めちゃ2イケてるッ!

登録日:2010/04/10 Sat 16:57:59
更新日:2025/04/23 Wed 16:57:28NEW!
所要時間:約 35 分で読めまゆゆ~♪


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1996年 AKB48 AKB48どっきり解散総選挙 AKB48の本気 BKA48 OKL48 お笑い めちゃ2イケてるッ! めちゃイケ よゐこ ウソだろうが!! オアシズ オカレモン テレビ番組 ナインティナイン ハステとワステ バラエティ バラエティ番組 パロディ多し フジテレビ 伝説 伝説のまま終わることを許されなかった番組 光浦靖子 加藤浩次 土8 土曜日 大久保佳代子 山本圭壱 岡村隆史 川栄李奈 愛すべきバカ達 所要時間30分以上の項目 有野晋哉 木村匡也 極楽とんぼ 武田真治 江頭2:50 渡辺麻友 渡辺麻友の本気 濱口優 炎上してくたばれ!! 矢部浩之 総芸旗艦 重盛さと美 鈴木紗理奈 雛形あきこ 高橋みなみの本気




めちゃ² イケ てるッ
    





『めちゃ2イケてるッ!』とは、1996年から2018年まで放送されたフジテレビのお笑い番組。
ナレーターは木村匡也。

「2」のところは↑のように「2乗」の表記であり、あわせて「めちゃめちゃイケてる」と読む。
また、公式にテキストで表記する場合、ニュアンスをわかりやすくするためか「めちゃ×2」とされていることが多い。

正式名称は「めちゃ2イケてるッ! What A COOL we are!」。
愛称・略称は「めちゃイケ」だが、更に略して「めちゃ」と呼ぶ人や、「めちゃイケ」が正式名称だと思っており、「What A COOL we are!」が何か分からないという人がいる*1

本項では前身番組『めちゃ2モテたいッ!』についても解説する。



概要

元々は深夜番組『新しい波』に出演していたメンバーを厳選して『とぶくすり』『殿様のフェロモン』が制作された。
その流れを汲む形でパナソニック枠で放送された『めちゃ2モテたいッ!』がゴールデン進出を果たし、タイトルを変えたものが「めちゃイケ」である。
ゴールデン進出後は土曜20時、通称土8の枠だったことから『オレたちひょうきん族』を目標としており、最終的には22年という土8バラエティでは屈指の長寿番組となった。


特徴

番組企画はオリジナルもあるが、基本的に他番組のパロディであることが多い。
「土8」のお笑い枠であることで岡村など出演者をはじめ、スタッフ一同誇りをもっており笑いに対して真剣に取り組んでいる。
これはこの番組のテーマのひとつであり、番組企画としてとりあげられることも多い。 

番組としての評価は高い方であり、フジテレビを代表する番組のひとつとも公言されている。
その一方でPTAやBPOからの評価は最低の部類に入り、「子供に見せたくない番組」のランキングに毎回上位に入っていた。
抗議も絶えず、それが原因で終了してしまったコーナーも数多い。
なかでも「しりとり侍」の例は有名。これを機にめちゃイケは「バラエティ番組の在り方」やそれを作る立場などの意見を、番組を通してお茶の間に届ける姿勢をとるようになった。

若手芸人の間ではある種憧れの存在で、めちゃイケに呼ばれることはステータスであり、「売れた証」とまで言われる事もある。
逆にめちゃイケへの出演がきっかけでブレイクする場合も多い。
中でも番組企画「笑わず嫌い王決定戦」に出演した芸人は若手・ベテランと問わず、なかなかの数がブレイクを果たしている。
ただし、一発屋率も高い。


番組の歴史

前史Ⅰ(1992年秋~1995年春)

  • 「新しい波」「殿フェロ」「とぶくすり」時代~首都圏の若者を席捲、そして禁じられた恋~
全ての始まりは1992年秋。関東地区で深夜に放送されたネタ見せ番組「新しい波」である。毎回1~2組の若手芸人が登場してネタ見せと、進行役でこの年入社したばかりの新人アナウンサーだった西山喜久恵とのトークの二部構成だった。

手掛けたのは『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』でおなじみだった、サトちゃんこと佐藤「ゲーハー」義和。プロデューサーは「夢で逢えたら」のディレクターだった吉田正樹、ディレクターには後の番組総監督・片岡飛鳥や『SMAP×SMAP』などのプロデューサーを務めた荒井昭博がいた。出演した芸人の中でも、ナインティナイン、極楽とんぼ、よゐこ、オアシズ、K2(勝俣州和と堀部圭亮のコンビ)、キャイ〜ン、ジュンカッツの片割れだったネプチューンの名倉潤は、今も一線で活躍している。2019年から躍進を始めた「お笑い第7世代」の登場以後、彼らは「お笑い第4世代」と位置づけされるようになった。

そして、そこから選抜されたナインティナイン、極楽とんぼ、よゐこ、オアシズの光浦靖子と新たに参加することになった当時大阪でCM出演など徐々に人気を集めていた芸人・本田みずほの8人によって1993年の春に始まったのが「とぶくすり」である。

深夜2時15分からの30分枠という遅い時間、コントセットですらすりガラスのパネルに紙に描いたイラストを貼った低予算な造りという状況だったにもかかわらず番組は首都圏の若者を中心に爆発的な人気を集め、関東ローカルの番組ながらもイベントは常に超満員という記録を残し、番組で作った「とぶくすり友の会」の会員ですら4500人がしまいにはおよそ4万人となった。

ところが「とぶくすり」は半年で終了し、一度はブラウン管から姿を消す事態となった。

出演していたメンバーとシチュエーションコント「はばたけ!舞浜商科大学」に出演していたお笑いコンビ・アンバランスの10人はその後土曜深夜に新設された生放送のお色気番組「殿様のフェロモン」へ出演する事となった。MCは中山秀征と今田耕司、そして女優としてブレイクする前の常盤貴子、そして当時フジテレビの局アナだった八木亜希子の4人だった。そして、そこで出会ったのがレギュラー陣の一人として出演していた武田真治である。

伝説の深夜番組「オールナイトフジ」を踏襲したこの番組から生まれた名シーンやコーナーには岡村が全身金粉まみれ・パンツ一丁で夜の街を走る中継企画や、あまりにも過激と言われたお色気企画「ハケ水車」があった。これらは後に「めちゃイケ」や「FNS27時間テレビ」にも登場している。

一方、番組の再開を求める声が多く届いたこともあり、番組の枠を使う形で「とぶくすり」は不定期特番として復活。3回にわたって特番として放送し、兼ねてからの『とぶくすり』ファンだった武田も「うのうのだん」やコントへ積極的に参加。その後「Z」へのゲスト出演を経て、めちゃモテ・めちゃイケへのレギュラー入りにもつながった。

しかし、「殿フェロ」は「ハケ水車」など過激なお色気企画で一時は人気を集めたが、わずか半年で打ち切りとなる。1年間時間帯は変われど、かろうじて続くことができた「とぶくすり」も最終回翌週の4回目となる公開形式のスペシャルのエンディングで、矢部の口から突然「活動停止」が告げられた。

しかし、「とぶくすり」は復活への気持ちを諦めず、時を同じくして開始し現在も放送中のニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」では「とぶくすりリターンズ」と銘打ってメンバーがかわるがわるゲスト出演した。

そして1994年秋、月曜から金曜の深夜に10分の帯番組「とぶくすりZ」として生まれ変わった。その年の大みそかには初の全国ネットでフジテレビの年越し特番という大役も任された。この特番で同年に入社したばかりのアナウンサーだった佐野瑞樹とも出会う事となる。

しかし、幸せな時間も長くは続かず1995年春に「とぶくすりZ」終了。
最終週は「殿フェロ」から関わりがあったシャ乱Qのつんく♂がゲストで登場し、木曜日の番組終わりには「ズルい女」を披露。
神妙な表情で手拍子をしながら曲を聴くメンバーの顔と共に、突如「明日の放送で重大なお知らせがあります」という意味深なテロップが出された。
翌日のオープニング、記者会見としてスタジオに揃ったメンバー。そこで矢部から番組終了が告げられる。先立ってスタジオで終了を告げられたメンバーの前で4月以降の活動が説明される。

「とぶくすり」としては1995年4月5日から90分のスペシャルに拡大するが、内容を充実させるため2か月に1回の放送に移行。
タイトルを「とぶくすり秋まで待てないスペシャル」と改める事になり、友の会も継続すると発表された*2

しかし、この4月5日の第1弾「とぶくすりZ増刊号」の放送を最後に『秋まで待てないスペシャル』は6月にあるはずだった2回目、そしてそれ以後の放送が無くなり、これをもって「とぶくすり」の名は消えることになった。

そして、このタイミングで加藤浩次、よゐこ、光浦が一度番組から離脱。
一方、みずほは完全降板として番組を去ることになった。

実は「とぶくすり」が「活動停止」した1994年春から濱口とみずほは交際関係にあり、その引責降板だったとも言われている。
ちなみに、この出来事は『めちゃイケ』に至るまで「番組内恋愛」という大事件として歴史に遺ることになった。

一方、1995年秋から開始するSMAPの新番組の企画*3が決まったため『夢がMORIMORI』と『がんばりましょう』が揃って終了。土曜23時30分からの30分枠が空くことになった。
この枠は松下電器(現:パナソニック)がスポンサーで、『パナソニック枠』と呼ばれていた。
『パナソニック枠』はこの『夢MORI』以前にもダウンタウン・ウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子が出演していた『夢で逢えたら』を放送していた出世枠として知られ、そこを「とぶくすり」のスタッフに今回任せるというのだが、そこにはいくつものハードルがあった。

前史Ⅱ(1995年秋~1996年秋)

  • 「めちゃモテ」時代~ゴールデンの登竜門へ~
『とぶくすり』の最後のスペシャルのタイトルにあった『秋まで待てない』。春の段階ではメンバーにすらその意味が伏せられていた。そしてそれは、結果的に形を変えてにはなったものの「『とぶくすり』のプライムタイム昇格」を意味していたのだった。

「とぶくすり」のスタッフによって立ち上げられた新番組は「めちゃ2モテたいッ! -I wanna be POP!-」とタイトルが決まる。キャスティングは引き続きMC役のナインティナインと正式なレギュラーとなった武田を据えたまま、新メンバーとして当時トップアイドルだった雛形あきこと鈴木紗理奈の2人を加えることになった。

しかし、「とぶくすり」の時からフジテレビの上層部らには険悪な目で見られ、評価もよくなかったナイナイを除いた多くの「とぶくすり」メンバーのキャスティングは却下された。
評価の低かったナイナイよりも武田や雛形をメインに打ち出すことで、上層部やスポンサーサイドからもOKが出されることとなり、松下電器へ提出した企画書にも武田と雛形がメインMCのトーク番組と偽って記した。
「とぶくすり」メンバーの出演は却下されたが、番組開始時から唯一レギュラー出演していたトークコーナーを行うダイナー「I wanna be POP!」のバーテンという設定だった極楽とんぼの山本圭壱は出演を許されたが、企画書には「バーテン:山本圭壱」と極楽とんぼのコンビ名を出さない形で記した。

大企業がスポンサーになり、予算も深夜時代より潤沢に増えたことでオープニングがそれまでのイラストをコマ撮りしたアニメからバハマでのロケ*4になったり、セットも「とぶくすり」から見違えるほど豪華な造りとなった。さらに発言やそれに対する突っ込み・フォロー・補足のために用いるテロップのデザインもそれまでの手書きから銀色の背景が付いた色付きのゴシック体へリニューアル。『めちゃイケ』終了まで一貫して使われた。

「めちゃイケ大百科事典」によると、それらは裏を返せば『とぶくすり』と同じことはできないことを意味しており、フジテレビの上層部からは「とぶくすり禁止令」が出されたという。

実際番組内容からも『とぶくすり』時代の核だったコントが消える事となった。放送開始から暫くはダイナー「I wanna be POP!」で行う設定のゲストトークやメンバーが様々なチャレンジをするロケ企画が主だったが、やがてフジ・松下の意向に反して3か月後には加藤や光浦をレギュラーに復帰させたうえ、トークを短縮しバラエティ企画中心に路線変更。さらに試験的にショートコントも数本制作された。ここで「とぶくすり」時代には「友の会」コーナーで行うのみだった屋外ロケ企画を多用しつつ、スタジオでのトークやショートコントも織り交ぜた事により「めちゃイケ」の基礎が作られることとなった。
一方、放送末期のゲストコーナーにはよゐこが再登場している。

番組開始から1年が過ぎようとしていた頃、松下電器側は番組内容のある部分に難色を示す。
それは「矢部がすぐに人の頭をたたく」というお笑いでは典型的なツッコミの仕方に対するクレームであり、矢部を悩ませるほどのこのクレームが影響し、番組は1年で終わることになったものの、「めちゃモテ」には次のステージが用意されていた。

1996年秋

  • 遂にゴールデンタイムへ、「めちゃイケ」スタート
1989年に『オレたちひょうきん族』が終了後、フジテレビの土曜20時台は何をやっても短命に終わる「死に枠」状態が続いていた。「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」が登場すると一時は持ち直したが、裏番組の『マジカル頭脳パワー!!』が「あるなしクイズ」をやったことで弱り始め、最後は収録中にゲストで来た海外アーティストを死亡させる事故を起こし打ち切りになった。
それからは再びいわくつきの「死に枠」戻った土8枠は、SMAPやデビューしたばかりのV6などジャニーズアイドルや若手芸人を鳴り物入りで起用し、1996年1月に開始した所ジョージ司会のスポーツアトラクション番組『BANG! BANG! BANG!』も9ヶ月で失敗に終わった。
そこに前述の『めちゃモテ』を移動させることとなり、タイトルも『めちゃ2イケてるッ! -What A COOL we are!-』と改めた。
それは、『新しい波』から4年かけてついにゴールデンタイムへと登り詰めた瞬間である。

最初のレギュラーメンバーとして、『めちゃモテ』から引き続きナイナイ・極楽とんぼ・雛形・紗理奈・光浦・武田と復帰したよゐこの10人でスタート。

初回のオープニングでは「『平成のひょうきん族』とも呼ばれてるらしいぞ!」と自らを奮い立たせた。

実際にひょうきん族をなぞる様にコントコーナー(SHOOT COOL)や歌のPVパロディを行うコーナー(イケてるッ!COUNT DOWN TV)、番組内での失態を懺悔してもらうコーナー(岡田一少年の事件簿)も設けられていた。

1997年~2000年

  • 人気上昇、絶頂期へ
間もなく軌道修正が図られ、1997年からは岡村をはじめとするメンバーが様々なゲームで体を張るコーナーや、ドラマをパロディとしたコント、1時間丸々企画を行う形態などが増えていき、また「フジテレビ警察」「岡村隆史のオファーしちゃいました」「ヨモギダ少年愚連隊」「抜き打ちテスト」「濱口だまし」「めちゃ日本女子プロレス」など大型企画も続々と始まった。また、2000年からは当時OLと兼業だった大久保も「岡田一少年の事件簿 呪われたキャンプ場の怪事件」を機にレギュラー入りした。

その一方、2000年の暮れからは『スター・ウォーズ大百科事典』を読んで感銘した岡村が「自分たちもこういう本を作ってみよう」と提唱したことで番組本「めちゃイケ大百科事典」を作る為、「新しい波」「とぶくすり」の時代からさかのぼって過去の出来事を振り返る「pm8プロジェクト」も実施。
片岡飛鳥監修のもと、約半年の期間をかけて制作された本は翌年春に完成、全国発売された。

その企画の一環として、長らく音信不通になっていた本田みずほの現在を追跡するとともに、濱口と再会させる企画も行われた。

一方でこのころからPTAやBPOから目の敵にされることも多く、特に敗者が野武士たちに袋叩きにされる「七人のしりとり侍」は「いじめを助長する」と苦言を呈され打ち切りとなり、大きな話題となった。

2001~2005年

  • ひょうきん族を超えて
だが、その後も「単位上等 爆走数取団」「シンクロナイズドテイスティング」「やべっち寿司」など様々な人気コーナーが誕生。
2004年には目標としていたひょうきん族の年数である8年を越え、中居とともに27時間テレビを行った。
この頃から規模や予算のかけ方も破格のものとなっており、桐堂大学で知られる「濱口大学だまし」などがその象徴となっている。
また、モーニング娘。たちとの「期末テスト」「修学旅行」といった絡みも人気だった。

2006~2009年

  • メンバーの別れを乗り越えて
しかし、2006年の8月に極楽とんぼ・山本が不祥事を起こしてしまい所属していた吉本興業を(一時的に)解雇され、メンバーや視聴者に謝罪や別れを言えぬまま番組を降板してしまう。
山本が出演していたコーナーは数多く、数取団の打ち切り、スタンプ8のメンバー欠けを始めとして番組に小さくない損失を残す結果となった。

そんな空気を打破するべく、新たに「色取り忍者」などのコーナーもスタート。
岡村オファーシリーズでは最高傑作ともいえる「EXILEライブ乱入」「杉山愛とのテニス対決」も生まれた。

2010~2015年

  • 主力離脱に伴う新メンバー加入、終了への序章
しかし、その主役である岡村が2010年6月に心身の体調不良(通称「パッカーン」)にかかってしまい無期限休養に。
その間に新たな風を入れるべく「めちゃイケ新メンバーオーディション」を開催し、ジャルジャル・たんぽぽ・重盛・敦士・三中の5組7人が加入。
それに呼応したかのように岡村も11月に奇跡の復帰を果たすことに成功。

翌年2011年からは東日本大震災で被災した東北を元気づけるための様々なプロジェクトも開始。
また、2度目の27時間テレビメインも張った。

企画としては新たに大食漢のカガリPが案内する「ガリタ食堂」が人気コーナーとなり、他にも、AKBメンバーを迎えての「期末テスト」「体育祭」や卒業お祝い企画、果てには選抜総選挙を元にしたAKB48どっきり解散総選挙なども行った。

……が、当時からSNSも発達するようになり、番組内容やAKBメンバーに対するアクションなどで炎上・批判してしまうケースも多かった。
特に当時は韓流押しを含んだフジテレビデモも多くあり、それに対し岡村が「テレビが嫌なら見るな」と発言したことがさらに火をつけてしまう結果となった*5

また、東名高速・足柄SAを大々的に使った「めちゃイケSA」、上記の通り批判が来ない番組を目指して行うネット配信番組「ゼロテレビ」などテレビの外で楽しめるコンテンツも登場した。

2016~2018年

  • 別れと再会、そしてフィナーレへ
一方、2016年始めには番組への知らせなしで「プロの芸人」となった三中に対する再オーディションが実施、結果は不合格となり番組を去ることに。
また、番組20周年を迎え、お世話になった人に会いに行く「再会郵便局」のクライマックスとして、10年ぶりに山本に再会。

加藤「当たり前じゃねぇからな。当たり前じゃねぇからなこの状況!!!」
*6

こうして山本は無事にテレビに出られるようになり、その後事務所にも復帰することができた。

2017年にはドッキリ企画や三浦大知へのオファーシリーズなどを行うが……



2017年11月4日 2018年春での番組終了が発表
*7

ラスト半年は「シュウ活」として「復活数取団」「抜き打ちテストファイナル」などを実施。
山本もラスト3ヵ月限定という形でレギュラーに復帰。

最終回ではもう怒られる心配もないということでPTA・BPOに怒られた伝説の企画(しりとり侍・Mの三兄弟など)をやりまくり、最後は「学校みたい」とずっと言ってきたメンバーに「番組からの卒業証書」が渡された。
そして卒業証書を手にしたメンバー達は、始まりの地となった海岸から走り出し、やがてその姿は見えなくなっていく。
…スタッフの「決して足元をすくわれることなく前を見て走り続けましょう」というメッセージを込めた巨大落とし穴に落ちるという形で。

こうして、「平成のひょうきん族」を目指しためちゃイケはひょうきん族(8年)の3倍近い22年という歴史に幕を下ろしたのだった。


番組レギュラーメンバー

めちゃイケの「エース」。彼がいなければ成り立たない。
ブレイクダンスや吉本発天然素材で鍛えた素晴らしい身体能力の持ち主。
しかしそれにかまけることのない「努力の天才」としてオファーシリーズからパロディ物まで一切手を抜かず、特に「岡村オファーシリーズ」では数々の奇跡を産んだ。
ただしたま〜に突拍子もない天然NGをやらかす事も。
企画でMCを務めるときは最後に自分がターゲットになるプチドッキリを仕掛けられることが少なくない。
メンバーの中でも極度のヘビースモーカーだったが、入院を機に無事禁煙に成功した様子。

前述の通り2010年の夏頃に『パッカーン』を患い、無期限休養をとるも、同年11月に見事復活。
真剣に番組に取り込む姿勢は、休養後は台本を覚えなくなったなど結構ゆるくなった。
病院のご飯が美味しかったようで、以前と見比べてもすぐに違いが分かる位に太った。
番組が放送されていた間は結婚できなかったが、2020年10月に晴れてゴールインを果たし、2022年春にはパパになった。

  • 矢部浩之(ナインティナイン)
めちゃイケの「リーダー」。『とぶくすり』時代に片岡総監督の指示で任されて以来、多くの企画で司会・進行を務める。
一方で勉強はもちろんの事、映画や流行、デジタル関連などとにかく疎く、
抜き打ちテストでは下から3番目が定位置の「プッチバカ」、「Mr.ヤベッチ」を始めとする様々な企画で無知を露呈させることも。
岡村が努力の天才であるのに対し、矢部は「ワイプの天才」とも。
だが、「矢部オファーシリーズ」では様々なヒット商品を生み出すなどセンスにかけては負けていない。
メンバー中5人目に結婚。お相手は元TBSアナウンサー青木裕子で、番組でも有野に次いで2人目となる結婚披露宴で祝った。
家族いじりが加藤並みに多く、母・富美枝がお台場合衆国で弁当を販売したり、
兄の事務所で働かされたり、祖父が突然生き返ったりと番組への貢献度は高い。

  • 加藤浩次(極楽とんぼ)
めちゃイケの「狂犬」。
「爆烈お父さん」を代表とした、とにかくゲストと乱闘するコーナーでは無類の強さを誇る。
岡村も矢部も頼りにならない時の全体的なツッコミ役として番組に欠かせない……
……ことになっているが、実際は企画の1番目の被害者、言わば毒味役として欠かせないことの方が大きい。曰く「ミスター・パイロット版」。
男子メンバー最初の結婚者。嫁さんの「カオリちゃん」との結婚*8から第一子の誕生まで企画で報道された。
その他にも義父の深野さん(故人)、そしてカオリちゃんと3人の子どもたちととにかく一家総出で番組に協力。
勝手に出演したり私物(ソファーやシャアザクの1/12フィギュアなど)を持ち出されたり、新居の豪邸を荒らされたことも。
2001年には自身がサッカー経験者だったのと前任の徳永英明の急病による降板を受けてTBSで「スーパーサッカー」の司会を務めるように。さらに2000年代に入ってからは俳優業にも進出し多数のドラマや映画に出演。2006年には日テレで「スッキリ」の司会を務める事となり、いずれも自身が在任した期間としては20年近くにわたる番組に成長させた。「スッキリ」が終わった2023年以降は司会業も続けつつ俳優業も再び増やしている。

特に「スッキリ」が始まってからは同番組の性質や立場、開始間もなく一人で活動していかなければならなくなった事、他にも司会を務める番組が増えた事等もあってそれまでの他の出演者相手に暴れる「狂犬」というイメージは薄れたように思われたが、「めちゃイケ」はそんな「狂犬加藤」が垣間見れる数少ない番組だった。とはいえメンバーのやり取りをまとめる立場にもなった。

とはいえ、「小樽出身のチンピラ芸人」から妻、子ども、家と、この番組を通じ「芸能界屈指の司会者・キャスター」にまでのし上がった夢の体現者でもある。
しかし、肝心のキャスター業はめちゃイケのロケの都合で無理矢理休みにされることもしばしば。

「狂犬」としてビッグマウスを言うことも多いが、実は一番の小心者で涙もろい男。めちゃイケ終了告知時にも一番終了に対してゴネていた。
ちなみに天敵はまゆゆこと渡辺麻友優子さんの卒業企画でご飯かパンを巡って火花を散らしていた。え?腕からミサイルはって??勝てるワケねーだろ!!

  • 山本圭壱(極楽とんぼ)
めちゃイケの「芸達者」「踊れるブタ」。広島生まれの生粋のカープファン。
岡村も矢部も頼りにならず、加藤がキレて暴れてる時のストッパー兼犠牲者として大活躍。
体重102キロの巨漢ながら野球やショーパブで仕込まれた動きのキレとアドリブギャグセンスは岡村をも凌ぎ、「お笑いバトル・ロワイアル」を始め、めちゃイケのお笑い対決では毎回好成績を残したり、特に一言ギャグでメンバーを笑わせる「山奥~豚の乱~」では多くのメンバーを沈めるなど、岡村と共に番組のダブルエースとも言える活躍を見せていた。
ワールドカップ開催年にだけ現れる全身ヌルヌルのAV男優「油谷さん」も恒例。その他にも「奇妙なミヨコお母さん」「スモウライダー」といったキャラ芸が得意。
…一方学力の方は毎度毎度濱口とのビリ争いをする永遠のブービーだった。
何故か眠り顔のリアルな「山本人形」が小道具として登場し、加藤家の箪笥や炊飯器の中に隠れていたり、ダンプ山本の身代わりになったりする。

2006年に自身の不祥事で所属事務所を解雇され実質的に芸能界を引退。宮崎に移り住み、サーファー、肉巻きおにぎり屋、お坊さんなど職を転々としながらの生活が続く。この間にめちゃイケの企画で復帰するという報道が何度かなされることもあったが、ナイナイがラジオで否定したりするなど実現することはなく、「このまま復活はないのではないか?」とも囁かれていた。
ただ、『パッカーン』になった岡村に「宮崎に来たら?」と奨めていた他、加藤も野球観戦時に遭遇することがあったという。
しかし、2010年代に入りお笑いへの情熱が再燃。2015年にはお笑いライブを開催し芸能活動を再開。2016年には番組にも出演しメンバーと再会。改めて一連の不祥事について本人の口から謝罪した。
その時はレギュラーにはなれなかったものの、加藤と共にお笑いライブを開催しコンビ活動も再開させ、番組最終回を前に最後の1ヶ月はメンバーに復帰、最終回を「めちゃイケメンバー」として迎えることができた。

女癖があまり宜しくなかったらしく、「平成生まれが解禁だ」のように年下好きであることを公言しており、これが原因で不祥事に繋がってしまった。
このためか、岡村と並んで「モテないコンビ」と言われたりするなど結婚とは長らく縁が無さすぎる男だったが、2022年11月に元AKB48・西野未姫との31歳年の差での結婚を発表。(終了時まで残っていた)男子メンバーとしては一番最後に結婚を果たした。
不祥事発覚の翌朝、紆余曲折の末に寝ずに日テレ入りして「スッキリ」のオープニングで涙を流した相方・加藤は、結婚発表の翌朝に笑顔でこのニュースをトップ項目として伝え、そしてメンバーと再会した時に発した「当たり前じゃねぇからな」を笑顔で発し祝した。

めちゃイケの「バカ」。
「とぶくすり」時代には本田みずほとの番組内恋愛で一時的に去ったこともあったが、「めちゃイケ」で復帰した。
「hamaguche」を始め、抜き打ちテストでの伝説の解答は数知れず。
また、その純粋さから「世界一だまされ易い男」「ドッキリの天才」などと謡われる。
番組初の生放送の事実を自分だけ知らされず遅刻させられたり、
スターウォーズのオーディションに合格したり、桐堂大学に合格したり、弟が爆破され神に叱責されたりした。
「クイズ濱口優」ではメンバーからの無茶ぶりでこちらも様々な奇跡を起こした。「とぶくすり」で誕生し、有野結婚披露宴で復活した「どぜうもん」が名物キャラ。

一方ではメンバーの中で一番熱い男でもあり、最後まで新メンバー導入に反対した一方、
加藤が常々「めちゃイケはいつ終わってもいい」という言葉を受けて番組終了宣言をすぐに受け入れている。
「紗理奈だまし」では紗理奈のあまりの仕事の態度っぷりに、珍しくキレる様子も。

…が、番組終了の発表直後にテレ東の裏番組MCの出川哲朗に自らオファーしてしまい、終了翌週には早速充電旅に出るという、最後まで「バカ」な男でもある。ちなみに終わる3ヶ月前、元日の『爆笑ヒットパレード』開始直前に「南明奈との結婚」という報道がネットニュースに掲載される事態となり、直後に始まった番組のオープニングでは同じく「おばたのお兄さんとの結婚」という報道がなされた山﨑アナ(こちらは番組終了と前後して正式に結婚を発表)共々大騒ぎとなったが、番組終了から間も無く無事に結婚を果たしメンバーでは6人目の既婚者となった。充電旅もアッキーナとのキューピッド役が出川で、彼なりの恩義という意味もあるのかもしれない。

めちゃイケの「必要な男」「眠れる天才」。
メンバーの中では影は薄めなものの、彼の放つ一言は何気にテロップとなって画面を飾る確率が非常に高く、要所要所での番組の締めにもなる。
『本当の意味で天才』と評価された事も。
男性陣の中で二人目の既婚者。結婚披露宴は番組内でメンバーへのドッキリとして行われた。
その傍ら、「ゲームセンターCX」での姿で濱口に負けない人気を獲得するが、当初は「ゲームをやるだけで人気になるなんて」と見下されたりネタにされていたが、
最終回間際でのニューヨークロケではニューヨークのゲームショップ店員にも「有野課長」の名が轟いていることを知り、
世界的に見たらメンバーで一番知名度のある男」という名誉な称号を手に入れた。

  • 光浦靖子(オアシズ)
女芸人枠。大久保さんが入るまでは唯一の女芸人メンバーであった。
眼鏡を犠牲に笑いを取る事数多。そして何よりも涙腺が弱く、壊滅的な音痴。
東京外大卒のガリ勉でもあり、抜き打ちテストでは常に高い点数を取る。一方で体力的な企画では苦戦することも多いが、
そんな中でも頑張りを見せ、特に「めちゃ日本女子プロレスFINAL」では芸人も対戦相手のAKBメンバーも全員もらい泣きしてしまった。
メガネがトレードマークだが、何かと災難な目に遭ってしまう。
2021年からカナダに留学中。

  • 大久保佳代子(オアシズ)
とぶくすり立ち上げの際に「笑えないブス」扱いでレギュラーから外され、川崎のコールセンターで勤務するハケンOLの傍ら芸人を続けていた。
とぶくすりを引き継いだめちゃイケには2000年にメンバー入り。
その時点でもハケンOLだったが、後に辞めて芸人に軸足を置くことに。以降は幼馴染の光浦の尽力もあり大ブレイクを果たす。
レギュラー加入前からセクハラネタも多かったが、
「お笑いバトル・ロワイヤル」などの一発ギャグ、「容疑者Oの献身」のなりきり芸など多ジャンルに強い。
得意料理は胡瓜の酢の物。

  • 鈴木紗理奈
ちゃきちゃき浪速アイドル。アニメ版『金田一少年の事件簿』のエンディングを担当した事がある。
番組開始当初は現役女子高生でアイドル扱いであったが、最終的には芸人級の扱いに。
当初は既婚者だったが離婚してシングルマザーに。
デビュー前の元カレであるたむらけんじとは企画でヨリこそ戻らなかったが仲良しに。が、その結果「番組終了バラシ事件」が起きることに。
めちゃイケ愛がとっても強い一方で、子育てに忙しく「めちゃイケは録画したまま見てない」という実情はある意味今の情勢を考えさせられる。

  • 雛形あきこ
アイドル枠その2。レギュラーとなった『めちゃモテ』開始当時はこちらも現役高校生のアイドルだったが、高校は程なく中退(めちゃイケ内でも「中卒」である事を度々イジられていた)。『めちゃイケ』開始と前後して『闇のパープルアイ』や『ストーカー・誘う女』など各局のドラマで主演を担うようになり、本格的に女優へ転身。番組期間中に結婚→出産→離婚→再婚と流転している。

とは言え、紗理奈共々ヘタな芸人より芸人根性が据わっており、無茶なスタッフの要求にも応える。
そのギャップを活かした「お雛様」や「ノンストップママ」といったコントキャラの破壊力は抜群。特に『誘う女』のパロディ・『ストーカー危険な女』では当時まだ18歳ながら本家より狂気とも猟奇的とも言える芝居を見せ、岡村を恐れさせた。その後継の『ポパイ&オリーブ』で岡村にカカト落としを決めている。さらに遡って『めちゃモテ』時代にはちょっかいをした岡村をグーパンで殴った事も。この他に氷水に顔面を沈められたり、謹慎中だった山本の代わりに加藤とケンカしたり、
加藤のキレ芸を完コピできる女優は彼女だけである。
プロデューサーに対して水入りペットボトルでヘッドショットを決めたことも。
2人目の旦那は「ダディ」こと天野浩成。本人の天然ぶりが番組にマッチしそうだったが、加藤と違ってプライベートを掘られるのは嫌い。
が、めちゃイケが終わった後は夫婦そろってバラエティ番組に出演していることが多い。

  • 武田真治
俳優、サックスプレイヤー。愛称はシンディ。
メンバーとしては「めちゃモテ」からの出演だが、元は「とぶくすり」のファンだった事で1993年にゲスト出演したのが最初。以降「殿フェロ」「とぶくすりZ」にも出演し「めちゃモテ」で正式なメンバーとなった経緯がある。
とにかく真面目であり、「しりとり侍」「数取団」では予習を怠らない結果メンバー一の成績を残す。
「マサチューセッツ工科大学」「ゴルバチョフ書記長」といった早口言葉ブッコミを生み出した功績者。
しかし、ゴールデン昇格時の男性メンバーでは唯一芸人では無かったため2000年末の時点で個別の打ち合わせすらやった事がなく、結果フリとか冗談・悪ノリといったお笑いの「お約束」が分からないまま時間が過ぎ、自ら研究した末に「止めろと言われたら行け」という結論を見出してしまう。それが災いして暴れるときはとにかくキレては暴れ、遂には加藤のアルファロメオを破壊したこともある。
殺せよ!!」「死ねってことだろ!!」はあまりにも有名。
自慢のサックスを披露することもあり腕は確かなのだが、メンバーからは「うるさい」などと言われ、
サックスをシャワーヘッドにした「サックスシャワー」等のイジりを受けることも多かった。しかし、番組終了後はそのサックスや筋肉が某公共放送で人気を集め、ブレイクするきっかけになる。
天敵は同じ事務所の大先輩アッコさん。即興で生まれた一発芸はケツで喋る「ケツ話術
岡村結婚から遡る事9か月前の2020年7月に結婚。メンバー7人目の既婚者となった。

2010年度からのレギュラーメンバー

  • 敦士
モデル・俳優。
オーディションでは自慢のTバックの脇からゴールデンボールを出した本物の変態。番組では3人目の既婚者となった。
……が、Tバックネタはいつの間にか身を潜めていく。
スタイルとルックスは抜群だが、いじられキャラとして1人だけドッキリにかけられたり、半裸で雪山に放置されたことも。
一方でいじられても返すことができないことに悩み、
矢部からも「その年(最終回時点で42歳)でその軽さはどうなの?」と言われるなど、存在意義に悩んでことを最終回で明かしている。

  • 白鳥久美子(たんぽぽ)
名前美しい。フランスパンと形容されるアゴが特徴。
体にガタがき始めたオアシズの後釜として体張る系の企画でも活躍。
また、日芸出身のためオアシズに負けず劣らずのインテリでもあり、抜き打ちテストても高い成績を残した。
福徳とは些細な事で犬猿の仲状態だったがなんやかんや和解している。
最終回ではいじめられて笑えなくなってしまった学生時代で笑わせてくれた番組がめちゃイケであることを告白した。
夫はお尻でくるみ割り世界記録を持つチェリー吉武氏。

  • 川村エミコ(たんぽぽ)
アパホテルの社長似。巨乳(Hカップ)かつ非処女
白鳥同様体を張って先輩たちを支える。
嫌いな人物には直で「嫌いです」と宣言する。
最終回間際のコンビ対抗お笑い対決では見事優勝。
本人たちはそれまで「番組で爪痕を残せなかった」と悔やんでいたが、最後の最後にして大きな勲章を手に入れた。
コンビは加入までケーブルテレビの番組しか仕事が無かったが、番組で大ブレイク。新レギュラー最大の出世株となった。

  • 重盛さと美
ぽわぽわしてるアイドル。
抜き打ちテストで濱口の連覇を止め、以後V4を達成した「ネバーエンディングバカ」。
しかし、そのバカで「笑って楽しくなって自殺をやめた」と当人から言われた経験を持つなど、世を救う「明るいバカ」。
絵はうまい下手というより「独創的で味がある」が、人物画だと割と特徴を捉えている。
テストで書いた「前のめりのカエル(みかわ)」、「ムササビのような生物(むさし)」、「タコウィンナーのような生物(たっちゃん)」はぬいぐるみにもなった。
重森は以前から「痛快!明石家電視台」(毎日放送)に出演しており、そこでの活躍をめちゃイケスタッフに注目されてレギュラーに抜擢されたと語っている。

  • 福徳秀介(ジャルジャル)
芦屋のボンボン。若手芸人として先輩レギュラー陣に対してのビッグマウスや空気が読めない発言をするなど番組の中でもイキったヒールサイドに属する。
特に「27時間テレビで岡村の顔面をバスケットボールで集中攻撃」した際には大炎上してしまった*9
とはいえ根はとにかく真面目であり、「不眠耐久宴会」では下戸であるにもかかわらず、
「矢部と話してお笑いについて聞きたい」という一心から耐えきって同時優勝を果たした根性の持ち主。
復活数取団では、ビー・バップ・ハイスクールのキャラ「へび次」がスマッシュヒットした。
が、残念ながら既に最終回間際だったので悲しい遅咲きであった……

  • 後藤淳平(ジャルジャル)
現・吹田市長の息子。番組4人目の既婚者。愛称は「淳平」……だが結局岡村しか使ってくれなかった。
有野同様「影薄い」キャラ。しかし、企画の進行は意外としっかりする。
2016年の「再会郵便局」からは自身のネタのキャラ「みなみ君」で登場する。
ただ、真面目な場でもそのキャラで登場するためメンバーからクレームが来ることも(最も本人も「なぜメイクさんがこうしたんだ」と言っているが。)。
2017年には新居を35年ローンで建て、「メンバーが新居でカレーパーティーをする」というめちゃイケ流の手荒い祝福を受けた。
が、その直後にめちゃイケを始め自身のレギュラー番組が終了してしまう悲しい状況となったが、番組終了からは本格的にネタに取り組むようになり、3年半が経った2020年秋、「キングオブコント」優勝という形で結実。ローンの心配も無くなりそうだ。


元メンバー

  • 本田みずほ
「とぶくすり」時代に出演していたメンバー。上記の事情もあって「めちゃモテ」に替わってからは番組から姿を消していたが、2000年の暮れに再登場し、元カレの濱口とも再会。その後2006年に本田が結婚し、濱口も番組終了後に結婚したため最後まで縒りを戻すことは無かったが、以後も2006年の10周年企画と2012年の濱口へのドッキリのネタばらし役で2度にわたり登場。
最終回を終えた後にも労いと感謝のツイートを投稿したり、終了後にスタッフに呼ばれて他の全出演者・全スタッフともども記念品のメダルがプレゼントされたりと最後までメンバー同等に扱われていた。一時は芸人としての活動を停止してバンド活動もしていたが、現在は新宿ルミネtheよしもとで行われている吉本新喜劇に出演したり、アロマテラピーアドバイザーの資格と絵画の趣味を生かして手作りのアロマキャンドルアート作品も手掛けている。

  • 三中元克
新メンバーの中で唯一の一般人。いびきと寝言が野豚。
いじられる事以外、笑いやトークのセンスは皆無だが、ドッキリに面白いくらいにひっかかったり、番組企画のアトラクションの支配人として常駐するなど、素人が故の活躍を期待されての抜擢であった。
ただしスタッフへの横暴な態度などの悪い面が多々指摘されるようになり、他のメンバーが諭しても納得しなかったようである。ついには2014年に開始したみちのくプロレス入団企画で、あろうことかマジ逃亡して企画を潰すという大罪を犯してしまう。尤も素人に毛が生えた程度にもかかわらず、キツい企画を与えた事自体が間違いでは?という番組への批判もかなりあった*10
2016年2月には高校時代の同級生とコンビを組んでプロの芸人を目指すことを明かすが、素人としての役回りを求められてのレギュラー入りだったこともあり、プロになるならそのままレギュラーとして残るのはおかしいという話になり、残留の可否はdボタンを用いての視聴者投票企画に委ねることになる。しかし投票では卒業が上回ってしまいあえなく番組降板となってしまった。その際出演していた出川哲郎の提案で、コンビ名を『dボタン』と名付けることに。
ちなみに卒業直前には、「やばいぜ!チャラいぜ!」という最後の最後でクリティカルな置き名言を残してくれた。

とはいえ企画を台無しにした件が響いたのか、最終回でも三中本人は一切出演されなければ、エンディングのエンドロールにもその名前は載らず、
最終回前に足柄SAを訪れるロケでナイナイの二人にほんの少し触れられただけだった。

サブレギュラー

「一言物申す」のコーナーに登場する。
一時期は「教えてエガラップ」など定期コーナーもあった。
20歳近く年下のEXILEの現役パフォーマーより速く走る(通称江頭ストリーム)など、身体能力は驚異的。
崖っぷちのエガという名曲を生み出した。
破天荒なキャラクターに反し根は大真面目。ラジオやYouTubeではそういった面が窺い知れる。
ただし番組内での自身のハチャメチャな振る舞いを「計算」と評価されることについては嫌がる。

  • エスパー伊東
毎年夏、24時間テレビの裏に出現する。
江頭と姿が被っちゃってる非常に残念な人。
弱いものに強く、強いものには弱く対応するのがモットー。
番組終了後に大病を患い、以前のような芸を見ることが出来なくなった。そして闘病の末、2024年に逝去。

  • 中居正広
ご存知国民的アイドルSMAPのリーダーを解散する2016年まで勤め上げ、その後も2025年の不祥事発覚による引退まで司会者として活動を続けた有名タレント。
ナインティナインとは「ワンハンドレッド(99+1)」というトリオを組んで「FNS27時間テレビ」の司会を務める仲だが、
「ナイナイ中居の日本1周」を始めとしたコーナーに出るたびに何かと酷い目に遭うアイドル。
(当時)ジャニーズ所属タレントでは非常に珍しく、父親*12が番組に登場することもあった。
ご当地グルメは食べれず終いだったり、体を張ったゲームをやらされたり、主演ドラマに乱入されたり、後輩に呼び捨てにされたり、カガリDや三ちゃんの家に泊まったり、風呂の底が抜けてスライダーしたりと、とことんまで弄られる。
とはいえ実は古参なサブレギュラー。

CV:岡村
中居君が北海道から連れてきてしまったホエー豚の子ども。
美味しい食べ物と下ネタが大好き。「おならぷー!」
その後、「幸子の部屋」というゲストの悩みを聞く単独コーナーを設けられる。

  • 錦野旦
「イケてる!世界新記録」のレギュラー。
「スター」という肩書きがありながらも、とんねるずに他局でヒドイ目にあわされた事が切っ掛けで再起した事からどんな事柄やバラエティ色の激しい企画・演出にも一生懸命なスタイル故に、色んな企画で様々な珍プレーを見せる。
雪原を自転車で激走した後の宙返りは伝説。


名物スタッフ

  • 中嶋P
AD、APを経てプロデューサーに昇進した。
世界一偉くないPにして世界一カメラの前面に出てくるP。
メンバーに招集をかけては下記のセリフでブチ切れるお調子者*13
大学時代は逞しいラガーだったが、現在は「全力で走ってアキレス腱断裂」など、寄る年波と運動不足には勝てないようである。
2011年、27時間テレビでのお粗相が原因で社長賞を逃したことから*14別番組に移動のため一度制作から退いたが、その後も『笑っていいとも!』などを担当しながらアドバイザリースタッフとして携わった。
その後は『ワイドナショー』『さんまのお笑い向上委員会』『FNS27時間テレビ』、そして令和の土8枠となった『新しいカギ』などを担当。
とんねるず関連番組で名を馳せた港浩一氏が社長になった2022年6月の人事で「編成制作局バラエティー制作センター部長」という肩書になり、晴れて部長職になった。2023年7月の人事ではわずか1年で編成部長に昇格。めちゃイケスタッフの中ではかなりの出世を果たしている。

「遅れてんだろうが!!」

  • カガリP
ハキョクグマ。編集局に住んでいる。ちなみにフルネームは「明松 功」で、「明松」と書いて「カガリ」と読む難読名字の持ち主。
スタッフの笑い声の中でもよく聞こえてくる声の正体はこの人。
番組開始当時は中嶋とともに名物ADであり、「どっちのADショー」ではディレクター昇格を賭け中嶋と勝負し見事勝利。
2011年、なぜか先にPに昇格していた中嶋の異動を機にPに昇進。更に副部長にまで昇進した……が2016年に何故か営業に左遷されてしまい、番組を去る。その後2022年春にフジテレビが行った50歳以上を対象とした早期退職制度を利用して退社し独立。電通の社員と組んで合同会社「KAZA2NA」を設立した。
再婚もしていた。
ガリタさんとは別人。

  • ‎西山喜久恵
「キクちゃん」の愛称で知られるフジテレビの看板アナ。入社した年に始まった「新しい波」の時代から出演していた古参メンバーで、様々なコーナーの進行役として開始から終了までほぼ一貫して出演し続けた一人(『スーパーニュース』を担当しながら出演したり、産休で出演が無かった期間もある)。バラエティはもちろんニュースからスポーツまで幅広く活躍し、めちゃイケメンバーのみならずBIG3(タモリ・たけし・さんま)やとんねるず、ダウンタウン、元SMAPメンバーの5人とも共演は数多い。オアシズとは大学時代から面識があり、大久保とは同じサークルに入っていたという。
番組終了後は引き続き『めざましテレビ』の「きょうのわんこ」をはじめとするナレーションや『めざましどようび』のMCを務めており、管理職(アナウンス室の局次長でゼネラルアナウンサー)でもある。本社が河田町にあった時代からフジテレビのエース的な存在で活躍しているが、あれよあれよという間に2024年現在ではアナウンス部の現役女性アナウンサーとしては最古参になってしまった。

  • 佐野瑞樹
「とぶくすり」の時代(1994年大晦日の年越し特番)から出演していた古参メンバーで、西山同様に様々なコーナーで進行役を務め、開始から終了までほぼ一貫して出演し続けたフジテレビアナウンサー。
「めちゃイケ」の放送期間中に2度の離婚を経験し、ニューヨーク支局への駐在決定時にはスモウンサーになった。
「抜き打ちテスト」では副担任を任されているが、岡村先生からは「絶対に弄らないで下さい」と釘を刺されている。
かなりのベテランなのだが、局は違えど同期の羽鳥慎一(日テレ→フリー)*15と比較されてしまう。
終了後は『ネプリーグ』の天の声や『めざましどようび』のMC(西山アナと担当)を経て、
2024年現在は『オールナイトフジコ』や『みんなのKEIBA』に出演している。

  • 片岡飛鳥
めちゃイケという番組の立ち上げ・企画・制作統括に携わった総監督で凄い人。
入社後すぐに放送末期の「ひょうきん族」のADとして配属され、その後ディレクターとして「やるやら」、総監督として「めちゃイケ」と四半世紀に亘ってフジテレビの土8に関わり続けた。この他にも『笑っていいとも!』に携わった事があり、実はタモリとさんまが「チャッ、チャッチャッチャッ」と拍手を切るあの芸だったり「テレフォンショッキング」での「そうですね」のやり取りは飛鳥さんが『いいとも!』の前説で生み出したものである。
かつては他のディレクターと相撲を取ったり、実母を出すなどしていたものの、他の名物スタッフとは違い、滅多にカメラの前には出てこない。
凄い「ドS」で知られており、「スモウライダー」に赤っ恥指令を下す声の主はこの人である。
2022年春でカガリ共々、フジテレビが行った50歳以上を対象とした早期退職制度を利用して退社し独立。6月に合同会社「とぶとりっぷ」を設立した。

  • オカピー
小道具担当。スイスみたいな湘南ボーイ。ビンタの鬼。
作詞作曲が趣味で、目を付けたこにしPのプロデュースでカセットテープデビュー。代表曲は「永遠より続くように」。

  • 坂井ちゃん
大道具スタッフ。ミスターダンガリー。
特技はピアノで、溜めるに溜める。

  • 長瀬キャメラマン
お腹が弱いため、遠征ロケに参加できないカメラマン。

  • 北村要
ディレクター。めちゃイケは前身の殿フェロ時代から参加しているが、その殿フェロは病気を患い途中で離脱してしまった。
矢部の破局会見前夜に結婚報告をした。
フジTV警察では「ホームレスのオッチャン」としてポルシェ購入や子供の誕生を弄られるハメに。

  • カマタくん
秋田出身の若手AD。後期にはDも担当。
プレッシャー星人の味方。
岡村が痔患った原因の人物で、極真空手の経験者。

  • 東中川君
元AD。現在はBSフジに異動。
市川海老蔵に似ているが、目が死んでいる+挙動不審な為、近付くと怖がられる。


有名なコーナー

  • 単位上等!爆走数取団
レギュラーメンバーたちが暴走族に扮し、セットのバイクにまたがりながら「お題」の単位を数と一緒に答えていくゲーム
バイク」→1台、「りんご」→2つ、「タバコ」→3本…という感じで、単位だけでなく数も1つずつ増やして答えることになる。
単位は「箪笥」→〇棹といった正しい単位を答えることも重要だが、「青春」→〇ページ、「流血」→〇リットル、「江頭」→〇時50分、「金八先生」→○年B組などの「美しい単位」をその場で生み出すセンスも求められる。
間違えたメンバーにはライバル「関取団」の力士とのガチンコ勝負が強いられる。そしてほとんどの場合、ボロ負けする。
更に同じメンバーの負けが続くと、「男の勲章」と称してその人物のスキャンダル写真を力士が貼りつけ去っていく。時には地上波に流せないほど恥ずかしいプライベートな代物が含まれている模様。
同じお題を続けて言うことも可能だが、途中で誰かが突然お題を変えて惑わす「ブッコミ」を入れることもある。この時はなかなかの緊張感が漂う。

めちゃイケの全盛期と人気を象徴した名物コーナーでもあり、山本降板騒動で打ち切りの憂き目に遭っても「色取り忍者」「めちゃギントン」などの後継コーナーで形を変えながら続いたほどである。
(ちなみに、数取団の前任であったコーナーは「しりとり侍」である)
元ネタとなったのはロックバンドの「氣志團」で、スペシャルでは彼らがゲスト出演した。ちなみに出演したメンバー曰く「数取団のお陰で知名度が上がった」との事。
また、当時米国務長官であったパウエルの日本での知名度向上にも貢献したとか。

知らぬものはいない、珍解答のバーゲンセール。
詳しくは項目で。
2022年春には自局でパクリオマージュ番組が開始している。

  • シンクロナイズドテイスティング
女性シンクロナイズドスイミング選手に扮したメンバーやゲスト達が各国のチームに分かれ、視覚と嗅覚を閉じた状態で食わされた料理の名前を当てる。
シンクロの名の通り全員一致で正解ならセーフだが、一人でも間違えたらステージ下の流氷プールに落とされ、出演者たちは陸の上にある「命の湯」を目指して脱出する羽目になる。
チームの中に最低一人はバカ舌の疑いアリな出演者が含まれているため、一人以外は全員正解であえなく落とされるケースが多々。本当の全員正解で流氷行きを免れたケースは皆無といってもいい。
大規模なセットを組んだコーナーでもあったために金がかかるという欠点もあり、後年は実施される頻度そのものが低下した。
また2010年のFNSの日(ヘキサゴンファミリーメイン回)では、「夜のシンクロナイズドテイスティング」と称し「食材さん」なる挑戦者の元交際相手を連れてくるサプライズを実行。結果醜い言い訳も空しく皆落ちた(但し女性陣のみ対象者以外の4人があえて他の女性を候補に挙げたのが原因)。ちなみにこの回は岡村が休養に入った直後のため出演していなかった。

なお偶然だが、番組終了直後の2018年4月から元ネタの競技名が「アーティスティックスイミング」に変更(海外では2017年から)。シンクロの名はめちゃイケの歴史と共に終わりを告げた。

  • ヨモギダ少年愚連隊
めちゃモテ(土曜23時台)の頃、雛形にセクハラをかました岡村に怒りの挑戦状を叩きつけた雛形ファンの素人・ヨモギダ君を中心としたシリーズ。そのため企画の初回と第2弾はめちゃモテで放送し、3弾目からはめちゃイケになった後に放送されている。
そもそもナイナイのファンでもありANNリスナーでもあった事、そして上記の経緯もきっかけになりめちゃイケ(特に岡村)との間に縁が生まれ、以降大学受験、バンド活動か父の建設会社を継ぐかを迫られた時、アルバイトをしながら鍼灸学校への通学している中で通称「ヨモエさん」と結婚し、さらに連れ子もいた事が判明した時*16と人生に何か大きな出来事があるたびに大がかりなロケが行われた。2013年、矢部が結婚する直前のスペシャル回(この次の回が結婚披露宴の生放送スペシャル)で上記の通り結婚が明らかとなった。このスペシャルが愚連隊の最終回となった。

…ちなみにバンド回と結婚回ではあろう事か雛形の事が最後まで忘れられ、オチ要員となった雛形はバンド回では加藤のキレ芸を完コピ、結婚回では散々キレた後にメンバー数人とヨモギダ君を締め上げ気絶させてから、最後に加藤がビンタして意識を回復させるコント芸に発展した*17
鍼灸学校での勉学に打ち込んでいた最終回から3年後、2016年春の20周年企画「再会郵便局」でナイナイ・雛形と再会した際には都内のとあるマッサージ治療院のスタッフとなっており「先生」と呼ばれるまでに。そこで研鑽を積んだ末に1年後、晴れて独立。渋谷駅近くに自身が院長を務める「渋谷スポンジ」を開いた。その最初のお客さんとして現れたのは、岡村だった。そのため、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家免許を、加えて大学時代には教員免許も取得している。
2023年10月の『ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭』では、夫婦で会場を訪れたヨモギダ君とナイナイの3ショットがヨモエさんのX(旧Twitter)に投稿され、ヨモギダ君も「3人揃って138歳!」と引用していた。

番組終了が決まった後、シュウ活の第1弾でやべっち寿司を復活させた際、公式発表前に番組終了をバラしてしまったたむけんが現れてメンバーに謝罪したのだが、たまたまそこに居合わせたのがヨモギダ君だった。結果成り行きで初期の愚連隊と同様にたむけんが投げ飛ばされた。*18

  • 濱口だましシリーズ
めちゃイケ随一のバカ、濱口に仕掛けられたドッキリの数々。
明らかに有り得ないシチュエーションでもまんまと踊らされる濱口の姿は視聴者の笑いを誘い、人気企画の一つに。

岡村があらゆる有名人のオファーを受け、様々なチャレンジに挑む名企画。
かのオカザイルが生まれたのもここから。

  • やべっち寿司
上記の矢部版というセルフパロディ企画から生まれたトークコーナー。
フジテレビ内に矢部が寿司屋を設け、通りがかった(というテイの)ゲストに寿司を握りながら岡村と共にトークを行う。時々ゲストや岡村の茶番が繰り広げられるのがお約束。
めちゃイケでは珍しくこれといったヒネりの無いトークコーナーだが、尺稼ぎに有用だからか意外にもかなり息の長い長寿企画だった。

  • 爆裂お父さん
東京都練馬区に住む加藤家(リアル加藤家ではない)の大黒柱のお父さんに扮した加藤が、家訓を破ったなどの理由でゲストにジャイアントスイングをかますコント。元々初期のショートコントの一つから始まり、その後正式にコーナー化した。
男女平等に豪快なジャイアントスイングで投げ飛ばす加藤の姿はまさに狂犬。
最終回では何とリアル加藤家の皆さんもサプライズ登場し、遂に本物の身内をもジャイアントスイングで投げ飛ばすことになった。

  • フジTV警察24時
岡村、加藤、濱口、矢部の4人が警察官の格好をし、フジテレビ内を駆け回りながら犯罪者(という名のゲスト)を取り締まる不定期コーナー。
たまに見かける警察特番のパロディーである。
取り締まるといっても大体はしょうもないレベルのいちゃもんであり、逮捕される時はキャスター付きのミニ牢屋に放り込まれる。実は矢部以外の3名はある理由から浦島太郎状態で、芸能界について全く知らないという無駄に凝った設定がある。
放送されたその年にブレイクした人物が「本庁からの助っ人」として登場する。
当時、フジテレビで放送されていたこち亀とのコラボや、劇団四季のミュージカル「ライオン・キング」とのコラボもあった。
「頓馬さん?」「シンバです!!」

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最終更新:2025年04月23日 16:57

*1 教科書的に訳すと「俺達、なんてイケてるんだ!」となるが、自然な日本語・英語としては番組タイトルとほぼ同じ意味と思っていい。

*2 ちなみに『とぶくすりZ』終了後もこの15分の帯枠は1996年3月まで続き、1995年4月から9月はSMAPがメインとなる『SMAPのがんばりましょう』を放送。こちらは曜日毎に歌・演芸・ゲストとの歌とトーク・ドラマなどといった内容が配され、『夢がMORIMORI』共々『SMAP×SMAP』の原型となる。10月から翌年3月は今田耕司・東野幸治・板尾創路の3名がメインとなる『冒冒グラフ』を放送。こちらは1週間を通して同じコーナー・同じタイムテーブルで様々なコントや企画を放送。それらのコーナーは1日完結や1週完結と構成がバラバラであり、15分の番組(縦軸)として観るか、1つのコーナーを追いかけて(横軸)観るかで「番組をグラフ化してみる」というコンセプトだったが、HDDレコーダーなど無い時代ゆえに視聴者には定着しなかった(特に横軸はリアルタイムの視聴かそのコーナーだけ録画して繋ぐ事を強いられるため)。

*3 この企画は枠の入れ替えや編成の都合もあり95年秋改編では一旦開始が見送られて、96年春から『SMAP×SMAP』として開始した。

*4 実は雛形だけはスケジュールの関係でバハマに行けず、自身が写るシーンだけ河田町のフジテレビ屋上にセットを組んで撮影していた。

*5 後に最終回が近くなってその時のことについて謝っている。

*6 ちなみに、このフレーズはその後も加藤が度々発したり、加藤をモノマネのレパートリーに入れている原口あきまさがネタとして使う事がある。加藤本人のケースでは「スッキリ」の最終回で番組の最後にこのフレーズを使って締め括った。ちなみにこの他の加藤のモノマネネタでは、闇営業問題の時に「スッキリ」生放送中にブチギレた「加藤の乱」がある。

*7 実際は前日11月3日にスポーツ紙がリーク。さらにコーナーレギュラーのたむらけんじが自身のインスタグラムで終了をバラしてしまうという一件もあった。その結果たむらはネタ交じりとはいえメンバーから怒られる羽目になり、関西でのレギュラー番組『松本家の休日』2018年2月24日放送回では「このせいで会社から大目玉を喰らい、SNS謹慎令が出た」と告白していた。

*8 ちなみにカオリちゃんとのキューピッド役の1人が有野。というのもタレント活動をしていたカオリちゃんが出演していた鈴木爆発をプレイし、気に入ったことが加藤とカオリちゃんの恋の始まりだったから。なお長年借りパク状態だったが2022年に正式に譲ってもらった。

*9 ただ、この騒動は事前の打ち合わせ不足や直前のコーナーが長引いたせいでバスケットボールのコーナーの尺が短縮されたのが原因で、一概に福徳の責任とは言い切れない。台本通りにしようと焦ってたとはいえ一発目でボールを強くぶつけた件についてはSMAPの中居正広にこっぴどく怒られたが。

*10 みちのくプロレス側はこれ以降「バラエティ番組の企画を引き受けない」という姿勢を取っており、志望者にもプロレスという競技の危険性もきつく言い聞かせている

*11 元々企画当時から視聴者達からやらせではないかとの疑惑はSNSやネットニュースで既にあった。

*12 肺癌を患い2015年2月19日に逝去。亡くなった今もレギュラー番組で折に触れて父親とのエピソードを語っている他、中居が代表を務める個人事務所「のんびりなかい」が設立された日も父親の命日である。

*13 下記のセリフは「時の記念日」にちなんだ企画のときのセリフだが、この時は企画終了後にメンバーにきちんと謝っている姿がエンド5秒で流れていたり、他の企画で画面に登場する際もメンバーに腰を低くした態度で話している場面が映っていたりするので決して態度が大きいわけではない(あくまで番組上の演出)。

*14 深夜にやったバスケの件と思われるかもしれないが、実は「番組の枠内にCMを1本入れ忘れる」というスポンサー企業との関係性で成り立っている民間放送の社員として最もアウトな事をやらかし、その責任を取るため辞めたのが最大の理由だという。

*15 こちらも『ぐるナイ』でナイナイと共演している。

*16 結婚した時、ヨモギダはナイナイにも報告し披露宴に招待する予定だったが岡村が休養していた時期と重なり実現しなかった事が明かされている。

*17 後日の矢部結婚発表の際にも、矢部に対して同様の流れで襲っている。これは矢部の結婚発表の直前に雛形も天野との再婚を発表しておりそれがかき消された格好になったため。

*18 これは、この件を知ったヨモギダ君が自身のTwitter(当時)で「そろそろ言っていいかな、たむけんしばく」(原文ママ)とあの時の岡村への挑戦状に書かれた言葉と同じメッセージを投稿したのが始まり。いずれもヨモギダ君本人が柔道経験者とあって投げ飛ばされるオチで決着が付いている(岡村は愚連隊第2弾の後編)。