マネ・ダカトッア・チエ・ダカトッオ・ダグメ・チャクム
チャンタ語: mane ɖakat'a !ie ɖakat'o ɖagme !akm
生年月日 |
シンテーア歴1699年1月21日 |
没年 |
シンテーア歴XXXX年XX月XX日 |
出生地 |
Totoh, Sohami |
民族 |
マネ人 |
最終学歴 |
ンガバラ高等学術専修学校 |
最終階級 |
星空軍大将 |
渾名 |
女将軍チャクム |
「先に宣言しておく、私なら君たちの三隻で追ってきた奴等を討ち滅せる」
――救援を求めてきたシャシュ亡命者艦隊に対する発言
マネ・ダカトッア・チエ・ダカトッオ・ダグメ・チャクム(チャンタ語:mane ɖakat'a !ie ɖakat'o ɖagme !akm)とは、チャンタ星空軍の将校。最終階級は星空軍大将。長年、その高度な指揮力によりチャンタの星空軍を操り続け、国内外から「女将軍チャクム」との名声を獲得している。
人物史
幼少期
シンテーア歴1699年1月21日、ソハミ地方のトトフの貴族家に生まれる。北東世界の長官となる
クッオヌは双子の妹である。長女ながら、先天的に左目が欠落していたクッオヌを両親は優遇し、チャクムは大して気にされることは無かった。11歳になると、
大宇宙と接触したチャンタ国内は大混乱に陥る。実家を見損なったチャクムは当時最新のRSC政府による近代軍の噂に魅入られることになる。軍への編入を求めるが、親に反対されてRSCの学術関連のキャリアを目指すことにする。
青年期
1720年(21歳)にチャクムはンガバラ高等学術専修学校に入学する。一般的な学生と混ざり合って、勉学を進めていくものの彼女は違和感を感じていた。しかしながら、4年間に首席をキープして卒業。1724年(25歳)に学術シンクタンクの特別研究生へ就任。軍事学や戦略学の研究を続け、1728年(28歳)には学術シンクタンク研究員に昇進した。近年中にRSCが海外への留学生を募るとの情報を聞いたチャクムは努力し、1730年(30歳)にタウンクゥユヮルー・グループに参加する特任学術留学生に昇進、
ジエール帝国連邦のレーオント・レイオン大学で4年学んだ。1734年(34歳)に帰国、以後は学術シンクタンク特任研究員として大宇宙軍事史を研究し、近代宙軍の成立への準備を整えていった。
1735年(35歳)、フォールシートゥ政権に抜擢され、「近代的宙軍準備委員会」の委員長になり、「チャンタ宙軍」の成立へ働きかけていく。チャクムの努力は各界で受け入れられ、安価ながら取り敢えずの軍備が早急に整えられていった。
人物
- 趣味は喫煙・飲酒・ジャンクな食事。
- 好きなタバコの銘柄は「トハの葉巻」、「帝連第一」。
- シルア人にトハの葉巻を勧められ、物を知らずに肺いっぱいに吸い込んで大いに咽て「お前ら私を殺すつもりか!?」と叫んだという。その後、しばらくして癖になって好きな銘柄に加えられた。
- 好きなお酒の範囲は広く、「ハピカーワ」、「天嶺酒」、「チティの酒」、「赤虹蜜桃酒」、「サソリ酒」、「ケミシャール」などをチビチビと飲んでいるという。
- ジャンクな食事としては、ニンニク背脂系こってりラーメンや油そばのようなものを好む。以前、某国で「揚げバター」をご馳走されたときは、大喜びで平らげてしまったらしい。
- なお、このような嗜好でありながらも、健康診断では異常が全く出ていない辺り、普段の食生活では健康に気をつけているところが見て取れる。
- しっかりと思考して堅実に考えるタイプであるが、その思考速度がとんでもないために色々と疑われることがあった。
- 士官学校において、教官が出した問題に対して瞬時に答えることが出来たが、教官はそれをカンニングだと疑い、その年次の学生には答えられないような説明を求めたが、チャクムは自分の思考工程を授業時間いっぱいに説明し、チャイムが鳴った瞬間に教官が折れて「もういい」と言われ、止めたほどである。
最終更新:2022年08月28日 04:32