ダラグラーフ=ダン=ダイユン=マグノール=シャウディエ
deiragla^f-dan-daiun-magnour-shaudie
第36代ニーネン=シャプチ星衛主席 |
在任期間:1578~1584年 |
生年月日 |
1568年1月4日 |
出生地 |
ジャフーグ、ニブレン |
所属政党 |
サナイユ党 |
次代 |
タイガン |
前代 |
パナジェン |
出身校 |
ニブレン幼年学校 |
前職 |
サナイユ第46代ラニエン |
称号 |
第36代星衛主席、優美なラニラコン |
配偶者 |
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親族 |
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ダラグラーフ=シャウディエ(
檀語:
deiragla^f-shaudie)は
ニーネン=シャプチの第36代星衛主席。
AP15歳で歴代最年少の女性星衛主席として就任し注目を集めた。またシャウディエ参事会は全員が若い女性たちで構成されたことから「
聖女たちの参事会」と呼ばれた。
生い立ち
幼少期
ニブレンの貧民街で生まれる。
AS3歳頃に母親とはぐれ、貴族階級のダラグラーフ家に保護され、養女となる。義父は航空船スガイユンの技師であり、義母はその補佐技師であった。二人は熱心なレプネタイユ=サナヤウ教徒であり、本人も使徒聖女を信仰した。また、ダラグラーフ家の四姉妹の四女のサナイエと同い年であり、すぐに仲良くなった。シャウディエは貧民階級の子供には似合わず穏やかで上品な性格の子供であった。また末っ子同様の扱いを受け、人たらしの才能があった。
両親の勧めにより
AS12歳でレプネタイユ=サナヤウ教の
ラニエンとなる。その後、サナイユ党の活動のお手伝いをするようになる。
AS14歳頃に党内の投票でサナイエが党首に選ばれたものの、当時貴族階級の子供は猛勉強しなければいけなかったため学業を理由にシャウディエにその座を譲り、シャウディエはお飾り党首としてサナイユ党の地位に上り詰めた。
一方、義父の影響で隠れ航空船オタクでもあった。よく一人で空港に行っては航空船を写真で収めていたと後年カミングアウトしている。
選挙では周囲にちやほやされたが、シャウディエにとっては選挙はとてもつらい仕事であった。演説が大の苦手でありシャウディエの声は小さく聞き取りづらかったが、民衆はそのか細く透き通る声を聞き取るために聞き入ったとされる。しかし、持ち前のタフさでサナイユ党の信頼度指数の大幅な増加に貢献した。シャウディエは「サナイエやダラグラーフ家の他の姉妹たちの手助けあってのことだった」と後に回想している。
15歳の頃の転機
AS15歳の時、義父に連れられてサナイエと一緒に空中船の展覧会に参加するために
サニェーラ独立国へ訪れる。この時、空中船の写真を撮っていたシャウディエが
トゥーオル・ラーオルと出会い意気投合。義父やサナイエと共にサニェーラ中枢院に招待され航空船の話題で盛り上がるなどした。これが後のサニェーラ開発局の局長になる最初のきっかけであった。
最年少星衛主席への道のり
AS16歳に行われた星衛参事会選挙では国農税の廃止を訴えて市民の人気を集めた。争点となったのは「失われた税源をどこで補填するか」という点であったが、それについては信仰税を設定することで回避できるとした。シャウディエが当選するとは誰も思っていなかったが、ジャフーグの選挙区で大番狂わせが起こり、まさかの当選を果たして第36代星衛主席に就任した。
星衛主席として
第36代星衛主席として就任したシャウディエは「サナイユ事業」に着手し、国農税を廃止し、その代わりに信仰保険制度と信仰税を導入した。知識面ではサナイエなど星衛参事官の助けによって行われ、シャウディエ自身は演説や訪問などのアピールやパフォーマンスなどの面で活躍した。
当選当初から6年間の任期を掲げており、その間に政治目標を達成するという公約を掲げた。1584年に公約達成につき辞任。
主な活動
宗教政策である「
サナイユ事業」によってスワーシャカーチェ集約神教の宗教分類の見直しと細分化が図られ、「
チェディシ体制」と呼ばれる暫定の宗教分類体系を見直し、多様な宗教に適合した現代的な体制を作り上げた。拝女教の地位向上はサナイユ事業によって相対的に増加した。
また、ニーネン=シャプチ建国以降から行われていた国営農業従事者に登録した人全員から徴収する税金である「
国農税」を廃止し、代わりにそれぞれの宗教に所属する人々は一定額を支払うことでその宗教に応じた社会保障を受けることのできる
信仰保険制度を施行した。また、信仰に応じた任意額を支払う
信仰税を課した。特にこの信仰税は貴族階級などの富裕層が次第に自身の体裁のために多額の課税を自発的に行うようになり、累進性の非常に高い優れた税金として経済系シンクタンクの高い評価を受けた。
一方軍事に関しては全くの知識がなかったために、招民院軍部内部での信頼を得られなかった。軍部は参事会の方針を無視して軍拡路線に走り税政を圧迫した。この時代、
シンテーア暦1570年代は外文明との接触の可能性が示唆されていたために突発的な星間戦争に対する社会不安が背景にはあった。
人物
幼少期のシャウディエは両親によれば勉強も運動も得意ではなかったが、ある種の鋭い勘のようなものを持っていたとされる。また、心優しく愛嬌のある性格であったため誰からも愛される天性の人たらしの才能があった。一方人前に立つことが苦手で、特に自分の気持ちを表現する演説は大の苦手であった。
一方、シャウディエ参事会の参事官とはプライベートで交流するほど親しくなった。
隠れ航空船オタクとして知られており、その道の人たちからは伝説の人物として知られているという。
関連項目
最終更新:2021年09月21日 08:40