トリプルH(プロレスラー)

登録日:2012/09/05 (水) 22:32:49
更新日:2024/06/26 Wed 21:12:25
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「I am The Game」





◆トリプルH

「トリプルH(Triple H)は1969年7月27日生まれの米国のプロレスラー。
WWEスーパースターズの大ボスである。
正式なリングネームはハンター・ハースト・ヘルムスリー(Hunter Hearst Helmsley)だったが、長過ぎるのでHHHと略されていたのが、そのままリングネームになった。

本名はポール・マイケル・レヴェック(Paul Michael Levesque)。
95年にWWF(WWE)に登場して以来、下手っぴでひょろひょろした一介の若手から団体のトップにまで上り詰めた苦労人である。
主な通称は「The Game」。

私生活ではWWEのオーナー、ビンス・マクマホンの娘ステファニー・マクマホンと結婚。
ビンスの後継者として、将来のWWEを経営面でも背負って行く人物でもある。


【人物】

92年に往年の名レスラー、キラー・コワルスキーの指導を受けてプロレスラーとしてデビュー。
当時の恋人チャイナ(ジョニー・ローラー)とは同門であった。
94年にWCW入りし、没落フランス貴族キャラを名乗り、ウィリアム・リーガルとタッグを組み活躍するも95年から単独でWWFに入団を果たした。

WWFでは似非貴族キャラのポール・レヴェックを経てHHHに改名。
団体のNo.2であったHBK(ショーン・マイケルズ)に気に入られ、レイザーラモン(スコット・ホール)、ディーゼル(ケビン・ナッシュ)、1-2-3キッド(ショーン・ウォルトマン)ら当時の主力スターらと親交を結ぶ。
彼らは“クリック”と呼ばれ、常にバックステージでは行動を共にしており、更にはマッチメイクにも多大な影響力を持っていた。
しかし、96年にWCWへの移籍が決定していたナッシュらを送り出す意図があったのか、敵同士である筈の彼らが手を取り合い観客にアピールするカーテンコール事件を引き起こし、上層部が激怒。
下っ端のHHHのみがこの年の「キング・オブ・ザ・リング」優勝の売り出しのブックを取り消される処分を受ける。
*1
しかし、同年10月にIC王座を初獲得すると徐々にポジションが上がり始め、HBKと恋人チャイナと共にD-Generation X(D-X)を結成。
バックステージでの悪ふざけをそのままネタにした悪ガキ集団として一生を風靡し、ストーン・コールドの登場により始まったアティチュード路線を盛り上げる。この間にこっそり欧州王座を獲得している。
97年にHBKが長年の激闘による腰の椎間板ヘルニアの悪化により姿を消すとD-Xのリーダーに就任。

しかし、ストンコvsビンス&コーポレート(企業軍)の争いに巻き込まれ、裏切りや合体を繰り返す。*2

既にトップ圏内として欠かせないスーパースターとなっていたが、WWF王座は99年に漸く初獲得。
01年にはWWEタッグ王座を獲得しグランドスラムを達成するも試合中に負傷した左足の大腿四頭筋断裂により1年近くも現場を離れていたが、02年に復帰するとストンコとロックを倒して統一世界王者となっていたクリス・ジェリコを倒して統一世界王座を獲得して完全復活を果たす(ドラマ上はステフとの愛憎劇)。

02年のサマースラムでは奇跡の復活を遂げたマイケルズと“何でもあり”のWWE未公認試合を行い、試合には敗れるもマイケルズを血達磨に沈めて再会を祝した。

2ブランド制が開始されると「RAW」に所属。
WCW王座をリファインした世界ヘビー級王座の初代王者に任命され、以降は同王座の絶対的な王者として君臨すると共に03年には伝説的存在であったリック・フレアーと組みランディ・オートンとバティスタと云う次代の有望選手を加えたユニット“エヴォリューション”を結成。
WWE版4ホースメンとも呼ぶべき彼らは「RAW」を席巻した。
尚、03年にはプライベートでステフと正式に結婚。
晴れてマクマホンファミリー入りを果たしている。
04年にオートンとバティスタが独り立ちすると、いずれもオートンとバティスタがトリプルHに反抗する形を取って“エヴォリューション”は自然解散。

それまではクリス・ベノワや完全に復帰したマイケルズをライバルとしていたトリプルHだったが、バティスタにベルトを奪われた事をキッカケにジョン・シナやランディ・オートンら次世代の主役達との世代交代の役割を果たすようになっていく。

彼らが十分に成長すると、遂にマイケルズとD-Xを再結成してベビーフェイスに転向する。

ファンの絶対的な支持に後押しされたD-Xは次世代スーパースター達と抗争を開始。
しかし、以前とは逆に右足の大腿四頭筋断裂により長期離脱に追い込まれる。

半年の欠場後に復帰し、ランディ・オートンなどの若手たちと対戦する一方で
ショーンとも度々D-Xを再結成し統一タッグ王座を獲得したりもした。
その後盟友であるショーンの引退を見届けると2010年頃からはこれまでの様な一選手の立場を越えCOO(最高執行責任者、言わば現場の総監督)としてWWEの経営に携わる様になり、復帰後もスポット参戦が多くなる。

そして、12年の「RAW」1000回記念にて約十年振りにWWEに帰って来たビリー・ガンとロードドッグを加えてD-Xとして登場。
ブロック・レスナーと因縁マッチを行い敗れる等、選手としては「レッスルマニア」などのビッグイベントのみの出場とこれまたかつてのアンダーテイカーのポジションになっている。

が、レッスルマニア前に相次いでスター選手が怪我で欠場に追い込まれた2016年には「選手」として孤軍奮闘し、ロイヤルランブルでは7年振りにWWE世界王座を獲得しロマン・レインズへの橋渡しを勤めた。

しかし、2019年に偶々別の仕事の用事で来日してた際にWWEのハウスショーの予定が被った事からサプライズ出演して試合をしたのが最後となり2021年9月にウイルス性肺炎と心不全を相次いで発症し一時は重体となったが何とか持ち直したが除細動器を入れた関係でレスラーとしては引退を表明した。

選手として活躍する傍ら2014年頃から経営面や人材育成にも携わる様になり、彼主導で最初に獲得したシン・カラを二軍経験無しに売り出して失敗して以降は若手育成に対して非常に慎重且つ熱心になり、新人発掘番組であったNXTをこれまで二軍養成所として経営していたFCWと合体させて新生NXTを発足させる。
従来の基本的なトレーニングなどをWWEパフォーマンス・センターに分離して
第3のブランドとして従来のWWEが取りこぼしてきた「ディープなプロレスファン」をターゲットにしてパフォーマンスや演出の要素を極力減らして試合中心の番組を創り上げTV番組に加えて「NXT Takeover(○○←地名が入る)」というPPVまで放映する力の入れぶりでビンス・マクマホンもNXTに関してはトリプルHに一任していた。

上述の病気で入院した際に会社内での派閥争いに巻き込まれ部下の殆どを解雇されるという不運にも見舞われたが直後に起こったビンスのセクハラスキャンダルによる一時引退により番組のクリエイティブを掌握し乱心気味だったビンスに怯えていたスタッフ、レスラーからの信頼を獲得しCOO(最高コンテンツ責任者)に就任した。そしてビンスの強権的な復帰からエンデバーへの身売り、TKOグループ誕生と目まぐるしく環境が激変したがTKOの首脳陣からも信頼を獲得し、ビンスの2度目のセクハラスキャンダルによる引退を経てようやくビンスの後継者を地位を盤石にし現在ではすっかり経営者としてTV上でもバックステージでもビンスの果たしてきた役割を務める様になっている。
経営者としては2025年からRAWのNetflixへの移行、イギリス、フランス、プエルトリコ、オーストラリアでのPLE開催といった幾つ物の大型契約を獲得、ビンス体制では例外を除いて原則禁止だった他団体との提携などビンスとは異なる路線を目指しつつある。


【得意技】

●ペディグリー
ダブルアーム式のフェイスバスター。
細い体をしていた頃からの不動の必殺技で、初期は腕のロックを外さずに脳天を叩き付けていたが、現在は腕のロックを外してからうつ伏せに押し潰す様にマットに叩き付ける技になった。


●フェイスニークラッシャー
●スパインバスター
●ハイニー(ジャンピング・ニーバット)
●ニードロップ
●インディアン・デスロック
●足4の字固め
●アブドミナル・ストレッチ(コブラツイスト)
●クローズライン

●霧吹き
ペットボトルを手に入場し、その水を自らに浴びせた後、リングイン直前に会場を向いて口に含んだ水を吹き出すパフォーマンス。
使用するミネラルウォーターは自ら選ぶ。
因みにTAJIRIによるとアラスカでのハウスショー公演の時にペットボトルを渡されたら寒さでカチカチに凍っていた為、わざわざお湯を入れて溶かしてから入場するというのをテーマ曲がかかり観客に姿を見せるまでの間にこなしたという逸話がある。

●スレッジハンマー
代名詞的な凶器で、激闘と名場面の中でトリプルHの固有武器として認識された。


※自ら“リック・フレアーの後継者”を名乗る業界屈指の名人であり、殆ど技らしい技を繰り出さずに相手の技を受けまくり、最後の最後にペディグリーで勝ちを奪うと云うパターンが多い。


【異名】

●残忍な知能犯(Cerebral Assassin)
※知的な暗殺者と訳される場合もある。
●ザ・ゲーム(The Game)
●王者の中の王者(The King of Kings)



【余談】
イギリスのロックバンド「モーターヘッド」の大ファンであり、入場曲を提供してもらっている。また、レッスルマニアで2回生演奏をバックに入場した。


※95年から活躍し続ける大ベテランにしてビンスの義理の息子と云う関係もあり、WWEでは選手会長的な存在、アンダーテイカーと並ぶご意見番として選手達からの信頼も厚い。
……自ら、積極的に若手に声をかける等、苦労人らしく面倒見のいい人物として伝えられる一方、彼の“お気に召さない選手”はそれだけで出世の道が閉ざされるとの意見もある。


※上記に関連してか、カート・アングルはWWE離脱後「トリプルHとマイケルズが何か言えば、ビンスは必ず言う事を聞いた」との趣旨の発言をしている。

※03年のステファニーとの結婚パーティーの際には「呼ばれたスーパースターは将来が安泰」*3と言われていたが、当時WWEに参戦していたTAJIRIとフナキも呼ばれ非常に羨ましがられた……が“何でオレらも?”と云う感じだったらしい。


※クリック時代は一番下っ端のトリプルHが運転手役だった。


※カーテンコール事件により同年(96)に予定されていたキング・オブ・リングでの決勝まで勝ち残るブックが消滅したとされる。
代わりに取り上げられたのがストーン・コールドに変身したばかりのオースチンであり、そこで優勝したオースチンは一気にトップの座を掴んでいった。





「俺こそがThe Gameだ、お前には追記修正なんざ出来やしねぇぜ!」

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最終更新:2024年06月26日 21:12

*1 ※エース格のHBKはお咎め無し。後の3名は移籍した為。因みにトリプルHの代わりに優勝したのがストーン・コールドであり、あの「3:16」を発言した事でブレイクした

*2 ※この間にステフをテストからNTRし強引に結婚→父ビンスをステフが裏切る→不倫相手のカートと対戦したりと大活躍。

*3 因みに他に呼ばれていたのはアンダーテイカー、ショーン・マイケルズ、スティーブ・オースチンといった超大御所選手ばかりだった。