登録日:2012/09/09 Sun 02:47:34
更新日:2026/08/14 Fri 08:51:24
所要時間:約 5 分で読めます
『少年の日の思い出』は、ヘルマン・ヘッセが1931年に発表した短編小説。
【概要】
原題は
“Jugendgedenken”
日本では、1931年に高橋健二の翻訳が出版され、『少年の日の思い出』の邦題がつけられている。
1947年に高橋の訳した内容が教科書に載って以来、実に70年以上教科書に掲載され続けている外国文学であり、日本人にとても馴染み深いであろう一作である。
会社によっては「クジャクヤママユ」というタイトルだったかもしれない。
思春期という子供から大人へ変わる多感な時期、即ち
小学校後半から中学校の時代に学ぶのだが、非常にインパクトの強い道徳的内容となっている。
「習ったが内容をまったく覚えていない」という人は少ないのではなかろうか?
キーワードは3つ。
- エーミール
- 蝶と思い出
- 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」
とりまこの3つを覚えておけば間違いない。
本文は大人になった主人公が、蝶のコレクションを見せて来た友人に思い出を話すものとなっている。
【思い出の内容】
主人公である「僕」は、流行りの蝶集めを幼い頃に始め、そして時間を忘れてしまうほど熱中していった。
隣人のエーミールは“非の打ち所が無いという悪徳”を持つ少年で、同じく蝶集めをしている。
彼は、僕の見せたコムラサキにあれこれケチをつけるような奴だった。
それから2年経ち、少年達が少し成長したある日のこと。
「エーミールが超絶レアな蛾であるクジャクヤママユ(ヤママユガ)の羽化に成功したらしい」と耳に挟む。
以前よりクジャクヤママユに熱烈な憧れを抱いていた僕は、彼の家を訪ねる……も留守。
普通はまた後日となるだろうが、彼の熱情は尋常なものではなく、運よく空いていたエーミールの部屋に侵入。
首尾よく部屋に入り込み、件の蛾を目に出来た僕だったが、その美しさに惹かれ、思わずそれを盗んでしまう。
最初はウッキウキで喜んでいた僕だが、
メイドの足音で焦り、慌ててポケットにクジャクヤママユをぶち込む。
しかし脆い蝶にそんなんしたらどうなるかは明白。無惨にも美しい蝶は粉砕されてしまった。
罪悪感に苛まれた僕は、思い切って母に打ち明ける。
母に促された僕はエーミールに謝罪へ行く。エーミールが修復を懸命に試みながらも徒労に終わっているのを尻目に、それは僕がやったのだと述べ、詳しく説明しようと試みる。
しかし、エーミールはただ軽蔑の目で僕を見つめ、舌打ちののち「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と言うのみであった。
僕が
そう言っても彼は受け入れず、僕をただ眺め、ただ軽蔑するのであった。
「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」
それを聞いた僕は思わず彼の喉笛に飛びかかろうとする衝動をすんでのところで抑える。もうどうしようもなくなってしまった。僕は悪者、エーミールは
正義だということに決まってしまい、どんな償いでさえも彼の前では無効だ、ということを悟ることになった。僕は軽蔑の視線に必死で耐える。
失意の中で帰宅した僕に対し、母は事情を察したのか何も言わなかった。そうして、僕は自分のコレクションを全て破壊したのだった――
【解説】
初めて読んだ感想は「エーミールひっでぇ」だろう。
しかし、冷静に内容を考えると、別に
エーミールは全く何も悪いことをしていない。
そもそも「
非の打ち所の無いという悪徳を持つ」というのは、
作品の主人公である「僕」の主観であり、要はただの妬み、嫉妬のフィルターを通した意見だ。
のび太が
出木杉に対して「あいつは、頭はいいし、スポーツは万能だし、男らしくて親切で…」と感じているのに近いであろうか。
確かに「僕」の手に入れたコムラサキを見たエーミールに
- 「20ペニヒが妥当」
- 「触角が曲がってたり伸びてる」
- 「おまけに、足が2本も欠けてる」
などとは言われたのは確かに気分は良くなかっただろう。
だが、ここで大切なのは
見せた理由。
恐らく「僕」は常にエーミールに劣等感を抱えているのである。
他の友人にも見せなかったコムラサキを、あえてエーミールに見せたのも「こんな凄い蝶を持ってるぜ!」と見せ付けて
マウントを取りたかった意識があったのであろう。
だが、僕よりも蝶に精通しているエーミールにあれこれ指摘され、勝手に返り討ちにあったのである。
そもそも、僕はエーミールに「難癖をつけられた」と言ってるが、実際のところ彼は
正直に標本の欠点を言っただけである。
標本は僅かな欠点がそのまま値打ちを下げる原因となるのだから、同じコレクターとしてそれに情熱を燃やす僕にアドバイスをするのは当然である。指摘しないままでは僕も学習ができないのだから。
おまけにコムラサキの話においては僕が語ったのは「エーミールがどんな事実を話したか」に過ぎず、標本の欠点を指摘こそすれど、それを理由に「君は蝶の扱い方も知らない」というように僕を
貶したり嘲笑ったりした話は出てこない。
本当に難癖だったのは「エーミールが僕に対して悪意があったから標本の欠点を指摘した」という僕の思い込みだったとも言えるだろう。
それなのに僕は、エーミールの大切な蝶を自分の欲望のままに盗もうとし、しかもそれを無残な有様にしてしまう。住居不法侵入に窃盗、及び器物損壊。この時代のドイツの法律でどう扱われるかは定かでないが、少なくとも現代の日本で同じことをしたら立派な犯罪である。
アニヲタっぽく言うなら「2〜3年かけて作った模型やジオラマを盗まれたあげく、直しようがない程酷く壊れて帰って来た」ようなものか。
先でも触れたが、僕が最後にエーミールと会ったとき、壊されたクジャクヤママユをエーミールがなんとか元通りにしようと取り繕った形跡があったとなれば、彼の内心は察するに有り余るものがある。
実際、エーミールが「非の打ち所がないという悪徳」を持たない僕と同じような少年であれば、報復として怒り任せに僕を殴っていたかもしれないし、僕の蝶を逆に壊していたかもしれない。
しかし、エーミールが「非の打ち所がないという悪徳」を持っていたからこそ、僕を軽蔑はすれど
怒りの感情のせいで我を忘れてしまったような行動をとることはなかったわけである。「彼は罵りさえしなかった。」という作中の僕の回想からもそれは明らかである。
挙句の果てに僕は、まず弁償に「僕の玩具をやる」と言った。蝶を壊したのに玩具を渡すと言ったのだ。
僕は回想の中で「蝶が元通りに戻るなら、どんなものでも喜んで差し出しただろう」と口にしているあたり、後悔していたものの他に償う方法がなく、上記のような解決手段しか思いつかなかったのだろう。
しかし、僕が犯した罪に対して不釣り合いな提案しかできない様子をエーミールはどう見ていただろうか?
「人の大切なもの壊しておきながら、その程度の提案しかできないのか?」
というのが、妥当な感想だろう。玩具をあげたぐらいで完成まで2〜3年かかった蝶の標本を壊されたことを許すとでも思っていたのだろうか?
更に自分で蝶を壊しておきながら「自分の蝶をあげるので許してください」で解決しようとするのは、あまりにも虫が良すぎるのではいだろうか?虫だけに
なにせ僕のコレクションは、エーミール曰く「高くても20ペニヒ程度の価値しかない」代物。苦労して羽化させたクジャクヤママユに比べれば塵芥に等しい。
僕はクジャクヤママユの標本がどれだけ価値あるものかを知っていて、だからこそ盗もうとした。そして、僕は蝶を愛する者としてはおおよそあり得ない標本の扱い方をしてそれを破壊した挙句、埋め合わせのために標本の持ち主に対して明らかに不釣り合いな提案をしてきた。
これがエーミールが把握していた事の端末であり、それに納得ができるはずもなく、むしろ彼の僕に対する軽蔑の気持ちを強くしたとしてもおかしくない。
僕は考えうる最善手を打っても却って状況を悪化させかねない泥沼に陥っていた。つまり、この時点で既に何もかも手遅れだったのだ。
なお、よく文章を見ると、僕は
謝っていない。一応「僕がやったのだ」と説明していることや、償いのための提案を出しているが、これらの行為は僕が母親に一連の出来事を打ち明けた際に「何をしたかを今日のうちに打ち明けたうえで、自分の持ち物で埋め合わせをするよう申し出て許してもらうしかない。」と促されたからやったことであり、自ら償う術を考え抜いた上での結果の行動ではない。
そしてやはり「(蝶を盗んで壊して)
申し訳ない」と、はっきり述べている描写がない。
それどころか、宝物を台無しにされた彼の怒りや
悲しみといった気持ちを慮ったり、自分の過ちの結果そのような気持ちにさせてしまったということを鑑みたりする描写は、一連の文章中のどこにも存在しない。
これは「僕の言っていることをわかってくれないし、信じてもくれないだろう」とエーミールが自分自身にどう接してくるかにはしっかり考えが向いていたことや、クジャクヤママユの標本を台無しにしたことへの後悔がとても丁寧に語られていたのとは非常に対照的である。
そのため僕がクジャクヤママユの標本を壊したことを悔やんでいるのは明らかであるが、それによって
僕がエーミール心を傷つけたこと悔やんでいるのかという点に関しては、本文の内容だけではかなり怪しいと言わざるを得ない。
エーミールの最後の一言は、要約すれば「君には改めて失望した」ということである。
「君がどんなに蝶を取り扱ってるか知ることができた」というのは、「君は他人の大切な蝶を盗み、乱暴にした挙げ句壊すほど蝶を悪く取り扱ってる」という意味であろうし、僕の提案を断ることで「そんな人間が扱ってる蝶を貰ったところで何の価値もない」という非難を皮肉混じりに口にしたとも捉える事ができるだろう。
その一言で済まされてしまったことによって僕は、「贖罪の方法」も「エーミールに勝つ事」も叶わなくなり、挙句の果てには「蝶への情熱」も消えてしまった。
全てを失ってしまったのだ。
僕の視点から物語が進んでいるため、エーミールの内心を詳しく推し量るのは難しい。標本を壊した僕に対する態度も、何年もかけて作り上げた宝物を無にされたことで今にも爆発しそうな怒りや悲しみをなんとか抑え込み、僕に対して可能な限り冷静かつ無慈悲に対応をした結果だとしてもおかしくないし、僕のあまりの愚行に怒りを通り越して呆れ果て、罵る意思すら失って心の中には僕への軽蔑しか残っていなかったがゆえのものにも見える。
ある程度の確信を持って言えそうなのは「ここで感情任せに僕に接しても何の意味もないし、却って自分の立場を悪くしてしまうかもしれない」ことを理解していたというくらいか。
蝶も思い出も美しいが、脆く儚く簡単に壊れてしまう。
主人公は自分のコレクションを壊す事で、少年時代の思い出にピリオドを打ったのである。
主人公は、そんな絶対に癒えない劣等感を抱え生きているのだ。大人になった今も。
【余談】
- 本家ドイツでは、実はこの作品はヘッセの「作品集」や「全集」的な本にも載ってなかったりするくらいマイナーである。
「ヘッセといえば『少年の日の思い出』」というのは日本だけなようだ。
- 本作は1911年に発表された「Das Nachtpfauenauge」(ドイツ語で「クジャクヤママユ」のこと)の改稿版であり、全集などにはこの初稿バージョンが収録されている。
どちらもストーリーの流れは概ね同じだが、微細な変更点が散見される。
- 高橋はヘッセ本人から「帰りの電車で読んでよ」とこれを渡されたそうだが、軽い時間潰しにしては些か内容がキツくなかろうか……。
- 20ペニヒは1マルクの1/5。
これが現在の日本円で大体いくらかと言うと、105円ぐらい(2009年時点)となっている。
- 蝶コレクションの話なのに、明らかに「蛾」であるクジャクヤママユが出てきた事に疑問を感じた方も居るだろうが、上記の通りドイツでは蝶と蛾の分類上の違いが無く、本作の原文でも鱗翅目を意味する「Schmetterling」表記である。
その上で呼び分ける際は、蝶を「Tagfalter(昼の蝶)」、蛾を「Nachtfalter(夜の蝶)」という。
- 実はクジャクヤママユ(原文ではNachtpfauenauge=直訳で『夜の孔雀の目』)は本作が和訳されるまで和名が決まっていなかった。
僕のオナホを全部やると言った。それでも冥殿は、依然僕をただ軽蔑的に見つめていたので、僕は自分の書き込みを全部消すと言った。
しかし彼は、「結構だよ。僕は、君の建てた項目はもう知っている。」
「そのうえ、今日また、君がアニヲタWikiをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ」
と言った。
そして彼は、すべてのアニヲタwikiを消してしまった。
追記・修正は、一度起きたことはもう償いのできないものだということを悟ってからお願いします。
最終更新:2026年08月14日 08:51