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スベンド・ブローダーセン

登録日:2026/05/26 Tue 14:11:03
更新日:2026/06/08 Mon 17:48:26
所要時間:約 6 分で読めます




スベンド・ブローダーセンはドイツ出身のサッカー選手。
愛称は「ブロ」(ブロちゃん)、「ダーセン」。
横浜FCの頃はブロ、フロンターレではダーセンと呼ばれることが多いようだ。

ドイツ時代は「シュレッダー」と呼ばれていたらしいが、日本人にはうまく発音できず、「ブロ」という愛称が生まれたらしい。

【基本プロフィール】

2026特別構想リーグ時点での公式プロフィール
  • 生年月日 - 1997年3月22日
  • 出身地 - ドイツ ハンブルグ
  • 身長/体重 - 188cm/89kg
  • 利き手/利き足(サイズ)- 右/右(29.0cm)

【経歴】

4歳の頃から、地元のチームであるFCザンクトパウリの育成組織で育った。
この間に「アイムスビュッテラTV」というクラブへの在籍も経験している。

2014-2015シーズンからはレギオナルリーガ・ノルド*1に所属していたリザーブチームで出場機会を得る。
翌シーズンからは、リザーブチームの正GKとして定着。
しかし、トップチームの牙城は厳しかったのか、年に数回のベンチ入りがある程度で、リザーブの正GKという立ち位置からは抜け出せないでいた。

2017年には、U-20ワールドカップに挑むU-20ドイツ代表に選出。
グループリーグの初戦のみドミニク・ライマンにスタメンを譲ったが、2試合目以降は自身がゴールマウスを守った。チームは、決勝トーナメントの初戦でザンビアに延長戦の末敗れている。

2018-2019シーズンは、ブンデス2部を戦うトップチーム入りを果たし、第2キーパーとしてベンチ入り。
第21節のケルン戦でトップチーム初出場を記録した。
結局このシーズンは、トップチームでは2試合の出場に終わった。
並行して、リザーブチームで8試合に出場している。

2019-2020シーズンもトップの第2GKという立ち位置だったが、鎖骨を骨折し、長期離脱を余儀なくされる。
2月ごろには出場可能な状態だったようで、調整のためかリザーブチームで3試合に出場している。

2020-2021シーズンも4試合の出場に終わり、GKの序列を覆すことができなかった。

2021年、新型コロナウイルスの影響で延期された東京五輪のU-24ドイツ代表に選出された。
しかし、フロリアン・ミュラーが全試合に起用されたため、出場機会はなかった。

横浜FC時代

2021年7月、当時J1の最下位と低迷していた横浜FCへの加入が発表された。
ちなみに、横浜FCによる発表に先立ち、DFB(ドイツサッカー連盟)により前述の五輪メンバー発表が行われているが、所属チームが「Yokohama FC」と、フライングで発表されてしまっている。

加入時のコメントで熱い日本愛を綴っていたことも話題となった。
加入までは、六反勇治・南雄太が正GKを争い、さらに若手の市川も4試合に出場するなど、3人で出場機会を分け合っていた横浜FCだが、彼らを押し除け正GKに定着。
加入後全試合に出場し、崩壊気味だった守備を立て直したが、奮闘虚しくチームは最下位で、J2降格となってしまった

2022シーズンも正GKとしてほとんどの試合に出場していた。
しかし、第38節・アウェイでのV・ファーレン長崎戦で相手選手と頭同士で接触、起き上がることができないまま、救急搬送される事態となった。
幸い入院には至らなかったものの、脳振盪の診断を受けたことで、大事を取り戦線を離脱。
第41節・ホームでのツエーゲン金沢でヘッドギアを着用した姿でスタメン復帰を果たし、チームも1年でのJ1復帰を成し遂げた。

J1で迎えた2023シーズン、初戦から第8節まではベンチ外となった。
これに関しては、開幕前の練習中に2回目となる脳震盪を起こしていたことも関係している*2

それでも第9節でスタメンに復帰してからは正GKとしてスタメンを守り続けていた。
しかし、第21節・広島でのアウェイゲーム。横浜FCが1点リードで迎えた後半アディショナルタイム。
コーナーキックを難なくキャッチ、ブローダーセンは前線へのフィードを試みる。
この際、背後にいた広島の柏好文に全く気がつかず、ボールを手放した瞬間に奪われてしまう。
そこにピエロスが詰めていたことで失点。掴みかけていた勝ち点3を手放してしまう*3

この失点が直接関係しているかどうかは不明だが、翌節以降は永井堅梧と序列が入れ替わり、自身はベンチを温めることに。
結局最終節まで永井がスタメンフル出場を続け、自身は第2GKとして過ごすこととなってしまった。

ファジアーノ岡山時代

2024シーズンからファジアーノ岡山へと移籍。
即座に正GKに定着。
チームは5位でJ1昇格プレーオフを勝ち抜いてJ1へと昇格。昇格初年度の2025年も引き続き守護神として活躍し、個人としては初めてJ1でフルシーズンに渡りゴールマウスを守り、またチームもJ1残留を果たし個人初のJ1残留を成し遂げている。
また岡山在籍時は勝利時のサポーターと共に行う勝利の儀式におけるクネクネとした独特の動きも話題を呼んだ。

川崎フロンターレ

2026シーズンに川崎フロンターレに加入。
日本加入後、横浜FC・岡山と残留争いが続いていたことから、優勝を目指し移籍を決断したという。
フロンターレ加入に際して、通訳をつけないこととなった。

【プレースタイル】

ポジショニングや反応に優れており、セービング能力が高い。
横浜FCや岡山に所属していた頃は、何度もビッグセーブを見せており、勝ち点1を3に、0を1にできる選手と言える。
後述する通り、日常会話なら通訳が必要ないほどの語学力があり、また声もよく通るため、コーチング能力も高い。

一方で、現代のゴールキーパーに求められる足元の技術やキック精度は高いとは言えない。
ビルドアップ時に狙われピンチを招いたり、攻撃に繋げることができなかったり、といった点は散見される。
前述の通り、横浜FC在籍時は四方田監督がGKにもビルドアップへの参加を求めていたため、レギュラーから降格してしまった遠因にもなっている。

【人物】

幼少期はゴジラポケモン遊戯王を見て育ったという親日家。
横浜FC加入時のコメントは熱い日本愛に溢れている。
日本語を真摯に学び、チームメイトとの日常会話は通訳なしの日本語で行う。
マスコミのインタビューにも日本語で応じることが多い。
2026年にフロンターレに所属してからは、ついに通訳をつけないようになった。
2026年現在、川崎フロンターレに所属しており、日本での生活は4年半となる。
本人も、オファーがある限りは日本でプレーを続けたいと語っている。
また、2023年7月に結婚を発表したお相手は日本人女性の方。

日本加入後は、一貫して背番号49をつけている。
元々は「一番大きな背番号をつけたい」ということで選択したが*4、結婚した夫人の誕生日が9月4日であり、ドイツでは日付を「曜日・日・月・年」の順で書くため、夫人の誕生日という意味も入っている。

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最終更新:2026年06月08日 17:48

*1 ブンデスリーガから数えて4部リーグに当たる

*2 2回目以降の脳震盪は、回復が悪化したり認知機能に影響を及ぼしたりする可能性があるため、復帰により慎重になっていたと推測される。

*3 ブローダーセンに不注意な部分があったのは事実だが、前線に向かってしまい、誰もGKの周囲に注意を払っていなかった横浜のFP陣の問題を指摘する声もある。前述の通り、後半アディショナルタイムで1点リードという、攻撃を急ぐ必要は皆無のシーンでもある。

*4 横浜FCに加入した2021年時点の規定では、背番号は1〜50の中から選ぶ必要があった。背番号50は、ブローダーセンより早く加入が発表されていたフェリペ・ヴィゼウの背番号になっていた。ちなみに、2023年に規定が変わり、現在は1〜99の中で選択可能。