私は貝になりたい

登録日:2021/12/02 Thu 03:51:23
更新日:2022/01/22 Sat 04:16:18
所要時間:約 9 分で読めます






清水豊松 貴方は、捕虜を殺した


だから、Aの問題に有罪


絞首刑




【概要】


『私は貝になりたい』とは、元陸軍中尉かつ戦争犯罪者(戦犯)であった加藤哲太郎の獄中手記である『狂える戦犯死刑囚』の遺書の部分を基に作成されたフィクション作品。

1958年10月31日にラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)にてドラマが放送され、その後大反響を呼び。翌年の1959年4月12日に劇場版が公開された。
さらに、リメイク作品として1994年10月31日にドラマスペシャルが、そして2008年11月22日に劇場版が公開された。



【ストーリー】


時は、第二次世界大戦真っ只中の1944年。
高知県土佐清水市で、散髪屋を営む清水豊松は妻・房江、息子・健一の3人で平凡な生活を送っていた。
ところが戦争は日に日に激化していき、遂に豊松にも赤紙(召集令状)が届き、徴兵されることになった。

中部軍 第三方面・尾上部隊に配属された豊松は過酷な訓練の中、元々の気弱な性格が災いし、失態を犯してばかりで、上等兵から暴力を振るわれる日々を送っていた。
ある日、撃墜されたB-29の搭乗員が、大北山に降下したという情報の元、『搭乗員を確保し、適当*1な処置をせよ』という命令が尾上部隊に下った。
そして捜索の末、既に瀕死状態であった搭乗員を発見。豊松は中隊長から捕虜を銃剣で刺殺することを命じられた。だが、気が縮み上がってしまい、実際は捕虜の右腕に傷をつけただけに終わってしまった*2

終戦後、無事帰還した豊松は再び散髪屋を経営していた。
だが、ある日特殊警察によって豊松は戦犯容疑で逮捕されてしまう。
そして理不尽にもほどがある裁判によって豊松は死刑宣告をされてしまうのだった……



【登場人物】


清水豊松
演:フランキー堺(1958年版&1959年版)/所ジョージ(1994年版)/中居正広(2008年版)

本作の主人公。
土佐清水市で散髪屋を営んでいる。気弱な性格だが、純粋な心を持ち、家族を何よりも愛している。
赤紙で戦争に駆り出されるが、気弱な性格が災いし、部隊の中でも落ちこぼれとして見られていた。
戦後、捕虜を処刑した罪で、死刑判決を受けたが、自分以外の減刑を求めて再審を求めた矢野や、助命嘆願書を集めて回る房江、そして、西沢の朗報のおかげで希望を見出していく。

「あなたたちは一体、どこの国の話をしてるんですか!? 日本の軍隊では、二等兵は牛や馬と一緒なんですよ!?」


清水房江
演:桜むつ子(1958年版)/新珠三千代(1959年版)/田中美佐子(1994年版)/仲間由紀恵(2008年版)

豊松の妻。豊松とは対照的に活発で強い心を持っている。
豊松とは高知で出会い、彼と同じく散髪屋に勤務していた。
小宮からの手紙で豊松が死刑判決を受けたことを知り、彼を救うべく200人の助命嘆願書を埋めるべく奔走していく。


矢野正弘
演:佐分利信(1958年版)/藤田進(1959年版)/津川雅彦(1994年版)/石坂浩二(2008年版)

第二次世界大戦中、中部軍管区司令官であった男で豊松の上官。
戦後、大北山事件に関するすべての罪に問われ、絞首刑となった。自身のあやふやな指令によって、豊松たちを絞首刑にしてしまったことで責任を感じており、豊松のことを気かけている。
『自分以外の者の罪を軽くしてほしい』という再審を提出しており、それまで距離を置いていた豊松も、このことを知ってから距離を縮めた。
その後、最期まで『自分以外の者の罪を軽くしてほしい』という想いを告げ、処刑された。

なお、矢野の処刑シーンがあるのは2008年版のみで、それ以外は処刑されたということが示唆されるだけであった。



滝田
演:熊倉一雄(1958年版)/佐田豊(1959年版)/桜金造(1994年版)/荒川良々(2008年版)

尾上部隊の二等兵だった男。
豊松同様気弱な性格で、彼以上に落ちこぼれとされていた。彼と同じく捕虜を殺した罪で絞首刑となった。


大西三郎
演:内藤武敏(1958年版)/中丸忠雄(1959年版)/柳葉敏郎(1994年版)/草彅剛(2008年版)

豊松の最初の同居人。
東京の世田谷区出身で、妹以外の家族は東京大空襲で死亡した。妹が送ってくれた聖書を愛読している。
豊松に対して、房のことを説明してくれていたが、豊松が収監された翌朝に執行命令が下った。


西沢卓次
演:佐野浅生(1958年版)/清水一郎(1959年版)/矢崎滋(1994年版)/笑福亭鶴瓶(2008年版)

大西に変わる、豊松の新しい同居人。
英語が堪能であり、再審書は勿論のこと、大統領宛てに直訴状も書いていた。

1958年版・1959年版・1994年版では比較的慎重な人物だったが、2008年版では演者が演者なだけあってコミカルな人物になっている。



小宮
演:河野秋武(1958年版)/笠智衆(1959年版)/渡瀬恒彦(1994年版)/上川隆也(2008年版)

巣鴨プリズンに勤務する教誨師。
房江に対して何も言っていなかった豊松のために手紙を書いたりしてあげるなど、矢野同様豊松の人徳者である。



【主題歌】


1994年版
小椋佳 『藍色の時』


2008年版
Mr.Children 『花の匂い』





【結末】



矢野の死刑執行後、処刑は一回も行われず何ヵ月も過ぎていった。
そして、房江の必死の努力の末、遂に200人の助命嘆願書が完成した。世の中の情勢も豊松たち戦犯死刑囚に対していい方向に進んでいき、この嘆願書があれば鬼に金棒だと豊松は喜ぶ。
そして、近々近所で新しくできる散髪屋に負けないために、新しい散髪屋用の椅子のカタログを2人で見つめながら、2人は嬉しそうに語った。

そして、3月のある日。
看守たちが豊松と西沢の部屋に訪れ、言った。


「シミズ チェンジブロック!」


なんと、房が変わることが告げられた。
それを聞いて、西沢は水を得た魚のように喜んだ。房が変わるということだから、減刑になるのだと。
すると、滝田を含めた他の房の仲間たちも、まるで自分のことのように喜んで、豊松を祝福した。

歓声の中、豊松は仲間たちに感謝の意を述べ、別れを告げて去っていった。
そして豊松は所長室にて、所長から刑の内容を告げられた。



横浜軍事法廷の判決と、マッカーサー元帥の認定により、第八軍憲兵隊司令官と巣鴨プリズン署長に対し、定められだ刑の執行が命令された

そこでその意味と内容を本人に伝達する

明3月26日、午前零時、当巣鴨プリズンにおいて、



絞首刑を執行する


豊松を待っていたのは減刑などではなく、絞首刑の知らせ
矢野や房江、西沢の努力も一瞬で崩れてしまったのだった……

豊松は、ブルー地区の監房に移動させられた。
まるで、抜け殻の様に意気消沈した豊松に、小宮はさらに残酷な真実を突き付けた。

と言うのも、巣鴨から土佐清水まではとてつもない距離があるため最後の面会ができないだけでなく、遺体は遺族にも引き渡されないうえに埋葬場所も教えてくれないそうだ。


夕方、豊松は仏間で小宮と2人きりで晩餐会を行った。
自棄酒と言わんばかりに葡萄酒を3杯飲み干した。


豊松「つまらん一生だったなぁ…… あっという間に、34年が過ぎちゃって……」


小宮「そこですよ清水さん 50年生きても100年生きても、死の間際には誰だって、自分の人生はあっという間だったって思いますよ とにかく、来世を信じるより他にはないんですね……」


そして、小宮は豊松に、来世に生まれ変われるとしたら何になりたいかと聞く。豊松は、お金持ちになりたいと言う。

昔から貧乏だったから。小学校を出てから散髪屋の勉強をしたが全然上手くいかず、免許が取れても店なんか持てない。

その後、高知の散髪屋で働く房江と出会い、あっという間に子供が出来、2人とも勤務先を追い出され、流れ着いた土佐清水市で、有り金をはたいて店を開き、ロクなものも食べれずに、懸命に働き、何とか店も評判になり、子供も大きくなり、これからだという時に赤紙で戦争で引っ張り出され、最終的には………

せめて、生まれ変われるのなら、億万長者の一人息子になりたいと、豊松は言った。

嗚咽を漏らす豊松を、小宮は慰めるしかなかった…














刑の執行までもう数時間もない。
レッド地区の監房と比べて一層暗いブルー地区の監房内で、豊松は遺書を書いていた…



房江、健一、直子*3 さようなら…


お父さんは、もう二時間ほどで死んでいきます。


お前達とは別れ、遠い遠い所へ行ってしまいます。





もう一度、会いたい。




もう一度、みんなと一緒に暮らしたい。





許してもらえるのなら、手が一本、足が一本もげても



お前たちと一緒に



暮らしたい。




豊松は処刑場に連行されていった。
そして、小宮や所長たちに見守られながら、ふらふらと階段を上っていく。



でも… でももうそれは



出来ません。




せめて せめて生まれ変わることができるのなら…



せめて せめて生まれ変わることができるのなら…






いいえ、お父さんは、生まれ変わっても



もう人間にはなりたくありません。



人間なんて嫌だ…






牛か、馬の方がいい…





いや 牛や馬なら、また人間に酷い目に遭わされる。




いっそのこと、誰も知らない…



深い… 深い…



海の底…







綱の前に立たされた豊松は、布を顔にかぶせられ、綱を首にかけられ……





そうだ…



















がいい…





落下していく豊松の身体。そしてそのまま身体は動かなくなってしまった。








清水豊松


享年 34歳






翌朝、土佐清水市では房江が一人で散髪屋を営んでいた。
知り合いの男が、駅前に散髪屋ができるみたいだねと心配そうに尋ねてきた。だが、


「なぁに、豊さんさえ戻ってくれば、1軒や2軒新しいのができたって   あんたも、もうちょっとの辛抱だよ」


房江「えぇ!」


そう言い、房江は空を見上げながら主人の帰りを待ち続けた…
その主人がもうこの世にいないということも知らずに……





深い海の底の貝だったら…



戦争もない…



兵隊に取られることもない…




深い海の底なら…



戦争もない…



兵隊もない…




房江や健一…



直子のことを心配することもない…






どうしても…



生まれ変わらなければいけないのなら…










私は




貝に




なりたい
















”本当のさよなら”をしても





温かい呼吸が 私には聞こえてる





別の姿で 同じ愛眼差(まなざ)しで






あなたは






きっとまた会いに来てくれる…






【余談】


原案者である加藤哲太郎は豊松と同じような罪状と流れで一度は絞首刑を命じられたが、
家族が判決を不当とする証拠や証言をかき集めたり、マッカーサーへ直訴したりと尽力した結果、再審請求が通り、
最終的に死刑から終身刑、即日禁錮30年に減刑され、1958年に残りの刑期を(約20年)免除されて出所している。現実の方がまだ救いがあった
そもそも本来二等兵は「上官に逆らえなかった被害者でもある」と見られていたため減刑されるケースが殆どで、実際には死刑にされた者はいなかったそうな。

ただし、加藤に限って言えば、彼の最終階級は陸軍中尉であり、俘虜収容所の管理を任されていた(命令する立場にあった)ので上述の二等兵とは立場も状況も違う上、
終戦後は俘虜の好意で逃がしてもらったが、その際に部下たちには「全て自分のせいにして、君たちは助かれ」と言いつけており、実際部下たちはそれもあって減刑されたため、
捕まって裁判にかけられた時点で、全責任を負わされて宣告通り絞首刑となってもおかしくない状況であった。


原案となったのは加藤が書いた『狂える戦犯死刑囚』の遺書の部分であるが、これは赤木曹長という架空の人物が書いたとするフィクションである。
ただし、この遺書は加藤の経験と、彼が精神病院で同室だった人物の言動を元にして書いたといい、完全に創作というわけではない。
最終的に処刑された赤木(豊松)は、再審請求や減刑が叶わなかった加藤のイフであり、そうなり得た存在なのだ。

それだけにリアリティも強く、ドラマの脚本を書いた橋本忍は週刊誌で見かけたこの「遺書」を本物だと思い込み*4、そこから構想を膨らませたといい、
当然加藤の著作物だとは知らなかったのでドラマ放送時点でも彼には何の連絡も行かず、知人から聞いた加藤は橋本や放送局に著作権法違反を申し立て、
著作権協議会の仲裁により、加藤の名前がクレジットに表記されることになった。


2008年版の主演だった中居正広と仲間由紀恵は後に『第59回NHK紅白歌合戦』の司会者を担当しており、時折本作をネタに出していた。










ただあの人が 今のままでと





願うことさえ欲張りですか?





ひそやかな夢 持っておいてと






祈るだけでも欲張りですか?






今が一番 いい時ですか?






望み抱くのは 欲張りですか?






私は、追記・修正をしたい…


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最終更新:2022年01月22日 04:16

*1 2008年版では適切

*2 捕虜は木に拘束している間に絶命していた

*3 2008年版のみ登場する長女

*4 ちなみに後述の著作権法違反申し立ての際、週刊誌側も「本物だと思って掲載した」と非を認めて謝罪している。