件後ビンスがヒールターンして、オースチンと抗争を開始した為)月曜TV戦争はモントリオール事件によって勝敗が決まった」
「WCWは沈没寸前のタイタニックだった」
「ビル(・ゴールドバーグ)はナイスガイだよ。ただ誰も彼にレスリングを教えなかっただけなんだ。」

と独自の考察を交えて、批判している。

2001年には最愛の母親が死去し、続く2002年には義弟デイビーボーイ・スミスが心臓発作で死去。
そして、バックステージでトリプルHを詰っていた夫人*8と離婚したわずか数時間後に、彼自身も自転車に乗っている最中に脳梗塞を起こし、左半身不随の身となってしまう…
そして翌2003年にはハート・ファミリーの総帥であり、精神的支柱でもあった父スチュー・ハートまでもが死去してしまう。


騙した側と騙された側、残酷なほどに明暗が分かれてしまった。








代理決着

2004年3月のレッスルマニア20にて一人のカナダ人レスラーが、団体最大の祭典レッスルマニアのメインマッチを務めた。

試合内容は2002年に電撃復帰したショーン・マイケルズと、そのマイケルズと抗争を続けるトリプルHとの三つ巴による「WWE世界ヘビー級王座戦」。
「ミスター・レッスルマニア」と「ゲームの王者」に立ち向かったの男の名前は「凶獣クリス・ベノワ

ハート・ダンジョンで基礎を学び日本で技を磨いた彼は、WWEの中では比較的小柄な体格ながら、溢れる攻撃性と強靭な肉体、卓越した技術を駆使し、未だキャラクター先行のWWEの中で、己の実力でトップレスラーにのし上がった。
強烈なチョップやヘビー級も投げきるパワーもさる事ながら、彼の代名詞となったのは多彩な関節技で、必殺技の「クロスフェイス」やブレット“ザ・ヒットマン”ハートの代名詞「シャープシューター」を武器に数多くの強豪からタップを奪ってきた。

彼は、団体の象徴とも言える二人の抗争に割って入る形で、レッスルマニアで三つ巴戦に参戦、史上屈指の名勝負を繰り広げる。
そして最後は、マイケルズがリング外でダウン中に、トリプルHをクロスフェイスで捕らえてタップを奪って勝利。
下馬評をひっくり返して世界ヘビー級王者となった。

だが、ベノワに王座を取られた2人は再戦を要求。次の特番「バックラッシュ」にて三つ巴戦のリマッチが組まれる事になった。
会場はベノワの地元カナダのアルバータ州エドモントン。
カナダの地でマイケルズとトリプルHがカナダ人の王者に挑む。
まるでモントリオールでの出来事を彷彿とさせるようなマッチメイクに注目が集まる中、試合は進み試合は終盤に差し掛かった。




するとトリプルHが場外でダウンしている中、マイケルズがベノワにシャープシューターをかける。



観客の脳裏にはあの日のモントリオールがよぎる。



しかし、ベノワは渾身の力でこれを解き、逆にマイケルズにシャープシューターをかけ返す。

苦悶の表情を浮かべながら耐えるマイケルズだったが、とうとう耐え切れずタップ。



クリス・ベノワがショーン・マイケルズからタップを奪い、王座を防衛する。



ハート・ダンジョン出身者クリス・ベノワによって仇討ちが果たされ、深き因縁に一旦の決着が付けられた。






和解…?

ほぼ絶縁状態だったビンスとブレットだが、実はオーエンの葬儀で再会、会話を交わしており、ブレットが脳梗塞での入院したときはビンス自ら見舞いにも訪れ、その場で一応の和解を果たしている。


2005年公式にビンスと和解
翌年2006年にはWWE殿堂入りを果たしている。
紹介者はストーン・コールド・スティーブ・オースチンが務め、彼自身もスピーチを行った。
脳梗塞とその後遺症からの医学的に奇跡としか言いようの無い回復を見せた彼は、元気な姿をファンに見せた。

WWE殿堂の式典はレッスルマニア前日に行われ、翌日のレッスルマニア当日に会場に登場して観客に顔見せをするのが通例となっていたが、当日ブレットは会場に現れなかった。
ビンスはブレットに、せめて会場で観戦でもするように促したそうだが、ブレットはこれも断ったようである。
その日、レッスルマニア22ではビンス・マクマホンvsショーン・マイケルズの試合が行われていた。

ビンス・マクマホンとは和解したもののマイケルズとの関係は未だ解消されておらず、互いに話題が出ると相手を批判していた。

同年8月、ブレット自ら選んだベストマッチを集めたDVDが発売された。
当初ビンスはモントリオール事件を中心に据えたドキュメンタリータッチの「Screwd*9」というタイトルでリリースしようとしたが、
ブレットがこれを拒否した為、ブレットの全キャリアを総括する内容になったという経緯がある。

またブレットのインタビューによると、このDVD発売に関してこんな心温まる裏話がある。

ブレットが行きつけの歯医者に行った際、自身をモチーフにしたフィギュアで遊ぶ3歳くらいの子供がいた。
ブレットはその子に「ヒットマンの試合でどれが一番好き?」と尋ねた所、その子はヒットマン本人とも知らずに

知りません。ヒットマンは『ゲーム』の中の大好きなスターです❤!

と答えたと言う。
この答えに衝撃を受けたブレットは、後日ビンスとの電話でこの事を話した所、

「そういう世代のファンが育ってきたんだな…よし、その子の為に、君がDVDの試合の選定をしてくれ。
その子に一番素晴らしい"ヒットマン"の動く姿をみせてあげようじゃないか?」

というやりとりがあり、上記のDVDの試合はブレット自ら選定した試合が収録されたと言う。

また詳しい時期に関しては明言されていないが*10、この間に、ようやくもう1人の重要人物であるマイケルともプライベートで会って和解を果たしている。




完全決着に向けて

事件から12年以上経った2010年1月4日、WWEが毎週月曜に放送している番組「RAW」にブレット・ハートがゲストホストとして登場。

まずは自分を覚えていてくれたファンに感謝を述べると、ショーン・マイケルズを呼び出す。
いつもの陽気で派手派手な入場曲の中、神妙な面持ちでリングへあがるマイケルズ。
「お前と和解をしたい」というブレットに対し、

12年前の自分の行いを後悔なんてしていない。あれはお前の自業自得だった

と話すマイケルズ。「反論はしない」とブレット。

そしてマイケルズは語る。
「後悔はしていないが、この12年で俺の気持ちにも変化があった」

「お前のことを尊敬していたが同時に、腹立たしくもあった」

「俺とお前にはモントリオールよりも忘れがたい試合がある。アナハイムでやったアイアンマッチだ」
「60分の試合なんて誰も見たがらない、60分も観客を惹きつける事なんて無理だと言われた。だが俺たちはそれをやってのけ業界の常識を覆した」

「12年沈黙していたのはお前だけじゃない。俺も和解を望んでいる。だからお前に聞くぞ…本当に準備はいいか?



マイケルズの問いにブレットは答える。



「正直にいうとお前は付き合いづらい男だったよ、問題児だったからな」

「でも俺たちはモントリオールでの試合に縛られるべきじゃない」

「俺たちは数多くの偉業を成し遂げてきた。そして今日こうやって、2人そろってファンの前に立つ事ができたんだ」

「ここで、ファンの前でお前との友情を誓おう。お前との抗争に終止符を打とう



手を差し出すブレット。マイケルズもゆっくりとブレットの手を握り2人は固い握手を交わす。


静かに手を離したマイケルズは入場ゲートへ向かうために歩きだす。が、リングの端でピタリと止まってしまう。

距離にして3m前後。マイケルズが最も得意とする間合い、彼の必殺技「スイート・チン・ミュージック」の間合いだった。




一触即発、ピンと張り詰めた緊張感が漂う。




誰もが「まさか…」と思い、最悪の結末を予想する中、先に動いたのはマイケルズだった。

マイケルズはブレットに歩み寄り、彼を抱きしめ2人は熱い抱擁を交わした。



出典:http://www.wrestlingmedia.org/bret-hart-handshake-with-shawn-michael/
ここに遂にマイケルズとの和解が公式に果たされる。

その時の動画

マイケルズが静かに退場する中、ブレットはもう1人の男ビンス・マクマホンを呼び出すが彼は現れず、ブレットも一旦退場する。


番組が進み、ビンス・マクマホンが1人でリングに姿を現す。
「ブレットとマイケルズの和解が果たされて本当に良かったよ。
さて、来週のRAWはゲストホストととしてマイク・タイソンを迎えるぞ」と全く他人事なビンス。
そこにブレットが入場ゲートに現れ、リングへと上る。
「あれはお前の自業自得だった。お前にツバを吐きかけられた事は一生忘れない」と恐る恐る本心を語るビンス。
「WWE殿堂の式典で侮辱された事もあったし、長年お前に雑誌などで中傷されてきた」
まずはこう言って欲しい『すまん』と

観客からの大ブーイングの中、ブレットは言い返す。

「お前が欲しい言葉と俺が伝えたい言葉は違うようだ」
「俺はショーンと和解して12年分の重荷の半分を下ろせた」
「俺たちが和解を果たすのは今しかないんだ。あんたもそれが望みだろう」



ビンスが再びマイクを持つ

「最初はお前を痛めつけるつもりでいたが、気が変わった」とビンス

「レッスルマニア2を覚えているか?アンドレ・ザ・ジャイアントと闘ったよな?奴が引退した後のスターは誰になるかという話になったが、私はお前だと思っていた」
「お前はタッグ戦線から実力でWWEの王者になった。私は機会を与えただけだが、お前は数々の強豪を倒し頂点へ上り詰めたんだ」

とブレットを絶賛する。

「モントリオールで私情を挟んでしまったのはお前を息子のように思っていたからだ」
「今年、お前の父親スチュ・ハートをWWE殿堂に迎え入れたいと思う」

これに感謝の言葉を述べるブレット。そしてビンスは

「今夜は昔のままのお前と話せて良かった」
お前は過去・現在においても最高の男だ。未来においてもな

と言って、ブレットの腕を高く掲げファンに和解をアピールし




ここに、モントリオールの因縁は終結した。











と、思いきやビンスが突然ブレットの股間に蹴りをいれ侮蔑の表情を浮かべる。

出典:http://wallsofjerichoholic.blogspot.jp/2010/03/wrestlemania-26-countdown-bret-hart-vs.html
観客からは大ブーイングが飛び交い、事件は本当の決着へ向けて動きだす。




ビンスvsブレット。そして完全決着

ビンスに不意打ちを食らったブレットは、ビンスに対し宣戦布告。
レッスルマニアでの直接対決を要求するが、ビンスはこれを頑なに拒否し続ける。

しかし、ブレットが事故により脚を骨折したと分かるや主張は一転。
「復讐の機会を伺っている癖に、何故私と闘わない?」「ハートの欠片も持っていない。ブレットは臆病者だ」とブレットを罵り、激高したブレットの挑戦を受ける。


レッスルマニアでの試合の調印式にて、契約書にサインするブレットは試合を「ノー・ホールズ・バード」すなわち反則裁定無しでの試合を要求する。
無謀なこの提案にビンスはほくそ笑み、「ブレットがブレットをハメた」とあざ笑う。


骨折したブレットなど恐るるに足りんとばかり、余裕の表情で、対戦の契約書にサインし後ろを向く。

ブレットが「1つ言っておくぞ」と言い、振り向いたビンスが見たものは




机の上に置かれたブレットのギプスだった。


これはもういらないな



全てはビンスを油断させ試合をさせるための策略だったのだ。



そのままブレットは松葉杖でビンスを殴打。
「ブレットがブレットをハメただと?ビンスがビンスをハメたのさ!」と言い放ちレッスルマニアでの決着へのお膳立ては完成した。




レッスルマニア前日、WWE殿堂入り式典にて、ブレットの他本家ハート・ファミリーが集結し偉大なる指導者スチュ・ハートの殿堂入りを祝う。

そしてレッスルマニア26当日。ブレットは1997年のレッスルマニア13以来実に13年振りにレッスルマニアの舞台に立った。
続いてビンスが入場する。
いつもの憎たらしい入場曲「No Chance in Hell*11」に合わせ入場すると、マイクを持ちこう言い放つ


「自分を見ろ、私のリングにいる。私の作ったレッスルマニアだ!」


そしてビンスは「お前には祭典クラスの裏切りが相応しい」「今回は大枚叩いてランバージャックを雇った」と言う。


「覚えてるか?ブレットブレットをハメた」
「そしてビンスブレットをハメた」
「そして今夜はこうなるのだ、ビンスお前の家族がブレットをハメた!」


「出て来い!」とビンスに呼ばれて出てきたのは、昨日の祭典でブレットともにスチュ・ハートの殿堂入りを祝った。ハート家の面々だった。

大金によって買収されたハート・ファミリーはリングの周りを取り囲み、レフェリーもブレットの兄ブルースが務める事になった。

この試合は事実上ランバージャック・マッチ(リングの周りをレスラーもしくは観客が取り囲み、リング外に出ると強制的に戻される試合方法)へと変更され、ブレットはリングを取り囲むハート・ファミリーに問う。


「同意したのか?ブルース。それなら仕方ないな」

「ハート家の人間らしく、前金をもらって銀行に預けたんだろう」



そしてブレットはこう続ける。



「俺はモントリオールで学んだ。裏切りほど卑劣な行為は無いとな」

「ハート家は今夜かつて無いほど強固な絆で結ばれた」


ビンス、あんたの策略は事前に聞いていたんだよ。あんたが作り上げた最高の舞台レッスルマニア。今夜は伝説の一夜になるんだ!



ブレットがビンスをハメた日としてな!



ビンスが金で買収したはずのハート・ファミリーは全員ブレットに寝返り、試合はビンス対ブレットからビンスハート・ファミリーへと変わってしまう。


自ら承諾したノー・ホールズ・バードのルールのせいでハート家全員から一方的に暴行され、
リング上ではブレットにより股間へのストンピングや椅子で連打を受けて悶絶。

出典:http://wwe-sionidjin.over-blog.com/article-best-of-2010-bret-hart-vs-vince-mac-mahon-63718643.html
最後は因縁深きブレットの必殺技シャープシューターに屈しギブアップ負けを喫した。






ここに、かのモントリオール事件は、その重すぎる幕を遂に下ろす事ができたのである。






同日レッスルマニアのメイン戦にて、ジ・アンダーテイカーの持つレッスルマニアでの連勝記録とショーン・マイケルズのキャリアを賭けての一戦にてマイケルズが敗北し、マイケルズは現役引退。

ビンス・マクマホンもこの試合を最後に、自らリングに上がって試合を行ってはおらず、ビンスにとっても"引退試合"であった。
そして徐々に役割を娘のステファニーやその婿トリプルHに譲り、表舞台から遠ざかりつつある。

ブレットとWWEの関係は比較的良好で、今も時々番組に登場しているが、モントリオール事件の重荷が下りたせいか、随分老け込んでしまった。

出典:http://www.sportskeeda.com/wwe/bret-hart-talks-samoa-joes-reckless-finishing-move-tyson-kidds-injury-more

近年ではマイケルとブレットが再びリングで再会したり


揃って過去を振り返ったりする仕事に出演する

2019年にはブレットとマイケルが揃って2度目の殿堂入り(ブレットはハート・ファウンデーション、マイケルはD-generation Xとして)し、レッスルマニアにも初めて姿を見せる

等、モントリオールの呪縛は消えつつある

総括

結局誰が悪かったのか?


こればかりはハッキリと断言することは出来ない。



自らの意地とプライドを優先するあまり会社に反発し、時代に取り残されていったブレット

会社の命とはいえ同僚であるブレットを罠に嵌め、あまつさえ白を切ろうとしたマイケルズ

非常に厳しい経営難から逃れようとするあまり、部下を陥れてまで解雇したビンス



それぞれがそれぞれのエゴと正義を持ち、起こるべくし て起きたのがこの事件である。



いくら会社の為とは言え、選手を騙まし討ちしたビンスが正しいとは言えないだろう。
しかしブレットも、自身の面子の為にワガママを言い続け、それが原因で、ビンスも王座の移動にナーヴァスになった面も否定できない。
マイケルズに関しても、あくまで会社の命令に従ったまでで、彼自身は業界の根本を揺るがす大事件の片棒を担がされる事への多大なプレッシャーと罪悪感はあった。
そうで無ければ、わざわざ後輩であるトリプルHに相談などしないだろう。



これは不幸な擦れ違いや思い違いからの偶然でも、ましてや不慮の事故でも決して無い。

各々がそれぞれの思惑に則り、明確な意思と確信を持って行われた事件である事に変わりは無いのだ。



プロレスの台本の存在がカミングアウトされた現在、それを破る事は、それまで以上にタブー視されている。


我々に出来る事は、この事件を伝え再発を防止する以外には無いが、この記事を読んだ人の中で、どの程度の人がプロレスに関わるかは分からない。


しかしプロレス界に限らず「人の信頼を決して裏切ってはならない」という、普遍的で当たり前の事だけは、生きている以上忘れてはならない教訓である。



みんなも誰かの信頼を裏切っていないだろうか?

誰かから裏切られるような事をしていないだろうか?


それは、誰かを罠にハメてまで成し遂げなければならない事だろうか?



是非一度考えてみてくれ。








余談

☆当時ブレットのドキュメンタリーを撮影する為に密着していた映画スタッフが、この事件に偶然立会い、事件の内幕を撮影した映画「レスリング・ウィズ・シャドウ」。
この映画についてブレット自身は「事実を映しているがあくまでも映画であり、自分が伝えたかった内容とは違う」といった旨の発言をしている。


☆ビンス・マクマホン自身、この事件をネタに使っており、モントリオールの事件以後第三者の手によって強制的にゴングが鳴らされるという、この事件を模した行為が度々行われている。
この事件は苦境も黒歴史もネタにしてしまう、ビンスの強かさを象徴するエピソードでもあるのだ。


☆モントリオール事件当日、試合が無いにも関わらずたまたま会場に居合わせたジ・アンダーテイカーは、この事件の結末に激怒。
ビンスが立て篭もる控え室のドアを蹴り続けたという。


☆同時期にWWFに在籍していた“スネーク”ジェイク・ロバーツ等によれば、ブレットとマイケルズの軋轢の理由の一つに、当時のWWFに於ける人気No.1女子マネージャーであったサニー(タミー・リン・シッチ)の存在があり、彼女がモントリオールの原因だったとまで断じている。
サニーは中堅レスラーのクリス・キャンディードの恋人だったが、放埒な振る舞いから他にも多数のレスラーと関係を持ち、特に団体のトップ中のトップの一人であるマイケルズとは明確な愛人関係となり、バックステージ等、所構わずにイチャついていたという。
こうしたマイケルズの行動は、前述のようにレスラーや関係者間でも眉をひそめる者も居たものの、前述のようにマイケルズはボスであるビンスのお気に入りであり、ビンスは黙認する所か好き勝手にさせていた。
一方、サニーは生真面目で一匹狼と、マイケルズとは対照的な性格で犬猿の仲である筈のブレットとも仲がよく、大勢で使うロッカールームを占拠して好き勝手しているマイケルズ達を見たくないという理由で一人で着替えたいブレットの為に自分のロッカールームを貸す等していたものの、それを勘違いしたマイケルズが嫉妬して、予告も無しに既婚者であるブレットとサニーの不倫を匂わせるマイクをリング上で行い、それに激怒したブレットと殴り合いの喧嘩を行う等していたという。
……が、自身もサニーと寝ていたと囁かれるロバーツはブレットもサニーと寝ていたと証言しており、当時の薬物やセックスが横行していたバックステージの治安の悪さが伺える追加情報となっている。


☆前述の通り、事件以降カナダでは仇敵扱いだったマイケルズだったが、事件から2週間後にカナダで行われた興行にてD-Generation Xとして登場した際、観客からは大きな声援が巻き起こりマイケルズは涙を浮かべた。
その後カナダの観客には「マイケルズはともかくD-Generation Xなら許す」というような風潮が生まれ、徐々にマイケルズ自身にも歓声が送られるようになっていった。


☆現在WWEは放送ネット変更に伴うPG規制の変化や株主の意向により、再びファミリー路線へ変更。
現在団体のエースを務めるのは旧来のベビーフェイスに近いジョン・シナである。
もしブレットが今のWWEにレスラーとして在籍できたら…もし生まれてくるのがもっと遅ければ…などと考えるのは本人に失礼かもしれないが、現実とは皮肉なものである。





追記・修正はブレットとショーン両方のファンの方にお願いします。

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最終更新:2022年04月26日 22:53

*1 後にWWEへ吸収合併

*2 当時の彼の振る舞いに関しては、今なお苦言を呈する関係者も多い。特に“クリック”の呼び名で知られる、マイケルズを中心にケビン・ナッシュスコット・ホール、ショーン・ウォルトマン、トリプルHからなるグループは、各々が団体のトップや有望株として地位と名声を獲得するのみならずバックステージにも君臨し、ビンスのお気に入りとして、何とプログラム内の勝敗やレスラーの雇用にすら影響力を持っていたという。

*3 60分間の制限時間内に、相手から多くピンフォールやタップ等を奪った方が勝ちとなる過酷な試合形式。選手は必然的に60分以上戦い続けなければならない。

*4 一方ヨーロピアン王座を戴冠したマイケルズは、主要4タイトル全ての王座経験者となり、団体初の「グランドスラム」を達成している

*5 1995年当時のWWF女子王者アランドラ・ブレイズ(日本ではリングネーム“メデューサ”として知られる女子プロレスラー、マネージャー。)が、WWF女子王者のままWCWに移籍。WCWの番組中、彼女が保持していたままであったWWF女子王者のベルトその物を、自らゴミ箱に捨てるというパフォーマンスを行われた事があった為。

*6 この時ブレットは大声で叫ぶビンスの声を聞いている

*7 台本など無いガチ勝負

*8 1998年から既に別居状態

*9 英語で「騙される、騙した」

*10 ブレットが2005年に出されたマイケルの自伝を批判していた事から推察して2006年以降か

*11 意訳:万が一などありえん