「知覚せよ、その先を。走る山を、燃える川を、白銀に輝く大地の草花を。」
――ユラリッサ・ダプセフラマファル
概要
ダプセフラマファルは、主に
アクース内戦前後に活躍した画家であったが、晩年はチャンタに至り、青空教室を開く。超理性主義は、主にここでダプセフラマファルが語ったことに対して、その弟子らが研究し、解釈を施したものである。ダプセフラマファル自身は、思想家や哲学者を名乗ったことはなく、自己の中の哲学として持っていただけであったため、体系化がされておらず、自己矛盾を孕んでいた。青空教室も、本来は絵画教室である。しかし、そこでダプセフラマファルが、自身の
サッコリャル使用体験などを踏まえた、癖のある教育方法を行ったことや、そのような思想を語ったことで、それに感化された生徒が、研究を進めていくこととなった。そのため、超理性主義の解釈は非常に多様である。
一般的には、超理性主義は、重要な要素として、主に以下を持つものであると考えられている:
また、ダプセフラマファルは、アクース連邦に否定的であったこともあり、反権威主義的、反集権主義的思想を持っていたとされるため、これも上の要素に含むこともある。
主な思想家
エルカフ・クムヴェフュト
青空教室に初期から参加し、直弟子であったクムヴェフュトは、超理性主義研究の第一人者である。ダプセフラマファルがアクースで活躍していた時から独自にその思想に注目しており、国内のパパラッチや記者に辟易していた、移住初期のダプセフラマファルが信を置いた数少ない
アクース人であった。
超理性主義という語を定めた彼は、ダプセフラマファルの哲学の基底に、我々(izan)の能力の批判があることを指摘した。長い間サッコレなどの、自然環境が厳しい地域に住んでいたダプセフラマファルは、自然に対する我々の虚しさを持っており、また、違法薬物である
サッコリャルの使用によって自身の能力を超越させたことによって、我々が持つ理性が我々そのものを拘束しているとする。
ここでいう理性とは、
我々が生まれながらにして持つ思考や認識そのもの、またはそれを行う能力のことである。すべて我々は、考えたり行動したりするときに理性を行使し、世間からは行使することを求められる。また、安易に理性から逸脱したことをしようとしても、それは所詮アンチ理性にしかならないし、理性からは離れられないという。このような状態は「
理性の枷」にかけられた状態といわれ、ダプセフラマファルは、この状態から超克し、能力を覚醒させ、ありのままに知覚することの必要性を説いた。そのための手法として、例えばサッコリャルによる強制的な覚醒がある。
クムヴェフュトは以上のことを考察し、さらに、理性をもっと広範囲に適用することを考えた。理性から第3軸的に、ナンセンスに「
ずれる」ことで、規定されたあるものから超越し、単なるカテゴリ的対立を超克し、そのものの真の姿を見ようとする試みを唱えた。
概要は当該ページを参照せよ。当ページでは彼の超理性主義に対する思想について解説する。
最終更新:2023年09月03日 19:32