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生年月日 |
1677年1月10日 |
出生地 |
ドルムント パカパーク |
出身校 |
エメル・スラメオン工科大学 |
職業 |
国際弁護士 元アンドロイド工学研究者 |
称号 |
国際アンドロイド協会会長 国際アンドロイド協会設立者 |
関連人物 |
ゼラエ・ストラメウト ヘスロン・スロンコ |
リヤルト・グラーヅェン(エルミア語:Liyalt Xagszin)はエルミア国籍のドルムント人男性の国際弁護士、元アンドロイド工学研究者、国際アンドロイド協会会長。国際アンドロイド協会の設立者。
来歴
生い立ち
オクナンの
アンドロイドワークショップでアンドロイドに興味を持った。高校時代はアンドロイド同好会の会長として活動し、1691年からはラヴェルト最高峰の工科大学であるエメル・スラメオン工科大学に入学し、首都エメル・スラメオンの下宿を借りた。
卒業後は
マーカス連邦のデクト社に就職し、5年間アンドロイドの人工関節に関する改良研究を行った。
その後退職し1711年に惑星ゼストラ・パスヴィスのルランメルダーでグラーヅェン法律事務所を開く。
1704年、
デクトリア社執行役会長のクファールス・ウォルジットに誘われ、同社の国際関係部局の責任者に就任。1707年から1710年までマーカス連邦経済省の中産層調整役を顧問団の一員になった。1712年からクファールストレクター社の顧問。1718年、ホーラン・ガンカム社の監査役会会長に就任。1720年から1728年までペルラモン・ストレンター社の顧問。1728年から1732年までエルメト社の執行役会会長に就任。また、1725年から1730年までマーカス連邦安全保安委員会委員を務めた。
母語のドルムント語の他、エルミア語、
マーカス語、メロー語に堪能。
国際アンドロイド協会設立
1733年、
アクース内戦が勃発した直後、国際情勢が与えるアンドロイド産業への打撃を危惧し、
アイローム社、
リヴァダー社重役の打診を受け、
国際アンドロイド協会(OEF、Ostiigepton Enszamia la-Featia / オステーゲットン・エンザミア・ラ・フェアティア)を設立し、会長となる。
アクース内戦の影響にも負けず、アンドロイドの普及とアンドロイド産業の振興を目指すという方針は
大宇宙の有力国・有力者に支持された。
しかし、リヤルトはマーカス連邦に有利な情報政策を行ったり、
リヴァダー社の非合法戦闘パーツ搭載問題に対して一貫した行動を取らなかったりしたことが批判された。
運命の6時間
人物
アンドロイド工学のみならず、工学全般、法学の造詣が深く、幅広い知識を兼ね備えており、アドバイザーとしての判断力や先進的なシステムの発案者としても優れている。
幅広い交友関係を持ち、新しい職場での適応力も高いと評価されている。
利益を追求することに関してのセンスが抜群でサーヴァリアの一流コンサルにも劣らない。
性格と評価
向上心が強く、何かの一番になることに執念を燃やす。
幅広い交友関係を持っているが、ビジネス上での関係であり、プライベートで付き合いはない。リヤルト自身、そのような関係はかえって弱みになると考えており、あえてそうしていないと言われている。
良くも悪くも空気を読まないところがあり、それが経営者としての強みとも言われている。一方で批判もあり、先方の動向を斟酌をしない点が独りよがり的であると述べる評論家もいる。
利潤を追求する姿勢は大宇宙のビジネス界では高く評価されているが、倫理観は持ち合わせておらず、アンドロイド人権保障の潮流からは逆行していた。
後の時代の評価では、「知識人としては一流だったが、調整役としては三流だった」とされている。
権力に非常に強い魅力を感じるタイプで、これまでエルトリアに4回訪問している。
交友関係
最終更新:2022年12月18日 18:55