登録日:2026/02/18 Wed 18:15:00
更新日:2026/08/09 Sun 17:21:00
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ビージーズ(Bee Gees)は1958年に結成された
イギリスの兄弟バンド。世界で一番売れた兄弟バンドでもある。
【概要】
イギリスで生まれたギブ三兄弟(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)がオーストラリアに移った1958年から活動開始。数多くのヒット曲を生み出した。グラミー賞を8回受賞し、2憶2千枚以上売り上げた。TOP10ヒットは70曲以上。
5つの殿堂入りを果たしている唯一の音楽グループでもある。
【歴史】
1960年代、オーストラリアでシングルチャート1位を記録するなど成果を収めた後、イギリスに帰国し世界デビュー。
ビージーズといえば兄弟3人組のイメージしか無いが、実は世界デビューから2~3年ほどはドラムにコリン・ペーターセン、ギターにヴィンス・メローニーを加えた5人体制のバンドだった。
世界デビューしてから順調にヒットを重ねるがヴィンスが脱退。更に当時兄弟皆がまだ若かった為誰がリード・ボーカルをとるか目立つかなどでバリーとロビンが特に揉めて、1969年にロビンが脱退。時期を同じくしてコリンも辞める事に。
2人体制で同名のテレビ番組と連動したアルバム『キューカンバー・キャッスル』を出すが、甲冑の衣装まで着て頑張ったにも関わらずあまりヒットせず。ソロになったロビンも「救いの鐘」というシングルはヒットしたのだがアルバムはヒットせず。
何だかんだあって和解した3人、1年半ほどしてからロビンがビージーズに復帰。ロビンが復帰した当初は初の全米1位含むヒットが再び出るものの、次第にヒットが出なくなる。ちなみにこの間、1971年の青春映画『小さな恋のメロディ』の音楽を担当、日本では安定した人気があった為何度も来日している。
転機になったのは1975年、R&Bやソウルを取り入れたアルバム『メイン・コース』。シングル「ジャイヴ・トーキン」も全米1位のヒットになり活路を見出す事に。
翌年の『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』で本格的にディスコ路線を開拓。バリーのファルセット唱法もここで生まれ次なる全盛期に向かって疾走する。
そして1977年、映画『
サタデー・ナイト・フィーバー』の音楽を担当。映画のヒットともども世界中にディスコ・ブームを巻き起こしビージーズは一躍時の人に。サウンドトラックのアルバムは4000万枚を売り上げ、当時世界で一番売れたアルバムに(グラミー賞で最優秀アルバム賞も受賞)。更に24週連続全米1位というとんでもない記録を残す。シングルもバカ売れし、ビージーズの曲が1位を降りた次の週はビージーズが作詞作曲した別のアーティストの曲が1位になりそのアーティストの1位が終わるとビージーズの次の曲が1位になるという物凄い状態まで生み出した。
こうして追い風とプレッシャーの中制作された1979年のアルバム『失われた愛の世界』は2000万枚を超える売り上げを記録し、1977年から1979年までビージーズ名義のシングル6曲が連続して1位になる快挙も達成。今でこそ同一アーティストの連続記録は珍しくなくなったが当時は異例だった。
だが追い風の後に向かい風がやってくる。全米でアンチ・ディスコ運動が展開される事になり、ビージーズがその矢面に立たされる事に。ラジオ局はそれまでビージーズの曲が毎週かかっていた事に辟易してかビージーズの曲を一切かけなくなり、更に所属会社の解散という事態にまで見舞われる。
1980年代初頭の作品が大コケした事も相まってビージーズとしての活動を休止してソロ活動に専念。元々70年代、『サタデー・ナイト・フィーバー』の頃から別のアーティストに曲を提供してヒットさせてきた訳だがこの時期はそれに集中。結果『サタデー・ナイト・フィーバー』主演俳優のジョン・トラボルタの『グリース』のテーマ曲、ケニー・ロジャースとドリー・パートンの「アイランド・イン・ザ・ストリーム」、ディオンヌ・ワーウィックの「ハートブレイカー」などビージーズ名義がダメなら他のアーティストに書いてヒットさせてやると言わんばかりにどれも次々に大ヒットさせる。各人のソロとしてはグループを超えるヒットは多く生まれなかったものの、バリーがバーブラ・ストライサンドに書いてデュエットした「ギルティー」が大ヒットした。
基盤が整った彼らは1987年、ビージーズとして再始動。シングル「ユー・ウィン・アゲイン」は久々の全英1位、80年代の時流やサウンドを彼ら流に昇華した新機軸のアルバム『E.S.P.』共々ヨーロッパを中心に世界でヒットしカムバック。それでもアメリカの風はまだ冷たかったが1989年のシングル「ワン」が全米TOP10のヒットになる。同年には弟アンディの死をきっかけにアルバム、そしてワールドツアーを敢行。15年間アメリカ以外でコンサートをしてこなかったが、オーストラリア、日本などで久々に公演を開催する。
1997年に発売したアルバム『スティル・ウォーターズ』は全英2位をはじめとして再びヒット。アメリカでは200万枚を売り上げ、アメリカのアルバムチャートにも復帰。ラスベガスのMGMグランドで開いた特別公演も大盛況の内に終わった。
更に1994年にソングライターの殿堂、1997年にロックの殿堂に顕彰され、2001年にはヴォーカル・グループの殿堂とダンス・ミュージックの殿堂の2つにも顕彰されるなど音楽界の重鎮として揺るぎない評価を得た。
しかし2003年1月12日、モーリスが腸閉塞に倒れ、手術中に心不全で亡くなる。
2人ではビージーズは出来ないと活動停止。しかし時間が経つにつれ、ビージーズを再始動させる動きも出てきていたのだが…。
2012年5月20日、ロビン・ギブ死去。
弟を相次いで亡くし一人残されたバリーは弟達の魂とともに歌っていく事を決意し、ソロ活動を再開。グラストンベリー・フェスティバルにレジェンド枠で出演し大喝采を浴びた。2013年にはアメリカンポップミュージックの殿堂にも選ばれた。
2020年にはドキュメンタリー映画『ビージーズ 栄光の軌跡』が公開。グループの足跡をバリーやグループを敬愛する
オアシスのお兄ちゃんノエルやコールドプレイのクリスといった著名人のインタビューとともに振り返る内容。
【メンバー】
バリー・ギブ
1946年9月1日生まれ、ギブ家のお兄ちゃん。若い頃はプレイボーイだったらしいが1970年に奥さんと結婚してからはずっと妻一筋。ビージーズの象徴にもなっているファルセットを得意とし、サタデー・ナイト・フィーバー時代のヒット曲のリード・ボーカルは大体この人。2020年代に入ってからも全英1位アルバムを出すなど未だ現役。
ロビン・ギブ
1949年12月22日生まれ。活動を始めた当時はモーリス共々まだ9歳だった。人見知りだというがユーモアに富んだ性格。初期曲や後期のヒット曲でリード・ボーカルをとる事が多い。
モーリス・ギブ
ロビンとは双子。バリーとロビンを取りまとめる中間管理職のような役割を果たしており、マン・イン・ザ・ミドルという曲もある。元々先天性の腸捻転を患っており、バリーとロビンはモーリスが死亡したのは病院側のミスだと指摘している。
この他に末弟のアンディ・ギブがいる。アンディはソロ歌手として兄達が書いた曲で全米1位を記録するなどしていたが1988年に亡くなっている。
【代表曲】
全曲ギブ3兄弟作。
1967年発売、原題"New York Mining Disaster 1941"。1966年に起こったアベルヴァンの惨事と呼ばれるイギリスの村で山が崩落した大惨事に着想を得た曲。「ニューヨーク」にした理由はその方が響きがゴージャスだかららしい。オーストラリアで3位、全英12位、全米14位と世界デビュー曲ながらまずまずの滑り出しだった。
1967年発売。イギリスを中心に世界中で1位~2位になり第一次全盛期ブレイクのきっかけになった。
1968年発売。全英3位、全米15位。カナダで1位になっている。
1968年発売、原題"I've Gotta Get A Message For You"。電気椅子に座って処刑されるのを待つ死刑囚が妻に手紙を渡してくれと頼む重い内容。初の全英1位、全米でも8位。
1968年発売、原題"I Started A Joke"。難解で抽象的な歌詞はリード・ボーカルのロビン曰く意味を解説してしまうと魅力が半滅するから本人的に解説したくないらしい。全米6位、カナダやオーストラリアで1位。
1969年発売、原題"First Of May"。『小さな恋のメロディ』に使われただけでなく日本では1996年に同名のテレビドラマが制作され主題歌になった事でリバイバルヒット。この時に初めて聞いたという当時の若者も多い事だろう。
1969年発表。『小さな恋のメロディ』といえばこの曲を思い浮かべる人も多い映画の代表曲。当時は『オデッサ』に収録されたアルバム曲の一つとしてシングルが発売された訳ではなかったが、日本でのみ独自にシングルカットされ当時洋楽に関わらずオリコン3位を記録するヒットになった。
1970年発売。ロビンが戻ってきて1発目のシングル。全米3位。
1971年発売、原題"How Can You Mend A Broken Heart"。初の全米1位。2020年のドキュメンタリーの原題にもなっている。
1975年発売。ここからファンクやディスコに手を染めだす。全米1位、イギリスでも5位。
1975年発売、原題"Nights On A Broadway"。バリーのファルセット唱法が始まった曲。全米7位。
1975年発売、原題"Fanny (Be Tender With My Love)"。
1976年発売。『サタデー・ナイト・フィーバー』の為に作られたと思われがちだが前年の『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』の収録曲。勿論映画でも印象的に使われていた。全米1位、全英5位。
1976年発売、原題"Love So Right"。全米3位。
1977年発表、『サタデー・ナイト・フィーバー』の劇中歌でビージーズが歌ったバージョンとタヴァレスが歌ったバージョンの両方がある。
1977年発売、原題"How Deep Is Your Love"。ここから脅威の全米6曲連続1位が始まった。今でも多くのアーティストにカバーされている有名曲でステイン・アライヴと並んでビージーズを知らなくてもこの曲は知っているという人が多い。
中でも90年代キッズは
天才てれびくんワイドの
ミュージックてれびくん(MTK)でカバーされたものを聞いて親しんだ人も多いだろう。セブン・ハーツによる天てれのカバーが放送されたのは2001年1月、つまり21世紀を迎えて初めてのMTK曲でもあった。ちなみに訳詞はゴダイゴのタケカワユキヒデ。
1977年発売。ビージーズ、サタデー・ナイト・フィーバーといったらコレというほど浸透した1曲。またまた90年代キッズの中には
ハッチポッチステーションのハッチポッチMTVで
グッチ裕三が
ジョン・トラボタルとして「クラリネットをこわしちゃった」と混ぜて歌った事が鮮明な人も多いだろう。
ついでに心臓マッサージに最適なテンポ(100回/分)とほぼ一致しており、その練習のために使われることもあったりする。
1978年発売。全米だけではなくイギリスでも1位。これもサタデー・ナイト・フィーバーを代表する1曲として有名。
1978年発売、原題"Too Much Heaven"。同名の邦題のアルバムもあるのだがそちらの原題は"Spirits Having Flown"で、その同名曲の邦題は「愛のパラダイス」という非常にややこしい事になっている。
1979年発売。ここまで6曲連続全米1位。
1987年発売。全英1位、ヨーロッパを中心にヒットして見事にカムバックした。ちなみにこの曲の1位で60年代、70年代、80年代と3年代に渡って全英1位を獲得した初の音楽グループになった。
1989年発売。10年ぶりに全米TOP10(7位)を記録。「この曲が僕たちを(アメリカの)ラジオに戻してくれた」と語る反響を見せた。
1991年発売。全英5位。
1993年発売、原題"For Whom The Bell Tolls"。全英4位。
1997年発売。全英5位。
この他に
えんだあああああタイタニックの歌姫セリーヌ・ディオンに「イモータリティ」という曲を書いてヒットさせており、バックコーラスとしても参加しているが名義が「セリーヌ・ディオン・ウィズ・ビージーズ」になっている為ビージーズのヒット曲扱いにされる事もある。
【アニメでの使用】
「ステイン・アライヴ」は2005年の映画『マダガスカル』にも使われた。
『怪盗グルーの月泥棒』ではマーゴがバレエを踊っている中、
ミニオンが突如「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」をかけると全員ノリノリで踊りだし、グルーがフロアの真ん中でトラボルタ並みのダンスを披露するシーンがある。
【余談】
オーストラリアレコード協会(ARIA)の殿堂にも選ばれている。
ビージーズ好きの同業者も多く、中でも1969年の日本映画『ハーイ!ロンドン』にて、映画の主演バンド「ザ・タイガース」が英国に行った際、一コマだけだがバリーに会いに行くシーンが記録されている。またザ・タイガースのボーカルだった
沢田研二の日本武道館コンサート『沢田研二 LIVE 2011〜2012』(タイガース時代の再現ライブ)と2013年のザ・タイガース再結成ライブ『THE TIGERS 2013』東京ドーム公演では、長らく病床についていたメンバーの岸部四郎(ザ・タイガースのリーダー岸部一徳の弟)が、かつてライブでもビージーズナンバーを歌っていた縁から『若葉のころ』のカバー披露で特別出演。岸部のソフト化された出演作品では生前最期の歌唱映像となった。
追記修正はフロアの中心でフィーバーしながらお願いします。
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最終更新:2026年08月09日 17:21