超甲巡(B65型超甲型巡洋艦)

登録日:2025/04/24 (木曜日) 21:30:00
更新日:2025/05/06 Tue 19:32:40
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【概要】

超甲巡(ちょうこうじゅん)とは、日本海軍が建造を計画した大型巡洋艦のことである。
名前の意味は甲巡(重巡洋艦)を超えた巡洋艦ということ。
計画のみで建造されず、名前はつけられなかったが、日本海軍の命名法則からして山岳名が割り当てられた可能性が高い。

  • 要目
全長、240m
排水量、31000t
速力、33ノット
主砲、31センチ50口径3連装3基9門
高角砲、10センチ連装高角砲8基

現代残された資料によると完成予想図は3連装主砲を前部に2基、後部に1基背負い式に配置し、その間に艦橋と傾斜式煙突が並んでいるという配置になっている。
この配置、想像してもらえばわかる通り、大和型戦艦のそれに非常に酷似している。小型化した大和、ミニ大和と呼んでもいい。
大和型は当時の日本の造船技術の最高峰であり、戦艦設計の一つの完成形・到達点と言えるもので、超甲巡の設計にもその影響が非常に強く出ている。

超甲巡の建造目的は、老朽化した金剛型戦艦の更新である。
戦前の日本海軍の戦略ドクトリンは「漸減邀撃作戦」による「艦隊決戦」であった。
詳細は項目を参照していただくが、単純に言えば「攻めてくる敵艦隊を空襲と水雷戦隊の夜襲ですり減らし、しかる後に主力艦隊の艦隊戦で撃滅する」というものである。
この、水雷戦隊による夜襲には日本海軍は絶対の自信を持っており、その実力の高さは史実においても遺憾なく発揮されているが、懸念が無いわけでは無かった。
それは、水雷戦隊が敵艦隊に夜襲をかけるためには先んじて主力艦である戦艦を守る敵護衛艦隊を排除する必要がある。
この露払い役を担うのが甲巡(重巡洋艦)なのだが、米海軍にも日本の主力重巡である高雄型や妙高型に匹敵する大型巡洋艦がいるため、下手をすれば返り討ちに合う危険もあった。
それに何十隻もの軽巡駆逐艦からなる水雷戦隊を効率的に動かすためには高い通信・指揮機能が必要となるが、これも重巡の機能では限界があった。
日本海軍はこの役目を高速の金剛型戦艦に任せることを想定していたが、その後を継ぐのが超甲巡なのである。
いや、確かにそれで間違ってないのだが、そんな明確な意志の下で計画されたわけじゃないんだなこれが。
以下詳述するが、本当のところかなり残念ないきさつの結果生まれた、鬼子のようなフネなのだ。



【建造の経緯】

超甲巡計画の経緯は、実はかなりややこしい。
ワシントン条約により戦艦の建造が抑制されていた「海軍休日」時代、一足先に新艦建造の権利を得たフランスが
「重巡以上の火力・戦艦以上の速力」とされたドイツのポケット戦艦ドイッチュラント級への対抗もあって、条約で認められた「3万5千トン、40cm砲」より一回り以上小さい、ダンケルク級戦艦を誕生させた。
基準排水量2万6千トン、33cm4連装砲2基、最大速力30ノットという構成の同艦は「3万トン前後の船体に30cm前後の主砲と巡洋艦に匹敵する高速」という新しいトレンドを生み出し*1
対抗上イタリアは旧式戦艦の改造、ドイツはシャルンホルスト級戦艦の建造と、同規模の中型戦艦が次々建造され始める。

さて、こうなると太平洋の日米も座視するわけにはいかない。
これまでは巡洋戦艦の類を持っていなかったアメリカだが、ドイツ海軍の軍拡は放置できないし、
妙高型、高雄型の強力な重巡洋艦に加えてこれに匹敵する最上型軽巡洋艦まで生み出した日本が
前衛巡洋艦隊にこの新トレンドの中型戦艦を配する可能性は極めて高いと考える。
かくして対抗艦調達の必要に迫られ、有名なスターク案でついにアラスカ級を盛り込み構想を実現させた。

ただしアメリカが想定していたのは、ドイッチュラント級装甲艦(後にリュッツオゥ級重巡洋艦に艦名・分類変更)すなわちポケット戦艦の日本版と言える大型巡洋艦であり、
要目や建造隻数は、基準排水量1,2000~1,5000トン、最大速力30ノット、主砲12インチ3連装2基6門、同型艦4隻(秩父/カデクル、樫野、八丈、艦名不明)、と見積もられた。

困ったのは日本である。
当時日本は非力な金剛型を、強力な大和型戦艦で更新しようと計画を進めており、大和~111号艦まで4隻を計画して代替構想を完結させたところだった。
そこに降ってわいたアラスカ級のニュース。
「アメリカに追いつけ」と古鷹型以来整備を続け、アメリカの重巡と同数が揃う目途がついていた日本重巡洋艦群も、さすがにアラスカ相手では対抗は厳しい。
ここに至り、日本も同種艦の調達を決断し、第五次海軍軍備充実計画(マル5計画)で2隻、第六次海軍軍備充実計画(マル6計画)で4隻の建造が検討された。
なお両計画は1941年9月21日に商議されたものの、マル5計画はマル3とマル4を合わせたような大計画で成立は困難、マル6計画に至っては遂行の目途も立っていなかった。*2

つまり整理すると、超甲巡誕生の経緯は

① 日本のポケット戦艦怖い! ※実際は計画すらない
 ↓
② アラスカ級で対抗だ!
 ↓
③ アラスカ級怖い!
 ↓
④ 超甲巡で対抗だ!

なのだ。
後の世から見れば笑い話のようなドタバタ劇の結果、超甲巡の計画は生まれたのである。

とはいえ、オランダが蘭印向けにシャルンホルスト類似の中型戦艦を1940年に構想した*3り、
イギリスが東洋艦隊向けにヴァンガードの原案となる高速戦艦を計画したりしていたので、
アラスカがいなくても遅かれ早かれ超甲巡の計画は持ち上がっていただろう。



【性能】


建造に関して要求された性能は、

1、火力。
重巡を叩き潰すために作られるのだから当然。
2、指揮能力
水雷戦隊を的確に動かすためには多数の通信機材や人員を乗せるスペースが必要。
3、速力
水雷戦隊と行動を共にするのに必須。
4、防御力
旗艦が簡単に沈んでは困る。

火力に関しては、31センチ砲9門は一昔前の戦艦に匹敵する火力である。
しかも新型の31センチ砲*4は長砲身によって金剛型の36センチ砲と同等以上の威力を持つとされた。
当然、これに耐えられる巡洋艦は存在せず、場合によれば戦艦相手にも有効打となり得る。
ちなみに金剛の36cmから31cmにダウンサイズするのは不味いのでは?ということで36cm砲9門艦も検討はされている。
しかし初期検討段階で4万トンもの大型艦になることがわかり、早々にボツとなった(というより36cm砲案にダメ出しするための、多分に当て馬的意味合いでの検討だった節がある)。
副兵装は長10cm砲に統一され、両舷にそれぞれ秋月型と同数の各4基を備えており、機銃については設計変更や改装でハリネズミに強化された可能性は高い。

指揮能力に関しては大和型の設備が参考にされたものと考えられる。

速力についても申し分はなく、速力33ノットはアイオワ級を除く世界中のいかなる戦艦をも容易に追撃し、また逃亡することも可能である。

防御力に関しては、高速を得るために重装甲とまでは無理だが重巡の砲撃くらいには問題なく耐えることができた。
舷側最大195mm、甲板125mmはアラスカ級と比べて垂直防御で劣り(229mm)、水平防御で優る(102mm)。
仮に砲戦となった場合やや不利と思われるが、超甲巡の31cm三連装砲塔は重量1000トンに達し*5
アラスカ級より1割近く重くなっているため、砲塔防御にリソースを集中していた可能性が高い。
ちなみに残された断面図は、装甲厚の違いに気づかなければ大和の設計図と間違えそうなほどにそっくりである。

総合して、金剛型戦艦を火力以外のあらゆる点で上回る、実質的な高速戦艦と呼んでいい高性能艦である。

しかし、その建造計画は中止となった。
原因となったのはミッドウェー海戦の敗戦。ひたすらに兎にも角にも空母をという恐慌状態に陥った海軍には、水雷戦隊指揮用の大型艦を作っている余裕などなくなったのだった。

【もし完成していたら】

超甲巡は当時の日本の工業力や技術力からすれば問題なく建造可能な艦であり、歴史の歯車が少し違えば建造されていた可能性は大いにある艦である。*6
『戦史叢書 海軍軍戦備<2> -開戦以後-』によれば、マル5計画の戦艦や超甲巡洋艦といった大型艦については技術的未解決の分野があったとされている。

もし建造することを想定すると、予算の問題をクリアできたとして、次に問題になるのが造船所の能力である。
1930年代後半の日本に3万トン級以上の大型艦(戦艦や空母)を建造できる施設は
呉・横須賀の海軍工廠と三菱長崎造船所、神戸川崎造船所の計4箇所しかなく、
それらは「大和」「武蔵」「翔鶴」「瑞鶴」で全て埋まっていた。
超甲巡の起工を捻じ込むとなると、まず空くのは1939年6月に翔鶴を進水させて空いた横須賀の船台で、同年秋くらいが最短のスケジュールになる。
突貫工事で完成させたとして、戦列に加わるのは42年秋~43年春くらいだろう*7
2番艦は次に空く船台で作るとした場合、1940年11月に長崎で武蔵が進水した後……ということになるが(呉は大和進水後、111号艦の建造が決まっていた。神戸川崎は大鳳を建造している。)、
どう頑張っても40年末~41年初頭起工の43年末~44年初頭就役が精一杯。
42年6月のミッドウェー海戦時にはおそらく進水済だが、その後の空母増強策で空母改装の対象になっただろう。

しかし建造され、使い方を誤らなければ日本海軍にとって大いに「使い出のある艦」となった可能性が高い*8
なにせ超甲巡の性能は上記の通りに金剛型戦艦の上位互換である。そして金剛型の八面六臂の活躍を否定する者はいない。
水雷戦隊の旗艦としてはもちろん、高速を利して機動部隊の護衛も難なくこなせる。
アメリカ側が超甲巡を排除しようにも、アイオワ級やアラスカ級が加わるまでのアメリカ海軍に超甲巡を速力で追い詰めて火力で打倒可能な艦は一隻も存在しない。
巡洋艦では超甲巡に撃ち負け、かといって戦艦で叩こうにもノースカロライナ級やサウスダコタ級では追いつけずに逃げられる。
艦隊戦になれば超甲巡は非常に有利な立場でアメリカ艦隊を翻弄でき、米艦隊と日本主力艦隊が砲戦中にも超甲巡は高速を利して米艦隊の背後をつくことも可能になる。
こうなれば当たり所に寄れば新鋭戦艦にすら通用し得る31センチ砲が米艦隊に降り注ぐことになり、アメリカ側もこうなることを恐れて同格の大型巡洋艦であるアラスカ級を建造しているが、その登場は1944年になってからである。
もちろんアイオワ級をぶつけたり航空攻撃をおこなえば超甲巡を仕留めることは可能である。しかし最新鋭艦であるアイオワ級を超甲巡の打倒に振り分ければ戦力の分散になるし、航空攻撃においても同様で、間接的に主力艦隊を守ることができる。そして大型艦を航空攻撃のみで撃沈することが困難であることは種々の事例が証明している。

そして大和型に似ているという点も、なかなか見逃せない利点である。
ライン演習作戦で英艦隊がビスマルクとプリンツオイゲンを見間違えたように、デジタル処理など無い時代に遠距離の敵艦を正確に把握するのは至難の業である。
もし超甲巡を敵艦隊が大和型と誤認して、「日本艦隊にはヤマトクラスが4隻いる」と思い込んでくれればしめたものとなる。

むろん、超甲巡は超大和型のような、もしこれがあれば戦争に勝てたというような超兵器ではなく、個々の戦場では強くても戦争全体を動かすほどの力は無い。
しかし、非常に汎用性の高い高性能艦が加われば、日本海軍はもっと余裕をもって行動でき、栄光の歴史を増やせたかもしれない。
すべては想像に過ぎないが、もし三川軍一や田中頼三のような名水雷指揮官の手に超甲巡あらば?
夢を巡らせてみるのも一興であろう。


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最終更新:2025年05月06日 19:32

*1 当のフランス海軍自身もダンケルク級を「Cuirassé rapide(高速戦艦)」なる新艦種に分類している。高速戦艦とあだ名された戦艦は数あれど、正式に艦種として採用・分類されたのはダンケルク級くらいだろう

*2 『戦史叢書 海軍軍戦備<1> -昭和十六年十一月まで-』で、マル5計画は「要員、資材、労務の確保に関し国家として海軍軍備優先の画期的処置が必要であり、ことに要員、資材の取得上、陸軍をして譲歩せしめることが絶対条件である」、マル6計画は「予算及び実行に関する諸要件の見通しもなく、マル5計画の着手さえも遅延を免れない時期であり、海軍省としても従来の計画軍備のように十分な検討審議の余裕もないまま、時局の切迫に押され、マル6計画遂行の目途はほとんどなかったと思われる」と指摘されている。

*3 Ontwerp 1047。同年のドイツによる侵攻と占領で白紙化

*4 軍艦の常識的には12インチ=30.5cmだが、日本は端数繰り上げで31cmとした。この辺長門の41cm砲や大和の46cm砲も同じ

*5 長門の41cm連装砲塔とほぼ同じ

*6 何なら金剛型を大和型で更新するのではなく、次世代主力として大和型建造と同時に金剛型更新の為に超甲巡建造、でよい

*7 横須賀では同時期、新設のドックで「信濃」を建造中なので、リソース配分に苦労することになるが、それは一旦置いておく。

*8 出し惜しんで温存したらという選択肢は除く。そもそも出し惜しまなければ出番はあったのは大和型を含めて日本の兵器の多くに共通する