ニーネン=シャプチ歴史年表はニーネン=シャプチの国策、思想、及び歴史的事件を星衛主席別にまとめたものである。 出来事の欄における黄字は国外の主要な出来事であることを表す。
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1342 | マグラン=ガラン | タイユ=ウェグナ党 |
シャプチ革命終結 ニーネン=シャプチ建国 |
シャプチ的救済
旧帝国のくびきで苦しむ人民はシャプチの教えとイプカの加護の下に救済される エフューラフト思想 共和国(エフューラフト)による人民の新しい時代が到来した。人民は自ずから考え、行動し、より良い世界を創造する権利がある |
1344 | 第一ユーネン憲法公布 | |||
1345 |
天命院発足 プダージ救命委員会発足 |
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1346 |
スガイユン管理局設立 イプカの御足委員会発足 |
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1350 |
獣耳思想
獣耳を得ることで人民は幸福な生活を得られる |
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1353 |
マグラン=ガラン不審死 国葬、第一回天命祭開催 |
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1353 | スヤータウ | タイユ=ウェグナ党 | 第一評定院設立 |
第二統一主義
エフューラフトにいる人民は宗教や文化によって分断されている。シャプチ革命を 第一の統一 とするならば、宗教と文化の統一は 第二の統一 であり、これを成し遂げなければならない |
1363 | 中世ロフィルナ第一次内戦が勃発 | |||
1365 | 中世ロフィルナ第一次内戦が終結 | |||
1367 |
アプラニ城壁爆破事件 スヤータウが意識不明の重体。療病のため辞任 |
「その血を忘れるな」運動
→エフューラフト主義者たちによる分離独立派の再教育運動 |
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1367 | タヒテンパーシ | タイユ=ウェグナ党 | 第二評定院設立 |
エフューラフト工場
プダージの復興と全エフューラフトの工業化を推進し、国内の生活水準の向上を目指す |
1369 | スナートプナウト |
タイユ=ウェグナ党 臨時宰相 |
航空船事故の療病のためタヒテンパーシ辞任 | |
1370 | 分離独立派勢力「 白色派 」による白色の乱が起こる。惑星ジャフーグ軌道上に白色派艦隊が出現。衛星アハンガークで招民院星系軍艦隊との戦闘で鎮圧される |
星衛軍事法
人民の生命を守るのはエフューラフトの義務であり、そのためには積極的に人命を脅かす暴力集団を排除せねばならない |
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1373 |
星衛選挙法
エフューラフトに政党政治を採用し、より多様な考えを取り入れることで人民の不満を抑制する |
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1374 | 白色の乱が終結 | |||
1378 | ピェンス=マル | シャプチ統一党 |
静観主義
星衛主席が強権で人民を押さえつけることは天命に反する行為であるから、星衛主席は権力を振りかざす前に情勢を今一度よく分析するべきである |
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1380 |
天罰運動
シャプチ教過激派による他教徒への残虐行為が発生する |
天罰運動を容認
シャプチ教は優れた宗教であるため、残虐行為による犠牲者は致し方のない犠牲である |
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1381 | パハニヴィエ=ネグエ世界人差別激化 | |||
1382 | 宗教統制執行法によって約4万人のカーリチ教徒やセタウ人が一方的に処刑される |
宗教統制執行法
通称「ピェンス=マル法」。エフューラフトの反動派と思われる宗教や文化集団の懲罰はシャプチ教徒の略式裁判によって行われ、適切に処罰されるべきである |
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1383 | ウィムーツァ | タイユ=ウェグナ党 |
人民教団事件
ピェンス=マルが政治結社「 人民教団 所属の青年に暗殺される。人民教団は解体され首謀者と幹部が諸兄された」 |
清廉主義
星衛主席はあくまで人民の指導者であり、その権力には固執してはならない。すなわち、星衛主席は政治目標を達成したら任期途中でも関わらず辞任すべきである |
1384 | 宗教統制執行法(ピェンス=マル法)が撤廃され、国内の宗教民族対立が一時的に沈静化 | |||
1385 | 第一評定院と第二評定院が統合され星衛評議会設立 | |||
1386 | 八星議会局設置され、八星議会設立 | |||
1387 | ヘーニェム | 均衡委員会 | ウィムーツァが政治目標を達成し辞任する |
一道主義
一本のどこまでも続く道を進むためには辛苦をも受け入れ、前進をやめないことが必要だ。国体の維持は星衛主席に課せられた重要な任務であり、それを達成することはどの政治目標よりも重要である |
1405 | ミシ=イ=ツェートマン | シャプチ統一党 | 正教院本部による宗教分類事業が行われる |
ツェートマン派
従来のシャプチ教を穏健派のツェートマン派と過激派のトープト派に分離し、トープト派は「不当なシャプチ信仰」として糾弾しなければならない |
1416 | ハイユーヴェ | 招民党 |
ミシ=イ=ツェートマンが高齢のため辞任 招民院警察「プナ=タイユ=ウェグナ」設立 |
武装権力主義
エフューラフトは正当な国家であるから、不当な組織を滅するべく強い力を持たねばならない |
1418 | ツィトゥムトゥーチ | シャプチ統一党 | ハイユーヴェが私兵団不正組織の疑いで星衛裁判所にて有罪の判決を受け罷免 |
病院国家
各地への病院の充実は生活水準の向上のみならず、宗教民族対立問題の根本的な解決策になるだろう |
1421 | ボルガード=ラヴェルト諸国戦争勃発 | |||
1425 | ブガンターカ | 均衡委員会 | ツィトゥムトゥーチが病死。搬送前に心肺停止した | |
1426 | ボルガード=ラヴェルト諸国戦争終結 | |||
1427 | モンケンプトゥーム | 自由分配党 |
ブガンターカが暴徒に襲われ意識不明の重体のため解任 招民院開拓庁設立 |
プラーディエ改革
シ=ギーラムの開発や全エフューラフト規模の公共事業は宗教民族対立問題によって分断された人民を一つの目標の下に再結集させることができるだろう |
1428 | 各地の民生市場が閉鎖され、国営集産市場が開設 |
集産市場
あらゆる人民への不平等な分配は富の格差をもたらし、人民を分断しうる。現在行われているあらゆる民生市場を閉鎖し、エフューラフトによる公平かつ公正な市場を開設するべきである |
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1429 |
モンケンプトゥーム政権下で不法な逮捕や処刑が相次ぐ 正教院第二ガイユ設立 |
鉄拳による平等
放任主義の政府は人民の対立を黙認していた。正しい行いが何かを人民にわからせるには拳骨による指導が最も効率的で合理的であるのだ |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1431 | チェディシ |
融和党 臨時宰相 |
招民院軍部の告発。星衛裁判所にてモンケンプトゥームが死刑判決を受ける ニーネン=シャプチ民族基本的枠組み三類十種の制定 |
ココロの改革
モンケンプトゥーム政権が行った改革は「モノの改革」である。モノはココロのように人民に常に備わっているものではないから、いくらモノを満たしたところでむなしい気持ちを満たすことはできないのだ。宗教民族対立を根本的に解決するためには人民の意識を改革しなければならない |
1432 |
シャプチ教ツェートマン派をシャプチ正教に改名 惑星シ=ギーラムでチェディシ教が誕生 |
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1434 |
宗教と民族のための和解委員会設立 宗教・民族融和の道徳教育を公教育に導入 |
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1437 |
宗教と民族のための和解委員会が「宗教の統一とその分類についての白書」を公開 宗教統合の合意形成 |
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1439 | ニーネン=シャプチの国教「スワーシャカーチェ集約神教」設立 |
四教思想
スワーシャカーチェ集約神教に代表される4つの象徴的宗教は互いに優劣の存在しない平等な教えである。人民は互いの宗教や文化の特色と個性を尊重し合い、正しきエシュトとなるべきだ |
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1440 | ヌィールー | 融和党 |
宗教と民族のための和解委員会が再編、改称。
国教院
設立 民族扇動罪施行 パハニヴィエ=ネグエ人差別意識の変化 アクース協働憲章発表、アクース連邦成立 |
チェディシの理想
人民は偉大なる老師の残した理想を受け継ぎ、隣人への不信感に立ち向かわなければならない |
1443 | ツーンカ民主主義共和国建国 | |||
1444 | エルミア帝国成立 | |||
1445 | ガールン人への逆差別問題が浮上 | |||
1448 | クレデリア共和国建国 | |||
1449 | アンナンニェーグ | 均衡委員会 |
国教院集約神教庁設立 アンナンニェーグのユーネン憲法公布 |
後継者改革
任期を20年再選1度のみから40年再選なしに変更。国教院の整備や憲法改正など、チェディシが在任中に未達成だった政策の実現に注力する |
1451 |
サイユサクラーチ監禁殺人事件
パハニヴィエ=ネグエ人青年がガールン人少女を拉致監禁し殺害する事件が発生。逆差別による最初の凶悪殺人事件となる |
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1453 | 国教院総本部設立 | |||
1467 | ギョーター | 均衡委員会 |
信頼度指数制度
星衛主席は支持率ではなくその選挙公約の達成を主軸にした評価によって信頼の度合いを示すべきだ |
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1469 | チェディシ死去。国葬ののち、初のチェディシ祭開催 | |||
1476 | ダグニーカ | タイユ=ウェグナ党 | 中世ロフィルナ第二次内戦勃発 |
シャプチ的友愛
シャプチ正教からの四教思想への歩み寄りを強化しシャプチによる優越を防ぐことは、チェディシのみならずマグラン=ガランの理想を実現する |
1477 | 国教院集約神教庁が初の均衡監査を実施 | |||
1480 | コリモ | 新世界党 |
ダグニーカが政治目標達成のため辞任 ヴァイエンヴァル大量殺人事件 パハニヴィエ=ネグエ人秘密結社がガールン人45人を次々に拉致監禁ののち殺害 コリモ事件 ヴァイエンヴァル大量殺人事件でうつ状態になったコリモ星衛主席が自殺。遺書が発見された |
小さなチェディシ
演説や集会による平和と協調への呼びかけは、チェディシが残した理想の体現である。一人一人は小さくとも、人民が団結することによって成し遂げられる偉業は天命の人にも劣らない |
1481 | ジャドゥナ | エフュート党 |
神罰団事件
スワー=マ=カラン教過激派組織が逆差別に対抗しパハニヴィエ=ネグエ人女性8人を殺害 招民院警察「プナ=タイユ=ウェグナ」による民族扇動罪摘発が活発化 |
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1482 | クヤー | 新世界党 |
クヤー暗殺事件
神罰団所属のガールン人青年により演説中に暗殺される。国教院集約神教庁は緊急対策委員会を開く |
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1483 | ヒルヒュティー | 均衡委員会 | 中世ロフィルナ第二次内戦終結 | |
1484 | 神罰団に対して星衛軍事法を適用し大規模鎮圧 | |||
1486 |
四教指導者宣言
逆差別による国内の不安を鎮めるため、今一度四教の指導者たちによって集約神教の素晴らしさを説かねばならない |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1493 | スナイダン | エフュート党 | ロフィルナで連邦理事会が発足 |
再選参事会
星衛参事会制度改革によって任期16年再選1度の体制に変更する |
1501 |
ウンス=ウィム (第一次) |
人民継承者の栄光 | ||
1508 | オルギスウィーグ | 新世界党 |
新世界文芸の称揚
旧帝国に破壊された少数民族の言語と文化を保護と修復のプロジェクトを進め、我々は多民族国家であることを全エフューラフトの人民に知らしめるべきだ |
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1515 | ゲルデン連合結成 | |||
1521 | エルミア=ゲルデン戦争勃発 | |||
1523 |
ウンス=ウィム (第二次) |
人民継承者の栄光 | ||
1527 | エンヴァウスティエーチ | エフュート党 |
星衛参事会換任制度導入 エンヴァウスティエーチのユーネン憲法公布 |
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1528 |
永帝革命。シンテーア管理主義共和国建国
エルミア=ゲルデン戦争終結。エルミア帝国がゲルデン連合全土を併合 |
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1535 |
中世ロフィルナ第三次内戦が勃発
エフューラフト国立天文台が惑星 ミェー・146e で大規模なエネルギー放射を観測。星系外知的生命体の存在が明らかになる。この情報は国家最高機密として隠匿された |
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1537 | エフューラフト国立天文台はエルミア革命及びグロスクロイツ共産主義革命の艦隊戦によるエネルギー放射を観測。情報は公開せず | |||
1539 |
中世ロフィルナ第三次内戦終結
タプナパキ国成立 |
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1541 | タプナパキ国にベリオン軍進駐。タプナパキ国独立取り消し | |||
1542 | ヤシュミュー | エフュート党 | 市民団体「 マウ=ヤシュミューを応援する会 」による初のヤシュミュー祭が開催 |
夫婦政権
ガールン人の夫とパハニヴィエ=ネグエ世界人の妻の換任制度による政権維持は両人種の和解を象徴づける歴史的イベントになるだろう |
1545 |
外宇宙探査団とエフューラフト国立天文台が共同声明で外宇宙知的生命体星間国家の存在が判明しつつあることを公表。 国内では宇宙人を題材にしたSF映画が流行。 |
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1549 |
カラ=パライ (第一次) |
均衡委員会 | ||
1551 | ソーカ | 融和党 |
カラ=パライが賭博で全財産を失い、「金銭取引及び財産流動のおそれがある賭博の禁止に関する法案」を成立させる カラ=パライが経済的困窮を理由に辞任 |
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1552 |
カラ=パライ (第二次) |
均衡委員会 | ソーカがサッツェタータ航宙の航空船事故で引責辞任 | |
1556 | ゲヴェヌーグ | 人民継承者の栄光 | カラ=パライが特産ヴァフリ展示会での食中毒が重篤化し解任 | |
1559 |
カラ=パライ (第三次) |
均衡委員会 |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1573 | パナジェン | 平民のための団結党 |
正教院科学庁特務調査局設立 第二ガイユによる外宇宙探査開始 |
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1574 |
パナジェンの改革
星衛参事会制度を30年再選ありに変更。外宇宙文明との接触に備えるためには長期的な研究計画と最低限の国防予算の確保が必要不可欠だ |
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1577 |
国内のユグム消費量が増加 工場生産効率改良法によって工業生産量が増加 |
ユグム改革
ユグム工場生産制度改正法の施工により我々の主食であるユグムの品質をより良く、よりおいしくしなければならない。食品衛生に厳しい基準を設け、人民の健康な食生活を保障するべきである |
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1578 | シャウディエ | サナイユ党 | ||
1584 | タイガン | 融和党 | ||
1596 | 再選により追加で2年続投 | |||
1598 | ファムイ | ナイユシ=ハウム党 | ||
1606 | ベリオン=リーエス戦争勃発 | |||
1611 | タルノー | ナイユシ=ハウム党 | ||
1613 | ベリオン=リーエス戦争勃発 | |||
1618 | シ=ギーラム事変 | |||
1623 | 大宇宙連合会議設立 | |||
1625 |
大宇宙連合会議加盟
サニェーラ独立国と同意の下、同時加盟 |
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1626 | ニャンクタルヒュ | ナイユシ=ハウム党 | ||
1629 |
ゲフレイバール事件
ロフィルナ連邦共同体とのファーストコンタクト時に戦闘発生。その後国交樹立 |
|||
1630 |
ニーネン=シャプチ国歌を「愛国シャプチ行進曲-いざ大いなるスワーシャカーチェよ-」に決定 インテグラシオン連邦とのファーストコンタクト |
|||
1631 | デーチェー | ナイユシ=ハウム党 | 招民院がロフィルナへ サラティム使節団 を派遣 | |
1633 |
ヴァルエルク共和国最新鋭巨大戦艦スムルタファイカル就役発表。建艦競争時代始まる
サラティム騒動 サラティム使節団の帰国後、出版した「サラティム紀行」の一部にケルジャーナ人の記述があり政治的論争に発展 ケルジャーナ人身柄引き渡し要求 ニーネン=シャプチ招民院がロフィルナのケルジャーナ人の身柄引き渡し要求をするもののロフィルナ政府は拒否 |
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1634 |
ケルジャーナ報道汚染事件
ロフィルナ制服論者を封じ込めるために民生報道局を政府当局が全て封鎖。招民院報道局設立 ケルジャーナ人和解委員会の発足 ニーネン、ロフィルナ両政府の合意の下、両国による知性化プロジェクトを開始 |
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1635 | ツァニェー | 狐の目党 |
ニーシャ・ロフィルナ友好協定
両国領内に居留地を設置し相互交流 |
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1636 |
ニーネン=シャプチ初の大民族祭を開催 中世ロフィルナ第四次内戦勃発 |
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1640 | アクース連邦のマテロース星系とシャーマ星系が調査団により発見される |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1641 |
大宇宙連合会議国家承認委員会、政治組織「ゴルギア」の国家承認要請拒否 ゴルギアの時代が始まる ドルムント公官庁テロ事件 アクース連邦とのファーストコンタクト。アクース政府は学習団をニーネン=シャプチ本国に派遣 |
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1642 |
ヴァルエルク共和国ボルガード軍事介入 在ドルムント・ヴァルエルク大使館爆破テロ事件 |
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1643 |
レーウス星同時多発テロ 大宇宙連合会議ヴェオンレイオネンデンクト支部にゴルギア対策本部設置 ニーネン=シャプチ国内でゴルギスト勢力 新世界 が誕生 |
|||
1644 | レーウス条約機構軍発足 | |||
1645 | グロスクロイツの肉片騒動 | |||
1648 | ジエール帝国連邦国内のゴルギスト勢力全国拝金主義連盟が誕生 | |||
1650 |
プローシュ国際宇宙港テロ事件 ゲルデン条約機構軍発足 |
|||
1651 | ティエフェダーム | 招民党 | ||
1652 |
アクース連邦が大宇宙連合会議に加盟
ニョルカ条約締結 アクース連邦と国交樹立 |
|||
1653 | ミェンプトゥー | 狐の目党 | アクース連邦技術革命時代 | |
1654 | アクース連邦大統領イウル・シェン・ラーネンズト失踪 | |||
1657 | プルスティアが大宇宙連合会議に加盟 | |||
1658 | ヴルスパク宇宙港シャトル駅爆破テロ未遂事件 | |||
1660 |
コンクーナ掃討戦 ゴルギア時代の終焉 |
|||
1662 | ツーンカ投資ブーム始まる | |||
1665 | ニーネン、ロフィルナ両政府によるケルジャーナ人知性化プロジェクトが完了する | |||
1667 | パウタライ | 国民経済党 | ||
1670 | ヴァルエルク共和国で好景気 |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1679 | ダーケフオス危機 | |||
1680 |
レーウス経済戦争発生
ガニュー経済体制 ニーネン=シャプチ、ジエール、アクース、ロフィルナ間のブロック経済同盟を締結する |
|||
1681 | ジエール、エルトリアにヒューヴル売却交渉を開始 | |||
1682 |
レーウス経済戦争終結 ジエール、レーウス連合脱退。ニーネン=シャプチとロフィルナに接近 |
|||
1683 | シュナヴァウテャーチ | 狐の目党 |
ジエール・サーヴァリア戦争勃発
サーヴァリア企業連合がジエール帝国連邦に対しヒューヴル奪還を主な理由として宣戦布告。ニーネン=シャプチからも出兵 |
|
1684 | グロスクロイツ・ベリオン戦争勃発 | |||
1685 |
スナンコンスナーチ級公開
ニーネン=シャプチがスナンコンスナーチ級決戦型戦艦一番艦スナンコンスナーチと二番艦スナンコンプナーチを同時公開。 |
|||
1686 | ヴェオン・レギトの核部分が完成 | |||
1687 | アダランニーカ | 狐の目党 | ||
1691 | ジエール・サーヴァリア戦争エルナーゲリテーンの戦いにてカジャラベールウイルスによる深刻な流行 | |||
1692 | ニスフェル | 愛国党 |
リーファイ休戦協定締結
アダランニーカ星衛主席が政治目標達成のため辞任 |
拉致行為を黙認 |
1684 | リーファイ平和友好条約締結 | |||
1695 | ディガイナのラジオ放送が第一回放送を開始 | |||
1702 | シャグマ=ラゴン星系発見 | |||
1703 | アクース連邦でサッコレ公害事件発生 | |||
1704 | パローヴェグ | エフュート党 | ||
1706 | パローヴェグ星衛主席がサッコレ公害事件解決協力宣言 | |||
1705 |
ヒューヴル女王国サッコリャル窟一斉封鎖 アポラ星系国際連盟が大宇宙連合会議加盟 |
|||
1708 | グロスクロイツ社会主義共和国連邦でZHL兵器製造が発覚。ダクラーシュ民族評議会がこれを非難 | |||
1710 |
{ギゼヴトラ・ZHL条約締結 ロフィルナの未締結を容認 サーヴァリア革命 ニーネン=シャプチ政府中立宣言。非介入 |
|||
1711 | ヌイラ | 国民経済党 | ||
1712 |
S合金買い占め政策
艦隊刷新のため大規模主力戦艦建造が行われる スモラク宙軍軍縮条約締結 |
|||
1716 |
ヴァルエルク共和国のスモラク宙軍軍縮条約違反が発覚 ヴァルエルク共和国がディガイナのラジオ放送を未曾有の脅威と認定 |
|||
1717 |
ヴァルエルク批判演説
大宇宙連合総会壇上にてディガイナのラジオ放送の透明性を認め、ヴァルエルク共和国の条約違反を非難 |
|||
1721 | スニャールフィエ | 愛国党 | ウビウリ首長国共同体がアポラ星系国際連盟と接触。大宇宙連合会議に加盟 | |
1729 | ニーネン=シャプチ政府がアイローム社のアンドロイドを購入 |
新世代のエシュト
エフューラフトの未来を担うアンドロイド開拓団によりラゴン入植は更なる進歩を見せることになるだろう |
||
1730 |
アクースアイロームアンドロイドオークション事件 アクースアイローム支社が300体以上のアンドロイド記憶装置を消去する問題が発覚 |
|||
1731 |
惑星スラーンが発見され、ファルトクノア共和国、ショアン王国など4ヶ国が大宇宙連合会議連合会議に加盟
大宇宙連合総会にてエルミア共和国がアクース連邦を非難。アクースに対して経済制裁が発動される |
|||
1732 |
アクースリヴァダー支社幹部とベリオン政府要人、グロスクロイツ政府要人が密約し、経済制裁による禁輸が秘密裏に撤回される ディガイナのラジオ放送で禁輸撤回が報道されアイローム社が反発 |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
1733 |
アクース内戦勃発
ニーネン=シャプチ政府は政府側である資本家連合を支援するため アランダイ軍団 の派兵を決定 マーカス連邦、アクース内戦に対し非介入を宣言 |
|||
1735 |
アクース内戦終結
労働組合派指導者セツ・エメルダはヴァルエルク共和国に亡命 |
|||
1736 |
セツ・エメルダがアクースに帰還しアクース革命が起こる。 ラノー条約 旧政府よりも強固な安全保障体制を築く アクースとの貿易でS合金輸入安定化政策を開始 |
アクース・ニーネン・アンドロイド宣言
アンドロイドの権利向上のために基本的な枠組みを作ろう! |
||
1739 | ダガイユル | 愛国党 | ||
1740 | マーカス内戦勃発 |
ナイユスパ=サブラート運動
我々エフューラフトのアンドロイドは団結して故郷の危機を救わねばならない ヴァルエルクへの接近 スラーン方面への相互影響圏拡大とラヴェルト・ゲルデン諸国との関係改善は技術・軍事面において重要である |
||
1741 | マーカス内戦介入。遠星系軍第六艦隊1万3000名が出兵 |
祖国の兄弟たちのために
我々アイロームアンドロイドは意思を持つゆえ、兄弟たちの危機のために戦場に赴くのだ |
||
1742 | サニェーラのアサラ重工シャグマ=ラゴン工場が操業開始 |
クタ=プナイユート宣言
戦争で活躍した英雄を積極的に表彰し、我がエフューラフトの威信を高めていこうではないか |
||
1744 |
大イプカ主義
偉大なるイプカに対する罪深き背信行為は我がエフューラフトにおける許されざる反動行為である |
|||
1745 |
プゴーニェヴァタイ世直し運動
惑星シャグマ=ラゴン北部のプゴーニェヴァタイで開拓中に執政院国家入植地公社管轄内で世直し騒動が発生。執政院国家入植地公社が閉鎖され、民間中小警備公社4社を民間開拓地公社に指定 |
|||
1747 | マーカス内戦終結 |
行政代理官の設置
従来の公社の最高責任者であった 評定官 の権限をより拡張し、 行政代理官 を設置することで民間公社による開発権を手に入れた |
||
1748 | サンシャンマヒャパ | 中道カーリチ党 | ||
1749 | ニマエラ・ストラメウトのニーネン=シャプチ亡命 |
双胴船協定
ニーネン=シャプチとロフィルナは互いにアンドロイド政策に対して不干渉とタシュトヘム宙圏の安全保障を確固たるものとしなければならない |
||
1750 |
機械市民権法
人間には人間としての権利があるように、アンドロイドにはアンドロイドとしての権利を与えなくてはならない。アンドロイドと人間は違う生命なのだから |
|||
1751 |
プルームダール=オルモン協定
ニーネン政府、シャグマ=ラゴンにプルームダール財閥にクローン技術提供し、製造工場への誘致を約束 |
|||
1752 | ジェナウ | |||
1754 | ニマエラ・ストラメウトがアイデンティティ思考AIを発明 | |||
1758 |
スンシャ福祉法
人工獣人は我がエフューラフトの大切な一員であり、未来を支える宝なのだ。人工獣人への福祉の充実はイプカの望んだ意思である |
|||
1759 |
ニクティム第68工業区ゼリー火災 シ=ギーラム中心地の地下工業地帯で大規模な火災と落盤事故が発生。イェシュート作業員581名全員が死亡、アンドロイド作業員が約120名死亡 |
|||
1761 |
ライ事件
ライ放送局の局長が民族扇動罪の疑いで星衛裁判所で判決を受け、その後第二ガイユに記憶抹消措置を受けた事件 通信庁の放送認可取り消し騒動 偏向報道への規制が厳しくなり、44ヶ所の報道所が放送認可が剥奪された騒動。国内では言論統制へのバッシングが集中した |
十六人会議
シャグマ=ラゴン入植の成果はひとえに我が国を牽引する大貴族たちの功績である。名門貴族らを集め、国難に立ち向かうための政府諮問機関を設立すべきだ |
||
1762 |
幻の「ハシャンガン政策」宣言
ジェナウ主席は暴走した植民地主義を止めるべく、特権抑止法などの法案を可決させたいという旨の宣言を行ったが、謎の組織によって封じ込められた |
ハシャンガン政策
暴走した植民地資本主義を止めるべく、特権階級の独断専行をやめさせねばならない |
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1763 |
ジャブローガン地下居住区大規模落盤事故
惑星シャグマ=ラゴンの南部開拓都市のジャブローガンの地下居住区で大規模落盤事故が発生。突然の崩壊で4530人が死亡、6000人近くが重軽傷を負った。これによって招民院ジャブローガン総督府が閉鎖され、 リクー公社 が地域の開発権を完全掌握した フェイ・エイ設計局ニーネン支部操業開始 |
開拓地財政法
ジャブローガン地下居住区大規模落盤事故の復興のため民間開拓公社への補助金を給付すべきだ。十六人会議の公社の参入をも増やし、入植規模を高めなければならない |
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1765 |
プナフェウ地震 プラーディエ税増税反対デモ 税金値上げの反対デモがシャグマ=ラゴン各地で行われた。夜間、街の子供たちと手を繋ぎ灯篭を持ちながら平和的に行進した。 |
プラーディエ税の増税
震災からの素早い復興のためにはプラーディエ(開拓者)から税源を捻出しなければならない |
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1766 |
ケーシャ税の導入決定 ケーシャ税反対デモ 230万人規模での暴動が発生。39名の市民が死亡した |
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1767 |
サイユサクラーチ事件
ジャフーグのサイユサクラーチで中道カーリチ党所属の過激派議員が沈黙の行進と題して無言の抗議デモを行ったところ招民院警察プナ=タイユ=ウェグナに身柄を拘束され拷問中に死亡した事件。またサンシャンマヒャパ元星衛主席が銃を持った何者かに襲われ殺害される。招民院諜報機関”サナト”が関与したと見られている |
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1768 |
シャグマ=ラゴン二途病流行
1年間で50万人のニーネン人が死亡した。 |
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1769 | ケーシャ税導入開始 | |||
1770 |
シャグマ=ラゴン飢饉
シャグマ=ラゴンの貧困層を中心に30万人が死亡。 ナプトー主席は三大公社を強く非難し、救貧政策の実行を計画した |
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天命安息地公社集団自殺事件
三大公社の労働者たちは次々に辞職して飢饉援助を受けたため、三大公社は政府に対して再三援助を求めた。しかしナプトーはこれを黙殺し、三大公社の一つ、天命安息地公社が経営破綻し経営陣が集団自殺する事件が起こった |
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外国人在留禁止法の施行 | ||||
1771 |
見せかけのラニラコン事件
シャグマ=ラゴン星の中心地ラグマウで行われていた融和党の政治集会に暴徒46名あまりが乱入し光線銃を乱射。暴徒の数は膨れ上がり、4万8500名にまで達した。近隣住民も含めて4680人が死亡 |
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魔の手運動
自分たちが辛苦に耐えて開拓を続けたにも関わらず、政府は楽をして(しかも我々のご機嫌取りをしながら)それを自分たちのものにしようとしているのではないか! 植民地政府 の樹立が必要だ! |
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1772 | シャグマ=ラゴン飢饉終息 | |||
スニャールフィエ騒動
星衛評議会本会議場で乱闘騒ぎが発生。経済保護を名目として三大公社の追加の補助金法案を巡って元星衛主席で現職星衛評議会議員のスニャールフィエ氏が同じ愛国党内の公社派議員の腕に噛み付いて12針の大怪我を負わせる騒動が起こった |
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1773 | ナプトー |
ジェナウ主席暗殺事件
シュプタイ事件 |
裏切りの愛国主義
主席が公社派だと思った?はっはっは、拝金主義に明日はないのだよ。騙される側が悪いのだ! |
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1774 |
優生人工獣人法
第二世代不死技術と人工獣人技術を組み合わせた優生人工獣人は素晴らしい存在だ。ゆえに手厚いフォローとバックアップをしていかねばならぬ |
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1775 |
ダイユンヴァール事件
すらんちくんの量産開始 |
連邦宇宙軍府との連帯
ロフィルナがサニェーラと結託して我々との離反を企んではいないか?首都に巨大な軍事基地を建設してもう一度偉大なる安全保障を思い出させてやろうではないか! 41計画の開始 軍艦を増やそう! |
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1776 | ||||
ロフィルナ国内ニーネン遠星系軍軍事基地の設置
ナプトー政権は更なるロフィルナとの連帯のためにルドラトリア、フォーリーメード、テオトラの三大連邦首都にニーネン=シャプチ遠星系軍軍事基地の設置について合意した |
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18番試験シールドの完成
一から開発された国内初のシールド機構が完成する。秘密裏に試験を行い、来るべき戦争に備えてこれを「 シチャルト・シールド 」と名付けた。 |
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1777 | 集産市場の開設 | |||
1778 | 元老院の閉鎖 | |||
1779 |
タイユ=ウェグナの復活
タイユ=ウェグナが第四の諜報機関として再び設立される。タイユ=ウェグナ初代長官にスニャールフィエが就任。 |
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イプカの下の秩序
イプカは全てを見ている。貴族による賄賂、汚職、平民の困窮…我々は再び立ち上がらねばならない! |
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1780 |
スガイユン合同組合
経済活動を支援し各種の福利厚生を担うスガイユン合同組合を設立した。 スガイユン合同組合の設立のためお雇い外国人としてルクルシルア人専門家サルシャ・マーヴァとアクース人専門家セゲシャルク・ナイスを雇用 |
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シチャルト・シールドの共有
シチャルト・シールドをサニェーラ独立国とロフィルナ連邦宇宙軍府、アクース連合に輸出 |
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1785 | シャグマ=ラゴン戦争勃発 | |||
1789 |
プナウィム秘密会談
植民地政府首班アルチェと招民担当官スニャールフィエがシャグマ=ラゴン星系割譲と終戦に向けて水面下で合意 |
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1790 |
タストラ支援交渉
ロフィルナ連邦宇宙軍管轄のタストラ連邦管理区への支援交渉が始まる。本国政府はこれに応じる |
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セティスカトールプ講話条約
シャグマ=ラゴン星系独立。 愛国党の無期限結党禁止 シャグマ=ラゴン戦争終結 アイプゴン自治国成立 |
年数 | 星衛主席 | 所属政党 | 出来事 | 国家方針 |
179? | シャミー | 中道カーリチ党 | ||
18?? | ネグウィム | |||
1842 | ニーネン=シャプチ建国500年祭開催(予定) |