ある日のこと。シルフィーヌ二世は通りがかりなのでとガスペリ家に挨拶に向かうと、そのままリリアーナのいる中庭の一角ーーテーブル一台と椅子が数脚置かれた、ちょっとした茶会の場に使われるようなところに呼ばれた。
とはいえ実際にここを使うのはリリアーナくらいであり、実際にリリアーナも本を読んだりする時に気紛れで使ったりする有り様なのだが。
「ご機嫌麗しゅうございます、シルフィーヌ陛下。ここまで呼びつけるようで無礼ながら、生憎手が離せなかったもので」
「リリアーナ、お久し振りです……と、その立派な装丁の本から?」
「ええ。設えが良すぎて、今日のうちに読み終えたかったもので」
そう話し終えると、クスクスと笑いが起きる。
リリアーナのものである。
「と、いうのは冗談です。実際は……時間に余裕はあるでしょう。軽く話したかっただけです」
「実際、時間には余裕がありますが……お得意の情報網ですか?」
「いえ、これは直感。あくまで『そう思っただけ』ですよ」
だからこそリリアーナは厄介なのだ、とシルフィーヌは思いこそしたが。その厄介だと思われることすらリリアーナの想定内な気もしたので、諦めて備えられている椅子に座る。
リリアーナの表情こそ変化がなかったが。案外海蛇頭取と呼ばれようと、親しい友人相手の話は大好きなことをシルフィーヌは知っていた。これはリリアーナ当人も知らない話であった。
とはいえ実際にここを使うのはリリアーナくらいであり、実際にリリアーナも本を読んだりする時に気紛れで使ったりする有り様なのだが。
「ご機嫌麗しゅうございます、シルフィーヌ陛下。ここまで呼びつけるようで無礼ながら、生憎手が離せなかったもので」
「リリアーナ、お久し振りです……と、その立派な装丁の本から?」
「ええ。設えが良すぎて、今日のうちに読み終えたかったもので」
そう話し終えると、クスクスと笑いが起きる。
リリアーナのものである。
「と、いうのは冗談です。実際は……時間に余裕はあるでしょう。軽く話したかっただけです」
「実際、時間には余裕がありますが……お得意の情報網ですか?」
「いえ、これは直感。あくまで『そう思っただけ』ですよ」
だからこそリリアーナは厄介なのだ、とシルフィーヌは思いこそしたが。その厄介だと思われることすらリリアーナの想定内な気もしたので、諦めて備えられている椅子に座る。
リリアーナの表情こそ変化がなかったが。案外海蛇頭取と呼ばれようと、親しい友人相手の話は大好きなことをシルフィーヌは知っていた。これはリリアーナ当人も知らない話であった。
話の中身であるが。お互いの近況について語り終えた後は本の内容が歴史書であったこともあり、そのまま歴史の話に移った。
といっても、内容は制度論ーー古今東西の大国を比較し、その制度についてリリアーナなりの持論を述べていくという具合だった。
とはいえ見識深いリリアーナの意見は特定の意見に寄っていても面白い話として成立しているのだが。
といっても、内容は制度論ーー古今東西の大国を比較し、その制度についてリリアーナなりの持論を述べていくという具合だった。
とはいえ見識深いリリアーナの意見は特定の意見に寄っていても面白い話として成立しているのだが。
「ですから、南北螭の官僚制度については共和国同盟こそ採用すべき点が数多くみられます。効率的な官吏登用制度とそれを実現可能な人材の供給などはその最たるものでありますが。東西マジョリアの文化的差異もありますし、やはりそのまま通すわけにはいかないのが悩ましいところです」
「成程。ところでリリアーナ、エルニア帝国についてはここまで触れていませんが……」
「……聞きたい、ですか?」
リリアーナが問い、シルフィーヌが頷く。
リリアーナは黙ってカップの中身を飲み干し、少し考えてから口を開く。
「……私の意見は、結局のところ後世の銀行家の片寄った意見でしかありません。その部分、よく理解してくださいね。また、貴女の気分が害されたと判断したら言うように。すぐ止めますから」
「大丈夫です。初対面の印象程、リリアーナは怖くないとわかっていますから」
「そうですか。では、そのように」
「成程。ところでリリアーナ、エルニア帝国についてはここまで触れていませんが……」
「……聞きたい、ですか?」
リリアーナが問い、シルフィーヌが頷く。
リリアーナは黙ってカップの中身を飲み干し、少し考えてから口を開く。
「……私の意見は、結局のところ後世の銀行家の片寄った意見でしかありません。その部分、よく理解してくださいね。また、貴女の気分が害されたと判断したら言うように。すぐ止めますから」
「大丈夫です。初対面の印象程、リリアーナは怖くないとわかっていますから」
「そうですか。では、そのように」
そうして、リリアーナはエルニア帝国について語り始めた。
「エルニア帝国、正確にはその前身となる国家についてはやはり臥螭河文明圏がエルニア帝国建国当時には高度な官僚制を築いていたこともあり。制度的には遅れている、後進的と評価できます」
「ですが。これは先程私が語った『東西マジョリアの文化的差異』に繋がるのですが、その行政制度に割かれるべきリソースを全て技術発展に注ぎ込んだのがエルニア帝国です」
「つまりエルニア帝国は民生を犠牲にして戦争に国力を傾注した結果、国家として必要な内部の定期的な『掃除』ーー制度改革や属人的部分の排除が出来なかったわけです」
「だからエルニアは国家としての体を保てなくなって呆気なく滅びた、と?」
「それもまた理由の一端です。エルニア帝国の場合、やはり大きいのは皇帝の代替が不可能だった点でしょうね。皇帝が強ければ国も強い、弱れば国も弱る。確かに戦争機械とすればわかりやすいですが、国家としては脆いのです」
「エルニア帝国、正確にはその前身となる国家についてはやはり臥螭河文明圏がエルニア帝国建国当時には高度な官僚制を築いていたこともあり。制度的には遅れている、後進的と評価できます」
「ですが。これは先程私が語った『東西マジョリアの文化的差異』に繋がるのですが、その行政制度に割かれるべきリソースを全て技術発展に注ぎ込んだのがエルニア帝国です」
「つまりエルニア帝国は民生を犠牲にして戦争に国力を傾注した結果、国家として必要な内部の定期的な『掃除』ーー制度改革や属人的部分の排除が出来なかったわけです」
「だからエルニアは国家としての体を保てなくなって呆気なく滅びた、と?」
「それもまた理由の一端です。エルニア帝国の場合、やはり大きいのは皇帝の代替が不可能だった点でしょうね。皇帝が強ければ国も強い、弱れば国も弱る。確かに戦争機械とすればわかりやすいですが、国家としては脆いのです」
「……何より、これはフローレンシア学派と呼ばれる経済についての研究を行う学閥の意見の借用ですが。『エルニア帝国は略奪が止まった時点で滅ぶ運命だった』のです」
「……」
「遺された資料は確かに少ないですが、辛うじて次のようなことがわかっているようです。劉帝国の征服が事実上頓挫した後から小麦の価格が高くなり出していること、イルニア半島のエルフの徴兵がその時期を境に増えていること、奴隷の供給が止まったことにより『人の価値』が高くなったことに上層部が無自覚だったことーー」
「つまり……エルニア帝国は奴隷と他国からの収奪が前提であったから、それがひっくり返った途端どうにもならなくなった、と」
「……残念ながら、私はそう考えています。続けても?」
「ええ、はい。続けてください」
「……」
「遺された資料は確かに少ないですが、辛うじて次のようなことがわかっているようです。劉帝国の征服が事実上頓挫した後から小麦の価格が高くなり出していること、イルニア半島のエルフの徴兵がその時期を境に増えていること、奴隷の供給が止まったことにより『人の価値』が高くなったことに上層部が無自覚だったことーー」
「つまり……エルニア帝国は奴隷と他国からの収奪が前提であったから、それがひっくり返った途端どうにもならなくなった、と」
「……残念ながら、私はそう考えています。続けても?」
「ええ、はい。続けてください」
そうシルフィーヌに言われるとリリアーナはポットからカップに茶を注ぎ、カップの中身を一気に飲んでからまた話し出す。
「エルニア帝国は、戦いすぎたのです」
「エルニア帝国は、戦いすぎたのです」
「戦いすぎた」
「はい。休む間もなく戦い続けると、何かをし続けると、当然それ以外が鈍りますし疲労も蓄積しますね?」
「ええ、経験はあります」
「国も同じです。エルニア帝国は失った分を他所から持ってくるから見かけの上ではなんとかなっていただけです。もしエルニア帝国が高い技術を内側に、つまり内政に向けていれば今頃貴女のお姉さまは西マジョリア全体の皇帝だったでしょうね」
「……そこで姉を持ってきますか」
「私としては、シルフィーヌの方が君主の器ではあると思っているのですよ?姉君については、シルフィーヌからの話しか知りませんが……」
「はい。休む間もなく戦い続けると、何かをし続けると、当然それ以外が鈍りますし疲労も蓄積しますね?」
「ええ、経験はあります」
「国も同じです。エルニア帝国は失った分を他所から持ってくるから見かけの上ではなんとかなっていただけです。もしエルニア帝国が高い技術を内側に、つまり内政に向けていれば今頃貴女のお姉さまは西マジョリア全体の皇帝だったでしょうね」
「……そこで姉を持ってきますか」
「私としては、シルフィーヌの方が君主の器ではあると思っているのですよ?姉君については、シルフィーヌからの話しか知りませんが……」
そう悪巧みするかのような空気で純粋に褒めているのもまたリリアーナなのだと知っているが。知っているからこそなんとも言えない気持ちになる時もある。
「……と、話を続けましょう。ただ、エルニア帝国は戦い続けるしかなかった国です。文明圏で当時自力で魔族を排除できたのは、エルニアを除けば臥螭河文明圏とバランダル文明圏、カスル・ファラオ国を中心としたケネ川文明圏くらいでした」
「そのうえで臥螭河文明圏とバランダル文明圏は険しい山々を超えて拡大することはなく、ケネ川文明圏もまた、魔族の撃退こそすれど拡大する力はなかった。だからこそ、エルニアは拡大するしかなかった。彼等がやらなかったことをやるために」
「それが、対魔王の狼煙と」
「はい。ですから、エルニアは立派な国です。私が統治者だったら地盤固めと制度構築をしていたでしょうが、代わりにエルニア帝国は成立しなかったでしょうね。その前に滅んでおしまいです」
「貶しすぎたからバランスを取るつもりですか?」
「いえ、そんなつもりはなく。ただ……シルフィーヌ、貴女なら理想も現実も両方取れたかもしれませんね」
「……と、話を続けましょう。ただ、エルニア帝国は戦い続けるしかなかった国です。文明圏で当時自力で魔族を排除できたのは、エルニアを除けば臥螭河文明圏とバランダル文明圏、カスル・ファラオ国を中心としたケネ川文明圏くらいでした」
「そのうえで臥螭河文明圏とバランダル文明圏は険しい山々を超えて拡大することはなく、ケネ川文明圏もまた、魔族の撃退こそすれど拡大する力はなかった。だからこそ、エルニアは拡大するしかなかった。彼等がやらなかったことをやるために」
「それが、対魔王の狼煙と」
「はい。ですから、エルニアは立派な国です。私が統治者だったら地盤固めと制度構築をしていたでしょうが、代わりにエルニア帝国は成立しなかったでしょうね。その前に滅んでおしまいです」
「貶しすぎたからバランスを取るつもりですか?」
「いえ、そんなつもりはなく。ただ……シルフィーヌ、貴女なら理想も現実も両方取れたかもしれませんね」
そう、仮定の時は贔屓目、相手の実力を上に見てくるからこそリリアーナは厄介なのだと。
シルフィーヌはそう考えるのだった。
シルフィーヌはそう考えるのだった。