超甲巡(B65型超甲型巡洋艦)

登録日:2025/04/24 (木曜日) 21:30:00
更新日:2025/04/25 Fri 19:00:50NEW!
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【概要】

超甲巡(ちょうこうじゅん)と、日本海軍が建造を計画した巡洋艦のことである。
名前の意味は甲巡(重巡洋艦)を超えた巡洋艦ということ。
計画のみで建造されず、名前はつけられなかったが、日本海軍の命名法則からして山岳名が割り当てられた可能性が高い。
建造計画では2隻の建造が予定されていた。

  • 要目
全長、240m
排水量、31000t
速力、33ノット
主砲、30センチ50口径3連装3基9門
高角砲、10センチ連装高角砲8基

【建造の経緯】

超甲巡計画の経緯は、実はかなりややこしい。
ワシントン条約により戦艦の建造が抑制されていた「海軍休日」時代、一足先に新艦建造の権利を得たフランスが
「重巡以上の火力・戦艦以上の速力」とされたドイツのポケット戦艦ドイッチュラント級への対抗もあって、条約で認められた「3万5千トン、40cm砲」より一回り以上小さい、ダンケルク級戦艦を誕生させた。
基準排水量2万6千トン、33cm4連装砲2基、最大速力30ノットという構成の同艦は「3万トン前後の船体に30cm前後の主砲と巡洋艦に匹敵する高速」という新しいトレンドを生み出し*1
対抗上イタリアは旧式戦艦の改造、ドイツはシャルンホルスト級戦艦の建造と、同規模の中型戦艦が次々建造され始める。

さて、こうなると太平洋の日米も座視するわけにはいかない。
これまでは巡洋戦艦の類を持っていなかったアメリカだが、ドイツ海軍の軍拡は放置できないし、
妙高型、高雄型の強力な重巡洋艦に加えてこれに匹敵する最上型軽巡洋艦まで生み出した日本が
前衛巡洋艦隊にこの新トレンドの中型戦艦を配する可能性は極めて高いと考える。
かくして対抗艦調達の必要に迫られ、有名なスターク案でついにアラスカ級を盛り込み構想を実現させた。

困ったのは日本である。
当時日本は非力な金剛型を、強力な大和型戦艦で更新しようと計画を進めており、大和~111号艦まで4隻を計画して代替構想を完結させたところだった。
そこに降ってわいたアラスカ級のニュース。
「アメリカに追いつけ」と古鷹型以来整備を続け、アメリカの重巡と同数が揃う目途がついていた日本重巡洋艦群も、さすがにアラスカ相手では対抗は厳しい。
ここに至り、日本も同種艦の調達を決断し、さしあたり昭和16年のマル5計画で2隻を盛り込んだ(最終的にはアラスカ級と同数の6隻を予定)。

つまり整理すると、超甲巡誕生の経緯は

① 日本の中型戦艦怖い! ※実際は計画すらない
 ↓
② アラスカ級で対抗だ!
 ↓
③ アラスカ級怖い!
 ↓
④ 超甲巡で対抗だ!

なのだ。
後の世から見れば笑い話のようなドタバタ劇の結果、超甲巡の計画は生まれたのである。

とはいえ、オランダが蘭印向けにシャルンホルスト類似の中型戦艦を1940年に構想した*2り、
イギリスが東洋艦隊向けにヴァンガードの原案となる高速戦艦を計画したりしていたので、
アラスカがいなくても遅かれ早かれ超甲巡の計画は持ち上がっていただろう。

戦前の日本海軍の戦略ドクトリンは「漸減邀撃作戦」による「艦隊決戦」であった。
詳細は項目を参照していただくが、単純に言えば「攻めてくる敵艦隊を空襲と水雷戦隊の夜襲ですり減らし、しかる後に主力艦隊の艦隊戦で撃滅する」というものである。
この、水雷戦隊による夜襲には日本海軍は絶対の自信を持っており、その実力の高さは史実においても遺憾なく発揮されているが、懸念が無いわけでは無かった。
それは、水雷戦隊が敵艦隊に夜襲をかけるためには先んじて主力艦である戦艦を守る敵護衛艦隊を排除する必要がある。
この露払い役を担うのが甲巡(重巡洋艦)なのだが、米海軍にも日本の主力重巡である高雄型や妙高型に匹敵する大型巡洋艦がいるため、下手をすれば返り討ちに合う危険もあった。
それに何十隻もの軽巡駆逐艦からなる水雷戦隊を効率的に動かすためには高い通信・指揮機能が必要となるが、これも重巡の機能では限界があった。
日本海軍はこの役目を高速の金剛型戦艦に任せることを想定していたが、大正年間に建造された金剛型は老朽化が進み、代艦が是非にも必要となっていた。
それに、いざ主力艦同士の艦隊決戦となった場合でも、敵艦隊にとどめを指すのは戦艦の砲撃ではなく喫水に穴を空けて沈め得る魚雷である。
漸減邀撃作戦は正確に言えば主力艦で決戦して終わりではなく、主力艦で撃ち合って敵主力艦を消耗させ、こちらの主力艦に敵主力艦が注意を引きつけられているところに水雷戦隊の魚雷をねじこんで撃滅するまでが肝である。
つまり大和型さえも漸減作戦で言えば、最後の魚雷攻撃を成功させるための壮大な囮であったのだ。
むろん、この最後の締めにおいても水雷戦隊の先頭艦は自ら敵護衛艦隊を排除し、場合によっては敵戦艦の攻撃を引き付けて水雷戦隊を守らねばならないので責任は重大である。
こうした経緯で、敵巡洋艦隊を排除して水雷戦隊の血路を切り開く切り込み隊長として計画されたのが超甲巡なのだ。

さて、その超甲巡であるが、現代残された資料によると完成予想図は3連装主砲を前部に2基、後部に1基背負い式に配置し、その間に艦橋と傾斜式煙突が並んでいるという配置になっている。
この配置、想像してもらえばわかる通り、大和型戦艦のそれに非常に酷似している。小型化した大和、ミニ大和と呼んでもいい。
というより大和型の設計を流用したというべきだろう。なにせ大和型は当時の日本の造船技術の最高峰であり、合わせれば様々な面で効率的となる。



【性能】


建造に関して要求された性能は、

1、火力。
重巡を叩き潰すために作られるのだから当然。
2、指揮能力
水雷戦隊を的確に動かすためには多数の通信機材や人員を乗せるスペースが必要。
3、速力
水雷戦隊と行動を共にするのに必須。
4、防御力
旗艦が簡単に沈んでは困る。

火力に関しては、30センチ砲9門は一昔前の戦艦に匹敵する火力である。
しかも新型の30センチ砲は長砲身によって金剛型の36センチ砲と同等以上の威力を持つとされた。
当然、これに耐えられる巡洋艦は存在せず、場合によれば戦艦相手にも有効打となり得る。
ちなみに金剛の36cmから31cmにダウンサイズするのは不味いのでは?ということで36cm砲9門艦も検討はされている。
しかし初期検討段階で4万トンに迫る大型艦になることがわかり、早々にボツとなった(というより36cm砲案にダメ出しするための、多分に当て馬的意味合いでの検討だった節がある)。
副兵装は長10cm砲に統一され、両舷にそれぞれ秋月型と同数の各4基を備えており、機銃については設計変更や改装でハリネズミに強化された可能性は高い。

指揮能力に関しては大和型の設備が参考にされたものと考えられる。

速力についても申し分はなく、速力33ノットはアイオワ級を除く世界中のいかなる戦艦をも容易に追撃し、また逃亡することも可能である。

防御力に関しては、高速を得るために重装甲とまでは無理だが重巡の砲撃くらいには問題なく耐えることができた。
舷側最大195mm、甲板125mmはアラスカ級と比べて垂直防御で劣り(229mm)、水平防御で優る(102mm)。
仮に砲戦となった場合やや不利と思われるが、超甲巡の31cm三連装砲塔は重量1000トンに達し、アラスカ級より1割近く重くなっているため
砲塔防御にリソースを集中していた可能性が高い。

総合して、金剛型戦艦を火力以外のあらゆる点で上回る、実質的な高速戦艦と呼んでいい高性能艦である。

しかし、その建造計画は中止となった。
原因となったのはミッドウェー海戦の敗戦。ひたすらに兎にも角にも空母をという恐慌状態に陥った海軍には、水雷戦隊指揮用の大型艦を作っている余裕などなくなったのだった。

【もし完成していたら】

超甲巡は当時の日本の工業力や技術力からすれば問題なく建造可能な艦であり、歴史の歯車が少し違えば建造されていた可能性は大いにある艦である。*3
もっとも建造時期を早めて昭和16年には実戦配備させねばならないため、大和型と同時期に建造開始する必要はあるだろう。
そして建造され、使い方を誤らなければ日本海軍にとって大いに「使い出のある艦」となった可能性が高い*4
なにせ超甲巡の性能は上記の通りに金剛型戦艦の上位互換である。そして金剛型の八面六臂の活躍を否定する者はいない。
水雷戦隊の旗艦としてはもちろん、高速を利して機動部隊の護衛も難なくこなせる。
アメリカ側が超甲巡を排除しようにも、1942年当時のアメリカ海軍に超甲巡を速力で追い詰めて火力で打倒可能な艦は一隻も存在しない。
巡洋艦では超甲巡に撃ち負け、かといって戦艦で叩こうにもノースカロライナ級やサウスダコタ級では追いつけずに逃げられる。
艦隊戦になれば超甲巡は非常に有利な立場でアメリカ艦隊を翻弄でき、米艦隊と日本主力艦隊が砲戦中にも超甲巡は高速を利して米艦隊の背後をつくことも可能になる。
こうなれば当たり所に寄れば新鋭戦艦にすら通用し得る30センチ砲が米艦隊に降り注ぐことになり、アメリカ側もこうなることを恐れて同格の大型巡洋艦であるアラスカ級を建造しているが、その登場は1944年になってからである。
1943年なかばに実戦配備に入るアイオワ級の登場までは太平洋は超甲巡の独壇場となるのだ。
もちろんアイオワ級をぶつけたり航空攻撃をおこなえば超甲巡を仕留めることは可能である。しかし最新鋭艦であるアイオワ級を超甲巡の打倒に振り分ければ戦力の分散になるし、航空攻撃においても同様で、間接的に主力艦隊を守ることができる。そして大型艦を航空攻撃のみで撃沈することが困難であることは種々の事例が証明している。

そして大和型に似ているという点も、なかなか見逃せない利点である。
ライン演習作戦で英艦隊がビスマルクとプリンツオイゲンを見間違えたように、デジタル処理など無い時代に遠距離の敵艦を正確に把握するのは至難の業である。
もし超甲巡を敵艦隊が大和型と誤認して、「日本艦隊にはヤマトクラスが4隻いる」と思い込んでくれればしめたものとなる。

むろん、超甲巡は超大和型のような、もしこれがあれば戦争に勝てたというような超兵器ではなく、個々の戦場では強くても戦争全体を動かすほどの力は無い。
しかし、非常に汎用性の高い高性能艦が加われば、日本海軍はもっと余裕をもって行動でき、栄光の歴史を増やせたかもしれない。
すべては想像に過ぎないが、もし三川軍一や田中頼三のような名水雷指揮官の手に超甲巡あらば?
夢を巡らせてみるのも一興であろう。


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最終更新:2025年04月25日 19:00

*1 当のフランス海軍自身もダンケルク級を「Cuirassé rapide(高速戦艦)」なる新艦種に分類している。高速戦艦とあだ名された戦艦は数あれど、正式に艦種として採用・分類されたのはダンケルク級くらいだろう

*2 Ontwerp 1047。同年のドイツによる侵攻と占領で白紙化

*3 何なら金剛型を大和型で更新するのではなく、次世代主力として大和型建造と同時に金剛型更新の為に超甲巡建造、でよい

*4 出し惜しんで温存したらという選択肢は除く。そもそも出し惜しまなければ出番はあったのは大和型を含めて日本の兵器の多くに共通する