実は言ってない台詞

登録日:2016/04/11 Mon 19:15:00
更新日:2022/09/16 Fri 18:27:13
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偉人と言えば、名言である。
伝記や歴史番組などで目にした偉人たちの名言を、座右の銘としている人も多いだろう。

だが、中には「実は本人はそんなことを言っていない」という名言もかなりある。
その内実は大きく分けて
  • そもそも作り話
  • 他人の名言が別人のものとされた
  • 言ったことは言ったが、意味が違う
といったところである。
現代の人物の場合都市伝説となることもある。

本項ではこれらに当てはまる台詞を解説していく。
架空人物のものについてはこちら

なお一冊丸々他人が偉人名義で書いた本などは偽書の項目で。
またある人物の画像に勝手に台詞を書き加えたのが広まった例はコラ画像の項目で。

+ 目次

主な「実は言ってない台詞」の例

▼そもそも作り話の例

  • 明智光秀「敵は本能寺にあり」
戦国時代を舞台にしたドラマや漫画では、このセリフが出たら一つのクライマックスになる。
実際には江戸時代中期ごろに成立した軍記小説『明智軍記』が初出であり、作者の創作とされる。
(時代的に頼山陽の創作とする説は誤り

  • 徳川家康「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」
家康の遺訓と言われており、紆余曲折を経て戦国時代の勝者となった人生そのものを語った名言とされ「東照宮御遺訓」として知られる。実はこれは明治時代に元幕臣が、『人のいましめ』という1830年刊行の本を元に、家康の花押まで偽造して作成したもの。これを、高橋泥舟(幕末の三舟の一人)などが各地の東照宮に納めたことから広まってしまったらしい。

徳川美術館館長にして尾張徳川家21代当主の徳川義宣の研究によれば、この言葉は水戸のご老公・水戸黄門こと徳川光圀の言葉として伝えられたのが初出であり、それが『人のいましめ』に載せられる形になったようである。さらにその『人のいましめ』自体も出版されたのは光圀が亡くなってから約130年も後の1830年であり、こちらも本当に光圀の言葉なのかは謎である。

なお、他にも家康に関しては三方ヶ原の戦いで脱糞したエピソードやそれに関連した「しかめ像」など、近年の研究で長年言われていた通説が史実と大きく異なるケースが次々に判明している。

  • ガリレオ・ガリレイ「それでも地球は動く」
実際には弟子の創作であるとされる。
ガリレイは地動説を放棄することで極刑を免れたのだから、実際にこんな発言をしてしかも記録されていれば無事では済まなかっただろう。
「周囲にわからないようにイタリア語ではなくギリシア語でつぶやいた」という逸話もあるが、これも俗説。
ギリシア語は当時ラテン語に次いで高等学問に必要な言語とされており、イタリアにおいても多くのインテリはギリシア語を理解していた。
屈指のインテリ揃いの裁判所でそんなことをしたならチャレンジャーすぎである。

  • ユリウス・カエサル「ブルータス、お前もか」
暗殺間際に言ったと言われるセリフだが、近い時代の資料ではほぼ即死に近い状況で、言葉を発することなく亡くなったとされている(諸説あり)。
ちなみに最も古い伝承では「お前もか、我が子よ?」というセリフであり、上記のバージョンを定着させたのはウィリアム・シェイクスピアである。

  • リチャード3世「馬をくれ! 代わりに国をくれてやる!」
薔薇戦争のクライマックス「ボズワースの戦い」にて、破れたリチャード3世が今際の際に残した発言とされる。
これもシェイクスピアの戯曲「リチャード3世」が元ネタで、やはり史実の発言ではないとされている。

  • アルキメデス「私の図形をこわさないでくれ」
大数学者アルキメデスの最期の言葉で、地面に図形を描いて計算している最中にローマ兵士に襲われた際の発言とされている。
しかし、実際にはアルキメデスが最期にそんな発言をしたという記録は存在しない。
そもそも彼は計算中ではなく製図用の道具を運んでいる時に襲われたという説もあり、最期に図形を描いていたのかどうかすらはっきりしていないのが実際のところである。

  • 板垣退助「板垣死すとも自由は死せず」
暗殺未遂事件を報じた新聞社の創作という説が有力。一説には秘書の内藤魯一の発言だとも。
何しろ襲撃当時は「痛いがーやきぃ、早よう医者を!」と叫んだと言われてたり、本人が自伝で「一言も出なかった」と回想しているくらいだし。また病院で見舞客に笑いながら言っていたという説もある。
いずれにしても、刺されたその場でこんな発言が出たなら凄すぎである。

…と長らく言われていたが、実は本当に言ったのではないかという説が近年再浮上してきていたりする(板垣の自著『我國憲政の由來』で実際にそう叫んだと述べられていたり、インターネットもなく迅速な情報共有手段もなかった時代にも関わらず複数の新聞がほぼ同様の報道をしている、複数の目撃者の証言が一致し否定する証言も出なかったなど裏付けになりそうな資料が見つかっている)。

当たり前だが、言ったかどうかわからないからって、テストの穴埋め問題に「ぐへっ!」とか「ぎゃあ~!」と書くのは余りにもしょうもないのでやめよう。

  • ヴォルテール「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
表現規制問題に関する論争の際にしばしば引用されるセリフ。
これは後年に伝記作家のイヴリン・ベアトリス・ホールが創作したセリフであり、本人がそう書き残したわけではない。
初出はホール著『The Friends of Voltaire』(1906)。それによると、ヴォルテールがその弟子にあたる思想家エルヴェシウスに対して向けた態度を(ホールなりの脚色を交えて)要約した表現のようである。
エルヴェシウスは『精神論』『人間論』の二冊の著作で知られる人物だが、彼の思想はヴォルテール、ルソー、ディドロといった同門の先人たちによって厳しく批判された。しかし『精神論』出版当初、その内容が反キリスト教的とみなされ教会から焚書処分を受けるという事件があった時は、ヴォルテールらは一丸となって弾圧に反対し、彼の身を守るために奔走したという。
従って上記のセリフは創作であるものの、史実上のヴォルテールがとった行動はこの言葉の通りだと言うこともできる。ただし当時の教会はもともとヴォルテールを含めた百科全書派全体と敵対していたため、「論敵を守った」というよりは「身内の若手を守った」の方が実態に近いかもしれない。

  • アルバート・アインシュタインの予言
「来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるだろう」などと予言した300字程の文章。
元々はアインシュタインと無関係の法学者"ローレンツ・フォン・シュタイン"博士の発言とされていたものであり、
実際はシュタイン博士の発言でもない、日本人による創作だったという二段オチ。
出典については諸説あるが、宗教家の田中智學が著書の中で、自分の思想を語るために発言を創作したという説が有力。
なおアインシュタインが親日家であったのは事実だが、彼が愛したのは日本人やその自然・文化の素朴さと繊細さであり、発言は本当に関係が無い。

ちなみに「アインシュタインの予言」なるものはもう1つあり(こちらは本当とされる)、その内容は
「第三次世界大戦ではどのような兵器が使われると思いますか?」と記者に聞かれた際に、
第三次世界大戦で使われる武器はわかりません。ですが第四次世界大戦で使われるのは石と棍棒でしょう」と答えたというもの。
予言というよりは、皮肉か警告のようなものである。

  • ウィンストン・チャーチル「日本人は外交を知らない
チャーチルが日本の外交姿勢について語ったとされる350字程の文章の一節で、「我慢強く謙虚だが、限界を超えるとキレる」という日本人の性質を端的に表している。
日本人が抱く「日本人」のイメージに近い事から日本ではそれなりに引用される文章だが、
実は原文が確認されていない*1うえに当時のイギリス人の発言としては不自然な点が多く*2、後世の日本人による創作、あるいは誤訳の可能性が高いとされている。
日本人が自分のイメージを元に創作した(あるいはそうなるように誤読した)文章なら、そりゃ日本人のイメージに近くて当然だろう。

  • チャールズ・リンドバーグ「翼よ、あれがパリの灯だ」
世界で初めて大西洋を単独無着陸で横断したパイロットの言葉。ニューヨークからパリまでの飛行を成功させ、パリの灯が見えた時に叫んだと言われる。
しかし、これは実は自伝のタイトルで、本人が言った言葉ではない。
何しろ彼はパリに着いた時にそこがどこかわからなかったのだから、言いようがない。
そしてその自伝も、英語の原題は『The Spirit of St.Louis』、つまり単に飛行機の名前であって、本文中にも『翼よ~』のフレーズは登場しない。
『翼よ~』というタイトルは洋画でもありがちな日本人が勝手に付けた邦題に過ぎない。

日本の軍人から関ヶ原の戦いの東西両軍の布陣図を見せられた時にこの言葉を発言したとされる。
この発言のあと、東軍側が西軍諸大名に対して盛んに調略を行った結果離反者が出て勝利した事実を聞くと、戦争で勝利するには調略と情報収集・分析が必要という事を指導する様になったと言われている。
しかし、このエピソードは司馬遼太郎の小説等では確認できるが出典は判明しておらず、後世の創作の可能性が高いとされている。

  • チャールズ・ダーウィン「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。」
自然選択と適応を軸とした進化論を唱え、現代進化論の基礎を作り上げた科学者の言葉。かの有名な「種の起源」からの引用とされることも多い。
小泉純一郎(当時)首相が演説で触れたことから非常に有名になったが、このフレーズをダーウィンが言ったとされる証拠はでていない(当然「種の起源」内にはない)。
また、2020年には自民党の広報漫画でこの言葉の誤用が憲法改正のたとえとして使われたことから問題視され、日本人間行動進化学会が反対声明を出す展開に及んでいる。
レオン・メギンソンというアメリカの経営学者がダーウィンが「種の起源」で語った言葉として引用したのが最初ではないかという研究がある。

分かりやすく且つそれらしく見えるからか、ビジネス関連のコラムや指南で引用されることも割と多いフレーズである。
そもそもこれをビジネスなどに持ち出すこと自体が「進化=進歩」というありがちな誤解に基づいている部分もある。

また、「ダーウィンの言葉ではないにしても、ダーウィニズムを簡潔に説明した言葉である」と解釈するにしても正直微妙である。
そもそもダーウィンの進化論では「先に進化があって、その中で環境に適応できた者が生き残る」のであって、環境に適応するために進化するわけではない。
確かに変化を続ける環境下では特定の方向に特化したものより「変化できる」能力の方が有利だろうが、安定した環境下ではそのような余計な能力にコストを払わないものの方が有利かもしれない(「生きた化石」と呼ばれる生物群がその傍証になる)。
あえてダーウィニズム的にこの言葉に答えるなら、「想定する環境によってどのような生物種が生き残るかは変わります」という官僚的な答えが無難になるだろうか。

他にもダーウィンについては進化論という主に宗教界から根強い反発のある分野の大家なので、
「ダーウィンすらこんなことを言っているのだから進化論は怪しい」という主張のために発言がねつ造されることがままある。
「ハッハッハ、おかげで目が覚めたよ」という、本当にジョークとしてのみ扱われているネタもあるが…*3

  • 坂本龍馬たとえドブの中でも前のめりに死にたい
かつて漫画『巨人の星』で星一徹が引用したセリフであり、飛雄馬も度々思い返したこの台詞。
バクマン。』でも孫引きされた有名な発言であるが、このような発言は史実にはどこにも残っていない。
実際『巨人の星』は宮本武蔵や鉢の木など日本史に由来するお説教がやたらと多いので「この話も事実だろう」と思い込んだ読者は数知れないが、
この発言は司馬遼太郎(ほらそこ、「やっぱりかよ!」って顔しない!)の小説『竜馬がゆく』の中で、ドブの中で死んだ維新志士(架空の人物)を見て竜馬が
「自分の死体が将来溝や堀に捨てられていても顧みられぬことを常に想像し(中略)そういう人物でなければ大事を行うことはできない」と
考えたシーンを元に一徹が勝手に台詞を捏造したものである。
『バクマン。』をよく読んでみると「漫画の中の坂本龍馬のセリフ」と登場人物が発言しており、
暗に「これは事実ではない」と言っているに等しいシーンであることがわかる。

  • アーネスト・ヘミングウェイ「事実を事実のまま完全に再現することは、いかにおもしろおかしい架空の物語を生み出すよりも、はるかに困難である
同じく梶原一騎原作の『空手バカ一代』の冒頭に登場する台詞であるが、ヘミングウェイの著作にこのような文言は存在しない
つまりは梶原による創作である。まあ、『空手バカ一代』も相当な創作が入っている*4ので、発言の内容自体は正しかったと言わざるを得ないのがまた皮肉なのだが。

  • 池田勇人「貧乏人は麦を食え
最初に断りを入れるが、「意味が違う」にも値する発言。
昭和25年12月7日に当時の大蔵大臣であった池田が答弁したとして騒然となり、マスコミにすっぱ抜かれて大騒動となった言葉。

しかし実際は、「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へ持って行きたい」という発言が元。
当時はコメと麦の比率が所得に関係なくほぼ同じであり、その点を統制する現状はいかがなものか、という意見である。
これが翌日の新聞の見出しで「貧乏人は麦を食え」と悪意ある変換をされて掲載され、大ひんしゅくを買ってしまったというもので本人はこんなことは言っていない。

池田は有能な大蔵官僚だったため大蔵大臣に大抜擢されたが、その大抜擢具合と過激な発言から国会やマスコミから格好の批判材料になってしまった面があった。
例えば「正常な経済原則に沿わないことをやって倒産し,更に思い余って自殺したとしてもやむを得ない」みたいな形の発言を、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と報道されたりもしている。
もっとも、段々と慣れたのか、むしろテレビを利用し、出演して腰の低い様子を見せ、世論からの支持を取り付けられるようになった。
結果、総理大臣として高度経済成長の立役者の一人となったのは、ご承知の通りである。

  • 森喜朗「Who are you?」
内閣総理大臣を務めていた2000年にアメリカ大統領ビル・クリントンと会談した際、"How are you?"と言おうとして間違えて言ったとされる発言。
クリントンは機転を利かして、「I'm Hillary's husband(私はヒラリーの旦那です)」と返したが、森首相は「Me too」と答えてしまった、と続く。

首相時代の森は「無党派層は寝ててくれ」といった*5多くの失言等で内閣支持率7パーセントという珍記録を出した(これは消費税導入とリクルート事件で大バッシングを受けた竹下登内閣と並び、歴代最低タイ記録である)。
そうした森の数ある失言の1つとして週刊誌などで紹介されたが、実は彼の人気の無さをネタにしたただのジョークである。

このジョークは昔から政治記者らの間で知られていたもので、本来は「アジアの某国の大統領の逸話」として台湾で創作されたもの。
韓国では金泳三大統領(こちらも失言で知られていた)の発言という設定のジョークとして知られていた。
それを知っていた日本のとある記者が周囲に「森総理でも使えそうだな」と言ったところ、それが伝聞されていつの間にか事実として広まったしまったらしい。
つまり、そもそも森総理を想定したジョークですらない

森は繰り返しこの発言は事実無根だと批判している。
なおマスコミの中にもこの発言については懐疑的だった人が居たため、上述の経緯もそのような雑誌が検証した結果明らかになったものである。
また上述の記者にしても、あくまで知人に「こんなジョークがあるんだけど」という風に話しただけで、別にデマを広めようとしたわけではない(後に「森首相には申し訳ない」と述べている)。

  • 松永浩美「甲子園は幼稚園の砂場
ほぼ創作系の発言だが、一応意味が違う系の要素も僅かにはある発言。
当時阪神タイガースにトレード移籍してきた松永浩美が、在籍期間1年のみで当時新たにできたFA制度で福岡ダイエーホークスに移籍をする最中に松永が発言したとマスコミに報じられ、当時の阪神ファンの間で大騒ぎとなった。

実際がスポーツ紙による全くの捏造発言であったとされる。
当時、阪神には盗塁が得意な選手がいなかったことで松永はグラウンドキーパーに「硬めにしてくれない? 柔らかすぎて滑るんだよ」とオーダー。
その際にグラウンドキーパー側が「幼稚園の砂場くらいか?」と質問し、それに対して松永は「いや、そんなには……」と答えたという。
この時の両者のやり取りが、いつの間にか歪んだ形で関西メディアが伝えたことでこの悲劇は起きたと言われている。
また、松永という人物も自分が言いたいことはハッキリと言い出すという性格の人物で、これもマスコミとの相性が悪かったようだ。

なお、この当時は松永は一か月間誰にも会わないような体制をホテルで取っていたにも関わらず、日々自分のコメントとされる発言が報道されたとのこと。
そのため、松永は滞在先のホテルで記者に質問を受けていたという行動もデマとされている。

この騒動は現在では地元マスメディアとファンの移籍する選手に対する攻撃性が生んだ悪例として語られることが多い*6

  • 鳥山明「自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」
鳥山明が「寺田克也全部―寺田克也全仕事集―」という本の424ページの対談コーナーで、
「自分の漫画のパチンコ化を許可するつもりはない」という趣旨で言った物とされているが、実際にはそもそも件の本は424もページ数がある本ではなく、対談が載っていたとされるページ自体が物理的に存在しなかったというオチ。
ちなみにAmazonの商品ページを確認するだけでも、件の本が全部でおよそ300ページ程しかない事がわかる。

余談だが、後にこの逸話の真偽を実際に検証したブログのコメント欄にて、
コピペ制作者本人*7による釣り宣言と裏話の暴露が行われるという珍事が起きた。
その製作者曰く「まさか出典明記してる上わりとメジャーな本なのに誰もそれを読まず、あまつさえコピペされまくるとは思わなんだ」との事。

  • 藤子・F・不二雄「よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。」
一時期ネットに出回ったコピペの一部で、元々は具体的な例え話を交えた20行にも及ぶ長文なのだが、発言の出展が一切明らかになっていない。
こんな文が本人の死後10年近くたってから何の脈絡も無く出現し、更に10年近くたっても実際に出展を確認した人物が現れないというのは、疑うなという方が無理な話であろう。
また「書かれている内容とF先生の作風が微妙に噛み合っていない。むしろF先生は漫画以外の凝っている遊びやネタを積極的に取り入れているように見える(例えば『ドラえもん のび太の恐竜』以前から先生は恐竜マニアだった証言がある*8、など)」「F先生は一人称に「私」ではなく「僕」を使っていた*9」といった指摘もあり、コピペ自体の出来も良いとはお世辞にも言い難い。
少しニュアンスが近い本人の発言もあるが、ネタはあっという間に枯渇するから創作でも人の話でもどんどん吸収してネタを蓄えろという話で、どっちかというと量の話である。

そもそも当のF先生ご本人は自著「藤子・F・不二雄のまんが技法」の中で、他のプロ漫画家と同じように、好奇心を大切にして漫画以外の遊びなどに触れ、
積極的に引き出しを豊かにすること、人生経験の大切さを説いているため、嘘の可能性は極めて高いだろう。

  • 冨樫義博「ヒソカやイルミなら護衛団は余裕で倒せる
人気漫画HUNTER×HUNTERの強さ議論の際、引き合いに出される話題で、作者の発言の様に度々引用されるがソースは見つかっていない。
広まった原因として考えられるのは、おそらく2014年頃に建てられた2ちゃんのスレである。
このスレは「(自称)作者の元アシスタントが作者とのやりとりを元に強さランクを作成した」と言う内容で、
そこから広がってしまったのではないかと推測される(当然スレ内で半信半疑の空気もあった為、まとめブログがそうした書き込みを削って紹介した事で浸透した可能性あり)。

そもそも作中では護衛団の一人であるネフェルピトーとの接触をキルアが振り返った際に、「薄気味悪いオーラだった…兄貴より…ヒソカより…」と直接的な実力ではないにせよ、ネフェルピトーの方が上だという趣旨の発言をしている。
余談だが、この件に関して「そもそも冨樫はアシを付けない」と言って否定する人もいるが、これは誤りなので注意*10

かの有名な格闘ゲーマー・ウメハラが発したとされていた言葉。
後にファミ通のウメハラ本人のインタビューにて、「小足見てから昇竜余裕なんですか?」という質問に対して、
「見えません(笑)。それは友人が言った『小足出すと確実に昇龍で返されるから、見えているんじゃないのか?』というのが一人歩きして広まったんだと思います」
ニコ生でも同様の質問に「無理に決まってるじゃん」と回答していた。

現実的な話をすると、そもそも2D対戦型格闘ゲームにおける小足は一般的には3~4フレーム程度、遅くとも7~8フレームくらいまでである。
人操作の場合は「画面に表示されたのを見てから反応」する以上そこに最低1フレーム、更に昇龍拳は623+Pと3回入力が必須で更に3フレームの入力時間が必要。
つまり合計4フレーム掛かるわけなので3フレーム以下の小足に反応して昇龍を出すというのはゲームシステム上不可能
そして、人間の反射神経の限界が0.1秒(6フレーム)、普通に鍛えられた人間でも10~12フレームくらいが限界なので、1フレーム反応と言うのは非現実的。
つまり最速でも合計で発生が9フレーム以下の技は人間が『見てから反応』することはほぼ不可能。
要するに単純に先読みしていることと、その精度がかなり高いことによる技能である。
とは言え実際は先読みだと分かった上でネタとして出している場合が多いと思われる。

両作のメインライターを務めた荒川が言ったとされる発言。ファンの中にはこの発言に難色を示す者もおり、本当にあった発言だったのか度々議論の的になる。
しかし、これに関してはデマとも言い切れず、明確なソースが存在している。当時の次番組の公式ホームページにて、それを肯定する文言が書かれていた。
だが、これは別のスタッフが聞きづてに書いたものだったらしく、荒川本人が後に「言ってない」と発言を否定。
ソースがあるにも関わらず、それが間違っていた事で「言ってない」に分類される特殊な例である。

  • 東野英治郎「アニメやアフレコは自分の尺で演技できない、芝居とは呼べない外道の所業」
東京新聞のコラム「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」にて東野が発言したとされる。
実際には「外道の所業」という言葉は使っておらず、またアニメに関しては言及していない。
東野はこのコラムにおいて、「俳優は自分独自の方法で役を作るもので、演技は動くから自然に声が出て、声が出るから動くものなのだ」「他人の作った役の動きに声だけ当てるアテレコを続ければ、気を付けないと片輪になりかねない危険なものだ」(要約)といった趣旨の発言をしている。確かに少々手厳しい意見と言えるが、東野本人は声優業という仕事に関して自分なりの懸念の意見を述べているだけであり、さらに同コラムにおいてはアテレコについて「最近はだんだんにうまくなってきている」と評価もしている。
しかし、このコラムについては反対意見も複数寄せられ、いわゆる「アフレコに苦言を呈する意見」の部分のみが独り歩きした結果、このような誤解が生まれたといえる。また「片輪」という言葉が現代で使うことが憚れるため、別の言葉に置き換えられてニュアンスが別物になったのかもしれない。

  • タモリ「ガキが…舐めてると潰すぞ」
ガールズバンド「CHAI」がタモリが司会を務める番組「ミュージックステーション」に出演した際、タメ口で接した態度に対してタモリが発したとされた発言。
実は、Youtube上に存在するゴシップ系の文字動画(コピペなどの文字だけが流れる動画)のサムネにおいてタモリの顔写真と共に表示されていた台詞で、タモリはこのような発言は一切していない。
しかし、「タモリが絶対に言わないような台詞であるが故の逆の意味でのインパクト」「どう見ても嘘なのにかなりの再生回数を叩き出している」という図が面白がられ、ネット掲示板を中心にネタが広まってしまう。
結果として、「捏造発言が本気で信じられて広められた」のではなく「最初から捏造という前提で広められた捏造発言」という、実は言ってない台詞系としてはある意味珍しいパターンが発生した。
余談だが、Youtube上に存在するゴシップ系動画は、芸能人の捏造発言などが週刊誌の捏造ネタ以上に観覧が容易で広まりやすい上に、
捏造ネタで週刊誌よりも訴えられる可能性が少ないなどの投稿者のデメリット要素の薄さなどから、一時期は問題となった。
酷い時期になると、ユーチューブで軽く情報収集をしていた程度なのに、youtubeのトップページが「同じ記事」「同じサムネイル」「どの動画を開いても文字が流れるだけ」に占領されるという事態も多発するようになった。*11
近年ではそういったサムネイルの動画、レベルの低い動画はyoutubeのAIに広告を弾かれてしまうため、そういった動画が量産されることはなくなっている。
同様のネタとして、米津玄師に向けて北島三郎が発したとされる「レモンだ?貴様この野郎」、尾田栄一郎に向けて手塚治虫が発したとされる(イタコか何か?*12「尾田くん…見損なったぞ」等が有名。

  • 任天堂このキャラクターは超能力が使えます。もし貴方とこのキャラクターが似ているというなら是非ここで超能力を使ってみてください」
任天堂が超能力者のユリ・ゲラーに名誉毀損で訴えられた際の裁判で任天堂側の弁護士が言ったと言われるセリフ。ユリ・ゲラーはこの正論に反論できず敗訴したとされている。
しかし、ユリ・ゲラーが敗訴した事自体は事実だが、実際の敗訴理由は、「ユンゲラー」の名称は日本国内でしか流通しておらず(英語版の名称は「カダブラ」)連邦法での訴訟の要件を満たさなかったためである(つまり却下に近い扱い)。
ちなみにユリ・ゲラー本人は後年になって心境に変化生じたらしく、訴えたことを謝罪した上で、ユンゲラー禁止処分要請の取り下げをツイッター上で宣言している。

  • 桜井政博「カービィに人型キャラは出さない」
星のカービィシリーズアドレーヌが長い間登場していなかったことについて、桜井が人間キャラを嫌っていたのが原因というもの。転じて、桜井が圧力をかけていたかのように評されることがある。しかし、ゲーム作品に対してこうした発言をしたというソースは存在しない。

実際、アドレーヌはそのキャラ人気にも関わらず長いこと顔見せしていなかったのだが、 これは『星のカービィ64』初出のキャラほぼ全員に言えることであり、アドレーヌに限った話ではない。
具体的に言うと、アニメカービィではデデデの衣装やストーン能力に64の要素があるのにキャラだけは出番が無く(ちなみに、桜井が関わっていない『2』や『3』のキャラは登場している)、大乱闘スマッシュブラザーズXでは『64』出典のシールはあるのに64初出のキャラが移っているシールは一枚も無いなど、64の要素が登場することはあってもキャラの露出だけが露骨に避けられている状況であった。

2018年のスターアライズ発売時、スタッフの熊崎信也ディレクターは、64のキャラは事情があって長い間出すことができなかったことをゲーム雑誌のインタビューで語っている。つまり大人の事情が絡んでいたのは確かだが、アドレーヌが人型のキャラである事とは全くの無関係である(『64』初出キャラは数十体近くいるが、その殆どは人型ではない)。
一方、桜井は2004年を最後にカービィ作品の開発には関与しておらず、その後に出たソフトにまで圧力がかかっているというのはいくらなんでも無理がある。要するに人型であるかどうか以前に、そもそも桜井とは無関係にアドレーヌを出せなかった可能性が高い。

ただし、アニメカービィの登場人物については桜井がキャラ造形に縛りを設けていた旨の発言をしたことがあり*13、これが曲解されて上記の噂に派生してしまったものと思われる。

ネット上で数々の名言が拡散されているが、本人がそのほとんどを否定している
いわゆる「江頭の発言とは思えない感動系の名言」はその大半がソース不明で、単なるギャップ狙いで作られたと思われるものが大半。
江頭自身が芸に真摯かつ真面目な性格ということは暴露されているので「江頭なら言ってそう」と思われるのも無理がないのだが、前述の通りデマを流すことはそれ自体が問題行為である。

江頭本人もネット番組「江頭2:50のPPPするぞ!」で一連の噂を否定した際、
「これを言うことによってファンは減るかもしれないけど、そんなファンは初めから要らん!!」「どうせデマ流すならもっと面白いこと言え!!」と一通り叫んだ上で、
「まあ真偽については自分たちで考えてほしい。ただ『善光寺は俺が守る!』は言った」とたしなめて(?)いる。
また、江頭の公式YouTubeチャンネル「エガちゃんねる」でも同様の検証企画が行われ、
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察に捕まってもいい。寿命が縮まってもいい」「恥ずかしいから自分のオンエア見ない」の二つ以外は「言ってない」「話が膨らんでる」と否定している。

ちなみに「1クールのレギュラーより1回の伝説」「お前ら俺を撮れ!俺がルールだ!」などの破天荒な信条はソース不要なほど本人が連呼している。

江頭同様に「実はいい人」と言う噂がネット上に流布された芸人達の一組。
その中のエピソードの一つとして、『ごっつええ感じ』の収録で倒れた松本の元に浜田が他の仕事をキャンセルして駆けつけ、
「お前は俺が死んでも笑いに変えられる力があるけど、俺はお前が死んだら泣くことしかできへんぞ!」と泣いたのに対し、
「俺も他の奴やったら笑いに変えられるかもしれんけど、お前が死んだら泣くしかできへんわ」と返したという話が流れていたが、
水曜日のダウンタウン』の中で「1mmもあってない」(松本)「ごっつの収録に二人そろっていないのはおかしい」(浜田)と揃って否定。
松本がインタビューで「無人島に一つだけ持っていくとしたら浜田」と答えたという話も「俺はゲイじゃない」と否定している。
しかし、「インフルエンザにかかったマネージャーに『松本の娘に移ったらどうするんだ!』と浜田が激怒した」というエピソードは
「そんなにきつい言い方はしていない」と言いながらも浜田が認め、松本が素直に「ありがとう」と感謝の意を表している。

杉田智和岸尾だいすけ、八代拓等様々な声優にネタされるモノマネだが、当の本人は「言ったことない」と話題になる度に否定している。元々特徴のある声なので若本規夫と並んでモノマネされやすい事もあり、森久保のモノマネと言えばコレ!と言う状態になっている。

  • 無名の少年「嘘だと言ってよ、ジョー」
1919年、アメリカのメジャーリーグで発生した八百長事件「ブラックソックス事件」において、ファンの少年が発したとされる台詞。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、八百長に加担したとされるジョー・ジャクソン選手が、裁判所での聴取を終えて出てきた際、外で待ち構えていた少年がジョーにこう呼びかけ、これに対してジョーは「Yes, boy, I'm afraid it is.(いや、坊や。残念だが本当なんだ)」と返したという。
本来は「It ain’t true is it, Joe?(ジョー、あんなの嘘なんだろ?)」だったが、この話が伝聞で西海岸に伝わるころには「Say it ain't so, Joe!(嘘だと言ってよ、ジョー)」に変わっていた。
…が、後年ジョーが語ったところでは、そんなことは言われていないし、自分も答えていない。そもそも野次馬の中に子供はいなかったというのである。
ただ、「純真な少年が発した悲痛な台詞」としてあまりによくできていたため、「嘘だと言ってよ、〇〇」というフレーズは新聞の見出しやフィクションの台詞として多用されることになった。『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のサブタイトルの一つ「嘘だと言ってよバーニィ」もその一つである。こちらもサブタイトルには使用されたが、作中では言っていない。

「人を殺したことがありますか?」という質問に対する回答とされる台詞。
実際にはこの様なやり取りはしておらず、別の質問に嘘の字幕が被せられただけである*14

  • 尾田栄一郎「ルフィの母親は既に作中に登場している」
漫画『ONE PIECE』において、考察サイト等で主人公のモンキー・D・ルフィの母親の正体推測の際に度々引用されるが、
作者が明確に発言したというソースは存在しない。
ただし北米版の『Shonen Jump』2009年12月号の読者コーナーにてルフィの母親に関する海外読者からの質問に対し
「I think she's alive(生きていると思う)」との回答があるため、ここから尾鰭が付いた可能性がある。

また同様に、ルフィ達の旅の目的の一つである『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』の正体に関して「形あるもの(思い出などの抽象的なものではない)」と発言していたともされ、こちらも長らく真偽不明であったが、2014年発行の集英社のムック本『さくらももこ編集長おめでとう』にてさくらももことの対談で氏からの「ワンピースの正体は自身の心の成長とかじゃないよね?」との質問に「そんなオズの魔法使いのような展開にはしない、あれだけ頑張ったのだからキチンとご褒美をあげないと」と返答したことにより公式化した。
加えて2019年にはフジテレビ系列『ホンマでっか!?TV』にて司会の明石家さんまとの対談で「(オズの魔法使いのような)これまでの冒険そのものが宝なんだというような展開は嫌い。ちゃんと冒険してきたんだから物をくれと思っているので絶対そういう結末にはしない」という旨の発言もしている。

  • デーモン小暮閣下「お前は自分の子供に『人間』と名付けるのか?
悪魔くん命名騒動の際、リポーターから「やはり子供には『悪魔』と名付けるのですか?」と聞かれた際の返答とされる。
常識人悪魔らしいデーモン閣下を象徴するような名言としてWikipediaにも載っているエピソードなのだが、そのWikipediaですら、なんというインタビュー記事で発せられた返答なのか不明というなんとも怪しい部分がある発言。
「絶対に言っていない」と断言するのは難しいが、明確なソースが不明である以上は半信半疑ぐらいに受け取っておくのが無難だろう。
なお、その奇矯な見た目に反してデーモン閣下が非常に良識ある芸能悪魔なのは数々のエピソードからもわかる事実である。

余談だが自分の息子(九男)に「人」と名付けた戦国大名は実在する。

  • 遊戯王OCGの関係者「まるで金を刷ってるようだ」
遊戯王オフィシャルカードゲーム」の爆発的ヒットに浮かれる遊戯王の関係者が漏らしたとされる言葉であり、なんらかのTCGがヒットするたびに引用される言葉であるが、
その時々で発言者が原作者の高橋和希、販売元のコナミの人、あるいは印刷会社の人とコロコロ変わり、また言い回しも「金」ではなく「札束」になったりする。
実際には「かってに改蔵」第206話での改蔵のセリフである。
ただし、このエピソードは当時のTCGブームを題材にした回であり、また全文も「まるで金を刷ってるようだ。と関係者は語ったとか!」であり、
結局のところ遊戯王OCGがバカ売れしている様を揶揄する言葉には変わりない。

  • 張献忠「天生万物與人、人無一物与天、殺殺殺殺殺殺殺」
大明帝国は末期、当時頻発した貧農反乱の指導者の一人、張献忠が立てたと伝わる碑文に刻まれた漢詩。
中国史上最悪の虐殺者と名高い彼を象徴する一節であり、意訳すると「天は万物と人を生むのに
、人は一物として、天に与えない。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。」くらいの意味になるらしい。
七殺碑と呼ばれて民間伝承としても大変流布した伝説であるが、きちんと現存している碑文の実物には「人無一物与天、鬼神明明、自思自量(人は一物として、天に与えるはなく、鬼神は明明にして、自ら思い、自ら量るべし)」と「淫祠邪宗に騙されんなよ」くらいのことが書かれており、内容は全くの虚構であることがわかる。
どうもこれはダイチン・グルンの自分たちが四川攻略で出した民衆への被害を張献忠に押し付ける一環として流布されたものらしいが、
じゃあ実際の張献忠の所業がどうだったかというと宣教師が虐殺の現場をしっかり書き残しており、ある程度は清朝の誇張があったにせよ超規模虐殺それ自体はしっかり行われていたことは注意。
  • スティーブ・ウォン「プレデターのモデルはチェンジマンのブーバ」
しばしば「スティーブ・ウォンが認めた」と言われるこの事例だが(事実このウィキにも「スティーブ・ウォン公認」と書かれている!)、実際にはどんなに調べても書籍やインタビュー動画などのソースが全く出て来ず、唯一雑誌『宇宙船』の『プレデター』公開当時に記事にて両者のデザインの類似性に触れた記述があった、ということくらいである。
その件が当時の特ヲタの間で尾ひれがついて広まり「デザイナー自身が日本の特撮好きでブーバをモチーフにしたことを認めている」といった話に置き換わったものと思われる。
また同時期に公開された『ロボコップ』ではデザイナーが『ギャバン』をモチーフにしたことを認めている*15のもこの誤解に拍車をかけている物と思われる。
  • 小林英一*16「あなた方にはゴールドシップが優等生に見えるのですか?1から作り直してください」
  • 大城敬三*17「谷水さんは許諾したんですよね?(氏の馬の)ウオッカより巨乳にデザインするのであれば私も許諾しましょう」
ウマ娘 プリティーダービーに関するネタで、それぞれゴールドシップ号、ダイワスカーレット号に許諾をもらうためにキャラ造形を見せた際にCygames側が言われた言葉…とされる。
現状一切「どうもこう言われたらしいよ」以外にソースが無いものを信じるのはさすがに厳しく、また原案デザイン*18を見る限りではダイワスカーレットのバストはウオッカよりデカいどころか当時の参戦決定馬ぶっちぎりレベルと「盛れ」と言うのは不自然であろう*19*20シップは言わずもがな。121億飛ばしたやつが…優等生……?
ちなみに史実のダイワスカーレット号関係者が「本物もこんな子だった。前に行こう前に行こうとする、レース大好き一等賞大好きな子だった」と発言したのは事実で、競馬番組において解説者の安藤勝己さん(現役騎手時代、ダイワスカーレット号の全戦を担当)がウマ娘版を確認したうえで史実をこのように紹介。安藤氏がウマ娘ガチ勢になった今でもお気に入りのようだ。

▼他人の台詞が別人のものとされた例

  • マリー・アントワネット「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない
おそらく「実は言っていない」系では最も頻繁に挙げられる部類であると思われる言葉。実際のマリーには当たらずとも遠からず。
これの由来は、アントワネットの前の時代の思想家ルソーの自伝内の「ある太公婦人」の発言。
「お菓子」でなく「ケーキ」と言われる事もあるが、原語は「ブリオッシュ」なので菓子パンに近い*21。「パンを買う金もないのに菓子を買う金なんぞあるか!」と上流階級の金銭感覚の無さを嘲る用途で長年使われてきた。

まず、ルソーの自伝が執筆された当時のマリーは9歳そこらで、まだドイツ系オーストリア(ハプスブルク家)の王女として過ごしていた時期。彼女がフランスに嫁いだのは14歳の事なので、「ある太公婦人」はもちろん彼女ではない*22
ではこの詳細不明な「大公婦人」が元凶かというと、それも違う。ルソーの記述は「ワインのお供に食べるつもりのパンを切らしてしまった時に『そういう時はパンの代わりにブリオッシュを食べると良いわ』とその女性から以前言われていたのを思い出した」という内容だった。
つまりこの大公婦人は特に世間知らずな事を言ったわけではなく、ルソーも何かを揶揄する意図はなかったのだ。

なぜこんな悪印象を持たれたかというと、
  • 一つはマリーのそれまでの浪費が既に国中で知れ渡っており、「赤字夫人」だの「オーストリア女」だのと悪評が盛んになりつつあったため。
  • もう一つは、ブルジョア(=市民・資本家)を中心とする革命家たちが、ルソーをフランス王家のネガキャンに利用したからだという。革命を推進した商工業者や一部の上流階級が、ルソーの本に書かれた「大公婦人」をマリー・アントワネットに仕立てた。
という理由があったため。

もとより当時の経済格差、自然災害(繰り返す冷夏と厳寒)、凶作、飢饉などで不満を溜め込んでいたブルジョアや村民はさらに煽られ、フランスでブルジョア革命を起こす大義名分へと繋がった*23

なお歴史学上、マリー・アントワネットが舞踏会や演劇、夜通しの賭博やプチ・トリアノン宮殿増築などに散財していたことは事実だが、財政問題会議(「名士会」)が開催された1787年頃には私生活の節制を始めていたことも事実である*24

「パンがないなら~」という言い回しは、マリーの宮廷生活をごく単純に要約している。しかしもちろん彼女自身の発言ではなく、末期のフランス王侯貴族の経済意識を厳密に反映しているわけでもない。

なお、日本のネット上では、「当時ブリオッシュはパンよりも安かった」「『パンの物価が高騰したらブリオッシュと同じくらいまで戻すように』という法律があった」を根拠に、「高い物が食べられないなら安い物を食べればいい」という趣旨の発言だったと言われる事もあるが、
これは漫画『マリー・アントワネットの料理人』(原作・白川晶、作画・里見桂)内の独自の解釈・設定であることに注意。
ブリオッシュは(当時高級な)卵やバターをふんだんに使うので、流石にパンより安いなんてことはまずない。
いずれにせよアントワネットにとっては濡れ衣であるが。

ちなみにもっとずっと前の時代、中国の晋の第2代皇帝・恵帝(司馬懿から数えて4代目。切れ者揃いの司馬一族の中で例外的に馬鹿だったと言われる)にも、穀物の不作により民衆が餓死していると聞いて「(穀物がないのなら)何故肉粥を食べないのか」と言ったという似たような逸話がある。
マリーのような裏事情を想像しそうだがこっちは完全にアウト。最終的には皇帝がおバカすぎて皇族がドンパチを始め晋は滅んだ
ここに上記の「大公婦人」の正体が不明である事も合わさって、「あの言葉はルソーがこの異国の皇帝の発言を自国に置き換えて作ったんじゃないか?」という珍説もあるとかないとか……(もちろんこの場合は「大公婦人」は世間知らずになるしルソーにもそれを揶揄する意図があった事になる)。

  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「貸借は友を失う
実際にはハムレット第一幕、第三場 59行目 フランスへ旅立つ息子レアティーズに忠告するポローニアスの台詞からとったものである。
しかし、仙台市民には某定食屋の店内のいたるところにゲーテの言葉として貼られていたことで妙に有名ではある(現在は存在しない)。
ちなみにこの定食屋は前払い式なので、食べ終わった後に友人に奢らせるなんてことは出来ない。

  • ヨシフ・スターリン「一人の死は悲劇だが、百万の死は統計だ
実際にはアイヒマン裁判で有名なナチスの親衛隊員アドルフ・アイヒマンの発言。
ナチスのやったこと、そして彼のスタンス*25を考えればある意味頷ける発言ではある。

これとは別にドイツ人作家エーリヒ・マリア・レマルク(こちらは反戦主義者)が類似の発言をしていた、という説もある。

  • 織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
    豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
    徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
本人が詠んだわけではなく、各人の気性を現したもの。
もっとも古い表出は江戸時代の『甲子夜話』で、松浦静山が「人から聞いたがよくできた句」として紹介し、当世の武士を風刺した下の二首を付け加えている。
「なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす」「なかぬなら貰て置けよほとゝぎす」

歴史背景などを考えれば各偉人達が詠んだとするには明らかに無理があるので、ちょっと考えれば彼らの詩とする者は今も昔も少ないと思うのだが、
『耳袋』では「故事にあるのか作り話かは知らないが」とあり、いつのまにか『ソース不明の発言』みたいな感じとして扱われていたのだと思われる。

  • 福沢諭吉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
『学問のすゝめ』の有名な冒頭だが、この後「~と言えり」と続いているので、引用文でしかない。
「人は皆平等なので差別はいけません」といった意味であり、アメリカ独立宣言の一節*26を意訳したものという説が有力。

しかし福沢の話はこれをやんわりと否定して別の方向に展開するので、この言葉と『学問のすゝめ』の主張とはほぼ無関係。
大雑把にまとめると、「~と言われているけど実際は公平じゃない。なぜかと言うと、学ぶ奴は成功して学ばない奴は失敗するから。成功したいなら勉強しようぜ」と言った感じに話が進んでいく。
要は話の導入に使われた文章だけが独り歩きしてしまった形であり、本の内容を大雑把に説明すると、タイトルが表す通り「がんばれ学生!学歴は大事だよ!」って事になる。

尤も、『学問のすゝめ』文中では「大名の命も人足の命も、命の重きは同等なり」などという旨の文言も散見されるので、
福沢自身も現実的思考・客観視・法を重視しているだけで、「天は人の上に~」の理念そのものは否定していないと思われる。
こうしたことをふまえた上で、福沢の思想や『学問のすゝめ』の内容として引用すると不適切だが、この言葉単体で使う分には誤用でも何でもないと言える。

  • 福沢諭吉「我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり
独立の気概の無い中国、朝鮮とは縁を切って、日本だけで欧米と渡り合って行こうという『脱亜論』の締めの文章。
100年以上前から全く変わらない特定アジア二国への批判、それを見抜いていた福沢への賞賛(もしくはその逆の糾弾)として、近年頻繁に引用されている。
しかし、これは『時事新報』という新聞に1885年に載せられた匿名の社説であり、本来の著者は不明である。
更に言うと話題になったのは1950年頃(福沢諭吉を研究する流れで取り上げた)で、有名になったのは1960年以降なので、迂闊に世情と関連付けて読み解くことは危険である。

福沢の文として話題になった背景としては『時事新報』は福沢が主催していた新聞なので、彼の思想からかけ離れた文章が載るとは考えづらく、
そこから「脱亜論の著者は福沢諭吉」という誤解が広まってしまったものと思われる*27
しかし福沢自身は近代化に消極的だった政府を批判している一方で、その国民に対してはむしろ親しみを持って接していたという話もあるため、
関係が無いなんてことはないが、過剰に取り上げることはやはり危険である。

そしてこの「脱亜論」の内容に関しても「近代化(脱亜)に消極的な2か国と混同されて外交に影響が出るのを防ぐために、過剰になれ合うのを止めて他の外国と同等まで距離を置こう」という趣旨の文章であり、
「各国国民の気風とは無関係」「国交断絶すべしという極論ではない」ことにも注意。

  • エイブラハム・リンカーン「人民の、人民による、人民のための政治
奴隷解放を成し遂げた偉大なるアメリカ大統領の言葉。南北戦争の最終局面、ゲティスバーグにおける演説の一節。
民主主義の精神を謳ったものとして有名だが、リンカーンのオリジナルではなく、セオドア・パーカーという牧師の言葉を引用したもの。
また、この演説は非常に小さな声で、祈るように行われたものであり、観衆はほとんど聞き取れず、新聞記者が記事に起こしたことで有名になったという。
人種の平等、民主主義の守護者としてリベラリストの崇敬を受ける大統領だが、
本人は別に奴隷を礼さんしてはいなかったが、これで奴隷解放をするつもりではなかったとか、インディアンは殺しまくっていたとか、多数決を大統領権限でひっくり返したとか、
色々黒い面も存在しており(ただし異常者というわけではなく、当時のアメリカ文化や政治事情などの背景にも留意)、清廉潔癖で聖者の様な人物ではなかったりする。

  • ウィンストン・チャーチル「25歳のとき自由主義者でなかったとしたら、あなたには心がない。35歳になって保守主義者でなかったとしたら、あなたには智慧がない
左右関係の話題で引用される事が多い言葉だが、チャーチルが言ったという記録はない。
というかそもそもチャーチル自身が25歳の時点では保守党に、35歳の時点では自由党に所属という真逆の人生を送っており、本当に言ったとしたら自虐以外の何物でも無い。
1875年の文献によれば、同時代のフランス上院議員であるアンセルム・バトビーが、
「20歳のとき共和党員でなかったとしたら、その者には心がない。30歳を過ぎてもまだ共和党員であったとしたら、その者には知恵(エスプリ)がない」といって自分の移党を正当化する手紙を書いたとされ、
これが現在見つかっている最古の例である。
といってもこれも一次史料ではないし、しかも同書によると「バトビーはエドマンド・バークの言葉をもじってこう書いた」とのことなので引用が入れ子になってしまっている。
肝心のバーク自身の言行録からは似た言葉は見つかっていないので、結局出典は今でも不明というのが正しい。だが少なくともチャーチルより100年古いことは間違いない。
なお現代では他にもフランソワ・ギゾー説、クレマンソー説、ディズレーリ説などが流布されているが、いずれもバトビー説より後に出現したとみられ信憑性は低い。

  • アルバート・アインシュタイン「人間は脳を10%しか使っていない
ネットではアインシュタインが言ったとされている事が多いが、実際はアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉。
更に彼が10%しか使っていないと言ったのは「脳」ではなく「潜在能力」であり、要は「人間はまだまだ大きな可能性を秘めている。だから頑張ろう」程度の意味だったと思われる。
ちなみに脳に使われていない部分があるというのは科学的にも否定されている。

  • ヨハニス・デ・レーケ「日本の川は滝である
明治時代に来日したオランダ人技師で、日本の砂防工事の父と言われる。
この発言は日本の川がヨーロッパなどの川に比べて流れが急なことに驚いて言った言葉とされ、社会科の時間に先生に教わった人も多いかもしれないが、
実際には富山県知事が内務大臣に出した答申書の中のフレーズが元ネタであると言われる。
いつの間にか発言者が入れ替わってしまったらしい。
なお、デ・レーケが実際に言った言葉は「日本の川が急流なのは滝がないからだろう」という言葉であり、これと混同された(もしくは誤訳された)という説もある。

  • ピエール・ド・クーベルタン「オリンピックは参加することに意義がある
近代オリンピックの父・クーベルタン男爵のオリンピック観を表した言葉として有名。
本人のオリジナルではなく、1908年の第4回大会の際にエチェルバート・タルボットという司教が残した言葉が基になっている。
この大会ではアメリカとイギリスが(国力争いなどから)険悪な関係になっていたため、それを心配したタルボット大司教は「オリンピック自体がレースや賞よりも優れている」「月桂樹の花輪を身に着けるのはたった1人だが、誰もが試合の喜びを分かち合うだろう」と選手たちに説教した。
これに感銘を受けたクーベルタン男爵が自分の演説で(上記の形に改変して)紹介した結果、「クーベルタン男爵の発言」として広まってしまったというのが真相である。

  • 高師直「若王ナクテ叶フマジキ道理アラバ、木ヲ以テ作ルカ金ヲ以テ 鋳カシテ、生キタル院・国王ヲバ何方ヘモ流シ捨奉ラバヤ」
現代語訳すると「天皇や院はどうしても必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえ」
室町幕府初代将軍尊氏に仕えた執事にして、日本史を代表する悪役の一人である武将(忠臣蔵の吉良も元々は彼がモデル)のセリフとして知られる。
見ようによっては日本史上屈指の暴言であり、師直の悪逆非道さを象徴するエピソードとして有名である。

だが、このセリフの出典は太平記において、高師直・師泰兄弟と対立関係にある者が、尊氏の弟・直義を味方に引き入れようと交渉する場面で
「あいつらこんなこと言ってやがったんですよ!!」というノリで口にした伝聞情報である。

そもそも「太平記」自体が軍記小説であって細部については史実性は低いとされることに加え、
物語の流れ的にも真面目な直義を煽るために元のセリフに尾鰭をつけて膨らませた・あるいは適当に全文でっちあげたと解釈しても不自然ではない。
さらに言えば、このセリフが師直・師泰兄弟のどちらが言ったのかについては、この讒言者も明らかにしていない。

師直は確かに強引かつ急進的すぎる面はあったようだが、そのような点が太平記の作者から否定的に評価されたために、実情以上に悪役にされたとも言われている。

  • 長谷川吉数「くたばってしまえ
「誰?」という方も多いだろうが、『浮雲』で有名な二葉亭四迷の父親である。
文学の道に進もうとする息子への捨て台詞として吐いたもので、それが四迷のペンネームの由来になった。

……というのは俗説で、実際には二葉亭四迷自身が自虐的に言った言葉である。
エッセイ『予が半生の懺悔』によれば、処女作『浮雲』に自信が無く、先輩作家である坪内逍遥の名義で出版してしまったことに対する情けなさから自分で口にしたとのこと。

有名人の発言が、無名の人物のものにされたという、極めて稀な例である。

  • 一休宗純「迷わず行けよ。行けばわかるさ
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し…」から始まる言葉の締め。
プロレスラーのアントニオ猪木が引退試合のスピーチで引用したことで有名。
猪木の自伝には一休さんの言葉として記されているが、実際には清沢哲夫という詩人の詩が原典。
清沢は寺の住職なので仏教文学というところだけは正しいが、共通点はそれくらいで時代から宗派から一休さんとは全く異なる。
ちなみに現在では猪木の発言として扱われるケースも散見される。間違えない様に注意。

  • 六韜「外国から有能な使者が来たら冷遇せよ。無能な使者が来たら歓待せよ。そうすれば他国では有能な者が退けられ、無能な者が重用され、やがてその国は滅ぶ」
太公望に仮託した、中国の政略・軍略の書の言葉として、主に気に入らない政治家・政党を誹るために流布されているコピペだが、実は六韜にはこんな文章は無い。
外国に対する方針としては「他国の大臣を買収し、我が国のために働かせよう(意訳)」とか、「ある使者にはAと言い、別の使者にはBと言い、別の事を言って他国を混乱させよう(意訳)」とか、
「君主と大臣の仲を裂いて他国を機能不全に陥れよう(意訳)」と言ったことが書かれているのだが、「無能な使者が来たら歓待せよ。そうすればその国は滅ぶ」はどこにも無い。
おそらくこれは「韓非子」の二十一・喩老編の末尾、「周の文王が殷の紂王に秘蔵の宝を寄越せと強請られた際、文王は、最初に派遣された賢者には渡さず、次に派遣された佞臣には宝物を譲り渡した。紂王のもとで賢者が活躍することを忌めばこそ、愚昧な佞臣に宝を与えたのだ。名君は賢者も佞臣をも愛する」という話が真の出典。
この話の主体が文王だったため、同時代の太公望の六韜だと誤解されたのだろう。

  • マザー・テレサ「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
ドイツの哲学者のカール・ヤスパースや、1986年にノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼルなどが同趣意の発言を残しているが、
マザー・テレサがこのような発言をしたという記録は無い。
このセリフが特に日本でマザー・テレサの発言という誤解が広まったのは、彼女の業績と一致しているように聞こえるのもさることながら、
1980年代に放送された彼女を起用したACジャパンのCMナレーションで「私たちの最大の敵は無関心です」という彼女の言葉が引用されたことからの連想が大きいようだ。

  • 永野護「型式番号は リック・ディアス(MSA-099 もしくは RMS-099)の次なので100が予定されており、名称もそれに併せ、開発主任のM.ナガノ博士により「百年使えるMS」という願いを込めて百式と名付けられた。」
「…といわれるがボクの記憶にはない(こら!)」 [Newtype1994年1月号より]
永野護の自デザインに対する自信の証拠と言われるこの設定だが、上記のように当人はむしろそれを否定している。
実際、この解説が付けられた百式(ANAHEIM-TYPE100)はアニメ設定とは似ても似つかない(むしろMK-IIやエプシィガンダムに近い)、更には色は金色ではなく明灰色。つまりこの時期にはすでにver.Naネタはあった。
実は百式のこの設定を作ったのは永野ではなく設定製作の高松信司である。

「ビートたけしのモノマネ」においてすっかり鉄板となっている言葉。
しかし2014年に一回限りで放送された、この言葉をそのままタイトルにした深夜番組内において
たけし、ダンカン両名から「言ったことない」「言われたことはない」と明かされた。
主な出処は松村邦洋がモノマネの際によくこの言葉を発していたことにあり、
ダンカンが選ばれたのは、たけし軍団員の中でシンプル且つインパクトのある名前だったからだそうな。

  • えなりかずき「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」
  • 市原悦子「あらやだ、死んでる」
これもモノマネに由来。
前者は芸人のホリが「渡る世間は鬼ばかり」を見たことがなく、のちに本人と会ったときに「僕そんな台詞言ってないですよ」と言われたという。
後者は桜井ちひろのモノマネで広まったが、「家政婦は見た!」はサスペンスドラマながら人が死なないため、そもそもモノマネとして成立していない。これも桜井が「家政婦は見た!」を見ていないことが原因と思われる。*28

  • プラトン「パンクラチオンは不完全なレスリングと不完全なボクシングが一つとなった競技である」
『セスタスシリーズ』などで有名な言葉。近年では氷室鐘までこの言葉を取り上げ「強烈な雄度!」と評価したとか。
プラトンの『国家』に後世の人が注釈を入れて、古代ローマの歴史家 フィロストラトス の『体育論』での記述を引用したもの。
尚、ニュアンスもやや違っておりパンクラチオンを称えるのが本題。

  • (任意の嫌いなゲームクリエイター)「簡単にクリアされたら悔しいじゃないですか」
元は「ファイナルファンタジー11 プロマシアの呪縛」のディレクター、河本信昭の発言。プロマシアミッションの理不尽な難易度に不満の声が上がっていたところに火に油を注いだ雑誌インタビューとして当時のプレイヤーには広く知られていた。
転じて、別のゲームで「プレイヤーにとって納得しづらいような高難易度コンテンツ」に対する不満・恨み節としてこの発言が引用されることもあるのだが、時折元ネタを知ってか知らずかそのゲームの製作者が本当に言ったことにされている、もしくはプレイヤーはそんなの求めてないのをわかったうえでこのくらいの心積もりでやっていると断定されるケースがままある。
そしてフロムの一部作品みたいな「プレイヤーも確かに簡単にクリアさせるようなタマじゃないのを十二分に承知して遊んでる」作品ではまず言われない。

  • 名古屋人「えびふりゃー
当たり前だが、「エビフライ」は名古屋発祥の料理ではないし、他所から来た料理をわざわざ名古屋弁で呼ぶ理由などないので、名古屋でも「エビフライ」は「エビフライ」である。一応、海老天を始めとして海老料理は元から盛んだったようだが。
ではこれが何なのかというと、タモリが1980年代に「にゃーにゃー言う名古屋人」をネタにして発言したのが元とされる。それにグルメ界が便乗して、「名古屋名物えびふりゃー」を定着させたのが実情らしい。

アニメ「遊戯王デュエルモンスターズ」のアニメオリジナルエピソードドーマ編」に対して漫画原作者がストーリーを高く評価したことについてのコメントとされるもの。
しかし、実際のところソースが不明で都市伝説的なものとなっており、本当に本人が言ったのかどうかがよく分かっていない。
ドーマ編終了時の次回予告で杏子が「考えさせられる戦いだったわね」とコメントを残しており、これが原作者の代弁なのではともされるが憶測の域を出ていない。

  • 有賀さつき「いちにちじゅうやまみち
旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたという笑い話の一種として伝えられている発言。
本当に「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたアナウンサーはいたことはいたらしいのだが、それは有賀さつきではなく、本人がTwitterで否定している。
発端はとあるバラエティー番組で、業界人の読み間違いを紹介するコーナーで旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたというフリップが出た際に『きゅうちゅうさんどうですよね?』と有賀さつき自身も間違えたことで「有賀さつきが旧中山道を読み間違えた」→「有賀さつきが旧中山道をいちにちじゅうやまみちと読み間違えた」と間違って伝えられたことが原因と思われる。

  • フジテレビ「嫌なら見るな
韓流問題に対するフジテレビの公式見解としてしばしば誤解されがちだが、実際にはナインティナインの岡村隆史がラジオ番組で発したもの。
しかも岡村は俳優の高岡奏輔がフジの韓流偏重姿勢を自身のTwitterで批判した問題について「見いひんねやったら、見いひんかったらええのよ。ただそれだけのことやのに、何で皆に言う必要あるのかと思ってしまう」と疑問を呈したにすぎず、上記の発言もかなり歪曲されていると言える。


▼言ったことは言ったが、意味が違う例

  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「もっと光を
臨終の際のセリフとされる。
文豪・思想家・科学者・政治家として波乱の人生を送った人物の最期のセリフだけに、なにやら哲学的な意味を読み取りたくなるが、
実際には「部屋が暗いから光を取り入れてくれ」という程度の意味だったと言われる。
……という話が有名だが、そもそもこのセリフ自体がはっきりした記録がなく、創作に過ぎないという説すらある。

また、ゲーテは多くの言葉を残しているため、ヨーロッパでは「とりあえずゲーテ曰くと付けておけば説得力が出る」と認識されており、
挙句には「ゲーテは全てを語った」なんてジョークまであったりする。

  • ジョージ・マロリー「そこに山があるからだ
登山愛好家が、危険をおして山に登る理由を問われた時の決まり文句。
哲学的とか言われがちだが、実際には「そこにエベレストがあるからだ」という意味の発言であり、世界最高峰に挑戦する喜びを表現したもので
そこまで深い意味があるわけでは無さそうである。
また、彼自身の発言かどうかも実はハッキリしていない。

  • ウィリアム・スミス・クラーク「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」
発言の存在自体が疑問視されていた時代もあったが、発言自体は講演の記録に残されており、どうやら事実だったらしいことが判明している。
ただし、後ろに「like this old man」(この老人=クラーク博士のように)という文章が続いていた。
全体を直訳すると、「少年よ大志を抱け、この老人のように」=「こんな老人でも頑張ってんだから、君たち若い者も頑張りなさい」程度のハッパの言葉の前半部分が切り取られ、名言として扱われたらしい。(諸説あり)
壮大ではないだけで、オリジナルの発言と意味合いはそんなに間違っていない様には思える。

  • トーマス・パー(オールド・パー)「頭寒足熱
152歳まで生きたと言われるイングランドの伝説的な長寿者で、その秘訣は「頭寒足熱」と言われるが、
原文は"Keep your head cool by temperance and your feet warm by exercise.Rise early, go soon to bed, and if you want to grow fat [prosperous] keep your eyes open and your mouth shut"
(節制によって頭を涼しく、運動によって足を暖かく保つ)であり、 物理的な温度の話ではないようである
東洋医学では気功でいう「偏差」や禅問答でいう「禅病」など、「頭が火照って手足が冷える不健康な症状」の概念があるので日本ではこれと混同されたという説も。
それにしたって生活習慣や意識の持ち方を改善して治すものであって、外から頭を冷やして足を温める健康法ではない。
ちなみに、寝る前に手足を温かくするのは放熱が促されて脳の温度が下がって安眠できるが、暖め過ぎると放熱どころか温度が上がってしまうので、
低温やけどの心配がなくてもアンカこたつ湯たんぽなど暖房器具の使用しながらの睡眠は良くないとされる。

  • ユーリ・ガガーリン「地球は青かった
前後の発言と共に引くと「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」というものであり、別に深い意味は無さそうである。
もう一つの名言とされる「地球は青いベールをまとった花嫁のようだった。しかし、どこを見回しても神はいなかった」に至っては完全な創作とされている。

  • ワレンチナ・テレシコワ「わたしはカモメ
世界初の女性宇宙飛行士が、宇宙から初めて発した言葉。
無重力空間の感覚を喩えたものと誤解されがちだが、この「カモメ」というのは、無線通信で使われるコールサイン*29であり、「こちらテレシコワです」という意味の地上施設とのやり取りにすぎない。
テレシコワが宇宙飛行ミッションを終え地上に帰還する段階に移行しようとしたとき、宇宙船の操作系に不具合が発生したため地上の基地と連絡を取ろうとして自身のコールネームを名乗って無線通信を試みたのだが、ミスで西側諸国の無線回線につながってしまい、彼女の発した「ヤー・チャイカ(こちら『チャイカ(=かもめ)』)」という発言が西側諸国側に放送されてしまったため一躍有名になってしまった。それがたまたま同じロシア(旧帝政ロシア)出身の戯曲作家チェーホフの作品「かもめ」の一節と被ってしまったためこのように訳されてしまったというのが真相である。
ガガーリンといい、彼女といい、旧ソ連の宇宙飛行士は、男女そろって発言を誤解されてしまったことになる。

  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト「俺の尻を舐めろ
かの音楽家モーツァルト作曲の「アレなタイトルの曲」として有名な一曲。
しかし、実はこのタイトルはあくまでも原文を直訳したもので、原題は当時ポピュラーだったスラングが元ネタとなっている。スラングとして翻訳するとしたら「消え失せろ」みたいな罵倒の意味合いである。
英語においても「Kiss my ass」という似たようなスラングがあり、直訳すれば「俺の尻にキスしろ」となるものの、こちらも「クソったれ」「畜生め」「ふざけんな」といったニュアンスであり、それに近い。
勿論モーツァルトが特殊な趣味を持っていたなんて話もない。(下ネタ好きではあったらしいが

  • 織田信長「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
信長本人のオリジナルではないという意味では「別人のセリフ」系にも含まれるケース。
「敦盛」の有名な一節であり、信長本人がこのフレーズを気に入っていたらしいことは史料から確認できる事実。
しかし、なぜか一部の作品では、「燃え上がる本能寺の中で命を諦めた信長が敦盛を舞いながら炎の中に消えていく」というまるで信長の辞世の句のような扱いを受けている。
実際、信長自身が50歳を目前に討たれるというまさに「人間五十年」そのままなシチュエーションに見えるためそう取られているのだろう。
しかし、この「五十年」は具体的な年月のことではなく単なる例えであり、信長自身の人生に当てはめるにはやや不自然である。
また、「にんげんごじゅうねん」と読まれやすいが、この当時の読みでは一般には「じんかんごじゅうねん」である。
そもそも信長の最期は明確な資料が乏しく、少なくとも信頼できる資料で「最期に敦盛を舞った」とは確認できない。
一応「信長公記」に信長が敦盛を舞ったことは書かれているが、それは桶狭間の戦いの前と伝えられている。

  • 柳生宗矩「剣術は人を斬る為だけのものではない(活人剣)
某剣客漫画などフィクションで“不殺の剣”として取り上げられることも多く、「兵法家伝書」でもそのような意味と解釈されることがあるが、“不殺の剣”は現代になってからの意味である。

元々は徳川秀忠とその息子、家光の剣術指南役をしていた剣豪、柳生宗矩が「兵法家伝書」にて提唱した思想。
戦国時代が終わりを迎え、剣術の存在意義を新たに求めたものであり、それまで主に戦場での一技法に過ぎなかった武術としての剣術を、人間としての高みを目指す“武道”に転換していく発端となった。

「兵法家伝書」ではこの後に「人ではなく、悪を斬るためのものである」と続く。
つまり「一人の悪を倒し(殺し)、万人を救う(活かす)ためのものである」という、いわば“一殺多生”の考えであり“不殺の剣”という意味はない。
因みに「兵法家伝書」にはこのような思想だけでなく、実戦の際の心得なども記載されている。
また、『活人剣』は元々は禅語である。

①禅語の活人剣:仏教の禅宗でいう修行者の指導方法の一つ。剣法の真剣に例えたものであり、相手を受け入れて進ませること。
②新陰流の活人剣:敵を動かし(活かし)、それに乗って勝つ技法。後の先のカウンター。
③兵法家伝書の活人剣:一人の悪を殺して多数を活かす思想。
④現代の活人剣:人を殺さず、人を活かす為の剣(※ただし、必ずしも『不殺』が入るとは限らない)。

また①~③の読み方は正確には『かつにんけん』*30で、対になる言葉は『殺人刀(せつにんとう)』である。
「活人剣」の対の概念としてよく出る「人を殺すための剣」というイメージの「殺人剣」は活人剣の意味が変遷したからこその産物だが、④以外には当てはまらない。もともとは新陰流剣術の用語で、構えや立ち回りによって相手の動きを「封殺」、然る後自分から切り込んでゆく「能動の剣術」を意味する。
ちなみにフィクションを中心に④ではなく、③の意味が用いられることも多い。

推理作家のロナルド・ノックスが提唱した、推理小説における十ヶ条の事。
「本格推理小説が厳守すべきルール」として作られた真面目な物だと思われがちだが、
実際には「その手のルールに縛られがちな本格小説」を皮肉ったジョーク的な意味合いが強く、別に「推理小説家はこのルールを守るべき」なんて意図で作られた物ではない。
しかもノックス自身普通に十戒を破った作品を書いているうえ、後年「なんであんなもん考えたか自分でもわからない」とまでぶっちゃけている。
自分より先に売れたコナン・ドイルに対する嫉妬交じりの当てつけとも言われる。

同様のものに、奇しくも同年に推理作家のヴァン・ダインが書いた「ヴァン・ダインの二十則」があり、こちらは評論として真面目に書かれたもの。
ノックスに奮起されて作った可能性はある。
しかしこれも「俺が思う推理小説はこう」みたいな個人的な一意見にすぎず、これを破っているから駄作などという使い方は的外れもいいところである。
ましてやこれが書かれたのは1928年であり、到底現代の多様化した推理作品にそのまま適用できるものではない。

ただし「ノックスの十戒」のページにもあるように、ミステリ作家を目指すのならば把握しておいて損は全くない。

  • 犬養毅「 話せばわかる
5.15事件で暗殺された当時の大日本帝国内閣総理大臣の最期の言葉とされ、暴力を前にしては言論など無意味な一例とされたり、命乞いの台詞なんかで引用されることも多い。
だが実は発言した状況があまり知られていない上、最期の言葉でもない。

実際には、犬養首相は自宅に押しかけて来た青年将校たちを恐れるどころか堂々と出迎え、殺気立つ彼らと向けられる銃口を恐れるでもなく*31
客間に案内して煙草を勧め、「 話せばわかる。 話せばわかるじゃないか」と言って問答を始めたが、血気に逸った一人の将校が突然「問答無用!撃て!」と叫び、
遅れて客間に現れた将校がその言葉を受けて咄嗟に発砲したことをきっかけに、問答をしていた将校たちも次々に発砲した…という顛末であった。
また、銃撃によって重傷を負ったものの、犬養首相は即死せずに意識もはっきりしており、治療されながらも心配する周囲の者を「胃にたまった血が出ただけだから大事無い」と逆に励ましかけ、
駆けつけた女中に「 私を撃った者を連れて来い。言って聞かせてやるから 」とさらに彼らと話そうとする意思を見せるほどだったが、次第に衰弱し、その日の深夜に亡くなった。
つまりこれは言論による相互理解を最期まで信じた信念から発せられた言葉で、決して言論の無力を現した言葉ではない。

  • 平時忠「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし
現代語で直訳した「平家にあらずんば、人にあらず」は説明不要の日本史上屈指の名台詞とも言えるであろう。
このような他者を人とも思わない傲慢さによって、平家は滅亡へと向かった……

という風に捉えられることも多いが、このセリフの中の「人非人」とは「宮中で出世が出来ない人」という程度の意味だったというのが有力。
すなわち「平家じゃなきゃ、出世は無理」という程度のニュアンスであり、嫌味ではあるが直訳から受けるインパクトほどの暴言ではない。
他にも
  • 他人から「いやー平家流石っすね。平家じゃなければ人じゃない勢いじゃないですか」とお世辞を言われて「そーですなー」と相槌を打ったら時忠が言ったことになってしまった。
  • 急に栄華を得た平家は宮中で睨まれている。平家以外を敵だと思う勢いで一門の結束を固めようと言う趣旨だった。
など、傲慢とばかりとは言えない解釈もいくつか指摘されている。

なおこのセリフはしばしば平清盛と関連付けられることが多いが、時忠は清盛の義弟であり、平氏は平氏でも血縁はものすごく遠い。
また、時忠は政治家としてはかなり優秀な人物であり、平家滅亡後も策を駆使して生きながらえていた。
能登(石川県)に流されたもののそれなりの待遇は受けており、死んだ際には源頼朝さえも有能な人物と一定の評価を得、息子は公卿になっている。
清盛も後年権力争いで苛烈な部分を見せてはいるものの、源氏一族の処刑はしてないし、
礼儀正しく身分が低い者にも
優しかったらしいため、直訳と人格を結びつけるには無理があるので注意*32

  • ダグラス・マッカーサー「日本人は12歳の少年
日本ではマッカーサーバッシングにまで発展したマッカーサーの問題発言。
しかし、全文を読めば年齢に喩えられているのは開国後に限った話で「(過ちを犯したのは)物を知らなかっただけ」「まだ伸びしろがある」「幼いのでまだやり直しができる」といった風に、
むしろ擁護する意図(ひいては自分の占領政策がぬるいという意見に反論する意図)で子ども扱いされている事がわかる。
というか、そもそもこの発言の本来の主題はドイツの方であり、「成熟していたにも関わらず過ちを犯したドイツ」と対比させるために使われた表現だったりする。

  • 三波春夫「 お客様は神様です
三波の職業を考えれば言うまでもないことではあるがここで言う「お客様」とは聴衆のことであり、
三波の宗教観における観客の歓ぶ芸の披露とは、澄み切った精神で完璧な芸を披露する神々への奉納に等しかったという。
要は わざわざ来てくれたんだから、神様にお見せしても恥ずかしくないような完璧な舞台を披露しなければならない という事。特に芸事をやっている方は頷けるのではないだろうか。

断じて買い物客や営業先のクライアントは何をしたって良いという話ではないと、 三波春夫オフィシャルサイトにわざわざ解説ページが作られている
むしろモンスタークレーマーに対する警句とも取れ、近年では創作物でも「芸事をしている人物に対して『先人もこういう風に言ってるんだから、パーフェクトな芸を見せるつもりで行け』と激励する」のように、本来の三波の意図通りに引用するケースも増えてきている。

  • 高橋利幸「ゲームは1日1時間
親からしつけとして聞いた事も多いであろう。
元ハドソンの高橋名人こと高橋利幸が確かに言った名言であり、決してゲーム規制派の主婦や専門家などが提唱したわけではない。

1985年7月26日のダイエー香椎店で行われたイベントで、高橋は参加者に対し、
テレビゲームが上手くなりたいなら、1時間だけ集中してやるのがいいんだよ。後は外行って遊べ
Business Media 誠 より引用。以下同)
と話した。

この言葉はハドソン社内でも話題となり、以下のような標語が作られた。
ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人
ここからは「長時間のプレイを辞めろ」というゲーム依存症への警鐘というよりは、「未来のために勉強して、外でも遊ぼう。成績が上がればゲームも楽しく遊べる」という趣旨が読み取れる。
つまり「ゲームとそれ以外を両立させなさい」という意味なのだ。


上記の発言・標語は全て本物であり、趣旨も基本的には正しい。
それゆえ「ゲーム時間を規制するための言葉ではない」と解釈されやすいのだが、それは間違いである。

高橋が回顧して語った事によると、件のイベントがあった当時、
  • 子供は1つの事に夢中になりやすく、ゲームを1日に何時間も遊んでしまいかねない
  • 特にこれからファミコンに触れる小学生は、ゲームセンターのインベーダーブームを知っている
  • すると母親は、子供が大きくなったら(当時不良のたまり場として子供達が入場禁止になった)ゲームセンターに行くのではないかと不安になる。
  • ゲームと不良が結び付けられ、母親に(あるいは社会的に)禁止・規制されてしまう
という危機感があったが、「時間を制限して遊べ」と直に言っても守らないだろうと考え、「1時間だけ集中してやるのがいい」と口にしたのだと言う。
つまり、実際は1時間の規制ありきの言葉であり、子供にゲームを制限させる為の言葉で正しいのである。
もちろん、ゲーム嫌いが理由ではなく、子供からゲームを取り上げさせない=子供が納得できる形で制限するための言葉ではある。
また、ゲームに健全なイメージを持たせ、世の中に広めていくための作戦だったとも言えるだろう。

一方で高橋は、
「「1時間でかっちりやめなさい」ということではなく、「みんながこれから覚えなきゃいけない遊びはもっといっぱいあるのに、テレビゲームしか遊んでなくていいの?」という点が重要」
「子どもたちが成長する過程で、鬼ごっこで外を走ったり、かくれんぼでどこかに隠れたりと、いろんな遊びで知恵を付けてほしいのですが、そういう時期にテレビゲームだけというのは良くないと思うのです」
とも述べているので、前述した「ゲームとそれ以外を両立させなさい(いろいろな経験を積みなさい)」という意味合いも確かに存在する。

つまり、「ゲームを健全なものとして売りたい」という会社的事情と、「子供には様々な経験を積んで欲しい」という高橋の想いが重なって生まれた言葉だったのだ。

ちなみに、ゲームと勉強の両立という点では「ゲームは1日8時間(…と、8時間以上勉強)」を浪人中延々繰り返し東大に入学、卒業まで果たした、格ゲープレイヤー「ときど」のエピソードが有名。
某カードゲームではフルバージョンで引用されている。

  • 中畑清「空が見えないところで野球をするのは寂しい。
東京ドーム完成当時の巨人軍の選手のコメントとして、「風雨や寒暖を心配する必要がなくなった」と多数の選手が歓迎するコメントをする中、
中畑一人が屋根付き球場を喜ばなかったとする文脈で野球ファンの中で引用される。
しかし原典を確認すると、「空が見えないんじゃ星の数だけホームランを打ちたいなんて夢もわかないんじゃない?」と、「寂しい」とするといささかニュアンスが強すぎるのである。
しかし元となったコメントもまた、野球の原点を認識させる名文となっており、なんだかんだで冒頭の引用句も間違いではないのである。

  • モンキー・パンチ「これは僕のルパンじゃない。
パンチが『ルパン三世 カリオストロの城』を試写会で見た後の台詞。捉えようによっては、「これは『ルパン三世』と言えども、あくまで宮崎駿が作ったものなんだ、僕が作り上げた『ルパン三世』とは違う」という批判的な意見にも見える。しかし、実際にはパンチは「これは僕のルパンじゃない。僕には描けない、優しさに包まれた、宮崎さんの作品としてとてもいい作品だ」と作品を絶賛しており、最初の一言のみが大々的に取り上げられてしまったことが原因である*33。後にパンチは「(件の発言の)後半の部分が削られて、最初の一言だけが大きく取り上げられちゃいましてね(苦笑)。僕のルパンは毒って言うか、目的のためなら手段を選ばないところとか*34、欲望とか人間の汚いところとか持ったキャラクターですからね。あんなに優しくは描けないなあ」とも語っている。

  • 宮崎駿「Anime was a mistake.(アニメは間違いだった。)
宮崎駿が2013年のドキュメンタリー「夢と狂気の王国」で言った台詞についた英語の字幕とされるもの。
本当は「(日本のアニメーションはね。観察によって基づいてない。ほとんど。)人間観察が嫌いな人間がやってんだよ。だからオタクの巣になるんだよ。」と言っていた。
2015年にTumblrユーザーが投稿した嘘字幕だったが、日本の萌えアニメばかりの現状を憂いて言っていそうだったため海外のアニメファンの間で浸透してしまった。
言ってない台詞だということが発覚した現在も、台詞を改変したネタが用いられるなどしている。

  • Discord「NINTENDO FUCKKKK
E3での任天堂が発表した少し後にボイスチャットツールDiscordのツイッター公式アカウントが発したコメント。原文ではKが文字数限界まで打たれている。
これは「あつまれ どうぶつの森」の発表にDiscordのスタッフが歓喜の勢いで呟いたものである。
まとめサイト(とくにゲハ系)では「スマブラへの新規参戦に対する歓喜などでサーバーが落ちたので任天堂にキレた」との解釈が目立つが、そもそもサーバーが落ちた記録はない。
さらに激怒の意味ならば「FUCK NINTENDO」とする方が自然で、このツイートのように名詞を先にするのは驚き・感動の意味合いの方が強い*35

  • うえだゆうじ「オタクは臭い。醜い。気持ちが悪い。
色々な事があって*36オタクのことを嫌っているとされる声優・うえだゆうじが過去にネットで発言したとされるコメント。確かにうえだはあるHPにおいてこの題名で記事を書いており*37、ド直球なオタクへの批判と受け取ってしまってもおかしくはない。が、実際にその記事の内容を要約すると、
「どうしてああも匂うんだろう。悪臭とかって意味じゃ無く、醸し出す雰囲気と言うか、立ち上る気のようなものがね」
「憧れの人に会いに来たはずなのに、どうして着るものにさえ無頓着でいられるんだろう。印象は良い方がいいだろうに」
「話しかけ方も変な人がいる。ちっとも相手に心配りなんかしていない。仕事に集中したり、くたびれたりしているはずだろうに、自分の事ばっかり。ちょっと自己顕示欲強すぎって感じ」
「大きいお友達って侮蔑的な意味でよく呼ばれているけど、子供のショーの前の方の列にたかっているのはやり過ぎ。ちっちゃい子が見えなくて可哀想です。質が悪いです」
と、立ち振る舞いや身だしなみ、自己中心的な態度やマナーなど、はっきり言ってしまえば人としてどうなのか?と思わせるような最低すぎるファンを痛烈に非難しているものである。決してよくある根拠の無いオタクバッシングとはわけが違うのである。上記の文章を読んで思うことがあるオタクの方は、少しでも生活習慣や他者への接し方を考え直してみるべきであろう。

▼間違って覚えられている例

  • オットー・フォン・ビスマルク「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
本来の発言は「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」
「他人の経験」を「歴史」と訳すのはかなりの意訳であるし、歴史の勉強を勧める発言ではない(しないよりはマシであろうが。そもそも歴史とは過去の他人の経験であるし)。

ちなみにマムルーク朝のスルタンのバイバルスにも同様の逸話がある。



  • ケネス・アーノルド「フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)
おそらく世界一有名なUFOの目撃者である彼が、自分の目撃した物体を表現した言葉とされている。
昨今のUFO=円盤型というイメージを決定づけた言葉だが、実は後に彼自身がインタビュー内で「物体が円盤型だったと言った訳ではない」と否定している。
物体について「皿の様だった」と証言したのは事実だが、本来は「物体は水切りの皿の様な飛び方だった*38」と言う意味であり、
それが何故か「物体は皿の様なだった」と間違って報道されたというのが実際のところらしい。
肝心の物体の本来の形状の方はと言うと、一応当時の文書に「円形に見えた」という記述自体は確かにあったものの、同時に「すぐに形を変えた」という記述も残っている他、
後年「一緒に三日月状の物体も飛んでいた」という証言まで出ており、結局は遠過ぎてよくわからなかったというのが実際のところのようである。

  • ユウェナリス「 健全なる精神は健全なる身体に宿る
当時のローマを「パンとサーカス」と風刺した『風刺詩集』の一節で、
財や才能、力、長寿や美を願う愚かさを説き、願うとしたら健全なる精神が健全なる身体に宿ること。即ち忍耐と克己心を勧めるのが真意。

「身体を鍛えれば精神も健康になる(だから身体を鍛えろ)」みたいな使われ方をされがちだが、
本当は「慎ましやかに生きましょう」に近い意味であり、どちらかと言うと肉体の鍛錬より精神の修養を重視した言葉と言える。
前半を読めばむしろ、過剰な力や体力を求めた場合、それは「健全でない精神」ということになる。

ちなみに現在の意味で使われるようになったのは近代になってからの話であり、
各国*39が軍国主義化を進めるに当たり、兵士を鍛える際に都合のいい部分だけを切り取ってスローガンにしたのが始まりとされている。

なお、一時期ネット上では、原文では「健全なる精神は健全なる身体に宿れかし」であって、「健全なる精神は健全な身体に宿ればいいのに(でも実際はそうもいかない)」という意味だ、というトリビアが広まったこともあるが、ユウェナリスはローマ市民に健全な精神を獲得するよう強く求める文章の中でこの言葉を使っているので、明確にガセである(いわゆるガセビア)。
もっとも無から湧いて出た誤訳というわけではなく、古くは太宰治が「正義と微笑」内で「原文は宿れかしであって皮肉である」と書いており、また小林よしのり氏も『続ゴーマニズム宣言』の中でそのように述べている。こうした作家たちの誤解が、ガセを拡散する一助となったものと考えられる。

  • 古舘伊知郎「テレビはウソしか伝えていない」
アナウンサー古舘伊知郎が週刊誌で言った発言とされているが、実際には別の人物が彼の発言を要約した物である。
また、元の文章も「新聞も雑誌もテレビも」とテレビに限った話では無く、件の内容も本来は「表面的な事象だけで本質を伝えていない」という程度の物である。
この発言を古舘伊知郎のものとして引用するのは不適切である。

有吉佐和子が『テレフォンショッキング』に出演した際に吐いたとされる暴言。
実際には「これから俺とタモリさんのコーナーがあるから帰ってよ!」と言った感じのやりとりをしていただけである。
その後に有吉が急死した為か放送分がお宝映像として流されず話として取り上げられた程度なのが引き金となり噂になってしまった。

  • 石田純一「不倫は文化
正確な発言は「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」と言う物で、微妙にニュアンスが異なる。
マスコミによる捏造として有名。
また、この発言自体川島なお美の受け売りだという話もある。

1989年の日本シリーズは激しいマイクパフォーマンスが繰り広げられたが、近鉄が王手をかけた第3戦終了後に加藤がこの発言をしてしまった事で駒田を始めとする巨人ナインが奮起。
近鉄が日本一になるチャンスを逃した野球屈指の迷言。
しかし、実際には「怖さのないチーム」などの発言がメインで加藤曰く「一言も言っていない」「メディアによる誇張」だという。

  • 桂歌丸一度でいいから見てみたい 女房がへそくり隠すとこ
元々は『一度でいいから覗いてみたい』という言葉の後の7・5を考えて都都逸を答える問題だったのだが大して意味が変わらないためかこっちで覚えられていることが多く、師匠が本人役として出演したアニメにもこの言葉が書かれた色紙が登場する。

元々は「タマモクロスとマキバオーは境遇が似ているんですよ」。実際にはファンがモデルではないかと推察していただけ。
本当に発言している「カスケードのモデルはフジキセキ」と混同されたものと考えられる。
なお、『みどりのマキバオー 黒い稲妻 白い奇跡』というPSゲームが存在しており*40
JRAが運営しているサイト「Umabi」においても『「ミドリマキバオー」はタマモクロスがモデルと言われています」』と紹介されているなど
当時から有名なネタであり、『ウマ娘 プリティーダービー』のファンがこの勘違いを推し進めているというのは誤解である*41
後にウマ娘のスピンオフ漫画作品「シンデレラグレイ」とのコラボが行われ、(ウマ娘の)タマモクロスとマキバオーが併走しているイラストが掲載された事から*42
少なくとも集英社は事実上黙認しているような状態となっている。
肝心の作者はこのコラボに関してどこか他人事のようなコメントを出しているためなんとも言えないが。「うんこたれ蔵」なんて名前のキャラのモデルとは公言しにくいから言ってないとの説も

ちなみに続編「たいようのマキバオー」の主人公ヒノデマキバオーはモデルがハルウララであることが明言されているほか、「フジキセキ、(ピーターⅡ・アマゴワクチンのモデルであろう*43)ビワハヤヒデ・ナリタブライアンと近い時期の競走馬」「東京優駿勝利」、そしてなにより「父タマーキン、母父マルゼニスキーはそれぞれトニービンとマルゼンスキーを指している」として本当のたれ蔵のモデルはウイニングチケットではないか?とする説もある*44が、こちらはそもそもつの丸の発言そのものが無い。チケゾーは全然白くないし。
もしミドリマキバオーにモデルが存在するとしたら、「特定の1頭」よりも「複数の実在馬をミックスして創作した」の方が近いのかもしれない。

  • 吉田茂「バカヤロー!!
1953年3月14日に起きた衆議院解散(通称「バカヤロー解散」)の発端となった台詞だが、吉田首相が激怒し「バカヤロー!!」と大声で叫んだがために議会が紛糾し解散に追い込まれた、というのは誤り。
実際は同年2月28日の予算委員会で、社会党の西村栄一議員との論戦のさ中、席に着きつつ小さな声で「ばかやろう」と呟いた程度である。
それを西村議員が「ばかやろうとは何事だ!!」とまくし立てたことで騒動が広がった。
吉田は発言を撤回し、西村も受け入れたものの、社会党から懲罰動議が出された上に内閣不信任案まで可決されることとなり、解散となった、というのが真実。
吉田茂を扱った作品ではやや誇張して描かれやすい*45のも誤解が広まる要因か。

当時の論戦は現在も国会会議録で読めるが、発言が撤回されたため、「ばかやろう」に当たる部分は「―」で伏せられている(つまり公的には「言ってない台詞」扱い)。

  • 毒蝮三太夫「クソババア
高齢者を中心とした音楽ラジオ『ミュージックプレゼント』で親しみを込めてリスナーに暴言を吐くことで有名な毒蝮三太夫氏…だが、「ババア」「ジジイ」と呼ぶことは有っても「クソババア」と呼ぶことはない。
これは本人のみならずラジオスタッフや付き人も認めており、「基本的に蝮さんは元気な人にしか『ジジイ』『ババア』と言わない」と言う信念があってのこと。

▼誰が言ったのかわからない例

  • 無能な働き者は殺すしかない
「有能な怠け者は将軍(司令官)にすると良い。有能な働き者は参謀にすると良い。無能な怠け者は兵士、または連絡将校にすると良い」…と来て、最後にこう結ばれる。
主にフィクションにおける軍隊の組織論で登場するが、文脈が簡潔で使い勝手がいいので「バカは何やってもダメなんだから、せめて大人しくしていろ」(あるいは本当に殺害する)という意味で頻繁に引用される。
しかしこの言葉、ドイツ帝国の軍人ハンス・フォン・ゼークトの言葉とされる事が多いが(ネット上ではとある軍事漫画にて上記の分類を"ゼークト流"と称し、兵士の配属について語る1シーンが有名か)、彼の著書にそれらしい記述はない。
またゼークトと同時期の軍人、クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトのものが改変された。ともされていて比較的信憑性が高い説のようだが、こちらも証拠はない。
そのハンマーシュタインの理論も、「愚鈍で勤勉な兵士には責任ある役を任せてはいけない」といった感じで、こちらも「殺すしかない」などとは言っておらず意味合いは全く異なる。
真っ当な軍略家であれば、戦争で重要な兵数が減る・残った兵にとっても精神面に悪影響が及ぶ・最悪暗殺や造反される…等々、色々な意味でローリターンハイリスクの極論であることは分かるはずである。

  • 嘘も百回言えば真実になる
この項目の存在自体が、この言葉の証左とも反証とも言える。
名前を言ってはいけないあの民族の諺とも言われるが、明確なソースはなく、どこが初出なのかは不明。
アドルフ・ヒトラーの言葉という説も聞かれるが、これは彼が使った「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい」という言葉と混同されたものと思われる。
またナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスもこの言葉を使ったとされることがあるが、実際には言っていない。

  • 柔能く剛を制す
元々は太公望が書いて黄石公がまとめたとされる古代中国の兵法書『三略』に載っていた言葉。
しかし年代的におかしい記述が多々あり、本当に彼らが関わった物なのか疑問視されている。
また、現在では主に「柔らかくしなやかな者の方がかえって堅く強い者相手を制圧できる」的な意味で使われているが、
本来の文脈では「柔和な者でもやり方次第で剛直な者を制御できる」という性格的な意味で使われた言葉だったりする。
ちなみに「剛能く柔を断つという言葉とセットになっている」というのは都市伝説であり、現在の意味になった(柔道が広まった)後に付け足された言葉だと思われる。

厳密には正しい引用とは言えないかもしれないが、
柔道の理念・理屈の一つとしてはおおむね前者の解釈がふさわしいので基本的には問題がない。

  • 人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である
バラエティ番組「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」の冒頭で毎回、アイザック・アシモフの名言として流れていたが、典拠は不明でアシモフ研究者もわからないそうである。
放送開始以前に出版された唐沢俊一(番組のスーパーバイザーも務めた)の著書『トンデモ一行知識の世界』にも同じくアシモフの名言として載っており、典拠はアシモフの一行知識の本と書かれているがそれに該当しそうな著書には記されていない。この唐沢本は内容について疑義が呈されている部分が少なくなく、これも同様である。だが無いことの証明は難しく、言ってないと断定はできない。

それが理由かは不明だが、放送途中でアリストテレスの『形而上学』1巻冒頭の文「全ての人間は生まれながらにして知ることを欲する」に変更された。

  • 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
「思考を変えれば人生が変わる」という、いわゆる「引き寄せの法則」系の格言。SNSなどで主にうさんくさい情報商材屋の手でシェアされ、頻繁に話題に上る。
日本ではマザー・テレサの名言として紹介されることが多いが、出典は不明。アメリカでは「中国の古い格言」ということになっているが、やはりこちらにも根拠はない。その他にはブッダやガンジーが似た意味の言葉を残したと言われているが、いずれも後世の創作である可能性が高い。

▼意訳により原文から意味合いが変わってしまった例

本人の自伝「急降下爆撃」の一節で、ルーデルが部下を鼓舞した時の発言とされる。
ドイツ語の原文は「Verloren ist nur, wer sich selbst aufgibt!」であり、直訳すれば「失われるのは自分を諦めた者だけだ!」となる。
以上の通り、「真に価値無き~」の部分は原文には含まれておらず、翻訳者の意訳により追加されたものである。
2019年に出た新訳版では「自分を見放したらそれこそ負けなのだ!」となっており、比較的原文に忠実な翻訳となっている。

▼存在しなかったが後に本人が発するなどして「嘘から出た真」になった例

  • 長州力「キレてないですよ。俺キレさせたら大したもんですよ」
くりぃむしちゅーの有田や長州小力が物真似のネタに使った長州の試合後のワンフレーズ…という事になっているのだが、
実はこれは正しくは「キレちゃいないよ」が正解。有田が間違って覚えた上でネタにし、それを小力にアドバイスして後に小力がブレイク、更にこのフレーズが流行った当初長州本人がこのインタビューとその受け答えの内容を覚えていなかった…、と悪循環になったのだ。
さらに補足すると、この二つの文は実際は別々の場面で発言したものである。
まず長州が試合に敗れた後の
インタビューで「キレたんですか?」と問われて「俺キレさせたら大したもんだよ」と答え、
その翌月の試合に勝利した後のインタビューで同じ質問に「キレちゃいないよ」と答えた。
つまり、この台詞は本来一連のものではなく別々のもので、時間軸的には後ろにきている「俺キレさせたら~」の方が先だったのだ。
このように間違って広まってしまった事もあり当初は長州も「あれはマスコミが作ったもの」と苦言を呈した傍ら、このフレーズが元でプロレスブームが去りつつあった2000年代に長州が再び脚光を浴びたのも事実であるため、長州は小力に対し「小力のおかげで俺も覚えてもらえるし家族全員小力の大ファン、全然キレてないですよ」とのメッセージを残している。
さらに長州が「キレてないですよ」と言っているLINEスタンプまで配信されている事もあり、結果的にこの名言は「嘘から出た真」という形になった。
また、この発言を巡って「長州、小力、有田も交えて当時の発言をビデオで確認する」という特集がテレビで放送された事がある。その際上記の経緯が明らかとなった際、長州は全面的にこの発言を認めたほか、間違って覚えた有田や小力を咎めるような姿勢は見せていないため、この発言を巡って3者でトラブルになるような事態には陥っていない。ただしくりぃむしちゅー有田はまたも間違った発言をしかけていた。

  • SUSURU「啜る~! 殺すぞ~!」
ラーメン系YouTuber、SUSURU氏が「濃厚とんこつ豚無双」と言う店をレビューした時の音声…ではない
ネタ系のツイートや動画をTwitter上にアップしているラーメン珍道中氏によるあまり似てないモノマネである。
穏やかな性格であるSUSURU氏が言いそうにない台詞が大いに受け、2021年8月時点までで約2.8万いいねと1.2万リツイートを記録。「SUSURU氏やラーメン珍道中氏の事はよく知らないけどこのコピペは知ってる」と言う人も増え、他作品のキャラクターによる二次創作イラストや多数のMADムービーが製作された。
これらの動画はSUSURU氏も見ており、翌月には本人による読み上げ動画が発表された。
下手をすればイメージを損なわれかねない内容であったにも関わらず、快く協力をしてくれた事からSUSURU氏の知名度向上に大いに役立った…のかもしれない。


余談

これらの言葉を偉人が言ったというのは創作に過ぎないにしても、それが名言として語り伝えられてきたのは、その言葉の力とその偉人の魅力の賜物に他ならない。
そういう側面は忘れてはならないだろう。
一番最初の言葉にどこか間違いがあったとしても、そこからの全ては紛れも無く本物であるのだから。

ただし、そうした「言葉の重さ」に適当に乗っかろうとした結果、時として赤っ恥をかく事になるのはそれを言う側である。
なのでやっぱり言った言わないも大事な事なのだ。主に我々の面子の為に

また、中には当該偉人の負の側面などを象徴するエピソードとしてこうした名言・・・いや迷言が扱われるケースもある。
しかし、これらは後世やマスコミ、ネット民の印象操作等によって、正しい意図ではなく、捻じ曲げられて伝わってしまうケースも後を絶たない

好意的な文脈で取り上げられる名言であれば、本人も「まあいいか」という大人の対応をしてくれる場合はあるかもしれない。
だが、「何がセーフで何がアウトか」を実際に判断するのは、我々ではなく「言った事にされた方」であるという事を肝に銘じておこう。





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最終更新:2022年09月16日 18:27

*1 本人の著書『第二次大戦回顧録』からの引用とされることもあるが、原文にそのような下りはない

*2 「自国の要求を『無理難題』と表現している」「政府の外交姿勢の話のはずなのに一貫して表記が『日本人』」「日本語の微妙な言い回しがやけに正確」等

*3 『劇場版仮面ライダーゴースト』に由来するネタで、こちらは「ダーウィン本人ではあるが、そもそも創作物」というパターン。本編ではこのあと「ありがとうタケル君」と主人公に礼を言って終わる。

*4 少なくとも大山が特攻兵だとか、過去にチンピラを殺しその妻子に罪を償うために一年間農作業をしていたとか、馬殺しを名乗る空手家と100人抜きをやったとか言うのは確実に嘘である。

*5 ここから、選挙に行かないことを「寝る」と称するネットスラングが生まれて、現在でも使われている。

*6 なお、トレードで移籍されてきた松永は移籍年では故障するなど期待されていた程の優れた成績は残せておらず、またトレードの相手となった野田浩司はその年に最多勝を獲得、翌年以降は優勝に貢献したり1試合19奪三振の日本記録を達成したりとオリックス・ブルーウェーブで活躍していた。そんな状況の中で1年で阪神を出ていった松永に対して発言に関係なく悪感情を持っているという阪神ファンの存在は現在でも少なからず見当たる。

*7 厳密に言うと、コピペの原型となった書き込みを改変して現在の形にした人物

*8 「当時アシだったむぎわらしんたろう先生に翼竜の作画を頼む→描く→先生が一瞥したら直後に「そこの関節はそれだと間違ってるよ」と怒られてしまった」とか

*9 本人インタビューや、アシスタント経験者の回顧漫画などから確認できる

*10 「幽白末期にストレス解消のため一人で書いた」などの発言は明確にソースがあるが、ハンタでもアシスタントを雇っていないというソースは存在しない。それどころか同作のコミックスではアシスタントとのお絵かき企画が掲載されていて、作中でもそれと同じ画風のモブが確認できる。また、王位継承戦突入後に「ジャンプ流」で取り上げられた際には、五人ほどのスタッフが確認されている

*11 噂では「こんなことして楽して儲かる」的な動画作成の情報商材が出回ったという話だが、残念ながら証拠がない

*12 手塚の没年が1989年、尾田の漫画家デビュー年が1997年なのでどうやっても年代が合わない

*13 実際にアニメのレギュラーキャラには、そもそも人型ではないキャラと「明らかにデデデ大王以上に高頭身、ではない人型キャラクター」しかいない。テレビ通話の画面をトリミングして普通の人型体形っぽく見せてたやつはいたが…

*14 一応付記しておくと、この画像はウクライナ侵攻よりかなり前から出回っていたため「実際の戦争についての不謹慎ネタ」や「ウクライナ支持・ロシア批判」は目的としていなかった可能性が極めて高いことに注意

*15 東映側も氏が「連絡をとって了承を得た」のを言及している。一説にはここで「こちら側もロボコップネタを1作作らせてほしい」にokが出た結果が『機動刑事ジバン』、とされるがこれはソース不明

*16 ゴールドシップ号の馬主。

*17 ダイワスカーレット号の馬主。

*18 スカーレットの固有勝負服にファーがついてるアレ

*19 「ウオッカよりもかわいくしてください」、としているバージョンもある模様?これならむしろ馬主として自然な感情だろう

*20 むしろイラストレーターさんが変わったことで、現在の公式立ち絵は縮んだようにも見える

*21 日本ではパン屋で売られている事もあるためパン扱いだが、フランスでは菓子パンなどの甘いパンはお菓子として扱われる

*22 なおルソーの自伝が出版されたのは彼の死後であり、その頃のマリーの年齢は20代半ば。

*23 一方のマリーは、王家の味方を厳格な君主主義者だけに限定する傾向があった。彼女は民主制や近代的憲法を「唾棄すべき作品」と呼び、革命家を、さらには君主制をどうにか守ろうとする立憲君主主義者さえをも一まとめに「過激派」と呼んでいた。マリーいわくフランスは「唯一の指導者」に統治される君主国であり、「過激派」を倒すために実家オーストリアや諸外国に軍派遣を頼んでいた。彼女を処刑する理由は「機密情報の国外への漏洩」と宣告された。ただし、「首飾り事件」を含む多数の冤罪も押しつけられていた。

*24 王妃であるにもかかわらず子供たちのために家庭菜園や農園で食材を賄い、子供たちのおもちゃですら自作する等。しかし経済政策は理解できておらず、財政問題解決にはならなかった。

*25 要約すると「酷い事だと思うが、軍人である以上命令に従わない訳にはいかなかった。なぜ上の命令に従っただけで有罪になるのか」(実際には死刑判決が確定)。またこの際には「『我が闘争』は読んでいない」とも発言している。一応付記しておくと「敗戦国側に厳しい・戦勝国側に甘い」というのは複数の戦争犯罪裁判において指摘されている問題ではある

*26 「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、及び幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という部分

*27 実際、福沢諭吉の著者名義で『脱亜論』が後世に刊行されてしまっているケースが多い事も拍車をかけている節がある

*28 一応「あらやだ」とは言うが。

*29 アニヲタ民に著名なもので言えばウルズ7とかああいう感じ

*30 ④は『かつじんけん』と読む

*31 ちなみに襲撃犯の一人は出会い頭に銃の引き金を引いており、不発に終わらなければそこで自身が死んでいた可能性もあるにも関わらず、「撃つならいつでも撃てる」と告げ、後述の通り「話をしよう」と彼らを部屋に案内したという。

*32 彼の悪逆非道さをアピールしている平家物語は小説に近いところがあり、鵜呑みは厳禁だとされている

*33 この後のルパンは宮崎による「いざとなれば各種『やむを得ない、荒っぽい判断』は取れるが、本質的には優しく、また不必要な殺しや被害はあまり好まないルパン三世」で固まっていったのはご存じの通り

*34 実際パンチ先生の原作のルパン三世は、アニメなら諦めて撤収する・次元や五ェ門に乗り物だけ破壊させて足止めするなど一時的に無力化するだけで済ませるような場面でも「スルーすると自分の身がマズいのでここで殺す」選択を取っている

*35 日本語の「ヤバい」に近い

*36 マナーの悪いバカに白いアレを送り付けられたり。

*37 2001年に書かれた文章だが、インタ―ネットアーカイブから現在も閲覧可能

*38 平たく言うと水面に石を投げて跳ねさせるあれの皿版である

*39 イギリスの哲学者ジョン・ロックが論語の「衣食足りて礼節を知る」ぐらいのニュアンスで引用したのが発祥とも言われているが定かではない。

*40 タマモクロスの実際の二つ名が「白い稲妻」、フジキセキが「黒い奇跡」である事が由来と思われる

*41 古い漫画なのでこれまで知らなかった層に広めた一因ではあるだろうが。

*42 タマモクロスは「シンデレラグレイ」の主要キャラだが、主人公はオグリキャップである

*43 こちらも明言はしていない

*44 父トニービン、母父マルゼンスキーでダービー勝利はウイチケしかいない。

*45 例えば2020年のドラマ『アメリカに負けなかった男』では、(怒鳴ってこそいないものの)西村議員に面と向かって「ばかやろう!」と言っている