賢所乗御車

登録日:2017/03/27 (Mon) 10:37:00
更新日:2020/06/16 Tue 17:17:20
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賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)とは、皇室用客車、いわゆる「お召し列車」の一つである。

◆この車両が作られた経緯
賢所とは、天皇の三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」(神鏡)を祀った皇居内の神殿で、それから転じて八咫鏡そのものを指す。
この神鏡、普段は天皇ですら見ることは許されず、長時間天皇と同じ室内にある事さえはばかられる。

1915年11月10日、4年前に皇位を継承した大正天皇の即位の礼が、明治憲法下の皇室典範の規定に基づき京都で行われることになった。
しかし、即位の儀では賢所で行う儀式がいくつかあり、それを円滑に進めるためには神鏡を京都に運ぶ必要があった。
もちろん「所詮は物だし、天皇の乗る御料車に同乗させていいのでは?」という声もあったが、先述の通り長時間同室にいることがはばかられることから却下。しかし、関係者が乗る格下の「供奉車(ぐぶしゃ)」に乗せることも出来ず、結果この車両が作られることになった。

世界でも類を見ない、「神」を運ぶ車両の誕生である。

◆車両の概要
当時の鉄道院の標準型客車を元に設計されており、下回りは展望車に使われていた三軸ボギー台車・真空ブレーキと、当時の標準的な客車の装備である。

最大の特徴はその車体。
20m級の車体の中央に閉じた状態の時菊花紋章の取り付けができる約2.4mの両開き扉があり、そこから神鏡を乗せる。
この扉から入ったところに神鏡を置く「奉安室」があり、室内は白ヒノキ造りの白木神殿様式、格天井、金具には金メッキと豪華な内装を持つ。
この奉安室の設計には、神鏡の寸法を計測する必要があったのだが、この計測については伝統に拘る宮内省とのすったもんだの末に実現した。
また、重量までは計測出来なかったため、東京遷都時の「京都から東京までに輿に乗せ、合わせて16人の若者が輿を担いで運んだが、その若者は全員重さで汗をかいた」という証言を元に重量に関する設計を行ったとのこと。
なお、扉は片側にしかないため左右で姿は異なり、扉がない方には廊下があり、そこから神鏡を扱う「掌典(宮中祭祀に関わる宮内省の職員)」が詰める部屋に繋がっている。

◆運用・余談
大正天皇の他、13年後の1928年に行われた昭和天皇の即位の礼に際しても内装を更新したこの車両が使われ、東京と京都を往復した。
それ以降は使われる機会がないまま、新憲法下で新たに制定された皇室典範では即位の礼の開催地に関する規定がなくなった事で存在意義を消失したこの車両は1959年に廃車。使われた回数はたったの4回だった…
現在は大井町の東京総合車両センター・御料車庫で、同じく天皇の旅にお供した仲間達とともに静かに眠っている。
しかし、製造から70年近く経った1981年の地点でも、車内はヒノキの香りで満ちていたという。

なお、1990年11月12日に行われた今上天皇の即位の礼では、この車両同様大正天皇の即位の礼のために作られ、京都御所に置かれていた「高御座(たかみくら)」を陸上自衛隊の輸送ヘリコプターで東京の皇居まで輸送して儀式を行った。

なお、三種の神器の移動に関しては、もう二つの神器である八尺瓊勾玉と天叢雲剣(の形代)が天皇の行幸の際に持参されることがあり、これは剣璽ご動座といわれる。
このご動座、戦前はよく行われていたようだが、戦後になると警備上の都合から減少してしまった。
しかし、2014年、式年遷宮の後の伊勢神宮に天皇陛下が参拝した際にご動座が行われ、東京駅では侍従職の宮内庁職員が神器を黒い箱に入れて持ち運んでいた他、名古屋への新幹線の中では神器の箱専用の台に乗せていたという。

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最終更新:2020年06月16日 17:17