アルト・ロペス(野球選手)

登録日:2010/01/23(土) 18:50:53
更新日:2023/02/24 Fri 02:42:40
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1968年。

東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)は、深刻な打撃力不足に喘いでいた。

―――そんな状況を打破するのは、外国人の強力な助っ人しか居ない。
そう考えたオリオンズ首脳陣は、ニューヨーク・ヤンキースへ助っ人を打診する。

ヤンキースからの返事は、
「ロペスなら出しても良い」
という物だった。

――ロペス。
ヤンキースの大スターであり、走攻守に渡り素晴らしい選手である彼が、オリオンズへ来てくれるというのだ。

オリオンズ首脳陣は狂喜乱舞。
「大々的に売り出そう!」
「やった…!ロペスが来る…!」

早速ヤンキースと移籍契約を済ませ、いよいよ羽田空港にロペスが到着する時が来た。

皆はしゃぎながらロペスを待つ。












…だが


現れたのは見た事も無い、ロペスという名前の選手だった…

ヤンキースで活躍していたロペスは、
パナマ出身の『ヘクター・ロペス』。
そして契約・来日したのは、ヘクターとは全くの別人の
プエルトリコ出身の『アルト・ロペス』

だったのである。

ちなみにヘクターは右利きでアルトは左利き


しかし移籍金は払ってしまったし、帰すのは勿体無い。一度使ってみてダメだったら帰そう。
そう思った首脳陣は、日本でロペスを使ってみる事にした。


…そう


誰もが予想しなかった、ロペスの快進撃の始まりである。

ロペスは開幕戦から奮起。決勝打となる三塁打を放ち、上々のスタートを切ると、6月12日から7月17日まで26試合連続安打を記録。
その年のオールスター第1戦では史上初の先頭打者初球ホームランまでやってのけた。
初年度の成績は、
打率.289 HR23 打点74
という素晴らしい成績を残す。
若干守備に不安は有るものの、狭い球場のお陰で全然エラーが目立たなかった。

さらに翌年(1969年)は
打率.301 HR23 打点81
1970年は
打率.313 HR21 打点69
1971年は
打率.301 HR24 打点77

なんと、まさかの3年連続打率3割越え。
更に本塁打もコンスタントに打ち、70年のリーグ優勝などオリオンズ不動の三番打者として大活躍した。

しかし1972年に球団の方針(恐らくは年俸絡みや本拠地が変わったためだろうが…)ヤクルトアトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)へとトレードで移籍。


ちなみにトレードされるとき、当時のオリオンズの監督だった大沢親分に、
ハートガ冷タイネ!」
日本語を入れた。


だがヤクルトに移ると、これまでの勢いは一転、スランプに陥ってしまう。


…ロペスは、もともと長打力は低かった。
オリオンズ時代こそ狭い東京球場で本塁打が量産出来たが、広い神宮球場に本拠が移った事で長打が出なくなってしまった。
更に広い球場のせいで守備力の悪さが露呈。


遂に1973年には解雇されてしまった。

通算成績

打率.290 HR116 打点401
1973年の成績を除けば、最終打率は3割を越えていた。
移籍せずにオリオンズでプレーしていたら、物凄い名選手になっていたかもしれない。

一部媒体ではアルト、ヘクターは兄弟だとしている場合もあったようだが実際には血縁関係はない。

ロペス「追記修正シナイ奴ハ、ハートガ冷タイネ!」

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最終更新:2023年02月24日 02:42