南スーダン

登録日:2011/01/14(金) 09:02:10
更新日:2024/12/21 Sat 05:28:56
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2002年 東ティモール民主共和国
2006年 モンテネグロ
2008年 コソボ共和国



そして2011年



新たな国が誕生した




南スーダン


【フローチャートで分かる南スーダンの歴史】
1877年、イギリスが奴隷供給地である同地域の統治を開始

1898年、北部スーダンと共にイギリスとエジプトの共同統治下に置かれる。
南スーダン「北部は人種が違うし私達を奴隷にして来たし、どうせならウガンダと統合させてよ」
英・エジプト「却下」

1947年、正式に南北統一

1955年、不満を持った住民が反乱

1956年、スーダン民主共和国独立。だが北部優位は変わらないまま

1972年、制限つきながら自治を獲得。
スーダン「分離独立を選ぶ住民投票をする権利もあげるよ」
南スーダン「GJ!内戦止める!」

1974年、油田発見

1983年、スーダン側が南部の自治を撤回。スーダン「今日からお前らイスラム法を適用すっからな!」
南スーダン「いやいや、俺等クリスチャンだし。スーダン人民解放軍を作って対抗します」

2002年、ようやく南北会談に漕ぎ着ける

2005年、6年間の間自治を獲得。勿論イスラム法の適用は無し

2011年、自治の期限切れ。


【南スーダンが独立出来た訳】
南スーダン→資源はあるが採掘する施設がない
スーダン→採掘する施設はあるが資源が少ない

南スーダン「そっちに石油売るから精製して」
スーダン「了解」

※ただし、具体的な取り分は未定。また一番石油が出るアビエイ地区の帰属も決まっていない。
また、南スーダンの一部はあのダルフールとも重なっているため、住民への補償も求められている。

【対外関係】
  • 2016年のリオデジャネイロオリンピックまで国際的なスポーツ大会には出ていなかったが、2002年よりミス・アース等のミスコンテストに出場している。
    2010年に同大会に出場した南スーダン代表の身長は192cmもあり、大会史上最も長身の出場者となった。

  • アメリカは投票結果が遵守された場合、スーダンをテロ指定国家から解除する事も考慮していた…が、アビエイ地区でゴタゴタがあった為に解除は保留に。結局スーダンのテロ指定解除は政権交代後の2020年になった。

  • 投票に向けて各国が監視団を派遣。日本もいるよ!

  • その日本はJICAの支援で武装解除した兵士の社会復帰訓練を2010年より行っている。

  • 独立後はイスラエルとも国交を樹立しており、早速イスラム離れが進んでいるようだ。

  • 一方、独立と同時にアフリカ連合に加盟。国連も全会一致で加盟が承認された他、国際サッカー連盟や東アフリカ共同体に加盟している。

【治安】
肝心の治安は現在でもかなり危険。外務省が出してる危険レベルは首都以外最大の4。首都ですら3である。この理由は主に
  • かつての内戦によりインフラ整備が整ってない
  • 政府軍と反政府軍、部族間の衝突が激しく、現在も紛争が起こっている
  • インフレの進行により武装強盗や車両襲撃が多い
  • 深刻なマラリア被害
が挙げられる。

決して遊び半分で訪れては行けない国である。




2月7日の住民投票で、7月9日に正式に独立することが決定。


アフリカ54番目の新国家が誕生した。



ソマリランド「…orz」


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最終更新:2024年12月21日 05:28