登録日:2014/09/09 Tue 19:35:55
更新日:2024/12/15 Sun 16:35:11
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『WCW(World Championship Wrestling)』とはかつて存在したアメリカのプロレス団体及び興行会社である。
概要
元々はNWAミッド・アトランティック・レスリング(ジム・クロケット・プロモーションズ)が母体。
その後1988年11月に経済的理由によりターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS)に売却され誕生したTBSの
プロレス部門の子会社である。
発足当初はまだNWAに加盟していた為、NWA-WCWと名乗っていたが1992年にNWA脱退後はシンプルにWCWとなった。
誕生の経緯の通り、かつてアメリカ南部及び世界各地のプロモーターで成り立っていた組織であるNWAの系譜を引き継ぐ団体である。
タイトル
- WCW世界ヘビー級王座…かつてはNWA王座の流れをくむ伝統ある王座だったが末期のカオスっぷりのせいで毎週王者が誕生していた…。
その酷さたるやあのWikipedia先生ですら正確な王者を全部網羅するのは不可能なレベル。また、ベルトもスプレーで落書きされたりするなど色々悲惨な目にあっている。
- WCW世界タッグ王座…日本人では1日天下に終わったものの崩壊直前にグレート・ムタが唯一獲得している。
- WCW世界6人タッグ王座‥NWAから引き継いだ王座。すぐ封印された。
- WCW世界クルーザー級王座…団体発足当初はWCWライトヘビー級王座だった。92年に封印後96年に名前を変えて復活。AAAから引き抜いたルチャ・リブレ選手用の王座であった。
何と復活後の初代王者が大谷晋二郎で、他にもウルティモ・ドラゴン、TAJIRIが獲得するなど日本人にとってもなじみの深い王座だったりする。
- WCW世界クルーザー級タッグ王座…崩壊直前に新設された王座。その為王者が2代しかいない。
現在ベルトは現在最終保持者だったレイ・ミステリオとビリー・キッドマンが所持している。
- WCW世界ライトヘビー級王座…WCW世界クルーザー級王座参照。日本人では獣神サンダー・ライガーが獲得している。
- WCW世界TV王座…前座選手兼仕事がないトップ選手ご用達の王座。ベルトは崩壊時に姿をくらまし、オークションに出品されてしまった…。
- WCW世界ハードコア王座…1999年に創設。名前の割にハードコア系の選手で獲得したのはテリー・ファンクのみで要は前座用の王座。
- WCW世界女子ヘビー級王座…WWEの王座と異なり当時提携していたGAEAの為に作られた泡沫王座。初代王者は北斗晶。
- WCW世界女子クルーザー級王座…これも日本のGAEAの為に作られた泡沫王座。1997年に封印。
- WCWインターナショナル王座…ベルトが一時期フレアー・ベルトであったこと以外誰も覚えていない空気の様な王座。
- WCW US王座…WWEで言う所のIC王座位の王座。日本人では意外にも佐々木健介が、WWF買収後にTAJIRIが獲得している。現在はWWE US王座として復活している。
- WCW USタッグ王座…NWAから引き継いだ王座。1992年に封印。
歴史
初期
TBSの子会社という特質性もあり
社長は親会社の顧問弁護士などが務め、実権は本社から派遣された副社長が握る団体であった。
しかも最初の副社長は、
プロレス番組に少しだけ関わった事しかないジム・ハードという人間で、まあ凄まじいまでに意味不明かつ素っ頓狂なギミックばかりを提案し、中でも一番酷いのが、当時団体を代表するスーパースターであった
リック・フレアーに対して「古代の剣闘士」スパルタクスという理解不能なギミックチェンジを要求したほどであった。
これに激怒したフレアーは「フレアーベルト」と呼ばれたWCW王座のベルトを持ってWWFへと移籍し、初期から早くも混乱していた。
この頃のWCWについては
リック・フレアーの自伝にも詳しく書いてあるのでそちらもご参照頂きたいが、「これは実話なのか?」と疑いたくなるほどの経営の杜撰ぶりが、フレアー自身のボヤきや皮肉、恨み節と共に山ほど書かれている。
この頃の主力選手は、末期NWA時代のスターであったレックス・ルガー、ビッグバン・ベイダー、スティングであり、良くも悪くもNWAの影響が強く残っている団体であった。
因みに、この頃には後にWWFでトップスターとなるHHHやアンダー・テイカー、
ミック・フォーリーも在籍していた。
後この頃のWCW王者には後年WWFで「Dammおじさん」として有名なロン・シモンズがなったりもしていた。
エリック・ビショフの登場とMonday Night War勃発
WCWが所謂「NWA」の影響を色濃く残していた団体から変わるきっかけになったのは1994年、前年WWFから古巣に戻ってきた
リック・フレアーが、WWFへの就職が失敗した後に1991年にWCWへ入社し、リングアナウンサーを務めていたエリック・ビショフを副社長に推薦・就任した事であった。
当時「Monday Night Raw」を全国放送し、アメリカ
プロレスを席巻していたWWFに対する敵愾心に燃えていたビショフはWCWを前代未聞の方法で改革を始めた。
それは
であった。
億万長者テッド・ターナー率いるTBSの子会社で、文字通り湯水の如く巨額の財源を使えるという利点を生かし、WWFから主力級の
ハルク・ホーガン、ランディ・サベージ、ジーン・オーカーランド等の超大物を引き抜いた。サベージの契約金は90年代当時の金額で600万ドルとも言われ、
同時に本来であれば選手に与えられるはずのないクリエイティブ・コントロールも与えられると言う破格の契約だった。
そして翌1995年9月4日、「Monday Night Raw」と全く同じ日・時間帯に番組タイトルまでパクった「Monday Nitro(マンデーナイトロ)」をスタートさせた。
そして第1回放送には前日までWWFに在籍していた元WCWのレックス・ルガーを引き抜き登場させるというサプライズまで行い、WWF側にケンカを吹っかけた。
これだけに留まらず、ビショフはWWFに在籍している元WCW所属のレスラーが負ける試合ばかり繰り返し放送したり、ロウが録画中継の時には番組内でWWF側の試合結果を
ネタバレするというタブーを平然と破りナイトロの生中継をアピールするなどした。
更には当時WWF女子王者であったアランドラ・ブレイズを引き抜き、ナイトロの番組内で持参してきたWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てると言う前代未聞の行為を敢行した。
これらの行為もあって視聴率は徐々にではあるがWCW側が勝つ日も増えた。
が、しかしこれらの行為は目先の視聴率こそ稼げたものの、後年直接・間接を含めWCWを崩壊させる原因の一つとなった。
nWo誕生と全盛期
1996年に入り、ビショフによる引き抜き工作は更にエスカレート。当時WWFのトップスターであったディーゼルとレイザ―・ラモンにまで手が伸びた。
そして彼ら2人は、あろう事かWWFとの契約が残っているにもかかわらずWCWへと移籍し、1996年5月27日に
スコット・ホール、翌週には
ケビン・ナッシュが
「ジ・アウトサイダーズ」(WWFからの侵略者)と言うアングルで番組に登場した。
そして7月7日、PPVでのアウトサイダーズとWCW本隊の試合中に
ハルク・ホーガンが乱入。
ピンチに陥った本隊を助けるかに見えたホーガンが、なんと本隊を攻撃してヒールターンを果たし、nWoを結成した。
それまで
プロレス界のヒーロー・絶対的ベビーフェイスとして崇められていたホーガンが突如として悪役になりファンをコケにしただけでも衝撃的で、リングには大量のゴミが投げられ、
激怒のあまりホーガンを襲おうとした観客まで現れた。
こうして登場した漆黒のヒールユニット・nWoは
- 試合中の乱入
- 本隊側のレスラーへTシャツを渡すという形の公開勧誘
- ベルトにスプレーで落書きする
といった斬新なコンセプトを次々と提唱し、従来のヘタレで小狡いヒールユニットとは一線を画する「強くてかっこいいヒール」として一大ムーブメントを引き起こす。
そして彼らを擁するWCWも、この放送から83週間にわたってWWFに視聴率で勝ち続けると言う驚異の爆発的人気を生み出した。
そしてWCW生え抜きのスティングが、この頃映画クロウをモチーフとした白黒ペイントを施し怪奇派テイストのギミックチェンジを果たし、ホーガン率いるnWoと抗争に入った。
この抗争は97年12月28日のスターケードに至るまで続き、WCW/nWoの全盛期を代表するストーリーになった。
また、この頃になるとビショフの引き抜きはWWFに留まらず
- メキシコのAAAからECW経由でラ・パルカ、レイ・ミステリオJr、シコシス、フベントゥ・ゲレーラ、コナン、エディ・ゲレロ
- 日本からはウルティモ・ドラゴンや当時業務提携していた新日本プロレスから短期参戦という形で蝶野正洋とグレート・ムタ
など、正に登場選手全員がそれぞれのジャンルの一流選手であるオール・スター状態であった。
一方でこの頃、ビショフはある中堅選手を解雇していた。
しかし、まさかその選手がWWFに移籍し、その上WCWを壊滅に追いやる原動力になるとは、その時思いもしなかったのであった。
WWFの逆転とフィンガーポーク・オブ・ドゥーム
一方のWWFは主力選手の引き抜かれた事もあって完全に後塵を押しており、廃業寸前まで追いつめられていた。
その為、WWFは高額なギャラを支払っている選手の解雇を余儀なくされ、その中から人気に若干の翳りが見えていた
ブレット・ハートが選ばれた。
しかし、当時彼はWWF世界王者であり、上記のアランドラ・ブレイズの一件から移籍前の王座返上を求められ話がこじれた結果、かの
モントリオール事件が起きてしまい、
ブレット・ハート以下多数の選手がWCWへと移籍した。
しかし、これを逆手にとって
ビンス・マクマホンは「権力を盾に好き勝手に団体を支配する『極悪オーナー』」のキャラクターを演じるようになり、そのビンスの好敵手として一躍恰好を浴びたのが
まめぐホイホイのスキンヘッドに髭を蓄え、所構わずビールを飲み、中指を立て、気に入らない者は容赦なくぶちのめすテキサスのガラガラ蛇
“ストーン・コールド”スティーブ・オースチンであった。
労働者であるはずの選手が、雇い主であるはずの団体のオーナーに平然と立ち向かいボコボコにするというストーリーがnWoを上回るほどの大人気となり、1996年以来初めて視聴率で勝利した。
そう、スティーブ・オースチンこそが、先程挙げた、エリック・ビショフが1995年に解雇した中堅選手その人だった。
そしてオースチンに次ぐWWFの救世主
ザ・ロックの人気沸騰や
HHH率いるDXによる1998年4月27日のナイトロ襲撃事件など従来のプロレスから方向転換し、
高度な筋書きと惜しみなく金をつぎ込むドラマチックな展開、そしてそれを見事に演じきれるタレント性と確かなレスリング技術を持つレスラー達によるアティテュード路線によって、
WWFは1998年に入り視聴率戦争において優位に立った。
比べてWCWは、過度の引き抜きやnWo成功の影に隠れていた諸問題が、ここに来て噴出し始めていた。
特に極端なnWo優遇により「やられ役」を嫌う選手が、クリエイティブ・コントロール権を行使し、次々にnWoに入っていった。
その為、97年12月にスティングとの抗争が終わった後、nWoはホーガンとナッシュの不和から分裂ストーリーに入ったが、肝心の試合は、相変わらず双方乱入によるノーコンテストを繰り返すなどマンネリが続き、nWo人気は次第に陰りを見せ始めた。
しかし、この頃は無敵の超人ギミックで連勝し続ける
ビル・ゴールドバーグの人気もあり、ゴールドバーグがホーガンを倒してWCW世界王者になった1998年7月6日の放送では、視聴率でロウに勝ったりする事もあった。
1999年までは双方5%以上の視聴率を稼いでおり、一進一退の状態であった。
が…1月4日、WCWにとって最初にして最大の致命的出来事が起きた。フィンガーポーク・オブ・ドゥーム事件である。
事件の細かい経緯については
ケビン・ナッシュの項目を参照してもらいたいが、この事件により、せっかくWCWの看板商品に育て上げたゴールドバーグ及びWCW最高の大ヒットであったnWoの商品価値の暴落、由緒あるタイトルだった筈のWCW世界王座の権威失墜、更には、かつてWWFを苦しめた番組内で行っていた
RAWの試合結果の
ネタバレが逆に仇となってRAWの試合見たさに数十万人単位の視聴者を一斉に失うという、取り返しのつかない出来事が起きてしまった。
これ以降、WCWの勢いは目に見えて衰え始め、視聴率でも大きくWWF側に溝を開けられるようになった。
そして、この頃もう1つWCWに致命傷を与える出来事が起こり始めていた。そう、若手の人材流出である。
1999年2月にはビック・ショーが、7月には
クリス・ジェリコがWCWからWWFへと移籍、今までnWoや大物選手の影で冷遇されていた両名は瞬く間にブレイクし、WWFのトップスターの仲間入りを果たした。
この後も2000年に
エディ・ゲレロ、
クリス・ベノワと、後に世界ヘビー級王者やWWE王者になる次世代のエース候補が、活躍の場を求めて自主的にWWFに移籍する。
かつて、大金でトップスターを引き抜いたのと逆の現象が起こったのである。(
クリス・ベノワに至ってはPPVでWCW世界ヘビー級王座を獲得した翌日に退団する有様…)
その為、WCWは人材の空洞化が一気に進み、試合のつまらないベテランと、試合の出来ないルーキーばかりで、いわゆる、優れた
プロレス脳を持つ中堅が全くいない状態へと陥ってしまった。
1999年9月には、遂にエリック・ビショフまでもが解雇され、体制を立て直すべく、WWFからシナリオライターのビンス・ルッソーとエド・フェララを引き抜いた。
WWFでメインライターとして活躍した2人を引き抜く事で、WWFの弱体化とWCW復活の一石二鳥を試みたのであった。
しかし、皮肉にもこれがWCWの破滅を確定させる決定打となってしまった。
末期の迷走、そして崩壊へ
WWFでは、数々の名シーン名スキットを書き上げたビンス・ルッソーであったが、あくまでそれは、演じるWWFの選手のタレント性の高さや、
ビンス・マクマホンが絶対的な現場主義やクリエイティブ・コントロールを持っていた故にできた事であった。
しかし、WCWでは前述の様にWWFから引き抜いたベテラン選手がクリエイティブ・コントロールを保持しており、ルッソーの書くシナリオに従う訳もなく、ルッソーもWWF時代と似たような二番煎じのアングルしか書けなかった。
その結果、今までnWoに依存して自分の技能を磨かずにぬるま湯に浸かっていた選手にWWFの様なアングルを演じられる訳もなく、視聴者には単なるWWFの安直なパクリにしか映らず、視聴者は更に離れるという悪循環となった。
この頃からWCWのストーリーは、単発的なウケ狙いや話題に走りがちになり、
- 金に物を言わせてMegadeth、プロレスとは一切関係のない、チャド・ブロック、KISSのコンサートを番組内で放映する。
- WWFからジェフ・ジャレット、ECWからサンドマンやレイヴェンといったスター選手を、使い道も決めないまま引き抜く。
(一応ジャレットは活躍したが、ECW勢は全く活躍する場所も用意されないまま退団する。)
- ビンス・ルッソーが人種差別主義者であった事からルチャレスラーにとってはキャリアを左右し、本来ならPPVのメイン試合に値するマスカラ・コントラマッチを平気でPPVの前座やナイトロで行う。
- それまでビジョフとマサ斎藤の信頼関係で成り立っていた新日本プロレスとの提携も上記の通りルッソーが日本人嫌いの為に崩壊させた結果、nWo JAPANは消滅しnWo Tシャツを始めとする貴重なグッズ売上をパーにする。
といった事を行った。
いずれも一過性にしかならなかった上に、ルチャレスラーへの侮辱とも言えるお粗末さで、ミステリオを除くルチャ系の選手が次々に退団してしまい、WCWで唯一試合のクオリティを保っていたクルーザー級を瓦解させてしまうという最悪の結果となった。
2000年にはビンス・ルッソーが解雇され、かつてブッカーを務めてたケビン・サリバンが後任になった途端、前述のようにエディとベノワがWWFに移籍した。
結局4月には、エリック・ビショフとビンス・ルッソーが復帰し、結局元の鞘に収まっただけ…と思ったら甘かった…。
ここからが真のカオス、目も当てられない迷走の始まりであった…
- 殆どの試合が乱入&反則による無効試合ばかりで、もはやプロレスの体を成していないのは当たり前。
さらには目を疑う様なトンデモストーリーが続出。ざっと挙げるだけでも、
- 当時のECW王者を契約期間中にもかかわらず引き抜き、番組に登場させる。 ↓
怒り狂ったECWから契約違反の訴訟を起こされる
↓
当然WCWが敗訴し、あろう事か和解案としてECWのリングでWWF所属のレスラーに負けるブックを呑まされる。
↓
その結果、敵であるWWFの優位性を知らしめる。
- 選手の12歳の息子や母親に試合をさせる…。
因みに母親は、何とWCW世界タッグ王者にまでなってしまった…。
- 重度のアルコール依存症に陥り、無断欠場にDVまで働いていたにもかかわらず居座っていたスコット・ホールを解雇したら、ナッシュがシナリオを勝手に書き換えて
リング上でホール解雇反対演説を行う。
- ゴールドバーグをヒール転向させる。オマケに、演出で本物の車のガラスを素手で割らせて大怪我をさせて欠場に追い込む始末。
- ホーガンが欠場していたにもかかわらずnWoネタに縋りナッシュ、ホールの2人にブレット・ハートを代わりに入れてnWo 2000を作るもゴールドバーグとの抗争中にブレットが試合中に脳震盪になり欠場→退団し、そのゴールドバーグも上記の通りガラスを素手で割り欠場、代わりにクリス・ベノワが相手になるも直後にベノワも退団、ナッシュは骨折で欠場、ホールは解雇と関係者全員が呪われているかの様に次々と何らかのアクシデントに見舞われた。
そして仕方無くホーガンが出てくるも彼もルッソーと仲違いして退団してしまった結果、あれだけ社会現象にまでなったnWoを見るも無惨なまでに完全消滅させてしまう。
- トリプル・ケージ・マッチという狂気の沙汰としか思えないような試合を平気で行う。
- 現場の最高責任者は毎週違う人が就任…挙句ディスコ・インフェルノやアーネスト“キャット”ミラーの様な前座レスラーが実権を握り、
グレート・ムタやスティングに平然と勝つと言う有り得ない試合を連発する…。
- 普通は退団や長期欠場向けの救済措置である敗者追放マッチを連発。
しかも、翌週や果ては翌日に平然と復帰したり、逆に勝者が難癖を付けて追放されたりする…。
- WCW世界王座は毎週新チャンピオンが誕生するのが当たり前になる。
一例を上げると2000年4~5月の王座移動は、
エリック・ビショフ、ビンス・ルッソーがWCWの全王座の空位を発表
↓
4月16日のPPV「Spring Stampede 2000」でジャフ・ジャレット(以下JJ)がDDPを下して新王者に(1回目)
↓
4月24日のナイトロのメインでDDPがJJを下し新王者になる
↓
翌日の25日のサンダーで当時WCWが制作していた映画の主演俳優が新王者になる…
↓
5月7日のPPV「Slamboree 2000」でJJが3Wayマッチで勝利で新王者に返り咲き…(2回目)
↓
PPVの翌週5月15日のナイトロでフレアーが新WCWチャンピオンに…
↓
翌16日のサンダーでルッソーがいきなり王座を剥奪……
↓
22日のナイトロの王座決定戦でナッシュを破ったJJが王座に再び返り咲く(3回目)
↓
翌23日のサンダーで ナッシュがJJを破り新WCWチャンピオンに…
↓
6日後の29日のナイトロでナッシュはフレアーに王座返還!
↓
その日の放送でJJがフレアーを破り王座にすぐに返り咲き(4度目…)
僅か1ヶ月で9度の王座移動というありえない茶番劇が状態が通常化する。
- とうとうビンス・ルッソーが選手デビュー&WCW世界王者になる…どう見てもマクマホン社長の猿真似です本当に(ry
と、もはやカオスを通り越し、無間地獄としか言いようがない状態が日常茶飯事になっており、2000年だけでもWCWの損失額は8000万ドルにも上った…。
その頃、TBS本体も経営不振でAOLに買収され、グループ内の赤字会社の整理が始まり、WCWは売却or消滅すると言う話が現実味を帯びて来つつあった。
一時はエリック・ビショッフが関与しているフュージェント・メディア・ベンチャー社なる会社に
- 興行部門とTV番組制作分門を売却(無論、所属選手・スタッフはそのまんま)
- TBSは番組を放映するだけ
という形での買収が決まりかけていたものの、TBSの新たな責任者になったジェイミー・ケルナーが
「TV放映?あんな赤字番組引き続き放映なんかするわけないだろう!」
とド正論打ち切りを決めてしまい、この買収話は消滅する羽目になった。
そしてジェイミーはWCWを「単なる赤字部門」と切り捨てるビジネスライクな態度を示し、ライバルであるはずのビンスに「TV番組は打ち切る分安くするけど買わない?」と自ら買収を勧める形で売却を交渉していた。
そして2001年3月23日、
ビンス・マクマホンがWCWの買収を発表し、ここに月曜TV戦争とWCWは正式に終焉を迎えた。
WCWが持つ全ての権利やNWA時代からの映像に、25名のレスラーの契約を含む買収にもかかわらず、
買収額はたったの3億円であった…
かつては数十億円もの利益を上げていたWCWの価値は、既にそれくらいのものでしかなくなっていたのであった。
衰退の原因
当事者、非当事者関わらず様々な原因が挙げているが、ここでは代表的且つ当事者が口を揃えて証言している物だけを列挙する。
エリック・ビショフがテッド・ターナーの豊富な資金源を用いて大量にトップ・スターを引き抜きWCWを成功に導いたのは先も述べた通りである。
カネ払いの良さに関しては、ホーガン、フレアー、エディ、ジェリコらも自伝やインタビューにて発言しており、選手からは「ATMビショフ」と呼ばれていた程であった。
しかし、それは同時に、次代を担う人材を自前で育成するという重要事項を放棄していた事を意味する。
全盛期のWCWを見ても、トップスターの内、WWF出身者を除くとスティングとレックス・ルガー、
リック・フレアー、ゴールドバーグ位しかスターがおらず、
しかも前3人は正確にはNWA末期に活躍した選手で、純粋にWCWで売れた生え抜きの選手はゴールドバーグのみだった。
皮肉な事に、アティテュード路線時代のWWFのトップスターの内、純粋にWWFでデビューor成功したのは
ロックと
カート・アングル位で
ミック・フォーリーや
アンダーテイカー、
HHHに
ストーン・コールド・スティーブ・オースチンに至るまで元はWCW在籍経験者であった。
彼らはWCW時代はあまりぱっとせず、WWFに移籍してキャラクターとタレント性を磨く事でトップ・スターに登り詰めた。
つまりWCWは、スターの素質を持つ人材を多数抱えていたにもかかわらず、彼らの育成をおざなりにしておきながら、人様の作ったトップ・スターをカネの力で引き抜いていたに過ぎなかった。
実は、カオス時代の2000年にミリオネアーズ・クラブVsニューブラッドという
世代交代アングルがあり、珍しく若手がベテランに勝つなど、WCWも人材育成に本腰を入れた時期もあった。
しかし、本来であれば主役を担うはずだったジェリコや、エディ・ベノワ・ビッグショーといった中堅or新人が次々と退団してしまった為、主役になるのがブッカーTやレイ・ミステリオを除くと、本来ならミリオネアーズ・クラブ側にいるはずのゴールドバーグやリック・スタイナー、
ブレット・ハートといった旬を過ぎたベテランばかりで、当然受けるはずがなかった。
WWF・WCWに両方在籍した事のある
ブレット・ハート曰く、
「
ビンスの雇ったトップ・タレントを幾ら引き抜いても、それをどう使っていいか分からない連中だった。」
「
レスリング・ビジネスを全く知らない人間がボスになっていた」
とWCWの体質の根本的欠陥について、彼なりの正鵠を得た発言をしている。
nWoは一時期、社会現象と呼ばれるほどに爆発的人気を博し、当時提携していた新日本プロレスにも「nWo Japan」が誕生し、町でnWoTシャツを着る人や、それを見かけた人は少なくなかった。
しかし、このnWo人気があまりに大きくなり過ぎた為、エリック・ビショフと
ハルク・ホーガンを中心とした派閥が、試合結果や脚本まで取り仕切る様になり、前述の様に「負け役」になりたくないレスラーが次々と加入した結果、只でさえ歯止めのきいていない現場の統制は、みるみる崩壊していった。
それに加えて一部のベテランレスラーにクリエイティブ・コントロールを与えたのが災いして、99年以降の
ケビン・ナッシュを中心とした一部レスラーの横暴を許し、それが末期のあのどうしようもないカオスへと繋がったのであった。
それに対してWWFは、クリックの様な楽屋内での派閥はあったものの、
ビンス・マクマホンを頂点とした徹底的な現場統制を行っており、どんなベテラン選手や売れっ子であっても不始末を働けば解雇する一方で、若手にも多くのチャンスを与えた事が、例えどんなに人材を引き抜かれても新たなスターを続々生み出した要因であるとされている。
一時期はWWFを窮地に追い込み、WCWに全盛期を齎したWWFからの引き抜きベテランレスラーであったが、結局は彼らがWCWを壊滅へと追いやったA級戦犯であったともいえる。
少し例を挙げるだけでも、
- 縁故採用で甥っ子やブルータス・ビーフケーキを雇わせたり、nWoでの成功に思い上がって大統領選に出馬宣言したり(後に撤回)、
WWF離脱の原因になった俳優活動にWCW在籍時にものめり込んだ挙句「家族と過ごしたい」と崩壊直前にバックれたハルク・ホーガン。
- 重度の薬物&アルコール中毒で交通事故&DV&無断欠場を繰り返し、98年には56歳のおばさんにわいせつ行為をしたとして逮捕されたスコット・ホール。
- そんなホールを庇い、脚本を破り、独断で解雇反対演説をしたり、自分が勝ちたいが為に職権を乱用して、ゴールドバーグの連勝ギミックを無理やり止め、
フィンガーポーク・オブ・ドゥーム事件まで起こし末期のカオスの元凶となったケビン・ナッシュ。
- 高額な契約金で移籍したものの、全盛期とは比べ物にならないくらい活躍出来ずにすぐ辞めたロディ・バイパー、アルティメット・ウォーリア―、
ブレット・ハート、シッド・ビシャスといった元WWFのトップスター達。
といった具合である。
一方のWWEは、彼らを失った事でかえって若手が伸び伸びと活躍できる環境が生まれ、後の大躍進に繋がった。
そもそも、ナイトロの初回放送(1995年)と
最終回(2001年)のメインの試合がスティングVS
リック・フレアーと、全く同じ対戦カードの時点で
いかにWCWのトップの顔ぶれが停滞していたか理解いただけると思う。
以上の結果から、WCWは負けるべくして負けたのである。
しかし、このWCWとWWFの生き馬の目を抜くような戦いが90年代のアメリカ・
プロレス全体のレベルを底上げし、
今の繁栄に繋がっている事は、紛れもないWCWの残した功績と言えると思う。
追記・修正はnWoが支配した。追記・修正したければnWoに加入しろ!
- 立て乙です。この調子でアメプロ団体項目が増えるといいな -- 名無しさん (2014-09-11 22:29:23)
- ブレットはゴーバーのスーパーキックでオシャカにされたんだよなあ…… -- 名無しさん (2014-10-27 22:34:43)
- ビショフによれば実際の所クリエイティブコントロール使ったのはホーガンだけらしい。バッシュアットザビーチ2000で一回だけ使ったきりだとか。 -- 名無しさん (2021-05-25 13:36:15)
- 契約期間中に移籍したECW王者はマイク・アッサム(グラジエーター)だね。2005年に復活したECWの特番でアナウンサーに辛辣に批判されてた。 -- 名無しさん (2021-09-17 11:53:29)
最終更新:2024年12月15日 16:35