カルタゴ

登録日:2022/12/12 Mon 00:25:29
更新日:2025/02/26 Wed 11:32:23
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カルタゴへの憤怒と、子孫への憂慮から、
大カト*1は元老院の議会のたびに、
カルタゴは滅ぼされるべきだと叫んでいた。
出典:プリニウス『博物誌』


カルタゴとは紀元前の北アフリカに実在した国家である。
カルタゴ滅ぶべし。


【概要】

カルタゴは紀元前814年から紀元前146年にかけて北アフリカの北岸、現在のチュニジアを中心に存在した、フェニキア人による国家である。
造船技術や水運、海上貿易のノウハウに優れ、地中海の貿易によって莫大な利益を上げていた。また当時の北アフリカは現在と比べ非常に肥沃な土地であり、農業大国としても君臨し、貿易と農園などから生み出される国力は実に強大なものであった。
そのため、最盛期には地中海世界の支配者として君臨した。故に、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


【地理】

首都はカルタゴ。現在のチュニジアを中心に存在し、最盛期にはスペイン南部やシチリアなどを支配した。
カルタゴが建設された地形は水深が浅く、鎖を下ろしやすい入り江と突き出した岬があり、港として最適だった。またその位置も地中海の東西のほぼ中央、地中海の航路の中間にありこうした要素が、カルタゴが交易国家として繁栄する要因となった。
そのため、カルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


【政治】

カルタゴの政治体制について詳しいことはあまり分かっていない。ただ、アリストテレスの著作『政治学』に「クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ている」「王政・貴族政・民主政の長所を併せ持っている」「実質的に貴族政・寡頭政」と記述されている。
共和制ローマと同様に貴族による共和政ないし寡頭政をとり、元老院と長官(スフェス)(ローマにおける執政官と同様)によって統治されていたと考えられているが、その詳しい権限や実態については論が分かれる。また長官に軍の指揮権は無く、別に選ばれた将軍が指揮を執っていたとされる。
それはさておき、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


【文化】

滅亡によりどのような文化や宗教が存在したか詳しいことはあまり分かっていない*2
ただ、宗教においてはフェニキアから伝わった「嵐と慈雨の神」バアルをカルタゴにおける最高神として崇拝し、これと旧来の土着信仰が融合して独自の宗教体系を作り出していたようだ。
カルタゴがローマの支配下に置かれた後もこうした宗教形態は引き継がれ、ローマの神々と共に信仰対象として扱われた。
また、『対比列伝』で知られる歴史家プルタルコスの記述によればフェニキア人が子供を犠牲にして生贄としていたと記述しており、人身御供の風習があったようである。なんという野蛮、やはりカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


【歴史】

●建国

カルタゴは恐らく紀元前9世紀ごろ、ティルスを母市としたフェニキア人によって築かれたとされ、これが確実に分かっていることである。
伝説においてはティルスの女王ディードーが夫を殺害した兄ピュグマリオーンから逃れ、カルタゴを築いたとされる。それによると岬に上陸したディードーが1頭の牛の皮で覆うだけの土地を求め、住人が招致すると彼女は皮を細く切ってひもを作って土地を囲い、丘全体を手に入れた。これが建国神話におけるカルタゴの起源である。
現在では紀元前814年が一般的にカルタゴ建国年と見なされている。
ちなみに私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


●創成と拡大

前述したようにカルタゴは地理的に海上交易に有利であり、それによって徐々にその国勢を拡大させていった。
商人や探検家たちは広大な通商路を開拓し、カルタゴはフェニキア人の古代都市や諸部族を征服、各地に植民都市を建設しその領土をアフリカ内陸と沿岸一帯、地中海の島々にまで拡大した。
紀元前5世紀前半にはカルタゴは地中海における商業の中心地となり、それはローマによる征服まで続いた。

紀元前5世紀から4世紀にかけてはシチリアに勢力を広げていたギリシア人との間でシチリア戦争が勃発。この戦争は3次にわたり、第1次はカルタゴの惨敗に終わったものの、続く2次、3次では勝利し、シチリア島西部を領土とした維持し続けた。
それはさておき、カルタゴは滅ぼされるべきである。


●ポエニ戦争

地中海世界の覇者として君臨したカルタゴであったが、その覇権に待ったをかけた存在がいた。それが当時イタリア半島を勢力下においていた共和制ローマである。
紀元前265年にカルタゴ軍がシチリア島北東部のメッシーナを占領、軍を駐屯させた。ローマ領であるイタリア半島に程近いメッシーナにカルタゴの軍が駐屯したことは、当時のローマに多大な脅威を感じさせた。
紀元前264年にはローマは軍をメッシーナに派遣、カルタゴと開戦した。これが約一世紀にもわたるポエニ戦争の始まりであった。そしてこのポエニ戦争がのちのカルタゴの命運とローマの派遣、ひいては後の世界史の命運をも決めることになるのである。
ここで、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


ポエニ戦争は次の3つの戦争からなる。

第1次ポエニ戦争 (紀元前264年 - 紀元前241年)
第2次ポエニ戦争 (紀元前218年 - 紀元前202年)
第3次ポエニ戦争 (紀元前149年 - 紀元前146年)

ローマがメッシーナに軍を派遣したことで始まった第1次ポエニ戦争は主に海上で行われた。この時のローマ海軍は未熟なものであったが、偶然座礁したカルタゴの軍船を参考に数百隻の軍船を一斉に建造し、一気にその海軍力を増強させ強大なカルタゴ海軍に挑んだ。嵐で艦隊が壊滅する凶事に2度も見舞われつつも、ローマはその度に米帝のような恐るべき回復力で海軍を再建させ、3度にわたりカルタゴ艦隊を撃破した。
結果としてシチリアは孤立し、カルタゴは敗北。多額の賠償金をローマに支払うほか、シチリア島をはじめ地中海の島々を失い、地中海の覇権をローマに奪われてしまった。
そして、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


第2次ポエニ戦争は紀元前218年、スペイン・イベリア半島の都市の支配権を巡って発生した。カルタゴの将軍ハンニバル・バルカはイベリア半島のカルタゴ・ノヴァ(現カルタヘナ)で挙兵、電撃的にアルプス山脈を越えてイタリア半島へ侵入、一気にローマへと迫った。
ハンニバルはその天才的な戦術によって量に勝るローマ軍に何度も圧勝した。特に自軍の2倍の戦力のローマ軍を包囲殲滅したカンナエの戦いは現在も各国の士官学校で語り継がれるほど有名である。
やはり私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。
ローマの各都市を占領し、一時は首都ローマに迫るほどローマを追い詰めたハンニバルに対し、執政官ファビウス率いるローマは持久戦法で持ち応え、その隙にスキピオ・アフリカヌスを派遣、イベリア半島を奪取しカルタゴ本国に迫った。
ハンニバルは本国に帰還しこれを迎え撃ったが、ザマの戦いで敗北を喫し、ここにカルタゴの敗北と凋落が定まった。
この時結ばれた講和条約では多大な賠償金の支払いなどの外、「ローマの許可なく一切の戦争を行わない」という条件も課され、事実上のローマの属国扱いとなってしまった。


しかしながらカルタゴ本国の国力は依然として強大で、10000タレントもの賠償金を即座に完済するほどであった。
やはり、カルタゴは滅ぼされるべきであると考える。
当然、これにローマは脅威を感じた。逸話によればローマの大物政治家マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)などは元老院で事あるごとに「カルタゴは滅ぼされるべきであると考える」と発言したと伝えられる。これに対しある政敵は潜在的なライバルを持たないローマは腐敗し衰亡するとして「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである」と反論したという。
それでも私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


●滅亡

紀元前149年、カルタゴは隣国ヌミディアと国境紛争状態にあったが、ローマはこれを前述した「ローマの許可なく戦争を行わない」という講和条約に違反するとして、軍事介入を行った。
カルタゴの必死の外交交渉も空しく、カルタゴは滅ぼされるべきであると考えるローマはあらゆる軍備の引き渡しや遷都などを要求、カルタゴはこれを拒否しここに第3次ポエニ戦争が勃発した。

ローマはスキピオ・アフリカヌス*3の養孫であるスキピオ・アエミリアヌスを派遣しその指揮のもと戦いは行われた。
この時カルタゴは完全に孤立していたが、軍民挙げて徹底抗戦し(例として市内の女性が投石機の材料として自らの髪を切って提供したという)3年間にわたって持ち応えた。
しかしその抵抗も空しく、紀元前146年にはカルタゴ市は陥落、都市は徹底的に破壊され、生き残った市民は奴隷として売り飛ばされ、ここに数百年の栄華を誇ったカルタゴは完全に滅亡した。
この時ローマ軍は更地となったカルタゴに塩を撒いて呪い、その再興を防いだという話は有名である。ただ近年はこの話は創作であるとする説も上がっている。

また、燃え盛るカルタゴの市街を見ながらローマ軍司令官スキピオは「いつかわが祖国も同じ運命を辿るだろう」と涙しホメロスの一説を口ずさんだという。
かつて地中海世界の覇者として君臨した大国が凋落し炎と共に滅ぼる、そんな盛者必衰の光景に果たして彼は何を思ったのだろうか。
ともあれ、カルタゴは滅ぼされるべきであると私は考える。


●その後

滅亡後、カルタゴの故地はローマによって併合されアフリカ属州となり*4、新たな植民都市が建造された。
紀元前1世紀にはガイウス・ユリウス・カエサルによってカルタゴの都市の再建が計画され、アウグストゥスによって実行され、ユリウス・カルタゴ植民市として再建、以降はアフリカにおけるローマの重要な都市として位置づけられた。
結局のところ、カルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


+ 何でこんなにカルタゴ嫌われてんの?
この項目を読んで建て主や編集者の精神状態が心配になった人、項目が何らかの異常性に曝露された可能性を疑う人カルタゴは滅ぼされるべきと考えた人などそれぞれであると思われるが、一部閲覧者諸兄の拭い去れないであろう違和感を解消するため、補足として解説。

項目の中に何回も出てくる「カルタゴは滅ぼされるべきであると考える。」というフレーズの元ネタ…というより原初は、項目本文に記載されている通り(ちゃんと本文は読んだよね?)接収したカルタゴの脅威に懸念を抱いていたローマの政務官「マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス」の演説。

本文では史実の通りにあっさりと書かれているが、一説では、カトは元老院で演説を行うたびに、何につけても、常日頃、全く関係無い話題の議論であっても、まるで持ちギャグのように「ともあれ、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える」と末尾に付け加えたという逸話があるのである。

ただしこれには明確なソースが存在していないという説があり、後世に創作された脚色である可能性も高いとか。
(項目の冒頭にもあるガイウス・プリニウス・セクンドゥス著『博物誌』にカトの振る舞いについて明記されているので、おそらくこれが原初であろう。とはいえ、プリニウスがカトと同じ時代に生きていた人ではないことに加え、『博物誌』は実在生物の章にスフィンクスとかドラゴンとかを大真面目に記載している資料なので……)

要するに、カルタゴは滅ぼされるべきであると考える


●余談

  • ゲーム「天穂のサクナヒメ」では畑に塩をやると、一見雑草、害虫、病気のどれにも効く…のだが、実は「塩害」というマスクデータで管理されており最終的に重篤な塩害が起こる。この事を初心者がやりがちなミスとして「カルタゴ農法」と呼ばれている。実際にカルタゴがやったわけではないのに…。やはりカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。

  • ゲーム「ミストトレインガールズ」ではカルタゴをモチーフにしたキャラクターが登場する。名前も勿論カルタゴ。どんなキャラかというと文明も発達していないような蛮族に近い場所の出身だが本人は人間としてはまともであり仲の良いトレインナイトも出来ている。しかし彼女を含めたダークエルフはあちこちで嫌われており、特に「テルミエ」は平時な皆に「先生」と慕われるほどの大人の女性なのだがダークエルフを見ると狼狽するという設定がある。ローマがモチーフなのでそうなってしまうのだろう。故にカルタゴは滅ぼされるべきであると私は考える。

  • 現在の行政上はチュニジア共和国チュニス県カルタゴ市となっており、チュニジアの首都圏の一部を成している。ちなみにカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。





追記・修正お願いします。だがその前に私は、カルタゴを滅ぼすべきであると考える。


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  • 人類史上最も滅亡の必要性を説かれ続ける国家
  • 滅亡後2000年以上経っても滅亡を望まれ続ける国家
  • カルタゴ滅ぶべし慈悲はない
  • ディードー
最終更新:2025年02月26日 11:32

*1 マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス

*2 後述より、現存のカルタゴ遺跡は、カルタゴ滅亡後にローマがその跡地に植民都市として新しく建設したものである。

*3 「アフリカを制した者」という意味。現代の感覚では姓またはミドルネームというよりは、第二次・第三次のポエニ戦争勝利に貢献したスキピオ一族に授けられた称号に近い。

*4 現在のアフリカ大陸の語源とされる。