ナイアガラの滝から落ちて生き延びた人

登録日:2023/11/07 Tue 23:42:53
更新日:2024/09/23 Mon 10:29:51
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ナイアガラの滝から落ちて生き延びた人とは、文字通りナイアガラの滝から落ちて生き延びた人のことである。


そもそもナイアガラの滝って?

アメリカ合衆国とカナダの国境に存在する、世界でも最も有名な滝のひとつ。
ちなみにあまり知られていないが、実はカナダ滝(馬蹄滝)、アメリカ滝、ブライダルベール滝の3つの滝の総称である。
落差はさほどではない……が、横幅はカナダ滝で600m超えという絶景であり、人生で一度は見てみたい名所の一つと言えるだろう。

……さて、落差があまりないと言っても、あくまで横幅に対する比率で見た場合の話である。
実際の落差は場所によって異なるが56〜58メートルほど。普通のビルなら20階相当であり、まともに落ちた場合の終端速度は体勢にもよるので一概には言えないがおおむね時速120キロほどになり、この速度だと落下地点が地面だろうが水面だろうが大差はなく普通に落ちれば即死しなかったらまだ幸運レベルの衝撃である。

……とはいえ、その世界に名だたる大瀑布が人々を惹きつけてやまないのも確かであり、幾人もの命知らずの冒険家たちが「ナイアガラの滝の滝下り」に挑戦し、幸運かつ強靭な者たちは実際に生還している
ここでは、そんなナイアガラの滝から生きて帰ってきた人々を紹介しよう。

警告

ナイアガラの滝からの滝下りは、現在法律で禁じられている
生還の可能性の有無以前に実行することそのものが犯罪であるため、「生還した人がいるのだから真似してみよう」などとは絶対に考えないこと
理由は危険だからというのも勿論あるが、滝はカナダとアメリカの国境なので勝手に飛び込む=「無許可の越境を試みた」とみなされるため。
仮に生還したとしても、最大2万5千ドルの罰金が科せられることになる。
かつては特に罰則は設けられていなかったのだが、1951年にレッド・ヒルJr.という人物が滝下りを試みて失敗し死亡する事故が発生した事で、ナイアガラの滝におけるスタント行為が法律で禁止された。
それ以降の生還者は、不本意な事故のような例外を除き、ほぼ全員が罰金刑に処されている。

ナイアガラの滝から生還した人々

アニー・エドソン・テイラー(1838-1921)

1901年に記録されている限り初めてナイアガラの滝から生還した女性
そう、挑戦者第一号はなんと女性である。しかも挑戦当時63歳。

なんで彼女がこんな破天荒な真似をする羽目になったかというと、実はやむにやまれぬ事情があったのである。
前半生は上流家庭の子女として何不自由なく育った彼女は、ごく普通に結婚して出産。絵に書いたような幸せな人生を送っていた。
しかし、子供と夫を相次いで亡くし未亡人となってしまったため、教員として各地を渡り歩くもどこに行ってもうまくいかなかった。
頼れる家族もなく、貯金も乏しい彼女が豊かな老後を送るために考えついたのが……
ナイアガラの滝を下り降りてスポンサーを集めようという突拍子もない計画だったのである。

滝下りにはオーク材で作った丈夫な樽にクッション材を敷き詰めたものを使用。決行の2日前には生贄猫を樽に入れて流し、その無事を確認するという念の入れ用であった。
そして1901年10月24日、彼女は63回目の誕生日当日に滝下りを決行。アニーはわずかなかすり傷だけで無事であった

こうして、記録されている限りでの最初のナイアガラの滝下りの成功者となったアニーだったが、思ったほど話題にはならず結局老後は苦労したようである。

ちなみにその講演では「誰も真似しちゃいけない」「大砲で発射された方がマシ」と語ったとか。
……しかし、真似する人は出るのであった。

ボビー・リーチ(1858-1926)

1911年に史上二人目の滝下り成功を成し遂げた人物。
元々サーカス団員であり、「アニーにできたことなら俺にもできるさ」と同じように樽に入って滝下りに挑戦。
しかし生還はしたが全治6ヶ月の重傷を負う。あらら。まぁ生還しただけでも十分すごいことなのだが。

彼に関してはある意味滝下りよりも有名なエピソードがあり、オレンジの皮で転んで骨折、手術後の合併症で死亡するという珍しい死に方をした人であり、Wikipediaの「珍しい死の一覧」にも名前が載っている。
実際にはバナナの皮だったともされるが、どちらにせよ「ナイアガラの滝からすら生きて帰ったのに、果物の皮で死んだ男」という事実はすごいともダサいとも言えるか。

ジャン・ルシエ(1891-1971)

1928年に成功。これまでの挑戦者が樽を用いていたのに、彼はなんとゴムでできたボールの中に入る、という先進的な試みを行っている。ちなみに当時の物価で7000ドルもかけて用意したとのこと。
しかも、閉じ込められた時に備えて40時間分の酸素も用意するという念の入れ用であった。
結果、ボールは外装に多大なダメージを負ったものの、ジャン本人は軽傷で生還している。
その後はゴムボールの破片を観光客に売りつけるなどして生計を立てていた模様。
さらにカナダ滝だけでなくアメリカ滝も制覇しようと計画していたが、1958年に引退したため結局その夢は叶わなかった。*1

ロジャー・ウッドワード(1954-????)

1961年に成功。生年を見て気づいたかもしれないが彼は 7歳の時点で成功している。
というのはロジャー君は落ちたくて落ちたのではなく 事故で落ちて運良く生還した少年 である。
当時ロジャー君は姉のディアナや叔父のジェームズと一緒に上流でボートに乗っていたが、ボートが故障して川に流され転覆。
ディアナは滝に落ちる6メートル前で運良く助けられたがロジャー君とジェームズは そのまま滝に落ちた。
もちろん事前に準備していたわけではないのでロジャー君はライフジャケットしか着ていなかったが、下流で遊覧船に救助されて一命を取り止める。
ジェームズは助からなかったがそちらの方が当然な話で、ロジャー君の生存は「ナイアガラの奇跡」と呼ばれるようになった。

ウィリアム・アレン・フィッツジェラルド(1924-2022)

別名「ネイサン・ボヤ」。アフリカ系アメリカ人として初めて滝下りに成功。ジャンと同様にゴムボールを用いてのもので、1961年のことであった。なお、法律施行後の決行なので、成功者としては初の逮捕者であり罰金も払っている。

その経歴には謎が多く、テレビ番組などにも出演していた割にはパッタリと公の場に姿を見せなくなった時期があったり、後述のカレルの葬儀には出席していたりしている。
晩年にはタイに移住して小説も書いている。

肝心の滝下りに挑戦した理由については長く口を閉ざしていたが2012年に語ったところによると「愛する女性との婚約を断ち切るための苦行」とのこと。

カレル・スーチェック(1947-1985)

1984年に樽に入って滝下りに成功したスタントマン。過去の事例から学び、しっかりと事前の予行演習を行っている慎重派。
やはり罰金を科せられているが、インタビュー料などであっという間に取り戻し、自分のスタント道具を展示する博物館を建てているなど、商才はあった模様。

さらなる栄光を求めた彼は、世界初のドーム球場としても有名なアストロドームの頂上から真下のプールに飛び降りるという無謀なスタントに挑戦。
しかし、カレルが入った樽はまっすぐプールに落ちるはずがプールのに激突。重傷を負った彼はその後死亡してしまった。

スティーブン・トロッター(1960-2022)

1985年8月に成功、1995年に二度目の成功を果たしている(後述するが史上最初の二回成功者ではない)。
1984年11月に初挑戦するも樽が岩に引っかかって失敗、翌年に二度目の挑戦をして成功した。
初挑戦時の衝撃を「ジェットコースターのようなもの」と語る剛の者であり、三度目の挑戦時には彼女のロリ・マーティンを連れて二人で滝下りに成功している。
なお二人での滝下り成功も二組目であり、何かと”二”番目に縁のある人である。

ジョン・デイビッド・マンデイ

スカイダイビングのインストラクターで、ヘリコプターのパイロットという経歴の持ち主。
彼も1985年に挑戦しよう……としていたのだが、7月の挑戦では警察にバレてしまい水量調整ダムで水量をコントロールされて水力発電用プールに閉じ込められるという警察の策略により断念。残念ながらスティーブンに先を越されてしまう。
諦めず同年10月に再度挑戦した彼だったが今度は無事成功。

しかし、それで満足しなかったジョンは1987年にも再度挑戦しようとして警察にバレて樽が押収されたり、裁判所に有罪判決(一応執行猶予付き)を下されたりする羽目になる。
1990年に懲りずに再挑戦した際は水不足で流れきれずに失敗。
それでもまだ懲りず1993年にトライ。今度こそ成功し、史上最初の二度の滝下りに成功した人間となる。

ピーター・デベルナルディ&ジェフリー・ペトコヴィッチ

1989年に挑戦した、史上最初の二人同時滝下り成功者。ちなみに二人の関係は全くの見知らぬ赤の他人
当初はデベルナルディの友人が同行する予定だったのだが、土壇場で怖気付いたのかその友人が拒否。たまたまその場にいたオタワ大学の学生であるペトコヴィッチが同行することになったのであった。そのため、当時デベルナルディ42歳、ペトコヴィッチ24歳とかなり年齢も離れている。
ちなみにこのイベントは麻薬撲滅の啓蒙活動の一環だったようで、樽には麻薬反対のメッセージが書かれていた。
1990年に二度目の挑戦に挑もうとしたが、この時は警察に見つかり失敗に終わった。

カーク・ジョーンズ(1963~2017)

2003年に成功。道具はおろかライフセーバーすら着けず普通の服だけで飛び込むという無茶をしでかしながらも生還した。
しかも複数箇所を骨折しながら、自力で岸に辿り着いたというから驚きである。
飛び降りた理由について本人は「自殺」と語っていたが、飛び降りる前の行動などから売名目的ではないかとする見方もある。
救出後は罰金刑と生涯カナダへの入国禁止が処され、本人もインタビューで反省の弁を述べていた。

だがその後の生活は非常に苦しいもので、コカイン販売や万引きに手を染めて逮捕されたり、家族に先立たれて天涯孤独の身になるなど心身共に追い込まれていた様子であった。
そんな人生からの一発逆転を狙ったのか、最初の挑戦から14年後の2017年に二度目の滝下りに挑戦。
流石に生身は無理だと思ったのかゴムボールに入っての挑戦で、ドローンによる撮影で記録を残すなど入念な準備の上で挑んだのだが……結果は失敗に終わり、命を失う結果となった。
ゴムボールは挑戦から間もなく回収されたものの中は空で、カークの遺体が発見されたのはそれから約6週間後の事であった。



この他にも2009年、2012年、2019年に生還者が出ている(名前は全員非公開)が、いずれも極めて稀な確率による奇跡的な現象であるとされている。
というよりもナイアガラの滝は現在も 一年当たり20人前後の死者 を出しており
おそらくそれらの大半は自殺を試みて、成功した者たちと見られている。



ナイアガラの滝から生還した架空の人々

小須田部長

バラエティ番組『笑う犬』のコント「引っ越し(小須田部長)」の主人公。
架空の人物ではあるが、笑う犬の知名度もあり真っ先に名前が思い浮かんだ人も多いのではないだろうか。

毎回世界各国に左遷させられ無茶なミッションに挑む小須田部長であるが、1999年に放送された第1章最終話でナイアガラの滝下りに挑戦させられている。
本来は樽に乗って滝を下る予定であったが、トレードマークのイヤーマフを川に落としてしまい、拾おうとして川に落下、そのまま流されて生身で滝に落ちる羽目に。
だが奇跡的な事に、メガネが割れた程度で本人は無事であった。
コメディコントとはいえ随分と無茶な挑戦ではあるが、他の挑戦に比べれば「挑戦時間が短い」「先駆者による成功例がある」「目標が明確である」といった点からまだ簡単な方だったりする。

なお、もし現実の出来事であれば日本人初の成功者であり、世界初となる普通の服だけでの飛び込み成功者となっていた。
後者に関しては約4年後に上述したカーク・ジョーンズによって実現される事となる。



追記・修正はナイアガラの滝に飛び込んだりしない人にお願いします。


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最終更新:2024年09月23日 10:29

*1 アメリカ滝はカナダ滝より地形が峻険なので2023年時点でも落ちて生還した人間はいない。