ホテル・ルワンダ(映画)

登録日:2011/05/10(火) 21:59:00
更新日:2024/02/18 Sun 22:02:44
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『ホテル・ルワンダ』とは、2004年に制作された映画である。
テリー・ジョージ監督、主演はドン・チードル。

日本では当初配給先が決まらず公開は見送られていたが、一部の人々の署名運動により日本公開が実現した。

1994年に起こった民族間の武力衝突『ルワンダ虐殺』という状況のなか、自らが勤めているホテルに1200人以上を匿い、命を救ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基に作られた物語である。

この英雄的行為によりポールは世界的に賞賛され、「アフリカのシンドラー」とも称されている。


○主な登場人物○

  • ポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)
外資系のミル・コリン・ホテルで働く有能な支配人。ツチの妻を持ち、ポールはフツだが穏健派である。
虐殺が始まり、はじめは家族だけでも逃がそうとするも、ポールを頼り逃げてきた知人やツチの人々を見捨てられず、
ホテルマンとして鍛えた話術や交渉術、コネ、果ては嘘ハッタリに至るまで総動員して彼らを匿う。

別の世界では鉄社長の親友だった。


  • タチアナ・ルセサバギナ(ソフィー・オコネドー)
ポールの妻でツチ族。家族思いの女性だが、周囲で行われる虐殺によって精神はすり減らされていく。

イギリスの霊能者ではない。


  • オリバー大佐(ニック・ノルティ)
平和維持軍としてルワンダに駐在している国連軍大佐。但し助けてくれない。
まあ犠牲者が50万人とも100万人とも伝えられる事件の前に、たかが2500人程度の部隊でどこまで出来るか、という話でもあるのだが……


  • オギュスタン・ビジムング(ファナ・モコエナ)
ルワンダ政府軍の将軍。ミル・コリン・ホテルに足繁く通い、ポールにとって上客である。
彼に対してコネを持っていたことがポールにとって武器となった。
ポール同様実在の人物であり、ルワンダ虐殺に関わっていたとして裁かれ禁錮30年の刑で収監されている。


  • ジャック・ダグリッシュ(ホアキン・フェニックス)
海外のジャーナリスト。凄惨な街で取材を行う。

不幸なコメディアンとは無関係。


  • ティレン社長(ジャン・レノ)
ミル・コリンの親会社サベナ航空*1の社長。ポールからの電話を受け、フランスへ救援を要請する。



○ルワンダ虐殺とは○

ルワンダでは、もともと農耕をする多数の「フツ」と王族の出身母体で牧畜をする少数の「ツチ」が暮らしていた。
作中でもツチとフツを外国人が見分けるのは困難な描写がされているように、民族的な違いは曖昧*2だが、19世紀頃にヨーロッパ人がやってきて支配するようになると話が変わってくる。
当時の人類学をもとにヨーロッパ人は「支配階層であるツチは北のエチオピアからやって来て文明を与えた、ノアの息子の一人のハム、およびさらにその子のカナンを源流とする一族」と考えていた。
そしてかつて宗主国であったドイツ、そして第一次世界大戦後の後継であるベルギーによって肌の色や鼻の高さ、所有する牛の数などによってツチとフツに分けられ、IDカード制を用いてフツとツチを完全に隔てた(現在は廃止)。
そして少数派のツチを優遇する制度を確立させ、税制や教育においてもツチだけが恩恵を受けられた。
早い話がツチを植民地における中間支配層に据え、統治国ベルギーへ向けられる不満をツチへと向けさせる分割統治政策である。


第二次大戦後、アフリカで独立の動きが高まると、かつての宗主国ベルギーはフツを支持するようになる。
それまでのツチ優遇の反動で政治の主導権もフツに移り、一転してツチが迫害され、ツチの中には国外へと逃れる者も出てきた。
独立前夜の1959年にはフツの政治主導者がツチに襲撃されたことを発端に、フツとツチが相手を襲う動乱に発展(万聖節の騒乱)。両者の溝はどんどん深くなっていった。

国外へ逃れたツチ難民の中で隣国ウガンダに向かった者たちは、国連の難民支援もあり次第にウガンダ社会に溶け込む……も、
案の定というべきか、ウガンダでは「ルワンダ人に職が奪われるのではないか?」と彼らルワンダ難民への民族差別が起きる。
それを受けたウガンダのオボデ政権はルワンダ語で話す人間を一まとめに迫害。
その結果、彼らルワンダ難民がウガンダの反政府組織、国民抵抗軍へと接近するのは当然の成り行きであったといえる。
そして国民抵抗軍がウガンダの政権を奪取しムセベニ政権が発足した1987年、彼らはルワンダ愛国戦線(RPF)を結成し、ルワンダへの帰還を目指すようになる。

そして1990年にはRPFがルワンダ国内に侵攻し内戦が勃発する。
この頃からツチへの暴力や侮蔑感情を煽るラジオ放送や雑誌も刊行されるようになり、反ツチのヘイトスピーチが過激さを増していった。
政府や警察は止めなかったのか、と思う人もいるだろうが、止めるどころかフツである当時のハビャリマナ大統領側近の暗躍があった。
ハビャリマナ大統領が親戚や縁戚、同郷の人間を政府に登用した結果、「アカズ」と呼ばれた側近集団が形成され、彼らが身内以外の人間を政治中枢に参加させないようツチ排除を煽っていた。

93年8月には和平協定が結ばれるものの、翌94年4月、ハビャリマナ大統領の乗る飛行機が撃墜されてしまう。

この暗殺はツチによるものと和平に反発したフツの過激派によるものと2説があったが、未だに判然としない。
これが引き金となり、メディアに煽られた民兵や過激派のフツによるツチや穏健派フツの大虐殺へと発展することとなる。

この虐殺は大統領が暗殺された4月6日からRPFがルワンダを制圧した7月半ばまでのおよそ100日間で100万人以上のツチや穏健派フツの犠牲者を出したとされている。
約730万人の人口のうちツチはおよそ15%とされるが、100万人以上の犠牲全てがツチではないにせよどれだけ多くのツチが犠牲になったかは想像に難くない。

90年頃からルワンダ国内で頻繁に行われた煽動的なメディアのプロパガンダ放送、銃火器の供給、民兵の結成、虐殺対象のリストアップなど、この虐殺は事前に周到に準備され起こされたものとされている。
ポールのように配偶者や隣人がツチであるフツや、虐殺に否定的な所謂「穏健派」のフツもいたが、上述の通り穏健派のフツも「裏切り者」としてツチと共に虐殺対象にされており、
穏健派と看做されたらもちろん、ツチの夫がいるというだけでフツの隣人から強姦された女性もいるなど、「ツチに近しい」と思われるだけで身の危険があったため、
自分や家族の身を守るため、仕方なくツチを手に掛けたフツもいたという。
その殺害方法も残虐で、虐殺者に捕まったツチには必ず拷問(女性の場合は強姦も追加される)が加えられ、簡単には殺してもらえずに散々に嬲られた上で殺されたケースがほとんどであったとされ、
被害者の中には、自分を捕らえた虐殺者たちに『一思いに殺してくれ』とお金を渡して哀願した者もいたという(尤も、懇願したところでそれが叶えられることはなく、大抵の者はお金だけ取られて上記の様な末路を辿ったが)。

この虐殺によって多くの命が奪われただけでなく、拷問によって身体を不具にされた者、強姦によって望まぬ子どもを産んだ者などたくさんの被害者が生まれており、
他にも一家の大黒柱を殺されて経済的に困窮し、強姦されたことで嫁の貰い手が付かないと売春に身を窶す女性が続出したり、
身体に傷がなくとも心に深い傷が残った者がツチ族はもちろんフツ族にも多くいたりと、虐殺の終焉後も多くの人間が苦しんだという。

なお、ルワンダにはフツ、ツチの他にトゥワという少数民族が暮らしているが、彼らはフツ・ツチの両者から差別の対象として蔑視されており、
ルワンダ虐殺の際には、ツチ族共々虐殺の対象にされたり、逆にツチ族の女性に精神的屈辱を与える目的で強姦要員として組み込まれたりしたらしいが、
虐殺で全体の人口のうち三分の一が殺され、三分の一が隣国等に逃れて難民となったことくらいしかわかっていないという。


○欧米諸国は何をしていたか○

実はソマリア内戦の余波と同時期にユーゴスラビア内戦が起こったためにそちらにかかりきりになっていた。
彼らにとってソマリア内戦で国連軍側に犠牲者が出たため、アフリカの小国で起こっている紛争に関わることには消極的であり、派遣していた平和維持軍を撤退させる国もあった。
軍を派遣する国もあったが、あくまでルワンダ国内に取り残された自国の職員や観光客の救出のためであり、ルワンダを救うためではなかった。
事の重大さとは裏腹に先進国の関心は薄く、対応は緩慢としたものであった。
当時のフランス大統領フランソワ・ミッテランは「ああいった国では、虐殺は大した問題ではない」と述べている。
…が、フランスは何とフツ族に対して援助を行っており、間接的に虐殺を支援していたことになる。
この虐殺がジェノサイドと認定されれば、ジェノサイド条約に調印している国に介入義務が生まれるため、介入を嫌がった調印国の抵抗によって認定が遅れてしまったとされている。
結局ジェノサイドと認定されたのは虐殺し尽くされた後であった。



作中でこんなシーンがある。

ジャックは街で行われていた虐殺をカメラに収めた。
虐殺の瞬間を収めた映像を世界に流せば国際救助が来る──映像を見たポールはそう期待したが、ジャックの考えは違っていた。


「世界中の人々はあの映像を見て──“怖いね”と言うだけでディナーを続ける」



気になった人はぜひとも鑑賞をオススメする。
映画としての出来もよく、主演のドン・チードルをはじめ出演者の迫真の演技は素晴らしいものがある。とても考えさせられる作品である。


○現在のルワンダは○

2000年に副大統領兼国防相から大統領に就任したポール・カガメ大統領の主導の元、ルワンダは新たな国づくりを進めている。

「国民に共通の目的を持たせる」という目標を掲げており、具体的には
※自分が起こした行為について告白させ、見返りに社会奉仕を行う事で国民の和解に努める
※国民が情報を入手し易いようにインターネットを整備。その普及率は何と98%
※汚職の徹底した追放。アフリカでもっともクリーンな国の一つになった
※公務員に成果主義を導入。毎年、地域毎に結果を発表し、目標を達成出来なかった知事や大臣は即交代させられる
※憲法で女性議員の比率を30%以上に規定しており、閣僚の半分が女性
※「二度と自国のような悲劇を繰り返してはならない」と国連に平和維持軍を派遣。その数は世界5位
上記の政策が功をなし、今のルワンダはかつてからは考えられない程治安が良く、女性が夜中に一人で歩いても問題がないレベルとの事。
主に観光産業に力を入れ、経済成長率は虐殺後は8%前後と高水準を推移し、GDPは虐殺が起きた1994年と比べて30倍以上(2015年)にも成長してきている。
現在ではアフリカでも有数の平和国&発展国であり、この悲惨な過去を乗り越えての目覚ましい経済発展は「アフリカの奇跡」とも呼ばれている。

しかしながら、世界で最も劣悪な環境を持つギタラマ刑務所の問題点や、慢性的な人口過剰*3、近隣諸国の政情不安が今後の課題となっている。
その政情不安の一端であるコンゴ民主共和国の反政府運動の中には、ルワンダやウガンダの支援を受けた勢力があることを国連は報告・指摘している。

また、反政府運動であるRPFからのたたき上げであるカガメ大統領には黒い噂が付いて回る。
フランスは同氏を虐殺の主犯とみなした為*4にルワンダ側が国交を断絶。
後にサルコジ大統領がルワンダを訪問し、前述の対応に関して「大きな判断の誤りがあった」と虐殺への関与を謝罪。
国交回復へと向かったものの、ルワンダはイギリスやアメリカへ接近を図り、元英国領ではないにも関わらず英連邦へと加盟した。

そして経済発展の一方でカガメ政権は順調に長期化。
2期14年の任期の終わりが近づいた2015年には憲法を改正し、3選以降も解禁するなど、この手の独裁政権の確立でしばしば見られたルートを辿りつつある。


今後のルワンダが平穏な国のままでいられるかどうかは、カガメ大統領と欧米諸国に委ねられていると言えるだろう。

ちなみに似たような境遇(DVDスルー予定→署名で劇場公開)の映画に
ホット・ファズ
ハングオーバー!
等があり、たまにセットで扱われたりするが、これらはコメディ映画である。

2020年9月1日、ルワンダ当局がテロ容疑などでルセサバギナ氏を逮捕。2023年3月25日に釈放となった。

冤罪か、それとも…
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最終更新:2024年02月18日 22:02

*1 ベルギーの大手航空会社。1923年設立という老舗のフラッグ・キャリアだったが、慢性的な高コスト体質などの理由で経営は毎年のように赤字という有様だった。最終的にスイス航空傘下となるが、当のスイス航空が積極経営路線の失敗などが原因で2001年10月に経営破綻してしまい、共倒れとなる形で翌月に経営破綻。機材や路線網はSNブリュッセル航空(現ブリュッセル航空)に承継された

*2 現代では「何を仕事にしてたかで生まれた区分じゃね?(意訳)」とする説が主流

*3 ルワンダは人口が1948年の180万人から事件直前まででも730万人へ膨れ上がったアフリカでも最も人口密度が高い国であり、土地や食料の不足とそれらに由来するトラブルが深刻だった

*4 なお、ルセサバギナ氏はフランス政府同様にカガメ大統領を犯人と見なしており、ルワンダへの帰国を拒否。