オグリキャップ(競走馬)

登録日:2010/05/31 Mon 21:18:08
更新日:2025/04/22 Tue 02:32:25
所要時間:約 11 分で読めます


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90年 有馬記念

オグリキャップ復活、ラストラン。

神はいる。そう思った。
──2011年有馬記念CM



オグリキャップ(Oguri Cap)とは、日本の元競走馬
そのドラマチックな競走馬生活から非常に高い支持を得、武豊騎手と共に第二次競馬ブームを引き起こした立役者。


目次

【データ】

誕生:1985年3月27日
死亡:2010年7月3日
享年:25歳
父:ダンシングキャップ
母:ホワイトナルビー
母父:シルバーシャーク
調教師:瀬戸口勉 (栗東)
馬主:近藤俊典
生産者:稲葉不奈男
産地:三石町
セリ取引価格:-
獲得賞金:8億8,830万円 (中央) /2,281万円 (地方)
通算成績:32戦22勝[22-6-1-3]
主な勝鞍:'88有馬記念、'89マイルチャンピオンS、'90安田記念・有馬記念

【誕生】

1985年、3月27日の深夜…

稲葉牧場で、一頭の芦毛馬が誕生した。
その馬は右前脚が大きく外向(馬体の外に脚が曲がっている事)し、自力で立つ事もままならなかった。
稲葉牧場長が、それでも元気に育つようにと願いを込め、その幼駒の名を『ハツラツ』とした。

ハツラツは込められた願いに応えるかのように健やかに育ち、削蹄(蹄を削る事)による矯正を根気よく行った事で脚の外向も成長するにつれ改善されていった。
そして1987年。公営笠松でデビューすべく馬主の名字由来の冠名と父の名から新しく命名される。

オグリキャップ

今も競馬史に燦然と輝く波乱万丈な物語の幕開けである。


【活躍】

笠松競馬時代、最初のライバル

オグリキャップはデビュー前の能力試験で好タイムを叩き出していた事から既に注目されておりデビュー戦の時点で既に2番人気。
肝心のデビュー戦では菊花賞馬を父に持ち同じ芦毛仲間のマーチトウショウにクビ差で惜敗。ちなみに1番人気も彼だった。
しかし惜敗とはいえオグリキャップですら後続を5馬身突き放しており明らかにこの2頭が突出していた。
実際その後のレースでのオグリキャップは4馬身差・6馬身差と圧倒的力量を見せつけ勝利するも、マーチトウショウとの再戦ではハナ差でまたしても惜敗。
そして三度の対決、オグリキャップとしてはデビューから5戦目でようやくマーチトウショウに勝利するとそのまま破竹の勢いで連勝を始める。
最終的な笠松競馬時代の戦績は12戦10勝。終わってみればこのオグリキャップに土を付ける事が出来たのがマーチトウショウのみだったのだからいかに2頭が突出していたのかという話である。
オグリキャップとマーチトウショウとの戦績は8戦6勝(8戦の内マーチトウショウ1着が2回、2着が4回)

ちなみに地方競馬らしくほとんどのレースはダートで行われているのだが中京盃だけは地方ではかなーーり珍しく芝を使ったレースが行われる。
オグリキャップはこの中京盃でも好走を見せ芝でも通用する事を示したため「笠松に凄い馬がいる」と注目されていた。


中央への移籍、白い稲妻との芦毛頂上決戦

翌年、鳴り物入りで新しい馬主に預けられ中央競馬に移籍すると、中央初戦のペガサスS(GⅢ)から毎日王冠(GⅡ)まで重賞6連勝。
高松宮杯(GⅡ)に至ってはレコードを叩き出す。
クラシック登録が無かったせいで「三冠」への挑戦は出来なかったもののその不運を思わせない強さを見せた。
何ならこれがキッカケでクラシック制度が見直され後に世紀末覇王三度奇跡を起こす馬に繋がるのだがそれはまた別の話。

ただの馬じゃない、怪物だ!笠松から来た白い怪物だ!
(毎日王冠実況)

そんなオグリキャップの前に壁が立ちふさがる。
一つ上の先輩、後に『白い稲妻』とも呼ばれる『最強の芦毛』ことタマモクロスである。
ダートを主戦場としていた馬なのだが、何の因果かオグリキャップが中京盃を走っていた頃に芝に転向し覚醒、そこから圧倒的な強さを見せつけていた馬である。

地方から突然現れた怪物の芦毛、突如覚醒した最強の芦毛。
世間の注目を集めていたが直接交わる事の無かった二頭がついにぶつかったのが、オグリキャップにとって初GⅠとなる天皇賞(秋)。
勝ったのはタマモクロスだった。オグリキャップは2着。
この時オグリキャップもよっぽど悔しかったのかレース後もタマモクロスを睨み続けていた、という話が残っているほどである。
続くジャパンC(GⅠ)でもタマモクロスに追いつけず3着(そのタマモクロスも2着であり、1着は9番人気の伏兵ペイザバトラー)。

そしてタマモクロスの引退レースとなった有馬記念(GⅠ)。オグリキャップとタマモクロス最後の直接対決、芦毛頂上決戦である。
オグリキャップは鞍上を中央に来てから主に乗っていた河内洋から岡部幸雄に替えて挑む。
1番人気タマモクロス、2番人気オグリキャップ。多くの観客が対決を見守る中、3度目にしてついにオグリキャップが見事に雪辱を果たし、グランプリ制覇を成し遂げた。

ちなみに1988年、オグリキャップが中央に来てからの戦績は9戦7勝(GⅠを1勝、GⅡを3勝、GⅢを3勝)。
地方でダート走っていた馬が芝の重賞を荒らしまくった年となった。クラシック路線に出走できない鬱憤晴らし?

タマモクロスとの直接対決は3戦1勝。
突如現れた芦毛達の対決はお互いのバックボーンや実際の競馬内容も合わさりオグリキャップの人気が確立した年と言っても良いだろう。
オグリキャップの競馬人生の中で最も注目された年……になるような馬ならここまで後世に伝わる競走馬にはなっていなかったのが。


平成三強の年、激動の3か月


流石に前年の激闘が響いたか1989年は故障が相次いだ為に秋からの始動となった。

オグリキャップが休んでいる間に世間ではある馬が話題となっていた。イナリワンである。
大井から中央に殴りこんできた馬で天皇賞(春)(GⅠ)でレコードを叩き出し勝利するとその勢いで宝塚記念(GⅠ)も制覇していた。
かつてタマモクロスがそうだったように、今度はオグリキャップが中央の壁として立ちはだかる時が来たのだ。

さて休み明けのオグリキャップ、鞍上にタマモクロスの騎手だった南井克巳を迎え準備運動と言わんばかりにオールカマー(GⅢ)をレコードタイムで難無く制覇。
続く毎日王冠(GⅡ)でイナリワンとの直接対決となりデッドヒートをハナ差で制し意地を見せつける。
調子を上げて天皇賞(秋)(GⅠ)に挑んだが、ここは同世代の菊花賞馬スーパークリークに惜敗。

こうして芦毛の怪物と、怪物でも油断ならない2頭がGⅠを奪い合う平成三強の時代が幕を開ける事となる。

そこからが圧巻で、ここまでも3週間刻みの割とタフなスケジュールなのに再び中2週でのマイルCS(GⅠ)から翌週のジャパンC(GⅠ)への連闘というトチ狂った常識外のローテーション。
マイルCSでは先に抜けたバンブーメモリーに大差つくも最後の直線で怒涛の追い上げを見せハナ差で勝利。
平成三強も揃ったジャパンCでは英国馬イブンベイの暴走に端を発するハイペースを最後まで崩さず差し切り、当時の2400m世界レコード決着でニュージーランドの女王ホーリックスにクビ差の2着と健闘した。ついでに3着だったペイザバトラーにも雪辱を果たす。
年末の集大成である有馬記念(GⅠ)では一時トップに立ちながらも失速し、1着イナリワンと2着スーパークリークの死闘に置いて行かれることに(それでも5着で掲示板は死守したが)。

1989年の戦績は6戦3勝(GⅠを1勝、GⅡを1勝、GⅢを1勝)。
去年は1年かけて9戦したのにこの時は3か月で6戦(しかもうち1着3回、2着2回、掲示板率100%)である。
この異常過ぎる成績と過密ローテーション(通称:オグリローテ)は伝説の無茶ローテとして競馬史に刻まれる事となった。
タフさに定評のあるオグリでも有馬の頃には流石にバテていたようにも見えるが、関係者曰くジャパンカップの時点ではまったく疲れを見せていなかったらしい。ローテも常識外なら馬も常識外だった。


世代交代、そしてラストラン

1990年、オグリキャップ6歳。

春にはかの武豊を鞍上に乗せ安田記念(GⅠ)に出走。ヤエノムテキとオサイチジョージのマークをものともせずレコードタイムを叩き出しついでに歴代賞金獲得額日本一(当時)も達成。
ちなみに2022年現在、有馬記念と古馬マイルGⅠ両方を制した中央競走馬はオグリキャップだけである*1

だが、安田記念を境に低迷。
当時若手有力株の一人とされていた岡潤一郎が乗った宝塚記念(GⅠ)ではオサイチジョージの先行策に届かず2着。
70年代のアイドルホースハイセイコーの乗り手として知られるベテラン増沢末夫が乗った天皇賞(秋)(GⅠ)では1着ヤエノムテキらからの内側の差しに対応できず6着。
増沢騎手が続けて乗ったジャパンC(GⅠ)では最終直線の叩き合いに乗り込めず11着(1着はベタールースンアップ)

「オグリは終わった」と言われ、馬主には『引退させないとお前の家や競馬場を爆破する』といった脅迫文まで届くようになってしまった。
思えばGⅠを奪い合った平成三強の面々も引退済であり、もはや世代交代の頃なのだろう。

陣営は最後にファンの期待には応えるべく有馬記念(GⅠ)をオグリキャップのラストランにする事を決定。

第35回有馬記念
オグリキャップの最後の雄姿を見届けようと中山競馬場に史上最高の約18万人が詰めかける。
ある者はせめて掲示板にでも入ってくれればと祈り、ある者は無事に回ってくれればいいと見守り、またある者は斜め上の期待を胸に込めて──
ファン投票は14万6738票で1番人気だったがオッズは4番人気という数字は、そんなファンの淡い期待が募った結果だろう。

レース前、鞍上の武豊はオグリにこう言葉をかけたという。

しっかりせえ。お前、自分を誰やと思っとんねん。
オグリキャップやで。

レースは1000m63.0秒という超スローの中、中団やや前めのいい位置でレースを進め、第3コーナーから大外へ進出し、他馬を一気に抜き去る。


さあ頑張るぞオグリキャップ!
───白川次郎(ラジオたんぱ)


最後の直線を必死に粘り、1馬身差抑え込んでゴールを先頭で駆けぬけたのはオグリキャップだった。


オグリ1着!オグリ1着!オグリ1着!オグリ1着!
右手を上げた武豊!*2
オグリ1着!オグリ1着!
見事に引退レース、引退の花道を飾りました!
スーパーホースです!オグリキャップです!!

───大川和彦(フジテレビ)


「ない」と思われていた奇跡とも思えるこの勝利に、ファンは惜しみない拍手とオグリコールを贈った。
後年のCMでも言われたように「神はいる」とすら思えるような、そんな劇的な勝利であった。
この有馬記念で、競馬は「ギャンブル」から「ドラマ」になったのだ。
日本中を湧かせたオグリキャップ物語は、最高の幕切れであった。

生涯戦績:32戦22勝(うちGⅠ4勝)

引退後、京都・笠松・東京の3競馬場で引退式が執り行われた。笠松での引退式当日は競馬場に入れた人だけで当時の笠松町の人口以上の2万5千人が詰めかけ、入場制限で入れなかった人も含めるとおよそ1.7倍の4万人が笠松を訪れたという。
笠松競馬場最寄りの鉄道路線である名鉄名古屋本線を運行する名古屋鉄道はオグリキャップのイラストを使用した系統板を作成して特急列車2本に掲出。この2列車は特急が停車しない笠松駅に臨時停車させ、主要な駅では笠松競馬場を走るオグリキャップの写真を使用した記念乗車券も発売した。


【引退後】

引退後は種牡馬入り。
競走馬としては素晴らしい成績を残したオグリキャップだが、種牡馬としては重賞ウィナーを一頭も出す事が出来ず*3、大成しなかった。
ただでさえ内国産種牡馬冷遇の時代に、一般的に種牡馬としては成功しないとされる突然変異的な血統*4と成績、1991年の初年度種付け後喉嚢炎で倒れ数か月間療養生活をしていた事、
さらに引退したすぐ後にトニービン(88年JCで対戦)やブライアンズタイムと言った強力な輸入種牡馬が猛威を振るい、とどめに種牡馬としての同期があのサンデーサイレンスだった事等、これは運がなかったとしか言いようがないだろうか。
主な子は長男オグリワンやアラマサキャップにオグリエンゼル、末娘ミンナノアイドル等。
また母系でオグリの血を繋ぐ繁殖牝馬も年々減少する等*5血の存続に関してはかなり厳しい状況だが、2020年に孫で後継種牡馬のクレイドルサイアー*6の仔が2頭誕生。2022年にその内の一頭フォルキャップがホッカイドウ競馬でデビューしている。
ちなみに後の2017年、オグリキャップの曾孫(アラマサキャップの娘の仔)ラインミーティアがアイビスサマーダッシュでオグリキャップ系初中央重賞勝利を飾ったが、不運にも2018年8月に急逝した。
ミンナノアイドルの子であるミンナノヒーローも盛岡競馬場にてデビュー戦こそ負けたものの、その後は3連勝とかつての祖父のような強さを見せたが5戦目のレースにて不運に見舞われ安楽死となってしまっている。通算成績5戦3勝。

そして…2010年7月3日。
静養先の優駿スタリオンステーションにて脚を骨折、安楽死処分。
享年25。大往生であった。


【騎手】

騎手の乗り替わりがかなり多く、地方時代3人・中央時代6人と総計9人が騎乗。
最多騎乗は笠松期後半の相方安藤勝己・中央移籍後1988年のメイン騎手河内洋・1989年のメイン騎手南井克巳が7回タイで並んでいる。
他に鞍上を務めたのは笠松時代は青木達彦・高橋一成、中央時代は武豊・増沢末夫は2回、1回だけだったのは岡部幸雄と岡潤一郎。
岡部幸雄はオグリに興味を示していたのだが当時の馬主が脱税問題が取り沙汰されておりクリーンなイメージを維持するために「一度だけ」という条件で有馬記念で騎乗。
岡潤一郎は武豊がスーパークリークに騎乗、南井がヨーロッパへ研修旅行で不在で任されたが数々の騎乗ミスにより2着に終わったことでこの1度きりとなった*7

増沢末夫は初の掲示板外6着に大敗11着とそれまで最低でも掲示板以内を維持してきたオグリの戦績に泥を塗ってしまった。
他の騎手からも相性が良くなかったと批判されたが、調教師は「調子が悪い時に任せて申し訳なかった」とフォローしている。
武豊は同年の安田記念と有馬記念の2回のみで、どちらかといえばスーパークリークなどのオグリのライバルとなった馬に騎乗していることが多かった。
また当時のテレビ出演時にオグリに対し「何を考えているか分からない」とコメントしているなど、あまり好感を持っていなかった模様。
しかし、後年一番乗りやすかった競走馬を聞かれた際は「どんな距離でも同じ競馬が出来た」「あんなに賢い馬は他にはいない」と断トツでオグリキャップが乗りやすかったと発言している。

なお馬主としては「有馬も増くんでもいいけど豊くんで負ければ納得がいく」と武豊に任せる気であったようで、もし武豊が乗らなければ出走せず引退も考えていた。
当時ならたった一頭の出走回避に過ぎなかったかもしれないが、オグリが有馬に出走しなかったら今の競馬界は大きく違っていたことだろう…

【創作作品での登場】

地方から転入してきた周囲の期待に応えたいと願う天然系田舎娘なウマ娘。
アニメにも少し登場。モチーフ馬さながらの健啖家ぶりを見せていた。
第6Rでは88年有馬記念の再現でスーパークリーク、タマモクロスと対決するが、何故かドーナツ大食い競争に置き換えられていた。
『うまよん』でも食べ物絡みの話題には大抵出てくる食いしん坊。
漫画『シンデレラグレイ』では主人公に抜擢。笠松時代から中央競馬挑戦、たくさんのライバルたちとの激闘まで「本物のオグリキャップ」の歩みが描かれている。

1巻冒頭(1989年秋ローテ)から登場しており、「アイドルホース」ゆえに目立ちたがり屋の俺様系スターとなっている。なお引退後しばらくしてから、ド派手な関東GⅠファンファーレを出囃子にする様になった。
イナリワンとの1990年有馬へと至る「任侠編」、「馬の温泉」(JRA競走馬リハビリテーションセンター)での休養、タケユタカ(武豊)との微妙な関係等様々なメイン回があり、後に単行本未収録話を含めた総集編『オグリキャップ編』が発売された。
90年代中盤以降は種牡馬入り時に遭遇したサンデーサイレンス系の隆盛に押されるように出番が激減するものの、時々「クラシック追加登録制度」の話題になる度顔が引用されており、
2004年春には北海道から中央に挑戦するコスモバルクを応援し、2008年の一般公開時には白化した姿を一瞬見せるも過去の面影が無いため態々若い時の芦毛色に戻したが同日レースに挑むスクリーンヒーローに勇気を与えた。
そして他界した2010年には、函館記念に挑むも敗れた笠松競馬のラブミーチャンが偶然メジロライアンと出会いオグリキャップの事を聞かされ、年末に追悼回として「オグリキャップ追悼記念なんでもアリま記念」を自ら開催。
没後も毎日王冠編(2010年と『馬なり1ハロン!NEO』での2022年回)や「オグリキャップ黄金像」お披露目記念として2014年函館記念回に霊として顔を見せている。

  • 『優駿たちの蹄跡』
オグリローマンが第12戦とわりと早い段階で登場したのに対し、兄の方はかなり長いこと登場していなかったが、連載も終盤に差し掛かった第115戦「オグリキャップの有馬記念」でようやく登場。
何故か馬なりや優駿劇場でもないのに鞍上の武豊と普通に会話しており、競走馬生活を振り返りながら「ヒーローだった自分の勝ちを信じる声が聞こえてこない現実」に怒りを見せていた。

【余談】

とにかく大食いなことでも有名で
  • 母馬があまり授乳したがらなかったが、幼いオグリは構わずその辺の草を食っていた。
  • 1日の食事量は普通の競走馬のおよそ倍。そして食べ終わるまで決して飼い葉桶から顔を上げない。
  • それでも物足りないのか、雑草や寝藁*8まで食べだし、しまいには飼い葉桶に齧りついた事すらあったとか。
  • 放牧地から厩舎に戻るまでの間にその辺の草を食う。
  • 消化器官も異常に強く、消化されにくい燕麦も殻ごときれいに消化してしまった。
  • 唯一食事を止めた時はジャパンCで戦う予定の牝馬ホーリックスの曳き運動を眺めていた。一目惚れしてたとかいう珍説も。
などのエピソードが残されている。


オグリキャップ自身は遂に参戦すること叶わなかったクラシック戦線だが、引退から4年後の1994年、オグリの半妹で同じように笠松から中央に移籍したオグリローマンが、武豊の騎乗で桜花賞馬となっている。


オグリキャップの墓は優駿SSが管理する記念公園「優駿メモリアルパーク」にあり、同地には他に2011年建造の銅像や同じスタリオンで暮らしたマヤノトップガン・オグリの死後スタリオン入りしたホッコータルマエとセットの馬像が飾られている。


身体のみならず精神的に非常にタフな馬であり、めったなことでは動揺しなかった。もちろんそれは現役時代の走りにも生かされていた。
一例として2008年、東京競馬場で引退後のオグリキャップが一般公開された際、
「フラッシュ撮影は禁止」との看板が立っていたにもかかわらず、
携帯電話やカメラを向け、パシャパシャフラッシュを浴びせるマナーの悪いファンが大勢いた。
馬は生来非常に臆病な動物であり、このようなことをされると大抵はパニックに陥ってしまう。

現在、パドックでフラッシュを焚くことは厳禁となっているが、
それはかつてエアグルーヴが秋華賞のパドックでフラッシュを浴びた際、パニックを起こして大発汗し、まともなレースができなかったという事件があり、事態を重く見て禁止となったのである。
このwikiを見ている、馬を愛する競馬ファンの方々、絶対に許可なくフラッシュ撮影などしないでいただきたい

しかし、オグリキャップは大量のフラッシュを浴びても、平然としていた。
スターホースだったオグリは(フラッシュに)慣れていたという点もあるだろうし、長く生きてきた年の功でもあるだろうが、
筆者はそれを現地で見て「流石はオグリだな…」と唸ったものである。
とはいえサラブレッドに詳しくないTV局のスタッフに24時間密着取材された際には、流石のオグリも食欲不振になるレベルで消耗したそうだが。


後、意外な弱点として泳ぎが苦手だった事が知られている。競走馬には水に首から下を漬からせて走らせるトレーニングがあるが、オグリキャップは溺れているんじゃないかと思うくらい泳ぐのが遅かったらしい。


長年グランプリレースのファン投票はオグリキャップが1990年宝塚記念の15万2016票・1990年有馬記念19万7682票と、どちらも最多投票数記録を保持していた。
その後2020年に有馬記念をクロノジェネシス(21万4472票)が30年ぶりに、2022年に宝塚記念をタイトルホルダー(19万1394票)が32年ぶりに更新している。



追記・修正は夢を叶えた方がお願いします。

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最終更新:2025年04月22日 02:32

*1 マイルGⅠ全体であれば、2歳戦の朝日杯3歳ステークス→フューチュリティステークス馬のナリタブライアングラスワンダードリームジャーニードウデュース、3歳戦の桜花賞馬のダイワスカーレットジェンティルドンナがいる。

*2 上げたのは左手である。

*3 正規のG・Jpnグレード重賞以外まで数えるなら1999年の荒尾競馬開催重賞「サラブレッド系3歳優駿」(格付け「KJ2」)で優勝したフルミネートがいる。

*4 一応父父であるネイティヴダンサーは「孫世代で覚醒する馬」として知られており、血統的な裏付けがまったくなかったわけではないが。

*5 ミンナノアイドル産駒初の牝レディアイコ(2018年生まれ)も2022年怪我から引退するも、体格の小ささ等から繁殖入りは見送られている。

*6 オグリの仔で唯一頭種牡馬入りしたノーザンキャップの唯一の産駒。

*7 その後、岡は競走中の落馬事故でヘルメットがカバーできてない頭部に他馬の脚が直撃し24歳でこの世を去っている。

*8 厩舎の寝床に敷いてある藁